講演録 多民族国家構想とマイノリティ 多民族・多文化「共生社会」は可能か

佐藤 信行(在日韓国人問題研究所)
2010 年2 月28 日 於:立命館大学

 いま、現在のことでお話しますと、ちょうど昨日、今日と、ジュネーブで人種差別撤廃委員会の日本審査が行われています。そして来月3 月中旬には、日本政府に対する勧告が出るはずです。日本政府報告書に対しては、日弁連や私たち人権NGO がテーマ別にそれぞれレポートを昨年出しましたが、それが委員会の審査でほぼ取り上げられたようです。そういうことで、いろんな問題がいま同時並行で進んでいるということだけを最初にお伝えします。

1.「多民族・多文化社会」化しつつある日本社会

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討議の風景

 まず、数字が示す日本の「多国籍・多民族化」の状況を確認してみます。
 1950 年代、60 年代、70 年代までは「在日外国人イコール在日韓国朝鮮人」でしたが、1990 年代を前後して、アジアと南米からの移住労働者と国際結婚移住者が急増しました。南米からの移住労働者とは、かつて南米に移民として渡った日系人の二世と三世のブラジル人・ペルー人などです。
 一時的な旅行者ではなく日本に3 カ月以上住む外国人は、自分が住む市区町村で「外国人登録」をしなければならないのですが、次ページの〈表1〉に見るようにその数は2008 年末現在、221 万人となっています(その他に、超過滞在など非正規滞在者が約11 万人となっています)。

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表1 外国人登録者総数の推移(各年末現在)
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表2 国籍(出身地)別外国人登録者数の推移

 その外国人登録者数の国籍別内訳を次ページの〈表2〉で見ると、これまでは「韓国・朝鮮」が一位だったのですが、2007 年から「中国」がトップになりました。1961 年には4 万6,000 人となっていた「中国」の人たちのほとんどが日本の旧植民地出身者である台湾人と、戦前から日本に住んでいた華僑だったのですが、1990 年代以降、中華人民共和国のパスポートを持って渡日する人たちが急増して、今では65 万人になっています。そして外国人登録者数の3 番目がブラジルとなり、フィリピン、ペルーと続きます。この変化はすごく大きなものです。つまりこの20 年間で、在日外国人が急激に増えたこと、そしてその構成比も大きく変化したことです。
 もう一つ見逃せないことは、国連の加盟国数が192 カ国になるのですが、外国人登録者の国籍数、出身国数は190 カ国に及ぶということです。つまり、ほぼ全世界から外国人が日本に来ている、というわけです。
 日本社会の「多民族化」ということのもう一つの側面は、〈表1〉や〈表2〉には表れない、つまり外国人登録者数に表れない「日本籍外国人/多重国籍日本人」、「日本国籍のダブルの子ども」の数も急増していることです。この数を正確に把握できないのですが、①帰化による日本国籍取得者数(1952〜 2008 年の帰化者の累計数45 万4283 人)、②日本国籍者と外国人との国際結婚件数(17 組に1組、地域によっては15 組に1組)などから類推しかありません。つまり、「外国にルーツを持つ日本国籍者」も急増しているのです。

