報告2 トランスジェンダー及び性同一性障害医療の現状

報告1 勝村久司(高校教諭/厚生労働省中央社会保険医療協議会委員)

山本崇記(司会)
 本日はシンポジウム「性同一性障害×患者の権利──現代医療の責任の範域」にお集まりくださり誠にありがとうございます。2007年3月、日本初の性同一性障害(Gender Identity Disorder)医療における過誤を問う裁判が、京都地方裁判所で提訴されました。それと時期を同じくして、これまでGID医療を担っていた医科大系病院が新規の患者受入をストップするなどの事態が起こり(*1)、さらに、「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)の改訂議論も始まり(*2)、GID医療をめぐる状況が大きく揺れ動いています。このような中で、同裁判は、性同一性障害医療というマイノリティ医療の構造を照射する重要な試みになりつつあります。また、患者の権利運動という文脈からは、薬害エイズ、C型肝炎などが社会的にクローズアップされるようになってきました。
 患者の権利にはどのような歴史があるのか、医療過誤裁判とはどのような実態をもつのか、マイノリティ医療──とりわけ性同一性障害医療──の構造とはどのようなものか。本日は、このような現状と問いを踏まえて、二人の報告者にお話していただきます。
 まず、カルテ開示活動やご自身が医療過誤裁判を闘ってこられた経験をお持ちの勝村久司さんに、「医療被害と裁判」というテーマでお話していただきます。次に、「GIDと医療」というテーマで、トランスジェンダーの活動家として活躍されている田中玲さんにお話をしていただきます。そして、お二人のお話を受けて、GID医療過誤裁判を提訴した原告のヨシノユギさんと弁護士の上瀧浩子さんを交えて、パネルディスカッションを行ないたいと思っております。どうぞ、最後までお付き合い下さい。
 それでは早速、勝村さんからよろしくお願い致します。

勝村久司(報告者)
 ご紹介いただきました勝村です。先ほどお話があったように、自分自身が子どもを医療被害で亡くして医療裁判を経験しました。僕たちの長女が事故に遭ったのは1990年の12月だったのですが、1991年に歴史的と言っても良いと思いますが、初めて全国の医療過誤裁判をする被害者が一同に集まって「医療過誤原告の会」という大きな組織ができ、そのことが新聞各社に取り上げられたということがありました(*3)。加えて今から10年ほど前には薬害の被害者団体が一つに集まるということがあったりして、自分たちのやらなければいけないと思っていたこととのタイミングが合って、それらの動きと関わってきました。
 それらを通じて、自分の裁判の経験以外に色んな医療被害の裁判や薬害被害の裁判に取り組んだり、また行政と話をするようになったり、当事者としての被害者運動という立場で市民運動をやってきた人に随分知り合いもできて、色々と考えることも多くなってきました。今回のヨシノさんの裁判も、少し状況をお聞きした程度で裁判の経過や内容については詳しく知っているわけではないのですが、これまでの裁判との関連という意味で、一般に医療被害というものや裁判というものがどういうものだと自分が感じているのかということをお話したいと思います。

医療裁判とは何か?──偽証との闘い
 まず、医療裁判とは何かということについての僕の考えですが、一言で言えば、医療裁判というものは医学的に難しいものでも何でもない。もう少しアカデミックな話もしたいところですがとてもできない。ただただカルテ改竄や偽証との闘いにすぎないというのが僕の印象です。僕の場合は産科医療での裁判でしたが、弁護士さんたちが調査をするとカルテの改竄はかなりあるという結果が出ます。何よりそのことは実感するし、被害者はみんなそれを言います。本当に偽証するし、それをかばう学問的にはとてもまともなものとはいえない鑑定書が出される。そういうものと闘っているのが医療裁判だというふうに感じています。
