第1章 聴覚障害者の進学と就労 ――現状と課題

第一部

第1章 聴覚障害者の進学と就労──現状と課題(*)

坂本徳仁(†)

1.はじめに

 本稿は、過去30年分の統計資料をもとに、聴覚障害者の教育および就労の現状と課題について概観するものである。
 よく知られているように、聴覚障害者には「9歳の壁」ないし「9歳の峠」問題と呼ばれる教育上の課題が存在する。「9歳の壁」問題とは、聴覚障害児童の高校卒業時点での思考力や言語力・学力が小学校中学年水準に留まるという現象を指したものであり、その課題を克服すべく現在に至るまで様々な教育方法が提唱・実践されてきた(1)。しかしながら、それらの教育方法のいずれについても目覚ましい成果が挙げられたという報告は存在しないのが実情である。
 さて、「9歳の壁」問題のこともあって、聴覚障害児童は健聴児童に比べて大学や短大に進学できるだけの学力を獲得することが困難であり、仮に大学・短大に進学できたとしても、十分な情報保障や周囲の理解が得られず、高等教育の学習に支障が出ることが少なくない(2)。このような形で苦労の多い就学期を乗り越えて、ようやく労働市場に参入する際にも、依然として情報保障の不足や周囲の聴覚障害に対する理解・配慮の欠如に悩まされることが多い(3)。
 このように聴覚障害者は進学や就労において多くの困難を抱えているものと言えるが、本研究は、聴覚障害者の教育と就労の現状を統計資料によって把握し、○1過去30年の間に聴覚障害者の進学と就労の状況はどのように変化したのか、○2聴覚障害者の進学や就労上の困難を解決するためにはどのようなことが必要であるのか、といった二点の分析を目的としている。
 さて、本稿の構成は以下のとおりである。続く2節では聾学校高等部卒業生の進路についての変遷を概観する。3節では職安における身体障害者の就職率の推移や聴覚障害者の転職・収入状況について概観する。4節では、聴覚障害者の進学・就労上の課題を解決するために必要な施策を検討し、最後に、5節において本研究における課題や留意すべき点についてまとめる。

2.聾学校高等部卒業生の進路について

 本節では、文部科学省「学校基本調査」を用いて過去30年の間に聾学校高等部卒業生の進路がどのように変化してきたのか概観する。図1は1979年から2009年までの聾学校高等部卒業生の進路を追ったものである。
 図1から明らかなように、この30年の間に聾学校高等部を卒業する児童数は減少している。聾学校高等部の児童数の減少は、○1聴覚障害児童が普通学級に通う傾向が強くなっていることと、○2少子化に伴って聴覚障害児童の絶対数が減少していること、の両方が関係しているものと思われる(4)。
 続いて、図2で聾学校高等部卒業生の進路別割合を確認しよう。
 図2から分かることは以下の3点である。第一に、就職率および聾学校専攻科への進学率は各々過去30年の間に10%以上の水準で減少している。ただし、2003年以降は就職率が上昇しており、最低水準にあった2割台から3割台にまで回復していることに留意されたい。第二に、無業者の割合が増加する傾向にあり、現在では2割程度の聴覚障害者が高等部を卒業してからどこにも所属しないという状況にある。第三に、大学・短大進学率が90年代以降に増加し、現在は2割弱の高等部卒業生が大学・短大に進学している。2006年以降の短大進学率の急落と大学進学率の急増は、筑波技術短期大学が四年制の筑波技術大学に変わったことが影響しているものと思われる。
 全体としては、聾学校高等部における大学・短大進学志向の高まりに伴って、従来の主要な進路先(就職および聾学校専攻科への進学)が減少している傾向にある。その一方で、無業者の割合が増加しており、この背景には、○1大学・短大浪人生の増加、○2聾学校における重複障害児の増加、○3就職状況の悪化に伴う就職浪人の増加、といった要因が考えられる。しかしながら、現状ではデータが不足しているために詳細な検討ができず、無業者割合の上昇がどの程度深刻な問題となっているのか、今後十分なデータのもとで分析する必要があるだろう。
 さて、聾学校高等部卒業生の中から大学や短大に進学できるようになったものが出てきたという意味において、30年前の水準に比べて卒業生の進路選択の幅は明らかに広がっていると言えよう(5)。しかしながら、その水準は依然として統合教育を受けている聴覚障害児童や健聴児童の進路選択の幅に比べて狭いように思われる(6)。さらに、聾学校在校生でどの程度の言語力を得られているかと言えば、聾学校高等部に在籍する児童(高1〜3)の読書力(小学校5年生3学期水準)の方が小学校6年生の健聴児童の読書力(中学校1年生1学期の水準)よりも統計的に有意に低く、聾学校に通う児童の読書力は聾学校小学部5年生以降にほとんど上昇しないということが報告されている(長南・澤 2007)。したがって、今なお「9歳の壁」問題は解決されておらず、その克服は聾学校にとって重要な課題の一つである(7)。

