第2部 生存を脅かす秩序 1 扶養義務を果たさない扶養義務者の不動産相続は不公平か? ―要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付の問題点

生存を脅かす秩序

扶養義務を果たさない扶養義務者の
不動産相続は不公平か?
―要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付の問題点―

角崎洋平

1 はじめに―扶養義務未履行者の不動産相続の抑制

2013年12月、「生活保護法の一部を改正する法律」が成立し、1950年の現行生活保護制度創設以来はじめての、大幅な制度改定が実施された。この改定によって厚生労働省は、「明らかに生活保護受給者を十分扶養することができると思われる扶養義務者については、その責任を果たしていただきたい」として、扶養義務者への扶養照会を強化した(厚生労働省社会・援護局 2013: 7)。
ここでいう扶養義務者とは、民法上の扶養義務者のことである。すなわち、「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」とする第752条、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務がある」とする第877条1項、および、特別の事情がある場合に発生する3親等以内の親族間における扶養義務を定める第877条2項に基づく扶養義務者のことである。
扶養義務者に扶養義務履行の徹底をいっそう迫る施策は、2013年末になって強化されたわけではない。あまり注目されていないがすでに2007年にも、こうした施策が実施されている。それは、生活福祉資金制度の枠組みで導入された「要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付」(導入時は「要保護世帯向け長期生活支援資金貸付」)である。
この制度は、次節で解説するように、住宅を所有する要保護世帯高齢者の生活保護受給を制限し、代わりにこうした世帯に対して不動産担保貸付により生活費を供給する制度である。厚生労働省社会・援護局はこの貸付制度を前提として、「居住用不動産を有する高齢者世帯であって、本貸付金の利用が可能な者については、本貸付金の利用を生活保護に優先させ、貸付の利用期間中には生活保護に適用を行わない」としている(厚生労働省社会・援護局 2007)。この制度は当初から、居住用不動産を所有する高齢者に一律に生活保護給付を拒むという対応が憲法の最低生活保障の原理に反するという批判(木下 2007: 8; 谷村 2009: 53; 加藤・菊池・倉田・前田 2015: 375; 嵩 2015: 4など)や、高齢要保護世帯の生活保障にとって効果的ではないとする批判(坂田 2007: 17-20など)、貧困を世代間で再生産させるといった批判(九条 2007)などを受けてきた。もちろん生活保護を受給できなくなった要保護世帯へ与えるマイナスの影響は見逃せないし、それについての実証的研究も必要とされる1。
とはいえ本稿で、扶養義務履行の徹底という政策潮流を考える上で留意しておきたいのは、この制度はそもそも、不動産を所有する要保護世帯に対する制裁ではなく、そうした世帯の扶養義務者(とくに子)に対する制裁を目的としたものである、ということである。先の引用文の前に社会・援護局はこの制度が導入された背景について以下のように述べている。

生活保護制度における居住用不動産の取扱いに関しては、これまで生活保護制度の在り方に関する専門委員会や全国知事会・市長会より、被保護者に対して何の援助もしなかった扶養義務者が、被保護者の死亡時に家屋・土地を相続するような現状は、社会的公平の観点から国民の理解が得られないため、資産活用を徹底させるべきである旨指摘されてきたところである。(厚生労働省社会・援護局 2007)

問題視されていたのは、「何の援助もしなかった扶養義務者」であった。確かにこの制度は、一部の要保護世帯に生活保護を受給させず、代わりに生活福祉資金を貸付する制度であるという点で、要保護世帯高齢者の生活に影響を及ぼすものである。とはいえ後述するように、貸付金の返済期は要保護世帯の世帯主夫婦の死亡後になるため、要保護世帯自体が返済を負担するわけではない。この制度では返済は、原則として担保とした要保護世帯の不動産を売却することによって実行される。そのため、この制度の導入で最も不利益を被るのは、この制度を利用した要保護世帯の居住用不動産の推定相続人であった子(扶養義務者)である。この制度は、「何の援助もしなかった扶養義務者」の不動産相続を抑制することを意図したものである。
注目すべきは、こうした「何も援助しなかった扶養義務者」の不動産相続を抑制する措置が、そして、相続したければ親(扶養権利者)が生活保護を受給しないですむ水準まで扶養義務を履行しろと強制する措置が、「社会的公平」の名のもとに実施されている、ということである。はたしてこのような施策は「社会的公平」の観点から正当化されるものなのだろうか。
本稿は、要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付の導入根拠となった「公平性」観を、公平性の観点から問い直そうとするものである。本稿では、まず次節(第2節)で要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付の概要について説明する。そのうえで第3節では、この制度創設のきっかけとなった、社会保障審議会福祉部会の「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」の報告書やそこでの議論を確認する。すでに述べたように、ここでの「公平性」をめぐる議論が、要保護世帯の扶養義務者への相続を抑制する制度に結びついている。第4節では、第3節で確認した「公平」観を、アマルティア・センの「何の平等か」の議論における公平(impartiality)論や、ロナルド・ドゥオーキンの「平等な配慮」についての議論をもとに批判的に検討する。

