第6章 GIDという経験——「患者」としての3年間

ヨシノユギ(立命館大学大学院先端総合学術研究科)

はじめに
 ここでは、性同一性障害──GID医療を受けてきた当事者として、その経験や違和感について述べようと思います。
 私自身、自分が「患者」であるのかどうかということについて、ずっと考えてきました。私は13、4歳のころに、自分の身体がしっくりこないなと感じ始め、20歳で「性同一性障害」という診断を受けました。それ以降、性同一性障害という言葉によって、何らかの疾病であるとか、患者であると位置づけられるようになったわけです。ただ、患者とか、障害当事者とか、疾病というカテゴリについては、常に腑に落ちない思いがありましたし、アイデンティティを構成する要素にはなり得ないなと感じてきました。

1 GIDとは何か
 はじめに、GIDが何なのかということについて、簡単に説明したいと思います 。まず、「性」には三つの要素があるというふうに考えてみて下さい。一つ目は、生物学的な性。これは生まれ持ってきた体の性、「セックス」のことです。二つ目は、性自認と呼ばれるもので、自分がどの性別に属していると考えるか、ということです。体の性に対して、心の性と言われる場合もあります。最後に、性的指向です。これは誰を好きになるかという対象の性です。体の性や心の性に関わらず、どの性別の人に性的魅力を感じるか、あるいは感じないかということです。
 しかし、この三つの性の要素を、別々に考え分けることはそれほど一般的ではありません。おおよそ、性は固定的なワンセットだと思われています。たとえば、体が女性であれば心の性も女性であるはず。そして好きになるのは男性であるはず、という考え方です。このように性を一括りにしてしまうと、そうでない人に対して、「その性のあり方はおかしい」「普通と違う」という気持ちを抱いてしまうことがあります。でも実は、性の要素というのはバラバラであって、決して組み合わせ方が決まっているわけではない。固定的な形があるわけではなく、人によって組み合わせが異なるし、人生を過ごすにつれて組み合わせが変わることも起こり得ます。
 ではGIDについて簡単にいうと、それは「体の性」と「心の性」が食い違ってしまうことです。多くの人は、体と心の性はパズルのように一致します。心身の性に同一性を持っている状態です。しかしそれが食い違ってしまうと、生物学的な性と、自分の考える心の性が一致しないということになります。すると、自分の状態に対して不都合な感じや、ちぐはぐな感じ、また体に対する違和感や嫌悪感が出てくる。この状態が、「性別違和」といわれ、その不一致の状態につけられた医学的な名称が「性同一性障害」ということになります。これは極めて単純に説明をした例で、実際はグラデーションが当然ありますが、ごく基礎的な理解としては、これをGIDと呼んでいるわけです。

2 身体への違和
 少し、私自身の経験を話しましょう。私は第二次性徴が始まったころに、自分の体が自分の心にフィットしていないという感覚を抱くようになりました。体が「大人」の「女性」として成長していくことについて、先行きが見えないし、そのように生きていくということが思い描けませんでした。公式な性別適合手術は、1998年に埼玉医科大学で初めて行われましたが、当時はまだその報道にふれる前でしたし、インターネットも普及していません。性同一性障害という言葉はもちろん、性に違和感を持つ人の存在も広く知られていないころでした。そのため当時は、自分の心に何らかの問題があるのではないか、自分の心の中に女性ではない人格があるのではないかと考えたりもしました。
 体に対する不安な気持ちと同時に、中学生時代は、社会的な性、つまりジェンダーに対する違和感も常に突きつけられていました。私の地元では、性別による持ち物の色分けは公然と行われていました。女子は赤い縁取り、男子は黒の縁取りのバッグを使わなくてはならなかったし、制服もセーラー服と学ランでした。つまり、男子か女子か、どちらかに帰属しているということを常に表明させられてしまうわけです。そのような生活は快適ではありませんでした。人間関係においても、中学生の頃は男子と女子のグループに分かれがちです。私はどちらのグループにも距離を感じてしまい、「同性」同士で仲良くするものだという不文律にも馴染むことはできませんでした。
 ここには二つの大きな問題があったと思います。一つは、体の性についての違和感とどう付き合い、どう解消していくか。ずっと我慢する人もいますし、落としどころを見つけられる人もいますし、積極的にホルモン注射や手術を選択する人もいます。もう一つは、自分の性に対する違和感を、自分自身がどう捉えていくのか、それを周りにどのように伝えるか、もしくは伝えないのか。家族、友人、コミュニティなどに対して、自分のスタンスをどう表明していけばいいのか。自分自身に向けられた問題と、社会との関わりの中で生まれた問題、二つの悩みと向き合った思春期であったように思います。
 やがて公式医療の開始が報じられ、「性同一性障害」という言葉がメディアに取り上げられるようになってきました。率直な感想としては、「なるほど」という思いでした。体の性や心の性という概念が存在していて、そこに病名までついている。とりあえず「あっていい」状態なんだな、と単純に思ったのです。それまでは、自分の性の感覚をうまく表現できず、自分が何者なのかを模索していたので、GIDを知ったときには、一瞬の安心を感じました。そして、しばらくGID という枠に沿って人生を考える時期が始まりました。京都の立命館大学に進学したことで、最も近くにある正規医療の拠点、大阪医科大学で「治療」を始めることにしたのです。

