はじめに:「異なり」の力学とマイノリティ研究

梁 陽日・高橋 慎一
冒険には常に不安がつきまとう。しかし冒険を回避するものは、自らの自我を喪失する運命にある。⋯⋯そしてその最も高き意味において冒険するとは、正確には、自らの自我を意識することにほかならない(キルケゴール)

■発端

 格差と排除が跋扈する現代社会において、マイノリティとして生きることの意味とは何だろうか。歴史や政治経済、環境などに翻弄されながら、ありまのままの生が否定され、非人間的な状況にさらされながらも、現実の困難から逃避したり、同化することなく生きていくとしたら、マイノリティにとって、何が真実であり、ミッションは何なのか。同時代を生きる当事者として、「自分(たち)はどう生きるのか」という方向性を求め、その問いかけから生まれたのが「地域社会におけるマイノリティの生活/実践の動態と政策的介入の力学に関する社会学研究」(通称「マイノリティ研究会」)である。

 既存の学問の世界では、いまだマイノリティ研究は正当な評価を受け、その基盤を確立されたとは言い難い。むしろ現実社会のマイノリティと同様に、研究分野においてもメインストリームからは外れた位置にいると言っても過言ではない。しかし、弱肉強食がまかり通る極度の人間疎外の時代だからこそ、自己を見失って社会に翻弄され続ける人々の生きる道標として、マイノリティ研究は歩み続けることが求められている。
本報告書は、私たちマイノリティ研究会の二年近くにわたる試行錯誤の歩みの現段階での「到達点」であり、この歩みそのものが「生きる力」として、新しい知を開拓しうる挑戦でもあったと考えている。すなわち、差別社会の周縁から、共生社会のフロンティアへと、自らの研究とその存在証明を獲得するための「冒険」であったといえるのではないか。
マイノリティ研究は当事者の「今」を捉え、社会によって打ちひしがれている者たちの絶叫に満ちた世界と対峙せざるをえない。「研究する者」としての私たち一人ひとりも、その生の現場に立ちながら、身体に反響する叫びと向き合い、絶望に満ちた現実と格闘している。しかし、私たちの経験から言えば、この叫びに応答して、その苦難にあずかる者は逆にその現場から生み出された希望と出会うことができるのである。
この叫びは特定の問題領域にあるのではなく、私たちの住む社会の至る所で見聞きできるだろう。事実を知り、現場での生の現実を描き出す本研究に、希望としての人間解放の方途が指し示されることができればと考えている。