図1 聾学校高等部卒業生の進路(縦軸は人数、横軸は年を表わす)[省略]
図2 聾学校高等部卒業生の進路別人数比(縦軸は%、横軸は年を表わす)[省略]

3.身体障害者および聴覚障害者の就労状況について

 本節では、職業安定所(以下、職安)における登録者数、就職件数をもとに身体障害者(8)の置かれている就労状況を概観し、その上で、厚労省の調査をもとに聴覚障害者の就労・収入実態を明らかにする。
 最初に、職安における身体障害者の就職状況を示した図3について解説しよう。図3における「有効求職者数」とは、就職ないし転職を希望している就労可能な職安登録者の数である。続いて、「登録者数(就業中の者)」とは、被雇用者・自営業者・家族従業者として就業している者、及び職場適応訓練を受けている者で雇用予約が成立している者の数で、現在は職安での求職活動を行なっていない者を指す。最後に、「登録者数(保留中の者)」とは、職安に登録はしたものの心身の不調などを理由に働くことが不可能と判断されている者、また、公共職業能力開発施設の実施する職業訓練を受けているが雇用予約の成立していない者の数を指している。
 さて、この30年間の職安における身体障害者の就職状況をみると、○1身体障害者の就職件数はほぼ横ばい、○2就業中の者、保留中の者、有効求職者数、新規求職申込件数は増加傾向、といったことがわかる(9)。したがって、過去30年の間に職安で仕事を見つけられる身体障害者の数はそれほど変わっていないにもかかわらず、仕事を求める身体障害者の数が大幅に増加していることから、職安における就職率は減少傾向にあることが容易にわかる。実際に、そのことを図4で確認しよう。
 図4は、職安における就職率を「就職件数/有効求職者数」と定義して、その経年変化を追ったものである。図4から、就職率は過去30年の間に8割弱から2割台の水準へと激減していることがわかる。ちなみに、職安における就職率が近年回復基調にあるようにみえるが、このことは、○12002年以降におきた有効求職者数の大幅な低下、○22000年代における就職件数の増加、の二点によって説明される。この二つの要因のうち、有効求職者数の大きな減少は、○1少子高齢化に伴う就業可能な身体障害者数の減少、○2進学志向の高まりに伴う職安登録者数の減少、といった要因によって説明されるものと考えられるが(10)、現段階で正確なことはわからない。また、職安における就職件数が増加したことについては、○12000年代の景気回復、○2障害者雇用施策の拡充、○3民間企業の受け入れ努力、といった要因が考えられるが、各々の要因にどの程度の効果があったのかは、わが国の障害者に関する統計資料が皆無に等しい状況のために分析することができない。
 以上のことから、職安における身体障害者の就労状況は、この30年の間で良くなっているどころか、就職率という観点からは大きく後退していることがわかる。この背景には、職安登録者数の増大(身体障害者の就労意欲の高まり)の一方で、就業を希望する身体障害者を吸収しきれない労働市場の問題がある。労働市場において身体障害者の雇用が遅々として進まない原因の一つには日本の産業構造の転換に伴い、これまで多くの障害者雇用を支えてきた国内の製造業が衰退していることも関係しているのかもしれない(11)。