 こういうことを言うと、全ての医者が改竄していると言うのかという反論が出てきます。まじめに頑張っていると自認している医師たちがよく反論してくるのですが、全ての医師がカルテ改竄をしているから裁判になるという理屈ではなくて、改竄をするようなことをするから裁判になるのだというのが僕の実感なんです。事故や被害が起こっても、全て何もかも見せましょう、話をしましょうという姿勢、テーブルに着くという姿勢が病院にあればいい。弁護士を間に挟んで示談交渉が始まることがあるかもしれないが、お互いにテーブルに着けば裁判所までいく必要がないという感じがします。ところが、テーブルに着かないという冷たい対応がある。そのことを最も強く認識する瞬間は何かというと、相手方が明らかな嘘を言い始めたときです。
 明らかに嘘をつきはじめていることに対し、被害者はどんな対応ができるか。テーブルに着いてもらえないので、その瞬間に患者側というか被害者側は、二つに一つの選択を迫られるわけです。一つは泣き寝入りする。もう一つ残っているのが裁判をするということ、社会の中で司法に訴えるということです。裁判所にいけば相手方はテーブルに着かざるを得なくなる。それでも一定の条件をクリアできるケースしか裁判はできません。だから泣き寝入りをするしかないところに追い込まれることが数多くあった。その中の何人かが裁判をしていますが、追い込まれてから裁判を決意しているわけです。
 しかも追い込む手口がそもそも嘘をつくということなので、裁判では、最初から嘘と闘うということになるんですね。

何が医療裁判では争点となるのか?
 それでも医療者側はそうではないと言うのです。医療裁判というのは高度な医学的知識が必要で、過失や因果関係の有無の特定が非常に難しいし、証明ができないと言い訳をするのです。過失があるかないか、医療の標準が何かということを議論しているように思われることが多いし、医療裁判はとても難しいことのように言われるのですが、実はすごく簡単なんです。一審では敗訴、二審では逆転勝訴という感じでコロコロ変わることがよくあります。医学についての議論のあり方が変わったからだと思われがちですが、僕が知っている裁判は、大概事実経過においてどっちの事実を認定するかということで差がついていて、本当はそうだと考えています。
 たとえば、僕の妻子の陣痛促進剤による被害の裁判では、感受性の個人差が100倍以上もあって非常に大きいから、人によっては強すぎる陣痛が来てしまってとても危険だから慎重に投与すべきとされていた陣痛促進剤を筋肉注射で入れられたというのが妻の記憶ですが、裁判になると病院側はカルテを改竄して、ゆっくりと点滴で入れたと言うわけです。その後、一人でほったらかしにされて何度呼んでも相手にしてもらえなかったというのが妻の記憶ですが、病院側はずっとそばにいましたと言うわけです。物凄くきつい陣痛に苦しんで、気絶しそうなのを必死に耐え続けた、苦しみを訴えて叫んだというのが妻の記憶ですが、病院側は患者はずっとにやにやと笑っていたという嘘のストーリーで、口裏合わせをするわけです。事実経過の主張が全然違っているわけで、どっちの事実経過が正しいかということを争っているのが医療裁判なんです(*4)。
 僕たちは一審では完全敗訴しました。判決文では、最初に事実経過が書かれますが、全部病院側が主張していた事実経過が採用されました。最後に、なお原告側の妻が病院の主張と違う事実経過を訴えているけれども、「それについてはにわかに信じ難い」という一言で排除されました。それでも、二審では逆転勝訴するんです。妻が本当に苦しんでいたと言えるような明白な証拠が残っているわけではありません。本当の事実はそうだし、裁判官の判決を左右しているのも事実経過ですが、そういう書き方は裁判官もできない。だから、過失の有無を争っているように見えますが、実は事実経過を争っていた。
