第2部 生存を脅かす秩序 2 熟年離婚女性の生活のリスタートと娘役割の連関 ―もたらされた同居介護の経済効果と想定外の葬儀・供養費用負担

生存を脅かす秩序

熟年離婚女性の生活のリスタートと娘役割の連関
―もたらされた同居介護の経済効果と想定外の葬儀・供養費用負担―

谷村ひとみ

はじめに

本研究の目的は、子育ての後に熟年離婚した女性の生活のリスタートと子(娘)として老親に果たす役割の双方の連関に着目し、離婚後の暮らしにどのような影響を及ぼしたかを明らかにすることである。
結婚後20年以上の夫婦の離婚は熟年離婚と呼ばれている(四方 1984ほか)。これに倣い本稿では結婚後、出産・養育を経て20年以上経過した後の離婚を熟年離婚とする。平成21年度「離婚に関する統計」によると結婚後20年以上の同居別離別割合は、離婚総数の約2割近くを占め3番目に多い(厚生労働省大臣官房統計情報部編 2010: 68-69)。
女性にとって離婚が貧困リスクを高めることは、多くの先行研究が示してきた(たとえば、鹿又 2014ほか)。熟年離婚時の財産分与を見ると、司法統計による20年以上の婚姻期間の調停離婚のうち財産分与の取り決めがなされたのは、調停離婚成立件数の約半分である1。熟年離婚全体で調停離婚の占める割合は1割程度であり(厚生労働省大臣官房統計情報部編 2010: 21)、財産分与を得られないケースも相当数あると推測できる。その一方で、熟年離婚した女性が就労できる期間は相対的に年齢が高いため長いとはいえず、加えて中高年女性の就労は1980年代後半以降の20年間で正規雇用からは排除され、典型雇用が正規雇用ではなくなったと指摘されている(三山 2011: 47)。すなわち、総じて熟年離婚した女性は、経済的に脆弱といえるだろう。
経済的にも厳しい状況がうかがえ、加えて決して少なくはない熟年離婚であるが、そもそも熟年離婚した女性のその後に焦点をあてた研究は少ない。なぜならば第1に、女性の離婚にともなう問題関心は次世代を担う子どもに向けられ、母子家庭・ひとり親家族として取り上げられてきたことが挙げられる(たとえば、神原 2010; 阿部 2008ほか)。第2に、家族社会学において熟年離婚はミドル期の夫婦の危機と位置づけされ(久和・梁・于 2008)、それゆえに研究者の関心は危機の解決あるいは回避へと向かい、離婚後の女性自身が抱えるその後の困難への関心は低くなりがちであったからだ。
先述したように熟年離婚はミドル期に起こる危機の1つであるが、親の老い、介護もミドル期に起こる家族的経験である。ミドル期とは、長寿化の進展により立ち現れた特有な家族的経験をともなうライフステージであり、その年齢区分は研究者それぞれの関心によって一様ではないが主に40〜65歳をさす。ミドル期に特有な家族的経験は、子どもの離家、定年退職、親の介護などのライフイベントを契機に、定年後や高齢期の生き方の模索、夫婦や成人子、親との家族関係の見直しなどが家族に立ち起こることであると指摘されている(藤崎ほか編 2008: 13-17)。
子育て後に熟年離婚した女性たちは母親役割の終わりとともに妻役割にも終止符を打ったのであるが(四方 1984: 224-225)、子(娘)としての役割はどうだろうか。現在、娘が自分の親を介護すること(以下、娘介護)は珍しいことではない。しかし、その娘介護には限界があることも指摘されている。その理由として、娘介護の実現には「夫の許可」を要すること、また親の介護は娘が担っても親への経済的支援や財産相続権の主張などは嫁いだ娘よりも男きょうだいの支配が入りやすいことが挙げられている(春日 [1997] 2000: 31, 2001: 19-20)。つまり、ここでの娘介護の娘とは既婚女性であり、既婚女性ゆえの限界を指摘しているのだ。同じミドル期に起こる出来事ならば親の老いに伴う子(娘)としての役割と熟年離婚後の女性の生活のリスタートには何らかの連関を持つと仮定できる。
では経済的に脆弱な傾向を持つ熟年離婚した女性たちは、子(娘)として親の老いにどのように向き合い、自分の生活を再構築するのであろうか。意外にも熟年離婚した後の女性の暮らしと親の老いにともなう子(娘)としての役割の双方を捉える視点は、これまでにはなかった。本稿は、ミドル期における熟年離婚した女性の家族的経験にかんする論考の1つと位置づけられる。
これらを捉えるため本稿では、ライフストーリー研究を行う。ライフストーリーとは、「その人が生きている経験を有機的に組織し、意味づける行為」である。語られる物語の時間は「人間の経験する時間に近い」とし、「現在」との照合によって「過去」「未来」が意味づけされる(やまだ編 [2000]2010: 1, 6-7)。ライフストーリー研究のもつ物語モードという分析視点は、語りにおけるある出来事を「事実かどうか」と問うのではなく、2つ以上の「出来事がどのような意味連関でむすびつけられるか」を問う(やまだ編 [2000]2010: 20-21)。このような特徴は、当事者が経験した熟年離婚と親の老いという出来事の双方を捉えようとする本稿の目的と合致する。
1節では、対象者の選定と基本属性および調査・分析方法、そして倫理的配慮を述べる。2節では、熟年離婚後の対象者たちの状況と老親の介護を担うことに親和性があったことを示す。1項では、熟年離婚した対象者たちは「身軽なシングル娘」となって、老親および対象者本人にも娘介護に促進的に働くことを指摘し、2項では、そのうえで主たる介護者になる/ならない、を分けた2つの条件を述べる。3項では対象者たちがその2つの条件のもと主たる介護者を担った、あるいは担わなかった経緯を示す。3節では、主たる介護者として親世帯に同居することで得られた貯蓄形成という経済効果について、その効果をもたらした4つの条件と、その効果を得たことで自分の老後展望も獲得した対象者の経緯を示す。1項では熟年離婚した対象者の貯蓄形成に着目する理由を述べ、2項ではその経済効果をもたらす4つの条件を示す。3項ではその4つの条件に恵まれ経済効果を得た対象者の経緯と、その効果が老後の展望形成にまで及んだことを述べる。4節では、介護費用よりも親の葬儀・供養費用負担が対象者の形成した貯蓄を消失させ、離婚後2度目のリスタートを切らざるを得なくなった対象者の経緯を、1項では同居介護の事例、2項では主たる介護者にはならず、きょうだいと協力して介護に関わっていった事例を通し示す。おわりにでは、親の老いは熟年離婚した対象者たちの生活のリスタートのみならず老後の展望にまでも連関していた結果を示し、娘役割、さらには社会的な役割を果たしたがゆえの対象者たちの生きづらさに言及する。