 さて、厚労省の「身体障害者、知的障害者及び精神障害者就業実態調査の調査結果について」によれば、2006年時点での身体障害者の就労状況について以下の事柄が成立している。最初に、15〜64歳までの身体障害者130万人強(推計値)のうち、就業している者は60万弱(4割強)、就業していない者は70万強(5割強)である。働き盛りの年代別でみると、20代については半数強が就業し、30〜40代は6割弱が就業している。続いて、就業者のうち、常用雇用者は半分で、残り半分は常用雇用以外の形で就業している。常用雇用の職はいわゆる正規職だけではなく、週20時間以上の労働時間で1年以上の雇用見込みがあれば非正規職であっても常用雇用の職とみなされていることに留意されたい。未就業者については6割弱が雇用を希望し、4割弱が雇用を希望していない。雇用を希望する未就業者のうち、求職活動を実際に行なった者は6割弱、求職活動を行なわなかった者は4割弱である。したがって、働きたいという意思を持っていながら雇用されていない身体障害者は全体の3割近く存在する。このうち、6割弱が求職活動を行なっているということであるから、簡単な試算による身体障害者の失業率(=求職活動を実際に行なった無職の身体障害者/15〜64歳までの身体障害者数)は2割弱の水準になる。
 続いて、厚労省が5年ごとに行なっている「障害者雇用実態調査(12)」によれば、聴覚障害者で転職を経験した者の割合は4割程度の水準で推移しており、転職経験のある聴覚障害者は2〜3回の転職を繰り返していることが報告されている。また、転職の主な理由としては、○1労働条件(昇進できない、賃金が安い等)、○2職場の雰囲気・人間関係、○3仕事が合わない、○4会社の配慮が不十分、といったものであり、このうち、○2や○4の理由は明らかに職場内でのコミュニケーション不足に起因しているものと思われる。また、ほとんどの聴覚障害者は何年働いても昇進の機会に恵まれないことが知られているが、このことには職場の研修や会議で十分な情報保障を受けられないことも関係しており、○1や○3の転職理由にしても、コミュニケーションの問題が深く関わっているものと考えられる。
 最後に、聴覚障害者の収入状況について概観しよう。
 図5は、聴覚障害者253名の総収入(勤労所得+障害年金・手当+その他雑収入)の分布を示したものである。図5からは、月収9万円未満が4割弱、月収18万円未満が7割弱、月収30万円未満が9割弱、といったように聴覚障害者の収入状況は決してよくないことがわかる。勤労所得の分布についても同様に計算したところ、月収11万円未満が4割強、月収19万円未満が7割強、月収30万円未満が9割強と、総収入の分布とほとんど同じような形になっていた。以上の議論から、聴覚障害者は4割近くの者が月収9万円未満、3割近くの者が月収10万円台の収入で暮らしており、他の身体障害者と比較しても良い状態にあるとはいえないことがわかった(13)。聴覚障害者における総収入の少なさの背景には、○1就業者における非正規雇用の多さ、○2未就業者の多さ、○3勤務していても昇進機会がないこと、といった問題があるだろう。

図3 職安における身体障害者の就職状況(縦軸は件数、横軸は年を表わす)[省略]
図4 職安における身体障害者の就職率(縦軸は%、横軸は年を表わす)[省略]
図5 聴覚障害者における総収入の分布(n=253。左縦軸は人数、横軸は円を表わす)[省略]