3 GIDという診断
 GIDの医療にはガイドラインがあります。GIDの治療にあたっては、このようにカウンセリングし、このように医療行為を進めることが望ましいという指針です。ガイドラインに沿って治療を進めていくことは、正規医療、公式ルートなどと呼ばれます。現在は大学病院を中心に行われています。ガイドラインとは関係なく、個人病院で医療を受けるケースもあります。これは「闇ルート」などと言われています。数で言えば、こちらの方が断然多いでしょう。GIDに関する答申が学会レベルで認知されるより以前から、美容整形の領域として、乳房切除手術や精巣除去手術が行われてきました。
 そういった状況の中で、私は敢えて正規医療にかかる道を選びました。なぜかというと、いきなり手術に飛び込むことへの恐さもあったかもしれませんし、麻酔科医がいて、入院できる施設があるなど、より安心して医療が受けられる条件を考えたとき、大学病院の環境の方がよいだろうという判断もありました。期待していたのは、正規医療の売りであるチーム医療です。ジェンダークリニックという形で、精神科や形成外科、泌尿器科や産婦人科などの科が集まって、総合的に患者のケアにあたるという方法を標榜していたので、大阪医科大学で正規医療を受ける道を選びました。
 しかし、正規医療の枠の中で新たな違和感が生まれました。問診では、生育歴、家族構成、趣味嗜好はもとより、性的な経験の有無まで詳細に答える必要があります。それが実際の診断にどの程度影響するのかははなはだ曖昧です。薬にアレルギーがあるなどの情報は伝えておかねば危険ですが、性的経験の情報が診断に必須だとは思えません。極めて個人的なことまで語らせる医療側に疑問を感じざるをえませんでした。そもそも問診の項目も、誰がどのようにして精査したものか否か、分からないのです。またGIDの診断では、「生まれ持った性と逆の性に対する持続的な違和感を持っている」ことが中心になります。それを確認するためには、ときに、医師に対して「自分がいかに女/男でないか」を示さなくてはなりません。生まれ持った体は女性だが男性として生きたいと思った人がいるとして、精神科医に対して「男性らしさ」を服装や言動でアピールすることもあります。ライフヒストリーに関しても、いかに女性の体を嫌悪しており、いかに苦しんで生きてきたかを強調すればするほど、診断を得やすいという戦略があるのです。
 私はそのルートに乗り切れませんでした。私は男女どちらとも言えないようなファッションを好みますし、髪の長さなどにもこだわりはありません。肌の手入れも非常に気にします。しかし胸が膨らんでいることには我慢ができませんでしたし、スタイルを褒められても苦痛でした。このように、一般的に「女性らしさ」「男性らしさ」と呼ばれる要素が様々な形で同居し、折り重なり、または混在しているのです。それは人間として当然なことと言えます。中学校生活で感じた「色分け」などに対する違和感が、今度は逆の形で、私にのしかかってきたのです。「“男”になりたいんでしょ?」という単純化された問いかけの前で、GIDであり続けることに馴染めなかったのです。
 このように正規医療の中でズレを感じ、私はGIDとの距離を次第にとるようになりました。「GIDです」とは言えなくなり、「便宜的にGIDです」、「GIDという診断は受けています」、などの表現を使うようになりました。そして、医療はただのツールでしかない、そこに自分を投影することはやめようと考えるようになりました。曖昧で言語化できないけど大切なものとか、ひとりひとりが持っている好みや個性を回収し、削ぎ落として枠の中にはめ込んでいく。それがGID診断の現場の状況ではないかと私は思っています。

