第4章 診療情報の開示に関わる論点

伊藤実知子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)

はじめに
 診療情報の開示については、これまで原則として診療録の開示の問題として議論され、初期の段階から「診療録に、誰が、どのようなかたちでアクセスできるのか」が問われ続けてきた。本人の要請によって診療録を開示することが認められた現在もなお、議論は続いている。
 診療情報の開示問題を考える上で、診療情報の法的構成、開示問題の議論・学説の展開を把握することは重要である。
 本稿では、第1節で診療情報の定義を確認した後、診療情報が持つ独特の性質を説明する。第2節では、医事法学の学説類型を整理し、第3節で医師の説明義務の根拠について述べる。第4節では、診療記録等の開示・閲覧そのものを求めた訴訟を紹介する。

1 診療情報の性質
 診療情報は、広義には「医療機関についての情報」をも含む情報であり、狭義では「診療録情報」のことを指す。診療情報の開示で問題になる診療情報は基本的に「診療録情報」を指している。1998年に提出された厚生省の「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書(*1)」では、診療情報を「医療の提供の必要性を判断し、又は医療の提供を行うために、診療等を通じて得た患者の健康状態やそれらに対する評価及び医療の経過に関する情報(*2)」と定義している。
 診療記録は、「医療の経過を記した記録であるとともに、患者の心身の状況と受けた医療の内容を保管する個人情報として、医療従事者および患者がその内容に接近し管理しうる記録媒体」のことで、法律上は、医師が作成する「診療録」と、検査結果や手術の所見、看護記録、レントゲン写真など医療に付随する記録の「その他の診療に関する諸記録」が区別されている。
 診療録は「医師は診療したときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならず、この記録は5年間保管されなければならない」(医師法24条)とされる。診療録の内容には、「患者の住所、氏名、性別及び年齢、病名及び主要症状、治療内容、診療録の年月日」が記載されなければならない(医師法施行規則23条)としている。また、社会保険診療では、様式一号またはこれに準ずる形式の診療録に必要な事項を記載しなければならない(保険医療機関及び保健医療養担当規則22条、8条)。ほかに歯科医師法(23条)、保健助産師看護師法(42条)、薬剤師法(26条)なども、同様に診療録の記載と保管について直接に規定している。
 また、病院等の開設や管理に関する事項を定める医療法は、病院等に「診療に関する諸記録」を備え、体系的に管理することを命じている(16条の2他)。これには過去2年間の病院日誌、各科診療日誌、処方箋、手術記録、看護記録、検査所見記録、X線写真、入院患者および外来患者の数を明らかにする帳簿並びに入院診療計画書が該当するとされる(医療法施行規則20条10項)。これらの諸記録もまた「診療録」に該当し、診療情報としての価値を有する。診療録の形式は、基本的に医師や病院ごとに異なり、統一されたものはない。媒体も、これまでは紙媒体のものが多かったが、昨今のIT化に伴い電子化された診療録も多くなってきている(*3)。
 診療情報は診療録情報とも呼ばれるが、必ずしも診療記録に記載されている必要はなく、医師の診療に関連して発生する情報や治療のために把握しておくべき情報、実施した治療の内容とその結果など、個人の医療に関するあらゆる情報が該当する。診療情報は個人の状態によって異なることは言うに及ばず、治療を施した医師・医療関係者および病院の診療録の形式等も異なるので、統一された形式や内容はない。
 診療情報は概念的にいくつかのグループに分けることができるとされる。開原成允・樋口範雄らは、財団法人医療情報システム開発センターが開発した「電子保存された診療録情報の交換のためのデータ項目セット」を要約し、グループ分けをしている。以下にそれを引用する(*4)。

 1 患者基本情報。患者の氏名、年齢、生年月日、住所、電話番号などの個人識別情報、連絡先、勤務先、戸籍登録、世帯登録、配偶者、職業など。
 2 健康保険・福祉情報。健康保険情報、公費医療情報、障害者手帳情報、療育手帳情報など。
 3 診療管理用情報。受診診療科情報、適用保健情報、受診日、入退院日など。
 4 生活背景情報。喫煙歴、飲酒歴、生活歴など。
 5 医学的背景情報。出生児体重、妊娠分娩歴、予防接種歴、既往歴、輸血歴、アレルギー、家族歴など。
 6 診療記録情報。問診記録、現病歴、身体所見、経過記録、診断、診療計画など。
 7 指示実施記録情報。検査実施及び結果、処方実施記録、手術実施記録、処置実施記録、各種指導記録など。
 8 診療情報交換情報。診療情報提供書など。
 9 診療説明・同意情報。各種説明情報、各種同意情報など。
 10 死亡記録情報。死亡診断書、剖検記録など。
 