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佐藤氏

 このような日本における多民族社会、いわば「移民社会」化しつつある現実の特質ということを考えてみたいと思います。
 一つは「顔が見えない労働者」という問題があります。いま「奴隷労働」として国際的にも批判されている研修生・技能実習生「問題」ですが、彼ら彼女らは全国各地に、地方における地場産業、中小・零細産業、あるいは農業を支えるというかたちで入っています。しかし彼ら彼女らは、地域社会から見えないところで過酷な労働を強いられているという現実があります。
 もう一つは、「顔の見えない定住化」です。これは、在日ブラジル人社会を調査した社会学者が付けたのですが(梶田孝道・丹野清人・樋口直人『顔の見えない定住化――日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク』)、まさにそうです。関西に住んでいると今一つぴんとこないかもしれませんが、関東の群馬県、東海・中部の静岡県、愛知県、三重県、岐阜県にブラジル人、ペルー人が集住しています。
 ところで、皆さんに質問です。朝鮮学校、中華学校、韓国学校、インターナショナルスクールが全国で約100 校ありますが、ブラジル学校やペルー学校、インド学校はいま何校あると思いますか。50 校くらい? 100 校くらい?
 答えは約100 校です。2008 年夏の時点でブラジル学校は100 校を超えました。ところが2008 年秋のリーマンショックによる派遣切り、雇用危機でブラジル人の親が働けなくなって、生徒数が激減しました。そのため、約16 校が休校・閉鎖せざるをえなくなりました。それでも、80 校近くが頑張っています。ただその多くが、「各種学校」として認可されず、「私塾」というか「町の学習塾」扱いとなっていて、国庫からも自治体からも助成を受けられずにいます。その他にニューカマーの学校としては、ペルー学校が3校、インド学校が東京に2校、それとフィリピン学校が愛知に1校あります。
 これらのニューカマーの学校のほとんどは、父母ともども工場で働いているため、その子どもを預かる無認可保育園から始まって、その保育園の子どもが小学校に行くぐらいになったら小学部を設けて、さらに中学部、高等部を設けていったのですが、「学校」といっても、つぶれたコンビニや工場を改造して学校にしています。
 ところが、これだけ在日ブラジル人が増え、ブラジル学校が増えているにもかかわらず、例えば群馬県の大泉町に行って駅前に立つと、工場群があって、その工場の合間にブラジル学校があり、街道筋に歩いて行くとブラジル料理店が1 軒、2 軒、ブラジル人の若者たちが集まるパブが1 軒、2 軒とあるというように、地域社会から隔絶した形になっているのです。
 そしてもう一つは、「顔の見えない移民化」です。これは全く論証なしで言うのですが、中国人がこれだけ増えても、ニューカマーの中国人のコミュニティがどういうふうになっているのかということが断片的にしかわからない。たとえば東京の池袋駅周辺に、確かに中華料理店も増えています。また、土曜・日曜日になると子どもたちに中国語を教える学校がビジネスとして成り立っています。なぜ成り立つのかというと、普段は日本の学校に行かせているけど土曜・日曜日はお母さんと一緒に子どもがきて、そこで中国語を勉強する⋯。そういう断片しか見えないのです。
 このような多民族社会の中で深刻な問題の一つとして、ニューカマーの子ども、とりわけブラジル人、ペルー人の子どもの7%から10%近くは「不就学」になっていることです。しかし文部科学省は外国人児童・生徒の全数調査をやっていないので、その数を類推するしかないわけです。
 〈図1〉を見てください。A というのは、法務省が把握している5 歳から9 歳、10 歳から14 歳までの外国人の子どもの数です。つまり小学生・中学生にほぼ該当する子どもの数ですが、それが1997 年には11 万5,000 人。そしてB は、文部科学省が年に1 回調査している、公立・私立の小学校・中学校の在籍数、プラス各種学校として認められている外国人学校の児童・生徒数で、1997 年は10 万5,000 人となっています。そうすると、AとBの差は約1 万人となります。
 ところが2008 年になりますと、外国人登録数でいくと5 歳から14 歳までの子どもが13 万4,000 人。いっぽう文部科学省が把握している児童・生徒数は9万4,000 人。つまり、AとBの差は約4万人となります。この4 万人の子どもたちは、一つは、各種学校になっていない(文部科学省の調査対象となっていない)ブラジル学校やペルー学校などに行っているか、あるいは全く不就学になっているか、と考えるしかないのです。本来ならば、その実態を文部科学省がちゃんと調べないといけない。
 さらにここ数年、深刻な問題としてあるのは、ニューカマーの子どもたちの高校進学率です。地域によってだいぶばらつきがあって、自治体やNPO が学習支援をきっちりやっているところでは、高校進学率80%という比率があるのですが、そういう学習支援がないところでは50%を切ってしまう。そうすると、ニューカマーの子どもたちの多くは、高校にも行かず、あるいは中学校を卒業しないまま働いている。お父さんやお母さんが働いている工場で、その子どもも期間工、派遣労働者として働くというようなことが出てきているわけです。つまり1990 年代、2000 年代、移住労働者の親と一緒に日本に来た子どもたちや、日本で生まれた子どもたちが10 代、20 代を迎えようとする現在、日本の労働市場の底辺に、この子どもたちも固定化されようとしているのです。これはすごく深刻な問題です。

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図1 在日外国人の子どもの数と就学状況

2. 「在日」三世・四世と「ザイニチ」二世の現実

 「在日」と「ザイニチ」──。まず、このことについて話します。これは私が思いついたのではなくて、神奈川県川崎市に「桜本」という在日コリアンの集住地域があります。そこに在日大韓基督教会があり、保育園があり、また川崎市が作った公設民営の「ふれあい館」があるのですが、そこの成人講座を企画運営している在日コリアンのスタッフが講座の名称の中に「在日/ザイニチ」と付けたのです。これを私なりに解釈すると、1980 年代までは桜本保育園に通う子どもたちは在日コリアンと日本人の子どもでしたが、今では文字通り多国籍なのです。親も子どももブラジル、メキシコ、フィリピン⋯⋯となっていて、保育士も多国籍になっています。それで結局、これからの地域のことを考えるときに、漢字でいう「在日」コリアンの三世、四世のことと、いま保育園や小学校に来ているニューカマーの「ザイニチ」二世のことを、同時に考えていかなければいけない時代になったということです。
 かつての日本の植民地支配に起因する在日韓国朝鮮人、その在日コリアン社会では、すでに「在日」二世・三世・四世が大半を占め、今や五世が生まれてきています。また一方では、移住労働者や国際結婚移住者の子どもとして日本で生まれた「ザイニチ」二世が、青年期を迎えようとしています。
 しかし彼ら彼女らは、たとえ日本国籍を持っていたとしても日本社会で周縁化されています。さらに、韓国・朝鮮籍の「在日」コリアン三世・四世も、またブラジル国籍やフィリピン国籍、ペルー国籍の「ザイニチ」二世も、「日本国籍を有しない者」として、次の7 項目のように扱われます。

1)地方自治体の参政権 ⇒ 法律により否認。
2)人権擁護委員・教育委員・民生委員の就任権 ⇒ 法律により否認。
3)地方公務員・公立学校教員の就任権 ⇒ 政府見解により制限。
4)日本への再入国権 ⇒ 法律により制限。
5)社会保障の受給権 ⇒ 国籍条項はほぼ撤廃されたが、在留資格・在留期間による制限あり。
6)民族名を名のる権利、民族教育を受ける権利など「マイノリティとしての権利」 ⇒ 政府見解により否認。
7)入居拒否、就職差別など社会的差別から保護・救済を受ける権利 ⇒ 人種差別撤廃法が制定されておらず、また保護・救済を求める国内人権機関がないため、裁判所に訴えるしかない。