 それから、何らかの事実経過が認定されて、過失があるとわかっても、因果関係の有無ということで負けてしまう裁判というものが若干あると考えています。たとえば、明らかに車に跳ね飛ばされたんだけれども、交通事故に遭っていなくても、たまたまその瞬間にその人が心臓発作をする時間と一致していたということで、その人の死は交通事故とは無関係な心臓発作だったんだと、そんな理屈っぽいことを最後まで病院側が言い続ける。これに対して、何を言っているんだと裁判官が相手にしない場合もありますし、一方で確かに分からないことを言っていた裁判もありました。
 10年ほど前になりますが、最高裁が、本当に因果関係があるかどうかは神様しか分からないのだから、時間的に因果関係があるように見える場合は、逆に因果関係がないことを医療側が証明できない限りは、認めるべきだという判決を出しました。そのようなこともあって、たとえば僕たちのような陣痛促進剤被害の裁判なども負けなくなりました。医療裁判というのは本当はレベルの低い争いがされているのであって、決して難しい論争をしているわけではないのです。

被害者への誹謗中傷
 結局、嘘との闘いなので、嘘をついている人から、嘘つきだと言われてしまうわけです。被害者を嘘つきにすることが彼らの戦略になってくるので、私の妻は嘘つきだと、彼らは裁判でずっと主張することになって、妻が真実をいくら訴えても嘘つきだと言われてしまう。そのことが偏見や差別や誹謗中傷といったものとなります。病院側は、裁判の中で被害者に対しむちゃくちゃひどいことを言うわけです。裁判はそれと闘っているということなんです。裁判の中だけではなく、日常から、病院の医療スタッフ全員にそう言い回る。
 僕の妻子の事故は枚方市民病院というところで起きたのですが、裁判に勝った後、病院で講演をする機会がありました。300人くらいの看護師さんとスタッフたちの前で、実はこんな事故だったんですよ、こういうことがあったんですよという話をしたわけなんです。看護師さんたちも涙を流して聞いてくれました。その中のお一人が、妻の話が終わると立ち上がって、妻に謝りたいと大きな声で叫ぶように話したんです。その人は別に事故に関わっていないし、医療に関わっていたわけではありません。けれども病院の中では、裁判をしている僕たち夫婦というのは、とんでもない変な奴だし、嘘はつくしというふうに、誰かれとなく偏見に満ちた噂が広まっていた。何の批判もなくそれを信じていて、ひどい奴がいるものだと自分も思っていたし、きっと病院のみんなもそう思っていたんじゃないか、そういうふうにその人は自分たちが間違った偏見を持っていたことを正直に僕たちに言って、謝りたいと、発言されたわけですね。
 病院の中だけではなく、医療界全体や一般社会もまた被害者をバッシングしています。自分たちの嘘を逆に肯定するために、そういうことをやるわけです。結局、裁判はそれと闘っているだけという感じがします。医療裁判で何をやっているかというと、嘘つきと呼ばれるのをやめさせたいということです。裁判に勝つということで何が得られるのかというと、被害者になれるということ。負けていたら被害者になれない。勝ったら被害者になれる。嘘つきと言われるのは非常に屈辱ですが、被害者と言われるのも非常に惨めなもので、屈辱から惨めになる闘いをずっとしているというのが医療裁判だと思います。
 それでは何故訴えるのかというと、裁判をしなければならないと考える人たちというのは、どこかで泣き寝入りを強いられて、すごく不安を感じつつも、それでも頑張ろうと思う人たちです。被害を受け、さらに泥沼にはまるかもしれない危険を前にしながら、それでもやらなければならないと確信する人たちがどこでそんな決意をするかというと、あまりにひどい不誠実な対応が度重なったからです。被害者に対して、事故前もそうだし、事故の際もそうだし、事故後もそうだし、やはりこれは放っておいたらいかんだろうと。これを放っておくのは、自分の人としての問題もあるし、プロの医療者として同じ被害を繰り返してほしくないというのもあります。あまりにひどい不誠実な対応の連続の中で、これは放っておいてはいけないと確信していくわけです。
