第1部 生命倫理と現代史研究 1 体外受精の臨床応用と日本産科婦人科学会の「見解」

生命倫理と現代史研究

体外受精の臨床応用と日本産科婦人科学会の「見解」

由井秀樹

1.はじめに

生命倫理学の研究で生殖補助技術の問題が論じられる際、日本産科婦人科学会の「倫理に関する見解」に言及されるのが慣例となっている。生殖補助技術をめぐる法制度が存在しない日本では、これが事実上のガイドラインとみなされ、専門家コミュニティによるガバナンスが展開されてきた。
学会の見解の嚆矢となったのが1983年の体外受―胚移植をめぐる「見解」である。そこに書かれていること自体はよく知られており、体外受精の臨床応用、すなわち体外受精−胚移植に先立って取り組んでいた東北大学で学内倫理規定が設けられ、徳島大学で倫理委員会が設置されていたことなども含めて「見解」が制定されるまでの歴史的経緯を検証した研究も行われている1。また、当時東北大学医学部の産婦人科学教授をつとめた鈴木雅州、当時徳島大学医学部の産婦人科学教授をつとめた森崇英、徳島大学の倫理委員会委員をつとめた斎藤隆雄の著書や、山口裕之らによる森へのインタビューなどから、体外受精の臨床応用当時の様相を読み取ることができる2。しかしながら、これまで日本産科婦人科学会の「見解」の内容がどのような歴史的経緯、文脈において規定されたのかはほとんど明らかにされてこなかった。本稿では、産婦人科医たちの言説空間において体外受精の臨床応用がどのように認識、評価されていたか検証することを通し、この点を検討する。もっとも、林真理は体外受精―胚移植が日本産科婦人科学会の「見解」で「治療」行為とみなされていく過程を検証しているが3、本稿では特に①非配偶者間での実施、②「先天異常」の発生可能性に関する認識に着目する。

2.臨床応用への懸念

体外受精―胚移植は受精卵を体外で作成する「体外受精」のプロセスと、受精卵を子宮に移植する「胚移植」のプロセスに分割できる。体外受精については、ヒトでも1940年代から研究成果が報告されていた。1944年、Science誌にハーバード大学のジョン・ロックとミリアム・メンキンが世界初のヒト体外受精卵の作成に成功したことを発表した4。1960年代にはロバート・エドワーズが将来の不妊医療への応用を視野に入れ、体外受精研究を開始する5。
エドワーズが体外受精研究に着手した1960年代には、日本でもヒト体外受精研究の成果が発表されていた。1961年に東邦大学教授の林基之がヒト体外受精卵を作成したことを報告していた6。また、慶應義塾大学でも鈴木秋悦が体外受精研究を行っており、1960-70年代にかけては度々産婦人科医向け雑誌に体外受精の解説論文を執筆していた。1970年代中頃までは林と鈴木秋悦が日本のヒト体外受精研究を牽引していた。しかし鈴木秋悦は胚移植に関して「奇形などの異常発生が全くないという保証はない。したがって私見としては……はなはだ悲観的である」と、この時点では否定的だった7。
1976年には、子宮外妊娠に終わるもののエドワーズらが体外受精―胚移植による妊娠例を報告する8。翌1977年、東邦大学では林基之が急逝するが、講師の久保春海が第二極体の放出などの受精基準を満たすという意味で、日本ではじめてとされるヒト体外受精卵の作成を日本不妊学会9の『日本不妊学会雑誌』に報告した10。1978年には、世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンが誕生し、Lancet誌に簡単なレポートが掲載された11。エドワーズらの研究に対しては、宗教上の理由のほか、安全性=「奇形児」の発生の懸念から反対意見が相次いでいた。その詳細は本報告書に掲載されている花岡龍毅氏の講演録や論文などを参照されたい12。
エドワーズらの報告を受け、東北大学教授の鈴木雅州も将来の臨床応用を視野に入れて体外受精研究に着手した13。その一方で、鈴木秋悦は1978年の『科学朝日』に掲載された記事のなかで、「[体外受精の:引用者注]臨床応用にはなお若干の年月が必要であろうと思う」とし、着床条件の検討など、生殖生理の基礎的な面で未解明な点を挙げ、「ヒトに試みる前に、まだ成功していないサルなどの高等動物に応用することが先決であると思う」と述べていた14。また、1976年から1980年まで日本不妊学会理事長をつとめた日本大学名誉教授の沢崎千秋は、1979年の論考で「[体外受精―胚移植が;引用者注]成功したとしても奇形ないし生後の心身障害がおこる可能性が非常に高いと考えなければならない」と、体外受精―胚移植を否定的に捉えていた。ここで沢崎は、体外受精―胚移植から派生しうる問題として「受精卵を設けた夫婦以外の婦人の子宮に移植される「借り腹」「貸し腹」へつながるおそれがある。子宮がわるくて、子どもができない時はやむをえないという逃げ口上で。またもっとひどいのは、美容を損なわないために他人の腹を金で買うことも起こり得よう。いわゆるホストマザーである。こうなると子供は商品でしかない」と代理懐胎を懸念していた15。さらに、1983年の論文では「染色体うめこみ試験がこれに合併されれば当然のように人倫をはずれた無茶苦茶なことが起こる可能性がある」と将来の遺伝子操作の可能性についても危惧していた16。また、体外受精―胚移植による妊娠・出産を国内3番目に報告した徳島大学で教授をつとめた森崇英は、当時の日本産科婦人科学会の「指導層の非公式見解は、ヒト受精のメカニズムの基礎研究が先行すべき課題で、臨床応用は時期尚早との考えであった」と回顧している17。このように、産婦人科医学者の間でも体外受精の臨床応用に対して批判的な見解が提起されていた。

