第2部 公開研究会「生殖補助医療技術の発達史と倫理的課題」 1 講演「体外受精技術のリスクをめぐる認識の変遷過程」

公開研究会「生殖補助医療技術の発達史と倫理的課題」

講演「体外受精技術のリスクをめぐる認識の変遷過程」

花岡龍毅

常磐大学国際学部の花岡龍毅と申します。よろしくお願いいたします。今回は大変貴重な機会をお与えいただきまして、心よりお礼申し上げます。
本日は、「体外受精技術のリスクをめぐる認識の変遷過程」というタイトルで、お話をさせていただきたいと思います。皆さんのお手元に、スライド資料をお配りしております。ただ、今回お話しさせていただく内容は、スライドに載せていない内容がかなり含まれますので、分かりにくいところがありましたら、途中で止めていただいて構いませんので、ご質問をいただけるとありがたいと思います。
最初に、簡単に自己紹介をさせていただきます。私の専門は発生分子遺伝学という分野ですが、現在は、主として、科学史・科学論、生命倫理の研究を行っています。 慶應大学医学部の生理学教室、群馬大学医学部の行動分析学教室で研究いたしました。その間、埼玉県和光市にあります理化学研究所の脳科学総合研究センターで、大学院生の研修生として、5年ほど発生分子遺伝学研究を行いまして、そこで行った研究で学位を取得しました。その後、京都大学大学院医学研究科に就職いたしました。京大在職中に科学史や生命倫理に対する興味を持つようになりまして、任期満了後に、東京大学の廣野喜幸先生の研究室で科学史・科学論、生命倫理学を学ばせていただいて、今日お話ししますような生殖補助技術に関する研究を始めました。現在は、さらに興味の対象も広がってまいりまして、薬害、公害問題、特に次世代に影響を及ぼすような、例えばサリドマイド事件や、胎児性の水俣病に関する医療政策の研究も行っております。
私は、もともとは文学部の出身で、フランス文学を専攻しておりました。その後、大学院で、古代ギリシャ哲学や、実存哲学などを学びまして、現象学に関する研究で修士課程を修了いたしました。大学院在籍中に自然科学や科学方法論に大変興味を持ちまして、その後、自然科学に転向しました。
発生分子遺伝学における私の一番の関心は、モデル動物を使ったアプローチで、人間の発生のメカニズムを知ることにありましたが、研究を進めていく中で、次第に、先天性疾患の原因とそれに対する治療法にも関心を持つようになりました。最初は、脳や神経の発生にかかわる遺伝子の研究から始めまして、その後、骨の発生、さらには血液、血管の発生と、だんだん研究分野を広げて研究を行ってまいりましたが、京都大学での任期が満了に近づく頃から、生殖にかかわる生命倫理問題に興味を持つようになりました。特に大きなきっかけとなりましたのは、金森修先生の『遺伝子改造』という有名な著書を読んだことです。そのなかで、松原洋子先生が金森先生と対談をされています。松原先生は、先端的な生命技術が、生物科学的にいってどのようなものなのか、技術が医療現場にどのように入ってきてどのように機能したかということが、生物科学者からは伝わってこない、やはり説明が必要なのではないか、という主旨のことを述べておられます。この対談を読ませていただきましたときに、現場を少しは知っている者として、何か社会に発信していく必要があるのではないかということを考えました。その他、これからお話しさせていただくことなどが契機となりまして、本格的に、科学史・科学論や、生命倫理学の研究に取り組むことにいたしました。先ほどお話ししましたように東京大学の廣野先生にご指導いただき、研究を行いました。その後、埼玉医科大学、鎌倉女子大学、早稲田大学の非常勤講師を務めまして、現在は、常磐大学の国際学部で、生理学や生命科学、生命倫理学などを担当しています。
では、本題に移らせていただきます。まず、一般的な問題意識について述べさせていただきます。私は、先端的な生命科学技術が社会にどんなふうに導入されていくのか、その過程に非常に関心を持っております。導入の過程が正常とは異なっておりますと、その後さまざまな問題を発生させる原因ともなるのではないかと思っています。生命操作的な性格が強くなり、先端性を増しつつある生命科学技術が、今後、社会にどんどん導入されていくと思うのですけれども、今の時点で導入過程の研究を重ねて、今後起こることが懸念されるさまざまな問題を未然に防ぐ方法を考える必要があるのではないかと考えています。