2 要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付の概要

要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付は、2007年に「要保護世帯向け長期生活支援資金貸付」として導入され、2009年より現在の名称(要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付)で運用されている制度である。この制度の前身は、生活福祉資金貸付の一つとして2002年に導入された「長期生活支援資金」(現在の不動産担保型生活資金貸付)である。なお、生活福祉資金貸付とは、国・都道府県の資金補助を受けて各都道府県の社会福祉協議会が実施する福祉貸付制度である。要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付とは、その名の通り、不動産担保型生活資金貸付を、要保護世帯向けに一部制度変更して、別途設置された制度である。
不動産担保型生活資金貸付も、要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付も、生活資金を必要とする世帯が、所有する居住用不動産を担保に資金を借り入れ、貸付契約終了(原則として借受人の死亡)後、借受人が所有していた不動産を売却することで、債務を一括返済する制度である。こうした貸付制度は「リバースモーゲージ(reverse mortgage)」と呼ばれる。
不動産担保型生活資金貸付や要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付は、「一定の居住用不動産を有し、将来にわたりその住居を所有し、又住み続けることを希望する」低所得または要保護の高齢者世帯を対象にしている2。前者の対象は、市町村民税非課税世帯程度の低所得世帯であり3、後者の対象は、概ね500万円以上の資産価値の居住用不動産を持つ要保護世帯である4。以下、本稿では要保護世帯向け不動産担保型生活資金貸付を「要保護リバモ」、不動産担保型生活資金貸付を「低所得リバモ」と略して表記する。
低所得リバモの運用について福祉事務所は関与しないが、要保護リバモについては、福祉事務所が深く関与している。要保護リバモについて社会福祉協議会は、申込世帯に関する調査票や推定相続人がわかる登記簿謄本などを福祉事務所から受理しなければ借受人からの申込申請を受け付けない5。したがって、要保護リバモ借受人は、福祉事務所に生活保護相談のために訪れた者や、現に生活保護を受給している者で、福祉事務所からの斡旋を受けた者、ということになる。
その他、要保護リバモと低所得リバモの主な相違点は表1のとおりである。表1から明らかなように前者の方が後者よりも貸付へのハードルが低く設定されている。その理由は、すでに述べたように要保護リバモが、居住用不動産を所有する要保護世帯に対して生活保護給付を抑制し、推定相続人たる扶養義務者への相続を抑制するために設けられた制度だからである。要保護リバモを利用できない世帯を極力少なくすることで、これまで居住用不動産を所有していた要保護世帯へ実施していた給付型生活支援の多くを、貸付型生活支援に切り替えようとしているのである。

表1:両リバースモーゲージ制度の相違点(下線部)【省略】

3 「公平」を実現するための制度としての
要保護世帯向けリバースモーゲージ

3.1 制度の論拠としての「公平」
上述のように厚生労働省は、要保護リバモ制度創設の背景として、社会保障審議会福祉部会「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」(以下、在り方委員会)や「全国知事会・市長会」での議論があったことを認めている。本稿では2005年11月の全国知事会・市長会による提言18に先立って、2004年12月にまとめられた在り方委員会の報告書や、そこでの議論に注目する。
在り方委員会は、2003年6月の社会保障審議会の「今後の社会保障改革の方向性に関する意見」や、同月の経済財政諮問会議による「骨太の方針2003」における、生活保護制度改革の要請を受けて2003年8月に設置されたものである19(伊東 2005: 1)。この委員会は、計18回の審議を経て翌年12月に報告書を提出している。生活保護制度の「利用しやすく自立しやすい」制度への改革を掲げたこの報告書では、生活保護基準の在り方や、被保護世帯の自立支援の推進などについて提言されている(厚生労働省社会保障審議会福祉部会 生活保護制度の在り方に関する専門委員会 2004)。のちに報告書の提言は、本稿で検討する要保護リバモだけではなく、母子加算の廃止や自立支援プログラムの導入といった制度改革にも結び付いている(嶋田 2013: 37-8)。
この報告書では、生活保護制度の補足性の原理(第4条第1項)に基づく「資産の活用」の観点から、以下のように指摘されている。

居住用不動産を保有する被保護者が死亡した場合、その不動産を扶養義務者が相続することが社会的公平の観点から問題であるという指摘がある。これについては、まず、居住用不動産を保有する生活困窮者に対しては、居住用不動産を担保とした生活資金(長期生活支援資金)の貸付制度が平成14年から整備されているところであるので、その積極的な活用を推進すべきである。また、これらの不動産が相続される場合、相続人に保護に要した費用を返還させる仕組みを設けるなど、法制的な在り方を含めて今後検討を深めるべきとの意見があった。(厚生労働省社会保障審議会福祉部会 生活保護制度の在り方に関する専門委員会 2004)

「社会的公平」といった論拠によって、2002年に創設された低所得リバモの「活用」が提言されている。こうした方針から、前節で述べたように低所得リバモを「活用」したより貸付へと誘導しやすい制度として、要保護リバモが導入されたのである。
そして「公平」は、要保護リバモ制度の論拠として、制度創設後も言及されている。たとえば2010年に会計検査院は、要保護リバモの運用改善による生活保護費の削減を厚生労働省に求めている。その際会計検査院は、要保護リバモの概要・意義を確認するにあたって、在り方委員会や全国知事会・全国市長会での議論に触れ、「被保護者に対して全く援助を行っていなかった扶養義務者が当該被保護者の死亡時に土地や建物を相続することは、社会的公平の観点から問題」だとされたことを指摘している(会計検査院 2010)。
また、生活福祉資金の運用手引書である『生活福祉資金貸付の手引』の収録されている問答集では、今日でも以下のように述べられている。
本制度は要保護世帯を対象とし、被保護者の扶養義務者が被保護者に対し何の援助もしないのに、家屋・土地等だけは相続することが国民の理解を得られないことを解消するために創設するものである。(生活福祉資金貸付制度研究会 2015: 355)

ここでは「公平」という言葉こそ使われていないが、すでに「公平」の観点から問題視されてきた「被保護者の扶養義務者が被保護者に対し何の援助もしない」まま相続するということが、「国民の理解を得られない」として改めて問題視されている。「公平」や「公平」の観点から指摘された問題は、要保護リバモ導入の論拠であったのみならず、それを促進する論拠として現在も意味を持っているのである。
なおここで留意する必要があるのは、そもそも要保護リバモは、国会の審議を経て設立された制度ではない、ということである。要保護リバモを規定する生活福祉資金貸付制度要綱は、厚生労働事務次官通知によって制定・施行されている20。したがって、在り方委員会などで議論された内容はその後、国会などでの慎重な審議を経ることなく、厚生労働省の一通知によって、要保護リバモとして制度化されたのである21。