3.体外受精の臨床応用と日本産科婦人科学会の「見解」

こうした状況のもと、1979年には鈴木雅州が主任研究者をつとめた「厚生省心身障害研究 母体外因研究班」の「不妊分科会」が発足した。母体外因研究班は1977年度から1979年度までのプロジェクトで18、複数の分科会から構成されており、発足当初に存在していなかった不妊分科会は、慶應義塾大学教授の飯塚理八を分科会長に据え、最終年度に加わった。
母体外因研究班は1979年度までのプロジェクトであったが、翌1980年から1982年度までの期間で、鈴木雅州が主任研究者をつとめる「厚生省心身障害研究 妊婦管理研究班」が発足した19。この研究班も複数の分科会から構成され、そのうちの一つが飯塚が分科会長を務める不妊分科会であった。飯塚の1980年度の分科会総括からみてとれるように、この分科会では、「体外受精の基礎を研究する目的」の研究が行われていた。また、1981年度第1回打ち合わせ会で、評価員として出席していた沢崎千秋から「体外受精の臨床への応用はよりいっそうの慎重性をもって行うよう要望」を受けていたが、これは不妊分科会が体外受精の臨床応用を目指す研究者を中心とする集団であったことを裏打ちしていよう。
1982年の11月には飯塚を中心に日本受精着床学会が発足した。会長の飯塚はオリエンテーションで「この学会の設立をもって本邦のIVFとETのゴーサインとする」と宣言したという20。飯塚は1983年6月17日に、厚生大臣林義郎の私的懇談会「生命と倫理に関する懇談会」に専門家として出席に応じ、体外受精の現況を証言していたのだが、ここで飯塚は日本受精着床学会について「幸いにも厚生省で……プロジェクトを作っていただきまして、4年前でございますが、そこで人工授精とか体外受精を研究せよということになり、プロジェクトができまして、数人の研究者、臨床家に入っていただきまして、そこで基礎的な研究をしてまいったわけでございます。昨年の11月にだいたいIVFのことは完成したので、いよいよこれを臨床応用というETにもっていこうではないかというような学者相互間のコンセンサスをもちまして、日本受精着床学会というのを11月に作り、私が会長を仰せつかりました」と発言していた21。日本受精着床学会の発足経緯の詳細については別稿で論じるが、不妊分科会のメンバーや日本受精着床学会の世話人22には、飯塚理八、森崇英、鈴木雅州23など、体外受精―胚移植の臨床応用に積極的な産婦人科医学者たちが名を連ねており、実質的に不妊分科会は日本受精着床学会の前身組織であったと評価できる。
1982年には、体外受精―胚移植の臨床応用をめぐって日本産科婦人科学会にも動きがあった。6月1日刊行の『日本産科婦人科学会雑誌』に、「第34回評議会あるいは総会に報告し、または承認をえた主要事項」として、鈴木雅洲を会長に据えて開催される2年後の第36回学術講演会でシンポジウム「卵の側からみた受精と着床をめぐる諸問題」を行うことが発表され、その際、「可能な限りヒトにおける諸現象を取り扱うことが望ましい」とされた24。さらに、8月1日刊行の『日本産科婦人科学会雑誌』においてシンポジウムの演者が募集された。ここで、体外受精―胚移植は「すでに、国際的に不妊治療の一環として応用されていますが、この領域の研究を実施するにあたっては、わが国における倫理的、法的、社会的な基盤を十分に配慮し、さらに有効性と安全性を評価」することともに、演者には以下の簡単な「付記事項」が求められ、体外受精の臨床応用も視野に入れられていた25。鈴木秋悦はこれについて「不妊治療への応用という具体的な目標に向かってゴーサインが出されたことになる」と振り返っていた26。

日本産科婦人科学会のシンポジウム演者募集の「付記事項」(1982年)

1.‌臨床応用に際しては、動物実験によるquality controlを十分に行いうること。
2.医師が総ての操作および処理に責任を持てる状況で行うこと。
3.‌実施に際しては、被施術者に方法と予想される成績について十分に説明し、その同意を得ること。
4.‌体外受精の段階でとどまったもの(the unbornなど)については、その取り扱いに十分注意すること。
5.‌被実施者は、合法的に結婚している夫婦とし、非配偶者間では行わないこと。
6.疑問点については、本学会に照会すること。