以上が一般的な問題意識です。
次に、特に生殖補助技術(ART)に注目いたしました理由を述べさせていただきます。現場で発生学の研究をしておりますと、受精卵は基本的にデリケートなものであるという認識を持つようになりますが、こうした認識からしますと、その受精卵を様々な方法で人工的に操作することに対して、疑問を持たざるを得ないのです。この疑問が、ARTに注目すようなった出発点です。特に、着床前診断技術の後に生まれたお子さんの健康に関する科学的検証が、まだ行われていないことを、Natureを読んで知りまして、大変驚きました。そこで、私は、生命倫理の問題の中でリスク問題が最も大きな問題であると思い、ARTのリスクについて、どのような研究や議論が行われているのか、自分で論文や文献を精査し始めました。
前置きはここまでにいたしまして、本講演の課題についてご説明します。本講演では、体外受精技術のリスクをめぐる認識はどのような変遷過程を経てきたのかについて、具体的には次の2つの課題を取り上げたいと思います。それは、(1)リスクに対する科学的検証の発展とともに、科学的言説や倫理的言説がどのような変化をしてきたか、(2)もし変化してきたとすれば、この変化は一体どのようなことを含意しているか、です。
本公演の基になっております研究の方法と資料について簡単に説明させていただきます。方法は、科学的事実と、科学者・生命倫理学者の言説とを対比させるというものです。そのための一次資料として、科学的検証に関しましては、科学・医学の原著論文を用いました。原著論文に直接当たることが近道ではないかと思ったからです。しかし、論文は星の数ほどありますので、研究全体の状況を概観するために、適宜レビューも参照しております。科学的言説および倫理的言説につきましては、科学・医学論文の中にも多数見いだされますが、それ以外に、研究者自身による自伝、新聞や雑誌の記事なども参照しながら、言説の分析を行いました。
次に、皆さんも十分ご存じだと思いますけれども、ARTについて簡単に概観し、基本的なところを確認させていただきたいと思います。
最も古典的なものが、IVFです。両側卵管閉塞の患者さんの不妊治療のための技術という位置付けがなされています。卵管は、非常に小さく大変傷つきやすい器官で、一度閉塞してしまうと外科的な処置によって治すのは大変難しいといわれておりますが、そうであるならば、全く新たな発想で、卵管閉塞をバイパスする方法を考えればいいのではないかということで、エドワーズ(Edwards, R. G.)博士が体外受精を不妊治療に応用しようと考えまして、研究が進められました。今日では400万人のお子さんが、ARTによって誕生しておりますが、その最初の技術がIVFです。
IVFは女性の不妊治療技術ですが、男性の不妊も不妊全体の50%を占めているといわれております。男性側に原因がある不妊治療も大きな課題なのですが、ベルギーのパレルモ(Palermo, G. D.)博士らが中心となりまして、顕微授精の一種であるICSIという技術が、男性不妊の治療方法として、IVFの後に導入されました。この技術は、IVFを改良した新しい方法として宣伝され、普及していったのですけれども、IVFとは根本的に違った技術です。特に違っておりますのは、配偶子を選別しているところです。また、直接、細胞質に精子を注入するので、卵子に対するダメージが無視できませんので、侵襲性という観点からも、IVFとの間には大きな違いがあると専門家の間で早くから指摘されています。
その他の技術として、受精卵や配偶子の凍結保存技術があります。
また、現在開発中の技術として、人工造成配偶子の作成技術があります。これは、ES細胞あるいはiPS細胞から、人工的に精子や卵子を造成していくものです。ご存じのように、これらの細胞は、多能性幹細胞ということで、適切な条件下において心筋細胞、血液細胞、そのほかさまざまな細胞に分化することが示されており、恐らく配偶子も例外ではないだろうということです。多能性幹細胞からの人工造成配偶子の研究では、マウスや霊長類を使った研究、実験が行われています。研究者が目指すところは、人工造成配偶子を使った子どもの誕生です。絶対不妊の患者さんを治療すること、精子や卵子が形成されない患者さんが、お子さんを授かることができるようにするということが最終目標です。ただし、当面はin vitroの実験にとどめ、動物実験を重ねて安全性が評価できるまではヒトでは行わないという意見表明が研究者によってなされております。
