日本のセルフヘルプグループ言説の歴史社会学──1970年から現在まで

中田 喜一
(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程)

はじめに
 本稿では、セルプヘルプグループ(以下、SHG)の専門家の言説を1970年代から現代まで描写し、専門家の言説を逆照射することによりSHG概念の権力性の変遷を概観する。それにより、かくも曖昧な概念であるSHGが何故せり出し、同時に専門職からの離れて、どのように個人主義化してきた歴史を記述する。というのも、これまでのSHG言説において日本の専門家として記述してくる歴史を精査すると、観察の対象でありながら援助の対象としても記述しているために専門家たちの言説がSHGの概念史を作り上げているという性質をもっているからである。さらに、やっかいなのはSHGの現実形態においてそれらの言説の生産主体が支援センターなどを設立して積極的にSHGの概念規定をプロパガンダしているために、現代の個人主義化されたSHGの出現をその概念史からは、記述出来なくなっているからである。
 第一節において、SHGの概念の多様性を指摘して、それによって確定的な定義の困難性を示したい。第二節において、1980年代からは専門家の視点からSHGが記述された文献が増大しており、それらが専門職が予め、SHG概念に包含された形で、内包されてきている。これらは、SHGの集団把握にある程度指針を与えていることを指摘する。
 第三節において、日本でも専門職側がSHGにどうかかわるかという問題系が専門家側の問題意識として先鋭化し、多大に専門職が関わるときの作法が問題にされていることを明らかにし、それらの乗り越えとして専門職側が、支援センターという周縁的な関わりを正当化していることを指摘する。
 第四節は、2000年代概念の定義付け問題に着目し、1970年にカウンセリングの技法として定義されていたSHGが2000年代にはいってからは、新たにオンラインSHGという過去おいて有効であった援助者─当事者というパースペクティブが失効しているということを明らかにする。このパースペクティヴは援助者─当事者を援助者の側が生み出すことによって可能たらしめてきたものであるが、この視点は、オンラインSHGの出現において、物語論的アプローチが失効し連帯と契機になりえてないことを指摘し、物語論的な自己アイデンティティも瓦解している形態が迫り出している状態を指摘し、支援としてのSHGの困難性とまた新たな個人主義化された意味でのSHGの出現を指摘する。

