第二部 身体をえぐる〈痛み〉の分断と錯綜——医療・法・メディア・運動 序

北村 健太郎(立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー)

 第二部は、第一部の研究シンポジウム「性同一性障害×患者の権利——現代医療の責任の範域」のテーマに関連する諸論文を収録した。各稿の論点は、医療・法・メディア・運動など様々に広がっているが、複雑に絡み合ってもいる。関心のある論稿から読んでいただければと思う。以下、まことに簡単ながら、各稿の紹介をする。

 西田・福武論文は、医療者の立場から「薬害HIV訴訟」和解を受け、HIV感染の実態が徐々に明らかになっていく1980年代当時の臨床現場で「医療者がいかなる判断をしたのか」を述べる。西田・福武は、医療とは「予想しうる長所と短所が共存し、それらの推測される確率と重要性を掛け合わせて比較検討」して行われる営みであるという冷厳な事実を、私たちの眼前に改めて突き付ける。
 これを受けた西田論文は、医療者の視点から「薬害HIV訴訟」運動時のジャーナリズムの「行き過ぎ」を指摘する。第一部のシンポジウムでも、医療の論理と提訴者による訴訟運動の論理が厳しく対立する局面について議論された。ジャーナリズムは提訴者による訴訟運動に力を与え、それを後押しできる。しかし、西田は、当時のジャーナリズムの功績を認めながらも、安易な図式化を批判する。
 北村拙稿は、「薬害C型肝炎訴訟」の終結にあたって成立したC型肝炎特別措置法の問題点と薬害C型肝炎原告団以外の様々な立場の人たちの意見を提示する。拙稿では、C型肝炎特別措置法をめぐる日本肝臓病患者団体協議会、先天性凝固異常症の患者たち、21世紀の会、B型肝炎訴訟原告団、難病患者たちの言動を整理した上で、C型肝炎特別措置法の「二重構造」を明らかにした。
 伊藤論文は、医事法学の立場から診療情報の開示を論じる書き下ろし論文である。私たちは意外と気軽に「カルテ開示」などというが、改めて医療に関する情報「診療情報」を考えてみると捉えがたい概念である。第一部に関わる医療裁判でも、診療情報の開示は偽証と関わって重要な論点である。伊藤は、その学説類型、医師の説明義務、関連する判例から「診療情報」概念が明確化される過程を示す。
 高橋論文は、トランスジェンダリズムの視角から「性同一性障害医療」が「医療」として確立される過程を確認し、「性同一性障害」本人たちの様々な運動と「医療」の枠組みでは捉えきれない微妙な身体へのニーズを論じる。医療者は「性同一性障害」本人たちの身体改変のニーズを「性同一性障害医療」として受け止め、「性同一性障害」本人たちの運動を通じて「ガイドライン」「特例法」が成立した。しかし、高橋は「医療」行為だけで問題が解決しないことを指摘し、トランスジェンダリズムのさらなる可能性を拓こうとする。

 ヨシノ論稿は、「性同一性障害」本人として「性同一性障害医療」を論じ、男女二元論に当てはまらない在り方への可能性を問う。何がしかの「フィットしていないという感覚」を説明する一つの方法として「障害」や「疾病」がある。それに馴染んで安心できる人もいれば、そうでない人もいる。ヨシノは、自身が「医療」では片付かない問題を意識するまでの過程を追思惟する。
 いずれの論稿も、医療・法・メディア・運動などの一つのカテゴリに収まることのできない論点を内包している。それぞれの立場で、各稿が投げかける問いを受け止め、今後に続く議論に参加してくれることを希望する。