■位置

 私たちは、社会的マイノリティといわれる当事者ないし支援者であり、また研究活動に従事する調査者でもある。私たちは複雑な立場性から研究することについて問題意識をもち、研究方法を確立する必要性を感じていた。差別問題が存在する自らのフィールド・地域との関係をどのように対象化し研究していくのか、そのための方法論とはどのようなものなのか、自分たちの研究の足場とはいったい何か。このような問いがメンバー間に共有されながら、研究会は始まった。本センター報告書は、そのような私たちの議論や思索を座談会や研究論文などの形にしたものである。
 「地域社会におけるマイノリティの生活/実践の動態と政策的介入の力学に関する社会学研究」は、グローバルCOE プログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクトである(2009 年度〜 2010 年度採択)。研究メンバーは、8 名から13 名に拡大し、被差別部落、在日韓国・朝鮮人、発達障害者、障害者、ハンセン病元患者、LGBT、在日外国人、血友病患者、若年非正規労働者などマイノリティの生活と運動群が重なり合う現場に関わりながら研究に従事してきた。
 この研究会では、定例研究会、公開企画、フィールドワーク、研究合宿、座談会を催し、Web 上にデータベースを作成してきた。定例研究会は2009 年7 月3 日第一回から2009 年度は9 回、2010 年度は現在まで5 回を重ねている。また、公開企画「多民族国家構想とマイノリティ――在日外国人の現状と課題から共生社会の展望を考える」(2010 年2 月26 日)、大阪市生野区でのフィールドワーク(2010 年2 月5 日〜 6 日)、東九条市民文庫での研究会合宿(2010 年7 月2 日〜 3 日)、座談会「研究に課された倫理と実践における問い――被調査者/当事者/生活者/活動者との間で揺れる『研究者』なる存在とは何か」(2010 年4 月2 日)を行ってきた。研究会の情報も含めて、データベースは拠点のホームページにおいて作成・掲載されている(http://www.arsvi.com/o/m02.htm)。
 私たちの研究会のテーマが「生存学」創成拠点に寄与する点とはどのようなものか。「生存学」創成拠点は、「障老病異」に関する研究者・実践家を交え、現場に介入する知の生産・情報発信拠点としての機能を目指している。しかしながら、【課題1】丁寧な関係づくりに裏付けられたフィールドワーク・モノグラフ作成・エスノグラフィー・聞き取り作業、【課題2】個別の差別問題を是正・解消するための社会政策の視点、この二つを十分には含まないまま進んでいるのではないか、という問いが私たちには芽生えていた。また、これは「生存学」創成拠点だけの課題ではなく、社会科学のエスノグラフィー・モノグラフ研究にとっても重要な課題であると考えた。
 私たちは、差別問題と向き合う人々の現場のなかで、当事者にして支援者であり、また研究者でもあるという立場性から、ときに場の動きに振り回され、対立し、倫理的問題に直面し、糾弾され、問いつめられ、問いつめ、対話してきた。そこで上記二つの課題について次のような考察を行うことになった。【考察1】「当事者研究」「マイノリティ研究」「実践的研究方法」という研究枠組みを立て、研究・調査倫理について、自分自身の被差別経験を記述する方法について議論した。そして、調査対象との過剰な同一化(オーバー・ラポール)を恐れることなく、互いに踏み越える関係性のなかで調査し得る方法論を模索した。【考察2】差別問題を緩和・解消するための社会政策の視点は、差別問題の現場にいる私たちにとっては焦りをもって共有される問いであった。これは本報告書に収められている個別のモノグラフ・エスノグラフィーのなかで論じられている。ある被差別者集団が同時に差別者となり、差別と被差別の関係に置換が起こり、被/差別の語り直しが始まる場面がある。このような被差別者集団間の経験の中からどのような制度・政策を構想していくことができるのだろうか。いまだ私たちは探求の途上にある。
 異なる者同士がいかにして「共生」していくことができるのか。その点について、模索している現場が確かにある。研究者はどのような存在として「共生」の場に関わるのか。私たちは価値中立的な存在としてその場に関わるのではない。揺り動かされ、考え、ときに解決の主体として動く私たちは、それでもなお研究する存在である。瞬間、瞬間に、善意のロール・モデルを突き抜ける関係性の快感を私たちは知っている。ナイーブな差別者を装うのでもなく、窮屈な被差別者に閉じ込められるのでもなく、そして、「科学」や「客観性」に居直らないような研究を志向し、状況に切り込んでいく/込まざるを得ない自らを対象化していくだろう。

■構成

 本報告書は、上記の研究活動のなかから、第一部に個別論文、第二部に座談会と関連する個別論文、そして、第三部に講演録を掲載している。第一部に関しては、各自の研究主題を深く掘り下げるための準備作業、あるいは、中間報告等、それぞれの位置付けに拠っている。定例の研究会を通じた議論と各自の調査研究の成果といえる。第二部は、方法論的な課題に関して、ゲストスピーカーを招いて話題提供して頂き、それに基づいたディスカッションと個別論文を通じたさらなる問いの追究を事後に行ったものとなっている。第三部は、鋭く現代的な課題となっている出入国管理体制と在日朝鮮人及び在日外国人をめぐる問題に関する実践的な課題に関して、佐藤信行氏を招聘し、討議を行った記録である。実に大部な中身になったが、今後は、さらなる段階に向けて進むことになる。