 これらの情報のほかに、看護記録や他の診療部門による記録、特別な診療を行った際の記録、その他の管理情報なども診療情報に該当する。診療情報には、実際には診療録に記載されているよりもずっと膨大な量の情報が含まれている。
 診療情報のほとんどは個人から発生するため、個人情報保護法が規定する個人情報に該当する。同時に、診療情報は医療を構成する情報の一部でもあり、その情報主体(=患者)の治療上の必要性から適性で迅速な流通の必要性も強調される性質を持つ(*5)。治療が終了した後も、それらの診療情報は他の患者の病気の治療のために参照され、医師の研究のデータとして医師の間で情報交換・活用もされる。公衆衛生や医学の観点から見れば、患者(とそれに付随する病気等)の情報=診療情報は有効活用すべき情報であり、医師が共有すべき知識の一端を構築するものでもある。つまり、診療情報は極めて私的な情報であると同時に、極めて公的な性質を持つ情報と言うことができる。
 診療情報が他の情報と異なるのは、他の分野に比べてはるかに多く系統だった個人に関する情報を扱い、集積し続けていることにある。この集積は複数の人間を介して行われ、その過程で新たに作成・共有、連絡が行われる。その共有の範囲は医療従事者だけに留まらないこともある。また、診療情報が診療の記録を含んでいる以上、記録を参照しながら患者や医療従事者の行為を追跡することができるため、裁判上の証拠としての価値も高く、医療裁判においては診療録およびその他の診療に関する諸記録の保全が重要になる。しかし、個人情報保護法が成立するまで、患者が自分の診療情報にアクセスすることは極めて難しかった。患者が診療情報にアクセスする形は医師による口頭での説明、サマリーの配布など多々あったものの、医師の手元にある診療録自体の開示および患者自身による診療記録の閲覧は、個人情報保護法が成立するまでは、原則として証拠保全によるしか方法がなかった。診療録は医師の所有物であり、それに記載される情報をどのように患者に伝達するかは個々の医師の裁量に任されていたのである。

2 医事法学における診療情報開示の学説類型
 診療録の開示に関する議論が医事法学分野で始まったのは、おおよそ1970年代の初め頃であるが、その頃はまだ日本では「診療録の法的性格について法律家が一般的に論じたものは見当たらない(*6)」ため、特にドイツにおける医事訴訟での診療録の取り扱いを参照しながら議論が形成されてきた(*7)。その議論の中で、診療録の開示・閲覧権に関する法律上の学説は、大きく分けて四つの説が唱えられてきた。以下、その説と唱えられてきた時期の動きを交えて簡単に説明する。

(1)消極説(1973年)
 消極説は1973〜74年にかけて発表された伊藤瑩子の論文「診療録の医務上の取り扱いと法律上の取り扱いをめぐって」による。診療情報に対する患者の閲覧請求権における従来の通説であり、判例では主にこの説が採用されてきた。医師または医療機関と患者との間の契約を準委任契約と捉え、その基盤の上で民法上の顛末報告義務は認められるとしつつも、診療録そのものの所有権や管理権が医療者側にあること、診療録が医師等の備忘録に過ぎないこと、法律上閲覧させるべき特定の規定のないこと、受任者の報告義務を定めた民法645条は診療録の閲覧・引渡という特定の形式での報告を義務づけたものではなく、報告形式の選択は受任者たる医師の裁量に委ねられている等の理由から、診療行為の実施前・中・後のいずれの場面においても患者の開示請求権を否定する(*8)。特に1970年?80年代後半にかけては、消極説の影響が強い。診療情報ではないが、レセプト(診療報酬明細書)の開示について、厚生省が1979年に出した行政指導「国民健康保険質疑応答集」に、「レセプトには病名、診療内容など秘密に属することが記載されており、治療に悪影響を及ぼす恐れもあるのでたとえ本人であっても閲覧させることはできない」との記載がある。