4.教育および社会制度上の課題

 前節までの議論では、非常に大雑把ながらも、聴覚障害者の進学および就労の実態について、その全体像をみてきた。結果として、聾学校高等部卒業生の進路については、○1短大・大学進学志向の高まり、○2卒業生における無業者数・割合の増加、といった傾向が観察された。身体障害者および聴覚障害者の就労・収入状況については、○1職安における就職率の大幅な下落、○2身体障害者の5割強が未就業者であり、就業していたとしてもその半数は常用雇用ではないこと、○3聴覚障害をもつ就業者の4割が転職を2〜3回繰り返すこと、○4聴覚障害者の月収(総収入ベース)は9万未満が全体の4割で18万未満が全体の7割であること、の4点が示された。
 さて、本節では、聾学校や障害者の労働市場が抱える諸問題について、教育面と制度面の二点に分けて、その課題と改善するための諸施策を検討する。
 最初に、教育面における課題(○1エビデンスに基づいた聴覚障害教育の確立、○2ろう者教員の充実、○3聴者社会との付き合い方を学ばせること、○4時代に即した職能開発・訓練の必要性)について列記する。
 第一に、聾学校に通う児童の学力を上げていくために、今まで以上に聾学校の専門性を高めて、科学的根拠に基づいた教育法を確立しなければならない。そのためには、聾学校に通う児童のみならず、統合教育を受けている聴覚障害児童のデータも収集し、どんな児童にどのような教育方法が有効であったのか信頼のできる統計的手法を用いて詳細に分析する必要がある。また、現在の特別支援学校の方針によって聾学校の教員を2〜3年ごとに配置換えすることは、教員の専門技能の形成と獲得を著しく阻害するおそれがあるため、見直しを検討すべきであろう(14)。
 第二に、ろう者教員の充実も重要な課題である。統合教育を受けている児童は言わずもがな、聾学校に通う児童でさえも周囲にロールモデルとなる聞こえない大人は少ない。児童が将来の進路を自分で決めて意欲的に学ぶためには、将来の夢や具体的な目標が必要であり、身近にろう者教員がいることによって良い刺激を受けたり、ろう者教員自身が児童のお手本になることもあるかもしれない(15)。さらに、ろう者教員の方が聴者教員に比べて児童とスムーズに交流できる傾向にあるため、児童の心理面での問題に対処しやすいことも重要な効果の一つである(16)。
 第三に、聾学校の専攻科や高等部においては、聴者社会との付き合い方を学ばせる場や人材養成のためのプログラムを充実させる必要がある。一部の聾学校や団体では聴覚障害者の社会での働き方について支援や学習の試みが始められているが、全体としては十分な水準にはない(17)。聴覚障害者が転職を繰り返す背景には、聴覚障害に対する社会の無理解もある一方で、聴覚障害者自身の交渉術の未熟さや聴者社会の常識に対する無理解がある(18)。聴覚障害者と聴者が共に働ける環境を作るためには双方の歩み寄りが必要不可欠であり、聴者には聴覚障害に対する理解が求められる一方で、聴覚障害者にも聴者との交渉術や聴者社会の常識への理解が必要とされていることを意識しなければならない。
 第四に、就職希望の児童ができるだけ長く就業できるようにするために、聾学校専攻科には産業構造の変化に対応した柔軟な職能開発訓練プログラムの作成が求められている。労働需要のない職能を児童に身につけさせても益することは全くなく、時代遅れとなった学科の存続は無意味である。児童の在籍数と就職状況に応じて学科の存廃を検討し、将来的には専門学校との共同授業などの形も視野に入れて、児童が生産的な技能を習得できるように専攻科の構成と職能開発を見直す必要がある。
 以上が教育面における課題である。続いて、制度面での課題(○1情報保障、○2欠格条項、○3障害者差別禁止法の課題)について列記することにしよう。
 第一に、聴覚障害者が教育や就労の場で不利にならないように、情報保障の体制を今まで以上に充実しなければならない。現行制度のもとでは、職場や大学の場での情報保障が十分ではなく、聴覚障害者の進学や就労の大きな足枷となっている。また、手話通訳・要約筆記ともに十分な質と量を確保できておらず、手話通訳・要約筆記事業の自治体間格差も甚だしい(19)。通訳者のインセンティブを活用しつつ、聴覚障害者の利便性を高めるように通訳の養成事業および派遣事業を制度改革する必要性があるだろう。具体的には、○1手話通訳の養成において日本手話・日本語対応手話の切り分けを明確にすること、○2自治体間格差をなくすために、市町村ではなく国・都道府県の財源のみでコミュニティ支援事業を行なうこと、○3大学などの高等教育、職場での研修・会議における通訳を公的に保障すること、○4通訳者の自治体雇用枠を拡大するのではなく、通訳者の賃金を市場ベースでの支払いに連動させること、といった点が求められる(20)。
 第二に、障害者の欠格条項の問題がある。近年、職業免許や技能免許において障害に関する絶対的欠格条項(障害のある者は資格を取得することができないという条項)が撤廃され、相対的欠格条項(障害のある者でも業務を適正に行なえるのであれば資格を取得できるという条項)に移行したという意味では大きな進展があったと言えよう。しかしながら、臼井・瀬山(2008)が指摘するように、機能障害のみに着目した資格取得判定のあり方や関連する諸制度・環境の不十分さのために、障害者の資格取得や社会参加の妨げとなっている場合がある(21)。資格取得や社会参加の適正な機会が保障されるように、欠格条項を含めた関連諸制度のあり方について議論を深めていくことが必要であろう。
 最後に、障害者差別禁止法の制定を巡る問題がある。現在、わが国は国連障害者の権利条約批准に向けて、着々と国内法の整備を検討しているところであり、日本版「障害者差別禁止法」の制定が重要課題の一つとなっている。しかし、障害者差別禁止法の導入に伴う合理的配慮(22)の義務付けは障害者の雇用費用を増大させることにつながり、結果として障害者の賃金や雇用の水準に悪影響をもたらす可能性がある。障害者だけが直接・間接的に負担を強いられる制度にならないようにするためにも、合理的配慮の費用負担については慎重に議論した上で法整備を行なう必要があるだろう(23)。