1.研究方法

1.1 対象者の選定と基本属性
対象者は、50歳代後半から60歳代前半の子育て後に熟年離婚をした女性6名のうち、実際に老親の介護から葬儀・供養まで関わった女性3名を対象者とした。他の3名は離婚時にはすでに両親が他界していた、または親の介護が問題になり始めたばかりで直接関わっていないことから対象外とした。対象者の選定は、筆者の知人および知人の知人の紹介を通じて行った。対象者の基本属性は表1に示した。なお基本属性の内容は、プライバシーに配慮し本研究に必要と考える最低限度の項目とし、個人表記はJ氏、O氏等とした。また個人情報保護のため研究に支障のない範囲でのデータの修正や加筆を行っており2、収入等の数字はおおまかな表記にとどめている。

表1:対象者の基本属性【省略】

対象者3名は、一定期間の専業主婦(夫の自営業手伝いを含む)であった時期を挟み、離婚前に正規雇用で再就職し、子育て後(大学生含む)に協議離婚をした女性たちである。なお離婚時の財産分与は3名ともしていない。ただし、離婚時に子どもが大学生だった2名のうち、1名は元夫から大学卒業までの数年間の学費援助、もう1名は、2人の子どもの学費を元夫とそれぞれ1人ずつ分担する取り決めをしていた。婚姻期間は23〜25年間で、離婚時の年齢は45〜49歳(2002年から2005年)であった。転職も含めた対象者たちの職種は、事務職、介護職、看護師で、これらはいずれも女性の正規雇用比率が高い職種である(三山 2011: 54-65)。また3名とも平成19年4月1日から施行された年金分割には該当しない。2名が単独世帯で、1名は老親と同居であった。

1.2 調査および分析方法
調査方法は、対象者3名に半構造化面接を1〜3回行った。面接期間は、2011年4月から2014年10月で、面接時間は1回につき約1時間半であった。面接場所は対象者の希望に従い自宅および指定の喫茶店等で行った。またインタビュー・データは、対象者に充分な説明を行い、了解を得てICレコーダーに録音した。
質問内容は、親の介護から葬儀・供養までの経緯を中心に費用負担の有無と程度、現在の生活および経済状況、これまでの就労履歴とその収入、結婚および離婚の経緯、離婚後の経緯、離婚時の財産分与の有無、親やきょうだいとの関係である。
分析方法は、対象者のインタビュー・データを逐語録に起こし、KJ法(川喜多 1967, 1970)に準じ以下のプロセスで分析を行った。逐語録を対象者ごとに意味のまとまりごとに集め、その内容を端的に示す見出し(例、私しか介護するものがいない、親の老いで意識化する自分の老後)を付けカードに記載していった。その作業をこれ以上まとめられないところまでくり返し、最終的なまとまりを婚姻前から婚姻後、離婚前、離婚後、親の介護から葬儀・供養、そして現在という時期区分に並べ分析を行った。なお、対象者の語り部分は本文中に「 」で記述し、補足説明は( )で示した。

1.3 倫理的配慮
対象者には、以下の内容を口頭および筆者の連絡先を明記した書面を用いて充分な説明を行い承諾と署名を得た。説明の内容は、研究の主旨と目的、研究への参加はあくまでも自由意思であり、何ら不利を受けることなく随時拒否・撤回が可能であること。得られたデータの管理は筆者が責任を持って行い、本研究の目的以外に使用しないこと。プライバシー保護遵守のため研究に支障のない範囲でのデータの修正や加筆を行い、個人を特定しうる情報は用いないこと。また疑問や質問などには随時対応する旨である。

2.熟年離婚後の生活と老親介護の親和性

2.1 老親にとって「身軽なシングル娘」となった熟年離婚後の女性たち
子育ても終わり離婚した対象者たちは、親にとって「身軽なシングル娘」となり老親介護に関わっていった。しかし、親の介護にどのように関わるかは後述する2つの条件に規定されていた。ここでは老親介護へ促進的に働く「身軽なシングル娘」という対象者たちの状況について説明する。
住居は暮らしの基盤であるが、対象者たちはいずれも離婚時に持ち家などを取得していない。このことは経済面において、また暮らしの安定においてもマイナスである。しかし、逆に定まった住居を持っていないことで、対象者たちはどこにでも住まいを移せる「身軽」さがあった。同居介護といっても、子世代が親を引き取る同居介護と、親世帯に移る同居介護では、もともとの生活基盤が異なる。本稿では後者を指しており、対象者たちは親世帯に移る同居介護が可能な状態にあったのだ。
また子育ても終わり離婚した対象者たちは、先述したように母親として、妻や嫁として果たさなければならない責任や役割はもうない。つまり、娘介護にまつわる既婚女性という限界がない「身軽」な身なのである。本稿ではこのような対象者たちの状況を「身軽なシングル娘」と言い表す。
さらに離婚したことで対象者たちが「優先」する関係に、老親とのそれがせり出した。春日キスヨは、老親介護を担っても「子世代女性に期待されるのは親より夫や子どもに対する関係を優先すること」と述べる(春日 2001: 23)。したがって、子どもとの関係は続くとしても「親の責任」を果たしたのち離婚した対象者たちにとって「優先」する関係は、老親となる。それは親の方も同じであった。親は老いていく渦中で不安や必要となる手助けが増大する。丁度そのとき子育てを終え離婚した娘は、親にとって世話になれない「他家に嫁に出した」娘(春日 2001: 151)から世話になれる「娘(家族介護者)」に戻ったことになり、親の娘への介護期待はいっきに膨らむ。さらに「暮らしは親が賄う」という取引材料があるならば、なおのこと双方のタイミングと利害は一致して娘介護の可能性は高まる。

