第1部 生存をめぐる規範 3 科学的管理法における視覚化概念 ―F・B・ギルブレスとL・M・ギルブレスの動作研究を中心に

生存をめぐる規範

科学的管理法における視覚化概念
―F・B・ギルブレスとL・M・ギルブレスの動作研究を中心に―1

篠木 涼

0. 序論

フランク・バンカー・ギルブレスFrank Bunker Gilbreth(1868-1924)、リリアン・モラー・ギルブレスLillian Moller Gilbreth(1878-1972)夫妻の動作研究について視覚文化論的な研究が行われてきている。ギルブレス夫妻の動作研究は、フレデリック・ウィンスロー・テイラーの時間研究に続く最初期の科学的管理法である。その動作研究が、労働者の動作の記録と教育の手段とした写真や映画などのイメージ装置をめぐって研究が行われているのである。なぜ工場での労働を写した写真や映画が関心を呼んでいるのか。それは、ギルブレス夫妻が作り上げた写真や映画が、19世紀後半の連続写真、とりわけフランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレーによる連続瞬間写真と類似したものであったからである。一連の動作を一枚の写真に収めようとすることで、運動の軌跡が具体的な環境のなかに抽象的な曲線として現れてくるイメージを作り出したからである。
本論は、このようなギルブレス夫妻の動作研究において制作されたイメージに用いられた視覚化(visualization)概念を検討する。ギルブレス夫妻は、1910年代後半から1920年代前半にかけての動作研究の理論において、視覚化という概念を特徴的な仕方で用いている。しかも、本論で検討するように、ギルブレス夫妻の動作研究を理解するためには、視覚化概念は欠くことはできないものとなっている。しかし、これまでの動作研究をめぐる視覚文化論的な研究は、彼らの制作したイメージとそれを生み出す装置を重視する一方で、背景にある視覚化概念については考察してこなかった。以降では、背景となる科学論と視覚文化論の議論を概観し、動作研究についての先行研究を整理した上で、ギルブレス夫妻による視覚化概念がどのようなものであるのか考察を行う。

1. 科学史と視覚文化論における視覚化

視覚化概念は、科学論と視覚文化論が対象としており、二つの研究領域が重なる分野となっている。まず、科学人類学者のB・ラトゥールが、「視覚化と認知」と題した論文において、視覚化を科学者の実践のなかで生まれてくる「インスクリプション」として論じている(Latour 1986)2。ラトゥールは、科学論の研究方法として、科学の営みにおいて生み出される一連の「インスクリプション」の研究を提案している。インスクリプションの研究は権力などの社会的存在に関してアプローチする方法と、人間の認知の仕方からアプローチする方法の中間をなすものだというのである。インスクリプションに焦点を当てることは、たとえば、近代の官僚制のような制度の経験的研究に資することにもなると述べる。「権力について語ることは終わりのない神秘的な課題である。他方で、距離、収集、正確さ、総括、伝達について語ることは経験的な課題」(Latour 1986: 29)であり、このような経験的課題の探求にインスクリプションは手がかりとなるというのである。彼の考えるインスクリプションとは、科学の営みのなかで用いられる文書、図像など何か情報を記入されたもののことである。具体的なモノとしては、「図形、決り文句、公文書、工業用製図、ファイル、方程式、辞書、コレクション」(Latour 1986: 4)などが挙げられる。ラトゥールが、これらインスクリプションが重要だというのは、次のような性質をもつからである。第一に、自然の対象から人工的存在へと人工的存在から対象へという双方向に移転や翻訳が可能であるという「視覚的一貫性」という性質である。第二に、それ自体として変化を被ることなく時間的空間的に移動可能である「不変的移動体」であるという性質である。すなわち、インスクリプションとは、「移動可能であるが、しかし不変で、提示可能で、読解可能で、互いに結合可能であるという性質をもつ対象」(Latour 1986: 7)なのである。
ラトゥールがインスクリプションという具体的な物に焦点を当てたのに対して、美術史家のJ・スナイダーが、「視覚化と可視性」と題したエティエンヌ=ジュール・マレーをめぐる論文において、視覚化と人間の知覚や想像力との関係に焦点を当て分析を行っている。スナイダーは、科学史家のL・ダストンとP・ギャリソンによる論文「客観性のイメージ」を前提に、そこでのマレーの扱いを批判することで議論を展開している。そのため、まずダストンとギャリソンの議論を整理する必要がある。
ダストンとギャリソンは、客観性という概念が伝統的に非歴史的に扱われてきたことを批判し、むしろ客観性という概念は歴史のなかで形成され変容してきたものであると主張する(Daston & Galison 1992)。19世紀後半を通じて20世紀初頭にまで流通した客観性概念は、主観性との対比から導き出されるもので、観察や測定などの科学的認識の手続きから機械を用いて人間の主観性を排除することで成り立っていると述べ、それを非介入的客観性あるいは機械的客観性と名づけるのである。そして、非介入的客観性あるいは機械的客観性を確立するため、イメージとそれを制作する装置が重要な役割を果たしたと指摘する。ダストンとギャリソンは、この議論を行う論文の冒頭において、マレーを事例として登場させていた3。
スナイダーは、ダストンとギャリソンの主張の大枠には同意しつつ、マレーには非介入的、機械的客観性という観点からは捉えられない点があると主張する。すなわち、マレーのクロノフォトグラフィーには、人間を機械に置き換えるというだけではない、機械によって新たに生み出される領域があるというのである。クロノフォトグラフィーにおけるイメージは、人間に知覚される景色の再現を超えて、それなしには人間が知覚することのできないようなイメージを作り出しているというのである。スナイダーは、人間が自身の目で知覚する運動と、クロノフォトグラフィーによって表される運動のイメージとの違いを埋めるために、マレーが観察者の想像力を要請している点を指摘している。マレーのクロノフォトグラフィーの理論と実践には、非介入的、機械的客観性へと向かう測定と記録の面、人間の想像力の介入へと向かう記録された運動の理解と教育の面があるというのである。そしてスナイダーは、このマレーの二つの方向を、それぞれ視覚化(visualization)と可視性(visibility)と呼んでいる3。
知覚と想像にかかわる同様の問題を、ニューメディアの作家・理論家のレフ・マノヴィッチによる論文「視覚化とは何か」に見て取ることができる。マノヴィッチは、18世紀後半から、コンピュータやインターネットを用いた21世紀初頭までの情報の視覚化(information visualisation)の歴史をまとめ検討している4。マノヴィッチによれば、情報の視覚化とは、「個別のデータと視覚表象との間での変換」である(Manovich 2011: 37)。情報の視覚化には、次の二つの特徴があるとしている。第一に、データとなる情報を幾何学的な図形などの視覚表象へ還元すること、第二に、これらの視覚表象を操作しその違いとパターンを明らかにする空間的な操作を行うことである。
マノヴィッチは、近代の情報の視覚化を整理し新たな実践の意義を確立する上で、視覚化概念自体についても考察を行っている。次のように述べる。