1.SHGの観察枠組
1. 1 SHGの定義の曖昧さ、柔軟さ、多様性という厄介な問題
 何を持ってして、SHGとするか。どのような条件であるならSHGとして取り扱うことが可能なのか。このような、問いを初めて日本に紹介したのは、約30年ほど前で村山・上里ら(1979)の『セルフ・ヘルプ・カウンセリング』という心理療法の入門テキストによってなされた。現在においてまで医療ソーシャルワーカー(MSW)や福祉専門家によって様々なSHGの概念が構築され続け、これらの専門家が生み出した独自概念は数多い。だが、必ずしもグループ概念の変遷といった歴史軸に沿った議論がなされたことはなく、事例に合わせてSHG概念の多様性が強調されながらも、個別のローカルナレッジに沿いながら目的別アプローチをしている論者が多い(田尾 2007)。
 概念の多様性という問題は、SHG研究者のみならず現場の福祉専門職や当事者にとっても明らかにされなければならない問いではないだろうか。というのも日本においてこの問いは30年のSHGの議論の含蓄がありながらも、この種の問いを系譜学的に明らかにしてきたとは言いがたいし、近年はむしろ概念の曖昧さは増大してきており、そのことが返ってこれまで日本でSHGを推進してきた言説装置を見失ってしまう可能性があるからである。
 曖昧さの内実において、様々な論者が指摘しているが、たとえば田尾(2007)は、『セルフヘルプ社会』の中でハービッツ(1976)を引用しながら指摘しているように、SHGの議論は、微妙な差異を有しており、「素朴な助け合いを始点としても、その始点でさえも宗教的なものから治療的なものまで多様であり、様々な意味を有する」(田尾 2007: 32)のである。
 SHGの概念の曖昧さの一番重要な点は、専門家言説においての差異のみならず、当事者の視点からも提出されている。それは、当事者側が自らの活動の意味をセルフヘルプ支援センターが位置付けてしまっているケースがある。たとえば現在、ひょうごセルフヘルプ支援センターを運営をしている中田(2000)が、大阪セルフヘルプ支援センターを紹介する際に引用している記述が皮肉にもSHG概念を当事者があまりよく理解してないことを決定的に語ってしまっているのである。
 大阪セルフヘルプ支援センターのセミナーにおいても、「セルフヘルプという言葉すら知らず、ただ不安で集まっていた私たちを今思えば、まさにセルフヘルプだったと思う」と記し(第7回セルフヘルプグループセミナー報告書、1996)、自分たちの止むに止まれない思いで行動してきたことは、このようにセルフヘルプという意義のあることだったのかと分かって嬉しかった、という発言もある(中田 2000: 9)。
 彼女は、ここでセルフヘルプ支援センターの存在意義を記述するとともに、当事者にも当事者の活動の意義を明確に理解させフィードバックすることによって当事者を大いに勇気づけていると述べている(中田 2000: 9)。しかし、皮肉にもここで読み取れることはセルフヘルプ活動をしているという意志が当事者には薄弱であり、セルフヘルプ支援センターに繋がりセルフヘルプを推進している人間に出会い、初めてそれらの概念と行為を結びつけることが当事者にとって可能になっているという仕掛けを皮肉にも明らかにしてしまっているということである。つまり、中田に代表されるようなSHG支援センターの活動は、当人がどのような活動をしていようとも支援者の側が有用であるなら、それらをSHGとして名付けようとしてしまうような傾向をどうしても帯びてしまう(1)。
 さらに、中田はSHGの範囲の属性的な限界を中田は指摘してもいる。たとえば、彼女は「似非セルフヘルプグループ出現」として、「欧米の死者を蘇らせるグループがアメリカに出現し、今後SHGとは似て非なるものが多く出現する危険性を指摘している(中田 2000: 226)」。中田(2000)は、専門家に影響の元に組織されているグループやオカルト関係のグループはSHGの枠外であると指摘している。
 だが、中田(2000)が提示するSHGの範囲の限界は、皮肉にも過去のSHGまでその批判対象として包括してしまうことになるのではないだろうか。初期のSHGの源流において宗教的な要素や専門家のインキュベーションというのはSHGの系譜を追っていくと初期に必ず存在してしまう要素はある。それらからSHGの理念型を切り離そうとする議論が福祉専門家たちによって盛んに行われているが、いずれも初期形態としての概念を掘り起こしているだけでそれの意味内容などの歴史性を踏まえていない議論になっている。
 さらに、セルフヘルプ支援センターと同様に当事者活動を支援するような「セルフヘルプ実施ガイド」といった書籍が出版されている。それらはセルフヘルプを実施するときのマニュアルとして機能している。だが、ここでもSHG活動を行なっている団体や条件は記述されていても、非SHGとは何かという記述が一切されていない。つまりSHGの範囲の限界設定がマニュアルにも記載されておらず、事例を述べるに留まってしまっているのである。

1. 2 現在のセルフヘルプ専門家からみた当事者──専門家の対等性
 このような専門職──SHGの共同関係の傾向は、2000年代において活発になってきている。たとえば半澤節子は専門職側がどのようにSHGを位置づけているかということを示している。彼女は、ガートナーを引き、SHGと専門職支援のコラボレーションを論じている。彼女は既存のシステムでは支援者が当事者に対して保護的に関係しているとし、オルタナティヴなセルフヘルプ活動として、専門職──当事者がお互いがパートナーとして再認識するといった取り組みが有用であると論述している(半澤 2002)。2007年には雑誌『精神障害とリハビリテーション』において、セルフヘルプ活動の特集が組まれた。そこで特集の代表者として「特集にあたって」という短い論考の中で、精神障害者のSHGのである「すみれ会」の事例もやはり、当事者─専門家のコラボレーションを示す事例だとして指摘している。

すみれ会というセルフヘルプ活動には休職中の教師や休養をとっている作業療法士が気軽に訪れる場所である。決して精神障害者だけが集う場所ではない。(中略)地域社会の中に「すみれ会」がある。つまり、一般人としての教師や作業療法士が出入りできるからこそ、こうした関係性を払拭できるのだろう。(半澤 2002: 6)

 2000年代の専門職側の中心的な議論としては、SHGはもはや単に当事者会ではない。少なくとも、実態がどうあれ、半澤(2002)のような論調が、ほとんどのSHG研究者の言説によって再生産されているのである。しかし、当事者の組織において必ずしもそのようなコラボレーションの意識が徹底化しているかといえば、甚だ疑わしい部分も存在する。たとえば、アルコール依存症の団体であるAlcoholics Anonymous(以下、AA)はクローズドミーティングというやり方で当事者ですら、男/女、喫煙者/非喫煙者 などというように限定をしている。
 本稿が専門職と当事者の歴史の固有性を明らかにしたいのも、当事者と専門家の乖離を述べている文献よりも、当事者─専門家のコラボレーションを謳っているのが専門職側に多いという事実とそこにある、イデオロギー的な概念と支援とが積極的に結び付けられている言説が現在存在する、現実のSHGの形態を見失う可能性が出てきているからである(2)。