2.2 主たる介護者になる/ならない、を分かつ2つの条件
述べたように「身軽な」対象者たちが老親介護に関わったとしても、主たる介護者になる/ならない、の選択には2つの条件が関連していた。1つ目は、他に介護を担う者の有無であった。それは本稿の事例においては親の世帯形態に現れており、他のきょうだいが介護を担っていた場合、親はそのきょうだいと同居していた。
2つ目は、正規雇用での就労が可能か否かであった。熟年離婚した対象者たちにとって就労することは、日々の暮らしのみならず、そう遠くない老後も視野に入れたならば不可欠であった。女性(既婚女性)のフルタイム就労は介護役割の引き受けを回避させ(菊澤 2005)、また介護や看護が妻のフルタイムおよびパートタイム就労を抑制することが示されている(西本・七條 2004)。つまり既婚女性の就労と介護は相反する関係にあるのだが、生計を維持しなければならない対象者たちの状況は違った。対象者たちは、自分の老後の意識化とともに中高年女性の再就職の困難、就労できる期間の短さという現実に直面しており、介護を引き受けるためには正規雇用による安定した就労が必須条件であった。換言すれば、対象者たちは就労が不安定で生活もままならない状況ならば、親の介護を担うわけにはいかないのである。
加えて、このような状況にある対象者たちが同居介護を担うか否かには、親の経済力への見立てがあった。本稿の事例にはなかったが、熟年離婚しリスタートを切ったばかりで親の扶養も担うのはあまりに高リスクと考えられる。実際には老親扶養も担わなければならない状況に迫られる場合もあるだろう。しかし、本稿の同居介護を担った対象者たちの親は経済的に自立しており、選択過程で対象者たちが前提とした親の経済力は、少なくとも老親扶養の必要がないことであった。
以下では、対象者たちがこれら2つの条件の兼ね合いのなかで介護に関わっていった経緯を示す。

2.3 2つの条件がいざなう同居介護
2.3.1 私しか介護する者がいなかった
ここでは、主たる介護者として親世帯で同居介護を担ったJ氏とO氏の経緯を示す。
離婚後のJ氏は、娘(長子)の留学費用を3年間工面し、娘の大学卒業を見届けて親の介護のため51歳で実家に戻った。J氏には弟(夫婦)がいるが、親は弟(夫婦)との過去のトラブルから関係を断っており、介護を担うのはJ氏しかいなかった。なおJ氏も弟とは疎遠だという。
大学卒業後22歳で恋愛結婚したJ氏は、末子(息子)の高校卒業を待って45歳で協議離婚した。離婚時、娘(長子)は留学中であった。J氏は婚姻中だった36歳の時、正規雇用で看護助手として再就職した後、資格を取得して42歳で看護師となっていた。離婚の条件は、子どもたち2人の養育および学費負担を各々が一人ずつ分担する取り決めのみで、財産分与はしていない。財産分与をしなかった理由は、「これ以上(夫とは)関わりたくなかった」からだという。
離婚後のJ氏は娘の学費を送金しながらも、父親の介護負担が増した高齢の母親を助けるため頻繁に実家(隣の県)に帰っていた。J氏の父親は、パーキンソン病を発症し要介護5であった。高齢の母親は膝が悪く、夫(父親)の介護負担も大きいが「家で看る」ことを強く望んでいた。母親は離婚したJ氏に「こっち(実家)に帰って(介護を)手伝って欲しい」と常々要望しており、J氏は娘の学費援助が終われば実家に戻り親の介護を担うことを決意していた。
J氏が同居介護の決意をした理由は3つあった。1つ目は「私しか介護をする者がいない」と思ったからである。先述したように親と弟夫婦の関係は断絶している。そして母親は自宅での介護を強く希望している。その状況にあって子どもの養育が終わることでJ氏は「身軽」な身分となる。母親の「こっち(実家)に帰って(介護を)手伝って欲しい」という要望は、J氏が離婚し持ち家もなく転居が可能なこと、さらに「親の責任」も終わることを前提になされており、母親からすればJ氏は婿に気兼ねすることなく、さらに看護職というJ氏の経験と知識を加味すれば心強い「身軽なシングル娘」という家族介護の担い手であった。
2つ目は、「これからは(自分の)家があった方がいい」と思ったからである。J氏のいう「家があった方がいい」には2つの意味がある。1つは、「親の責任」が終わり、自分の老後を考えた時、当時のJ氏は貯蓄がほとんどなく充分な年金額も期待できない。そのため実家にもどることでせめて老後の住まいを確保するという意味があった。このことからJ氏が自分の老後を意識したのは、「親の責任」が終わり母親からの介護の申し出がきっかけであった。もう1つは、娘のための「実家」という意味である。娘が結婚しても、また仮に離婚しても、帰る場所として「実家をつくっておいてやりたかった」とJ氏はいう。この「実家」に息子の言及がないことが興味深い。J氏のこの語りは海外で暮らす娘を思ってのことであるが、そこにはJ氏自身の経験が含まれている。女性は婚姻後、出産すれば子育ての支援が必要になる場合も多い。そして何より、日本では現在においても多くの女性が婚姻・出産を理由に退職しており(横山 [2005]2014: 147-153)、女性の家族役割が就労の難易度を上げている。そのため女性は経済的基盤を夫に依存せざるを得ず、リスクを抱え持つことはくりかえし指摘されてきたことである(たとえば、藤原・山田編2011; 神原 2010ほか)。そして婚姻関係が破綻した時、女性の経済的リスクは顕在化する。J氏はそのリスクに対して、婚姻中から資格の取得や再就職などの準備をしてきた。
3つ目は、実家にもどり介護を担っても正規雇用の就労が可能と考えられたからである。当初、母親はJ氏に「生活はこっち(親)が賄うから、仕事は辞めて欲しい」と要望していた。J氏は仕事を辞めることも考えたが、介護負担がさらに増し辞めざるを得なくなるまでは就労することにした。50代のJ氏が母親の要望に応え就労を手放したならば経済的に大きなダメージを受ける。婚姻中は非常勤教員等に従事していたJ氏だが、その期間の公的年金は未加入だった。自分の老後を意識したJ氏にとって仕事を辞めることは、公的年金を受け取るうえで不利であった。また親の介護はいつまで続くかわからない。仮にJ氏が仕事を辞め日々の暮らしを親の経済力で賄えたとしても、親の死後、J氏はどのように暮らしていけるのか。親の介護後、年齢を重ねたJ氏の再就職は可能なのか。父親の介護に追われている母親には、介護を終えたあとのJ氏の暮らしを視野におさめる余裕はなかった。
実家に転居するJ氏が正規雇用で就労するためには、新たな職場を見つけなければならなかった。中高年女性の正規雇用への再就職は難しい(三山 2011: 54-65)。しかしJ氏の場合は、看護職という資格と経験がそれを可能にした。実家の近くに職場が得られJ氏は戻った。