「視覚化する(visualise)」という言葉の意味には、「可視化する(make visible)
」ことと「心的イメージを形成する(make a mental image)」ことが含まれている。このことが含意するのは、われわれが何かを「視覚化する」までは、この「何か」は視覚的形態(visual form)をもたないということである。この「何か」は視覚化の過程を通じてイメージとなるのである。(Manovich 2011: 41)

マノヴィッチの視覚化概念には「可視化する」だけではなく「心的イメージを形成する」ことが含まれている。物理的身体的な知覚ないし視覚に捉えられるようにする「可視化」と、目による物理的身体的な知覚の対象ではない「心的イメージ」の両方を、視覚化概念に含み入れているのである。スナイダーとマノヴィッチでは概念の使い方にずれがあるが、いずれも視覚化という言葉をめぐって考えを進める際には、知覚されるものと想像されるもの、物的なものと心的なものが、区別されるとともに結びついてもいる、そのような事態が想定されているのである。

2. 視覚文化論におけるギルブレスの動作研究

以上、視覚化概念について検討を行ってきたが、ここからは、ギルブレス夫妻の動作研究と科学的管理法について確認し、その視覚文化論における先行研究を整理していく。
科学的管理法は、機械工を経て技師となったテイラーが、19世紀後半からの機械工の生産性向上をめぐる研究から提唱した管理の理論である。科学的管理法が対象とした労働は、多くの場合、工場などでの労働であり、身体的な労働であった。テイラーの科学的管理法は、時間研究(time study)と呼ばれるもので、以下のように要約できる。まず、労働者の作業を細かく分節化し、それぞれの時間を測定する。この分節化と測定に基づいて、作業に不必要と思われる要素を省き、必要となる作業時間の標準を計算する。そして、この標準的な作業時間を実現する作業のモデルを作り、それにしたがって労働者が作業を行うことで効率性を実現するというものである。科学的管理法には、ここに、標準化された方法に基づいて作業すると賃金が上昇するなど適切な動機づけを労働者に与えること、それによって「組織的怠業」を避けるといったことも含まれる。
テイラーの科学的管理法、時間研究を踏まえつつ、フランク・バンカー・ギルブレスは、独自に研究を始め動作研究を提唱した。彼の動作研究も、テイラーと同様、労働者の作業の時間を測定し、標準的な作業時間を計算して、作業方法と作業環境のモデルを作ることで、効率化を実現しようとする。いずれも身体的な作業を想定している。ただし、どのように効率的な作業のモデルを考えるのかにおいて大きく異なっている。テイラーにとって、効率的な作業のモデルとは、身体の動作を要素へと分節化して、そこから不必要なものを抜き、改めて組み合わせることで形成されるものである。対して、ギルブレスにとって、効率的な作業のモデルとは、作業する身体の可能な動作のなかから見つけ出される、もっとも運動量が少なく、時間がかからないような動作の軌跡である。効率化のモデルとして考えられているのが、要素の組み合わせか、動作の軌跡かという違いがある。ギルブレスは、自身の効率化を「最良の方法(One Best Way)」と呼び、スローガンとした。具体的な二人の関係をみると、ギルブレスは、先に科学的管理法の理論家実践家として知られていたテイラーの熱心な支持者であったが、彼とは独立に自身の研究を進めてきており、次第にテイラーの後継者とギルブレスの関係は、協力的というよりも競合的な関係へと移っていったとされる(Sheldrake 2003)。
動作研究は、当初はフランク・ギルブレスが独自に研究を始めたものである。しかし、1904年にリリアン・ギルブレスと結婚し、1924年に彼が亡くなるまで二人は協働して活動を行った。リリアン・ギルブレスはアメリカにおける最初期の産業心理学者のひとりであり、本論が扱う動作研究の主要な研究は共著である(そのため、以降、本文中で「ギルブレス」と表記する際は、特に注記のないかぎり「ギルブレス夫妻」を指す)。そして彼らは写真や映画をもちいて「最良の方法」を示そうとする動作研究を、1910年代に開始し、1917年の『応用動作研究』(Gilbreth & Gilbreth 1917)5と1920年の『障害者のための動作研究』(Gilbreth & Gilbreth 1920)にまとめあげた。
とはいえ、経営学史のブライアン・プライスによれば、映画や写真などのイメージ制作は、実際にはギルブレスが主張したように動作の効率化に役立たせられるというよりは、むしろ、自ら「効率技師(efficiency engineer)」と呼ぶコンサルタント活動の宣伝としての側面が強く存在していたようである(Price 1989)。
コンサルタント活動の宣伝が重要であったことは、プライスの議論をはなれて、テイラーの『ショップマネジメント』の記述からも確認できる。テイラーも、ギルブレスも、企業へのコンサルタントを行っていた。具体的には、科学的管理法の研究成果である管理システムを工場などの各現場に導入することを仕事として試みていた。だが、この新たに作り出した科学的管理法のコンサルタントという仕事を行うには困難があったようである。テイラーは、次のように述べている。

どれほどコストがかかるとしても、最良の組織の方が、多くの場合工場よりもはるかに重要なのだと理解している者は数少ない。人々は、資金を費やさなければ効率的な組織など作れないということをよくわかっていない。彼らが喜んでいい設備に資金をつぎ込むのは、設置された後で眼に見えるからである。眼に見えず、触れることもできず、平均的な人間にはなんだかよくわからないものに組織として投資するのは、まるでお金を投げ捨てるかのように映るのだ。(Taylor 1903=1911: 62)

テイラーにとって、科学的管理法が「眼に見えず、触れることもでき」ないゆえに、潜在的な顧客にその必要性や有効性を理解させにくいということが問題であったのである。ギルブレスのイメージ装置は、テイラーが述べたこの問題への対処となる。テイラーには、科学的管理法という商品を、感覚的に理解させる必要性があったが、ギルブレスのイメージは、この必要性に答えるところがあるのである。
このようなギルブレスのイメージ装置について、視覚文化の歴史のなかに位置づける研究が進められている。代表的なものとして、マータ・ブラウンによるマレー論『時間を写すこと』がある。ブラウンは、ギルブレスの動作研究をマレーの運動研究の帰結としてとらえ、ギルブレスへのマレーの影響を具体的な資料から検証している。ブラウンは、マレーとギルブレスを次のように比較している。

一見したところ、ギルブレスの作品は、われわれが見てきた他のだれよりも、マレーの作品に主題においても形式においても近いと思える。それでいて、ギルブレスのアジェンダは、深く、根本的に異なったものである。ギルブレスの動作研究は、マレーの運動研究のひとつの帰結を示しているが、マレーが予期したものではないのである。ギルブレスの作品においては、マレーがもっていた運動や力を支配する法則を説明したいという欲望と、これらの法則が発見されれば人間の運命はよりよいものになっていくだろうという信念が、コントロールと画一性への欲望へと変質してしまっているのである。(Braun 1992: 347)