3.2 生活保護制度の在り方に関する専門委員会での議論
それではなぜこのような相続が「公平性」の観点から問題だとされたのか。この点を不明確にしたままでは、かかる「公平性」の観点からの問題提起が、的を射たものであるか否か判断できない。よって以下本節では、報告書における「公平性」の観点からの問題提起に至る、委員会での議論を確認する22。

委員会審議の後半でこの問題について集中的に議論されたのは第11回会議の中においてである。その前回(第10回)会議終盤では、京極高宣委員は以下の発言をしている。

例えば不動産ですね。これは死後、清算した場合にいわゆる行政から生活保護費用をたくさんもらっても一切それは相続人が無傷でそっくりいただくという仕掛けになっているわけです。これに関しては法的な歯止めとか、いろんな法制的な検討もしなくてはいけないと思います。ここはけじめをちゃんと付けた方がいいのではないかと。特に今の比較的高齢な方は結構資産をお持ちなので、しかし、そうは言っても生活保護費を受ける場合がある。では、家を売って何かにするということは望ましくないので、保護費を受けることはいいのですが、亡くなった後は清算をするというのは当たり前ではないかと。ここはちょっと声を大にして言っておきたいものです23。

続く第11回の会議では事務局から、論点を整理する参考資料の一つとして、「資産活用の在り方について」が提出されている。そこでは、「処分価値が一定範囲内である不動産については、保有を容認し、住居として活用することとされ、処分価値が一定範囲を超える場合には売却等の処分を行うこととされている」と現状を確認したうえで、「生活福祉資金貸付制度の長期生活支援資金の積極的な活用を考えてはどうか」という提案や、「扶養義務を履行しない親族が、死亡した被保護者の居住用不動産を相続する問題をどのように考えるか」といった問題提起がなされている24。
ここで事務局は生活保護制度の運用に際して、保有が容認される不動産と、売却しなければならない不動産があることを指摘している。生活保護法は第4条で保護を受けるための要件として、「利用し得る資産」は「最低限度の生活の維持のために活用」することとされている。しかし生活保護法の実施要領では、「処分価値が利用価値に比して著しく大きい」場合を除き、宅地や居住用の家屋は保有を容認されている25。なお谷村紀彰は、処分対象となりうる居住用不動産の価値について、2006年の「生活保護及び生活福祉資金担当全国課長会議資料」に基づき、2300万円程度以上としている(谷村 2009: 53)。ただしこの論点は後述するように後景に退き、以降「扶養義務を履行しない親族」をめぐる問題に焦点が移っていく。
事務局からの提案でもう一つ注目するべきは長期生活支援資金(低所得リバモ)の積極活用がこの時点で提案されていることである。これについて第11回会議26では大川昭博委員が、貸付利用後に生活破綻する可能性が高いという理由で、貸付制度を要保護世帯に適用することに慎重な意見を述べている。対して根本嘉昭委員は以下の意見を述べている。

不動産については、事務局が言われている長期生活支援資金の活用は非常に有効であると考えます。先ほど大川委員からそういう貸付金制度はまた破綻につながるという意見がございましたが、少なくともこういう公的資金の貸付制度に関して言えば、それほど破綻にならないのではないかと思います。その辺りについてもお示しいただければと思います。また、長期生活支援資金を活用することによって、例の遺産などの問題も相当程度解決するので、この御提案はぜひ積極的に前向きに検討したらどうかと思いました。

「例の遺産などの問題」とは、前回会議で京極委員が主張し11回会議で事務局から提出された「死亡した被保護者の居住用不動産」を扶養義務者が相続することの是非についての問題であると推察される。ただし、貸付の有効性については大川委員と根岸委員の意見は対立しているものの、扶養義務者が被保護者の居住用不動産を相続することへの疑念については、両者に大きな意見の相違はないように見える。大川委員は以下のように述べている。

相続の問題が幾つか出ています。これは法77条27の活用くらいしか、ちょっと私も妙案がないのですが、ただ法的には保有容認をした資産について、死亡時の返還規定が新設できるかどうか、あるいはその徴収や法的な強制力に対して、これは自治体ではなくて国、もっと言うなら司法サイドのいわゆる強制力をかけることが可能かどうか。これは別途取り急ぎ検討することが必要と思っています。

このような大川委員・根本委員の発言を受けて、岩田正美委員長は以下のように述べている。

高齢世帯にとって土地家屋を手放すのは、文字どおりの意味だけではなく、それまで暮らしてきた地域から切り離されることにもなります。そういう考慮の上で、2000万円くらいまでの土地家屋はそのまま居住を認めるという御判断はされていると思います。ただ、不動産は相続の問題とも絡みますので、全体的な公平性の確保の問題が出てきます。扶養の問題もですが、その辺は今まで少し矛盾があったのではないかと感じております。全体的に言えば、不動産所有を認めた場合や、扶養義務を果たさない親族が相続を要求してきたときには、少なくとも生活保護でかかったものは返してもらうというような方策が生み出せないかと思います。

今、2000万円まで認めているという運用がありますので、これを変えるのは大変難しいことです。そこは現行法規上のどういうものを使うとどういうことができるのかを、扶養義務も含めて全体的に齟齬のないように、一度もっと専門的に検討していただきたい。国民感情からいっても、被保護者の保有していた不動産が相続されていくというのは、あまりいい感情は持たないし、不公平だと思います。しかし、今困っていて、不動産というより、そこに居住したほうがいいという場合に、居住は認めるものの資産保有は留保する、さっきの預託ではありませんが、何かそういう仕組みが一つは考えられていけば、かなり自主的に入口を広くしながら、公平な扱いができる。その一つとして、貸付というのが福祉貸付の範囲であればあり得るという感じです。