5.おわりに

 本稿を閉じるに当たって、いくつか留意すべき点を記したい。
 第一に、わが国における障害関連統計資料の不備は深刻な水準にある。本稿で述べた議論の全ては、日本の障害に関する統計資料や先行研究の知見をもとにして断片的な考察を加えたにすぎないものであるが、そもそも統計資料が不足している状況では詳細な分析ができないのである。今後、特別支援教育においても障害者雇用においても質の高い統計資料の拡充が望まれる。
 第二に、統計資料の不備に付随して、わが国の政策形成には実証的な観点から制度を分析するという視点が不足しているように思われる。政策科学・実証科学としての経済学には未だ解決できないでいる問題や不得意な領域もあるものの、その発展は目覚ましいものがあり、政策形成に役立つ実践的な知見を提供することが十分可能な水準にある。経済学が実践的な知見を提供するためにも、障害関連の統計資料を拡充し、障害者関連施策を実証的な観点から考察・検証していく必要があるだろう。
 最後に、本稿の断片的な議論からでさえも、聴覚障害者の置かれる状況がまだまだ厳しいものであることがわかった。しかし、堅実な当事者たちの運動とそれに呼応した人たちのおかげで、手話通訳事業の整備はもちろんのこと、欠格条項の改正や障害者権利条約の批准に向けた動きなど、大きな成果がもたらされてきたことを忘れるべきではない。聴覚障害をもつ人や、その親・兄弟・姉妹・親戚、手話通訳者・要約筆記者、行政担当者、研究者が互いに尊重・協力しあって、障害者の社会参加を阻む障壁を取り除けるように努めていくことが最も大事なことのように思われる。

[謝辞]
 森悠子氏(一橋大学大学院経済学研究科博士課程)からの温かい励ましと日頃の有益な議論に深く感謝したい。また、本研究は日本学術振興会科学研究費補助金若手研究(スタートアップ)「ろう教育の有効性:聴覚障害者の基礎学力向上と真の社会参加を目指して」(研究代表者:坂本徳仁、課題番号:20830119)、文部科学省科学研究費補助金若手研究(B)「聴覚障害教育および障害者雇用政策に関する理論・実証分析」(研究代表者:坂本徳仁、課題番号:22730244)より研究費の助成を受けている。記して謝意を表したい。