2.海外における援助実践としての言説
2. 1 1970年代から1980年代におけるSHG言説
 中田(2000)や半澤(2002)が指摘しているようにSHGの概念史について、過去にまったく論者が居なかったわけではない。むしろ、誰もが歴史を取り扱っておきながらも非常に部分的かつ簡略化された図式しか提示してこれなかったのが実情であろう。
 たとえば、久保(2004)は、(1)1930年(2)1930年〜1940年(3)1950年〜1960年(4)現状 と10年区切りで分類し、その初期においてクロポトキンを引用し、SHGの源流は消費者団体や黒人グループ運動や宗教運動に求めているが、いずれの区分も概略的な説明になっており、それらの個別理論内在的な変遷を記述してはいない。
 比較的、過去の文献において概念史を詳細に取り扱った文献として岡(1990)の「欧米のセルフヘルプグループの概念規定について」があるので、論点を析出する(3)。
 岡(1990)もガートナーとリースマンを引いて、1960年代の社会運動、とりわけ市民運動、福祉運動、反戦運動、女性運動、消費者運動、環境保全運動があり、その後70年代の「草の根団体」につながっていったと指摘している。さらに岡は、セルフヘルプグループの研究が本格的に始まったのは1976年であるとしている。1976年に、アメリカの学術雑誌にセルフヘルプの特集が組まれ、キリリーやカッツやベンダーといった代表的な論者によって、論文発表がなされ、アメリカとイギリスの二カ国でセルフヘルプグループ支援のためのナショナルセンターが設立された。岡は、1976年から数年は特別の年だとし、1979年に、村山正治・上里一郎 1979『セルフ・ヘルプ・カウンセリング』の出版を日本におけるSHG研究の起源だとしている。さらに岡は、はじめの頃はアメリカの市民運動=セルフヘルプという位置づけが支配的で反専門主義的グループがそのままSHGであるという定義に変化が見られたという。
 1976年、K.W.BackとR.C. Taylorは、「セルフヘルプの支持者(adherents)たちのもっとも著しい特徴は専門職への不信(distrust)である」と言い切っていた。ところが三年後、I.J.D.BormamとM.A.Liebermanは「セルフヘルプグループはしばしば反専門職的(anti-Professinal)と誤解されている。この著で報告されている事実によれば、訓練された専門職がセルフヘルプグループの結成や支援にかかわってきただけではなく、多くの(セルフヘルプグループの)参加者がセルフヘルプグループのメンバーではない人々に比べて、はるかに多く専門職の援助を利用しているのである」と述べている(岡 2000: 54)。
 岡(2000)は、ここでBormamとLiebermanを引きながら、反専門的であればSHGではなくなってきていると指摘している。つまり、SHGのメンバーの規範として、専門職の援助の利用がなされてきているということをSHGの概念規定に大きく関わっていると指摘しているのである。
 このように岡(2000)は歴史を概観したのちに、1980年代以降のSHG研究の記述を以下のように総評している。

専門職のセルフヘルプグループへの関心が高まるにつれて、アメリカの市民運動として発展したセルフヘルプグループの「エッセンス」を抽出し、異文化の地で、その運動をどのように市民の間に定着させるかという、専門職の視点が出てきたということになる。このことから、現実としてのセルフヘルプグループの「実態から得られる概念規定」よりは、援助媒介としてのセルフヘルプグループの理想の形を想定した「モデルとしての概念規定」が優先されることが予想されてくるのである。(岡 2000: 55)

 つまり、現在においてSHG研究は援助の媒介として概念が導かれているのであり、SHGの概念そのものを精査して捉えられているわけではないのである。彼によれば1983年以降、事実把握のためだけではなく、どのようにグループを「育成」していくかという援助実践的な研究が増えてきていると指摘している。 
 岡(2000)は、1970年代を、1960年代の市民活動を含んだ互助ネットワークから1980年代にかけて支援の媒介としてSHGという変遷を大きく流れとして位置付けている。本稿では、岡(1990)の議論を、たたき台にしてもう一度整理したい。というのも、岡自身が、SHGの機能を理念的把握として捉えてしまっているがゆえに、実質的に当事者の系譜を隠蔽する形式で成立しているからである。

