第5章 「主婦によるオルタナティブな労働実践」の岐路 ワーカーズ・コレクティブはどう変わっていくのか

村上 潔

1.はじめに

 本章では、1980 年代に生まれた、主婦の自律的な労働実践としての「ワーカーズ・コレクティブ」1)が、いかなる課題を内包してきたかを確認したうえで、不況の現状における雇用対策として期待されている「ワーカーズ・コープ」との比較を通して、その性格の変容を捉え、将来像を展望するものである。
 キー・ポイントは、「主婦」が「地域」のために「非営利」で仕事をする、という点──理念としても、実態としても──にある。この点において、これまでワーカーズ・コレクティブを組織してきた主婦たちの意識が、現在の労働市場における雇用環境を受けて、どのような方向性を(新たに)模索しているのかを確認する。
 この作業によって、いま構想されうる「女性による」「地域のための」「新しい労働主体」とはいかなる存在であるのか、はたしてそれは可能なのか、そこにはどのようなジレンマ・限界、そして可能性が見い出しうるのかを明らかにする。

2.主婦たちの労働実践としてのワーカーズ・コレクティブ

 2.1 ワーカーズ・コレクティブの経緯
 日本のワーカーズ・コレクティブは、1982 年に〈生活クラブ生協神奈川〉第5 章から派生するかたちで〈ワーカーズ・コレクティブ・にんじん〉が誕生したことに始まり、その後各地に広がっていった。生活クラブ生協に参加していた主婦たちが主体となって、雇う-雇われる関係ではない、地域に根差した、地域のための、「生活者」としての協同労働が模索された。その(1990 年代半ばまでの)過程と実態については、佐藤慶幸・天野正子らによる一連の成果(佐藤編 1988; 佐藤・天野・那須編 1995; 佐藤 1996 など)にくわしい。
 〈生活クラブ生協・東京〉の宮川芳昭常務理事によれば、ワーカーズ・コレクティブの定義は、「生活クラブ生協の組合員が自分たちの住む地域に、自分たちや周辺の人々がその生活状態から必要とするものを創り出す地域事業」(高杉 1988: 11)となる2)。その理念は、「こんな〔男性社会の〕職場に進出しても女性の自立は夢物語です。使い捨て労働力として潰されるより、男の作った社会の駄目さを反省し、GNP 至上主義や生産第一主義を反省し、自分たちの職場を自分たちで興し、労働と生産の主体になろう。地域住民に喜ばれ自分も働きやすい職場を、巨大化しない二五人以下の規模で作ろう。働きに出ても家庭を破壊しない形で、一日四、五時間労働をしよう」(高杉 1988: 11-12)というものだった3)。
 つまりワーカーズ・コレクティブは、当初より、主婦の(家事に支障のない範囲での)短時間労働であることが前提とされていたのである。
 〈特定非営利活動法人ワーカーズ・コレクティブ協会〉の黒川眞佐子は、「当時の女性たちが、生協活動からワーカーズの方へと一歩を踏み出したのは、どういう状況があったの」(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 63)かという問いに対して、以下のように答えている。
その人ごとに色々な動機はあったと思うけど、やっぱり、「女性の新しい働きの場」を作ることを求めたんじゃないかな。当時、女性の仕事先はパートしかなかったんですよ。授業参観や宅配の受け取りのため仕事を休むなんて、とんでもなかった。でもワーカーズでは、それが通る。むしろごく当たり前のこと。それが根本的な違いです。選択肢がパートしか無いなら、自分たちで働く場を作るしかない。ヒントはアメリカに既にありましたし。生活クラブ生協の動向と、パート主婦たちの生活上の目標が、うまく合流したのでしょう。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 63-64)
 主婦が、主婦でありつつ無理せずに働ける場を自分たちで作る。それが当事者ならびに生活クラブ生協の理想──と同時に現実的対応──であったことがわかる。
 次に、「働き方」の創出という点に注目してみよう。
 金森トシエは、「子育てを終えた主婦の大半がたずさわるパート就労をふくめて、多くの就労者は企業の要請にあわせて“働かされている”のが実情であり“主体的な働き方”には遠い状況にある」ことから、主婦たちが「従来の職業(ジョブ)、事業(ビジネス)とは違う「新しい仕事・働き方」(ニューワーク)を模索」(金森・天野・藤原・久場 1989: 2)するようになったと指摘している。
 その金森の分析と同じ時期における、仕出し弁当屋として「仕事づくり」に取り組む当事者の言葉として、以下のものがある。
主婦の活動は、夫が外で働き、主婦はその影の部分を支え補うという性別役割分業を基盤に成り立っている。暮らしの矛盾に気付き、解決しようと努力しても成果があがらないのは、陰である自分たちがいつまでも陰の存在でしかないからではないのか。主婦の自立を、既存の賃労働という系列に組み込むのではなく、新しい形で、地域のなかに創り出せないだろうか。主婦という立場を大事にしつつ、なお経済的な自立を可能にしていく労働形態は考えられないか。(天野 1989: 94。傍点は原文による。以下同じ)
 「主婦という立場を大事にしつつ」、「新しい形で、地域のなかに」、「経済的な自立を可能に」する仕事を作る、という理念。そして、この発言からは、それだけでなく、主婦でありつつ「性別役割分業」の仕組みをなんとか改編したいという意図も読み取れる。
 天野(1989)は、主婦の「仕事づくり」の登場を用意した四つの現実的基盤を挙げる。
 ①サービス産業の進展と「生活世界」の変化、②「働く主婦の時代」の到来と「働かされ方」の問題、③都市住民としての女性による、暮らしの変革をめざす多彩で自律的な社会活動の新たな展開、④「生活者」としての主婦の主体形成──である。
 総合すると、状況的に、主婦の多様な主体化が可能になったという条件がある。たんなる主婦業以外で、主婦としての自己実現を図る選択肢として、以前からあった地域での社会活動に加え──またそれを発展させるかたちで──、パート労働以外の「働き方」の選択肢がもてるようになった。それは、意識面の変革だけでなく、経済的にある程度の余裕があることが前提条件となる4)。ではそのうえに成り立つ主婦の「自立」とはどのようなイメージになるのか。
 生活クラブにおける「自立の方向性は、「専業主婦」(専業消費者)から「就業する主婦」(兼業主婦)へではなく、「生活者」(脱専業主婦・脱消費者)へ、さらに「生活者として働く主婦」へという」(天野 1988: 401)道筋であり、それは既存の男性中心の労働社会における「自立」とは異なる、それを超えた「自立」像につながるのだと天野は述べる。佐藤は、「普通の主婦から出発し活動することをとおして主婦を超えた女性、あるいは初めから主婦だけに収まることのできなかった女性が中心となって、生活クラブ生協を拡大してきた」(佐藤 1995: 170)と評価する。
 主婦であるからこそ可能なこととして始まった「オルタナティブな働き方」には、それを通して主婦を「超える」という理想が内包されているといえる。しかしそれは、一枚岩としてあるわけではないし、理念的な意味でも現実的な意味でも大きな困難をともなう「理想」である。