これはシンポジウムの演者募集の際の「付記事項」に過ぎないのであるが、「生命と倫理に関する懇談会」において飯塚はこれについて、日本産科婦人科学会の「一つのガイドライン」だと発言していた27。
翌1983年の1月1日には、この付記事項を参考にして、東北大学が学内基準「体外受精・胚移植(IVF & ET)に関する憲章」を発表し、ここでも、「付記事項」が「日本産科婦人科学会で定めた基準」と記されていた。東北大学の憲章は以下の通りである28。

東北大学の「体外受精・胚移植(IVF & ET)に関する憲章」(1983年)

Ⅰ 体外受精・胚移植の基本理念
 1.体外受精・胚移植は医療行為として行う。
 2.‌体外受精・胚移植は、不妊症患者の幸福に貢献することを目的として行う。
 3.‌体外受精・胚移植を行うにあたっては、日本産科婦人科学会で定めた基準を遵守する。
 4.‌体外受精・胚移植の実施にあたっては、遺伝子に影響を与えると思われる一切の操作を行わない。
Ⅱ 体外受精・胚移植の実施要綱
 1.‌体外受精・胚移植に従事する医師は、生殖医学に関する高度の知識・技術の習得に努める。
 2.‌体外受精・胚移植を行うに際し、各部署を担当する医師は自己の分担業務を正確に行い、協調し、診療成果の向上に努める。
 3.‌体外受精・胚移植による患者の障害を防止するため、特に認定された医師がこれを実施する。
 4.‌体外受精・胚移植を実施するに際しては、予め確実かつ十分な臨床検査を行い、適応・条件を正しく定める。
 5.‌体外受精・胚移植は卵管に原因のある不妊症で、卵管形成術にとっても治療不可能と思われる場合を適応とする。
 6.体外受精・胚移植は以下の条件が揃った場合に施行する。
   a 合法的に婚姻しており、夫婦共に挙児を希望する。
   b ‌被実施者は精神・身体ともに、妊娠・分娩・育児に耐え得る健康状態にある。
   c 被実施者は、着床および妊娠維持が可能な子宮を有する。
   d 被実施者は、成熟卵の採取が可能な卵巣を有する。
   e 被実施者の配偶者より、妊孕能のある精子を得ることができる。
Ⅲ 体外受精・胚移植における患者管理
 1.‌被実施者及びその配偶者に対して、体外受精・胚移植について、充分な理解を得るように説明する。
 2.‌体外受精・胚移植の実施の決定及び術式の選択については、被実施者及びその配偶者の意志を尊重する。
 3.‌体外受精・胚移植について被実施者及びその配偶者の了解を得た上で同意書を作成する。
 4.‌体外受精・胚移植後妊娠に至るまでには、通常、多数周期にわたる長期間の連続施行が必要である。この期間における被実施者とその配偶者の精神的困難の克服を援助するために、可能なかぎりの努力を行う。
 5.‌体外受精・胚移植にともなう被実施者、その配偶者の精神的・社会的な諸問題に対処するために、体外受精・胚移植に精通したカウンセラーを置く。カウンセラーは被実施者の要請に応じて業務を行う。
 6.‌体外受精・胚移植に従事する医療担当者は、法の定めるとことに従い、業務上知り得た被実施者の秘密を漏洩しない。
 7.‌体外受精・胚移植により妊娠した時には、妊娠・分娩の経過中における障害防止のため、および児の健全な発育のために、長期間にわたる健康管理を行う。

その後、1983年の3月14日には体外受精―胚移植による国内初の妊娠が新聞報道で取上げられた29。これに続いて、4月12日には、倫理委員会を設置していた徳島大学が臨床応用を容認するにあたって以下の「倫理委員会判定」を公表した30。

徳島大学の「倫理委員会判定」(1983年)

1.‌ヒト体外受精卵子宮内移植法(以下本法という)を厳密に「医療行為」に限定して実施すること
2.‌本法の実施にあたる医療チームは、目的達成に必要かつ充分な知識と技術をもつ医師および技術員であって、各専門分野ごとに充分対応できる組織が構成されていること
3.本法の実施に当たっては十分な施設・設備が整備されていること
4.‌本法の実施は、その全過程にわたって、指揮に当たる医師が責任を負い得る状況の下で行われること
5.本法を実施することができる対象は、次の各項に該当する者に限ること
 ‌(1)申請書における絶対的適応者で手術的あるいは保存的療法もしくはそれらの併用によっても妊娠の見込みのない者
 ‌ただし、将来本法が確立された段階においては、申請書における相対的適応の承認も考慮する
 ‌(2)法律上の夫婦であって、双方ともに実子をもつことを熱望しており、本法の実施および育児に伴う精神的、肉体的、年齢的および経済的な負担に耐え得ると判断される者
 ‌(3)本法の実施方法とそれに通常伴うリスク、現時点での成功率、先天異常発生の可能性、目的達成のためには本法の反復実施の必要があるかもしれない点、経費の負担、その他必要な事項について十分かつ適切な説明を夫婦が同時に受け、一定の熟慮期間を経た後、自発的意思に基づく本法実施の依頼書と採卵手術の同意書を夫婦連名で提出する者
6.‌採取された卵及び精子並びに受精卵は本来の目的以外に使用し、叉は使用させないこと
7.‌本法実施の過程で遺伝子操作及びそれに類する一切の操作を絶対に行わないこと
8.‌本法の実施対象となった夫婦及び出生児のプライバシーの権利は最優先されなければならない。本法の実施関係者は夫婦及び出生児にかかる一切の秘密を洩らさないこと。本法による出生児は社会的関心をあつめることが予想されるが、むしろ「ふつうの子供」として成長し得るよう慎重に配慮すること
9.‌申請者は本委員会の求めがあればこの条件の遵守に関する報告書を本委員会に提出すること
10.上記の各条件に違反した場合は、承認が取り消されることがある