2. 2 専門職側がSHGに求める概念規定
 SHGの言説史はほとんど、専門家の議論によって構築されてきたといっても過言ではない。それは、SHGの効果や機能を批判的にとらえる(セルフヘルプバッシング)専門家群はもちろんのこと、SHGの集団特性や効用を積極的に定義し普及する実務家や研究者群においてでさえ、当事者抜きの専門家同士の間で議論が展開されてきた(伊藤 2010: 8)。
 また、半澤(2002)の調査では、1957年から1999年までの42年間のSHGに関する文献を、社会福祉研究者、看護・保健、医学、当事者(4)の4分類に分けたときの当事者の文献は、全体の9%であり、実数にして15文献ほどしかなかった(半澤 2002: 218-243)。
 このように、SHGの専門職──当事者の関係において、現場レベルでの専門家支配に関しては多くの議論があるが、少なくとも概念成立に関しての部分はあまり当事者の文献が反映されておらず、結果的に専門家やあるいは当事者の中でも家族やピアサポーターといった調査対象者が目立ち、語りえない主体に対してのアプローチはあまりなされていない。語りえない主体とは、本稿の文脈では意見や主張を持っていてもそれを表明、あるいは発信することができないでいる当時者のことである。しかも、この無力な主体は近年フリーライダーとしてSHGの組織維持に消極的な存在であると見做されている。
 岡(2002)は2002年の社会福祉学会の「仲間意識と会員意識の乖離──SHGの『会員二極化』仮説」においては、組織を維持する活動に従事している会員と組織を担うことが出来ない会員の二極化という問題が古くて新しい重要な問題であると指摘し、それの解決策を提案している。つまり、組織論でいうところのフリーライダーの問題を指摘しているのだが、岡(2002)の提示する解決策は、会員の早期社会化と称し、SHGの組織維持活動に参加するような方向性を参加初期から明確に強いる構造を作るという提案を行なっている。
 岡(2002)のSHGの会員二極化問題という議論は、同自身も述べているようにさほど珍しい訳ではない。田尾(2007)も岡と同様に二極化問題をフリーライダー対策として論じており、集団や組織の維持にとってフリーライダー問題はもっとも危惧されるべき点として挙げている(田尾 2007: 330)。
 これらの問題の根源は、岡(1990)が指摘しているように「援助媒介モデルとしての概念規定」しか論じられていないところにある。すなわち、一方では当事者─専門職の関係性をSHGの最大の特徴だと論じ、一方においては、SHGのある部分、つまり古くて新しい問題である組織運営に協力できない(あるいはしない)ユーザーは、SHGの規定から切り離そうとする意図がSHG専門家の議論のなかで散見される要素となっているのである。
 しかし、このようなフリーライダーといった視点が無効化されているような地平が切り開かれつつある、それが2000年から現在までの非管理型と呼ばれるオンラインセルフヘルプ活動である。このようなフリーライダー問題の無効化、そしてそもそもSHGという概念がオンラインSHGによって書き換えされている現実を記述する上で、このような当事者──専門職といった二項の相互作用ではもはや捉えきれない現実がある。以下では専門職側の言説の歴史のなかで、SHGの定義付けがどのように行われ、概念が変遷してきたのかをアプローチする。

3.日本の福祉専門職の実践活動における言説
3. 1 1980年代のSHG言説
 1980年代、それはSHG言説において海外からの概念輸入の年代であった。たとえば、久保(1981)は、SHGを、Riessman(1965)などの研究を引きながら、「ヘルパーセラピー原則」、「プロシューマー原則」、「非専門的側面」といった「援助的な力」をもった独自な組織として記述しており、先行する村山(1979)らの『セルフヘルプカウセリング』を例にとりながら日本での議論拡大を推進すると展望を記述している。
 また、1987年に久保(1987)は、「下から上への発想」と称して、SHGをボランタリズムの主体性を芽生えさせるインキュベーション装置として位置づけている。具体的には、以下のように久保(1987)は述べている。

ボランティアの思想的性格として、主体性、連帯性、無償性がよくあげられるが、セルフヘルプ(グループ)の思想的性格もやはりこのあたりにあるのだろう(久保 1987: 30)。