ブラウンは、ギルブレスの実践に近代産業社会における「コントロールと画一性への欲望」をみてとる。このような観点は、他の研究にもみられる。ギルブレスが制作したイメージを、労働者を不可視化する、「抽象化された労働」のイメージとしてとらえ、同時代のアメリカ美術におけるプレシジョニズムの美学との連続性を指摘するシャロン・コーウィン(Corwin 2003)、19世紀末から20世紀にかけての労働と写真との関係を詳細に明らかにしたエルスペス・ブラウン(Brown 2005)、フランク・ギルブレス死後のリリアン・ギルブレスの活動に焦点を当てたニコラス・サモンド(Sammond 2006)、ギルブレスによって制作された映画や写真が担った動作研究の宣伝の機能に焦点を当てたスコット・カーティス(Curtis 2009)らによる研究である。
これらの研究に共通するのは、ギルブレスの制作した映画や写真を、イメージのなかで労働者の身体を疎外するものとして捉える観点である。たとえば、ブラウンは、「産業資本主義における人間機械として、ますます合理化されつつある労働力の「担い手」として」、「動作研究の視覚テクノロジーは、労働者を不可視にする一方で、ますますフランク・ギルブレス自身を計画する「見える手」へと変える」と述べる(Brown 2005: 117)。ギルブレスの写真や映画への取り組みに、外科医たちが自律的に自身の関心から関与していったと指摘する研究も存在するが(Gainty 2012)、多くの場合、ギルブレスの写真や映画を、労働者を不可視化し、疎外しながら、イメージの制作者であるギルブレス自身の存在を際立たせ、宣伝するものとして捉える傾向にある。
以上のように、視覚文化論による動作研究についての先行研究は、ギルブレスの写真や映画におけるイメージをどのように理解するのかを争点としてきた。では、イメージとそもそもの動作研究の理論とはどのような関係にあるのか。