以上が技術に関するごく簡単な確認です。では、こういった技術がどのような経緯を経て臨床応用されるに至ったか、その歴史に移りたいと思います。
皆さんのお手元には、IVFの歴史という簡単な表をお配りしておりますけれども、これだけではあまりにも簡単すぎます。この後の議論の土台とする必要を考えますと、もう少し詳しい補足説明が必要だと思いますので、ここのところを詳しく説明させていただきます。
IVFの歴史は、19世紀の終わりまでさかのぼることができます。哺乳類の受精研究、初期発生研究のツールの開発が出発点になります。皆さんよくご存じのように、従来の発生学研究は、ウニ、カエルなどの体外で発生が進行する生物、限られたモデル動物で研究が進められ、約2500年の歴史があります。しかし、一向に哺乳類の発生についての研究は進みませんでした。哺乳類の場合には、子宮の中で子どもが発生するので、初期の発生過程を研究する術がなかった。経時的に観察研究することが不可能でした。ですから、発生学者の念願として、なんとか哺乳類の発生を知りたいという強い希望がありまして、そのための技術の開発が研究の出発点になっております。
1890年にケンブリッジのヒープ(Heape, W.)という研究者が、まずウサギの胚移植を行って成功しております。また、同時期にベルギーの動物学者のブラシェ(Brachet, J.)が、ウサギの胚盤胞を血漿中で育てることに成功し、哺乳類の胚を母胎の外で培養することが可能であることを論文で示しております。
その後、なかなか研究は進まなかったのですが、1934年にハーバードのピンカス(Pincus, G.)らが、ウサギの体外受精に成功したという論文を発表しています。ただ、これは、現在のGIFTに近い方法で、IVFとは異なる方法です。
このような状態がずっと続きまして、次に大きなブレークスルーがあったのは1959年です。なぜこんなに時間がかかったのか、興味がありましたので、調べてみました。バロン(Valone, D.)の研究によると、1930年代頃には、動物の体外受精研究に対する社会的な批判がかなり強かったようです。1940年代にヒトの体外受精研究を行っていたロック(Rock, J.)も道徳的な懸念を強く抱いていたということです。こうした研究者を取り巻く状況や研究者自身の懸念が、研究が進まなかった原因の一つだったのではないかと思います。体外受精が不妊治療に役立つのではないか、という論文も1937年に発表されていたのですけれども、積極的に研究を進める研究者が、少なかったのではないかと思います。
1959年に、ボストンのチャン(Chang, M. C.)によって、ウサギの体外受精で15匹の仔が誕生したという論文が発表されました。そして10年後に、ウッティンガム(Whittingham, D. G.)がマウスの体外受精に成功しました。こうした研究者がNature等の一流誌にその成果を次々と発表していくことで、科学としての体外受精研究がようやく軌道に乗りました。
チャンがウサギの体外受精に成功した直後の1960年から、ルイーズ・ブラウン(Louise Brown)の誕生を成功させたエドワーズ博士が、不妊治療に興味を持ちました。もともとマウスの発生学研究者でしたが、小型の動物で体外受精ができるのであればヒトでもできるのではないか、体外受精を行えば、卵管閉塞を手術で治すことにこだわらないで、その問題を全く別のアプローチで乗り越えることができるのではないかと不妊治療への応用を考え始めたのです。
動物でできるのならヒトでできるのではないか、簡単に応用できるのではないか、と私たちは思ってしまうわけですけれども、ヒトと動物との間にはものすごく大きな壁があり、実はそう簡単ではなかったのです。例えば、採卵すること自体が、ヒトの場合は動物のように簡単にできないですから、採卵方法を研究しなければいけません。そこで産科・婦人科医のステップトウ(Steptoe, P.)博士と手を組んで、どうやって採卵するか、その技術をどう開発するかを考え、様々な試みののち、やがて成功しました。