続いて、10月14日に日本初の体外受精児が誕生した31。その直前、日本産科婦人科学会が10月1日刊行の『日本産科婦人科学会雑誌』において会長の鈴木雅洲名義で「『体外受精・胚移植』に関する見解」を公表し、「不妊の治療として行われる医療行為」である体外受精―胚移植を行うにあたり、以下の条件を求めた32。

日本産科婦人科学会の「『体外受精・胚移植』に関する見解」(1983年)

1.‌本法は、これ以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがないと判断されるものを対象とする。
2.‌実施者は生殖医学に関する高度の知識・技術を習得した医師で、細心の注意のもとに総ての操作・処置を行う。また、本法実施前に、被実施者に対して本法の内容と予想される成績について十分に説明し、了解を得た上で承諾書等に記入させ、それを保管する。
3.‌被実施者は婚姻しており、挙児を希望する夫婦で、心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあり、成熟卵の採取、着床および妊娠維持が可能なものとする。
4.受精卵の取り扱いは、生命倫理の基本にもとづき、これを慎重に取り扱う。
5.本法の実施に際しては、遺伝子操作を行わない。
6.‌本法の実施に際しては、関係法規にもとづき、被実施者夫婦およびその出生児のプライバシーを尊重する。
7.‌本法実施の重要性に鑑み、その施行機関は当事者以外の意見・要望を聴取する場を必要に応じて設ける。

この「見解」の策定経緯は、鈴木雅洲らによると、体外受精―胚移植が多数の医療施設で実施されるようになり、「付記事項」だけでは不十分だと認識されるようになったことがあった。1983年4月に開催された理事会において「体外受精等に関する委員会」が委員長鈴木雅州、副委員長飯塚理八のもと組織され、5月24日の第1回委員会を経て、6月6日の第2回委員会において原案が作成され、理事会が修正を加え、「見解」が作成された。この「見解」を「『指針』、『方針』、『会告』として出すかについての討議がなされたが、学会として会員に守ってもらう事項としていちばん強い『会告』として会員に発表」することになった33。このように「見解」は体外受精―胚移植の導入にあたっての道筋を示すものというよりは、定着のための条件整備を目指したものだった。

