第2章 手話通訳者養成における「ろう者のやり方」の提示と学習者の認識

第一部

第2章 手話通訳者養成における「ろう者のやり方」の提示と学習者の認識

北林かや

1.はじめに

 1995年『現代思想』誌上に発表された「ろう文化宣言」(木村・市田 1995)を機に、音声言語とは異なる独自の構造を持つ手話言語を話す耳の聞こえない人(=「ろう者」)を言語的少数者としてとらえ、音声言語を話す耳の聞こえる人(=「聴者」)とは異なる独特の価値観や行動様式(ろう文化)と、それらを共有するろう者のコミュニティ(ろう者コミュニティ)に着目する見方が注目を集めた。
 「聴覚障害者」という病理的視点から「言語的少数者」という社会・文化的視点への転換を通して、言語としての手話とろう文化の認知を求めた「ろう文化宣言」が発表されて15年以上が経過した現在、手話やろう文化、そしてろう者コミュニティをとりまく環境は大きく変わってきた。書籍やインターネット、地域の手話サークルの講演会などで、ろう文化に関する話題が取り上げられる機会が増え、2008年には日本で初めて、日本手話と日本語、ろう文化と聴文化のバイリンガル・バイカルチュラル教育を掲げる学校法人も発足した。
 ろう者の言語的アイデンティティへの認識の高まりは、世界的な流れとしても定着しつつある。2006年12月13日、国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約」は、教育についての障害者の権利実現のため「手話の習得及び聴覚障害者の社会の言語的な同一性の促進を容易にすること。」(第24条3項)(1)を明記した。
 手話を話すろう者の間で、手話と、聞こえないことにまつわる共通の経験に基づく独特の行動様式や価値観が共有されていることや、そうした行動様式や価値観が、聴者のそれとは異なるものとして、具体的にどのような場面でたちあらわれてくるかについても、ろう者、聴者、双方の立場から、さまざまな媒体を通じて発信されている(2)。本報告ではこうした行動様式や価値観の違いが顕在化する場面として、ろう者と聴者のコミュニケーションを仲介する手話通訳者の養成課程に改めて着目してみたい。
 筆者は、2005年4月より2年間、埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンター学院(現在は国立障害者リハビリテーションセンター学院)手話通訳学科の学生として過ごした。1990年の設置以来日本手話通訳者を養成してきた同学科では、10人以上のろう者が非常勤講師として指導に携わっている。
 同学科で教官や非常勤講師として指導に携わるろう者たちは、聴者学生に接する際、普段通りのろう者同士のつきあいのなかでのふるまい方、すなわち「ろう者のやり方」を体現するだけでなく、「聴者のやり方」とは異なる側面について強調したり、ろう文化的な価値観をある程度意識的に提示することがある。
 社会の圧倒的多数である聴者のなかで暮らすろう者は、多かれ少なかれ、また意識的、無意識的に、聴者のやり方に合わせることで日常的に生じるコンフリクトを避けることを迫られがちであり、そうした状況は、地域の手話サークルや自治体の手話講習会においても例外とはいえない。しかし同学科の教育課程においては、ろう者と聴者の間で生じがちなコンフリクトは、ろう者が聴者のやり方に(意識的、無意識的に)合わせることで回避されることはなく、指導者がむしろ積極的に、学生にコンフリクトを経験させようとさえする。
 本報告では、この過程の記録、学生および指導者のろう者に行ったインタビューをもとに、聴者の学習者が「ろう者のやり方」を認識し、自らの聴者としての行動様式や価値観を相対化していく過程を報告する。

2.調査の概要

 2.1 国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科の概要
 国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科(以下、手話通訳学科)は、1990年4月に厚生省の認定資格である手話通訳士養成のモデル校として発足した。当初は手話通訳専門職員養成課程と称し、修業年限は1年間で、定員10名、専任教官1名(聴者)という体制であった。翌年、専任教官が2名(聴者・ろう者各1名)となり、2002年には3名体制(聴者2名・ろう者1名)となった。さらに2001年より修業年限が2年間に延長された。現在は、定員30名、授業時間数2400時間で、4名の専任教官(ろう者2名、聴者2名)と10名前後のろう者を含む非常勤講師が指導に当たっている。
 カリキュラムは、基礎科目と専門科目に分かれており、基礎科目では言語学、社会学、文化人類学、心理学、法学、社会福祉などの科目を学ぶ。また専門科目として、通訳論や聴覚障害者福祉にかかわる講義のほか、手話実技、手話通訳実技、手話通訳実習、交流実習などに多くの時間が割かれている(資料1参照)。
 卒業生の進路としては、聴覚障害者情報提供施設、ろう者団体、一般企業、福祉関連の職場等が想定されている。

 2.2 調査方法
 本報告で用いる資料は、2005年4月から2007年3月までの2年間の筆者の記録と、手話通訳学科の卒業研究の一環として行った質問紙調査、面接調査から得た資料である。
 卒業研究のための調査は2006年4月から12月にかけて行った。在籍中の学生全員(計52名)を対象とした簡単な質問紙調査の後、学生5名への個別インタビューを実施した。
 また、専任教官4人へのグループインタビュー及び個別インタビューを行った。グループインタビューは、教官4人が向かい合う座談会形式で行った。
 なお、このグループインタビュー及びろう者教官(2名)へのインタビューはすべて手話で行われた。事前に了解を得てビデオ撮影し、内容を書記日本語に翻訳したのち、そのトランスクリプトを教官に再確認してもらう方法をとった。

資料1 国立身体障害者リハビリテーションセンター学院 手話通訳学科カリキュラム[省略]