 2.2 ワーカーズ・コレクティブの問題点
 ワーカーズ・コレクティブのような、「新しい働き方」に参加する主婦たちによる「自立」を目指す動きが出てきた要因とその展望を、天野は次のようにまとめている。
「仕事づくり」に参加した主婦たちは、そうしたなかで、あえて専業主婦の座にとどまり、貨幣との交換価値がないために、「陰の存在」でしかない家事労働を日常的にくりかえしながら、後ろめたさを抱きつつ、社会活動を続ける。そしてその過程で、これまで自明とされてきた、既存の雇用労働に組み込まれるという形での女性の自立の方向性や、男性の働き方、貨幣収入のえかたやその収入による生活のしかたなどのひとつ一つに疑いのまなざしをむけていく。
こうした過程を通して、彼女らはやがて、これまで外側から規定されてきた女性の自立を、自分たちの生きる場から新しく定義しなおすことを考えるようになる。同じ状況にある主婦たちが協同することによって、自らの賃金と労働で地域のなかに自前の働き方を創っていく方向はありえないだろうか──。(天野 1989:113-114)
 自らが定義する「自立」を目指して協同で働き方を創出する主婦たちの動き。その流れをひとまず肯定的に捉えてみるなら、こうしたかたちになる。しかしここで重要なのは、「後ろめたさ」というネガティブな意識経験を経由していることである。
 既存の労働社会における経済的な「自立」を前提としないとはいえ、それとの葛藤はつねにつきまとう。ワーカーズ・コレクティブの「最大の問題は、全生活をかけて選びとったこうした新しい働き方が、メンバーが自立し、生活していく現実的条件をまだつくり出し得ていないという点にある」(天野 1988:435)とされる。この状況は現在においても変化していない5)。
 しかし、「主婦であるがゆえ」、「一般の市場の労働でないがゆえ」という条件を、当事者は冷静に受け止めてもいる。〈生活クラブ生協・多摩〉のメンバー石山枝美子は、「私はね、『主人の月給上まわらないと自立できない』とか、『停年退職後の主人を使うんだ』とか言ってました。アハハハ。主人は主人で『よくあれだけ働いて、それだけの収入でがまんしてる』なんて私に言うんです。でもね、好きなことして、やりがいのあることして、子どものことだってチャンと見てられて、PTA の会長までして、これだけ収入があるの偉いと思ってちょうだい、とか言って威張ってるんですよ」(高杉 1988: 141)と発言している。
 また、天野が注目した、ワーカーズ・コレクティブで働く当事者の言葉として、以下のものがある。
私は主婦よ、と一線を引いてやろうとする人と、その枠をのりこえようとする人とのズレかもしれない。いまの最大の問題は。私は主婦よ、という働き方は、あるときはゆとりなんだけど、生活がかかっていないことで逃げちゃうのネ。お金がほしい、そのために何でもやるというフンギリがつかない。課税限度額の九〇万円がどうしてもこえられない。赤字を出したくない、借金はしないというかたぎの主婦感覚は大切なんだけど、それでは思いきったことはできないのよ。この私? 二つの間をゆれているの、ゆらゆらとネ。主婦にはいつも安全な逃げ場が用意されている。このことがプラスにもマイナスにもなる。これが私自身の大きな問題。(天野 1988: 392)
 「主婦として働く」ことの強みと弱みがきわめて冷静に語られ、その両面を同時に受け止めつつ進まざるをえない状況が窺える。夫の収入への依存によって成り立つ「新しい働き方」、「自立」──その状況は、当の主婦自身にとって、「後ろめたさ」の要因となり、意識的にはデメリットであり、しかし現実的にはメリットでもある。
 土屋葉は、地域でボランティア活動に従事する主婦たちの調査を通して、「もちろん自分が収入を得なくても暮らしていける、ということは彼女たちの経済的な拠り所であるだけではなく、精神的な拠り所にもなっているはずだ。しかし、それが失われた時のことを考えた途端、自分たちの価値のある活動は足元から崩れていくことになる。それに気づいてしまった主婦たちは、パートを否定したり、或いは「活動のために」自分で収入を得る道を模索しようと試みる。だが、その道はあまりにも「自分たちの活動」とは対極に位置している。そのため、否応なく「経済的自立」と「活動の自由さ」の間にはさまれた主婦は悩みつづけることになる」(土屋 1996: 151)と指摘している。
 主婦たちによる「新しい働き方」は、夫の稼ぎを活動の前提とし、夫を支える家庭役割を重視するという点において、性別役割分業体制と企業社会──それにのっとった生産・消費社会──を、否定しようとしているにもかかわらず内実は肯定・補強するうえで成り立っている。これがワーカーズ・コレクティブの「課題」として指摘されてきた、もっとも大きなポイントである(今井1995; 天野 1996 など)6)。本来「オルタナティブな働き方」の実践によってなされるべき「意識のうえでの性別分業の流動化は、現実の行動によって裏切られて」(天野 1996: 222)しまっている。
 その対策として、「生活者になるための実践の過程に、男性を積極的にまきこんでいく論理の大切さ」(天野 1996: 225)が強調される。「生活者」概念のジェンダー・ニュートラル化である。生産世界にいる男性を生活世界に引き込む、という戦略は特に目新しいものではなく)7)、しかしそれがこれまで「成功」してきたといえる状況にはない。ひとことでいって「困難」な理想ではある。
 しかし、こうした理念・理想の話とは裏腹に注目すべき点として、近年、これまで前提となってきた「基本的な夫-妻の関係」を成立させる要件である成人男性の働き方自体が瓦解してきている現状がある。そうなると、はたしてワーカーズ・コレクティブやそこでの主婦の働き方のありよう、それへの評価はどう変化するのだろうか。
 そこで次に、生活クラブ生協から生まれた主婦による新しい働き方としてのワーカーズ・コレクティブとは違う、新しい働き方=「協同労働」の理念をもつ取り組みの様相を確認して、両者の差異と共通点を明らかにし、結果として何が問題となるのかを指摘したい。