[注]
(*)本稿は2009年11月9日に開催した第6回障害者の生活・教育支援研究会で報告した「聴覚障害者の進学と就労:現状と課題」をもとに書かれた論文である。もとの研究報告から大きく変更・修正した点はないが、2009年11月以降に知りえた情報については新たに補充してある。
(†)一橋大学大学院経済学研究科特任講師、立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員。
(1)現在に至るまで、聴覚口話法、トータル・コミュニケーション法、日本語対応手話併用法、バイリンガル・バイカルチャラル法などの方法が実践されてきた。
(2)高等教育において聴覚障害者が直面する苦労や悩みについては、秋山・亀井(2004)、末森(2007)、早瀬(2004)を見よ。
(3)就職した聴覚障害者の困難さについて、たとえば、全日本ろうあ連盟 (1998)を参照せよ。
(4)ただし、○1聴覚障害児童が全体としてどのくらいいるのか、○2統合教育を受けている聴覚障害児童がどのくらいいるのか、といったことについては統計が整備されていないため、正確なことはわからない状況にある。
(5)とはいえ、聾学校高等部の卒業生が進学できる大学や短大の学力水準がどの程度にあるか検討する必要はあろう。執筆者があるベテランの聾学校高等部教員から聞いた話では、聾学校における大学・短大進学希望者の目標は、大手予備校が実施する全国的な模試での偏差値を40以上にすることだそうである。大学・短大進学希望の児童における「合格圏にある大学数」も「進路選択の幅」の重要な構成要素であることは論を俟たない。
(6)ただし、統合教育を受けている聴覚障害児童の進路選択の幅が広いといっても、もともとその児童には「統合教育を受けても遅れをとらない程度の力があるので進路選択の幅が広い」ということがある。その意味において、聾学校の教育のせいだけで聾学校高等部卒業生の進路選択の幅が狭いというわけではないことに留意されたい。
(7)「9歳の壁」ではなく「11歳の壁」になったという意味において、読書力の進展はみられるものの、児童の読み書き能力や学力について未だ大きな課題が残っていると言わざるを得ない。海外においても児童の読み書き能力や学力停滞の問題は依然として深刻な水準にあり、たとえば、Traxler(2000)はアメリカの聴覚障害児童の半数が高校卒業時点で小学校4年生以下の言語能力しかないことを報告している。日本における聾学校教育の困難さと教育上の課題については脇中(2009)を見よ。
(8)聴覚障害者ではなく身体障害者であるのは、聴覚障害者という枠に細分化されている長期的な統計資料が存在しなかったためである。
(9)ただし、図3からも明らかなように、ここ数年の間、有効求職者数は減少傾向にある。
(10)その他、障害者福祉の充実による就業意欲の喪失・減退といった要因も理論的にはありうるが、日本の現状を鑑みる限り、そのような要因は現実的ではないだろう。この点について、長江(2010)は文部科学省科学研究費補助金「総合社会科学としての社会・経済における障害の研究」(研究代表者:松井彰彦、課題番号:19GS0101)で実施した質問紙調査のデータをもとに計量分析を行ない、障害者福祉施策が障害者の労働供給に影響を与えていない可能性を示している。
(11)この点については、Morozumi(2009)による実証分析の結果を見よ。
(12)本稿は、平成5・10・15年度の調査結果をもとにしている。
(13)他の身体障害者の月収(総収入ベース)の分布は以下のようになる。