表1 個別インタビュー対象者の属性
性別/年代/入学前の手話学習歴と学習の場
男/20代/4年(大学の手話サークル、地域の手話サークル)
女/20代/1年未満(大学の授業)
女/20代/2年(大学の授業、地域の手話サークル)
女/30代/4年(自治体主催の手話講習会)
男/20代/-(ろう者の友人との個人的かかわり)

3.学生へのろう文化の提示

 はじめに述べたように、手話通訳学科において、ろう者がろう文化や具体的な「ろう者のやり方」を聴者学生に提示するという状況は、ある程度意図的につくりだされたものである。ここでは、教官へのインタビューをもとに、指導者としての教官の間に、ろう文化提示に関してどのような共通認識や前提があるのかという点を明らかにし、それにもとづく指導が具体的にどのようになされているのかを、教官側の視点から見ていきたい。

 3.1 ろう文化提示の目的と前提
 手話通訳学科におけるろう文化の提示は、より質の高い手話通訳者の養成という目的のもとでなされている。そこでは、手話やろう者への理解を深めることと「通訳者としての役割」とは、常に関連付けられる。
 手話通訳者の役割は、端的に言うならば「手話言語を用いるろう者と、音声言語を用いる聴者の間のコミュニケーションを仲介する」ことである。ここで注意しなければならないのは、ろう者と聴者との間には、単に言語の差異にとどまらない根本的なスタイルの違い、つまり、文化的差異ともいうべきものが横たわっているということである。ろう者にとって当たり前の発想や行動様式、会話の進め方といった「ろう者のやり方」と「聴者のやり方」の間にはしばしばギャップが生じ、手話通訳者は常にその狭間に立たされる。
 言語・文化間の仲介者という役割を担う手話通訳者に必要とされる能力は何だろうか。教官らの意見は、おおよそ次の四点に集約できる。○1手話の技術・手話通訳技術、○2「ろう者のやり方」に対する理解、○3聴者・ろう者間の文化的調停、○4場面に応じた判断力・バランス感覚である。ここでは、手話の技術と通訳技術は、当然の前提として考えられており、ろう者のニーズや「ホンネ」をつかんだ上で、スタイルの異なるろう者・聴者間を調停していく能力が特に重要視されている。なお、ろう者・聴者間の文化的調停に際しては、利用者教育という観点から、すべてにおいて手話通訳者が介入するのではなく、あえて双方のギャップを利用者に認識させることもあり得る。このように、通訳場面に応じて必要とされていることは何かを適切に判断する能力も、手話通訳者に求められる能力のひとつである。
 これら総合的な能力を身に着けるためには、手話言語とろう文化への理解が必要不可欠であるというのが、教官たちの共通認識であり、そのために手話通訳学科内で学生へのろう文化の提示が日常的になされる。

 3.2 手話通訳学科におけるろう文化の提示
 手話通訳学科内でのろう文化の提示は具体的にはどのようになされるのだろうか。
 教官らによると、ろう文化提示に関する教官間の了解事項は、基本的には次の二点である。すなわち、○1入学後一定期間が経過し、手話でのコミュニケーションがそれなりに可能になった段階で、手話通訳学科のある学院の5階フロアでのコミュニケーション手段を基本的に手話に限定すること、○2ろう者が授業や学生との日常的なやりとりのなかで自然に「ろう者のやり方」を提示すること、である。教官間では指導方針や手話教授法が共有されており、あらたまって「このように教えなければ」「このことを教えなければ」という相談事項はほとんどないとのことであった。
 上記○1については、例年10月頃から実施される。学生のなかには、4月に入学してから初めて手話を学ぶ者も多く、この段階ではすべての学生が手話によるコミュニケーションを満足にできるわけではない。それでも、聴者の外部講師による講義や、手話から音声日本語への読み取り通訳実技の時間を除き、教室、廊下、給湯室、個別学習室、学生控え室といったすべての場所で、音声言語の使用が禁じられる。言いたいことが言えない、言われていることがわからないという状況に、学生は当然ストレスを感じるが、こっそり音声言語で会話している場面をろう者教官に見咎められると、その場で即座に注意を受ける(聞こえない教官が音声言語での会話を見咎めることができるのは何故かといえば、互いに視線を合わせず、手話をみることができない状況にある聴者二人が、何か共通の行動をとったり、意思疎通できていたり、ということがあれば、そこで音声言語が交わされたとすぐにわかるのである)。
 こうしたなかで聴者学生は、ろう者が同席する場で聴者が音声言語を用いることは、ろう者が自由に話に参加したり情報を得たりすることができず、その場からしめだされてしまう状況をつくり出すことになることを意識し、ろう者のいる場では手話を用いるという行動パターンを身に付けていく。それまで長年音声言語で生活してきた聴者にとって、手話言語の世界に入っていくことは容易でない。音声によるコミュニケーションやそれにもとづく「聴者のやり方」が当たり前ではないということに気づくうえで、「音声言語の禁止」はそれなりに効果的な手段であることから、このルールは学科内で徹底されている。
 一方、○2については○1の場合ほど明確なルールや基準があるわけではない。ただ、ろう者非常勤講師の採用にあたっては、ろう文化に自覚的であること、それを自然に提示できることが必要とされている。以下は、ろう者教官へのインタビューで語られた内容の一部である。

「ろう文化とは何か自覚していて、それが個人の性格ではなく、ろう者がお互いに共有しているものであることを認識する力があることが、条件。つまり、ろう文化を自覚し、それを共有している人ということ。ろう文化を提示することのできる力というのは置いておいて??いや、皆ろう文化を自然に提示する力というのはあるんだけど、それを(聴者の)相手に合わせて調整しながら提示できる力というのは、向上したほうがいい。聴者文化に関する知識の程度は??まず自分がろう文化をしっかり持っていることが条件、その上で、聴者のことをどの程度把握するか。」