3.日本の労働者協同組合が抱える問題

 3.1 ワーカーズ・コープとの比較
 ここで注目しておきたいのが、「ワーカーズ・コープ」の存在である。「労働する者が協同労働による多様な事業体を創る仕組みは、現代の世界的な用語ではワーカーズ・コオペラティブ(略称ワーカーズ・コープ)と呼ばれ、先進工業国では常識になっている」(石見編 2000: 9)とされる。比較すれば、ワーカーズ・コープのほうが、ワーカーズ・コレクティブよりも普遍性の高い概念・用語となる。
 佐藤は、ワーカーズ・コープと(日本の)ワーカーズ・コレクティブとの本質的な差異を以下のように指摘する。
ワーカーズ・コレクティブは、思想的にはワーカーズ・コオペラティブ(コープ)よりもアナーキー的でラジカルであるが、生活クラブ生協が導入したワーカーズ・コレクティブは、ワーカーズ・コープよりも直接民主主義的運営という点でコレクティビズムの思想的影響を受けているとしても、直接にその流れを汲むものではない。しかし、どちらかというと伝統的なワーカーズ・コープではなく、ワーカーズ・コレクティブと命名されたことのうちに現代産業社会に対するより原理的批判が込められているのである。(佐藤 1996: 83)
 日本のワーカーズ・コープは、1970 年代に、オイルショックで職を失うなどした中高年失業者らが、自分たちで仕事を作ろうと病院清掃や公園緑化などを始めたことがきっかけである。いわば、自前の「失対事業」であった。したがって、ワーカーズ・コレクティブほど、既存の(男性中心の)市場労働に対する批判性、それに対するオルタナティブであろうとする立場性は強くない。本来働いてしかるべき者(成人健常者男性)が働けないのは理不尽だから自分たちで働く、という方向性であり、その主体の「基準」に関して、これまで内部からの根本的な問い直しはなされてこなかった8)。
 近年、このワーカーズ・コープを中心的に捉え、かつワーカーズ・コレクティブも含み込んだかたちで、「協同労働」・「労働者協同組合」といった用語が使用される。たとえば、最近の新聞記事を見ると、「『協同労働』法制化目指す──超党派で議連 ワーキングプア対策 労働版生協」(『読売新聞』2008 年2 月10 日東京朝刊2 頁)という見出しがある。本来、「労働版生協」というのはワーカーズ・コレクティブの特性とみなすべきだが、「ワーキングプア対策」という、既存の「労働者」概念を基準とした言葉と組み合わされており、一般認識における両者の錯綜具合が読み取れる。本文中では、「フリーター、働いても収入が少ない「ワーキングプア」、既に退職した高齢者などが働くための受け皿となることを期待して、〔「協同労働の協同組合」の〕法的根拠を明確にしようというもので、「脱貧困」対策として、今後の取り組みが注目される」、「企業で正規に雇用されない若者や、退職した高齢者などが集まって、働きやすい職場を自分たちの手で作り、生計を立てられるようにすることが最大の利点で、フリーターなどの新しい働き方として期待されている」とある。
 ワーカーズ・コープ的な理念からすると、現在の雇用環境自体を批判的に問うことよりも、現在の雇用環境から「あぶれた」労働力をどう「救出」するか、といった点に重きが置かれる。本来の出自から判断すれば、「市場労働への対抗か補完か」という点においてワーカーズ・コレクティブとワーカーズ・コープは大まかに対立軸を作ることはできる。
 しかし、現状では、ワーカーズ・コレクティブならびにワーカーズ・コープは、「もともとは失業者や女性の仕事おこしが中心だったのですが、今世界的にも注目されているのは、いわゆるシングルマザー、フリーター、ニートと呼ばれる若者たち、障害者、野宿生活者、HIV キャリアの人、受刑者、移民労働者など、社会から排除されてしまう「当事者」といわれている人たちが健常者といわれている人たちとミックスで働く「社会的協同組合」という形です」(鈴木 2007: 23)と説明されている。
 その実例として、千葉県佐倉市の〈ワーカーズコレクティブ風車〉の事例がある。「誰でも働ける場『作った』 引きこもり経験者の親たち、食器の貸出業起業」(『朝日新聞』2010 年5 月12 日ちば首都圏版31 頁)という記事では、「我が子の不登校や引きこもりを経験した親たちが、食器の貸出業を立ち上げた。大人になった子どもたちもそこで働く。本格的に稼働して1年、売り上げ目標を倍増させるなど健闘中だ。食器を衛生的に繰り返し使う「エコ」な仕事に、若者たちも「もっと働きたい」と意欲を見せる」と紹介されている。
 また、「協同労働やりがい実感 出資して事業に参加、経営にも関与」(『河北新報』2010 年3 月18 日9))という記事では、「非正規雇用の増加などで雇用の在り方が不安定になる中、「労働者の協同組合」による協同労働が、⋯⋯失業者の雇用先としても期待が掛かっている」とされ、「増加している失業者が、就職先を探すのではなく、自分たちで事業を起こす仕組みとして活用できる」、「今後も積極的に障害者の就労を支援したい」という障害福祉サービス事業所所長の談話も載せられている。
 このように、ワーカーズ・コレクティブを名乗る事業体とそうでない事業体の間に、現在は事実上明確な差異は見い出しがたい。「協同労働」という言葉において、様々な理念や形態が総合して称されている現状にある。