4.考察

「見解」の内容について、①非配偶者間での実施、②「先天異常」の発生可能性に関する認識という観点から考察を加えておく。
①非配偶者間での実施について。1982年の日本産科婦人科学会の「付記事項」では「合法的に結婚している夫婦とし、非配偶者間では行わないこと」と、非配偶者間禁止規定が明確に記されていた。また、1983年の東北大学の「憲章」では夫の精子や妻の成熟卵子の採取が可能で、妻が妊娠可能な子宮を持つこと、という形で非配偶者間禁止規定が設けられていた。徳島大学の「倫理委員会判定」では、被実施者は「法律上の夫婦であって、双方ともに実子をもつことを熱望」していることが求められた。他方、1983年の日本産科婦人科学会の「見解」では、これらの文書を統合したような形で「被実施者は婚姻しており、挙児を希望する夫婦で、心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあり、成熟卵の採取、着床および妊娠維持が可能なものとする」と記載された。しかし、ここで注目しておきたいのは、「見解」には東北大学の「憲章」とは異なり、精子に言及されていないことである。加えて、明確に非配偶者間禁止規定が設けられていた「付記事項」に比べれば、この点が曖昧にされている。もっとも、周知のようにこれが体外受精―胚移植の非配偶者間禁止規定だと解釈されてきた。
しかしながら、非配偶者間での実施が禁止されるならば、既に行われていたAIDとの整合性が問題になりうる。「生命と倫理に関する懇談会」第3回において、「見解」の原案を紹介していた飯塚は、討論でこの点を問われた際、不整合を認めたうえで「これは[夫婦間に限定することは:引用者注]当面だろうと言う方もいますし、だんだん希望者が出たらそのとき考えようと言う方もいる。産婦人科の委員の中でも、そういう規定を作るのはおかしいから夫婦だけに限るという項目を除きなさいと、強硬におっしゃる先生もおりました。ですけれども、大勢としては、いまそんな難しいことを言っていたのではいけないということで、とにかく現在は婚姻している夫婦に限るということにしております」34と応えていた。このように日本産科婦人科学会の委員会の副委員長がAIDとの整合性を問われた経験から、最終的に精子のことが「見解」には盛り込まれなかった可能性が示唆されよう35。ただし結局、非配偶者間での実施は禁止されていると認識され、1984年の論文で法学者の中谷瑾子は「筆者自身は非配偶者間の体外受精やAIDに賛成しているというのではなく」と断った上で、「AIDとのバランスを考えれば、配偶者間に限定するのは不合理」だと指摘していた36。
なお、「見解」の成熟卵子の採取や妊娠維持が可能なことを求める文言は、2006年の改定で削除されている37。近年でも日本産科婦人科学会は非配偶者間での体外受精―胚移植を認めていないと評価されるが38、これらの文言が削除されたからなのかは定かでないものの、2000年代後半に入って日本産科婦人科学会倫理委員会の委員が非配偶者間での実施は禁止されているわけではない、という趣旨の発言や記述を残している39。
②「先天異常」の発生可能性に関する認識について。限定的な条件ではあったが、「見解」は体外受精―胚移植を条件付きで認めているため、このテクノロジー自体に否定的な立場とは根本的に相容れない。それでも、推進派と否定派の双方に共通する認識があった。体外受精―胚移植自体に否定的な立場は、胎児の「奇形」や「先天障害」が発生する可能性をこのテクノロジーの批判理由の一つに掲げていた。他方で、鈴木雅州は体外受精―胚移植の過程では、そもそも「異常」な精子や卵子は選定されず、仮に受精卵に「異常」が生じてもそうした受精卵は着床できず、着床したとしても流産するとして、「自然淘汰」が働くため、「先天異常」の発生率は通常の妊娠と変わらないと主張する40。徳島大学の倫理委員会でも「先天異常」の発生可能性が問題になったが、森が調査した結果、当時101例中1例に重度の「心臓奇形」がみられ、出生児数が1,000例になるまで待つべきとの意見も出たが、倫理委員会は「先延ばしするほどのリスクは見込まれないとの判断」を下したという41。
「先天異常」発生率が高くないと認識されていたのだとしても、当然ながらそうした認識においても発生率はゼロでない。この点について徳島大学の「倫理委員会判定」では「先天異常発生の可能性」を被実施者が納得の上で自発的に同意することが要請されていた。日本産科婦人科学会の「付記事項」や「見解」では「先天異常」に直接言及されていないが、「予想される成績」について十分な説明を受けた上で同意することが要請されていた。実は「見解」が公表された後、1984年7月1日刊行の『日本産科婦人科学会雑誌』に「見解」の解説文が掲載されており、そこには「予想される成績とは、妊娠できるか否かの可能性、予想される妊娠率、妊娠成立後の流産・胎児異常の発生の可能性、などを意味する」と明記されていた42。したがって、「先天異常」の「リスク」を患者の側で/患者の側でも引受けさせるような仕組みが作られてきた43、加えて、賛否がわかれる中で体外受精―胚移植を定着させるためにもこうした戦略がとられたと評価できよう。

5.おわりに

本稿では日本産科婦人科学会が「見解」を策定するまでの流れを示し、①非配偶者間での実施、②「先天異常」の発生可能性に着目して「見解」の分析を行った。最後に、今後の課題の方向性を示す範囲で、②と「バイオエシックス」、「生命倫理」という用語との関係性に触れておきたい。
周知のように、1980年代は日本の生命倫理学の黎明期と認識されている44。産婦人科学界隈でも、例えば沢崎千秋がジョージタウン大学ケネディ研究所アジア・バイオエシックス研究部長の木村利人の論文45を参照しながら「バイオエシックス」や「生命倫理」という用語を産婦人科医向け雑誌で紹介しており、インフォームド・コンセントや情報公開、患者の自己決定の必要性を訴えていた46。「見解」にも「生命倫理」という文言が明記されている。もっとも、これは受精卵の扱いについての項目であるが、この部分の解説には「生命倫理の概念は、その時代差、地域差、個人差、社会的・職業的立場の差によって異なる。また、医学的な立場からのみで決められるものではなく、人文科学的・社会科学的・自然科学的なことも考慮に入れ、総合的な立場から決められるべきで、一概に結論を出すことはできない。しかし、生命倫理の基本を一言でいうならば人の生命を尊重することを意味する」とされた上で「精子・卵子は、不妊症の診断並びに治療に必要なときには、本人の同意を得て臨床検査に使用することができる」と記載され、「本人の同意」に言及されていた47。また、徳島大学の倫理委員会では木村が専門委員として意見を述べ、「専門家集団による密室での相談・決定は反倫理である」と明言し、「関連する人々の同意とプライバシーを守ること」などを要請し48、先述のように「倫理委員会判定」は「見解」の策定にあたって参照された。
ここから、十分な説明を受けて自発的に同意することで「先天異常」が発生する「リスク」を患者側が/患者側も引受ける仕組みを形成するのに、生命倫理という考え方が一役買っていたことが示唆されよう。戦後間もなくの時代のAIDも、患者側の「自発的意思」に基づく依頼書を医師に提出することが求められていたが49、体外受精―胚移植はこの構造が生命倫理という考え方の影響を受け、より洗練された形で現れてきたとも評価できよう。
医師か患者のどちらが/どちらもが責任を引き受けようとも、また、体外受精―胚移植に賛成しようとも反対しようとも、「正常」からの逸脱は「リスク」と認識されてきた。また、沢崎は「体外受精はテクニックそのものよりも、それによる自然科学的および社会文化的両面の影響の方が重大視されている、そのようなことを『バイオエシックス』として木村氏は述べているのである。だから、人によってその評価は一致せず、これが社会的に定着するかどうか、定着するとしても長い年月を要すべき問題であるから、決して結論をあせって出してはならない。(1)体外受精では細胞の異常分割が正常妊娠の場合よりも多く見られるという報告に対しては鈴木教授はそのような場合は着床が障害されて、流産するから問題にならない。その後の奇形は体外受精とは無関係であると述べているが、どこまでの厳密なフォローアップによったのかについては筆者は何も聞いていない。したがって、その判断ができない」と記述するように、バイオエシックスや生命倫理と関連づけて、体外受精―胚移植による「先天異常」発生の懸念を論じていた50。後に生命倫理学を構築する論者たちがこの時代に「先天異常」の発生をどのように捉えていたか、そして「先天異常」の発生予防を擁護する医学的言説と「生命倫理」、「バイオエシックス」という用語がどのような関係にあったか精査することを今後の課題としたい。