 これをみると、手話通訳の指導者としてのろう者には、普段接するなかで聴者に対して自然に「ろう者のやり方」でふるまうことができること、さらに指導場面においては、相手の状況に合わせて行動を調整する能力、またその前提として「聴者のやり方」に関する理解も必要とされていることがわかる。実際に、指導者としてのろう者が「ろう者として自然にふるまう」だけでなく、ときには学生の状況にあわせて行動を調整する場面を例示する。
 一例としてサインネームの決定を挙げる。一般に、ろう者の間では本名以外に、個人を表わすサインネーム(手話名)が使われることが多い。この習慣はろう者による聴者学生への名づけという形で、聴者学生にも認識される。
 サインネームは、個人の性格や癖、身体的特徴、印象的なエピソードからつけられることが多い。例えば、模造花の髪飾りをいつもつけていた学生のサインネームは、こめかみのあたりですぼめた手を、ぱっと開く動作に決まった。筆者の場合は、携帯電話や鍵といった身の回りの持ち物を置き忘れることが多かったので、/北/おちる/というサインネームに決まった(/おちる/という手話単語は、「ぬけている」という日本語に近い)。また、飼っていたウサギの歯が伸びすぎて死んでしまったというエピソードを授業中に披露した学生は、長く伸びたウサギの前歯を現すサインネームが定着した。その他、髪の量が多い学生のサインネームは/カツラ/になり、ランニングシャツで現れた男子学生は/ランニング/と呼ばれることになった。
 サインネーム決定の際、身体的特徴への言及が実にあっけらかんとなされることに、学生の多くは違和感をおぼえる。そのことを教官側も十分承知しているため、ろう者講師のうち、誰の発言ならば学生にも受け入れられやすいのか考慮したうえでの、役割分担が生じる。手話通訳学科には10名前後のろう者が非常勤講師として出講しているが、いつもきわどい冗談を言う女性講師は、それが本人のキャラクターとして定着し、明け透けな物言いが聴者学生の側からも許容されていた。そこで、他のろう者講師に先立って彼女がまずサインネームの決定という形で身体的特徴を指摘する。その後、同じような指摘が他のろう者講師からもなされる。こうした過程を経ることで、学生は「身体的特徴への言及」は、そのろう者個人の性格によるのではなく、どうやらろう者にとってあまり抵抗のないやり方らしい、と徐々に気付き始める。個々のろう者の性格は異なっているにもかかわらず、そこに共通するスタイルがあることを理解していくのである。
 指導者としてのろう者は指導経験を積むなかで「聴者のやり方」に対する理解を蓄積しており、聴者の学習段階や反応に応じて方法を工夫したり、学生が示す聴者的な反応に対応したりする。
 例えば、入学したばかりの学生は、手話で発言する際に同時発話を避けなければならないこと、複数の人が居合わせて手話で会話する際に話者から話者へ自然に視線を移していくことといった作法をまだ身につけていない。ろう者教官は手話実技の授業のなかで何か質問をする際に、その都度学生を指名する。誰かが話している最中に他の学生が関連した発言をしようとするときは、いったんそれを制止し、勝手に会話の主導権を奪うことのないよう注意を払う。また、授業中に教師のほうだけを見るのではなく、発言している学生を見るように促す。例えば、学生の出身地や家族構成を説明させるときには、本人に説明させるのではなく、クラスメイトに説明させる。周囲の学生はその情報が正しいかどうかチェックしなければならないため、自然に説明している学生の方を見ることになる。こうした過程を経ることで、当初ぎくしゃくしていた授業中の会話は次第にスムーズなものになっていく。
 このように、学内ではある程度調整されたろう文化提示がなされている。その一方で、学外での交流実習といった機会には、指導者ではない「一般の」ろう者と学生のやりとりから、「ろう者のやり方」と「聴者のやり方」のギャップをあえて学生に経験させることもある。これについては、次節でふれることにする。

4.学生のろう文化認識過程

 本節では、学習者としての聴者学生が、どのようなきっかけで「ろう者のやり方」を認識し、自らの「聴者のやり方」を相対化していくのか、その過程を学生への質問紙調査と学生および教官を対象にしたインタビューの結果をもとにみていきたい。

 4.1 入学以前の手話学習とろう文化認知の状況
 まず、手話通訳学科の学生へのアンケートとインタビュー結果をもとに、入学以前の手話学習状況とろう文化の認識についてまとめる。
 平成18年度に手話通訳学科に在籍していた学生のうち、入学以前に手話学習を経験していた者の割合は80%に達している。学習年数については、図1に示す通りである。
 入学以前の学習の場としては、自治体主催の手話講習会、カルチャーセンターの手話講座、大学の手話サークル、居住地域の手話サークル、大学・短大・専門学校等の授業、通信教育、書籍等が挙げられた。
 また、入学以前に「ろう文化」という言葉を聞いたことがあるかという問いに対しては、46%が「ある」と答えた。その多くが、書籍や、手話サークルの講演会、手話講習会などで、ろう文化という言葉に接していた。ただし、ろう文化のイメージについては、いわゆる外国文化といった異文化との類比や、何か漠然とした違いがあるのではないかという点が挙げられたものの、具体的な「ろう者のやり方」と結びつくイメージを持っていた回答者はいなかった。

図1 入学以前の手話学習経験年数[棒グラフ・省略]