しかし、課題がその他にも数多くありました。長くなりますのでここでは詳細は省きますが、本当に想像を絶する努力の積み重ねがありまして、1968年に、ようやく体外でヒト胚を作成することができるようになりました。しかし、その後も、胚をどうやって子宮に移植するかという難題が待ち受けていました。エドワーズとステップトウは、失敗に失敗を重ね、一時は諦めて、研究から完全に退いてしまった時期もありました。しかし、大変な努力によって、子宮外妊娠という結果でしたが、1976年にIVFによって作成したヒト胚の移植を成功させました。そして、1978年、ついに、ルイーズ・ブラウンの誕生に至ります。アメリカでは1981年にIVFが成功いたします。この表には載せておりませんけれども、フランスでは1982年に、日本では1983年に、それぞれ成功しています。
この一覧表の中で、非常に意外な感じを持たれるかと思う箇所は、ヒトで成功した後の1984年に、アカゲザルなどの非ヒト霊長類で成功しているという所だと思います。常識で考えると、サルで成功してから、安全性を確認してヒトに応用したのではないかと思うわけですけれども、意外な経過をたどっておりましたので、なぜこうなったのか、いきさつを調べました。
通常の医学研究ですと、例えばADA(アデノシンデアミナーゼ欠損症)の遺伝子治療のケースでは、まずマウスなどの小型動物で有効性と安全性を検証した後、非ヒト霊長類を使った研究でさらに検証を進め、その後で、臨床研究を始めています。これが通常のステップであると思います。
ところがこれと比較しますと、IVFの場合には、まず小型動物で研究開発が進みます。ただし、これは安全性の検証では全くないということが、当時の科学論文をくまなく読んでいきますとはっきり分かります。先ほどのチャンの論文などもそうなのですけれども、要するに、体外受精によって仔が生まれました、そして、見た目は健康である、という報告です。一字一句原文をたどってみますと、明らかに安全性の検証ではないということが分かります。生まれた仔を解剖して、例えば内臓がどうなっているかとか、そういったことを調べている研究もあるのですけれども、大部分は「生まれました」という報告なのです。その後、その仔が何年生きたとか、そういったことも一切記していません。
確かに、「生まれました」というだけでも生物学的には大変画期的な技術ですから、Natureなどに載るのも当然だと思います。しかし、われわれの予想に反して、安全性の検証とは全くかけ離れた研究であって、こういった成果を見て、エドワーズやステップトウなどの研究者が臨床に進んでいることは注目すべきことであると思います。
では、非ヒト霊長類の研究はどうなっていたのでしょうか? 先に、臨床研究はなかなか進展しなかったというお話をいたしましたが、その間に、専門家が、こういう臨床研究はやめるべきだと、当時の一流の医学雑誌で指摘しておりました。霊長類でやってからにするべきだ、サルの実験を待たずしてやってはいけないという意見が、医学研究者の中から出されておりました。しかし、それに対して、エドワーズは、当時の論文の中で、霊長類の研究は非常に難しい、例えば、アカゲザルは確かにマウスよりはヒトに近いかもしれないけれども、卵管の構造はらせん状に巻いていて、ヒトと全く違う、簡単にはできない、と主張して批判に応えております。ルイーズ・ブラウンが誕生しまして、その6年後に、かなり遅れて、ようやく非ヒト霊長類でも成功をするという経過をたどっております。
この後、ARTが発展する中で、こういった臨床への導入プロセスが次第に改められていったのか、そうでないのかについて関心を持ちまして、その後の胚の凍結保存技術とか、ICSI等の新しい技術の導入過程についても科学論文などを精査しました。