 このように、この時代SHGはまだまだ慈善運動に近かったし、久保だけでなく岡(1987)もボランティアとセルフヘルプグループがこの時期にSHGが注目されはじめた理由として、SHG活動のエートスがボランタリズムに見られる、市民的独立の尊重、ヒューマニズム重視の2点と交わったからだと述べている(岡 1987: 195-196)。
 半澤(2002)によれば、久保紘章が監訳した、ガードナーとリースマンの『セルフヘルプグループの理論と実際』は、多くの保健・福祉関係者に普及される先駆けとなったと指摘し、その理念のみならずSHGのづくりのガイドとしてすぐに活用できる内容のものとして注目された(半澤 2002: 197)。
 また、80年代後半は、社会福祉学のみならず看護学によっても注目されていた。外口玉子らは、カレン・ヒルの『患者・家族会のつくり方と進め方』を翻訳し、より実践的で保健福祉活動の推進にSHGを利用しつつ行うべきであるということを記述している。外口は、日本語翻訳版の「はじめに」で、「地域ケア福祉センター」をセルフヘルプ活動と位置づけ、実践的者としてSHG設立に関して、積極的な立場を表明している。日本においても、岩田・岡(1998)が、1998年の10月1日に大阪ボランティア協会において、セルフ・ヘルプ情報センターが開設される予定として、記述している。外口らが翻訳したHill(1984) にしても、岩田・岡(1988)にしても、SHGを支援するための専門的な機関をつくる動きがあったのも、この1988年という年から始まった。

3. 2 カレン・ヒルに見られる専門職──SHGそれぞれの問題点 
 カレン・ヒルの『患者・家族会のつくり方と進め方』は日本では1988年だが、原著のHelping You Helps Me: A Guide Book for Self-Help Groupsは1984年に刊行されている。彼女はこの中の4章に多くの部分を割き、専門職とSHGとの関係性を考察している。
 彼女の主張を要約すれば、専門職の問題点とは、SHGを支配しやすく、それゆえ支援者は支援するときに支配しないように気を配る必要があるということ。さらにSHG側の問題点とはSHGの世話人が専門職に「従う」ことを好んでしまい、当事者の経験的知識よりも、専門職の組織的な支援や科学的言説に巻き込まれてしまうという指摘をしている(Hill 1984=1988: 166-168)。
結論的に、ヒルは専門職とSHGとの関係は、依存関係になりやすく、専門職側に対して「SHGがこのままいけば失敗するように見えても、それでもグループからの強い要請がないかぎり援助しないことがたいせつです」と説いている(Ibid: 169)。 専門職側に対してのSHGへの援助技法の言説の増大は日本ではこのヒルの著書が出版されたに増大していくことになる。

SHGが、社会的に権威のある専門職の「権威」に頼ってしまうことがあります。「この会は○○先生のおスミ付きなんですよ」とか、「○○先生も応援して下さっている会です」というように(Ibid=1988: 168)

 この言説は80年代を表象する良い事例となる。つまり、病院の医師の権威が強かった時代においてSHGの医療や福祉からの相対的な独立性はあまり問題ではなく、SHG世話人が医師の承認を得て、人的資源を募っていたケースが多かったことを逆説的に示唆しているのではないだろうか。しかし、カレンヒルは当事者の代弁をしていると解釈するのは早計であろう。
 適切な読み方として、あくまで医療的な言説に抵抗する福祉側の言説として、解釈すべきだろう。この先の1990年代以降において彼女が指摘したような「失敗させる」といったような具体的経験ではなく、物語という当人のストーリーテリングという文脈に接続されていくような事象として解釈できるようになるだろう。

 3. 3 1990年代のSHG言説
 1990年代は、SHG概念の日本における普及期である。この時期になると、日本でも専門職側がSHGにどうかかわるかという問題系がクローズアップされてきている。岩間(1998)は以下のように述べている。

我が国においてセルフヘルプグループが増加し、ソーシャルワーカーなどの専門職たちが実践においてセルフヘルプグループと接触する機会が増えつつある今、必然的にセルフヘルプグループとどのように関わったらよいかというテーマもまた、危急の問題として関心を集めている(岩間 1998 :13)。