岩田委員長の発言を受けて事務局である社会・援護局総務課長が、当時の長期生活支援資金(低所得リバモ)について説明しつつ、以下のように発言している。

長期生活支援資金は、住宅をお持ちであるが、そこにお住まいで、ほかに資産がなく生活することができない、生活保護に陥るといった問題に対応する制度です。そのときに、土地を担保として資金を借りて、それで先ほど言いましたが、30万なりを支給する。そうすると、住みながら資産を活用して、資金を得ていく。最終的には、資産の限度いっぱい使われるまで資産を活用して、お亡くなりになったときに最終的に精算するという制度ですから、本人が住みながら、自分の生活に資産を活用できる。仮に長期生活支援資金を活用しなければ、その資産を売るか、あるいは住むだけで生活保護に陥る。そして、お亡くなりになったときにどうなるかというと、その資産は、結局扶養義務を果たさない子供たちが相続をすることになるわけです。先ほど御意見のありました、最後の段階で資産も処分するという意味では、非常に合理的で、なおかつ本人にとって一番いい使い道の制度でございます。

以降第11回会議は、長期生活支援資金(低所得リバモ)の運用実績について話題を移し、扶養義務を果たさない相続人の相続の是非については議論されていない。その後14回会議で、第10回および第11回会議に欠席していた鈴木康裕委員から、「万が一、〔生活保護費の―筆者注〕支出を受けられている方で亡くなった場合に、その額が相続されてしまうということについてもやはり考えるべきではないか」との問題提起がなされている。その際岩田委員長は、そうした問題はすでに議論されてきたことを説明したうえで、「特に相続については、もちろん、容認しないような方向で何らかの制度的な措置をすべきだというのがここでの合意」であると説明している28。
次に扶養義務を果たさない相続人について議論が及ぶのは、委員会審議終盤の第17回会議での京極委員の発言においてである。

不動産の問題で、確かに生活保護法第4条で資産の活用が要件とされていますが、家を売って資産として活用するまでは生活保護を受けられないというわけにはいかない例もあるわけなので、そのときに活用しなくても、死後それを弁済するということも資産の活用の一つではないか。そうしないと、遺産相続人がその不動産を相続するということになるので、社会道義的に、これはやはりおかしなことです。ここのところはどこかで触れていただかないといけない29。

それ以降、扶養義務を果たさない相続人については議論されていない。そして京極委員が主張したように報告書では、「居住用不動産を保有する被保護者が死亡した場合、その不動産を扶養義務者が相続すること」を問題視する記述が盛り込まれている。
ここまで委員会では主に、要保護世帯に対する扶養義務を果たさない相続人が扶養権利者に生活保護を受給させる一方で、その死亡後に不動産を相続して利益を得るといったケースが批判されてきた。しかしここで確認しておきたいのは、在り方委員会において、そうしたケースが具体的に全国でどの程度発生していたかなど、事実を裏付けるデータなどは管見の限り提示されていない、ということである。少なくとも第10回以降の会議においてこれに関する資料提示はないし、本格的に議論が交わされた第11回会議においても、この件に関して資料や数値に基づく主張は見られない。在り方委員会では、相続権を持つ扶養義務者が扶養義務を果たさないことで、生活保護財政にどれだけ影響がでているか、こうした相続人が実際にどれだけ利益を得たのか、などということに際して、データや具体的資料に基づく検討がなされていたかは疑わしい。

3.3 何が「不公平」とされたのか
在り方委員会で議論され、報告書にも盛り込まれていた「社会的公平」というのは何を意味していたのか。委員会のなかでかかる問題を「公平」という言葉を使って議論していたのは岩田委員長のみである。しかし岩田氏は委員長として全体の議論をまとめつつ発言しており、在り方委員会としての最終報告書でも「不公平」との指摘がされているので、岩田氏の発言のみならず、各委員の発言を踏まえつつ、ここで議論されていた「不公平」をとらえる必要があろう。
その「不公平」問題の焦点は、やはり「相続」をめぐる問題であったといえよう。委員会では、おおよそ2000万円以上の不動産は保有を認められないが、おおよそ2000万円未満の不動産は保有を認められる、という取扱いについても議論されてはいる。しかし岩田委員長はこれについて「変えるのは大変難しい」とし、議論を「扶養義務」や「相続」の問題に進めている。京極・大川・根本各委員の発言の焦点もやはり、相続に関する問題に当てられている。
こうした議論のなかで長期生活支援資金貸付(低所得リバモ)も取り上げられている。ここでリバースモーゲージのような貸付制度は、高齢要保護世帯が、従前の居住地を手放すことなく生活保障を受けられる制度として注目されている。事務局のリバースモーゲージ制度についての発言は、高齢要保護世帯の生活に悪影響を及ぼさないことを前提として、「扶養義務を果たさない子供たちが相続」することを防ぐ制度として、この制度を肯定的に評価するものである。
岩田委員長のみならず、委員の、扶養義務を果たさない相続人を批判する舌鋒は鋭い。「行政から生活保護費用をたくさんもらっても一切それは相続人が無傷でそっくりいただく」(というのは問題だ)。「国民感情からいっても、被保護者の保有していた不動産が相続されていくというのは、あまりいい感情は持たない」。「結局扶養義務を果たさない子供たちが相続をする」(ことは問題だ)。「社会道義的に、これはやはりおかしなことです」。あり方委員会では、こうした主張に反論する他の委員からの発言はみられない。
こうした点を鑑みれば、在り方委員会で問題視された、その後の要保護リバモ制度に結びつく「不公平」問題の焦点には、以下のような考えがあったと推察できる。すなわち、扶養義務を履行している扶養義務者がいるにもかかわらず、扶養義務を果たさないで親(扶養権利者)を困窮させ、その親族に生活保護を受給させたうえで自らが不動産を相続する者が存在することは「不公平」である、と。扶養義務を履行することで行政に負担をかけないでいる(親に生活保護を受給させないでいる)者がいる一方で、扶養義務を履行しないで行政に負担をかける(親に生活保護を受給させる)者がいる。前者は親のために誠実に苦労しながらも扶養義務を履行しているのに、後者は扶養義務を無視して履行せずにいる。にもかかわらず両者とも親の不動産を相続することができる。こうした制度運用は「不公平」である、と。

4.要保護世帯向けリバースモーゲージ制度は公平か?