ICSIには、パレルモが成功しているわけですけれども、本人の語るところによりますと、顕微授精の技術研究をしていて、失敗が成功につながったと言っています。ちょっと変な話なのですけれども、パレルモらの研究していたのは、透明帯を通過する能力のない精子を細胞質に直接導入する方法ではなく、透明帯と細胞質の隙間に精子を送る方法でした。当時、細胞質に直接ガラス管を差し込むと様々な発生異常が起こることが動物実験で分かっていました。そこで、パレルモらは、とにかく透明帯さえ通過させてあげれば受精は成功するだろうということで、透明帯と細胞質の隙間に精子を送る臨床研究を繰り返しておりました。しかし、たまたま失敗をして、細胞質までガラス管を刺してしまった。ところが、その卵細胞は発生を開始し、正常に発生を続けた。それを見たパレルモが、患者さんの同意を得て移植に踏み切り、そして出生に至ったという経緯を、パレルモ自身が仔細に述べております。このように、ICSIの臨床研究は、失敗が成功につながった研究であります。
この時点で、マウスで成功していたかというと、マウスでは成功しておりませんでした。1報だけ、成功したという論文がありましたけれども、他の研究室で行われた追試が1つも成功しておりません。信憑性が大変疑われている論文が1報あったのみということになります。そういった状況で、ヒトで行われました。その後、1995年にマウスで成功しまして、さらに遅れて、1999年にアカゲザルで成功しております。ですから、ICSIの場合、 臨床への導入過程が、より臨床先行的になっていたといえると思います。
胚の凍結保存技術についても検討してみましたところ、胚凍結保存技術のリスクの検証も、臨床応用前には、実際にはほとんど行われていないことがはっきり分かってきました。特にテスタール(Testart, J.)の見解が、このことを明確に示していると思うのですが、テスタールは、凍結して、それでも死ななかった胚は丈夫なのだ、とはっきり述べております。胚の凍結保存技術が安全であるということは、科学的なエビデンスではなくて、経験的なものであるということです。「結果良ければ全て良し」で、問題が起きなかったから本当に良かったという、かなり幸運な結果ではなかったかと思います。こうしてみますと、ARTは、技術が発展するに従って臨床先行的に導入されていったといえると思います。
以上がARTの臨床への導入過程です。
このような臨床への導入過程に問題があるのではないかということは、アメリカの生命倫理大統領諮問委員会で問題になっており、報告書に述べられております。ただ、実際にオリジナルの論文を精査してみなければ見えてこなかった事柄もありました。そういった意味では、実際に調べてみた価値はあったと思います。たとえば、動物実験で検証されていたことは何かとか、いわば異常な導入過程に対して研究者自身がどういう見解を持っていたか、といったことなどです。検証されていたことが、健康な仔が生まれました、というレベルであったことなどは、私自身にとりましても驚きでした。
続いて、ARTの科学的検証過程、その歴史について確認したいと思います。まず、動物実験では、技術の安全性がほとんど検証されておりませんでしたので、臨床応用が始まってからはどうだったかをみていきたいと思います。
1970年代から1980年代の半ばは、IVFの前臨床試験から臨床応用の開始期と位置付けられる時期です。この当時の研究者たちの懸念は、IVFによる出生児に、染色体の異常や遺伝子の異常といったものが起こるかもしれないという、リスクに関するものです。そういうことが、科学論文から読み取ることができます。この時期は、アメリカで生命倫理という新しい学問領域が形成され始めた時期でもあり、専門家以外の法律家、社会学者、人文系の多くの研究者、ジャーナリストなどが、体外受精の問題に大変興味を持って、何が起きるか分からないから禁止すべきだという発言を行っていた時期です。当時の文献を見てみますと、全く驚くべきことに、体外受精とクローン技術を一緒に並べて論じる論調が非常に顕著です。IVFとかヒトクローン技術といった生命操作技術は、絶対に許してはならないというような論調の記事が、一般の新聞・雑誌等に頻繁に出ています。漠然とした不安が、この当時の生命倫理の議論の中で主流を占めていたと言ってよろしいかと思います。一方、専門家の間では、遺伝子の突然変異、あるいは染色体の異常が起こるかもしれない、もし起きたらどうするかといった議論が、一流の医学誌・科学誌において行われておりました。
こうした議論が、実際に成功例が続々と出てくる中で、大きく変わっていきます。問題点は後で詳しくお話ししますけれども、大きな転換点を迎えます。特に臨床データが蓄積されて、健康調査研究が盛んに行われるようになってきますと、その変化は明瞭になっていきます。その調査研究をみてみますと、先天異常については、先天性奇形と染色体異状が調査の対象になっています。
