個別報告 開業医の立場から近年の地域医療の変容を考える

垣田さち子
(医師、医療法人敬幸会垣田医院・通所リハビリテーション所長)

はじめに
 あまりに高すぎる保険料を払えなくなって滞納し、国民健康保険の資格を喪失した無保険者が増大している。また、医療機関の窓口で、3割の窓口自己負担分が払えないために医者に行くのを躊躇する人々が増え、近代国家に住みながら、医療にかかれないまま命をおとす人の報告例も増えている。
 医療提供側からの課題として、産婦人科、小児科、救急医療、過疎地域等の厳しい医療現場から医師たちが撤退し、地域における必要な医療供給ができない事態が進んでいて「医療崩壊」「医療難民」という言葉が日常のものとなり、緊急の政治的課題となっている。
 少ない医療従事者が(OECD 27位)、安い医療費で(OECD 22位、先進7ヶ国最下位)、効率のよい医療(WHO健康達成度の総合評価世界1位)を提供していると評価の高い日本の医療制度も、国民皆保険制度の実質空洞化、医療提供体制の崩壊が進む中で、曲がり角を迎えている。
 京都府保険医協会は第2次大戦後の混乱の最中、1949年に結成された保険医の団体で、医療提供側の立場から、社会保障制度充実を求める多くの国民運動のなかでも重要な位置を占める国民皆保険制度の確立・発展を目指して、「何時でも、どこでも、誰でも、保険証一枚あれば必要な医療が受けられる」医療保障制度を求めて活動を続けてきた。
 ここ数年来顕在化している日本の医療のさまざまな問題は、我々がずっと指摘してきたように、長年にわたって政府が推し進めてきた低医療費政策がもたらした当然の帰結である。特に、2001年から小泉政権が推し進めた新自由主義政策に基づく社会保障費削減路線は、「聖域なき構造改革」と銘打って社会保障分野全体に持ち込まれ、医療の分野においても同様で、ますますの混乱を生じる結果となっている。日本の医療が、国民皆保険制度のもとで国の監督責任下に運営されている以上、医療保障の充実は政治の課題として国民的議論の中で解決されなければならない。
 憲法25条で生存権を保障されている日本において、健康権保障の課題とは何か。国民一人一人に、良質かつ適切な医療を公平に保障するためには何をなすべきか。医療の充実を求める医師の立場から、最近の日本の医療現場で起こっている問題を報告し、議論に参加したい。

京都府保険医協会について
 京都府保険医協会は保険診療に携わる保険医の団体で、敗戦後の混乱の中、1949年に結成され、今年60周年を迎えた。まだ皆保険制度ができあがっていない時代に「国民の健康を守るに足る医療社会保障制度の確立とその運用の合理化」「保険医の職能の向上と生活権の擁護」の二つを旗印にして発足し、京都においては対施設比100%を超える組織率で活動を続けてきた。現在は、全国すべての都道府県において保険医協会・保険医会が結成され、全国保険医団体連合会として結集し、10万人を超える会員数で、医療、社会保障の充実を求めて活動を行っている。
 私は、8年前に西陣医師会の推薦を受け京都府保険医協会の理事に就任し、現在は京都府保険医協会副理事長(医療政策担当)、全国保険医団体連合会理事(地域医療担当)の立場で、医療・福祉分野の国会議員、厚生労働省の担当官、京都府内自治体の長、地方議員、府・市・町・村の保健医療担当者等の方々と、直接交渉や懇談の機会を設けて医療現場の生の声を届け、理解を求めて、より良い医療行政の遂行のために関わってきた。
 そして、京都市上京区で診療所の医師として患者さんと接するなかから、また、介護保険の通所リハビリテーション施設の所長として、在宅で療養されている要介護者とその家族の方々、彼らを支えるケア関連のさまざまな職種の方々等々と連携するなかから、地域の医療と介護に携わっている開業保険医の立場で、問題点を論じたい。

日本の医療の現状について

1 長寿を誇る日本の医療制度
 日本の医療水準を示す、最もわかりやすい指標として「平均寿命」を上げたい。日本人の平均寿命は世界のトップレベルであり、年々更新を続けている。

日本の平均寿命
2007年 男性79.19歳 女性85.99歳(23年連続世界一)
1947年 男性50.06歳 女性53.96歳
1960年 男性65歳 女性70歳(皆保険制度達成)