(2)積極説(1978年)
 民事訴訟法学者の新堂幸司は、1978年の講演「訴訟提起前におけるカルテ等の閲覧・謄写について」で消極説への疑問を呈し、実体法上、患者の医師に対する診療録等の閲覧請求権を認めるべきだと積極説を主張している。診療行為実施前および実施中の説明義務と診療行為終了後の説明義務とを区別し、診療関係にある間は治療上の配慮の必要性から医師の裁量を認めるものの、診療終了後は、患者にとっては不都合な結果の真の原因を知ることが最大の関心事となることから、民法645条の報告義務を根拠に、診療行為についての客観的資料である診療録等を閲覧する権利が患者側に認められるとするものである(*9)。新堂の論に対して、同じく民事訴訟法学者の中野貞一郎が消極説の立場から反論を加えている。診療契約における債務のとらえ方について、新堂と中野は1980年代前半にかけて論争を行っている(*10)。

(3)折衷説(1984年)
 ドイツの判例を参照し、患者の自己決定権および人間としての尊厳を根拠に、患者の閲覧権を「客観化しうる身体的所見および投薬、または手術のような治療処置に関する記録等」に限って承認する。医師の主観的、個人的評価および判断については、患者の閲覧権は否定される(*11)。この説は、吉野正三郎「西ドイツにおける医療過誤訴訟の現状と課題(上)──診療録に対する患者の閲覧請求権」(1984年)に詳しい。こちらも積極説と同じく異議が唱えられている。
 1980年代の前半から、患者の権利概念が注目され始める。1981年に「患者の権利に関するリスボン宣言」、1984年には患者の権利宣言全国起草委員会が「患者の権利宣言案」を発表している。また、日本医事法学会も1984年、1985年と相次いで診療記録の閲覧に関するシンポジウムを開催し、診療記録の取り扱いについて議論している。
 また、1986年に、いわゆる「診療録閲覧請求事件」の判決が出ている。判決では消極説に基づき原告の診療録の閲覧は認められないとしたものの、医療事故が既に発生している場合など、診療録閲覧の具体的必要性がある場合には閲覧請求権を認める余地を残しており、積極説への親近感を示すものとの評価もある(*12)。

(4)自己情報コントロール権説(1995年ごろ〜)
 1990年代に入ると、政府の方でも診療情報開示の議論がされるようになってくる。1993年のソリブジン事件、1995年の薬害エイズ事件では、患者が自分の投薬情報などの診療情報を知っていれば事前に防げた可能性があり、それを受けて厚生省が診療情報の在り方について検討している。
 厚生省がこの時期に開催した検討会で診療録のアクセスについて関与するものは、「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会」(1993?95年)、「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」(1997?98年)がある。また、上記二つの薬害事件の反省に立った1996年7月の報告書「医薬品による健康被害の再発防止対策について(*13)」において、カルテ等の診療記録の開示の問題などの検討の場を設けることが明記されている。さらに、旧厚生省事務次官の諮問機関である国民医療総合政策会議では、「時代の流れは消費者の立場に立った情報公開であり、医療機関も積極的に情報公開することが必要である(*14)」と診療情報開示の方針を定めている。また、この時期にはレセプト(診療報酬明細書)開示についても大きな動きがあり、1997年に厚生省は老人保健福祉局長、保険局長、社会保険庁運営部長通知「診療報酬明細書等の被保険者への開示について」において、原則として被保険者本人に対し診療報酬明細書等を開示すべきであるとの方針を示している。また、レセプトの開示への市民運動は、診療情報の開示についても強い影響を与えている。
 これらの検討の中で提唱されてきたのが、自己情報コントロール権説である。これは現代的プライバシー権と言われる自己情報コントロール権の一側面として、患者の自己情報である診療記録の開示請求権を承認するもので、患者の診療録の閲覧を、説明義務の手段として捉えるのではなく、診療録(に記載される情報)自体が個人情報に該当することから、原則としてすべての患者の医療記録が患者の閲覧請求権の対象になるとする(*15)ものである。
 1998年に提出された「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」(以降、カルテ等検討会報告書)では、診療情報の提供・開示を推進する必要性があり、その理由として、患者と医師の信頼関係の強化と医療の質の向上、自己情報コントロール権を挙げている。この報告書が出された後、議論は厚生大臣の諮問機関である医療審議会に移り、診療情報開示の法制化について検討をはじめている。1999年7月の医療審議会の中間報告を受け、厚生省は「3年を目途に環境整備を推進する」との文言に従って、2000年度から2002年度を環境整備の期間と位置付け、いくつかの事業を行っている。そして2003年から2004年にかけて、厚労省は「診療情報の提供に関する指針(*16)」をはじめ、医療機関と医学研究を行う機関に対して開示を含む個人情報保護について記載のある指針・ガイドラインを次々に発表している。これらのガイドラインでは、すべてで診療情報=患者の個人情報と位置づけ、医療機関等は患者の要請があった場合、原則として開示に応じることを認めている。また、日本医師会でもカルテ等検討会報告書発表直後に「診療情報提供に関するガイドライン検討委員会」を発足させ、医師会独自のガイドラインを実施することを決定し、2001年から「診療情報の提供に関する指針」を発表・実施している。
 これらのガイドラインは法的義務を課すものではなかったが、2005年に施行された「個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)」(平成15年法律第58号)で、情報主体本人の請求に応じて保有する個人データを開示することが義務づけられた(個人情報保護法25条)。これにより、ほとんどの医療機関は患者の求めにより診療情報を開示する法的義務を負うことになった。ここで初めて、診療情報の開示に一つの法的根拠ができたのである。