 4.2 入学以前のろう者イメージ
 ろう文化と具体的な「ろう者のやり方」とが学習者のなかで結びつけられないという状況は、なぜ生じているのであろうか。学生へのインタビューで、入学前にろう者に対して抱いていたイメージを聞いたところ、「耳の聞こえないことはかわいそうだと、どこかで思っていた」、「ろう者と聴者が違うとは思っていなかったし、いわゆる障害者と呼ばれる人たちを、自分と別物と考えてはいけないという意識があった」という回答があった。これらは、ろう者=障害者という観点に立ったとらえ方であり、ろう文化や「ろう者のやり方」があるという発想自体、思いもよらなかったという例である。
 一方、手話サークルに参加した年数が長い回答者からは、ろう者と接するなかで感じた違和感が挙げられた。例えば、手話サークルのイベントに参加した際、漠然と「なぜかろう者の輪のなかに入りこめない」という感覚を抱いたという例や、「ろう者からの頼みごとの仕方がいつもストレートなので、どうやって断って良いのか悩んだ」という例、また、「自分の手話を読み取っているときのろう者の目線や表情」、「聴者であれば視線を合わせないシチュエーションでも視線を合わせてくる、例えば、集会の受付で会費を払うときなど、紙に書かれた自分の名前を指差して、これ、といえば済むところなのに、そのやりとりの間も、机にかがみこみながら顔はずっとこちらを見ている」ことへの違和感などが語られた。さらに、ろう者の「はっきりした物言い」についての指摘もあったが、そう指摘した学生は、そうした物言いは基本的にそのろう者個人の性格に由来するものとして理解していたという。ほとんどの学生はろう者と接した際の「漠然とした違和感」をさまざまな形で経験しつつも、その背景として、ろう者同士になんらかの共通のスタイルがあるものとはとらえていなかった。
 聴者の多くは、あまり費用がかからず距離的にも通いやすい自治体の手話講習会等で手話学習を始め、そこで初めてろう者に出会う。そうした手話講習会は通常週一回、年間30回程度のものが殆どである。手話講習会と並行して手話サークルに通うケースもあるとはいえ、手話学習を始めたばかりの聴者にとって、複数のろう者のなかに長時間継続的に入り込む機会は限られている。具体的な「ろう者のやり方」を知るには、ある程度の手話コミュニケーション能力と、ろう者との日常的な付き合いが必要不可欠である。さらにそれらとろう文化を結びつけるには、ろう者のコミュニティが手話言語と聞こえないことにかかわる経験を基盤に結びついている、という概念的理解も必要である。このように考えると、ろう者の特定の行動や考え方を、ろう者に共通のものとしてではなく、そのろう者個人と結び付けて捉える見方は、一般的な手話学習者としてはむしろ当然のようにも思われる。

 4.3 ろう文化の概念的理解から「ろう者のやり方」の認識へ
 入学時、学生の半数はろう文化という言葉自体を認知しておらず、ろう文化という言葉を認知している学生であっても具体的な「ろう者のやり方」と結びつけてとらえている学生はほとんどいない。学生は、入学後に授業や実習、学校内外でのろう者との交流を通じて、徐々にろう文化と「ろう者のやり方」を認識していくことになる。
 手話通訳学科一年生の時間割には、入学後しばらくの間は、基礎科目の講義と手話実技とはほぼ同じ時間数組み込まれている。講義は基本的に手話通訳士試験を視野に入れたものが多いが、なかには「文化人類学」のような授業も含まれている。この「文化人類学」の授業は、ろう文化を扱った書籍を幅広く読み、発表と議論を重ねる形式で行われる(3)。また、聴者教官による「聴覚障害者の社会」、「通訳論」といった授業も、この時期から行われる。
 聴者学生の個別インタビューにおいて、入学前に「ろう文化」という言葉を知っていたか、またそれを知ったきっかけを聞いたところ、インタビュー対象者の5名中3名は、入学前にまったく知らなかったと答え、いずれも、入学後に授業のなかで読んだ「ろう文化宣言」をきっかけとしてあげた。2名は言葉自体はどこかで聞いたことはあったと回答したが、具体的なイメージを持っていたわけではなく、やはり入学後の授業で読んだ「ろう文化宣言」についての印象が強かったという。
 「ろう文化宣言」に対する反応は様々である。「ろう者と難聴者と聴者を、そんなにはっきりわけられるのか? と思った」という発言は、手話言語を話す人と、それ以外の人というカテゴリー化に対する違和感を率直に表明したものである。また、入学以前に聞こえない友人と長く付き合った経験から聞こえない人を「障害者」として見ることに違和感を持っていたため「病理的視点から文化的視点へ、という主張に共感した」という者もいた。一方で、日本手話と、日本語対応手話(4)の違いを初めて知り、「これまで聞こえない人に対して日本語対応手話で話していたが、本当に通じていたのだろうか?」とショックを受けたという例もあった。
 また、折にふれて聴者教官の「あの人たち(ろう者)は異文化だから……」という発言や、そこで挙げられる例から「ろう者と聴者が違うということをまず染み込まされた」と語る者もいた。
 いずれにせよ、この段階でのろう文化理解は、概念的なレベルにとどまっている。それが徐々に具体的な「ろう者のやり方」と結びついていくのは、やはり実体験を通してのことである。

「最初は、(聴者の教官から)説明されれば、そうなのか、と思うんだけど、実感はなかなかできない。そのうち、実際にろう者の行動を見て、ああこれか、と思った。」(学生へのインタビューから)

 以下、学生が「ろう者のやり方」を認識したというエピソードを挙げてみよう。

「身体表現論の授業で、握手するときや話すときに視線を合わせる練習をしたことで、視線を合わせることが重要だということがわかった。」(学生へのインタビューから)