 2007年の発表によると、男性は、アイスランド、香港についで世界第三位。女性は、1984年以来23年間にわたり、世界一の長寿を達成し今なお更新し続けている。
 敗戦2年後の1947年には、日本人の平均寿命は男性50歳、女性54歳であった。15年戦争で300万人以上の日本人が亡くなったとされるが、かつて16世紀・戦国時代に織田信長が「人間50年?」と謡って舞った頃と、同じようなレベルで国民の生涯イメージが描かれていたものと思われる。
 平均寿命の伸びには乳幼児死亡率の低さが最も関与するのだが、OECD加盟国の乳幼児死亡率の平均値が、人口1000人に対して5.2人。日本は、その半分の2.6人という低さを達成している。戦後60年で男女ともに30年も寿命を延ばしたということは驚異的で、日本の医療の誇るべき成果だと思う。
 病床数の多さ、MRI、CTなどの高額医療機器の普及率の高さなど、医療を取り巻くハード面の充実に関しても、日本は世界一が多いのだが、それらの機器を運用して医療を行うソフトの面、人についてはどうかというと、医師数においても、看護師数においても30カ国中、下から数えて何番目というお粗末な実態である。根本には医療費の安さがある。
 2006年の国民医療費は33兆1276億円で、これはパチンコ産業の額とほぼ等しい額だといわれる。「国内総生産に占める医療費の割合」が30カ国中22番、先進7カ国中最下位である。医療費総額がこれほど低く設定されているにも関わらず、さらにそのうちの多くが、アメリカの高額医療機器や薬剤産業等の医療周辺企業に流れていく仕組みになっており、医療提供体制全体の仕組みを検証しければならない時期にきている。
 「少ない医療従事者が(OECD27位)、安い医療費で(OECD22位、先進7ヶ国最下位) 評価の高い医療(WHO健康達成度の総合評価世界1)を提供」してきた。
 要するに医療従事者の献身的な頑張りで、国際的にも「効率がよい」と高く評価される医療を維持してきたというのが我々の実感である。

2 日本の国民皆保険制度
 日本の医療制度の最大の特徴は、国民皆保険制度を実現したことであろう。国民はすべて医療保険制度に加入しなければならないと法律に規定されている。その結果、保険証1枚持ってさえいれば、全国どこでも、いつでも、誰でもが、全国一律の同じ内容の医療を同じ料金で受けることができる。
 医療機関を受診すると、医師が必要と判断すれば、しかるべき医療が直ちに提供される。そして、行われた医療行為に対して、また、使われた医療材料・薬剤などに対して一つひとつ細かく公定価格・単価が決められていて、その全てをレセプトに記載し診療報酬を請求する。これを「出来高払い制度」といい、提供する医療内容は医師が決定し、その裁量権が尊重されている。診療報酬は、保険からの支給割合は現行7割で、残りの3割分は受診時に医療機関の窓口で患者さんから直接徴収する。
 かつては健康保険本人負担が0という時代もあったが、1984年に1割負担に、1997年には2割と徐々に拡大し、2003年には国保と同じく3割負担に統一された。この自己負担分が高額になった場合の支払いを補完する制度として「高額療養費制度」が1973年に導入され、実質的に日本の医療制度は自己負担分において定額制をとっていることになる。1ヶ月の医療費の窓口負担分が一定額を超えて支払われた時には、申請をすると保険者から超過分の払い戻しを受けることができ、家計からの医療費負担を一定額内に抑えることで、高額の先進医療であっても、誰もが公平に受ける機会を得られるようになっている。高額療養費の額は、年齢や支払額によって世帯収入をもとに段階区分され、細かい計算で決まるので、人によってバラバラである。お金のあるなしで医療へのアクセス権が阻害されないよう皆保険制度を基軸にして種々の制度が整えられてきた。

3 日本の開業医制度
 国民皆保険制度のもとに、「かかりつけ医」として地域住民の日常的なさまざまな健康問題の相談にのり、生涯にわたって、あるいは何代にもわたって、その地域の人々の健康管理を行う開業医が果たしてきた役割は大きい。この日本の開業医制度を支える3つの柱として「フリーアクセス」「自由開業制」「出来高払い制」が特徴に上げられる。