4.1 制度が「公平」であるための条件
在り方委員会が問題視していたのは、現状の制度運用が、どちらか一方に肩入れしている(えこひいきしている―partiality がある)ということであろう。民法上、扶養が義務付けられているにもかかわらず、その履行をした者もしなかった者も等しく相続を受けられるとするならば、「扶養義務を履行すべし」という規範に鈍感な者が必要なコストを払わずに利益だけ受け取ることになってしまう。しかもかかる社会規範に鈍感な者は、自分のかわりに納税者に自分の親の扶養に必要なコストを払わせた上で、その親の財産を相続している。これでは義務を果たさず生活保護制度にいわばフリーライドする者が、納税者の負担で利益を得ることになってしまう。在り方委員会はかかる「えこひいき」「フリーライド」を除きたかったのであろう。目指されていたのは、partialityの除去(すなわちえこひいきが無い状態―impartiality)であり、不偏性(impartiality)としての公平性(impartiality)の達成である。
アマルティア・センは、社会規範の一般的な要件として公平性(impartiality)が要求されることを指摘したうえで、公平性とは、「ある主要な方法での平等な配慮(equal concern)という特徴を含んでいる」としている(Sen 1992: 18)。なぜ公平であるために平等な配慮が必要なのか。センは以下のように述べている。「社会的なことがらに関する倫理的根拠が何らかの妥当性を持つためには、その根拠はある側面ですべての人々に等しく基本的な配慮をしなければならない。もしそのような平等性がなければ、その理論は恣意的に差別を行っていることになり、正当化することが難しくなる」(Sen: 1992=1999: 23)。
ロナルド・ドゥオーキンも、「平等な配慮(equal concern)」について、「これなしでは政府の支配は単なる暴政にすぎない」と述べ、これを「政治共同体の至高の徳(sovereign virtue)」だとしている(Dworkin 2000=2002: 7)。政府の施策は、施策の対象者すべてに対して、かれらを平等な配慮のもとに扱っている、と説明しうるものでなくてはならない。そういう意味で平等な配慮とは、ドゥオーキンによれば、政治的正当性の前提条件である(Dworkin 2000=2002: 8-9)。
いかなる規範的主張であっても、公平であり政治的正当性を持つためには、何らかの基準で平等性を達成していなければならない。センによればその平等性の基準とは、ジョン・ロールズにおいては基本財の平等であるし、ロナルド・ドゥオーキンにおいては資源の平等である。またセンは、もっとも反平等主義だと考えられているリバタリアニズムであっても、リバタリアニズム的権利の平等は目指されているし、最大化理論であると考えられている功利主義においても各人の効用の増分に等しいウエイトを置いているという点で平等性に配慮している、と述べる(Sen 1992=1999: 18)。
したがって、ある社会制度が公平性の観点から正当性を持つためには、少なくとも以下の二つの条件を満たさなくてはならない。第1に、社会制度は、対象となる人々を、少なくとも何らかの平等基準に即して、等しく扱うものでなくてはならない。どのような平等基準を採用するにしても、それに基づく社会制度は、対象となるすべての人を、等しく扱うものである必要がある。特定の個人や集団にのみにルールを厳格に適用し、その他の人々に適切な理由なくそのルールの適用を免除するならば、それはダブルスタンダードであり、不公平な社会制度の誹りを免れない。平等基準Oに基づき導入されたルールR―条件Xを履行する限りにおいて権利Yが保障される―があるとする。このとき、集団Aも集団BもXをしているのに、集団Aのみが権利Yを認められるということは、公平ではない。
第2に、社会制度を評価するために採用される基準は、対象となる人々を、基本的な面で平等に配慮するものでなければならない。「平等に配慮する」ということは単に平等に扱う、ということを意味しない。ダブルスタンダードがない、ということは社会制度が公平であるための最低限の必要条件にすぎない。いっそう重要なのは、社会制度を評価するにあたって、どのような基準を採用すれば、人々を個人として(または市民として、または有感生物として)平等に扱ったことになるのか、ということである。センが提示し、その後の平等主義をめぐる議論に影響を与えた「何の平等か(equality of what)」という問題とはまさに、何を基準にして人々を評価すれば、人々を最も基本的な面で平等に配慮したことになるのか、という問題である。「何の平等か」が問題になるのは、人間には幅広い多様性があり、ある基準での平等は他の基準での不平等を伴いがちであるからである(Sen 1992=1999: 25-27)。集団Aと集団Bは、平等基準Qで評価されたときには平等であるが、平等基準Pで評価してみると不平等であるかもしれない。このとき平等基準Qを、制度評価の基準として採用するならば、なぜ平等基準Qが、人々を基本的な面で等しく配慮している基準だといえるのかが問われなくてはならない。