 3.2 ワーカーズ・コレクティブとワーカーズ・コープの利害は共通するか
 上野千鶴子は、「ワーカーズ・コレクティブとワーカーズ・コープとは、歴史的に言って仲が悪いんです」と断言したうえで、以下のように指摘する。
似たような言葉で呼ばれてるのが不思議だっていうくらい違うんだけれど、この不況期になって両方ともが脚光を浴びてきました。両者の違いよりはむしろ共通点のほうが再発見されるようになってきて、両者が接近してきた。そうなると「新しい働き方」っていうのは、豊かな時代の豊かな人にだけ与えられた選択肢だったのではなくて、そうじゃない時代に、もうひとつの選択肢として浮上してくるような「ワーク」のあり方なんだと。(上野・貴戸・大澤・栗田・杉田 2010:61)
 整理すると、ワーカーズ・コレクティブは、(夫の安定した稼ぎが見込める)「豊かな時代」だからこそ発展しえた運動体であったが、ここにきて、不況であること(雇用状況が悪いこと)を存在要因とするワーカーズ・コープと利害が一致してきた、ということになる。ではそれはどのような意味においてなのだろうか。
栗田 さっき、主婦の人は夫から「何が悩みなの?」と言われたという話がありましたが、ひきこもりやニートの人にもそういう面があると思うんです。外から見ると何が悩みなのかわからなくて、気味悪がられちゃう。一見恵まれているとも見えるもやもやしたところから、新しい働き方の可能性が出てきたことが、私には不思議で。もしかしたら、そこが女性フリーターと主婦が繋がるための落としどころかもしれない。フリーターも、第三世界の貧困に比べたら大したことない、ってよく批判されるんです。そう言われると黙るしかない。まあ私も、先日「ワーカーズ・コレクティブはやはり主なる稼ぎ手がパートナーにいる人によって成立してきたのではないですか」という、主婦の人達を黙り込ませるような、身もふたもない挑発的な問いを敢えて投げかけたわけですけど(苦笑)。でも、その黙っちゃうしかないところから、どうやって別の働きや関係を作っていくかが肝だと思うからこそ、あんな質問をしてみたのです。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 67-68)
 栗田隆子は、女性で非婚の非正規雇用労働者としての立場から、このように言う。主婦と女性フリーター。どちらも、夫や親の収入に依存しているから「働かなくてもよい」存在とされ、ゆえに同時に「働きたくても働けない」存在とされてきた。このように、一見対極に置かれている両者が、労働市場との距離という面では実は共通する条件の上にあり、利害が全面的に対立するわけではなく、奇妙な「同居」状況が生まれる可能性がある、という指摘がある。
 〈特定非営利活動法人ワーカーズ・コレクティブ協会〉の伊藤保子は、「普通の企業だと採用されない人が、集まってくる。⋯⋯ワーカーズはもともと社会性を広げる目的があるから、彼女たちを無下に放ってはおけないわけ。私たちが雇用を保証しないと、他に行き場がない。ただ、そういう人たちと軋轢を起こす人もいるんですね。意識の差は大きくて。⋯⋯でも、それが私たち女性が事業を起こしたことの意義の一つじゃない。地域の就労弱者の働きの場を創ってきたわけですよ」(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 66)と述べる。
 「地域の就労弱者の働きの場を創」る活動に携わる理由は、「女性」による事業の特質として説明される。これは、主婦の運動としてのワーカーズ・コレクティブの理念に忠実でありながら、同時に就労支援というワーカーズ・コープの役割概念も意識され、担われている状況として捉えられる。
 さらに杉田俊介は、NPO 法人で障害者サポートに従事している立場から、以下のように述べる。
杉田 一九八〇年代のワーカーズ・コレクティブの活動は女性の家事労働や介護労働の社会性を拡張したと思うんですけれど、現在はさらに、外国人や障害者の生き方が、女性の生き方とも交じり合いながら、労働の意味を拡張している、というのを実感しています。身体障害者の事業体が、現在の「協同労働の協同組合法」の法制化運動に参加しているのも、そういうことがあるんじゃないかと。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 67)
 ここでは、「外国人や障害者」という、本来正規の労働力としてみなされない存在の増加/前面化が、女性の労働力としての立ち位置にオーヴァーラップしてきている状況が指摘されている。それは、ポジティブな意味で捉えれば「労働の意味を拡張している」ということになる。しかしネガティブに捉えれば、「労働力の女性化」(竹中・久場編 1994)が成人男性のみならず周縁労働力にまで拡張されてきた、ともいえる10)。生き方が「交じり合」うことの意味は、単純に評価することはできない。
 なるほど、「働けない人」が立場上「つながる」ことはありえて、それは意味のあることだとしても、現実的な「困難」さは看過できない。伊藤は以下のようにいう。
ワーカーズは確かに対等な働きの場だけど、平等と言いつつ、他に行く場所のない就労弱者にとっては、やっぱり弱みがあるから、本当の対等ではないんですよ。対等な話し合いって言っても、言いたいことは言えないし。同じ女性と言っても、そういう置かれた状況の差を超えて、働く場の平等を実践していくのは、すごく大変。ただ、無理に全員の意識を統一して、みんな同じ意識じゃないと入っちゃダメ、っていうのもこわいでしょ。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田2008: 66)
 こうした、現実の運営上の問題以外にも、本質的な方向性の問題もある。ワーカーズ・コープはこうした雇用不況の状況を契機に「労働者協同組合」として拡大・発展を目指すとしても、ワーカーズ・コレクティブは、単純にそれと同じというわけにはいかない。「主婦」を「労働者」化することが、無条件に目指されるべき道ではないからである。
 石見尚は、「ワーカーズ・コレクティブの大半の組合員には「労働者」の意識が稀薄で、「生活者」の意識が強い。これからは、職業としての労働をする女性の時代が来るので、生活者感覚をもった「労働者」をワーコレの中でいかに育てることができるかが、問題である」(石見編 2000: 216)と述べている。はたして、ここで「生活者感覚をもった」という限定をつけたとしても、「労働者」になることをワーカーズ・コレクティブの目標として掲げるのは適当であるか。議論が分かれるところだろう。この点については後で検討することにして、ひとまず現実的な課題を確認しておく。