2.3.2 一人っ子
O氏も、J氏と同じく離婚後に老親のもとで介護を担った。O氏が主たる介護者になった理由は、(母親にとって)一人っ子だったからであった。
O氏は23歳で見合い結婚をし、49歳で協議離婚をした。なおO氏も婚姻中だった42歳の時にヘルパー2級を取得し、正規雇用で再就職をしていた。離婚時、子どもたちはすでに成人しており、婚姻中の暮らしが経済的に厳しかったため財産分与は考えもしなかった。離婚後、O氏は親世帯へ転居した。
O氏は物心がついたときには母一人子一人の暮らしだったという。母親との当時の暮らしは生活保護を受給し、O氏は中学を卒業後に集団就職で地元を離れたが、就職して1年後に母一人子一人の暮らしは再開した。そしてO氏が20歳の時、突然、顔も知らなかった父親が現れ、O氏の母親は父親(同じ相手)と再婚した。
両親は再婚したものの母一人子一人で暮らしたO氏にとって特に母親の介護を担うことは、自然な役割となっていた。そもそもO氏がヘルパー2級の資格を取得した理由は、再就労のためだけでなく、親の介護に必要と考えたからである。O氏の父親は4回結婚(2回目と4回目がO氏の母親)しており、異母姉妹が4人(うち1人は他界)いたが、同県に住む(異母)姉とたまに会う程度で他の姉妹との交流はない。
O氏は老いていく親を心配し、婚姻中から「なかなか田舎には帰れないから」と両親を近所に呼び寄せていた。O氏の離婚直後は長男も一緒に親(祖父母)たちと同居していたが、その後、長男は結婚し両親とO氏の3人の暮らしとなった。同居の家計は親が賄い、両親の住まい(賃貸住宅)は職場からも近くO氏はそのまま就労し続けることができた。

2.3.3 当てはまらなかった2つの条件―自分の老後はどうなるの
一方、M氏は主たる介護者にはならなかった。なぜならば先に示した2つの条件に当てはまらず、他のきょうだいが介護を担っていたこと、そして仮にM氏が主たる介護者になったならば就労継続の困難が予測され、そのことは自分の老後にまで影響が及ぶ懸念があったからである。
25歳で恋愛結婚したM氏は、息子(1人っ子)の大学進学(20歳)を待って49歳で協議離婚した。M氏も婚姻中だった47歳の時、正規雇用で事務職に再就職していた。離婚の条件は、息子(当時、大学1回生)の大学卒業までの学費援助以外、夫が金銭トラブルを抱えていたため財産分与はなかった。
M氏の両親は、家を継いだ弟夫婦と同居(他県)であった。(インタビュー時の)7年前に死去した父親の介護は母親と弟夫婦が担い、M氏は両親および弟夫婦の様子をみるため田舎にたびたび帰っていた。そして父親の死後、母親に認知症が現れ、弟夫婦の負担が増大した。
M氏は、認知症が出現した母親の介護を担うことを考えたという。すでに離婚して身軽だったM氏は(当時M氏52歳)、母親が認知症になったからこそ娘の自分が介護を担った方が、母親にも弟夫婦(弟の嫁)にも望ましいのではないかと思ったが、ためらいも強かった。

離婚の時は、老後のことなんかまったく考えてなかったけど、母の介護をするのに自分の老後のことは(本格的に)考えましたね。私がメインで看たら、自分の老後どうなるのって思って…。

M氏のいう「自分の老後どうなるの」とは、M氏が介護を担ったならば就労の継続は難しく、自分の暮らし、さらには老後にも影響を及ぼす可能性を指している。M氏の場合、J氏やO氏のように「私しか介護をする者がいない」状況ではない。すでに主たる介護を担っている弟夫婦(特に弟の嫁)がいた。したがって問題は、弟夫婦の負担の増大と認知症の母親の双方にとって、望ましい介護は何かであった。M氏が仮に介護を担うとなれば、弟夫婦の近くに転居するか、または母親をM氏のもと(または近くの施設)に引き取る必要が生じる。とはいえ、いずれにしてもM氏の暮らしはJ氏やO氏とは異なり自分で維持しなければならず、就労し続けなければならない。その就労の継続に懸念があった。
M氏は、先に示したように40歳後半で昇給もあり安定した正規雇用の事務職を得た。M氏は、この職場の就労条件は悪くないと思っていた。J氏のように専門職ではないM氏が仮にこの職場を辞めて弟夫婦の近くに転居したならば、年齢的(当時M氏52歳)にも次の仕事(事務職)の確保や同程度の就労条件を得ることは難しく、そのことは自分の老後にも影響を及ぼすと考えた。つまり、J氏のように職場を変わることが可能で、就労しないという選択肢もありえた、と悩んだのとは異なり、M氏は現在の職場を辞められない、それでは生計が維持できない、と悩んだのである。「私の老後はどうなるの」というM氏の語りには、50歳代女性の就労の厳しさが含意されている。そしてM氏は母親の介護をきっかけに自分の老後をはっきりと意識した。