 「身体表現論」は、手話実技の授業と並行して、入学直後から7月頃まで組み込まれている授業である。ここでは、さまざまなゲームを通して、ろう者とのコミュニケーションの基礎を学ぶ。上で挙げられたように、視線を合わせることに慣れることから授業は始まる。授業ではまず学生が円になり、そのうちの一人が全員と順番に握手していく。お互いに視線をしっかり合わせて握手をし、手を離してから視線を外す。授業が進むにつれて、ろう者と会ったときの、手をひょいとあげる挨拶の仕方、ろう者に後ろから呼びかけるときの肩をトントンと叩くやり方、足で床を踏み鳴らして振動で相手を呼ぶ方法なども取り入れられる。多少慣れてくると、机の上に並べられた様々な物を少し離れたところから視線のみで指し示し、別の学生がそれをあてるゲームで視線の使い方を学ぶといった内容もある。これらは、音以外の感覚をフルに活用するろう者の日常的な行動のありかたを、学生に認識させる。
 上記の例は、授業というある程度統制された場で行動のあり方を認識していく例であるが、学生はやがて日常的な生活の場面で違和感を覚えるようになってくる。

「きっかけは、教官室への入りにくさ。異空間だと感じた。例えば、電車に急にたくさんの外人が乗ってきて、自分の分からない言葉でわーっと話しているような雰囲気。マジョリティとマイノリティが逆転していることにショックを受けた。用のある先生と目を合わせる方法、呼びかける方法、話の始め方、終わらせ方、教官室の出方、何もかも、どうしていいかわからなくて、教官室の前をうろうろしていた。」(学生へのインタビューから)

 教官室には常にろう者がおり、そこでは手話を使うこととろう文化にのっとって行動することが当然のこととされている。入学したばかりの学生はまだ手話ができないため、例外的に聴者の教官に対して音声言語を使うことが許されているものの、上級生や非常勤講師が手話で話している前で音声言語を一人だけ使っているという状況に、自分が今は特別にそれを許されているのだと意識させられる。また、上記の例にもあげられているが、教官に話しかけるまでの手順も学生にとっては厄介である。教官室に入る際には、用件のある教官とまっさきに目をあわせ、誰に用件があるかを表明しなければならない。他の教官は顔を上げて誰がやってきたか確認し、自分に視線が向けられていないと分かればすぐに仕事に戻る。学生が本来用件のない教官と不用意に視線を合わせてしまった後、実は他の教官に用があったとわかると、ろう者教官は「じゃあなんでこっちを見たんだ?」という反応を示す。聴者学生にとって「視線で相手を選び取る」という行動は思いのほか難しい。教官室になかなか入れず、廊下をうろうろしている学生の姿は、もはや教官たちにとって初夏の風物詩らしい。
 その後、やや手話にも慣れ、何とか会話ができるようになってくると、次第に会話のスタイルや相手の発言に対する反応の仕方などで、ろう者とのズレを感じる場面が増えてくる。

 「先生と偶然目があってしまったとき『何?』といわれると、間をもたせるために顔が笑ってしまう。そうしたら、『何で笑ってるんだ?』って言われて。」(学生へのインタビューから)

 このように、何か失敗をごまかすときや緊張した場を和らげたいときに、聴者が半ば無意識的に浮かべる笑いは、ろう者にとっては理解しがたいもののようである。

「(学生との間で)延々とやり取りし続けて、やっと通じたときに学生が笑うのを見ると、いったい何なんだ、と腹が立つ。[中略]そのときの授業は、学生の日本語と、(教官の)手話での表現が合っているかどうか確認するというものだった。学生の頭のなかにある日本語の意味とこっちの手話がなかなか一致しなくて、延々やり取りして、最終的に一致するまでの時間がだいぶ長くかかった。やっと通じた、と思ったら、学生が笑う。こっちは一生懸命教えているのに、どうして笑うんだと頭にきた。そうしたら学生は、『雰囲気を壊さないように、明るくしようと思って』だって。意味がわからないよ。」(ろう者教官へのインタビューから)

 また、ろう者からの質問に対する反応を明確にしないことや、逆に疑問点があるにもかかわらず質問をしなかったことが問題になることもある。

「例えば、こちらが何か説明していて??説明が終わったときに、(学生が)おかしい、納得いかない、という表情をしているので、疑問に思うところがあるなら言えばいいと言って促して、それから改めて説明もして一件落着したと思ったら、まだ納得のいかない顔をしている。一体何でだ? 分からないことがあるなら、言うようにいうと、『え、いや、何も考えていません』というんだ。まいった。」(ろう者教官へのインタビューから)

「授業中、先生に対して何か意見を言いかけて、『先生だから??』と遠慮して言わず、あとで言ったりすると『なんでそのときに言わないんだ』と言われたりする。気を使ったつもりが逆に失礼になることもある。気の使い方が違う気がする。」(学生へのインタビューから)