付記

本研究は上廣倫理財団研究助成(研究代表者由井秀樹「体外受精研究のフレームに関する歴史研究-1960〜80年代の日本の展開」)からの助成を受けて行われた。

[注]
1 長沖暁子,1993,「生殖技術―(Ⅰ)日本への導入」『慶応義塾大学日吉紀要・自然科学』14,74-95.
林真理, 2002, 『操作される生命―科学的言説の政治学』NHK出版.
田中丹史. 2015, 「日本における体外受精の導入過程の歴史分析―不確実性下の意思決定と責任」『哲学・科学史論叢』17、83-102頁。
2 鈴木雅州, 1983, 『体外受精―成功までのドキュメント』共立出版.
森崇英, 2010, 『生殖・発生の医学と倫理―体外受精の源流からiPS時代へ』京都大学出版会.
斎藤隆雄, 1985, 『試験管ベビーを考える』岩波書店.
山口裕之・小泉義之・香川知晶・松原洋子・大林雅之・田中智彦・土屋貴志・中島理暁・林真理・真野京子・屋良朝彦・森崇英・鎌田正晴・山野修司・松下光彦, 2005, 「徳島大学倫理委員会設立経緯の調査・インタビュー」(最終アクセス2015年11月27日、立命館大学大学院先端総合学術研究科webページ内、http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2005/0219.htm).
3 前掲『操作される生命―科学的言説の政治学』.
4 J. Rock & M. Menkin, 1944, “In Vitro Fertilization on Cleavage of Human Ovarian Eggs ”, Science, 2588: 105-107.
ただし今日ではこれは未受精卵の分割と評されている。
5 R. Edwards, & P. Steptoe, 1980, A Matter of Life: The Story of Medical Breakthrough. London: Hutchison Publishing Group, 1980: 38-39(=飯塚理八監訳,1980,『試験管ベビー』時事通信社,43).
6 林基之,1961,「全卵管閉塞症の診断と治療」『産婦人科の実際』10(8),665-672.
これも今日では未受精卵の分割であった可能性が指摘されている。
7 鈴木秋悦,1973,「体外受精」『産婦人科の実際』22(8),667-670.
8 P. C. Steptoe, & R. G. Edwards, 1976, “Reimplantation of a Human Embryo”, The Lancet, 7965: 880-882.
9 日本不妊学会は1956年に不妊医療研究専門学会として設立された。現在の日本生殖医学会の前身である。
10 久保春海,1977,「ヒト卵胞卵の体外受精」『日本不妊学会雑誌』22(3),182-190.
11 P.C.Steptoe, & R.G.Edwards, 1978, “Birth After the Reimplantation of a Human Embryo”, The Lancet, ⅰ: 366.
12 花岡龍毅,2009,「不確実性の生成―体外受精技術の歴史」『科学史・科学哲学』22,25-43.
花岡龍毅,2009,「体外受精技術の歴史における基礎研究から臨床研究への移行過程への特質」『生物学史研究』82,1-20.
花岡龍毅,2011,「生殖補助技術のリスクをめぐる倫理的言説の変遷」『生物学史研究』85,21-40.
花岡龍毅,2013,「生殖補助技術の科学的検証の歴史的変遷―リスクをめぐる科学者・医師の言説をめぐって」『生物学史研究』89,1-21.
13 前掲『体外受精―成功までのドキュメント』,43.
14 鈴木秋悦, 1978, 「早すぎた試験管ベビーの誕生―基礎研究が済んでいない体外受精」『科学朝日』38(10), 54-56.
15 沢崎千秋,1979,「マスコミにのった試験管ベビー」『産科と婦人科』46(1),9-16.
16 沢崎千秋,1983, 「生殖医学の進歩についての提言」『産婦人科の世界』35(4), 347-355.
17 前掲『生殖・発生の医学と倫理―体外受精の源流からiPS時代へ』, 34.
18 各年度の報告書は以下の通り。
主任研究者鈴木雅州, 1978,『「厚生省心身障害研究報告書」昭和52年度 母体および胎児に対する外的因子に関する研究研究報告書』(最終アクセス2015年9月15日、http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/ssh_1977_05.htm)。
主任研究者鈴木雅州, 1979,『「厚生省心身障害研究報告書」昭和53年度 母体および胎児に対する外的因子に関する研究研究報告書』(最終アクセス2015年9月15日、http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/ssh_1978_03.htm)。