3 診療情報開示に関する医師の説明義務
 個人情報保護法制定まで、診療記録の開示・閲覧とこれに応じる義務を法律上の権利として認める理論は、患者=医師の契約関係を基に考えられてきた。この契約関係から契約上の報告義務を導くのが、診療録および診療情報開示において基礎となる考え方である。
 医師と患者の間で結ばれる診療契約は、現行民法では準委任契約であるとするのが通説である。このことから、医師の患者に対する説明義務が構成される。すなわち、準委任契約においては、「受任者は、委任者の請求があるときは、いつでも委任事務の処理の状況を報告し、委任が終了した後は、遅滞なくその経過及び結果を報告しなければならない」(民法645条)。診療契約においては、この民法における受任者の顛末報告義務が医師の説明義務の根拠のひとつとなる。また、民法上の報告義務だけではなく、医師法などからも医師の報告・説明義務は導かれる。医師の患者に対する説明義務は、さらに「治療上の説明義務」と「医的侵襲に対する患者の承諾の前提としての説明義務」に大別され、個人情報保護法成立以降は「患者の自己情報コントロール権に基づく説明義務」が追加されるとする(*17)。以下、医師の説明義務について、個別に見ていく。
 
(1)民法645条に基づく説明義務
 これは医師と患者の準委任契約から導き出される。契約上、受任者である医師は委任者である患者に治療の状況を報告する義務があると解される(顛末報告義務、民法656条、645条)。
 この契約上の説明義務が、診療情報の開示の際にも認められるかどうかが争われた判例が、前述の「診療録閲覧請求事件(*18)」(東京高裁昭和61年8月28日判決)である。これは慢性肝障害のためにインターフェロンを使用して治療を受けた患者が、自身の病状を知るために担当医らに自身の医療記録の閲覧を求めたが拒否され、退院後に改めて自身の医療記録の閲覧を求めて訴えを提起したものである。この訴えは、損害賠償請求の訴訟ではなく、診療録開示の請求そのものの可否が争われたものである。判決は、「基本的には民法645条の法意により、医師は少なくとも本人の請求があるときは、その時期に説明・報告をすることが相当でない特段の事情のない限り、本人に対し、診断の結果、治療の方法、その結果等について説明・報告等をしなければならないと解すべきである」として、契約法上の説明・報告の義務を肯定した。しかし、説明・報告義務の履行として、医療記録そのものを患者本人に示し、これを閲覧させなければならないということはできないとし、医療事故の発生が疑われる等、特段の事情が存しないかぎり認められないとした。
 つまり、ここでは民法645条に基づけば、患者に対し医師は説明・報告の義務を持つが、その方法は受任者である医師の判断に任されるということになる。この判決で示されている考え方は、消極説に基づく当時の通説的な見解であった。