 上にあげた例とは別に、ある学生が授業の最後に質問をした際、講師の答えに納得がいかなかったが、すでに授業終了時間を超過していたため、とにかく切り上げようとしたところ、講師を怒らせてしまったというエピソードもあった。
 「ろう文化は確認の文化」とは、教官が共通してよく用いるフレーズである。曖昧なところがあればそのままにせず、すぐに質問、確認することがよしとされ、わかったときには必ず「わかった」、「OK」などと、言語化して反応を明確にすることも求められる。「わからないことがあれば後で誰かに聞こう」という態度に、ろう者は特に違和感をもつため、授業中など折にふれて、教官らは「確認」を繰り返す。これは手話通訳学科に限ったことではなく、実習などで会うろう者に対して学生が質問や確認を繰り返しても、相手は嫌な顔をするわけでもなく、かえってこちらが恐縮するほど丁寧に説明してくれることが多い。「確認すること」は、ろう者にとって必要不可欠であり、またごく当たり前のこととして捉えられているようである。
 その重要さは、各学年の秋から冬に1〜2回設けられる交流実習の際にも繰り返し強調される。交流実習はそれぞれ2泊から3泊程度で、ろうあ婦人集会、ろうあ老人大会、ろうあ体育大会などの全国規模のろう者のイベントに要員としてかかわる形で実施される。学生にとっては、学校外で各地方の様々な年齢層のろう者と多く接する貴重な機会である。また、裏方として大会運営にかかわることで、ろう者と行動をともにする際におこる様々なズレと、それに対するろう者教官からのコメントが「ろう者のやり方」を学生に認識させる。
 実習中、学生は5人ほどのグループに分かれ、各グループにろう者の教官もしくは非常勤講師がつく。食事や一日の最後に行われる反省会はこのグループごとに行われるのだが、その際何かにつけて「確認すること」を要求される。それは、聴者学生にとっては、ときにわずらわしく感じられることもある。

「実習の時、班のリーダーだった。食事が終わった後、次にどこに行くかはっきり決めないまま席を立とうとすると、先生に『どこにいくのか』と言われて。『次にどういう行動をするのか、どこに行くのかろう者にきちんと伝えないまま勝手に立ち上がるな』と言われた。自分としては、そんなにきっちり決めず、流れにまかせてもいいんじゃないかという気持ちがある。ろう者は時間や先々の予定をきっちり決めるという印象がある。確認の文化というか、合理性の問題?」(学生へのインタビューから)

「グループでの移動中、先生と学生が前を歩いていた。自分はメールを打ちながら歩いていて、少し立ち止まった。送信し終わってから走って追いついたら、『○○がいない!』ということになっていた。」(学生へのインタビューから)

 上記二つの例は、別の学生から語られたものであるが、次の行動に移る前の「確認」が問題とされていることがわかる。学生は、自分の行動をなぜそこまで細かく伝えなければならないのか、という違和感を持つが、ろう者からしてみれば、改めて確認することでその場にいる者がより確実に情報を共有することが、何より重要なことなのである。
 以下は、2005年9月、山形県で行われた「全国ろうあ婦人大会」における実習後に書かれた筆者自身の「実習レポート」からの抜粋である。

「ろう者の実行委員が何かを相談しているとき、話の内容を脇からみることに、当初は遠慮があった。盗み聞きならぬ、盗み見をするような感覚があり、つい目をそらしていた。ただ、反省会の際に教官から指摘があったように、見られたくないような内容の場合、ろう者は他の場所に移動するので、同じ場所でかわされている会話は基本的には見ていてかまわないということ、あとで改めて説明や指示があるにしても、その後の作業の流れを予測するうえで、会話の内容を見ておくことは重要だということから、二日目以降は会話を注視するようになった。すべてを読み取れたわけではないが、そのように行動したことで、作業がスムーズになったという面は確かにあった。」

 このレポートで筆者は、自分以外の人が交わしている会話への関与の仕方の違いに言及したのだが、これを広くとらえれば、やはりろう者と聴者の情報の共有の仕方の違いということになる。その場にいる者がより確実に情報を共有すること、それが「ろう者のやり方」であり、そこに「確認の文化」ともいうべき側面があることがうかがえる。

 4.4 「聴者のやり方」の相対化と、行動の修正
 前項で述べたように、聴者学生は、学校生活のなかで様々なカルチャー・ショックを経験し、視線の使い方、呼びかけ方や会話の始め方、終わり方といった行動のあり方、質問を良しとする考え方や目上の者に対する気の使い方、確認の重要性といった「ろう者のやり方」を徐々に認識していく。そうした体験を繰り返すうちに、学生は入学以前の体験や、自らの「聴者のやり方」に対する再考を迫られることになる。その過程で入学以前にろう者に対して抱いていた漠然とした違和感や、ろう者個人の性格としてとらえていたやり方を、ろう文化の文脈に再度位置づけていくのである。
 自らの「聴者のやり方」は次第に相対化され、質問をしないことを良しとする感覚、曖昧な物言いや反応、そして聴者が何か失敗をごまかすときや緊張した場を和らげたいときに半ば無意識的に浮かべる笑いなどを、「聴者的」なものとしてとらえるようになる。
 そうして「ろう者のやり方」と「聴者のやり方」のギャップを自覚した学生は、自らの行動を部分的に修正し、ろう者に接するときは「ろう者のやり方」に近づけようという調整を、程度の差はあれ行うことになる。それは、例えば質問や確認を意識的にすることであったり、話を始めるときや終わらせるときのマーカーの表出であったり、質問に対する反応を明確化することであったりする。
 しかしながら、こうした努力がすべて成功裏に終わるとは限らず、学生は失敗を繰り返す。例えば、実習中に「質問をはっきりしなければ」ということを念頭においてろう者に質問をしたところ、/質問/という単語を表出する際の顎の位置や視線、手を動かす速さといった非手指動作(5)が不適切で、非常に強いニュアンスになってしまったというケースがあった。また、「反応をはっきりしよう」と思いながら/わかった/という単語を表出した際に、やはり非手指動作のズレから相手に失礼なニュアンスになってしまったというケースもあった。
 「身体的特徴をストレートに言う」という「ろう者のやり方」を踏まえたうえで、ろう者教官に「太ったんじゃない?」と言おうとした学生の失敗談は、当のろう者教官の側からインタビュー時に語られた。