主任研究者鈴木雅州, 1980,『「厚生省心身障害研究報告書」昭和54年度 母体および胎児に対する外的因子に関する研究研究報告書』1980年(最終アクセス2015年9月15日、http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/ssh_1979_02.htm)。
19 各年度の報告書は以下の通り。
主任研究者鈴木雅州, 1981,『「厚生省心身障害研究報告書」昭和55年度 妊婦管理の改善による胎児障害防止に関する研究研究報告書』(最終アクセス2015年9月15日、http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/ssh_1980_01.htm)。
主任研究者鈴木雅州, 1982,『「厚生省心身障害研究報告書」昭和56年度 妊婦管理の改善による胎児障害防止に関する研究研究報告書』(最終アクセス2015年9月15日、http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/ssh_1981_05.htm)。
主任研究者鈴木雅州, 1983,『「厚生省心身障害研究報告書」昭和57年度 妊婦管理の改善による胎児障害防止に関する研究研究報告書』(最終アクセス2015年9月15日、http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/ssh_1982_08.htm)。
20 飯塚理八, 1983, 「誕生した『日本受精着床学会』」『母子保健情報』7, 52.
21 厚生省医務局編, 1983, 『生命と倫理に関する懇談』薬事日報社, 74-107.
懇談会は1983年から1985年までに計18回開催された。1983年6月17日の第3回のテーマが「体外受精」であった。
この懇談会は「多様な専門家や有識者を招いて個別問題を審議するという『生命倫理委員会』の雛形を形成するのに貢献した」と評される(額賀淑郎, 2009, 『生命倫理委員会の合意形成―日米比較研究』勁草書房, 63)。
22 前掲「誕生した『日本受精着床学会』」.
23 鈴木雅州は母体の研究班の代表者であったため、不妊分科会メンバーには名を連ねていないが、分科会の会合には顔を出していた。
24 「会告 第34回評議会あるいは総会に報告し、または承認をえた主要事項」, 1982, 『日本産科婦人科学会雑誌』34(6), 1-2。
25 「会告 第36回学術講演会シンポジウム課題の決定並びに担当希望者公募について」, 1982, 『日本産科婦人科学会雑誌』34(8), 4-5.
飯塚はこれについて自分たちが中心になって作成したと回顧している(飯塚理八, 1983, 「日本受精着床学会設立に際して」『産婦人科の世界』35(4),345-346)。
26 鈴木秋悦, 1983, 『生殖のバイオロジー』日本評論社, 165.
この著書には「東北大学チーム(鈴木雅州教授)によって日本初の着床例が報告され、わが国でもいよいよ試験管ベビーが誕生する見通しが立ったのである」と記されているが、続いて「成功率は10%前後と低く、流早産例も少なくなく、時にその中には染色体異常児が含まれていることが報告されており、安全にして成功率の高い、ある程度の設備があれば一般病院でもできる体外受精法というわけにはまだ至っていない」との記述がある(165-166頁)。この記述をみる限り、鈴木秋悦は「一般病院」での施術には慎重でありながら、少なくとも大学病院レベルでの臨床応用には態度を軟化させていたといえよう。
27 前掲『生命と倫理に関する懇談』, 84.
28 前掲『体外受精―成功までのドキュメント』,51-52.
29 「体外受精児日本でも 東北大、着床に成功 順調なら秋に産声」『朝日新聞』1983年3月14日朝刊、第4面。
30 前揭「徳島大学倫理委員会設立経維の調査・インタビュー」
31 「日本初の体外受精児誕生 女の子、体重2544グラム 東北大病院 予定より15日早く 帝王切開で出産」『朝日新聞』1983年10月14日夕刊、第1面。
32 「会告」, 1983, 『日本産科婦人科学会雑誌』35(10), 7.
33 鈴木雅洲・佐藤章, 1984,「日本産婦人科学会見解について」飯塚理八・坂元正一・鈴木雅洲・高木繁夫編『受精・着床' 83』学会誌発行センター, 206-208.
34 前掲『生命と倫理に関する懇談』, 96.
35 「見解」の原案の全文は前掲『生命と倫理に関する懇談』や、生命と倫理に関する懇談会の報告書(厚生省健康政策医事課編, 1985,『生命と倫理について考える―生命と倫理に関する懇談報告』医学書院)には掲載されていない。
飯塚は見解の原案について「[日本産科婦人科学会の体外受精等に関する:引用者注]委員会の案はある程度まとまっております。その総則としてここにございますが、ちょっと読ませていただきます。『人の体外受精並びに胚移植等は、不妊の治療として行われる限り医療行為である。その実施に際しては、我が国における倫理的、法的、社会的な基盤を十分に配慮し、本法の有効性と安全性を評価したうえでこれを実施する。』これが総則でございますが、このような認識、理解のもとに以下いろいろなことについて規定を作ってやっていきたいというふうに思っております」と述べるに留まっていた(前掲『生命と倫理に関する懇談』85-86)。