4.2 「相続権を奪われたくなければ、扶養義務を履行せよ」というルールの不徹底
以上の点を踏まえてわれわれは、要保護リバモを公平な制度であるとして評価することができるのだろうか。在り方委員会が問題視していたのは、扶養義務を果たさないのに不動産を相続する者が存在することであった。上述のように、そうした問題を解消する制度として要保護リバモが導入された。したがって要保護リバモ制度は、〈扶養義務を果たすという前提で、相続権を平等に保障する〉という平等基準に基づいて、〈親(扶養権利者)の保有する不動産の相続権を奪われたくなければ、扶養義務を履行せよ〉という基本ルールを内包する制度である必要がある。かかる制度が「公平な制度」として評価されるためには、まず、この基本ルールが、すべての人に等しく適用されるものでなければならない。
しかし、要保護リバモは、一部の扶養義務を履行した相続人からも、相続権を奪うものである。木下秀雄が指摘しているように、扶養義務者が自らの資力に応じて扶養義務を履行したとしても、親が要保護状態から脱しなければやはり生活保護受給の前に要保護リバモ利用を迫られることになり、実質的に相続権を奪われるからである(木下 2007: 7)。したがって、同様に扶養義務を履行したにも関わらず、相続権を奪われる者と奪われない者が現れるのであり、〈親の保有する不動産の相続権を奪われたくなければ、扶養義務を履行せよ〉というルールはすべての人に適用されているわけではないことになる。上述のように要保護リバモは、扶養義務を果たさない相続人への批判から生まれた制度であるにもかかわらず、そうした批判を踏まえたルールすらも徹底されていない。
「親を要保護状態から脱却させなければ扶養義務を履行したことにはならない」という主張をする者もいるかもしれない。しかしそのような扶養義務理解は民法理解として適切ではない。通説では扶養義務は、生活保持義務と生活扶助義務に区分される。前者は、夫婦間の扶養義務と親の未成熟子に対する扶養義務を含むものであり、後者はそれ以外の民法第877条1項・2項に基づく扶養義務を指す(近畿弁護士会連合会編 2014: 37-38)。在り方委員会で問題視された扶養義務とは、高齢親に対する子の扶養義務のことであり、生活扶助義務に該当するものである。そして生活扶助義務とは、自己に余力がれば援助する義務であるとされており(二宮 2013: 248)、自己の生活を犠牲にしてまで親族を扶養することを求めるものではない。
したがって要保護リバモは、〈親の保有する不動産の相続権を奪われたくなければ、扶養義務を履行せよ〉というルールをすべての人に適用していない不徹底なものであり、公平であるための最低限の条件すらも充たしていない。

4.3 「親に生活保護を受けさせない義務」と「親を扶養する義務」
とはいえ以下のように要保護リバモのルールを再解釈すれば、公平性についての最低条件は充たすことになる。すなわち要保護リバモ制度が内包するルールを、〈親の保有する不動産の相続権を奪われたくなければ、親に生活保護を受給させてはならない〉というものだと再解釈するのである。在り方委員会の報告書にはこのように書かれているわけではない。しかし在り方委員会の議論から生まれた要保護リバモは事実上このような制度として運用されている。さらにいえば委員会での議論は、繰り返し、被保護者の所有不動産が相続されるということ自体について問題視している。
確かに要保護リバモの再解釈ルールは、ルールをすべての人々に適用するものである。第1節で確認したように厚生労働省は、「居住用不動産を有する高齢者世帯であって、本貸付金の利用が可能な者については、本貸付金の利用を生活保護に優先させ、貸付の利用期間中には生活保護に適用を行わない」としている。そのためかかる世帯は、生活保護を受給する前の時点で既に要保護リバモを利用し終わっており、結果として扶養義務者に相続させる財産を失っている。
こうしたルールの背景となる平等基準とは〈親に生活保護を受給させないことを前提に、相続権を平等に保障する〉というものとなろう。それでは、この基準は、人々を基本的な面で平等に配慮するものだろうか。また親に生活保護を受けさせた世帯を不平等に扱うことは、別のより重要な面で人々に平等に配慮したものとなるのだろうか。
親に生活保護を受けさせない、ということがどういうことか再確認しよう。これは単に扶養義務を果たす、ということを意味しない。民法で規定されているところの扶養義務を果たしたところで、親の要保護状態が深刻だったり、自分に経済力がなかったりすれば、精一杯親の扶養に努めたとしても、親の要保護状態を解消することはできない。親が要保護状態にあるAとBがいるとして、AもBも同じ金額の仕送りをしていたとする。また、AはBよりも貧しく、AはBと同一金額の仕送りをするためにBよりも努力や苦労をしていたとする。このとき、B親の方が要保護状態は軽度でその仕送りによって要保護状態を脱したが、A親の要保護状態は深刻でその仕送り額では要保護状態を解消できなかったとする。このときでも、相続権を実質的に剥奪されるのはAである。AとBは同一金額の仕送りをしていたにもかかわらず、しかも、BよりもAの方が仕送りに向けて努力と苦労を重ねていたにもかかわらず、である。要するに、親を要保護状態から脱却させられるかどうかは、親の経済状態に依存するところが大きいのである。
子が、親の経済状態をコントロールすることはできない。子は、親がどのような経済状況にあるかどうか判断して生まれてくることができない。また子は、成人前であっても後であっても、親の経済活動に際して口をはさむことは難しい。にもかかわらず、たまたま生活状態の厳しい家庭に生まれたというだけで、たまたま経済的に不遇な親を持つというだけで、たまたま親の家計管理能力が低いというだけで、不動産の相続を禁止する、場合によっては生まれ育った土地から切り離すべきだ、という考えは、生まれ落ちた階級によって特定の権利を認めたり認めなかったりする階級社会の考え方と大差ない。
要するに〈親に生活保護を受給させないことを前提に、相続権を平等に保障する〉ということは、生まれ育った階級・階層で人を差別することにつながりかねないものである。これは、親の貧困状態に対する責任を、子に連座させて取らせるものである。ここには「子」を一つの人格として配慮する視点はない。こうした平等基準は、人をそれぞれ別個の人生を生きる独立した個人として尊重してさえもいない。ゆえにかかる基準は、すべての人々を個人として平等に配慮しているとは言い難いものである。
そうした意味では前項で退けた〈親の保有する不動産の相続権を奪われたくなければ、扶養義務を履行せよ〉というルールの背景にある、〈扶養義務を果たすという前提で、相続権を平等に保障する〉という基準も、人々を平等に配慮するものではない。親に対する生活扶助義務としての扶養義務が、潜在的にすべての人にあるとしても、その義務履行が顕在化するのは、扶養権利者(親)が生活に困窮する「要扶養状態」に陥った場合である(二宮 2013: 249)。したがって事実上生活扶助義務の履行を要求されるのは、やはりたまたま貧しい親のもとに生まれた者に限られる。たまたま貧しい親のもとに生まれた者に、そうでない者には事実上課していない義務を課し、そうした義務を履行せねば、他の者と同等の権利を保障しない、という主張を、どう解釈したら、人を独立した個人として尊重し平等に配慮している主張であると理解することができるのだろうか30。