筆者/何か学生に言われて、腹が立ったことは?
ろう者教官/『デブ』と言われたこと。
聴者教官/(爆笑)学生から言われたの? ああ??わかった、ろう文化がわかったつもりで言ってみたら、ずれてたってこと?
ろう者教官/そう。自分も確かに(他人に)『太ったんじゃない?』とは言うけど、/太った/という手話をするときに、『デブ』という口形は使わない。それを言った子は、ああ、ろう文化ではこういうこと(体型のこと)を言ってもいいものなんだと思って『太った?』と言ってきたわけだけど、そのときの口形が『デブ』だったから頭にきて、それがこっちの顔にはっきり出てたので、相手は意気消沈しちゃった。

 これらは、「ろう者のやり方」を踏まえているつもりでも、口形(6)や非手指動作といった手話言語の要素を正しく使えなかったために起きてしまったズレである。手話言語の習得途上にある学生は、どうしてもこうした失敗をしがちだ。
 「頭ではわかっているのに、どうしてもできない」こともある。ろう者に後ろから呼びかけるときは肩をたたいて呼ぶのだが、その際の力加減がどうしてもうまくいかず、弱すぎたり強すぎたりして、ろう者に不快感を与えてしまったという経験は、多くの学生が持っている。他にも前述の「笑い」がろう者にとって違和感のあるものだとわかっていても、自然に笑ってしまい、その都度ろう者から「何で笑っているのか」と指摘されるので、「これって聴者笑いですよね」とフォローするようになったと、ある学生は言う。また、誰かが話しているところに、急な用件で割り込まなければならないときのタイミングや了解の得方がどうしてもうまくいかない、という学生もいた。これらの行動の調整が聴者にとって難しいものであることがわかる。

 4.5 日常的な行動様式の変容
 「ろう者のやり方」と「聴者のやり方」の差異に気付いた聴者学生は、意識的に自らの行動を修正しようし、失敗経験と再認識の過程を繰返すなかで、徐々に日常生活における自らの行動様式を変容させていく。それはある程度意識的になされる場合もあれば、無意識のうちに生じることもある。
 例えば(手話やろう者にまったく縁のない)一般の聴者とのやりとりのなかに「ろう者のやり方」を無意識のうちに持ち込んでしまうという行動の例がインタビューのなかで語られた。

「街中で、前を歩いている人が落し物をしたとき、知らない人なのに、肩たたきで呼びかけてしまって怪訝な顔をされたことがある。親に対しても、手をひらひらさせて呼んだりして。いやいや、今はちがうだろって。」(学生へのインタビューから)

 また、音声言語で話していても、無意識のうちに指差しやCLと呼ばれる図像的な手話表現を用いていたり、手が何となく動いてしまう、という学生もいる。なかには、アルバイト中や電車の中で、非常識な行動を見かけたとき、思わず手話で反応してしまう、という学生もいた。
 一方、ある程度意識された行動の変容として、学生間でかわされる会話やメールにあらわれる手話的表現の持込みがあり、学生集団のなかで独特のコミュニケーション様式を生じさせている。以下は、ある学生のインタビューからの抜粋である。

「リハ生の間でのおしゃべり専用の手話があるような気がする。日本語の借用が多い手話。逆に、手話を借用した日本語もある。例えば声なしの手話単語2〜3語を日本語の助詞でつないで使うことがある。『/―/で/―/で/―/だろ』みたいに(/―/は手話単語)。日本語の会話のなかで手話単語を使うときは、日本語に訳しづらいというか、日本語だとパッとでてこないけど、手話なら先にでてくるような単語で、学生間に共通イメージがある単語。あとは、日本語で話していて、話のオチを日本語で言わずに手話で締めくくるとか。日本語を話していて、当然次に日本語がくると予想されるときに突然手話単語がくると、何か効果的な気がする。」

 日本語と手話を交えて使用することによって、独特の会話の効果を生み出すというコミュニケーション様式が学生間で共有され、そこでは「ろう者のやり方」とも「聴者のやり方」ともつかない独特の状況が出現している。