 たまたま結果が悪かったというだけで裁判していると見る人もいますが、全くそうではない。裁判を頑張っている人というのは、社会に対して意味があることであり、自分が経験したことを生かしてもらわなければならないと感じます。それが最低限であると。僕の子どもの場合、君が死んでしまったことで、それ以降の子どもが君のような形で死ぬことがなくなったよと言えるなら、すごく意味のあることになります。被害の体験や経験を生かすというのはやっぱり経験した人たちにとっては願いであり、それを目指しているのが医療裁判ではないかと思います。

マイノリティ医療と患者の権利
 医療裁判というと医療との関わり、司法との関わりがありますが、被害者も患者も弱者です。まず少数者としての問題がどうしてもある。患者からすれば、どの医療者にあたるかについてほとんど選択の余地がない。その人に任せるしかないというか、選べる領域というのは、まだ微々たるものです。選びようがないのが一般的なので、担任の先生を選べないといったことと同じことがあります。少数者の医療では、たとえば血友病(*5)。地域で血友病の治療をしてくれる医師がいますが、選ぶことができないので、その医師が絶対的な存在になるらしく、医師に逆らえない形になっていく。たまたまその人がよければいいけれど、だめだったらという危うさもあるんです。
 悪い人だったら傲慢になって、やってあげているのにとか、自分がいなくなってもいいのかみたいなことを言えてしまう。嫌ならやめてしまえばいいと開き直ることもあるだろうし、そういうものが医療者側にあるので、少数者に対する医療というのはすごく難しい問題が確かにある。血友病の人たちには、お医者さんたちによって、一部ですがHIVに感染させられて、彼らに罪があるという意識があるのですが、その医師を訴えられない心理状態になっているわけです。裁判が終わり、薬害エイズの被害者になってから、「拠点病院を作ってきちんとやってほしい」、「少数者に対する医療はこうあるべき」ということをまとめていって、それが実践されるいい例になりました。いかに少数者の患者の立場が危ういのか、歴史的な例だと思います。

原告という立場
 もう一つは患者の立場ではなく、原告の立場についてです。原告という立場にしても、裁判官が絶対的な存在になって、裁判官に委ねられるわけです。僕たちの裁判では一審の時、結審の直前に裁判官が3人いっぺんに代わりました。そのすぐ直前に同じような裁判をしている人たちがいたのですけど、その人の裁判も3人一度に変わると言うことがありました。裁判官は一人当たり100件以上くらい裁判を抱えていて、何件処理したかということを最高裁に報告して自分の出世が決まるということのようです。
 早く処理するためには和解。和解をしろ、和解をしろと言うのです。僕たちの場合は自分の子どもはもう亡くなっているので、金銭的補償よりも、こんな医療はいけないんだということを判決でしっかり書いて欲しいと、和解を断り続けました。最後の和解勧告のようなものを断った時、原告は出て行ってくれと裁判官に言われました。裁判官は、弁護士に対して、和解を断ったら敗訴にするぞということをにおわせ、原告たちを説得しなさいと言ったとのことでした。
 けれども、弁護士は僕たちを説得しようとしませんでしたし、僕たちもそのつもりはありませんでした。一審は完全敗訴しましたけど、この先も本当に敗訴にできるのかなと思って——そういうことがありました。
 僕たちは事故直後に刑事裁判をすぐしたかったのですけど、「富士見産婦人科事件」というのがあって、病気でないと分っているのに、病気だと嘘をついて子宮をとるとか、子宮が腐っているとかいってやっていた。そういった犯罪に対して、最終的に原告たちが頑張って、ほんの2年前だったか民事訴訟での最高裁で「医療とは呼べない犯罪行為」だと、しっかり判決文に書かれました。
 しかし、当時、刑事の方では不起訴になりました。刑事で不起訴にされたら、民事で勝ってから刑事訴訟に行くしかない。ところが刑事の時効は五年で、民事を五年で終わらせないといけない。つまり、医療では刑事はできないみたいな感じになっていたんですね。刑事だと検察に捜査権があるかもしれませんが、嘘を相手にしているのに、民事では原告側に立証責任が課せられる。カルテを改竄しているといっても、証拠はと言われたらないわけです。民事裁判で真実を認めさせようとすると、非常に無理を強いられるわけです。だから妥協するということもせざるを得ず、僕たちもいくつも妥協しました。