5.おわりに

「公平」の名のもとに導入された要保護リバモは、公平な制度ではない。なぜならば第1に、要保護リバモ制度は、制度導入の根拠であったはずの〈親の保有する不動産の相続権を奪われたくなければ、扶養義務を履行せよ〉というルールを対象者に等しく適用するものではないからである。要保護リバモは、扶養義務を履行した一部の扶養義務者からも実質的な相続権を奪うことさえある。
第2に、〈親に生活保護を受給させないことを前提に相続権を平等に保障する〉ということも、〈扶養義務を果たすということを前提に相続権を平等に保障する〉ということも、人を平等に配慮するものでは全くないからである。要保護リバモは、要保護世帯が困窮状態に陥った責任を、たまたまそうした世帯に生まれ落ちたにすぎない子に取らせるものである。こうした施策は一人の子を、独立した個人として尊重していないし、一人の市民として平等に配慮していない。
在り方委員会の委員長であった岩田正美はその後の著書で、在り方委員会でも議論された「母子加算」についての議論に触れ、「ある特定層を対象とした福祉施策には必ずその批判として公平論がつきまとう」と述べ(岩田 2007: 202)、以下のように続ける。

これらは実は生活保護を受けている貧困層と受けていないそれとの間の公平論に過ぎない。決して、もっと豊かな層との公平論は出てこない。豊かな層から出てくるのは公平論ではなく、納税者としての苦情である。(岩田 2007: 203)

在り方委員会での「扶養義務を果たさない相続人」に対する議論とは、「公平論」ではなく「納税者の苦情」であったという方がよいだろう。在り方委員会では「扶養義務を果たさない相続人」に対して厳しい批判がなされたが、上述のようにそれは、具体的なデータや資料を踏まえてのものではおそらくない。在り方委員会が、扶養義務を果たさない相続人(実際は被保護者の相続人)に不動産相続を認めることの問題と、それを実質的に禁止することの問題点を比較して、慎重に検討したとは言い難い。議事録を読むと、「行政から生活保護費用をたくさんもらっても一切それは相続人が無傷でそっくりいただく」のは問題だ、という「苦情」(議事録での岩田委員長の言葉でいえば「国民感情」に基づく批判)が、あたかも生活保護制度を揺るがす問題であるかのように委員の間で次第に浸透していったように思える。そういう意味で委員会の議論は、こうした納税者の苦情―より正確にいえば、ほとんどの国民は消費税負担をしているので高額納税者の苦情―を忖度し、そうした苦情に「公平」というもっともらしいヴェールを被せたのである。そしてそれが問題含みの制度を「正当化」する論拠となってしまった。
確かに「高額納税者」は以下のようにいうかもしれない。「親が生活保護を受給しているということは、国があなたにかわって扶養義務を代行していることを意味する。したがってあなたは国から利益を受けとっているのだ。だからその費用を弁済するのは当然であると」。こう批判する者は、自分が努力すれば豊かな生活を送ることが期待できるような家庭に生まれ、自らの能力をはぐくむことができるような社会的機会に恵まれたという僥倖をどのように考えているのか。自らの受け取る利益には頬かむりし、他人の利益について過敏に反応して申し立てられる「苦情」をこそ、公平の視点から退けるべきであった。
2007年の岩田は、「公平」や「平等」という議論に準拠するだけでは、低い水準での「公平」や「平等」に引きずられてしまうことを懸念している(岩田 2007: 202-5)。確かに母子加算はそうした議論に引きずられて一旦は廃止されている。岩田はむしろ生活水準の「あってはならない状態」の社会的価値判断の引き上げの重要性を説いている(岩田 2007: 205-6)。しかし仮に、「公平」や「平等」を重視する主張からは、「あってはならない状態」を引上げすべし、という結論が導かれないとしても、「公平」ということを等閑視してよい理由にはならないだろう。もちろん岩田は等閑視してよいなどとは言っていないが、結果として在り方委員会の「扶養義務を果たさない相続人」批判は、親が貧困状態にある者に不公平な義務を課す制度に結びついている。要保護リバモのような不公平を容認したままで「あってはならない状態」の引き上げをしたところで、社会における貧困も、世代間にわたる貧困の再生産もなくならない。

付記:本稿は、日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号15K17238および15J10975:研究代表者・角崎洋平)による研究成果の一部である