 このように彼ら彼女らは、本来享有すべき権利を制限され否認されているのです。その上、もっとも基本的な権利、「日本に居住する権利」すら、入管法と入管特例法によって規制されています。つまり特別永住者、永住者、定住者という在留資格であっても、「退去強制条項」があるのです。とりわけ日本で生まれ育った在日コリアン三世・四世が基本的権利を今もって制限され否認されていることは、かつての宗主国、イギリスやフランスなどにおける旧植民地出身者の法的地位と比較しても、きわめて特異な法制度であると言う他ありません。
 在日コリアンに対するこのような法制度と、それを支える日本社会の意識は、「戦後民主主義」の中にすでに胚胎されていました。すなわち、

(1)戦後日本の外国人法制度は、在日コリアンをおもな対象として策定されていったのですが、外国人を普遍的権利の享有主体から排除し徹底的に「管理」するという目的の下で立法化され運用されてきたこと。
(2)こうした外国人法制度は、①法令に明文化されたもの、②法令には明記されずに「当然の法理」という奇妙な論理に拠るもの、③必ずしも法文上明記されていないが、通達など、外国人も日本国民も知りようがない「行政マニュアル」に拠るもの――によって恣意的に運用されてきたこと。
(3)しかもこれは、日本国民の圧倒的多数の「無関心」の下に作られ、維持されてきたこと。
(4)戦前の日本において埋め込まれた、日本人のコリアンに対する差別と偏見が、戦後、「日本国民」対「外国人」との絶対的二分論によって合理化・正当化され、「日本国民イコール日本人」という単一民族国家神話によって補強されてきたこと。

そのことは、「民主主義」を謳歌してきた戦後日本において、日本人みずからが植民地主義と対峙して克服していく作業がなされなかったことを示していると言えるでしょう。
 そして1980 年代後半以降、日本は新たな外国人、ニューカマーを大量に迎えました。しかし、権利を認めず管理する、という基本的方針は変更されなかったのです。そして実際、日本で生まれ育ったブラジル国籍やフィリピン国籍の子どもたちが16 歳、20 歳になったときに、先述した7 項目に至る基本的な権利を否認されたり制限されているというのが、日本の現実なのです。そのことを、やはり私たち日本人はしっかり認識すべきだと思います。

3.2009 年改定法の諸問題

 政府は昨年、2009 年3 月に、外登法を廃止して「新たな在留管理制度」と「外国人の住民台帳制度」に再編する入管法、入管特例法、住民基本台帳法の改定案を国会に上程しました。そして6 月19 日、衆議院は政府案とその一部修正案を可決しました。当時の与党(自民・公明党)と野党(民主党)で合意された「修正案」とは、入管特例法において特別永住者の証明書常時携帯制度を外した他は、問題となる条文を残したまま、入管法と住民基本台帳法に「配慮事項」「検討事項」が付け加えられただけです。
 次いで参議院においても、十分な審議がなされないまま7 月8 日に可決され、この3法は成立しました。

 この改定法の問題点を考える前に、現行法について説明します。
 外登法とは、「外国人登録法」の略称で、第1条で「外国人の居住関係および身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資することを目的とする」という法律です。しかしそれが、私たち日本国民を対象とする戸籍法や住民基本台帳法と決定的に違う点は、次の点にあります。
①顔写真の他、勤務先など数多くの登録事項を義務づけていること。
②外登証の常時携帯と、定期的な確認登録(切り替え)を義務づけていること。
③これらの義務規定を、刑事罰によって強制していること。

 「朝鮮人取締法」として策定されたこの法律は、たとえば1954 年から80 年まで、「切替不申請」として自治体から告発され、検察に送致された在日コリアンが年平均5127 人にもなり、また、警官の街頭での尋問などによって「外登証不携帯」として送致された在日コリアンの数も年平均3242 人にもなるなど、とりわけ在日コリアンの日常生活を監視し威嚇する装置としてありました。私たち日本国民は、住民基本台帳法における転出届・転入届を14 日以内にしないと、法律上は5 万円以下の過料となっていますが、ほとんどの場合、始末書を書くぐらいで終わります。ところが外国人登録法においては、転居届を出さないと、刑事罰が科せられます。また、5 年ごとの切り替えをつい忘れてしまった場合、たとえば出産とか長期入院で1 カ月後に市役所に行って切り替えをしたら、「申請遅延」として告発をされてしまう。その件数が年平均で5127件にのぼっていたのです。あるいは車を運転していて、交通検問で「免許証を見せなさい」と言われてそれを見せると、その免許証に金とか李とか朴と書いてあると、必ず「外登証も見せなさい」となる。そのとき、運転免許証を持っていても、たまたま外登証を持っていないと、不携帯。このようにして外登証不携帯として検察に送られた数が年間3242 人になるわけです。それが1970 年代までの実態だったのです。その監視・抑圧装置が徐々に“弛緩”していくのは、1980 年代から澎湃として起こった指紋拒否・外登法改正運動によってです。
 外国人を管理するもう一つの法律である入管法とは、「出入国管理及び難民認定法」の略称です。第1条に「すべての人の出入国の公正な管理を図る」「難民の認定手続を整備する」ことを目的として掲げていますが、実際は外国人の在留許可や在留資格取り消し、退去強制、そして再入国許可、永住許可、難民認定などにおいて、法務省の広範囲な「自由裁量」が認められており、しかもこれらの処分が行政手続法・行政不服審査法から適用除外されているのです。
 また入管特例法とは、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」という、長い名前の法律の略称で、日本の植民地支配によって日本への居住をしいられた旧植民地出身者とその子孫、つまり在日コリアンと在日台湾人に対して、「特別永住」などを定めている特例法です。ただし退去強制条項もあり、「永住」は「権利」ではなく「資格」にすぎない、とされています。ここでの基本的な問題としては、戦前から住んでいる在日朝鮮人・台湾人一世とその子孫には特別永住が認められますが、1945年の解放のときに一旦故郷に帰って、また日本に戻ってきた人は対象外とされていることです。また、韓国などに留学をして再入国期限内に帰って来れなかった人も、その時点で特別永住がなくなったとみなされて、結局、入管法上の「一般永住」をとるしかなかった人びともいます。
 そして住基法とは、「住民基本台帳法」の略称です。「管理」を目的とする外登法や入管法と違って、「住民の利便を増進するとともに、国および地方公共団体の行政の合理化に資する」(第1条)ことを目的とする法律ですが、これまでは、「日本の国籍を有しない者その他政令で定める者については、適用しない」(第39 条)となっていて、「外国籍住民」は排除されてきました。