 たとえば、本当は筋肉注射でやられたんですけど、点滴だと嘘をつかれたままでもいいじゃないかということになってしまいました。点滴だということにしても、別に裁判で勝てるから、他にあまりにひどい対応が続く事例だからということで、点滴でも良いということにしました。あまりに対立点が多すぎると、裁判官からするとどちらが本当か分からない水掛け論になってしまう。どちらか本当か分からないと裁判官が言ってしまうと、立証責任を課せられている原告が結局負けになってしまう。
 裁判官が、だいたいこういうストーリーで両者いいですね、事実認定である程度は両者納得という上で、裁判をやっていきましょうということになるので、少しは妥協しないといけない。裁判というのは必ずそういう側面がある。かなり犯罪的なものを相手に民事で闘っているということで、なかなか大変なのが医療裁判ではないかと、今はそういうふうに思っています。
 これは薬害も一緒で、隠蔽と闘っているだけではなくて、肝炎も地下の倉庫から資料が出てきたと言っていましたけれど、薬害エイズの裁判も僕たちの裁判と平行して続けられていました。最後は嘘と闘うのが難しくなってきて、原告団は、あるはずのものがないと国が言うのはおかしいという理由で、国を敗訴にすべきというような主張を、原告団がしなければならないところに追い込まれてしまいました。その後、厚労大臣が代わって、実は証拠資料があったというようなことがありました。それで一気に和解となっていく。それを民事でやっているというばからしさみたいなものがあります。

消費者としての患者
 その弱さをひっさげているわけですが、患者はあくまでも消費者という立場なので、消費者保護の観点からどんな問題があるのかということですが、基本的にやはり弱いんですね。患者は医療を消費者の立場で受け、他の消費者問題と同じ問題を抱えています。加えて医療を受けたということは一種健康ではないと自覚している面もあるわけで、たいていしんどい状態にある。本当に深刻な場合は少数者になります。メジャーが中心になって動いている社会の中で極めて弱くなってくるし、経済的にも不安定で弱者の声は無視されやすい。患者であるということ、不健康であるということだけでも、偏見と誹謗中傷の対象になりやすいし、まして被害を受ける患者となると、社会的な弱さをもっている人をどのように助けていくのかという福祉などにも共通する、本質的な問題になってきます。
 医療や司法という時に、一番この弱さというのが深刻になってしまう。社会自体の弱さみたいなものがある。医療裁判は他の裁判とは大きく違う点があって、普通に考えれば交通事故並みにまずすべきだと思うんです。交通事故は事故が起こってもひき逃げだけはしたら駄目だし、それを守っている運転手が多いのですが、医療事故の場合は本当のことを言わない方がいいと思っている。医学部を出るときに事故が起こっても患者に本当のことは言うなと教えられるということがあると聞きます。
 交通事故だと誠意を見せなきゃと思っている人が多いのですが、医療ではそれがスタンダードになっていない。結局そういうものとの闘いになってしまう。運転免許を更新する時に、事故などを起こしていたら被害者の視点にたったビデオくらい見ておくべきだという講習があるのですが、医師には免許更新制もなければ何にもない。被害の情報すらおそらく入らないから、被害をなくしていくにはどうしていくかという手立てすらないんです。
 さっきの民事と刑事の話ですが、これまで、あまりにひどいカルテ改竄を2件だけ刑事事件にしています。頑張っている検察官が1、2人いますけど、その検察官が仕事でいじめられている。そもそも刑事事件のあり方に関しては一般的に色々問題があります。もちろん日本から刑事事件をなくすという話にはなりませんが、医療だけ刑事事件が馴染まないとされ、あまりにひどい犯罪行為が野放しにされている。