3.同居介護の経済効果と4つの条件

3.1 なぜ同居介護の経済効果に着目するのか
対象者のなかには、熟年離婚後の同居介護で貯蓄形成という経済効果を得た者がいた。なぜ、この経済効果を取り上げるのか。それは熟年離婚した女性の老後を見越したならば、このタイミングでの貯蓄形成は大きな意味を持つと考えるからである。
先述したように熟年離婚した女性の特徴は、相対的に年齢が高いゆえの就労し収入が得られる期間の短さである。そのことは貯蓄などのストック形成にも限界があることを示唆する。もちろん、ある水準以上の高収入、離婚時の夫からの財産分与等の獲得、また親からの遺産相続などがあるならば、必ずしも貯蓄形成の効果を特に取り上げる必要はないであろう。しかし、当然であるが女性の誰もがこれらを得られるわけではない。すでに示したように熟年離婚において財産分与の取り決めは多くない。また少なくとも本稿の対象者たちは、先述したように看護職や介護職、事務職など、いわゆる女性の正規雇用の多い職種に従事しており、収入面において逸脱した特異な事例ではないといえるだろう。

3.2 同居介護による経済効果をもたらす4つの条件
同居介護による経済効果は、次に示す4つの条件が揃ったことによりもたらされていた。1つ目は同居による生計は親が賄っていること、2つ目は介護費用や医療費の娘の負担がないこと、3つ目は葬儀費用の娘の負担がないこと、そして4つ目は娘が就労を継続していることである。簡単にいえば、収入が得られ、支出がない状況である。この状況がストック形成を可能にするというのは、当たり前のように聞こえるかもしれない。しかし、この4つの条件が揃う状況は、当たり前のことではない。
先述したように娘と親世代との同居には、いくつかの条件があった。親と子の同居は、子どもがひとりの場合には同居率自体が高くなるが、子が複数の場合、同居する子の傾向は第一子かつ長男が高く(嶋崎 [2009] 2014; 田渕[2009] 2014)、途中同居をもたらす要因は長男、親からの土地・家屋の相続、老親扶養が挙げられている(加藤 2005)。これらから熟年離婚した女性は身軽であっても親との同居は、他のきょうだい、特に長男と親の関係や相続などが絡み、当然視できるものではない。
少子高齢化時代にあって介護や葬儀の費用負担は、多くの者が直面する問題である。在宅介護にかかる経常的費用3の6〜7割は介護保険によりカバーされているものの、残りの4〜3割は家族負担であることが示されている(山田・田中・大津 2013)。また葬儀は「死者の往生、成仏を願って行われ」、家族にとっては「生前充分にできなかったことをしてあげよう」という思いとともに行われるグリーフワーク(悲しむ作業)である。と同時に親戚や仕事関係、地域といった「外からの眼」に対する「社会的プレゼンテーションの場」でもある(碑文谷 2009: 54-55, 176-177)。このような意味を持つ葬儀は家族によって取り行われており、葬儀費用の負担も生ずる4。ちなみに日本では「民法上、誰が埋葬義務を負い、葬式費用を負担するかという規定はな」く(石堂 2012)、健康保険法および国民健康保険法においても加入者の死亡時の申請により、それぞれ埋葬料や葬祭料が支給されるが、その申請者を親族に限るという規定はない5。
また介護・看護を理由に離職や転職をした約8割(80.3%)は女性であり(内閣府 2014: 28)、介護と就労継続の両立が難しいことはあらためていうまでもないだろう。

3.3 4つの条件と獲得できた自分の老後の見通し
親世帯に同居したJ氏は、先に示した4つの条件に恵まれ、結果的に貯蓄形成が可能となった。これによりJ氏は、自分の老後について具体的な見通しも獲得した。なお「結果的に」と付け加えているのは、先述したように同居前のJ氏は「家」の獲得は意識していたが、貯蓄形成までは意識していなかったからである。また同様に母親も「仕事を辞め、手伝ってほしい」と要望していたことからもわかるように、同居によるJ氏の貯蓄形成の効果まで想像していなかった。後述するが、4つの条件のうちどれか1つでも揃わなければ、熟年離婚した対象者たちは親の介護を担いつつの貯蓄形成など容易には達成できなかった。
貯蓄形成は可能となったが、介護と就労の両立にともないJ氏の収入は低下した。要介護者の重症度の悪化による労働時間の短縮や休業、転職といった就労調整は、世帯収入を減少させることが示されている(岸田2013)。J氏も例外ではなかった。同居した当初のJ氏は、夜勤当直のある療養型病棟に勤務した。しかし、その後、父親の介護負担はデイケアを利用しても増大し、J氏は訪問介護、現在は夜勤当直のない老健施設へと変えることで就労と介護を両立させた。部署の異動にともない就労収入は低下し、現在は手取り約280万円/年(20万円弱/月とボーナス40万円/年)で、同居前と比べ100万円/年ほど減収した。
同居して2年後に父親(サラリーマンだった)は他界した(J氏53歳)。J氏は家計の詳細は「わからない」とのことであるが、他界した父親の公的年金は母親の遺族年金にかわり世帯のフローは下がっていると推測される。しかし、母親はJ氏に「生活はこちらで賄うから、いまのうちに貯金しておきなさい」と気遣い、娘(J氏)の貯蓄形成を支えている。J氏はこの状況が維持されていることで、同居前と比較したならば収入の多くを着実に貯蓄でき老後に向けた経済的な備えを形成できた。
J氏の母親の健康状態は、数種の薬を服用しており、つかまりながらの室内歩行がやっとの状態であるが、介護認定は受けていない。母親とJ氏の関係は良好で、J氏は家事のほか休日は母親を連れ出し買い物や歩行訓練を行い、母親もそれを楽しみに「私の休みを待っている」という。
貯蓄も着実に形成できているJ氏は、自分の老後について具体的な見通しを獲得した。親の家は同居介護を担う理由の1つだったが現在は、母親を看取った後に弟と相談して売却し、息子(夫婦)の近くに住もうと考えている。J氏は、老後はひとりで暮らす予定であり、自分の介護を「息子(夫婦)に看てもらうつもりはない」という。それゆえに入院や施設入所などが考えられ、その時に「キーパーソン」として手続き上は家族が必要となる。そのことを考えJ氏は、物理的な「距離で息子(夫婦)に負担をかけない」ため近くに転居する見通しを立てた。