 戦後間もなく1947 年に外国人登録制度が始まりましたが、今回の法改定は、60 年以上に及ぶ外国人登録制度を全面的に改編して、次のように、「外国人管理」をさらに徹底しようというものです。

①改定「入管法」では、短期滞在者や特別永住者を除く、留学生や永住者などの在留資格をもつ「中長期在留者」を、新たな在留管理制度の対象として、法務省が「在留カード」を交付します。すなわち中長期在留者は、在留期間更新や在留資格変更ごとに(永住者は7年ごとに)、地方入管局に行って在留カードを受領しなければなりません。さらに14 日以内に、居住する市町村で、その在留カードに「住居地」を記載してもらい、それを常時携帯しなければなりません。また、新規に入国する(短期滞在を除く)外国人は、入国の際に在留カードを交付され、住居地を定めてから14 日以内に、市町村で在留カードにそれを記載してもらわなければなりません。
②改定「入管特例法」では、在日コリアンなど特別永住者は、形式上、新在留管理制度の対象外とされ、市町村を経由して法務省から「特別永住者証明書」が交付されます。
③改定「住基台帳法」では、上記①の中長期在留者と、②の特別永住者が対象とされます。その他に、在留カードが交付されない一時庇護許可者や、難民申請中の仮滞在許可者も対象とされます。しかし、市町村による「外国人の住民台帳」の作成と運営は、入管法による新在留管理制度に連結させられるため、いびつなものにならざるをえません。しかも、オーバーステイ(超過滞在)など非正規滞在者や、難民申請中で仮放免の人たちは住民台帳から除外されます。

 ――要するに今回の改定法は、外国人登録法の中で一括して管理してきた在日外国人を、三つのカテゴリーに分けて管理する、つまり「分断して管理する」ものです。一つは在日コリアンなどの「特別永住者」の人たち、この人たちはこれまでと同様に管理をしていく。もう一つは特別永住者以外の一般永住、留学生、日本人の配偶者⋯⋯、24 種類の在留資格があるのですが、その人たちを「中長期在留者」として、これまで市町村が発行していた外登証ではなくて、法務省入管局が直接「在留カード」を交付して、この人たちの在留を徹底的に管理していく。もう一つのカテゴリーは不正規滞在者、その人たちには在留カードを交付しないばかりか、住民台帳にも載せない。つまり、実際に「住民」として生活しているのにもかかわらず、地域社会からは「見えない存在」として徹底的に排除してしまおうというのです。
 この改定法は3 年後、つまり2012 年7 月までに実施されることになっています。

 まず基本的な問題として指摘しなければならないことは、当事者、つまり改定法の直接の対象者となる外国人の意見を聞くことなく立法されたということです。
 改定入管法による新在留管理制度が対象とする在日外国人は、「約176 万人(08 年末現在)+新規入国者+新生児」となります。また、改定入管特例法の対象者は「約42 万人+新生児」、改定住基台帳法の対象者は「約220 万人+新規入国者+新生児」です。
 これほど多くの人びとの生活と居住に関わる問題であるのにかかわらず、政府はこれら在日外国人から広く意見を聴取することもなく改定案を策定し、また国会も法案審議において、在日外国人の声を広く聞く場を設けることがなかったのです。これでは、「民主主義」とはとうてい言えません。
 私たち日本人は、国連の「人種主義に関する特別報告者」ドゥドゥ・ディエン氏が国連人権委員会に提出した「日本報告書」の中での勧告(2006 年1月24日)を、今こそ想起すべきです。

「特別報告者は、日本には人種差別と外国人嫌悪が存在し、それが3種類の被差別集団に影響を及ぼしているとの結論に達した。その被差別集団とは、部落の人びと、アイヌ民族、および沖縄の人びとのようなナショナル・マイノリティと、朝鮮半島出身者、中国人を含む旧日本植民地出身者およびその子孫、ならびにその他のアジア諸国および世界各地からやってきた外国人・移住者である」
「政府は、マイノリティ集団に関連して採択される政策や立法に関し、マイノリティ集団と協議すべきである」