(2)治療上の説明義務
 根拠となるのは医師法23条「医師は、診療をしたときは、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない」という規定で、このことから患者の求めに応じて診療を行い、療養に関して適切な指導をして助言を与えることが、医師の義務として求められる。
 この治療上の説明義務は予見される危険を防止するために役立つもので、通常の医療行為においては直接的行動をとって危険発生を回避する義務が医師の側にあるが、患者の生活態度・行動等から危険が生じる場合や、患者が医師の支配のもとをはなれる場合、医師がそこにおいて危険を回避・除去できないため、危険が具体的に予見され、防止する必要性があるときには、医師は患者に説明して間接的に危険を防止することとなる(*19)。
 つまり、治療上の説明義務とは、「そのおかれている具体的状況を配慮して患者の治療時の生活ないし行動指針となる情報を伝達するもの(*20)」と言うことができる。この場合の説明義務の履行は、患者が日常生活に戻った場合における患者の生活上の注意を具体的に患者自身が判断できる形で提供することによって果たされる。また、医師は患者に対し、患者自身の病状・現状などを説明した上で治療に専念させる義務があることがこの条文から導き出されるため、特に病名を告知していない患者等の場合、治療上の説明義務が訴訟上問題として取り上げられることがある(*21)。

(3)医的侵襲に対する患者の承諾の前提としての説明義務
 いわゆるインフォームド・コンセントの原則として説明されているもので、特に医事法学ないし医療過誤訴訟の中で、主に医師の患者に対する説明義務の存否と患者の承諾の要否という問題として議論されてきた(*22)。この説明義務についての議論は古くからあるものの、「インフォームド・コンセント」という形で問題が議論されるようになってくるのは、おおよそ1980年代の半ば頃から90年代半ばにかけてである。1997年の医療法改正において、インフォームド・コンセントは医療従事者の努力義務規定として明記された。
 この説明義務は、医療がそもそも他者の人体への侵襲行為であるという前提に立ち、それが正当行為となるのは、患者の承諾があるからであり、患者の承諾を得るためには、医師は患者に対して患者の状態、とるべき治療法とその危険性などを患者に対して説明しなければならないとする。この説明と患者の承諾がない場合、医師の治療は違法とされる。
 患者の承諾なき医的侵襲が違法だとする判例は、古いものでは下級審においては長崎地裁佐世保支部昭和5年5月28日判決(『司法研究』18輯246頁)で、患者の承諾のない腫瘍の摘出は違法だとした例がある(*23)ものの、戦後では東京地裁昭和46年5月19日判決(*24)が最初である。これは乳腺がんと判明した患者の右乳腺全摘手術において、医師が左乳房の腫瘍はがんではないと診断したにもかかわらず、将来がんになるおそれがあると判断して左乳房についても手術を行ったところ、患者から左乳房に対する手術は必要が無く、かつ承諾を得ずに行われた違法な手術であるとして損害賠償が請求された事例である。裁判所はここで「十分説明したうえでその承諾を得て手術をなすべき」であるとしている。この判決は、医学的に正当な治療行為も、患者の意思を無視して行われた場合は違法なものとなることを結論的に肯定し、この解釈はそれ以降も維持されている。医師は、治療に際し、患者の有効な承諾を得るために、適切な説明をする義務を負い、その説明は、個別の医的侵襲行為ごとに行われる必要がある。皮膚移植の前の皮膚の採取など、治療の前の治療として行われる医療行為で、身体に対して危険が発生する可能性がある場合には、その危険性について医師は十分に説明する必要があるとされる。
 昨今では、患者の承諾なき医的侵襲はすなわち違法であるというよりも、そのことで患者の人格権が侵害されたということが問題とされることが多い(*25)。