月収:視覚障害(N=237)/肢体不自由(N=1450)/内部障害(N=847)
9万円未満:101名(42.6%)/549名(37.9%)/273名(32.2%)
9〜18万円:75名(31.6%)/424名(29.2%)/226名(26.7%)
18〜30万円:30名(12.7%)/261名(18.0%)/202名(23.8%)
30〜50万円:15名(6.3%)/122名(8.4%)/79名(9.3%)
50万円以上:16名(6.8%)/94名(6.5%)/67名(7.9%)

  上の表から、視覚障害者および肢体不自由者の月収の分布については聴覚障害者と似ていることがわかる。しかしながら、視覚障害者も肢体不自由者も30万以上の収入を得ている者の割合が聴覚障害者よりも多い点で恵まれている。また、内部障害者の月収は聴覚障害者の月収よりも明らかに良い。手塚(1991)も指摘しているように、一般的に、聴覚障害をもつ者は他の身体障害(視覚障害、肢体不自由、内部障害)をもつ者に比べて平均賃金が低いことが知られている。
(14)この点については、元聾学校教員の矢沢(2010)が現在の特別支援教育の進め方に疑問を呈しており、望ましい聾学校教員人事のあり方を模索している。また、執筆者の知り合いの教育熱心な聾学校教員たちも特別支援教育における人事のあり方については怒りと諦めの気持ちを感じているように見受けられる。
(15)執筆者の知る限り、ロールモデルとなる大人の存在が聴覚障害児童にどのような影響をもつのか信頼のできる水準で定量的に検証した研究はない。ろう者教員の拡充がどのような効果をもつのか詳細に分析し、有効な人材配置のあり方を検討する必要があることは言うまでもない。
(16)一般的に、ろう学校に通う児童の方が普通・難聴学級に通う児童よりも聴覚障害や手話に対する肯定感が強い傾向にある。また、経験的にも聾学校の児童は統合教育の児童よりも疎外感なく発達しやすいと言われている。普通学級になじめなかったり、普通学校の勉強についていけなくなった結果として、聾学校に編入してくる児童は心に傷を負っていることが多く、その意味においても日本手話を母語とする教員の充実は急務である。
(17)たとえば、就業している聴覚障害者及び雇用主の相談役として機能している東京聴覚障害者自立支援センターや、職場における常識やマナーを教える取り組みを行なっている筑波大学付属聴覚特別支援学校などがあるものの、全国的には十分な水準にあるとは言えない。もちろん、これらの教育・訓練が実際にどのような効果をもつのか検証しながら、よりよい方法を模索していく必要があろう。
(18)この点については、自身が聴覚障害者であるとともに公共職業安定所の職員でもある岩山(2008)の報告を見よ。
(19)林(2005)は手話奉仕員養成講座の時間数が最も少ない自治体で年間10時間、最も多い自治体で250時間と25倍もの格差が存在することを指摘している。また、講座にかける予算についても年間12〜316万円と地域間で格差が非常に大きいことが報告されている。この他の自治体間の違いについては、三つの自治体の比較という限定的なものではあるが、坂本・佐藤・渡邉(2011)を見よ。
(20)この点については、坂本・佐藤・渡邉(2009)を見よ。
(21)たとえば、2006年、検察審査会の補充員に選ばれた全身性障害者が業務上必要な介助費用を自分で負担しなければならなかったということがある。この事例については、後に当人が費用負担のあり方を問題化し、最高裁が検察審査会出席に伴う費用の全額保障を制度化した。この他、欠格条項をもつ法令数自体は増加傾向にあり、2005年時点で342法令であった欠格条項をもつ法令数は2007年には410法令にまで増加している。この期間における欠格条項をもつ法令数の増加は、取得後欠格(資格取得後に障害を持った場合には、障害の程度によって資格を失うことがあるという条項)をもつ法令数の増加によって説明される。これらの事柄について、詳細は臼井・瀬山 (2008) を見よ。
(22)本稿では先行研究で定訳になりつつあるため、「reasonable accommodation」について「合理的配慮」という訳語を用いた。しかし、この言葉が訳語として相応しいものであるか否かについては検討の余地があろう。
(23)この点については坂本(2011)を見よ。

[参考文献]
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