 改定入管法の問題点を挙げていきますと、その一つは、下記のように在留カードの受領・携帯・提示義務を、刑事罰をもって16 歳以上の外国人に強制することです。

法務省への身分登録義務と、(市町村を経由しての)居住地登録義務

在留カードの受領義務

在留カードの携帯義務

警察等による提示要求に応じる義務

 しかも在日外国人は、「登録義務」から始まって「在留カードの提示義務」まで、刑事罰によって強制されます。したがって、うっかり在留カードを持たずに外出しても、不携帯/提示拒否が犯罪とされ、その場で身柄を拘束(現行犯逮捕)されるようになっているのです。
 いっぽう私たち日本国民は、「住基カード」の受領も携帯も提示も、義務づけられてはいません。この「非対称」こそ、私たちは考えるべきです。
 たしかに国会での修正協議で、特別永住者の「特別永住者証明書」の常時携帯制度が外されました。しかし、中長期在留者の「在留カード」常時携帯制度と、その違反に対する「刑事罰」制度は修正されませんでした。また、そこでは「永住者」や「日本人・永住者の配偶者」などに対する免除規定も設けられませんでした。なぜなら、「在留カードは、法務大臣が中長期在留外国人の正確な情報を継続的に把握するという新たな在留管理制度の根幹であり、不法滞在者等の現状に照らしても即時的に判断する仕組みが必要不可欠」だという政府、とりわけ法務省・警察庁の意思が貫徹されたからです。
 でも、常時携帯制度の目的が「不法滞在者を即時に把握して排除する」ことにあるならば、その実効性を担保するためには、自国民(日本国民)にも身分証明書の常時携帯を義務づけなければならないことになります。このことは、政府内部でこれまで何回となく検討されたようですが、現在まで当然ながら立法化までには至っていません。
 それでは、自国民には課さないが、外国人にはなぜ課すのか。その合理的・客観的根拠が示されなければならないはずです。かつて1999 年に外登法改定案を審議した参議院法務委員会は、常時携帯制度そのものの見直しを決議しました(99 年8 月13 日)。

「外国人登録証明書の常時携帯義務の必要性、合理性について十分な検証を行い、同制度の抜本的な見直しを検討すること」

 また、国連の自由権規約委員会は1993 年11 月4 日、総括所見を採択し、その中で「主要な懸念事項」としてこう明記しました。

「永住的外国人であっても、証明書を常時携帯しなければならず、また、刑罰の適用対象とされ、同様のことが日本国籍を有する者には適用されないことは、規約(自由権規約)に反するものである」
「日本に未だ存続しているすべての差別的な法律や取扱いは、規約第2 条、第3条および第26 条に適合するように、廃止されなければならない」

 しかし日本政府は、国会決議も、また国連の自由権規約委員会の3 回(1993年、98 年、08 年)にわたる廃止勧告もまったく無視しました。国連の「人権理事会」のメンバーである日本みずから、国連の国際人権条約実施監視機関からの度重なる勧告を無視すること自体、きわめて恥ずべきことです。

 外国人、とりわけ中長期在留者は、この改定入管法によってさまざまな義務規定が設けられ、それが刑事罰の威嚇によって強制させられることになります。住居地以外の、たとえば職場の名称変更や所在地変更の届出は、14 日以内に地方入管局に届けなければならず、外国人の負担はこれまで以上に大きくなります。なぜなら、地方入管局は全国でたった8 局であり、支局6 局と出張所62 カ所を含めても76 カ所にすぎないからです。他方、現在の外国人登録制度の窓口となっている市区町村は、全国で1787 カ所もあります。
 改定入管法による新在留管理制度は、次ページ〈図2〉に見るように、住基台帳法や戸籍法と比較しても、あまりにも煩雑な義務規定を設け、かつ格段の重罰を定めています。それは、「外登証」を廃止して「在留カード」とするため、外登法の種々の義務規定と罰則制度を、軽減することなく、ほぼそのまま入管法に持ち込んだためです。
 しかし、住基台帳法で懲役刑を定めているのは、住民台帳に関わる秘密を洩らした自治体職員に対してのみ、また戸籍法で同様の罰則は、虚偽の届出をした者に対してだけです。これに比して改定入管法は、事細かに義務規定を設け、新規届出や変更届出の遅延にまで刑事罰を定めています。

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図2 改定入管法による義務規定と罰則規定

 しかし、前述した1999 年外登法改定にあたって衆議院法務委員会は、次のように附帯決議をしています(99 年8 月13 日)。

「外国人登録法に定める罰則について、他の法律との均衡ならびにこの法律における罰則間の均衡など、適切な措置につき検討を行うこと」

 ところが、今回の改定入管法に設けられた罰則規定は、10 年前の国会決議をまったく無視したものとなっています。
 在日ブラジル人をはじめその多くが派遣労働者として働く外国人労働者にとっては、それこそ1 週間ごと、1 カ月ごとに違った労働現場に送られるなど、
「住居地」の認定にも困難が生じます。それにもかかわらず、たとえば90 日以内に住居地変更の届出をしなかった場合、次のようになるのです。

住基台帳法での行政罰(5万円以下の過料)

入管法での刑事罰(20 万円以下の罰金)

入管法での在留資格取消し

 同様に、「日本人・永住者の配偶者」という在留資格になっている移住女性が、配偶者と死別あるいは離婚した場合、14 日以内に地方入管局に届出をしないと、「20 万円以下の罰金」。その上に、その変更届出の遅延が6 カ月を超える場合は、次回の在留資格の更新時、入管局によって「配偶者の身分を有する者としての活動を継続して6 月以上行わないで在留している」と、不利に判断されかねないのです。
 このように、加重された罰則制度は、生活者としての外国人に対して、法務省の判断次第で制裁措置を加えることができるものとなっています。