こういった初期の調査研究では、IVFに見られる先天異常のリスクは自然妊娠による出生児のリスクと同じであるという認識で一致しております。論文には、リスクは自然妊娠と似ているという表現がよく出てきます。異論を唱える研究者はほとんどいなかったのではないかと思われます。少なくとも、私が調査した限りでは見当たりませんでした。
まだ検証できていないのですけれど、危険だから絶対やるべきでないという極端な批判の後の成功でしたから、研究者のなかに安堵の念というものがあったのではないか、それが研究者の判断に何らかのかたちで影響を与えている可能性もあるのではないかと思います。そう考えたくなるぐらい、かなり楽観的な見解を、論文の中に指摘することができます。
調査研究の当初は、イギリスやフランスをはじめ限られた国々のデータが公表されていたのみですけれども、1990年代半ば頃から、アメリカやスウェーデンなど、それまで調査研究を発表していなかった国々が研究を発表するようになっていきました。しかも、一般人口を比較対照とした、非常に大規模な統計学的な研究も次々と発表されていくようになり、それにつれて、自然妊娠と比べてART児のリスクは高いというデータも出てくるようになりました。この頃から、そんなに楽観視できないのではないか、という言説が登場してきます。それまで一致した見解であった、リスクは自然妊娠と同じという言説が少しずつ変化していって、多様化していくのがこの頃であったと言えると思います。
さらにこのような変化が、決定的な大きな変化へと至ったのが、2002年以降であります。それまでの調査研究は、ほとんど、ARTに関わっている医師や科学者が行っておりました。そして、いわゆる健康調査研究のかたちを採っていまして、先にも述べましたように、先天異常につきましては、主として先天性奇形と染色体異状に検査対象が限られていました。
2002年以降、遺伝学者がARTの健康問題に関与してまいります。それはなぜかと言いますと、もともと遺伝性疾患の研究を専門にしていた研究者が、たまたまART児の中に、特定の遺伝性疾患の子どもが有意に多いことに気付き始めたからです。そこで、これは何かあるのではないかということで、今までの健康調査研究の枠組みとは全然違ったところから、彼らは新しい問題を提起し始めました。
また、一方で、先ほどの健康調査研究も、より内容が豊富な、対象集団の大きな研究が行われるようになりました。そして、どうもリスクが高いのではないかという論文が多くなります。このように、大体2002年頃から、研究者の認識がかなり複雑化、多様化していったと言えます。
ところで、遺伝性疾患という言葉は、日本語では、遺伝子の病気も、上位世代から受け継がれて遺伝する病気も、どちらも遺伝性疾患という言葉になっていますが、ここで問題になっている遺伝性疾患は、遺伝子の異常です。遺伝子の異常のなかにも受け継がれるものもありますので、実際には非常に複雑なのですが、原理的な違いを整理しておくと、理解しやすくなると思います。
現在、こうした科学的検証はどうなっているかをお話ししたいと思いまして、スライドも準備してきましたが、ちょっと時間が押しております。しかも、ここのところはかなり細かい話になりますので、順序を変えまして、この後もし時間に余裕があれば、もう一度戻ってみたいと思います。申し訳ございません。
では、次に、科学的検証の進展と、リスクに対する認識の変遷との間には、どういった関係があるかを見ていきたいと思います。簡単な表を作成してみました。詳細は発表した論文の中にございますので、もしよろしければご覧いただきたいと思います。
まず簡単に整理をさせていただきたいと思います。1960年代後半から1980年代半ばの時期をみてみると、イギリスの成功例が出るまでは、IVFは生まれてくる子どもに対する非倫理的な実験である、という言説が、特にアメリカを中心に展開されて、医学雑誌にも出ています。しかも複数の研究者が、こういった見解を持っておりました。