 3.3 労働者協同組合としての喫緊の課題
 ここ数年、労働者協同組合の法人格取得、つまり協同労働の法制化、が懸案としてクローズアップされている11)。「ワーカーズ・コレクティブ法」の制定は、独自に以前から追及されてきたが12)、現在は、ワーカーズ・コレクティブ、ワーカーズ・コープ、そう名乗っていないが実態はそれに準ずる事業体のいずれもが直接関係する問題として、「協同労働の協同組合法(仮称)」制定に向けて主体的に取り組んでいる。
 法制化によって、法人税が軽減され、それによって事業運営が楽になり、さらに参入できる事業の規模や種類が拡大する、といったメリットが想定される。そのため、実現すれば、協同労働で働く人の数が増え、事業所も増えることが期待されている13)。
 天野は、ワーカーズ・コレクティブ法制定を求める理由の一つとして、「ワーカーズ・コレクティブ法制定は単にワーカーズ・コレクティブのためというより、労働のメインストリームから排除された人びと、女性、若者、高齢者、障害者にとっても意義のあるものであること。そこから、既存の労働法制の構造改革の契機になりうるということ」(天野 2001: 95)を挙げている。ここからは、先に見てきたような、ワーカーズ・コレクティブの理念・運動の拡張化の反映が確認できる。

4.ワーカーズ・コレクティブの現在的地平はどこにあるのか

 4.1 「地域」・「非営利」の意味
 以上の確認を経て、ワーカーズ・コレクティブの現在性について改めて考えてみたい。
 はじめに考えたいのは、ワーカーズ・コレクティブが「地域の(ための)」・「非営利の」労働形態である点である。これが現在どのような意味をもつのか。
 岡田百合子(神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会専務理事)は以下のようにいう。
ワーカーズがまだまだ課題が多くて今非常に恐いなと思ってるのは、ずっとワーカーズの話をこう言う働き方も含めて「非営利なんですよ」、「地域に必要な物やサービスを作って、けっして私たちがお金が欲しい事が原則じゃないんです」と言った時に非常に鼻もかけて貰えなかった人たちが、この様に社会が非常に厳しい状況になって働き方が大きく変わってきて、雇用と言ったって契約や派遣からもう輪切りになっているわけじゃないですか。そうすると、今の働き方の部分が今の制度じゃなじまなくなって来ている。それからデフレが続いて来ているものですからワーカーズの価格と一般の市場価格が、もしかしたら分配金と時間給の差がなくなってきているかもしれない。(ワーカーズ・コレクティブ近畿連絡会 2006b: 13)
 先にも見たように、一般の市場における雇用労働の条件が著しく引き下げられていることによって、ワーカーズ・コレクティブの「地域の」「非営利の」仕事とそれとの条件上の「差」が見えにくくなってきていることが指摘されている。よって、積極的な動機・理念がなくとも、前節で確認したように「地域の」「非営利の」仕事に人が参入してくる状況が生まれる。ただ、それはフォーマルな賃労働として働くためではない。再び岡田の発言を見よう。
特徴的なのがハンデキャップを持っている人たちも受け入れる事が出来るようになりました。作業所もやっているのですが、一つは、石けん工場が作業所機能を設けて作業所としてもやっていますが、ハンデキャップ持っている人たちの養護学級の先生がワーカーズに来て「うちの子たちを社会復帰の入り口として雇ってくれないか」と言ってこられるんですね。調べたら、10 団体位のワーカーズが受け入れていたんです、連合会が方針を出した訳でなくて、自分たちで話し合って仕事が分けてあげれるなら受け入れてあげようよ。と言う事でそう言う子たちを受け入れているお弁当屋さんが多かったです。(ワーカーズ・コレクティブ近畿連絡会 2006b: 16-17)
 つまり、ここでは「職業訓練」・「能力開発」といった機能が期待されているのである。そもそもフォーマルに働けない労働力を、フォーマルな労働市場への「オルタナティブ」としてある事業体が受け入れるという構図である。「地域の」・「非営利の」仕事が、その受け皿となる。これはたんなる雇用政策の外部化なのだろうか。一面ではそうした評価も可能だろうが、注目すべきなのは受け入れるワーカーズ・コレクティブの側がそれに主体性を発揮して対応している点である。