3. 動作研究におけるイメージ装置

まずギルブレスの動作研究の科学的管理法としての歴史的な位置づけを確認しておきたい。1911年、テイラーが『科学的管理法の諸原理』(Taylor 1911)、フランク・ギルブレスが『動作研究』(Gilbreth 1911)として科学的管理法の時間研究と動作研究における重要文献を刊行する。この1910年前後は、アメリカにおいて法、産業、教育、心理療法等様々な領域にわたる応用心理学が登場してくる時期でもあった。科学的管理法にとってとりわけ重要なのは、1908年の裁判心理学書『証言台で』をはじめとして(Münsterberg 1908)、多様な領域で先駆的な仕事に着手していったヒューゴー・ミュンスターバーグが1913年に『心理学と産業能率』を刊行したことである(Münsterberg 1913)。ミュンスターバーグは、テイラーの科学的管理法を重要な試みとして評価しつつ、心理学的観点が不十分であることを指摘し、産業心理学へと着手したのである。
ミュンスターバーグの産業心理学に対して、ギルブレス夫妻の場合には、フランク・ギルブレスの科学的管理法の実践と、リリアン・ギルブレスの産業心理学との協働というかたちをとった。フランク・ギルブレスは、同じく19世紀末から、レンガ積み職人から建築業者、建築技師、コンサルタントとなった。リリアン・ギルブレスは、当初は博士論文になる予定であった原稿を元にして1914年に『管理の心理学』を出版している(Gilbreth 1914)。ミュンスターバーグの『心理学と産業能率』がそうであったように、労働者と労働環境の関係性に焦点をあてながら、労働者の疲労や作業に対する単調性の感覚を検討したものだった。1910年代半ばからのギルブレス夫妻の協働は、1924年のフランク・ギルブレスの死まで継続する。
ミュンスターバーグやギルブレスによる産業心理学的研究は、20世紀前半から「人間工学(Human Engineering)」として呼ばれることがあったが(松本 1920)、第二次大戦以後、工学研究を中心に産業心理学的研究を含む横断的な研究領域として新たに「人間工学(Human Factors and Ergonomics)」が成立してくると、テイラーやギルブレスの時間研究や動作研究は、その前史として位置づけられることになる(Meister 1999)。さらにそこには、1924年にフランク・ギルブレスが亡くなった後、リリアン・ギルブレスが行った活動が加わる。リリアン・ギルブレスは、科学的管理法・動作研究を、家庭での作業に応用し、効率性を実現する作業環境としてのキッチン・デザインを行っていたのである。
それでは、ギルブレスの映画と写真などのイメージをめぐる理論と実践とはどのように形成されたのだろうか。ギルブレスは、1911年から1913年のあいだに新たな装置を発明し使い始めた。だが、ギルブレスとイメージとの関わりはこの時に始まったのではない。もともとフランク・ギルブレスは、自身の著作において、写真を多用していた。具体的には、フランク・ギルブレスの初期の1908年の『コンクリートシステム』(Gilbreth 1908)は、建築作業にかかわる原則や指示、工程を体系的に示した著作であるが、索引まで含めて全182頁の著作のなかに、写真を含む図版を220枚提示していた。1909年の『レンガ積みのシステム』(Gilbreth 1909)では、図版の数量は『コンクリートシステム』と比べて少なくなっているが、レンガ積み作業の工程を一つずつ写真によって説明するという方法がとられており、1911年の『動作研究』に受け継がれていく。ここでは動作の諸要素が複数の写真によって連続写真のように、提示されている。
ギルブレスが映画や写真などの装置を明確に科学的管理法の手段としたのは、1912年ニューイングランドバッドカンパニーと契約したときである。工場内でそのまま撮影することは困難であったため、動作の長さを測定するために壁面を縦横に碁盤の目に区切り、作業用の機材を持ち込んだ専用の部屋「改善部屋」を作り撮影を行った。これらのイメージ装置を使用した動作研究の成果がまとめられたのが、1917年の『応用動作研究』である。