(4)自己情報コントロール権に基づく説明義務
 これは医師がいかなる患者の個人情報を保有しているかについて患者自身が確認・閲覧できる権利を根拠にする説明義務である。この説明義務では、説明を受けなかったこと、情報を提供されなかったことそれ自体を損害と把握しうる。自己情報コントロール権自体は明文規定ではないが、個人情報保護法はこの概念を踏まえている。個人情報保護法では、個人情報を「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む)」(2条)としている。従って、診療記録の記載事項は患者自身の個人情報であるため、十分な理由がないかぎり、患者の診療記録の開示閲覧権は認められることになる。患者の自己情報コントロール権に基づく説明義務における限界は、説明しないことに優越する利益があるか否かということになる(*27)。
 民法645条に基づく説明義務、治療上の説明義務、医的侵襲に対する患者の承諾の前提としての説明義務は、主に契約上発生する説明義務である。自己情報コントロール権に基づく説明義務は、この三者とは少し性質が異なり、情報主体と情報管理者との間に発生する説明義務である。従って、医師が患者の情報を管理している限り、自己情報コントロール権に基づく説明義務は継続する。

4 診療記録等の開示・閲覧に関する訴訟
 医療従事者の説明不足等の問題を扱った訴訟に比べ、診療記録等の開示・閲覧そのものを求めた訴訟は少ない。診療記録あるいは診療情報の開示・閲覧そのものを求めた重要な訴訟には、以下のものがある。

(1)東京高裁昭和61年8月28日判決「診療録閲覧請求事件」
 この訴えは、損害賠償請求の訴訟ではなく、診療録開示の請求そのものの可否が争われた初めての訴訟である。慢性肝障害のためにインターフェロンを使用して治療を受けた患者が、自身の病状を知るために担当医らに自身の医療記録の閲覧を求めたが拒否され、退院後に改めて自身の医療記録の閲覧を求めて訴えを提起した事件で、判決は、「基本的には民法645条の法意により、医師は少なくとも本人の請求があるときは、その時期に説明・報告をすることが相当でない特段の事情のない限り、本人に対し、診断の結果、治療の方法、その結果等について説明・報告等をしなければならないと解すべきである」として、契約法上の説明・報告の義務を肯定した。しかし、説明・報告義務の履行として、医療記録そのものを患者本人に示し、これを閲覧させなければならないということはできないとし、医療事故の発生が疑われる等、特段の事情が存しないかぎり認められないとした(*28)。

(2)大坂高裁平成8年9月27日判決
 生まれた直後に子供をなくした兵庫県内の夫婦が、兵庫県の公文書公開条例に基づいて公開請求した産婦人科医院のレセプトを非公開決定したのは違法だとして兵庫県知事に処分の取り消しを求めていた訴訟の控訴審判決である。その後のレセプト開示の流れを決定的にした点で、診療情報開示の問題でも重要な判例と言える(*29)。一審ではプライバシー保護を理由に原告の訴えを棄却したが、二審では本人自らの公開請求の場合、プライバシー侵害のおそれはなく非公開は違法とし、公文書について個人のプライバシー保護の要請が存在しない限り、たとえ個人情報が記載されていても公開しなければならないとした上で、請求者が自分の個人情報を知りたい場合、非公開とすべきではないとした。この判決を受け、厚生省は翌年の6月に「診療報酬明細書等の被保険者への開示について」を出してレセプトの原則開示の方針を示している。ここでは「被保険者に対する保険者サービスの充実を図る一環として」開示を行うことが適当であるとしている(*30)。

(3)東京高裁判決平成14年9月26日判決「要介護者の生活指導記録表閲覧請求事件(*31)」
 埼玉県北本市のホームヘルパー派遣申請に際して同市所属のケースワーカーが作成した申請者に関する生活指導記録表の閲覧を申請者自身が請求した事例である。一審では生活指導記録表は非開示とされたが、二審では生活指導記録表は同市の個人情報保護条例の定める非開示事由に該当しないとして、非開示処分を取り消した。
 この判決では、裁判所が「ワーカーと対象者の関係は、協働して対象者の問題を解決する対等な関係」であることを認め、主観的判断の含まれる所見でも開示することが原則であるとしている(*32)。

おわりに
 医療過誤訴訟等の際に、診療記録が重要になることは先に述べたが、その際、しばしば提出された「診療記録の改竄」が問題になる。改竄を認定した判例はいくつかあるが、改竄・証明妨害行為の法的効果について、詳しく論じた文献は少ない。診療記録の改竄と処罰のあり方については検討会が報告書案を出してはいるが(平成15年4月28日)、今後診療記録の開示が一般化していくことを考えると、虚偽記載や患者本人からの内容訂正の請求の際にどうするかなど、診療記録の記載・管理のあり方なども含め、議論していくべき課題だと思われる。