4.葬儀・供養費用負担と暮らしの仕切り直し

4.1 揃わなかった同居介護の4つの条件と貯蓄の消失
O氏は、J氏とは異なり形成していた貯蓄を消失し、離婚後2度目のリスタート状況にあった。O氏の場合、先に示した4つの条件のうち、3つ目の葬儀費用の負担が発生し、全条件を満たせなくなったためである。O氏は(インタビュー時の)3年前に母親を、1年半前に父親を看取り、親との同居生活は10年だった。
同居生活のO氏は、生活費は親が賄ったことでJ氏と同じく貯蓄が可能となった。O氏はその状況だったことに「私も(親に)世話になって感謝している」という。当時のO氏の就労収入は、手取り約190万円/年(12万円/月、ボーナス50万円/年)であった。
O氏は、両親の介護は「さほど手がかからなかった」という。O氏の両親は、最期に短期の入院をした以外、自分の身の回りのことをはじめ歩行もでき、生活はほぼ自立していた。母親は透析を受けていたが障害者手帳1級を取得していたため医療費はかからず、父親は「最後の方は」軽い認知症があったが両親ともに介護期間はごく短いものだった。これらの経緯から日常生活も含め医療費や介護費用は、親の年金で賄えた。先に他界した母親の葬儀費用は母親自身が準備していたが、父親の葬儀費用の準備はなかった。父親と同居していたO氏は、異母姉妹に葬儀費用の負担は言えず、形成した貯蓄から捻出したためそれを失った。O氏は、故人の希望により母親、父親それぞれの田舎に納骨を済ませた。インタビュー時は父親の一周忌を終え「来年は三回忌。(異母の)お姉ちゃんたちが来るんです」といい、その後の供養も担っている。
父親の他界後、O氏は同居していた賃貸住宅の家賃(約6.5万円/月)が払えず、60歳で雇用促進住宅(家賃約2.2万円/月)に転居した。なお、雇用促進住宅は平成33年度までに廃止されることが決まっており、貸与契約期間の満了日をもって入居者は退去しなければならないが6、インタビュー時のO氏はそのことを知らない。60歳で転居したことについて「私、計画性がないんです。友達からはバカだなといわれました」と苦笑した。確かに、これまでの経緯からO氏には母親が他界した時点で低家賃の住居へ(父親とともに)転居するチャンスがあったとも見える。O氏は父親との二人の暮らしについて「(父親は)何も言わない人だったけど、それでも帰宅時間とか(自発的な)規制があった」という。20歳で突然現れた父親に対し遠慮や気兼ねといった距離感が、O氏にあっても不思議ではない。先に示したJ氏の母親がいう「いまのうちに貯金しておきなさい」の「いまのうち」には、自分(母親)の介護負担がまだ軽くJ氏が働けるうちと、母親が(年金等で)生活を支えられるうち、つまり母親の死が含意されている。多くを語らないO氏であるが「父親の死」を所与とした低家賃への転居を、老いた父親には言い出せなかったとも推測できる。
転居はO氏の定年退職とも重なった。O氏は定年退職後も引き続き同じ職場で1年更新の契約職員として就労している。その収入は手取り160万円/年(手取り11万円/月、ボーナス30万円/年)となった。なお退職金は、詳細は語られなかったが何らかの事情があった成人子にすべて渡したとのことであった。
両親を看取ったO氏は「これからは全部、自分で責任をもって自由です」という。O氏は、娘の責任を果たし切った。O氏にはもう何の役割も、縛られるものもなく、確かに「自由」である。しかし、60歳というタイミングでの貯蓄消失という経済的ダメージを受け、そして転居や定年退職を経てO氏は、離婚後2度目の生活基盤の立て直し状況にあった。