それではどのような装置が作られたのか。具体的に整理していきたい。
イメージ装置としてはじめに作られたのは、マイクロクロノメーターと呼ばれる装置である。労働にかかわる動作の軌道、長さ、方向、そして速度の継続的記録など動作にかかる時間を測定することを目的する装置である。作業を微細な単位の時間で測定出来るマイクロクロノメーターとともに映画に収める方法を、ギルブレスは微細動作研究と呼んだ。時間を正確に記録しようという微細動作研究は、しかし、動作の正確な軌道と長さを測定することが困難であった。
動作の正確な軌道と長さを測定することを目的として、ギルブレスは、サイクルグラフと呼ばれる装置を開発する。サイクルグラフは、映画ではなく写真を用い、作業する労働者の指の先に豆電球をつけて、作業のひとつのまとまりを一度の露光時間で撮影したものである。できあがった写真では、動作する労働者の身体はぼやけ、電球をつけられた作業にかかわる動作の軌道のみが明確に画面に浮かび上がってくる。このサイクルグラフによって、ギルブレスは、マレーの系譜に連ねられるのである。さらにギルブレスは、このサイクルグラフをステレオ写真で撮影することで、動作の軌道をより完全に再現しようとするステレオサイクルグラフを作成している。
サイクルグラフやステレオサイクルグラフは、動作の軌道を明確にするものではあったが、しかし、動作の方向や持続などの時間的要素は失われてしまう。そのことに気づいたギルブレスは、続いて、サイクルグラフ撮影の際に用いる電球の回路を工夫し、時間的要素を一枚の写真に表わすことを目的にしたクロノサイクルグラフを発明した。電球が素早く点灯し、一定時間でゆっくりと消灯していくようにする回路を用いることで、撮影されると、光の部分が、一定時間のなかでだんだんと細くなっていくようになる。結果、光の太さによって、動作の方向と持続時間が分かるようになるというのである。ギルブレスは、このクロノサイクルグラフも、ステレオ写真で撮影することで、ステレオクロノサイクルグラフへと展開させている。
ステレオサイクルグラフやステレオクロノサイクルグラフにみられる、立体性への探求は、ワイヤーモデルないしモーションモデルと呼ばれる立体的な模型へと至る。モーションモデルは、碁盤の目状の背景のなかにサイクルグラフやクロノサイクルグラフから取り出された動作の軌道のみをワイヤーで再現したものである。軌道だけではなく動作の方向と持続時間を示すために、ワイヤーの巻き方や着色に変化が加えられる。抽象的な空間に抽象的な軌道のみが存在する、そのような模型である。
最後に、諸装置からとられたデータは、モーションモデル以外に、SIMOチャート(同時動作循環図、Simultaneous Motion Cycle Chart)と呼ばれる図表の作成に利用される。SIMOチャートは、縦軸に作業時間、横軸に作業を行なっている身体部位をとり、作業中での時間と身体の部位、そしてその部位が行っている作業を配置した図表である。これによって、動作にかかわる様々な要素を時系列順に整理することが可能になるのである。

4. 動作研究における二つの視覚化概念

ギルブレスの『応用動作研究』におけるイメージ装置について整理してきた。ここからは視覚化をめぐる先行研究を参照しながら、これらのイメージ装置を検討していきたい。まず、微細動作研究、サイクルグラフ、クロノサイクルグラフを経てSIMOチャートに至る諸装置とそれによって作られるイメージやグラフは、ラトゥールのいうところのインスクリプションと考えることができる。測定された「最良の方法」を記録し、視覚表象、記号のかたちに翻訳し集積され、同様の仕事を行う他の労働者がそれを実際に利用できるようにするのである。イメージ装置の役割は、軌道、長さ、方向、持続、速度など動作の諸要素の記録であった。そこでは、どれほど正確な記録をとれるのかが重要な目標であった。ギルブレスは次のように述べている。