 このような、問いに岩間(1998)は、パウエル(1995)を引き、SHGを利用するクライエントは、「力を獲得した、援助を求める者」として、専門職の援助をより上手に活用できるようになり、専門職の使命を補強するという点で専門職にも利益をもたらすものであると示唆している。また、このことにより、SHGと専門職は共存するだけではなく、「自助と相互援助」と「専門的・科学的なサービス」という異質なサービスを提供しあう両者が、相互に利益をもたらす形で関係を成熟させる可能性を秘めていると指摘している(岩間 1998: 17)。この岩間(1998)の視点は、岡が海外の文献を精査する段階で提出した論点が日本にも出現してきたということを示唆している。
 また、1990年代で岡(1999)の一番重要な仕事に、『セルフヘルプグループ──わかちあい・ひとりだち・ときはなち』がある。この著書は、1994年に書かれた彼の論文を書籍にしたものであるが、岡(1994)によると、「わかちあい」をする上において、「まじわり」をすることが重要だという。「まじわり」は単に人と人が同じ場所で集まることとは違う。「まじわり」は、いかにすれば「ひとりだち」できるかを具体的に述べてあるプログラムを解釈するために必要である。彼によると、「まじわり」とは人が集まり集団として統一行動をとるのではないという。つまりSHGは、マス・ゲーム的な組体操ではなく、個人体操の練習場であるという。岡はこれを祭りの比喩にたとえ、「祭りでいえば、みんな一体になって御輿をかつぐのではなく、道順は決められているが各人がそれぞれ個性ある踊りを見せるパレードのようなものである」(岡 1994: 121)。
 このように、岡(1994)はSHGに加入して定型的に描かれるような効用を「わかちあい」「ひとりだち」「ときはなち」として、グループカウンセリングとの比較で差異化し、SHGの独自概念であると定義すると同時に、SHGのリスク因子とは何かということをも明確にしてしまっている。
 それについて、岡(1994)は2点あげており、一つ目は、専門家の干渉の弊害、ともう一つは、共同体として、運命主義的にならず個々人を尊重しあう、ということである。この時期、専門職からの開放は、専門職、当事者双方からよく指摘されているが、それらの開放とは専門職と全く関わらないという形ではない。あくまで、岡(1994)が関与してはならないというときの関与とは専門家がグループ運営に対して直接的な指示や一員となってはいけないというのみにとどまっており、セルフヘルプ支援センターなどの推進やそこで働くスタッフが専門職であってはいけないとは述べていない。つまり、岡(1999)の著書はSHGの一層の推進を促すとともに、専門職のSHG理解の本としても書かれている。これによって専門家は、SHGに対するが周縁的な関わりをとしての支援する装置としての、SHG解説マニュアルや支援センター等々を通じて、自らを運動促進母体であるとともに、SHGの概念流布 のための言説の再生主体として機能していることが見て取れる。

4.当事者組織としての理論と現在
4. 1 2000年代から現在までのSHG言説
 これまでのSHGについてまとめておくと、1970年代において欧米で生まれたSHG言説は、1970年代後半から日本に輸入されはじめ1980年代に翻訳が出始めた。まだ1980年代の初頭においては、ボランタリズムとSHGとの理念としての差異はあまりなく、むしろそれがSHGが注目されるひとつの要素として機能していた。
 さらにこの時期、セルフヘルプ支援の黎明期であり、1988年に岡がセルフヘルプ支援センターの前身である、セルフ・ヘルプ情報センターが出来た。1990年代にはいると、福祉・看護職がSHGと関係を持つことが多くなり、SHG支援というテーマがより先鋭化された形で議論されるようになってきた。そんな中、より一層啓蒙的な位置づけをした岡の『セルフヘルプグループ──わかちあい・ひとりだち・ときはなち』が出版され、いよいよ2000年代における日本のSHG概念の周知徹底がなされた。
 2000年代で重要な要素は、物語という論点である。それ以前は、岩間(1998)が指摘していたように、専門職においてSHGはあくまで科学的なアプローチをした結果、科学的な根拠でもってSHGが当事者に対して支援効果があるとして描かれていたが、新しいSHG概念においては、あくまでSHGは物語的なケアの機能をもっており、自然科学的な把握は不可能であるという理解が一般化してきている。たとえば、野口(2002)は支援者──当事者の物語の相互作用であると述べている。野口(2002)はSHGをナラティヴ・コミュニティとして捉え、語りによって維持される物語の共同体と述べている。
 また、この物語論の議論を踏襲して、伊藤(2009)は、SHG内部で語られる語りの力点はこれまでSHG研究で言われてきたようなヘルパーセラピー原理などのような「how to」的な知識の伝達よりはむしろ、専ら自分を記述すること、言い換えれば具体的な場面を自分の心の中まで含めて細部まで描くことにおかれているように見えると指摘している。 
 伊藤(2009)は、SHGの捉え方をこれまでのようにヒューマンサービスとして知識の質で捉えるのではなくむしろ物語を生み出す場として機能しているのであり、これまでのSHG研究を辛辣に批判している。同様に、葛西(2007)においても、AAの綿密なフィールドワークを実施し、物語を共同で生み出すという仕掛けを踏襲しながらも、個々の物語を生み出す共同性を「ハイヤーパワー」という霊性的概念に求めている。このように、各々の議論の位相はあるものの、SHGは技術と物語というパースペクティヴをベースにして2000年代のSHG言説を再生産させている。
 野口(2002)や伊藤(2009)や葛西(2007)の視点は、具体的な体験的知識およびヘルパーセラピー原理などの外在的で観察できる相互行為を基点としつつ成立してきたSHGの効用がより徹底して内在的、記述的に転換するような潮流を形成している。