4 性別二元化に抗する
 私は、心身ともに男女二元論に当てはまらないという気持ちを持っています。私は手術をして胸は取っていますが、今のところ男性ホルモンを打とうという気持ちはありませんし、性器の形成手術をしてペニスを付けようという気持ちもありません。しかしGID診断基準にのっとると、「普通はペニスも付けたいよね」という話になります。事実、医師から言われたこともありますし、単純な質問として受けることもあります。「胸の手術をしたら、次はホルモンでしょ?」とか、「いずれ下も手術するんでしょ?」と。「胸を取った、じゃあ次はホルモンを打ってペニスをつけて『男』というものになっていくのだよね」ということです。つまり、「女性として生まれたけれども違和感を持っている人は男性に着地しなければならない」、「男性として生まれたけれども違和感を持っている人は女性に着地しなければならない」というように、抜きがたい男女二元論が作用しているように思います。
 例えば、戸籍上の性別を変更できる特例法というものがあります。しかも、そのためにクリアすべき要件は多く、簡単にいうと〈1〉20 歳以上であること、〈2〉結婚していないこと、〈3〉20歳以下の子どもを持っていないこと、〈4〉生殖機能を廃絶していること、〈5〉逆の性に近似する外見の性器を持っていること、となっています。この法律の要件を鑑みると、自分の体や性に対して何らかの違和感を持つ人を、いかに男女という制度に振り分けようとしている圧力があるか、おわかりいただけると思います。人によって、性別移行のレベルや望む体のあり方はグラデーションがあるのに、この法律では絶対的に男女に二元化されていなければいけないのです。心身に複合的な抑圧が降りかかっている状況です。
 私は、GID という診断名を受けつつ、しかも正規医療にのっとって手術までしたにもかかわらず、GID という状態に何らかの価値、そこに依拠する気持ちが持てません。最近では「“GID” ID」、つまり、一周してしまって、性同一性障害と言われることに同一性を感じられない状況になっていると冗談を言ったりします。でも、そうではない人も当然います。女性の体として生まれたけれど、男性として見られたい人、それをとことん追求したい人も当然いる。そういう人から見たとき、私の選んだ立ち位置が中途半端であるとか、「あんな奴がいるとこっちが迷惑する」とか、言われることもあります。あるスタンスの人が、違うスタンスの人に対して抑圧的な言動をとってしまっていたり、規範の中に回収しようとする力が、当事者と呼ばれる人たちの間でも働いている状況があると思います。

5 GID医療を問い直す
 私は大阪医科大で胸を取る手術をして、結果的に壊死してしまいました。事前の説明や、術後のケアの中に納得できない点があったので、様々な方法で理由を訊き、歩み寄りを期待しましたが、うまくいきませんでした。そのため、2007年3月に病院を提訴しました。裁判に関わる作業を進めていく過程で、標榜していたはずのチーム医療の不在や、医師の持つ体への認識不足──胸が平らになりさえすれば目的は果たされるというような──、術式の問題などが次第に浮かび上がってきました。これらの点は、裁判の進行に伴って次第に明らかにしていけると思います。ただ、大きな問いに向き合うと、やはり出発点に戻ってしまうのです。どうして、多様な性を持つ人たちが「GID」という「患者」でなければならなかったのか。健康な体に、合法的にメスをいれるための手段ということは自明ですが、それだけでは説明のつかない問題も孕んでいるように思えます。正規医療は保険適用ではありませんし、「闇ルート」よりも技術的に優れているというわけでもありません。にも関わらず、GID診断やGID医療が求められるのは何故か。医療はその求めに応答可能なのか。「ある特定の人々」をGIDと名づけて医療の対象としてきたこの10年、そこに向き合い、新たな歩みを進める時期に差し掛かっているのではないでしょうか。

■本稿は、2007年11月3日に「ネットワーク医療と人権・MERS」が開催したイベント「患者とは何者か? 患者─医療者間の『せつなさ』と『幸福な関係』」で行った講演に、加筆修正を加えたものです。データのご提供をいただいたMERSの皆様に御礼申し上げます。