 4.2 「主婦」からの離陸
 〈特定非営利活動法人ワーカーズ・コレクティブ協会〉は、その事業内容として明確に「障害者、若者、シニア、外国籍の人たち等の就労支援及び社会参加推進事業」を掲げている14)。「第6 回通常総会議案書」の「2010 年度活動方針」では、「『コミュニティワーク』を広げる活動は、女性、シニアから障害者、若者(無業・失業中)、外国籍の人たちにも拡がってきました。日本社会が抱える雇用問題を『コミュニティワーク』というもう一つの就労スタイルで問題解決に寄与しようとしています。今年はさらにその実態づくりにむけて、行政や生協、ワーカーズ・コレクティブ、NPO、各種支援団体、支援者との連携・協同を具体化し、社会的に不利な立場とされた方達の就労・生活支援を推進します」と宣言されている。
 このように、ワーカーズ・コレクティブは、すでに「主婦による」運動という次元から離陸しているといってよい。もちろん主体は主婦であるとしても、「地域の」「非営利の」仕事を担う対象は主婦にとどまらなくなっている。この状況への現実的対応がワーカーズ・コレクティブに求められており、かつ「先取り」されているのである。
 問題は、ここからの展望である。いくつか論点があるので、それぞれ考えていきたい。

5.ワーカーズ・コレクティブの今後の展望

 5.1 働きたい主婦の受け皿になりえるのか
 ワーカーズ・コレクティブのそもそもの主役である「主婦」の働き方における現在的問題を見てみると、専業主婦ゆえに自由に働き方を模索できる、といった活動主体形成要因が低下していることが指摘できる。
 厚生労働省雇用均等・児童家庭局の「平成21 年版 働く女性の実情」では、「30 〜 34 歳」の有配偶者の労働力率が10 年前に比べて9.0%ポイント上昇している15)。そして、女性の完全失業者は前年比25.5%増で、「同省雇用均等政策課の吉本明子課長は「これまで働いていなかった女性が、家計的な事情で労働市場に出てきているが、なかなか職に就けていない状況」と話す」(「女性『完全失業』急増 家計助けたくても雇用の壁」〔『朝日新聞』2010 年4 月10 日朝刊5 頁〕)。
 つまり、「(労働市場で)働きたくても働けない主婦」が急増している16)。基本的に、そのほとんどは派遣やパートといった既存の、主に非正規の就労形態を前提にしている。はたして、ワーカーズ・コレクティブは、その「受け皿」になりえるのか。
 上の調査では、勤労者世帯の収入は、共働き世帯、世帯主のみ働いている世帯、双方とも前年に比べ減少しており、経済的な理由から働く必要がある主婦が増加していることが想定される。「平成17 年版 働く女性の実情」では、45歳以上の中高年女性が働く理由は、「経済的に働くことが必要」(75.6%)、「生きがいをもつため又は働くことで社会参加をしたい」(52.3%)という調査結果が出ている。この調査結果で興味深いことは、「60 歳以上になると、「経済的に働くことが必要」(62.3%)及び「働くことは当然である」(27.3%)が減少し、「働くことで健康に過ごせる」(48.6%)、「時間に余裕がある」(15.3%)が他の年齢層より高くなっている」ことである17)。つまり、ワーカーズ・コレクティブ第一世代の女性たちが「余裕のある」働き方を理念とし、実践することができる条件にあるのだ。いままさに中年に相当する「第二世代」とのこのギャップをどう捉え、対応していけるかが、今後のワーカーズ・コレクティブの「受け皿」機能の効力に関わってくるだろう18)。