 民事はカルテの改竄に甘い。僕たちは嘘との闘いだからカルテ改竄を一生懸命言うんですね。改竄の証拠さえはっきりと示せば、それで勝てると思ってしまうんです。ところが、なかなか勝てません。僕もその一人でしたけれど、カルテ改竄を明らかにした被害者というのはけっこう多いんです。僕の裁判では、カルテの改竄が隠し切れなくなったとき、カルテ改竄は事務が勝手にやったと主治医が言いました。それで勝ったと思ったんですが、ほとんどの場合、カルテ改竄が明らかになっても「カルテ改竄と事故との因果関係はない」という判決が出されてきた。そうやってカルテ改竄を許して、証拠をいい加減にして、甘くしていると正しい判決が出せなくなってくる。結局、裁判所は自分で自分のクビをしめているんです。それにもかかわらず、医療裁判だけ特殊だから第三者的なものを作ってという流れができて、ほぼそうなりそうなんですが、それが司法の代わりにされる。本来、司法を健全にして司法の分野でやるべきことなんです。
 医療というのは経済社会と同じでお金で動いている。そのお金の価値観がやっぱりおかしくて、普通の市民感覚的にはこういう医療にこそ価値があるという医療に価値がついていないので、やろうとする人が少ない。医療機器や製薬メーカー、お医者さんといった一部の領域を楽にという発想で、不健全な単価がつけられていく。医療者がやろうとしている医療と、患者側がやってほしいと考えている医療の価値観がどうしてもあわない。それが不本意な医療をつくっているということであって、そのあたりを糾していかないと医療被害はなくならないだろうと思います。

被害から学ばない医学医療
 医学教育の中に被害から学ぶという発想が全くない。医療する側、それから医療消費者側に対する教育を施す立場にもその発想がない。子供たちを将来医療の加害者にも被害者にもしてはいけないという思いが全くないという感じでした。そうは言っても、この10年、15年、医療安全対策というのが随分進んできたということもあり、被害者運動も一定の成果を挙げているのではないかと思います。
 今年春からの医療法改正の中で、医療安全対策について盛り込まれて、三つの柱といわれるものができたりもしました。このワーキンググループの委員に僕も入っていたのですけれど、医療被害者、医療原告だった僕が委員に入ることになって、ある意味画期的だと言われました。僕は言いたいことを遠慮なく発言し、こういう柱を作ったんですが、当時言われていたリスクマネージメントというのは全部、ヒヤリ・ハットとかインシデントレポートとか、もう少しで事故になりそうだったというものを集めて、それをフィードバックする、ということだけだったんですね。だから、本当のアクシデント、つまり実際に事故になってしまった事例を知らない。だから同じ事故を繰り返してしまうんです。
 たとえば、枚方市民病院に、裁判が終わってから僕たちが要望書を持っていった時に、院長がこう言いました。「星子ちゃんには非常に申し訳ないことをしました。この事故を教訓に事故防止を進めていきたい」。裁判に負けたからそう言わざるを得なくなったんですね。僕は子どもからもらった宿題を一つ終えたと思いかけたんですが、その時妻は何と言ったか。院長、副院長、薬剤師長などがいたのですが、「私たちの事故を教訓にするということは、みなさんは私たちの事故がどういうものか知ってくれてはるんですね」と聞いたんですね。そしたら誰も何にも言えなかった。僕たちの裁判資料が残っているわけでもないし、残っていても見ているわけでもないし、いったいどうやって教訓にするのかということになったわけです。
 医療者たちは、非常に大きく報道されている医療事故でも、自分の病院で起こっている事故でも、本当に全然知らない。だから繰り返されてしまうということがずっと言われてきていて、それを何とか止めたいという意味を込めた報告書になったんですけど、その流れを汲んでなされたはずの医療法改正が、そういう方向に医療が変わって行くきっかけになるのかどうかというと難しい。この2年間ずっと感じていたことで、去年の春ぐらいからとくに聞くようになりましたが、「精一杯やっても結果が悪かったら裁判される」という偏見をマスコミがひろげ始めた。患者が過度な期待をして完璧になるものだと思っているとか、医療なんて完璧じゃないのにクレーマーがいて医療崩壊させているとか。それは被害者にとっては違うわけです。