4.2 きょうだい協力と葬儀・供養費用負担
主たる介護者にならなかったM氏の場合も、父親、母親ともに入院や介護費用はそれぞれの年金で賄えたという。しかし、医療や介護費用以外の出費でM氏の「わずかな貯金」は消失した。それは実家への頻繁な帰省にともなう交通費をはじめとする出費の増大と、O氏と同じく母親の葬儀・供養費用だった。このようなM氏の出費状況は、離婚をはさみ父親と母親のものを合わせ10年に及んだ(M氏48歳から58歳まで)。
M氏は、J氏とは異なり介護期間が長かった。父親は4年間の介護の後(インタビュー時の)7年前に、母親は6年間の介護を経て2年前に他界した。母親は要介護3だった。M氏たちきょうだいは(M氏と弟2人)、父親の死後に認知症が出現し自力歩行も困難になった母親の介護を父親の介護も担った弟夫婦、特に弟の嫁に「(これ以上)背負わせるわけにいかない」と話し合い、母親の施設入所を決めた。ちなみにきょうだい仲は良く、M氏は「親の介護でより結束した」という。
入所の決定はしたものの施設さがしは難航した。最初の3年間は病院への入退院をくり返すことで凌ぐ日々が続き、弟の嫁の介護負担の軽減も断片的なものにならざるをえなかった。M氏はたびたび帰省しては弟の嫁ともよく話し合い支えた。施設入所を決めてから4年目に母親は特別養護老人ホームに入所でき、これらの入院費用や施設入所にかかる費用は母親の年金(10万円弱/月)で賄えたという。直接的な介護費用の負担はなかったとはいえ度重なる帰省による出費の増大は、M氏の経済状況に影響を与えていた。
このような状況が続くなかM氏は56歳で失業した。M氏は、突然、会社側から「(親族を雇用する)都合により、退職してくれないか」と告げられたのである。比較的安定したこの職場の就労がM氏の離婚後の経済的な基盤となったうえで、増大する老親の介護にともなう出費もこの職場での就労収入を前提にM氏は対応していた。そのタイミングでの突然の解雇通告は、収入を絶たれる以上に先の見通しを失わせM氏に精神的なダメージを与えた。M氏は「あまりに理不尽だ」と抗ったが、親族経営の小さな会社で「親族を雇用したい」と要望する職場に居座り続けるわけにはいかず退職した。この失職による心労でM氏はうつ傾向になり、退職後は「どうしても働けなかった」という。失業保険を受けながらM氏は1年間静養した。
次の就労を模索するM氏は「年がいった(50歳後半の)独り身の女性では信用がない。事務(職)ではもう(どこも)雇ってくれないと思った」という。M氏は静養中にヘルパー2級を取得し(2011年)、居を移し57歳で介護職に転職した。介護職を選んだ理由は2つあった。1つは母親の施設入所をきっかけに身近な職業として介護職を知ったことである。M氏は、介護職への転職を母親にできなかったことの「恩返しだ」という。M氏は思いがあっても実現できなかった母親への介護を、介護職に従事することで返そうと思ったのである。
2つ目は、介護職ならば50歳代でもまだ正規雇用で就職ができると思えたためである。M氏は「恩返し」とともに「生き残るために介護職しかなかった」ともいう。くりかえすが中高年女性の正規雇用への再就職は難しい。そのなかでも介護職は正規雇用の可能性がある。M氏は、自分の年齢で「介護職に転職できるかどうか不安だった」が、正規雇用で再び就職できた。しかし、それと同時に収入は低下した。M氏の介護職の就労収入は手取り約190万円/年(13万円弱/月、ボーナス40万円弱/年)で、事務職時と比べ150万円/年ほどの減収となった。
転職の翌年に母親は他界した。M氏は「田舎は何度も親戚を呼んで(供養を)やりますから(経済的にも)大変でした」とその後の経緯を振り返る。M氏は、出費の増大や失業、収入の低下を伴いながらも父親そして母親の葬儀・供養費用をきょうだいで負担し合った。なお、葬儀や供養費用にいくらかかったかの回答は得られなかった。

実家の弟と嫁も(両親の)介護に費やした時間と費用はかなりのものだったと思います。直接的な介護費用は母も父も年金でできたのはいい方だったと思っています。(私の)わずかな貯金は使い果しました。それでも、やるべきことはやっておこうと、きょうだい3人(弟2人とM氏)とも思っていましたので、悔いはないですけどね。

母親の介護を担えなかったことがきっかけで介護職に転職したM氏である。親に対し子としてやるべきことをやって「悔いはない」という心情に曇りはない。むしろ介護のみならず葬儀や供養までも関われない方が、M氏にとって「悔い」が残ることだっただろう。
M氏の場合、父親の次は母親というように両親の介護や費用負担は10年にも及び、M氏が語るように主たる介護者だった弟夫婦の負担が経済的にも精神的にも大きかったことは容易に想像できる。主たる介護者は家族関係において以下に示す2つの状況に陥りやすい。1つ目は嫁の介護役割の当然視と理不尽な扱い(春日 [1997]2000: 26-27)、2つ目は介護を引き受けなかった親戚の足が遠のくことによる介護者の孤立である(春日 2001: 124)。これらの主たる介護者の問題にきょうだい間の協力で乗り切ったM氏の事例は、いわば家族介護の1つの成功例ともいえる。
望ましくもあるM氏たちきょうだいの介護および葬儀・供養の実践であるが、皮肉にもM氏の経済状況を厳しくさせた要因の1つとなった。親への思いと、60歳でストックを失った現実との狭間にM氏はいるのである。