1 筆者と村上慎司は、この制度の現状の運用実態について、全国の都道府県社会福祉協議会に対してアンケート調査を実施し、その分析によってもいくつかの問題点を明らかにしている。詳細については後日論文として公表予定である。なおこの研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号25885103:研究代表者・角崎洋平)およびユニベール財団「『健やかでこころ豊かな社会をめざして』を基本テーマとした研究助成金」(研究代表者・村上慎司)の支援を受けて実施されたものである。
2 生活福祉資金貸付制度要綱 第4の4(1)(2)
3 生活福祉資金貸付制度要綱 第4の4(1)オ
4 生活福祉資金貸付制度要綱 第4の4(2)
5 生活福祉資金(要保護世帯向け不動産担保型生活資金)運営要領第2の1
6 生活福祉資金貸付制度要綱 第5の4(1)
7 生活福祉資金貸付制度要綱 第5の4(2)
8 生活福祉資金貸付制度要綱 第5の4(1)
9 生活福祉資金貸付制度要綱 第5の4(2)
10 生活福祉資金貸付制度要綱 第17の1(1)ウ
11 生活福祉資金貸付制度要綱 第17の1(2)
12 生活福祉資金(不動産担保型生活資金)貸付運営要領 第12
13 生活福祉資金貸付制度要綱 第14の4
14 生活福祉資金貸付制度要綱 第5の4(1)イ
15 生活福祉資金貸付制度要綱 第5の4(2)ウ
16 生活福祉資金貸付制度要綱 第4(1)ウ・エ
17 生活福祉資金貸付制度要綱 第4(2)ウ
18 以下のように提言されている。「被保護者の扶養義務者が、被保護者に対して何の援助もしないのに、家屋・土地等だけは相続するような現状は、国民の理解が得られない。このため、資産活用を徹底し、自宅資産(家屋・土地)からの費用徴収(リバースモゲージ)の実施を検討する必要がある」(全国知事会・市長会 2005: 3)。
19 委員は岩田正美委員長(日本女子大学)をはじめ以下の通り(50音順、肩書は報告書提出時点)。石橋敏郎(熊本県立大学)、大川明博(横浜市福祉局ソーシャルワーカー)、岡部卓(東京都立大学)、京極高宜(日本社会事業大学)、後藤玲子(立命館大学)、鈴木康裕(栃木県保健福祉部長)、田中亮治(全国救護施設協会会長)、根本嘉昭(神奈川県立保健福祉大学)、八田達夫(国際基督教大学)、布川日佐史(静岡大学)、松浦稔明(全国市長会文教委員会委員長、坂出市長)。
20 現行の要綱は、「平成21年7月28日厚生労働省発社援0728第9号」で各都道府県知事宛てに発令された事務次官通知を「平成27年3月12日厚生労働省発社援0312第11号」によって改正したものである(生活福祉資金貸付制度研究会 2015: 56)。
21 なお江口英一は1972年当時(当時は世帯更生資金貸付)から、この制度が「通達」「通知」によって運営されていることを批判していた(江口 1972: 29-30)。この制度が法制化されなかった経緯・理由については角崎(2016)を参照のこと。
22 2015年11月30日現在、生活保護制度の在り方に関する専門委員会の、第9回以前の議事録および提案資料については、保存期間経過後廃棄されており、確認することができない(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/shingi-hosho.html?tid=126701)。したがって本小節は第10回以降の議事録および配布資料をもとに記述されている。〈誰が最初に「不公平」だと言い出したのか〉、〈誰がリバースモーゲージ制度の活用を積極的に主張したのか〉を確認し、この制度創設に関して影響力のあった個人・組織を問責するのであれば、全回にわたる議事録・資料の確認は不可欠である。しかし本稿の目的は、当委員会の報告書において「社会的公平」という言葉で問題だといわれている現状が、どのような意味で問題視されていたのかを確認することにある。したがって、最終的な報告書作成に向けて集約されつつある後半の議論を確認するだけでも、問題となっている「社会的公平」が具体的に何を問題視しているのかを理解することができると考える。
23 2004年4月20日第10回社会保障審議会福祉部会 生活保護制度の在り方に関する専門委員会議事録(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/04/txt/s0420-2.txt,2015年11月30日最終閲覧)
24 第11回会議説明資料「資産活用の在り方について(各論)」(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/05/s0518-4b2.html,2015年11月30日最終閲覧)
25 「生活保護法による保護の実施要領について(昭和36年 厚生省発社第123号各都道府県知事、指定都市市長宛厚生事務次官通知)」の第3の1(1)・2(1)。
26 以下のすべての第11回会議での各委員の発言は下記より。2004年5月18日 社会保障審議会福祉部会生活保護制度の在り方に関する専門委員会第11回議事録
(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/05/txt/s0518-3.txt,2015年11月30日最終閲覧)
27 生活保護法第77条では第1項で、「被保護者に対して民法上の規定により扶養の義務を履行しなければならない者があるときは、その義務の範囲内において、保護費を支弁した都道府県又は市町村の長は、その費用の全部又は一部を、その者から徴収することができる」と定めている。
28 2004年7月14日 社会保障審議会福祉部会生活保護制度の在り方に関する専門委員会第14回議事録(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/txt/s0714-1.txt,2016年1月5日最終閲覧)。
29 2004年10月27日 社会保障審議会福祉部会生活保護制度の在り方に関する専門委員会第17回議事録(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/10/txt/s1027-2.txt,2016年1月5日最終閲覧)。
30 逆に、「たまたま貧しい親のもとに生まれた」という偶然性に人生が左右されるのを放置するべきではない、ましてやそうした偶然性の影響を政策によって強化すべきではないとする考えは、人々を平等に配慮しようとする多くの規範理論と親和的である。たとえばこうした考えは、「社会的な偶発性および自然本性的な運/不運が分配上の取り分に及ぼす影響力を緩和・軽減しようとする」ロールズの正義の理論(Rawls 1999=2010: 98-100)―ロールズはさらに能力や才能の分布さえも偶然的なものだと考えている(Rawls 1999=2010: 100)―と親和的である。またこうした考えは、法や政策が、人々の経済的背景や人種や性別などといった自分の選択では変更できない運命的な事情に基づいたり、そうした運命的事情を強化するものであったりしてはならないとする、責任感応的平等主義(運の平等主義)(Dworkin: 2000=2002: 14など)とも合致する。責任感応的平等主義と多くの面で対立するエリザベス・アンダーソンの民主主義的平等論でさえも、こうした考えと両立するだろう。民主主義的平等論の目標の一つは、生まれや代々受け継がれるような社会的地位に基づく差別を除去するところにあるからである(Anderson 1999: 312)。なお、こうした考え(とりわけロールズの理論や責任感応的平等主義)をより徹底させるならば、「相続」という制度自体を見直す必要も出てくるのではないかとの指摘があるかもしれない。確かに、たまたまある親のもとに生まれたという偶然性自体を除去もしくは緩和するべきだとするならば、すべての人に対して財産相続を禁止または制限すべきだ、という主張もありうる。ここでこの指摘を詳細に検討することは本稿の課題を大きく超えるが、筆者は基本的にそうした指摘に同意する。しかしそのうえで、貧しい親のもとに生まれた者のみを狙い撃ちにするかのような施策は、上記のいかなる規範理論と照らしても、すべての人々に相続権を認める施策よりもはるかに問題含みである、と付言しておきたい。

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