 けれども、これがかなり信用されていて、インターネットを介してひろがっています。最近特に問題となっているのはソニーが経営している「m3」という掲示板です。お医者さんだけしか入れなくて、日本には何十万人というお医者さんがいるのですが、そのうち十何万人かが入っている。お医者さんしか絶対に入れない厳密な審査をしている。
 人気をあげるために掲示板を自由に書かせて、そこでの被害者への誹謗中傷が非常に面白いということで、その面白かった掲示板がどこかということで面白がっている。つまり「2ちゃんねる」みたいなことを商売にしているということがあって、そこで一番ひどいことを書いていた人は、これはあかんということで最近略式起訴され、罰金を支払い、遺族にも謝罪しました。結果として井の中の蛙みたいな人間をとことん増やして興奮させてしまうような状況がインターネットの医師専用の掲示板にあって、2ちゃんねるじゃなくてソニーが経営していたりします。つまり、情報が隔離されて変な進化をするというのが進んでいます。
 たとえば、「福島県立大野病院事件」で、お医者さんが逮捕されました(*6)。そして、被害者への誹謗中傷というのがあった。地方の産科で一生懸命やってるお医者さんを逮捕するなんておかしい、患者に原因があり、患者がものわかりが悪いからだとか、逮捕されてこの産科でお産ができなくなって、多くの「産科難民」ができたらどうするんだとか、この事件で、何がいけないかというと、病院は事故報告書というのを出しているんですが、一切、遺族から事情を聞いてないんです。遺族が知らない間に勝手に報告書を出している。
 亡くなった妊婦のお父さんと最近会ったのですが、ものすごく分厚いファイルを持っていました。裁判の資料なのかと思ったら、インターネットで自分や自分の娘を誹謗中傷しているページを全部印刷して、自分の記憶と比べて事実ではないことを、全部赤で書き直しているんです。奈良の「大淀病院事件」というのは救急車をすぐに呼ばなかった(*7)。呼んでも行き先がなかったという事件です。これは事故を繰り返しているリピーターだったということですが、この事件でその人はやめた。それで、お産する場所がなくなったということで、この被害者に対する誹謗中傷がソニーの掲示板で盛り上がって、特にひどいことを書いた医師が起訴されたわけです(*8)。

医学医療に望んでいること
 最後に「医学医療に望んでいること」ですが、望んでいることは、全然難しいことではなくて、極めて当たり前のことなんです。世の中捨てたものではないはずと思ってやることが大事です。僕たちも一審で完全敗訴しましたけれど、そのとき裁判なんてやっても駄目なんだと、司法なんて意味がないと思ってしまうと、やることが無くなってしまうので、世の中捨てたものではないはずだと思って行動することです。やっぱりレクチャーが下手だったんじゃないか。裁判官がちゃんと理解できていると思っていたが、できていなかったんじゃないか。僕は実は高校の教員もしていますが、生徒が点数を取れなかったら、生徒が勉強をしていないんじゃなくて、僕の教え方が悪いんじゃないかとまず考えてみる。ちゃんとレクチャーする努力をし続けること。そうすればわかってもらえるんじゃないかと僕は思っています。
 15年ほど前に、年3回の厚労省交渉に初めて参加したとき、交渉しても無理だよと言われました。そういう気持ちも分るのですが、そう言ってしまうとやることが無くなってしまう。こう言えば分かるんじゃないかと、少しずつ情報交換しながらでもやっていく。結局「世の中捨てたもんじゃないな」と思える仲間とか理解者を増やす努力をし続けるということです。どんな職業でも日々精一杯仕事しつづけることが大事なのと同じように、被害者運動も日々精一杯努力しつづけるということ、どっかで楽になろうとしても楽になれないんですが、だからって諦めてしまうと駄目なので、やり続けていくということ、拡がっていくことが大切なんじゃないかと思っています。