 また、改定入管法による在留カードの記載事項に、「就労制限の有無」というものがあります。法務省の説明資料によれば、次ページ〈図3〉にあるように、在留カード表面のほぼ中央、顔写真の横に囲み罫で「就労不可/就労するには資格外活動許可が必要」、あるいは「就労制限なし」、「就労制限あり/在留資格で認められた就労活動のみ可」と、その外国人の在留資格の類型別にそれぞれ太字で記載されることになります。

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図3 改定入管法の「在留カード」(法務省作成資料から)

 法務省が言うには、外国人を雇う企業あるいは店長が、就職面談でこの外国人を雇ってもいいかどうかをすぐ分かるようにしたと説明するのですが、しかし考えてみると、この説明はやはりおかしい。
 現在の外登証には「職業」という項目がありますが、「就労制限の有無」という項目はありません。それにもかかわらず、このような項目を設けて特筆することは、外国人を「人間」として「生活者」として扱うのではなく、「労働力商品」か否かという発想に基づくものです。
 たとえば、16 歳の外国籍の高校生を想定してみましょう。「特別永住者」以外の在留資格、たとえば永住者とか、定住者、家族滞在となっている高校生は、16 歳の誕生日までに学校を休んで地方入管局へ行き、そこで在留カードを受領する。さらに14 日以内に、また学校を休んで市町村窓口へ行ってカードに住居地を記載してもらい、そのカードを常時携帯することになります。そのカードには、在留資格によって「就労不可」、あるいは「就労制限なし」「就労制限あり」と記載されます。
 このようなグロテスクな在留カードを常時携帯させ、しかも、修学旅行時を除いて、日本への再入国のたびごとに指紋と顔写真を登録させる。それを16 歳の子どもたちに強いる国家と社会は、それこそグロテスクではないでしょうか。
 なお日本は、2007 年11 月、米国に次いで世界で二番目に、「テロ対策」と称して外国人の生体情報登録を始めました。つまり、日本に入国する、あるいは日本での正規の在留資格を持ち日本に再入国する「16 歳以上の外国人」(外交官や特別永住者を除く)から、指紋と顔画像をとっています。ただし、日本の公立高校・私立高校での修学旅行時の再入国に際しては、2008 年5 月からそれが免除されることになりました。

 次に、問題として挙げなければならないのは、法務省による個人情報の収集とデータマッチングです。改定入管法の中に、「中長期在留者に関する情報の継続的な把握」として第19 条の18 が新設されました。そこには、こうあります。

「第1 項 法務大臣は、中長期在留者の身分関係、居住関係および活動状況を継続的に把握するため、出入国管理及び難民認定法その他の法令の定めるところにより取得した中長期在留者の氏名、生年月日、性別、国籍、住居地、所属機関その他在留管理に必要な情報を整理しなければならない。
第2 項 法務大臣は、前項に規定する情報を正確かつ最新の内容に保つよう努めなければならない」

 この条文を素直に読むと、単なる訓示規定のように読めます。しかし、中長期在留者の個人情報は、本人の届出による情報の他、その外国人が所属する機関が届け出る情報も法務省に集中されます。さらに、住基法上の記載事項も市町村から法務省にもたらされます。この他、一人ひとりの入国・再入国・出国に関する情報も、また入国・再入国した際にとられた指紋・顔画像データも法務省にあります。
 これらの個人情報の集中化とデータマッチング、それを可能にしようというのがこの第19 条の18、「その他在留管理に必要な情報を整理」「情報を正確かつ最新の内容に保つ」という条文なのです。「情報を整理する」とか「正確かつ最新の内容に保つ」というように、抽象的に、曖昧に書いているところが、政府がもっともやりたいことなのでしょう。
 しかし、このような個人情報の一元的管理とデータマッチングは、日本国民には許されないものです(2008 年3 月6 日、住基ネット最高裁判決)。もし、外国籍住民に対してはそれが許されるというのなら、その必要性の合理的・客観的根拠が示されなければならないのですが、国会審議においても、何一つ明らかにされませんでした。
 さらに、2009 年3月に閣議決定された「規制改革推進のための3 カ年計画(再決定)」では、在留資格変更や在留期間更新などの際、「国税の納付状況、地方税の納付状況、社会保険の加入状況、雇用・労働条件、子弟の進学状況、日本語能力等」についてガイドライン化するとともに、効率的な情報収集が可能となるよう検討する、とされました。したがって今後、「新たな在留管理制度」で得られた個人情報と、これらの情報との連結がされていくことは必至です。
 また、他の行政機関との情報の相互照会・提供は、行政機関個人情報保護法に則って行なわれることとなりますが、警察機関などからの照会に応ずることも可能であり、多数の項目にわたる個人情報が随時提供されることになるわけです。
 これまで、在日外国人を「管理」するのは入管職員であり警察官でした。ところが、今回の改定入管法では、「日本社会が外国人を管理する」ことになります。第19 条の17 では「所属機関による届出」として、こうなっています。

「別表第一の在留資格をもって在留する中長期在留者が受け入れられている本邦の公私の機関その他の法務省令で定める機関は、法務省令で定めるところにより、法務大臣に対し、当該中長期在留者の受入れの開始および終了その他の受入れの状況に関する事項を届け出るよう努めなければならない」