4. 2 物語論の可能性と限界
 SHGでいう物語論は、心理療法で言われるところのナラティヴセラピーとは若干の異同が存在する(5)。本稿では、物語論とは当事者の言説であると同時にまた周りから構築されさらに脱構築され生産されつづけているものとする。この点において、プラマーは以下のように物語論を指摘している。

解決はないのかもしれない。残されているのはストーリーの増殖であり、まだ語られていないストーリーを認め、新しい余地をつくることである。(中略)必要なことはこれまで成長している一連のストーリーをしっかり聞き、それらを一貫した全体的なナラティヴの構造のなかに位置づけたいという欲求にかられないような感受性を養うことのようだ(Plummer 1995=1998: 352-353)。

 このプラマーの指摘でわかるように、物語は物語論の内部から出られない。プラマーの物語論の要諦は、物語はドミナントストーリーという支配的ストーリーに、オルタナティヴストーリーという周辺的なストーリーからのクレーム申し立てが行われるということである。基本的には野口(2002)などもこの議論を引き継いでいる。だが、物語論という方法には多くの批判がある。たとえば、不登校の当事者のケースで貴戸(2004)が以下のように物語論の批判を行っている。

〈当事者〉に向けられた〈当事者〉の語りに現れる、「語りえなさ」と「物語の脅迫」をともに抱える者としての「〈当事者〉である私」とは〈当事者〉であることに愛着を覚えながら、そこから逃れようとする矛盾に満ちた存在である(貴戸 2004: 275)。

 貴戸は、不登校の当事者が当事者として語らせられ、語りえないものの存在がありつつ、物語を聞くものたちによってそれらの部分に直面させられる矛盾を含む存在だと指摘している。物語論は、聞き手──語り手の二項がないと成立ができないが、常に聞き手の側が語り手の側に当事者性を押し付けていると同時に、当事者に負担を強いていると貴戸は当事者論の立場から辛らつに批判している。
 SHG内部においては、当事者という名においてメンバー間に物語る作法が流通しているが、実は事態はもっと複雑であり、当事者においても物語としてのSHGというものは安全な場ではなくなっている。松田(2007)は、AAのミーティングの「言いっぱなし・聞きっぱなし」の場においてもパワーゲームという当事者たちの物語を聞くということの放棄や拒否が行われていることを指摘している。たとえば、ミーティングにおいて席を立つなどの自由があるために、当事者同士という仲間意識があったとしても聞きたくない物語をやり過ごすことが可能になっている。物語を語ることは強制ではないにせよ、彼らが当事者としてストーリーテラーになるにはそのような場を踏み越えなければならない。実際、松田(2007)の調査対象者のAさんも、仲間の中での嫌われ、孤独感を味わったようであり、「このような状況で他の参加者の語りに耳をひらくというのは難しい」とが分析している。

4. 3 SHGの現在系──オンラインSHG
 物語理論の困難性の中で2011年現在において新しい影響力を持ち始めているのは、インターネットの登場とそれに伴い現れてきたオンラインSHGという視点である。2000年代からのICTの大衆化により、SHGがよりオンライン上での親和性が高いのではないかという指摘がなされてきたことだ(川村 2002,岩本 2002)。
 さらに、2008年ごろになると、それらの研究成果が結実し宮田ら(2008)による『オンライン化する日常生活──サポートはどう変わるのか』においてオンラインセルフヘルプ活動が定式化されるようになった。宮田(2008) はオンライン化したSHGの特性として以下の5つを指摘している。

・時間と空間を超えたコミュニケーション
・さまざまな様式でのコミュニケーション
・匿名性の高いコミュニケーション
・コントロール可能性の高いコミュニケーション
・参加・離脱の自由