36 中谷瑾子, 1984,「体外受精の法律問題」『産婦人科の世界』36(1), 5-11.
37 2006年に改定された見解は以下の通りである。
1.本法はこれ以外の治療によっては妊娠の可能性がないか極めて低いと判断されるもの、および本法を施行することが、被実施者またはその出生児に有益であると判断されるものを対象とする。
2.実施責任者は日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医であり、専門医取得後、不妊症診療に2年以上従事し、日本産科婦人科学会の体外受精・胚移植の臨床実施に関する登録施設において1年以上勤務、または1年以上研修を受けたものでなければならない。また、実施医師、実施協力者は、本法の技術に十分習熟したものとする。
3.本法実施前に、被実施者に対して本法の内容、問題点、予想される成績について、事前に文書を用いて説明し、了解を得た上で同意を取得し、同意文書を保管する。
4.被実施者は婚姻しており、挙児を強く希望する夫婦で、心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあるものとする。
5.受精卵は,生命倫理の基本にもとづき、慎重に取り扱う。
6.本法の実施に際しては、遺伝子操作を行わない。
7.本学会会員が本法を行うに当たっては、所定の書式に従って本学会に登録、報告しなければならない。
38 前掲「日本における体外受精の導入過程の歴史分析―不確実性下の意思決定と責任」.
浅井美智子, 2011,「人工生殖を支配する生政治」『女性学研究』18, 24-42.
朝比奈俊彦, 2010, 「体外受精・胚移植(IVF-ET)」酒井明夫 ・ 藤尾均 ・ 森下直貴 ・ 中里巧 ・盛永審一郎 編『生命倫理事典 新版増補』太陽出版, 612-613.
39 「卵子提供は現在の日産婦の見解には何も規定がないものと考えられる。体外受精胚移植についての見解に記載してある、被実施者は婚姻しており……というくだりは、卵子提供を禁止する条項ではなく、体外受精の依頼者に関する見解として規定してあるものと考えられる」(久具宏司発言)(「日本産科婦人科学会第3回倫理委員会議事録」2007, (最終アクセス2015年11月28日, http://www.jsog.or.jp/report/rinri/minutes/gijiroku19_03.html))。
「会告により明確に禁止をしてはいないものの、提供配偶子に対して、日本産科婦人科学会は依然として慎重な態度をとっている」(石原理, 2012,「第三者の関与する生殖医療―日本と世界の比較」『母子保健情報』66, 76-79)。
40 前掲『体外受精―成功までのドキュメント』,143.
41 前掲『生殖・発生の医学と倫理―体外受精の源流からiPS時代へ』59-67.
42 「『体外受精・胚移植』に関する見解に対する考え方(解説)」, 1984,『日本産科婦人科学会雑誌』36(7), 1131-1133.
43 キャサリン・ミルズは、出生前診断として行われるオーストラリアの超音波検査において、情報提供を受けた上で検査を受ける/受けない、そしてその後に選択的中絶を行う/行わないの選択を自主的に行うよう要請される女性が、唯一の道徳的責任を負う主体として構成されることを指摘する(C. Mills, 2015, “Choice and Consent in Prenatal Testing in Australia”, 公開セミナー「出生前診断における選択と合意―オーストラリアと日本の場合」(2015年11月26日、立命館大学衣笠キャンパス)講演資料)。
44 土屋貴志, 1998, 「『bioethics』から『生命倫理』へ―米国におけるbioethicsの成立と日本への導入」加藤尚武・加茂直樹編『生命倫理学を学ぶ人のために』世界思想社, 14-27.
45 木村利人, 1981,「バイオエシックスを考える」『日本医事新報』2964, 87-91.
46 沢崎千秋, 1983, 「生殖医学の進歩とバイオエシックス」『産科と婦人科』50(12), 2059-2069.
沢崎千秋,1984,「体外受精と医師の倫理」『産婦人科の世界』36(1),13-28.
沢崎千秋, 1984, 「医の倫理性とバイオエシックス」『産婦人科治療』48(1), 1-6.
47 前掲「『体外受精・胚移植』に関する見解に対する考え方(解説)」.
48 前掲『生殖・発生の医学と倫理―体外受精の源流からiPS時代へ』, 56-57.
49 由井秀樹, 2015,『人工授精の近代―戦後の「家族」と医療・技術』青弓社,234.
50 前掲「生殖医学の進歩とバイオエシックス」.