正確な時間研究と動作研究の両方にとって、人間的要素の干渉を可能な限り少なく、変らずに残るかたちで、いかなる動作と結果が生じるのかを正しく、機械的に記録する精密な装置が必要である。(Gilbreth & Gilbreth 1917: 59)

ここに見られるように、人間的要素を排除し、代わりにイメージ装置によって正確な記録を実現しようとしている点で、ギルブレスは、明らかに、ダストンとギャリソンの指摘した非介入的客観性あるいは機械的客観性の理念の下にある。そしてこのような客観性のもとで、自身のイメージと装置を意味づける。ギルブレスは、自身が先行者であったテイラーを乗り越えていると主張する際の理由を、自身の動作研究がこの非介入的客観性、機械的客観性をより高い精度で実現するという点に求めている。テイラーの時間研究の実践においては、作業する労働者を管理者が観察しストップウォッチで時間を測定していた。このような人間的要素の混入をギルブレスは批判し、自身の映像装置がそれを排除していると述べるのである。
また、非介入的客観性、機械的客観性の探求の程度において、ギルブレスは、自分たちの試みがテイラーだけではなくマレーをも乗り越えていると考えている。

マレーは、われわれが現在その語を使っているところの動作研究というものを考えることなしに、多様な活動のひとつの流れとして、動作の軌道を記録する方法を開発したが、動作の方向を写真で記録しようという試みにはけっして成功しなかった。(Gilbreth & Gilbreth 1917: 62)

クロノサイクルグラフによって、マレーにはなかった方向というものをイメージに与えることができた。その分、機械的客観性により近づいている。ギルブレスはそう考えたのである。
このような客観性を実現するイメージの働きを描写するために、ギルブレスは視覚化概念を使いはじめる。まず見て取れるのは、イメージ装置が、主体となり、主語となり、何かを視覚化するという使い方である。具体的には、サイクルグラフやクロノサイクルグラフや動作モデルが動作の軌道を視覚化する、そしてSIMOチャートが同時に行われた動作のサイクルとその要素を視覚化するというかたちである。ここでは、イメージ装置の軌道や持続、方向といった外部の対象を示す機能、つまり表象するという機能が想定されている。次の場合には、「記録し示す」と言い換えられている。

動作研究を通じて適切に人を配置する第一歩は、いかなるタイプの仕事であれ、使用されたり必要となったりする動作を視覚化すること(visualizing)にある。同時動作サイクル図表は、どんな方法で仕事のどんな部分を遂行する場合であれ、用いられている個々の動作と動作のサイクルとがもつ相互関係を記録し示すための装置である。(Gilbreth & Gilbreth 1917: 137-138)

イメージ装置による「記録し示す」視覚化によって、第一に正確な記録を実現すること、第二に効率性を感覚的に理解させることという二つのことが可能になるのである。
このように視覚化によって感覚的に理解させることが可能になるということは、それが教育的な意義をもちうるという主張へと結びつく。次のように述べる。

動作の軌道と時間を表すサイクルグラフやクロノサイクルグラフのワイヤーモデルを現在制作している。これには、科学的記録としての重要性に加えて、実践的教育的な価値がある。このモデルが特に有益なのは、写真だけで軌道の視覚化(visualization)を教えてきたところから一歩先に進むときである。(Gilbreth & Gilbreth 1917: 69)

これらの装置がもつ実践的教育的な価値とは、軌道の視覚化について教えるのに役立つことだというのである。それでは、「軌道の視覚化」についての教育とはどのようなことだろうか。次のように述べている。

技能の伝達ということになると、微細動作記録は、労働者が動作の軌道を視覚化(visualize)できるようにするのに、完全に満足のいくものというわけではない。たとえ元々はそうでなかったとしても訓練と仕事上の必要性によって上手に視覚化できるようになっている(good visualizer)平均的な技師は、平均的な人間のもつ視覚化能力(capacity for visualization)がわずかなものだということにしばしば気づかない。工場で教育を行なってきた長年の経験によってこの事実に驚き、視覚化能力のない労働者が苦労せず動作の経済性を把握できるよう補助するため、サイクルグラフ、そしてその後クロノサイクルグラフという記録方法に至ったのである。(Gilbreth & Gilbreth 1917: 82-83)