5.まとめと今後の展望

 本報告では、手話通訳学科での手話通訳者養成過程での具体的なエピソードをもとに、聴者の学習者が「ろう者のやり方」を認識し、自らの聴者としての行動様式や価値観を相対化していく過程の一端を示した。
 聴者学生の入学以前の手話学習経験や期間、ろう者とのかかわりの有無は多様である。入学以前にろう文化と「ろう者のやり方」を具体的に結びつけてとらえている例は、今回の調査のなかでは見られなかった。
 学生は手話通訳学科に入学したあと、文献や聴者教官からの情報、そして授業や実習を通じた実際のろう者とのやりとりのなかで、徐々に「ろう者のやり方」を認識していく。この過程は一種のカルチャー・ショックとしてとらえられる。
 やがて学生は、当初の概念的な理解や漠然としたイメージと「ろう者のやり方」を自分なりに結びつけ、入学以前の体験をろう文化の文脈に再度位置づけると同時に、すでに身につけている「聴者のやり方」を相対化していくことになる。そして、ろう者と接する環境に適合するように、「聴者のやり方」を修正し、「ろう者のやり方」に接近しようと試みる。その過程での失敗経験から、改めて「ろう者のやり方」と「聴者のやり方」の差異を再認識していくのである。また、聴者間のやりとりへの「ろう者のやり方」の持込や、学生間での「ろう者のやり方」とも「聴者のやり方」ともつかない独特なコミュニケーション様式といった日常的な行動の変容がみられる。
 この過程は、基本的には異文化適応における文化変容(acculturation)の一形態としてもとらえられる。江渕(2002: 50)は、個人または集団が自分(たち)の習慣化された行動型がそのままでは通用しない状況に遭遇するという状況、つまり異文化接触状況において、個人が新しい行動型の獲得によって既有の行動型の修正・再編を創造的に試みる過程またはその結果としての状態を異文化適応と呼んでいる。また、異文化適応の過程で生じる文化変容のメカニズムを、個人が自分の生まれた社会の文化から別の文化へ移行するときに、いわゆる「カルチャー・ショック」を経験し、それを通して新しい行動型を知覚し、すでに自文化で身につけた行動型を部分的あるいは全面的に修正したりして、所与の環境条件に適合するように自分の行動体制を調整していく過程(江渕 2002: 41)として説明している。
 江渕の「異文化適応」モデルは、基本的には海外・帰国子女や移民・少数民族、在留民などの異文化間教育を念頭においたものであるが、意図的な状況のもとに生じる異文化への適応過程という点において、本研究で取り扱った、聴者学生とろう文化認識の過程とも通じるものがある。
 手話通訳学科の例で特徴的な点は、社会的なマジョリティである聴者が、学習の過程で聴者の社会と常に行き来しながら、マイノリティであるろう者の文化への適応を迫られる点である。聴者学生は、学院の外では一般の聴者との間で「聴者のやり方」を保持しつつ、ろう者と同席する場面では「ろう者のやり方」に合わせた調整を行うが、それらが無意識のうちに混ざり合ってしまうことも多い。
 また「ろう者のやり方」は、ろう者がマイノリティであるがゆえに一般的に認知されておらず、手話通訳者としてろう者と聴者の狭間に立つことになる聴者学生は、単に異文化に適応するのではなく、双方の文化的調停を行うバイカルチュラルな存在としての役割を期待される。
 聴者学生が双方の文化との折り合いをつけつつ、二つの文化の狭間に立つものとしての自己認識をいかに形成していくのか、という点は今後の検討課題の一つである。また今後、学習場面における聴者学生の変化や反応が指導者としてのろう者に与えるインパクトについて検討することを通じて、ろう文化と聴文化の関係を再検討することも、重要であると考える。

[謝辞]
本報告は、国立障害者リハビリテーション学院手話通訳学科2006年度卒業研究に際しての調査に基づき再構成しました。調査及びインタビューに協力いただいた同学科の教官および講師の先生方、14期、15期、16期の学生の皆様、特に個別インタビューに応じていただいた同期の5人の方々に、心より感謝いたします。

[注]
(1)原文では「Facilitating the learning of sign language and the pro-motion of the linguistic identity of the deaf community」である(United Nations, Convention on the Rights of Persons with Disabilities)。邦訳については、外務省「障害者の権利に関する条約 和文テキスト(仮訳文)」を参照のこと。
(2)ろう者自身によるろう者のエスノグラフィーを意図した木村(2007; 2009)、文化人類学者の立場から身近な異文化としてのろう社会を描いた亀井(2009)などが一例。
(3)この授業の様子については、江藤(1996)に詳しい。
(4)市田(2004)によると、日本語対応手話には日本語を話しながら、それを妨げない程度にいくらかの手話単語を並べていくだけのものから、手話単語を改変したり、日本語の文法要素を表す人工的な記号を加えたりして、手指においても日本語をできるだけ忠実に再現しようとするもの、また日本語に忠実であることを少し犠牲にしても手話特有の構造を断片的に取り込もうとする話し方など、さまざまなバリエーションがあるが、これらは基本的に日本語の文法規則に沿ったものである。そのため手指日本語と呼ばれることもある。また音声日本語を発話しながら手指単語を同時的に表現するため、シムコム(simultaneous communicationの略)とも呼ばれる。これはある種の混交言語であり、ピジンともいえる。
(5)手話言語の文法の要素のうち、頭の動き、顎の位置、眉の動き、目のふるまい、上体の動きなどの、手指以外の要素のこと。副詞・動詞などの語彙的な機能、節構造やモダリティなどを標示する統語論的・語用論的な機能を持つ。
(6)手話言語の構成要素のひとつで、唇の開き方や合わせ方、舌の位置などによって作られるパターン。手話言語独自の「マウス・ジェスチャー(mouth gesture)」と、音声言語を借用する際などに使われる音声言語由来の「マウジング(mouthing)」に分けられる。

[参考文献]
市田泰弘(2004)「言語学からみた日本手話」,小嶋勇[監修], 全国ろう児をもつ親の会[編]『ろう教育と言語権――ろう児の人権救済申立の全容』, 明石書店.
江藤双恵(1996)「異文化としての「ろう文化」に対峙する聴者――国立身体障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳士養成課程の学生の事例」, 『現代思想』, 24(5): 96-100.
江渕一公(2002)『バイカルチュラリズムの研究――異文化適応の比較民族誌』, 九州大学出版会.
亀井伸孝(2009)『手話の世界を訪ねよう』, 岩波書店.
木村晴美, 市田泰弘(1995)「ろう文化宣言――文化的少数者としてのろう者」, 『現代思想』, 23(3): 354-362.
木村晴美(2007)『日本手話とろう文化――ろう者はストレンジャー』, 生活書院.
木村晴美(2009)『ろう者の世界――続・日本手話とろう文化』, 生活書院.
・国立障害者リハビリテーションセンター学院ホームページ
 http://www.rehab.go.jp/College/japanese/index.html
・United Nations, Convention on the Rights of Persons with Disabilities
 http://www.un.org/disabilities/default.asp?id=259
・外務省 障害者の権利に関する条約 和文テキスト(仮訳文)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/shomei_32b.html