おわりに

本稿の結果が示すのは、熟年離婚した対象者の生活のリスタート、さらには老後展望にまでも親の老いは連関していた、ということである。
熟年離婚した対象者たちの生活のリスタートと老親介護は親和性が高かった。子育て後に熟年離婚したことで親役割、妻・嫁役割のなくなった対象者たちの「身軽なシングル娘」という状況は、これまで子どもや夫であった「優先」する関係の対象に老親をせり上がらせ、老親の娘への介護期待も増幅させる効果をもたらしていた。それにより対象者にとって子(娘)としての役割は主流化し、能動的に老親介護に関わっていった。親世帯に同居し主たる介護を担うか否かは、老親の扶養負担がない、という前提のもと、他に介護者がいないこと、正規雇用の就労継続が可能である、という2つの条件により規定されていた。親世帯での同居介護では家計は親が賄う構図となり、対象者のなかには①生計負担なし、②介護や医療費負担なし、③葬儀・供養費用負担なし、④就労継続の4つの条件が揃ったことで着実な貯蓄形成が可能となり、具体的な自分の老後展望を獲得できた者もいた。
その一方で、同じように同居介護で一旦は貯蓄形成ができたが葬儀・供養費用負担が発生し、形成した貯蓄を消失した者がいた。葬儀・供養費用負担による貯蓄の消失は、主たる介護者にならなかった対象者にも起こっていた。両者は、介護費用は親の年金で賄えたが、他界後の葬儀・供養費用負担で経済的ダメージを受け、親亡き後の暮らしは離婚後2回目のリスタートとなっていた。
最後に本稿で強調しておきたいのは、対象者たちは家族の一員として、また社会の一員としてあり続けるために生きづらさを抱え持つ、ということである。
葬儀や供養は、介護を担う/担わないに関わりなく、親族ならば多くの者が経験する。現在、葬儀は「死者を含めた個々人の意思に従う〈葬儀の個人化〉」傾向を示す(森 2010)。しかし、先述したように葬儀は故人の成仏を願うとともに「外からの目」に対する「社会的プレゼンテーション」の意味を持つ、社会的な営みでもある。対象者たちにとっては、その社会的な営みが経済的なダメージとなったのである。M氏のようにきょうだいが後を継いでいる場合や、O氏のように(父親側の)異母姉妹がいる場合などは、葬儀や供養を執り行う社会的な意味は大きい。世間的に葬儀や供養を行うことに何の違和感も、問題もないが、逆に行わない場合は何らかの説明を要するであろう。対象者たちは社会的に問題のない状況を、家族として、社会の一員として維持するため、自分の老後の経済的ストックを投げ出し、親の葬儀・供養費用を捻出したのである。これが社会からも、きょうだいからもうかがい知れない、対象者たちの経済的な脆弱さであり、抱えもつ困難さなのである。湯浅誠がいう「溜め」を用いれば(湯浅 [2008]2014: 78)、自分の貯蓄を親の葬儀・供養費用にしなければならないほど対象者たちには「溜め」がないのである。対象者たちの「これからは自由です」「悔いはないです」という言葉に偽りはなくとも、娘役割・社会的な役割を果たした対象者たちが経済的なダメージを内包してリスタートを切らざるを得ない状況に、人には言えない生きづらさが映し出されている。
子(娘)の役割は介護に限ったことではない。あるいは役割にとらわれない生き方もある。また老親に関わるか否かも選択である。がしかし、本稿の結果においては熟年離婚した女性の「身軽なシングル娘」という状況、さらには生活の安定を求め正規雇用で就労することが、老親に関わる効果をもたらしていた。仮に老親介護と一定の距離があるならば、それへと向かわせる効果を断ち切る行為や、親やきょうだい間の何らかのコンフリクトが推測される。これらについては今後の課題としたい。

付記 本研究の調査対象者の方々に心より感謝を申し上げます。なお本稿は、平成26年度日本学術振興会科学研究費補助金特別研究員奨励費(課題番号:26-9973)の成果の一部である。

1 平成26年度の司法統計によると、婚姻期間20年以上(25年以上も合算して計算)の調停成立件数は5,156件で、うち財産分与の取り決めがあるのが2,631件(51.03%)となっている。本稿の対象者たちが離婚した2002年から2005年までの調停成立と取り決め件数を示すと、平成14年度は3,670件のうち1,997件、平成15年度は3,854件のうち2,025件、平成16年度は3,847件のうち1,896件、平成17年度は3,574件のうち1,669件、平成18年度は3,444件のうち1,538件となっており、財産分与の取り決めは4〜5割で推移している。
司法統計 家事事件編 離婚に伴う財産分与より
http://www.courts.go.jp/app/sihotokei_jp/list_detail?filter%5Bfreeword%5D=&filter%5Bkeyword3%5D%5B%5D=5,2015/12/15.
2 質的研究における個人情報の取り扱いは、論文等の掲載では個人が同定できないよう結果に関係しない部分の「細部の記述を変更するなどの工夫を施す」必要が指摘されており(やまだほか編 2013: 91)、本稿もそれに準じた。
3 山田・田中・大津(2013)では、介護の経常的費用を①居宅介護サービスのうち、介護保険の対象となる部分の利用者負担額の支給限度基準額内、②保険給付対象外の居宅介護サービスの利用者負担額の全額自己負担額、③居宅介護サービス以外の経常的費用で介護に直接関連する費用(流動食、介護食、寝間着や肌着・オムツなどの介護用品など)の介護関連、④居宅介護サービス以外の経常的費用で介護に直接関連しない費用(外食費、病院診療・薬剤費、通院交通費など)の介護関連以外の4つに分類している。
4 第10回「葬儀についてのアンケート調査」報告では葬儀費用の平均は、約120万円(1,222,000円)であるが(日本消費者協会 2014: 25)、葬儀の内容や葬祭業者による葬儀費用の見積もりの違い、また宗教者へのお礼や飲食費などを葬儀費用に含む/含まない、など葬儀費用そのものの範囲も定まっていないなどから、実際のところ正確な葬儀費用の平均は捉えられていないという指摘がある(碑文谷 2013; 愛宕 2014)。
5 墓地、埋葬等に関する法律施行規則によると、埋葬する者は「市町村長の埋葬又は火葬の許可を受けようとする者」と記されており親族という規定はない。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23F03601000024.html,2015/12/07.
 また健康保険法では請求により加入する被保険者が死亡したときは被保険者に生計を維持されていた者(必ずしも民法上の親族である必要はない)で、埋葬を行うものに対し埋葬料(5万円)、被保険者の被扶養者が死亡したときは家族埋葬料が支給される。同じく国民健康保険法においても、申請により加入者の死亡により葬祭を行った者に葬祭費が支給されるが、ここでも葬祭を行った者であり親族という規定はない。
健康保険法 第100条、第113条
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/T11/T11HO070.html,2015/12/13.
全国健康保険協会 被扶養者に関する給付 家族埋葬料
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat320/sb3170/sbb31713/1953-278,
2015/12/12.
国民健康保険法 第58条
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S33/S33HO192.html,2015/12/13.
6 雇用促進住宅ホームページよりhttp://www.e-d-a.or.jp/cgi-bin/fr_nyukyo_1.html,2015/12/14.

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