 「別表第一」の在留資格とは、教授/芸術/宗教/報道/投資・経営/法律・会計業務/医療/研究/教育/技術/人文知識・国際業務/企業内転勤/興行/技能/文化活動/留学/就学/研修/特定活動⋯⋯となり、これらの在留資格をもつ外国人の数は今や60 万人となります(2008 年末現在)。つまり、彼ら彼女らは日本社会の隅々にわたって、日本人と共に労働し、勉学し、家庭を形成しているのです。
 ところが、改定入管法では、彼ら彼女らが所属する機関、たとえば私企業や公共団体、報道機関、宗教団体、研修生・技能実習生受け入れ機関、日本語学校、大学、専門学校などに対しても、個人単位で「就労状況/在籍状況/研修状況/就学状況」を報告することを求めています。
 このような所属機関からの届出制度は、これまでの外国人制度にはなかった新しい管理方法です。しかも、外国人管理とはまったく無縁の機関、公権力の介入から独立性を保障されている大学や報道機関、宗教法人までも、外国人管理行政の一翼を担わされることになるわけです。
 たとえば日本語学校や大学、専門学校など教育機関からは、在籍する学生の「氏名、生年月日、国籍、在留資格、在留カード番号、在籍事実」などを定期的に届けさせ、「退学・除籍・所在不明」の場合はただちに報告するよう求めています。また雇用先からは、2007 年10 月から実施された雇用状況報告制度によって厚生労働省経由で情報提供を求めることができます。
 しかも、これらの届出事項は、「その他の受入れの状況に関する事項」となっていて、法務省令でいくらでも拡大できるようにしています。このように広範かつ無限定の届出制度は、結局のところ、「外国人を監視する社会」を現出させることになるのです。

 在留資格の取り消しは、当事者の外国人に出国を強いることになります。したがって、行政手続法が定める一般の営業許可などの取り消し手続きよりも、厳格な手続きによってなされるべきです。しかし、入管法での在留資格取り消しは、いとも簡単になされてきました。さらに今回の改定入管法では、法務省の自由裁量、フリーハンドに委ねようとしています。第22 条の4では、こうなっています。

「法務大臣は⋯⋯本邦に在留する外国人について、次の各号に掲げる事実が判明したときは、法務省令で定める手続により、当該外国人が現に有する在留資格を取り消すことができる」

 そして今回、在留資格の取り消し理由として、次の項目が付け加えられました。

「日本人の配偶者等の在留資格をもって在留する者、または永住者の配偶者等の在留資格をもって在留する者が、その配偶者の身分を有する者としての活動を継続して6 月以上行わないで在留していること(当該活動を行わないで在留していることにつき正当な理由がある場合を除く)」

 さて皆さん、「配偶者の身分を有する者としての活動」とは、どのようなことを言うのでしょうか? しかし誰でも、その答に窮するはずです。
 そもそも、「配偶者の身分を有する者としての活動を行わない」という状態を認定することは困難です。日本人同士であれ国際結婚であれ、現代社会にあって家族の形態はじつに多種多様であり、それぞれの事情で、単身赴任とか二重生活というケースもたくさんあります。それを、どのような基準によって、「配偶者の身分を有する者としての活動を継続して行わない」と認定するのでしょうか。
 日本人配偶者に対するこれまでの在留資格審査では、単身赴任や、不和による別居においても、「配偶者の身分を有する者としての活動を行わない」状態とみなされてきました。ですから、今回の改定によって、DV を受けている外国人女性が、日本人夫のDV から逃げようとしても、在留資格取り消しを恐れて思いとどまる、DV 被害にさらされ続ける、という最悪の事態をもたらしかねないのです。
 法務省はこの条項を「偽装結婚を防止するため」と説明していますが、国連の女性差別撤廃委員会の「懸念と勧告」(2003 年7 月18 日)に対して、真摯に耳を傾けるべきです。

「委員会は⋯⋯DV を経験しながらも、その入国・在留に関する法的地位が配偶者との同居の有無に依存しがちな外国人女性の特有の状態について懸念する。委員会は、そのような女性たちが、強制送還されることへの恐怖から、助けを求めたり別居や離婚に向けて行動を起こしたりすることを思いとどまる可能性があることを懸念する」
「委員会は、DV をうけて別居している既婚の外国人女性に対する在留許可の取り消しは、かかる措置がそのような女性たちに与える影響を十分に査定した上でのみ行うことを勧告する」

 これまで述べてきた改定入管法の諸問題の他に、改定入管特例法においても、また改定住基法においても、問題とすべきことがたくさんあります。これらの問題点に対する詳細な批判は、外国人人権法連絡会編『外国人・民族的マイノリティ人権白書2010』(2010 年4 月刊・明石書店)を、ぜひ参照してください。
 ここでは、2009 年改定法の根本的な問題を、三つ挙げたいと思います。
 私は1980 年代の指紋拒否裁判、90 年代の在日戦後補償裁判の支援をやりながら思ったこと、それは今回の改定入管法の審議過程でもそうですが、外登法や入管法という外国人法制度とその運用実態を、私たち日本国民も、また国会議員もほとんど知らないということです。熟知しているのは法務官僚と警察官僚だけなのです。日本社会の国際化、多文化共生を言うならば、まず、このような「不均衡」は是正されなければなりません。
 また、「外国人法制」において、法律の条文に明記することなく、細目と運用基準を法務省令と政令に定めていくというのが、あまりにも多い。つまり、法律を国会で通してしまえば、あとは法務省がどんどん省令を改定して自由にやっていけるというものになっているのです。これこそ、法治主義の放棄なのです。
 そして根本的には、基本的かつ必須であるべき人権基準の決定的な欠如です。つまり、国際人権法、国際人権基準に基づく外国人法制度を作ろうとしていないことです。それは一言でいって、管理政策だけが先行して人権政策はない、ということです。これまでも、国連の自由権規約委員会や社会権規約委員会、人種差別撤廃委員会、女性差別撤廃委員会、子どもの権利委員会から繰り返し現行制度は是正すべきだという勧告を受けてきました。冒頭に話しましたジュネーブで開かれている人種差別撤廃委員会からは、前回の日本審査(2001年)で、日本には人種差別撤廃法がない、国内人権機関もない、それを作るべきだ、という勧告を受けました。しかし日本は、まだ何もしていません。ですから、この2009 年改定法に対しても今後、国連の各委員会から是正勧告が出されていくことになるでしょう。今後も、このようなことが繰り返されていいのだろうか、と思わざるをえません。