 5.2 アンペイドワークの市場化にどう対処するのか
 次に、ワーカーズ・コレクティブの「労働」の理念について検討する。
 マリア・ミースやクラウディア・フォン・ヴェールホフらによる、「労働(力)の主婦化」という概念提起、ならびにそうした現実に対抗する「サブシステンス」労働重視の社会構造の提唱は、現代の世界的な規模での生産(労働)-消費システムをもっとも大胆に捕捉したフェミニズム理論の成果として知られる(Mies ほか 1988/1991=1995)。
 ワーカーズ・コレクティブの意義は、そうしたエコ・フェミニズムの成果によって裏づけされてきた(古田 2008)。主婦は、たんなる主婦ではなく「サブシステンス・ワーカー」として地域で役割を果たしていくのだ、という方向性である。これは「生活者」概念とつながり、アンペイドワークに関する理念でも同じ観点にある19)。
 〈神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会〉の酒井由美子は以下のように主張する。
 アンペイドワークは社会的に必要な労働として認めざるを得なくなってきています。
 しかしアンペイドワークを市場化し、賃労働で得た賃金を交換することが生活の豊かさに結びつくとも考えられません。アンペイドワークが物質的な価値、つまり生産性を追及していくこれまでのペイドワーク、賃労働のワークのあり方になじまないところがあるからです。ワーカーズ・コレクティブはこの社会化されたアンペイドワークをこれまでの雇用労賃労働に追従したペイドワークではなく市民事業として協同することで「市民」の参加を保証し、自分たち市民が満足のいく質を納得のいく価格で供給できるワークのあり方を示し、実践していきます。(酒井 2001: 23-24)
 では、アンペイドワークを市場化させないという理念は、現実的にどのように守り、強化させていくことが可能なのであろうか。
 はからずも、「主婦だからできる仕事」が──女性による起業を通して──市場化されていく傾向は、すでに出てきている(植田 2009)。つまり、ワーカーズ・コレクティブと同じ条件の主体(主婦)が、同じ仕事(業務内容)を、ワーカーズ・コレクティブと反対の理念で実行しているのである。
 こうした動きによって、「市場への対抗」はますます困難になっていくのであろうか。単純に値段/サービスの「競争」になれば、市場化されたものに「勝つ」ことは難しい。しかし、法制化によって事業体などに「保障」を受けられれば、そもそもそうした競争をする必要がなくなる可能性はある。つまり、アンペイドワークを、営利を追求しない社会的な事業として行なうシステムが公的に構築されれば、ワーカーズ・コレクティブの展開の可能性は高くなってくる。
 しかし、全面的にアンペイドワークの社会化が実現することは困難であり、少なくとも当面は市場化されたサービスとの対抗を余儀なくされる。

 5.3 安定した市場経済を前提とするのか、そこから脱却するのか
 ワーカーズ・コレクティブは、本来的には、社会の経済状況が良好で、雇用も安定し、うまくお金がまわっている状態においてのみ実現可能な活動であるように捉えられる。
 主婦が特にお金にならない仕事に携わるには、そこで稼ぐ必要がないだけの夫の稼ぎが前提となる。さらに、スーパーなど他のサービス産業の提供するものではなく、ワーカーズ・コレクティブの生産物/サービスが一般に選択されるためには、消費に余裕のある生活環境が広く存在していることが前提となる。つまり、ワーカーズ・コレクティブは、一定の夫の稼ぎと、地域に落とされる一定の消費額を前提とした、いわば「成長経済」対応型労働形態である、ということはできる。
 いっぽうで、前節で見たように、ワーカーズ・コレクティブは、雇用不況の「被害者」となった労働者予備軍や、そもそも市場における労働力としてみなされない人々の受け皿となる準備も進めている。これはある意味、ワーカーズ・コレクティブが「不況対応型」の運動体へと変身しようとしている過程ともとれる。
 とはいえ、労働と対価の問題として、実態は厳しい。それでもいい、という人はいる。しかしそれは恵まれた人のことで、たとえ「地域の」「非営利の」の仕事であろうと、ふつうのパート並みには稼がないとやっていけない、という人もいる20)。
 主婦であったり、「職業訓練」的なかたちであったり、その立場によって、またその立場の内部において、さまざまな利害の差異がある。したがって、どのような社会経済状況を前提とするか、どのようなワーカーズ・コレクティブの体質を理想とするかは、統一しえないだろう。

6.おわりに──オルタナティブな労働(者)はいかにありえるのか

改めて整理してみると、①成長経済に基づくワーカーズ・コレクティブでは専業主婦のみが主役であったのに対し、②不況対応型のワーカーズ・コレクティブでは、主婦以外のイレギュラーな労働力(予備軍)がクローズアップされてくる。そしてアンペイドワークが主婦のものだけでなくなる。「オルタナティブな働き方」は、主婦の「特権」から、働けない者たちの「職業訓練」へと意味を変えてきている。これは理念の問題ではなく、否応なく変わる「労働」環境に沿った変化である。したがって、これをワーカーズ・コレクティブの「発展」とポジティブに捉えることはできない。とはいえ単純に危機であるともいえない。余裕のある主婦だけによって守られるワーカーズ・コレクティブが発展的であるとは到底評価しえないからである。運動体が強化される保証はないが、結果として裾野は広がった。ワーカーズ・コレクティブは当面この延長線上で前進をするしかないだろう。
 1980 年代には「社縁社会からの総撤退」が叫ばれ話題になったりもしたが(小倉・大橋 1991)、いうまでもなく、それで何も変わることはなかった。男性中心の企業社会に揺さぶりをかけるなどということはたやすいことではなく、さらに、理念的にはそれを否定していても、当面、まったくその「恩恵」に被らないかたちで自らの「オルタナティブな」運動を展開することも、現実的には困難である。そうしたなか、主婦の主体的活動と働けない者たちの存在がはからずもオーヴァーラップしているこの状況は、──間違っても「希望」などとは単純にいえないが──未来の「労働」の見取り図を垣間見るようである。