 以上で、「医療被害と裁判」についてのお話を終わりたいと思います。ありがとうございました。

■註
*1 国内の性同一性障害医療は、1997年に日本精神神経学会が作成した「性同一性障害に関する答申と提言」(ガイドライン)に準じた治療として、1998年から埼玉医科大学で始まる。以降、関西医科大学、岡山大学、札幌医科大学、大阪医科大学などに、性同一性障害医療の専門外来ジェンダークリニックが設置される。ガイドラインでは、精神療法、ホルモン療法、外科手術の手続きが定められている。2007年度に報じられた国内医療の一時停止は、埼玉医科大内での人事の問題が大きく作用しているということである(その経緯については、鳥集徹「なぜ、手術は休止されたのか:自壊した医療体制」『論座』2007年10月号)。
*2 「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)とは、性同一性障害医療を受けた当事者の戸籍の性別記載事項の変更に関して定めた法律である。同法律は、当事者団体からの働きかけに応じて、2003年に、自民党、公明党、保守新党によるプロジェクトチームができ、国会に提起され、衆参両院の全会一致をもって可決された。同法律には、「一 20歳以上であること。/二 現に婚姻していないこと。/三 現に子がいないこと。/四 生殖腺がないことまたは生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。/五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」という要件がある。また、附則第二項には、「施行後3年を目として」の再検討と「所要の措置」が記載されている。現在のところ、子なし要件の削除が運動の主要な目標になっている。そのような運動として、「GID特例法『現に子がいないこと』削除全国連絡会」などがある。
*3 1991年に結成された医療事故にあった患者と家族の会。同団体は、医療被害者の裁判の支援、医療の情報公開の運動などに精力的に取り組んでいる。HPの詳細な活動報告を参照。http://www.genkoku.com/(2008年5月3日アクセス)
*4 勝村氏の裁判の記録は、勝村久司 『ぼくの「星の王子さま」──医療裁判10年の記録』幻冬舎文庫、2004年、長尾クニ子『医療裁判』さいろ社、2001年、石川寛俊『医療と裁判──弁護士として、同伴者として』岩波書店、2004年などに記録されている。
*5 血友病医療の状況については、第二部の西田・福武論文[p71]西田論文[p78]、北村[2006]を参照(編集:北村)。
北村健太郎 「血液利用の制度と技術——戦後日本の血友病者と血液凝固因子製剤」(pdf) 『コア・エシックス』vol.2、75-87、立命館大学大学院先端総合学術研究科、2006
*6 2006年2月18日、帝王切開中の大量出血によって患者が死亡した医療事故(2004年12月17日)で福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕され、業務上過失致死罪及び、異状死の届出義務違反で刑事事件として逮捕された事件。
*7 2006年8月7日、奈良県にある大淀病院に入院中の女性が容体急変後、搬送先探しに手間取り大阪府内の転送先で男児を出産後、脳内出血のため亡くなった事件。2007年5月23日に、遺族が損害賠償を求めて提訴。
*8 なお、このシンポジウムの後、2008年4月19日大阪弁護士会館にて、勝村氏らが中心となり「ネット上の誹謗中傷問題等に関する検討会議」という場がもたれた。内容は、「M3・ウィキペディア・匿名ブログなどのインターネット上で医師による医療被害者への誹謗中傷が頻発している問題について、その状況報告と、背景の分析、今後の対応等について検討する」というものである。