4.今後の課題

 これからの私たちの課題について考える前に、韓国にあって日本にないもの、について話したいと思います。
 その1、国民も外国人も救済する「国内人権機関」です。韓国では2001 年、国家人権委員会が作られました。これは、国際的な人権基準によって作られたもので、政府や地方自治体から独立した権限をもっていて、韓国内に住むすべての人、つまり韓国民も外国人も、大人も子どもも、人権侵害から救済するものとしてあります。
 その2、外国人にも「住民投票権」の保障。市町村合併や原発建設など、その地域の住民にとって大事なことを住民投票でその賛否を問う直接民主主義のシステムです。日本では、まず地方自治体の議会で「住民投票条例」を決めてから投票を実施しますが、韓国では2004 年、国会で「住民投票法」そのものを作りました。その中で、韓国に住む20 歳以上の外国人、合法的な在留資格を持つ外国人にも「住民投票」の請求権と投票権を認めました。
 その3、国民ではないけど住民だから、外国人にも「地方参政権」の保障。韓国では2005 年、公職選挙法を改正して、選挙ができる年齢を「20 歳以上」から「19 歳以上」とするともに、永住資格を持って韓国に3年以上住んでいる外国人に「地方選挙権」を認めました。そして2006 年5 月31 日、統一地方選挙で外国人が初めて一票を投じました。そのとき投票した外国人の中には、戦前から住む華僑の人たち5000 人をはじめ、韓国でずっと働いている日本人や、韓国人と結婚して住んでいる日本人も50 人ほどいました。するとその日本人たちは、在外投票で日本の国政選挙権を行使しながら、同時に地方選挙では、いま住んでいる韓国での地方選挙権を行使することになります。
 その4、外国人の「人間としての権利」の明示と保障です。韓国では2007年5 月、「居住外国人処遇基本法」を作りました。その第1条には、こうあります。

「この法律は、韓国に住む外国人に対する処遇について、基本的なことを定めることよって、外国人が韓国社会で暮らしやすいように、また、それぞれの個人の能力を充分に発揮できるようにして、韓国民と外国人がお互いを理解し尊重する社会環境を作り、韓国の発展と社会貢献に貢献することを目的とする」

 さらに2008 年3 月には、韓国人と外国人との国際結婚が急増していることに対して、「多文化家族支援法」を制定しました。

「この法律は、多文化家族の構成員が、安定的な家族生活を営むことができるようにすることで、これらの者の生活の質の向上および社会統合に貢献することを目的とする」

 ある意味では、韓国は日本以上に単一民族志向が強い国です。それは、日本の植民地支配と戦後の民族分断によって強化された感は否めません。しかし韓国では今、それを克服しようとして、上記の法制度を一つ一つ作っているわけです。ところが、日本はこれらの一つもまだ実現していません。

 いま、日本に必要なことは、管理政策から人権政策への転換です。それなしには、多民族・多文化「共生」はありえないのです。人権政策とは、次のようなことです。

①「生まれてくる子どもには、親も出生地も国籍も自由に選ぶことはできない」という平凡な真理を、私たち日本人は想起しなければならないのです。
②この世に生を与えられた誰もが、一人の人間として権利を平等に有すること。すなわち「労働者」として、「生活者」として、「住民」として、その地位と権利が具体的に保障されること。そのためには、外国人が本来享有するこのような普遍的権利を明記する法律、たとえば「外国人人権基本法」が必要なのです。
③とりわけ「住民」としての地位と権利、すなわち住民自治・地方自治に参画する権利が認められなければなりません。
④「外国人」および「日本国籍の民族的少数者」に対して、国連自由権規約第27 条および子どもの権利条約第30 条が定める「民族的マイノリティとしての地位と権利」が、ただちに承認されなければなりません。具体的には、母語・継承語によって教育を受ける権利であり、民族名を名のる権利です。
⑤「民族差別・人種差別は悪である」と宣言し、禁止されなければなりません。とりわけ、公職者による外国人排斥の扇動は罰せられなければならない。それを実効たらしめるためには、「人種差別撤廃法」が制定されなければならないし、政府行政機関から独立した「国内人権機関」の設置がぜひとも必要です。

 ところで今、「社会統合」「共生」という言葉が実体を伴わないまま流布され、目的と結果の転倒ということが生じているように思います。これは、「当事者」は誰かという根本的な問いかけがなされることなく、「言説」化されているからです。
 それでは、私たちがめざす「外国人人権基本法」の対象者、当事者とは誰か?
 それは、外国人であると同時に、彼ら彼女らを排除することによって「国民国家」を維持してきた、日本国民であり民族的マジョリティである私たち日本人なのです。