技能の伝達や教育に関して、映画による微細動作研究やサイクルグラフ、クロノサイクルグラフといった装置が行う「記録し示す」視覚化ではなく、人間が主体として行っていることとしての視覚化が問題になっている。ギルブレスは次の四つのことを想定していると考えられる。第一に、「労働者が動作の軌道を視覚化できる」というのだから、まず人には、視覚化を行う能力があると想定している。第二に、「平均的な人間のもつ視覚化能力がわずかなものだ」というのだから、視覚化能力は、個人によって高低が存在すると想定している。第三に、「訓練と仕事上の必要性によって上手に視覚化できるようになっている」というのだから、視覚化能力は、訓練や状況などによって変化しうると想定している。第四に、「視覚化能力のない労働者が苦労せず動作の経済性を把握できるよう補助する」ことを目的として開発されたというのだから、サイクルグラフやクロノサイクルグラフなどの諸装置は、人の視覚化能力の補助となると想定している。
つまりここで視覚化は、労働者、人を主体とした能力、認知機能のようなものとして想定されている。視覚化能力があることによって、「動作の経済性」を把握することができると考えられている。視覚化能力は、ギルブレスの動作研究における効率性の理念である「最良の方法」を把握する条件となっているのである。
したがって、ギルブレスにおける視覚化とは、装置の側の表象機能と人の側の認知機能の両方を指す二重性をもった概念だということになる。人間の一種の認知機能である視覚化能力を、装置の表象機能による視覚化が補助し、「最良の方法」を実現する。『応用動作研究』におけるギルブレスの構想はこのようにまとめることができる。視覚化概念は、その後の『障害者のための動作研究』においてさらに展開されることになる。

5. 視覚化概念の拡張

ギルブレス夫妻がイメージ装置を用いた動作研究を展開していた1910年代後半は、第一次世界大戦に途中からアメリカが参加していた時期であり、怪我をし障害をもつようになった兵士たちの帰還と彼らの元の職場や生活環境への復帰が問題となっていた。この時期、1914年の戦争損害保険法、1916年の国防法、1917年のスミス―ヒューズ法と、相次いで「職業教育が受け入れられる新たな動きを示す法律」が制定されている(Obermann 1980: 147-149)。1919年5月までに、およそ123000人の障害をもった兵士たちがアメリカ遠征軍から合衆国に帰還してきていた(Gritzer & Arluke 1985: 39)。
ギルブレスは、『障害者のための動作研究』において、このような状況に対応した。戦傷病者が生活の場と職場へと復帰するにあたって動作研究が有効であるという主張を行い、その構想を論じている。戦傷病者の復帰にとって、重要な選択肢は、「障害者に既存の職業に適応してもらう、あるいは既存の職業を障害者に適応させる」ことだというのである。次のように述べる。

現在存在しているところの機械でできた優れた義肢があれば、元の職場に復帰することは十分に可能性がある。もしそれが不可能でも、できるなかで元のものに近い仕事に戻ることを望むだろう。この場合、多くの労働者に提供されうるなかで最善なのは、仕事の方を人間に適応させるような変化である。この変化は、主として、環境、設備、道具を再調整することによって引き起こしうる。機械設備のわずかな変更によって引き起こされるかもしれない。あるいは、仕事の行い方を変えることによっても起こりうる。つまり、その労働者の身体のうち、機能するどこか別の部位で、現在障害があったり失われたりした部位がかつて行っていた動作を実行できるようになることによって引き起こすことが可能である。いずれにせよ必要なのは発明である。(Gilbreth & Gilbreth 1920: 27)

ギルブレスによれば、労働にかかわる環境、設備、道具と、戦傷病者の変化した身体との適応によって、元の職場へと戻ることが可能である。そのためには、環境、設備、道具を再調整したり変更したりすること、あるいは障害をもつことになった身体の部位がかつて担っていた機能を別の部位に担わせるようなことが必要となる。職場復帰も、個体の環境への適応という生態学的な状況のひとつとして考えられている。個体の変化によって不適応が生じた場合には、個体の変化に応じて環境を変化させることで適応を実現しようというのである。そして、環境と障害をもった労働者の身体との適応のためには、「機械の再デザインと、新たな部位で仕事ができるよう訓練することの両方」(Gilbreth & Gilbreth 1920: 28)が必要である。そこで視覚化が重要になってくるのである。「問題は、次のものを視覚化するということになる。1. 既存の環境、設備、道具、2. 既存の条件の下で仕事を遂行する最良の方法、3. その仕事を遂行する労働者の標準的ないし最適なタイプ」(Gilbreth & Gilbreth 1920: 28-29)である。
『障害者のための動作研究』においては、人による視覚化がこれまでとは異なったかたちで登場してくる。人を主体とした視覚化は、『応用動作研究』では、知覚としての視覚にかかわる認知的な能力として用いられてきた。それが、『障害者のための動作研究』では、軌道の視覚化は、そもそも知覚としての視覚に障害をもつ人にも当てはめられるようになるのである。生活の場や職場との適応に際して、ギルブレスは、視覚障害者を対象とした教育において強調されるべき点を列挙しているが、そこでもっとも多くの分量を割いて論じられるのが、「視覚化に関する教育の必要性」なのである。次のように述べられる。