 特に、時間と空間を超えたコミュニケーションという性質は、様々な論者が指摘しているところである(岡 2000, 岩本 2002)。これらの、特徴は様々な情報技術がSHGに転用されてきておりそれらの結果として尚一層SHG言説の多様性が増してきているということである。SHGの多様性の中でオンラインSHGの研究をしている研究者も増えてきており、前田(2010)は、SHGにつながる人の大半は78%以上は医療機関や前述のセルフヘルプ支援センターなどを通じてという事実を指摘し、専門職などの介在がまったく入らない非管理タイプとしてオンラインSHGの出現を指摘している。
 前田(2010)によると、オンラインSHGの良さとして、Face to Faceではない点、特に制御される匿名性をあげている。通常、匿名性は信頼関係の欠如をもたらすと誤解されがちであるが、前田(2010)によると、匿名性がコミュニケーションのチャンネルを複合的に制御することで、関係継続やあるいは切断とも結びついている。匿名なオンゆえに、オフ会の存在がそこに絶対に求められると指摘している。オフでは親密な関係が構築されることを指摘し、オンライン関係では物語の強制などがない空間で語り合う場をもたらす。これは、物語の個人化をもたらし、「患者」でありながらも、医療が対象化するよな「患者」ではなく「患者」でありながらもそれを留保した振る舞いもできる。そのような気軽さがオンラインの特徴であり、SHGの個人化した社会での形態であると前田(2010)は指摘している。

おわりに
 第1節では、○1SHGの概念の多様性を指摘し、○2確定的な定義の困難性を示した。第2節では、○3980年代からは専門家の視点からSHGを記述した文献が増大していること、○4それらの文献は、専門職の観点を予め、SHG概念に包含した形で、展開されてきていること、○5これらは、SHGの集団把握に、専門職の業務遂行観点から指針を与えていることを、指摘した。
 第3節では、○6日本でも専門職側がSHGにどうかかわるかという問題群が80年台におけるヒルらの文献の日本語訳の刊行によって提示されたこと、○7それが巧妙な形で専門職が概念定義に大きくかかわっていたこと、○890年代にいたりSHGの独自な視点が確立していくことを記述した。
 第4節では、2000年代概念の定義付け問題に着目し、○9過去おいて有効であった自己物語という個人内在的な観察のアプローチが困難をかかえていること、○10オンラインSHGの出現において物語論的アプローチが失効し、さらには物語論的な自己アイデンティティも瓦解している形態が迫り出している状態を、指摘した。
 結果としてSNG概念が専門職からも当事者という枠組みの圧力からも開放されたことにより、新たな個人主義化された意味でのSHGが、SHGの現在形としてせり出してきている。それにより、当事者がより多様かつ見えない形でセルフヘルプ活動を行っているような形態が現在の問題でもあり可能性でもある、と考えられる。本稿はそれらの概観を示したが、具体的なオンラインSHGの実態には触れることができなかった。今後の課題としたい。

[注]
(1) 一般的に、サポートグループとSHGと明確に区分し、それらを専門家が存在/不在の違いと述べている論者もいるが本稿はそれらを区別せず、当事者組織の互助的団体として見做されているものをSHGとする。
(2) 三野(2009)によるとセルフヘルプ活動の議論の延長にクラブハウスを位置づけており、当事者─支援者の関係的対等という認識こそが精神保健福祉実践の重要な論点として提出されており、もはやSHG=当事者会という意味において専門職側は位置づけをしていない。
(3) なぜ、岡の文献を精査するかといえば、1970年代において日本はまだまだSHGの黎明期であり、1979年になってやっと、村山・上里ら(1979)の『セルフ・ヘルプ・カウンセリング』という心理療法の入門テキストによってなされたのであり、資料が不足している。よって、岡(1990)の文献を参考にしながら1970年代を概観したい。
(4) 半澤(2002)の調査は、当事者の文献は障害当事者が記述した資料ではあるが、あくまで文献の範囲を論文や書籍と捕らえており、SHGの会報などはまったく資料として計上されていない。その上ではこの数字はそのままでは信用しがたい数値ではあるが、福祉専門家が考慮の対象にいれている当事者言説がこの程度であるということを見積もっていると観察する上では非常に参考になる資料なのである。
(5)ナラティヴセラピーは、あくまで患者を支配しているドミナントストーリーからオルタナティヴストーリーを導き出すという治療を中心とした自己物語中心であるが、社会学の理論的文脈での物語論、自己─他者との相互関係を重視するような傾向にある。

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