(書き下ろし)

■註
*1 カルテ等の診療情報の活用に関する検討会「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」ジュリスト1142号(1998年)64頁以下。 http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1006/h0618-2.html(概要、アクセス日2008/5/13)。
*2 カルテ等の診療情報の活用に関する検討会・前掲注165頁以下。
*3 「診療録等の電子媒体による保存について」(http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1104/h0423-1_10.html)また、厚生労働省は、2001年に発表した「保健医療分野の情報化にむけてのグランドデザイン(第一次提言)について」(http://www.mhlw.go.jp/houdou/ 0108/h0808-4.html)で、電子カルテの利点を挙げ、推奨している。(アクセス日5/13)
*4 開原・樋口編[2005:28]
*5 増成[2004]
*6 伊藤[1973:41]
*7 村山[2001:183]
*8 伊藤[1973:41][1974]
*9 新堂[1979]
*10 吉野[1984]が新堂・中野論争を簡潔にまとめている。中野は診療契約における診療債務のとらえ方について通説的立場に立ち、診療債務は「結果債務」ではなく「手段債務」であるから、医師は善管注意義務をもって適正と認められる措置をとるべく努力することが債務の内容とする。それに対し、新堂は診療債務には最善を尽くす努力義務の他に、「意外な結果に至らせない」という結果債務も同時に含んでいるとする。
*11 吉野[1984]
*12 竜嵜[1989:226-227]、山下[1996:204-205]、増成[2006:32-33]など。
*13 旧厚生省大臣官房政策課資料 http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0807/0701-2.html(概要、5/13)
*14 旧厚生省国民医療総合政策会議議事要旨 http://www1.mhlw.go.jp/shingi/1119-1.html(5/13)
 また、国民医療総合政策会議が1996年11月に提出した「国民医療総合政策会議中間報告書」は、医療情報の開示の流れを決定的にするものになったと言われている。
*15 増成[2004:203-205]
*16 この時期に厚労省が発表した個人情報に関する主なガイドラインは以下の通り。(以下、アクセス日はすべて5/13)
 「診療情報の提供に関する指針」(2003年9月)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/06/s0623-15m.html
 「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」(平成16年12月24日通達)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/dl/s1224-11a.pdf
 「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドラインに関するQ&A」
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/170805iryou-kaigoqa.pdf
 「健康保険組合等における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」(平成16年12月27日通達)
http://www.mhlw.go.jp/ topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161227kenpo.pdf
 「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(平成16年12月28日告示改定)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228genomu.pdf
 「疫学研究に関する倫理指針」(平成16年12月28日告示改定)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228ekigaku.pdf
「遺伝子治療臨床研究に関する指針」(平成16年12月28日告示改定)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228 idennsi.pdf
 「臨床研究に関する倫理指針」(平成16年12月28日告示改定)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228 rinsyou.pdf
 なお、厚生労働省法令等データベースシステムによれば、厚生労働省が発表してきた法令・通知等のうち、診療録について記載がある法令が65件、通知が172件である。診療情報については、法令12件、通知等66件の内容中に記載がある。このうち、法令に関しては、診療録および診療情報のアクセスに関する項目が内容に含まれてくるのは、2004(平成16)年の「臨床研究に関する指針」からで、それ以前の法令に関しては、診療録については管理と行政機関による検査に関する規定がほとんどを占めている。
*17 増成[2004:197]
*18 診療録閲覧請求事件『判例時報』1208号85頁。他に『医事法判例百選』32?33頁など。
*19 浦川[1983:125]
*20 浦川[1983:125]
*21 丸山[2006:122-123]など。
*22 清水[1992]など。
*23 新美[1976]
*24 『判例時報』660号、62頁。
*25 医師による手術や治療の説明がなかったことで患者の人格権が侵害されたとする判例に、エホバの証人輸血拒否事件(最高裁判所平成12年2月29日判決『判例時報』1011号55頁)がある。
*26 増成[2004:203]
*27 増成[2004:205]
*28 前掲注18
*29 『毎日新聞』東京夕刊、1996年9月28日。
*30 込山[1998:62-63]
*31 要介護者の生活指導記録表閲覧請求事件(東京高裁平成14年9月26日判決)『判例時報』1809号12頁。
*32 増成[2006:33]

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