視覚障害者を教育する上で強調するべき第五の点は、視覚化に関する教育の必要性である。<中略>視覚障害者の場合、訓練の最初から、道具や補助具、素材などを配置するために、縦横に区切られた装置を用いるべきである。(Gilbreth & Gilbreth 1920: 153-154)

これらを、視覚障害者は、講義が進むに連れて指で辿ることができるので、講師が描写している主題を視覚化できるようになる。(Gilbreth & Gilbreth 1920: 155)

目を使った視覚ではなく、手を使った触覚的な認知が視覚化と呼ばれている。さらに視覚障害者が訓練するための装置を、ギルブレスは、視覚化ボード(Visualizing Board)と名づけている。視覚化ボードは碁盤の目状に線が彫られた装置であり、作業環境に合わせた事物を配置し、動作を学習することになる。視覚障害者は、効率化技師が測定しSIMOチャートを用いて分析し確立した動作を、指で触れるワイヤーモデルや視覚化ボードで訓練して、仕事への適応を図るということになる。
ここで述べられる視覚化は、知覚としての視覚ではないものを含んでいるという点では、スナイダーにおける知覚可能なものと想像によって形成されるもの、あるいはマノヴィッチにおける可視化と心的イメージの関係に近いと考えられるかもしれない。しかし、ここで行われるのは、知覚可能でないものを捉えようとすることではなく、知覚可能な空間におけるものごとの配置や変化を捉えるために触覚的な認知を駆使するということである。人の能力としての視覚化概念は、必ずしも視覚だけに限らない知覚をもちいた能力一般へと拡張されているのである。
『応用動作研究』から『障害者のための動作研究』への展開において、ギルブレスの視覚化概念は新たに生態学的な含意をもつようになる。『応用動作研究』において、視覚化は、記録し示す装置による作用と認知を行う人間の能力との二重性をもっていた。それが、『障害者のための動作研究』において、視覚化は、環境の側の個体への適応と、個体の側の環境への適応という二重性を備えるようになる。職場や使用される機械設備や道具をデザインするという方向と、労働者の身体動作と認知を補助するという方向とである。これまで検討してきた微細動作研究における映画、サイクルグラフやクロノサイクルグラフにおける写真、ワイヤーモデル、SIMOチャート、視覚化ボードなどのイメージ装置は、いずれも双方向的な適応の手段として想定される。いわば労働環境の生態系へと位置づけられることになる。

6. 結論

ギルブレスによる視覚化概念は、イメージ装置のもつ記録し示す視覚化と人間のもつ認知的な能力としての視覚化の二重性をもっていた。それは、先行研究で現れていた、知覚としての視覚と想像力あるいは心的イメージ、物理的身体的な対象と心的な対象という視覚化概念の二重性と重なりあうところがある。その一方で、ギルブレスの視覚化概念は、触覚という視覚以外の知覚にも拡張される点において、そして人間と環境との適応という生態学的な観点が見いだされる点において独自である。映画理論やメディア論においてJ・J・ギブソンの個体と環境との生態学的な関係性への着目を受け継ぐアプローチが登場しているが(Anderson 1998)、視覚化概念の特徴から考えたとき、ギルブレスの『応用動作研究』と『障害者のための動作研究』は、このような生態学的な映像論・メディア論との比較において読みなおすことができるだろう。


1 本研究は、日本映像学会第40回大会での研究発表「F・B・ギルブレスとL・M・ギルブレスの動作研究における視覚化の問題」もとに加筆修正を行ったものである。また本研究はMEXT/JSPS 科研費(15K16676)の助成を受けたものである。
2 額賀淑郎(2002)が、科学史における視覚表象論の文脈のなかでラトゥールを位置づけ解説している。
3 スナイダーは、マレーにとって、視覚化と可視性の境界線を引くことは困難であったと指摘する。「マレーは、視覚化と可視性を分ける境界を―どこで視覚化が終わり、可視性が始まるのかを―確立しようと格闘しているのだが、彼は両者を区別する手段とそのもっともな理由を見つけられていない。というのも、最終的には、マレーの写真は、ボードレールの執拗な告発とは反対に、目にではなく、想像力に訴えかけるからである。」(Snyder 1998: 395)。
4 具体的な視覚化の歴史については、Friendly & Denis(2000)、Friendly & Palsky(2007)、Friendly(2008)が詳しい。
5 Gilbreth & Gilbreth(1917)からの引用は、邦訳を参考にした上で筆者が行った訳を使用している。

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