しかし、成功例が表れた途端に、私も実際に調べてみてびっくりしたのですけれども、まさにドラスティックな変化が起きるのです。1978年のThe Hastings Center Reportを見ますと、IVFは不妊治療として倫理的に受容できるという言説が出てまいります。しかも、それまで非倫理的な実験であると言明していた研究者も、こういうことを言い始めるのです。非常に有名な生命倫理学者であるカス(Kass, L.)も、見解を変えております。
こういったとても大きな変化を、多数の一次資料から見ることができます。こういったかたちで、最初期の倫理的な言説は、成功例と完全にリンクして変化しております。
成功例が出るまでは、どんな議論が出ていたのかということをご紹介します。生命倫理学の代表的な神学者であるラムジー(Ramsey, P.)の議論です。JAMA(The Journal of American Medical Association)に載っていた議論ですけれども、「IVFは非倫理的な医療実験である」としています。 “possible future human beings” とありますけれども、これは将来人間になる受精卵や胚のことです。こうした存在に対する非倫理的な実験であるという批判です。まさに当時のアメリカにおいて、人体実験問題は生命倫理における一大問題だったわけですけれども、こういった関心とかなりリンクしている議論の組み立て方になっております。
それから、代表的な医学雑誌のNEJM(New England Journal of Medicine)に、カスが、IVFは生まれてくる子どもに対する容認できない実験なのではないかという、ラムジーとよく似た批判をしています。ラムジーほど極端ではないのですが、とにかくこういった実験は、実際にヒトで行うまでは安全性の検証ができないというジレンマがあり、動物実験をいくら重ねてもヒトでやるまではリスクは分からず、しかも、そういったリスクがあるかどうかを確かめる実験自体が非倫理的なのではないか、と言っています。これはラムジーと非常に論理構造が似ています。ただ、ラムジーが絶対の禁止を主張するのに対し、カスは実験が許容される具体的な条件も提示しています。両者の考え方には近いものがあるようですけれど、基本的なスタンスがずいぶん違っていたようです。
さて、こういった初期の言説の変化が起こった後、つまり、臨床上の成功の後、どうなっていったかを検討していきます。1980年代半ばという、まさに健康調査研究がどんどん進められていった時代に、科学的な認識としては、リスクは自然妊娠と同じであるという見解がありましたが、倫理的な見解はどういうものであったかというと、不妊治療技術として容認できる、社会的に受容できるといった議論が主流でありました。そしてデータの蓄積に伴い、ARTのリスクが高い場合もあるという新しい科学的な認識が出てきましたが、そうなってきたときに、倫理的な見解は、ARTのリスクを一定程度考慮すべきではないかというものに変化していきました。興味深いのは、ちょうどこの頃から、リスクをめぐる議論を担う人は、だんだん専門家に収斂していくという変化が起こってきたことです。1990年代半ば頃からは、もっぱら専門家がリスクをめぐる倫理問題について論じています。しかも、少なからぬ懸念を持って論じるようになります。例えば、先ほど私がお話ししました臨床への導入過程などについて、疑問を持つ臨床家や科学者もだいぶ出てきています。古典的なIVFは仕方がなかったとしても、ICSIのような新しい技術の導入過程は問題視すべきではないか、こんなことを続けていてはいけないのではないのかといったことを、専門家も議論するようになります。
そして、2002年以降、遺伝性疾患との関連が浮上する中で、ARTのリスクを根本から再評価すべきではないかという議論が出てきます。イギリスのウィンストン(Winston, R.)やハーディ(Hardy, K.)のような、この領域における主導的な研究者が、Natureの特別号で、ARTのリスクに関する懸念を表明し、ARTという価値のある治療法の上に垂れ込めている雲を無視することはできないと述べています。同誌で、やはり著名なアメリカの研究者シャッテン(Schatten, G. P.)も、アシロマ会議のような会議を、ARTも行うべきときにきているのではないかという提言を専門家に対して行っています。