[注]
1)ワーカーズ・コレクティブとは、「雇う-雇われるという関係ではなく、働く者同士が共同で出資して、それぞれが事業主として対等に働く労働者協同組合のことである」(浅倉 2005: 381)。日本のワーカーズ・コレクティブに関する初期の集約的な分析結果として石見(1986)、近年の組織論的な分析結果として三枝(2003)がある。
2)以下、人物に関する所属・肩書きはすべて参照した文献に書かれた当時のもの。
3)高杉晋吾は、生活クラブ生協の運動の現代社会的な意味を、「女性が地域で受動的消費者ではなく、生産される消費財についてまで能動的に働きかける主体として、地域社会で手を結び始めた」(高杉1988: 4)点に見い出している。これを「消費」ではなく「労働」において実践したのがワーカーズ・コレクティブの試みといえる。天野は、ワーカーズ・コレクティブ活動を、そこで働く当事者女性の発言をもとに、「モノやサービスを「使う側」から「使う側に立ってつくる側」への発展、「生活者」から「生活者として働く」ことへの展開過程」(天野 1996: 212)と位置づけている。
4)「生活クラブ組合員の平均的なイメージ」は、「東京近郊の住宅地に住む、ホワイトカラー・サラリーマンを夫に持ち、子育て真っ最中の、あるいは子育てから解放されつつある、比較的学歴の高い主婦」であり、生活クラブの運動は「いわゆる中間階層(特に、大都市近郊に居住する中間層)に属する人びとの行動様式と密接に結びついている」(大屋 1988: 309)ことが指摘されている。
5)「2005 年度ワーカーズ・コレクティブ近畿連絡会のアンケート」結果では、「ワーカーズでの収入は?」という質問に対し、回答数165中、103 万円未満が149、うち20 万円未満が62(ワーカーズ・コレクティブ近畿連絡会 2006a: 39)。
6)天野は、「「資本」に寄与することの少ない、自前の働き方を選びとったワーカーズ・コレクティヴのメンバーたちが、実は資本の論理にくみこまれている夫の働きかたを内部からしっかりと支えているのではないかという、外部からのワーカーズ・コレクティヴ批判は、こうしたもっとも基本的な夫-妻の関係、家族の現実を的確についている」(天野 1996: 224)と指摘する。
7)第三次主婦論争における武田京子の主張など(村上 2010)。
8)日本のワーカーズ・コープについてまとめられたものとして、石見編(2000)・大黒(2003)・石見(2007)。
9)Web 版の「河北新報ニュース」を参照した。 http://www.kahoku.co.jp/news/2010/03/20100318t72041.htm
10)さらにいえば、エコ・フェミニズムの成果からは、世界的に労働力全般の「主婦化」が進行していることが指摘されている(Mies ほか 1988/1991 = 1995)。
11)『日本農業新聞』2010 年7 月5 日論説欄では、「法制化を求める声は、着実に広がっている。日本労働者協同組合連合会を中心に学識経験者や協同組合関係者らが加わり、2000 年に市民会議を結成。これまでに協同組合や労働団体など1 万を超す団体から法制化の賛同署名を集めた。地方議会で「早期制定を求める意見書」を採択した自治体も、既に800 弱に上っている」とされる(「協同労働/地域再生へ法制化急げ」 http://www.nougyou-shimbun.ne.jp/modules/news1/article.php?storyid=1312)。
 そして、協同労働の協同組合の法制化を求める緊急集会が2010年7 月5 日、東京・日比谷公会堂で開かれた(「協同労働の協同組合法制定求め緊急集会 法制化市民会議」〔『農業協同組合新聞』2010 年7 月6 日 http://www.jacom.or.jp/news/2010/07/news100706-10063.php〕)。
12)1989 年に「首都圏組織全国市民事業連絡会」ができ、法制化の学習を始める。1995 年にはワーカーズ・コレクティブの全国組織「ワーカーズ・コレクティブネットワークジャパン」(W.N.J.)が組織され、「ワーカーズ・コレクティブの法制化へ向けての声明」を国会議員に提出(ワーカーズ・コレクティブネットワークジャパン編 2001:124-125)している。
13)ワーカーズ・コレクティブの運動体の立場からは、「ワーカーズ・コレクティブ法」の制定(法人格の取得)が必要な理由は大きく5点挙げられている。①契約主体になれる、②財産所有主体となれる、③社会的信用、助成金、補助金等が得やすくなる、④情報開示、他者への説明・理解度を上げやすい、⑤社会保障が受けやすくなる(鮫島 2001)。
14)同協会に関する情報は、すべてホームページ(http://www.wcokyoukai.org/index.html)を参照した。
15)http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/09.html
16)その動向を伝える記事として、「主婦の就活道険し、夫のリストラ、収入減で急増──子育てなど制約」(『日本経済新聞』2009 年3月31 日夕刊19 頁)、「働きたい主婦、急増──託児先や能力向上の準備を」(『読売新聞』2009 年5 月19 日東京夕刊9 頁)。
17)http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpwj200501/b0062.html
18)そもそも、「主婦論争」においても、全日制市民として運動に力を注ぐ専業主婦と、「経済的理由から働かざるをえないが(育児などで)多くは働けない」主婦とのあいだには、埋めがたい溝があった(村上 2010)。経済的な「余裕」がひとつの目安となって、運動──ワーカーズ・コレクティブのような「働き方」も含む──か賃労働(パート)かの一線が引かれてしまうジレンマは、容易に解消されない。
19)フェミニズムとワーカーズ・コレクティブの理念・現実をつなぐ研究として、榊原(2003)。
20)事業体内部における、扶養控除を超えた経済的自立を求める主婦たちと、そうでない主婦たちとのあいだの葛藤は、東京都町田市の〈ワーカーズ・コレクティブ凡〉の事例で明らかになっている(天野 1988・山田 1996・石見編 2000)。

[文献]
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