こうした言説の変化を図式化してみますと、臨床応用の成功、科学的検証の進展とともに、リスクをめぐる言説が3段階に変化してきていると言えるのではないかと思います。第1段階は、1970年代初頭から1978年の臨床応用の初めの時期です。非倫理的な人体実験だといった言説の特徴を考えまして、この時期の言説を、「生命倫理的な言説」というふうに呼ぶことにしました。
これが、成功例とともに変化をして、そんなにリスクは高そうではない、大騒ぎするほどではなさそうである、しかも有効な不妊治療の技術であるならば、ある程度のリスクはあっても社会的に受容可能ではないか、といった議論に変化しました。これが第2段階です。額賀淑郎先生のお仕事を参考にさせていただきましたが、こういった議論のつくり方は、いわゆるアメリカで発展していった、未知のリスクを内包する生命科学技術に対して全面禁止でも全面肯定でもない妥協点を探っていく公共生命倫理的なものですので、私はこうした議論における言説を、「公共生命倫理的言説」と呼ぶことにしました。
これが、臨床データの蓄積とともにさらに変化していきまして、もっぱら担い手が専門家に限られていきます。そして、問題は、そもそも体外受精のような人工的な生殖のあり方が倫理的に許されるのかといった議論ではなくて、本当に安全か、安全ではないのかというリスクをめぐる科学的な問題に集約されていく。これが第3段階です。この段階での言説を「医療倫理的言説」と呼ぶことにしました。これは、アメリカで生命倫理が形成され普及する前の、医師を担い手とした伝統的な「医療倫理」という言葉を踏まえたもので、専門的な医学的・科学的な色彩の濃い言説です。このように言説が遷り変わってきたのではないかというふうに図式化をしております。
以上、言説の変化の傾向をまとめてみましたが、もう少し敷衍してみます。
技術が未開発で、リスク評価をする方法が限られていた時期は、何が起こるか分からないという認識が倫理的な言説の主流を占めていました。しかし、この時期は、上では述べませんでしたが、同時に生殖そのものの意味を問うような、ラムジーやカスのような、かなり内容豊富な文化的・哲学的な言説をも含んだ言説空間をつくり上げていた時期でもありました。
しかし、いろいろな方向に発展する可能性があったと思われる倫理的な言説が、臨床上の成功とともに、公共倫理的なものへと、ある意味で、可能性が制限されていきます。漠然とした懸念が現実的な懸念へと変化していきます。そして、評価の科学的検証が進むにつれて、なかなか簡単に結論が出せない状況になっていって、倫理的議論も専門的なものになっていきます。しかし、ウィンストンらの提言も含めて、こうした議論は、ARTの技術を健全に発展させることが目的であり、根底において技術肯定的なもので、医療倫理的な議論と言えます。
最後に結論といたしまして、以上のような倫理的な言説の変遷をどう評価していくか、これらの変化に何が含意されているかといった問題を、考えてみたいと思います。
これまでみてきたところによりますと、生命倫理というものは、技術の発展に後から追随していく傾向が非常に顕著なのではないかと思います。そして、もしこれが事実であるとすれば、生命倫理の存在理由が一体どういうところにあるのかという疑問が出てまいります。生命科学技術の健全な発展を促進していく指導的な役割を演ずる可能性はもちろんあるかと思いますが、他方においては、こういった技術を禁止したり、規制するような方向へ主導していく可能性もあるのではないかと思うのです。しかし、実際には、こういった主導性を発揮するのではなくて、技術の発展に後からついていくという役割を演じてきているように思われます。最初は分からないから危険だ、やってはいけないと言っていたのが、成功した途端に受け入れ可能であると言う。そして、リスク評価が複雑化していくと、議論の担い手は専門家に限られてしまい、他のアクターはもっぱら法的・社会的な問題のみに関心を集中させていって、リスクの問題には基本的には関わらないという傾向が顕著になっていく。こうした傾向をみますと、生命倫理に対する批判的な検討が必要なのではないかと思われます。もともと私は生命倫理をメタバイオエシックス的な観点から検討することに興味があり、小松美彦先生の下で勉強させていただいたということもありまして、生命倫理に対して距離を置いて考えてみたいという問題意識があります。こういった問題意識を今後さらに深く掘り下げていきたいと考えています。
以上です。ありがとうございました。