 ①フリーアクセスについては、この間までは、近所の診療所に行くのも、他府県の大学付属病院を受診するのも全くの自由選択だった。ちょっとした風邪で大学病院を受診することも勝手だった。私の介護施設にも90歳を超えて、1日かかって家族が付き添い京大病院に通院されていた例がある。行くことだけで疲れ果て、それが原因で状態を悪化させないか心配したが、誰にも止められなかった。
 しかし、今は、基本的には医師の紹介状がないと大学病院やがんセンターなど、高度医療を提供する医療施設にはいきなり行かないことに変わった。紹介状を持たずに受診すると、窓口で特別負担金が請求される。病院によって額は自由に設定されているのでバラツキがあるとしても、5000円以上の別途料金が加算される。医療機能を考慮して診療報酬を設定し、軽症者にはそれにふさわしい医療機関へ受診するよう誘導する狙いがあるわけだが、払えるお金さえあれば何ら制限を受けることはない。医療制度のうえでは、フリーアクセスは保障されているといえる。
 ただ、問題なのは、前にも述べたとおり、3割の自己負担金の高さである。国際的にみても窓口負担無料を実施している国は多く、特に低所得者層に配慮した保障対策が取り組まれている国が多いと聞くが、日本の場合は3割自己負担が前提で、これが払えないと医療機関に行けない。当会の会員アンケートでも、昨今の不況下で家計が逼迫し窓口負担を払えずに受診を控える患者さんが増えたという報告が寄せられている。制度があるにもかかわらず、実質的にその制度を使えないという問題が起こっている。
 また一方では、国民健康保険料が生活実態に比べて支払える範囲を超えて年々上昇し、保険料を滞納してしまい保険証を取り上げられる無保険世帯が470万という数にのぼっている。加入したくても高い保険料が払えず、保険制度から排除されて無保険状態に陥る国民が拡大する現実は、皆保険制度の実質的な空洞化の進行である。加入者が保険料を納めて制度を支える保険という仕組みからみても、加入者の減少は国保の運営自体をますます厳しくし、制度そのものが崩壊する危険性を孕んでいる。
 保険料滞納者には、資格証や短期保険証などを発行し受診機会を失うことのないよう対策がとられているとはいえ、これらの証書を持って医療機関を訪れる人の割合は極端に低く、フリーアクセスの面からは大変大きな問題である。

 ②自由開業制度は、医師免許があれば、全国どこでも都道府県に保険医療機関の届け出をし保険医として自由に開業する権利を保障してきた。
 無医地区の問題は昔からあったが、近年農山村部の過疎化が進むなかより深刻になっている。京都は、対人口比医師数において全国一の医師の多さを誇るが、実態は二つの医学部がある京都市周辺にその数は集中していて、府北部、南部の医師不足は危機的状況である。
 北丹医師会員の話では、その先生が開業された30年前には30軒を超える診療所があったが、今や11軒になり、しかもその中には80歳を超えた高齢の医師も含まれ、実質9人の医師で広い地域の医療活動にあたっている。診療所での外来診療だけでなく、学校医、保健所等での健診事業、産業医活動、介護認定審査委員など、開業医が出かけて行う業務も多いが、過疎化が進むなか、新しくこの地で開業しようという医師は現れない。今ある診療所の二世が医師になっていても戻って来るあてはなく将来予測は暗い。「誰でもいいから、明日から診療してくれる人を早く送ってほしい」という切実な声が聞かれる。
 都市部においても、産科、小児科の医師不足による診療所の閉鎖、病院の特定科の診療停止が問題になっている。救急患者搬送の受け入れ不能も、たらい回しだとマスコミで叩かれ社会問題になった。立派な建物、最新の医療機器、快適なベッドが完備していても、医師、看護師たちがいない。少ない人数で、一人あたりの労働効率が非常に高い過酷な勤務をギリギリまでこなしたあげくに、突如燃え尽き、疲弊して辞めていく。
 グループでチームを組んで診療に当たっていても、一人の医師が抜けると、残った者には辞めた人の分の業務量がさらにのしかかる。全員がこれ以上無理という限界までフル稼働しているので、一人抜けるとたちまちチーム全体が回らなくなる。グループの全員が辞表を出し、ある日突然、一つの科が地域から消滅してしまう。これを「立ち去り型サボタージュ」と呼ぶが、何人もいたはずの医師達が一挙に消えるという事態が、都市部においても何時でも起こりうる危うい状況が続いている。
 私の娘も今、大学病院の心臓血管外科で後期研修医をしているが、ほとんど家には帰れず、お風呂セットを持ち込んで病院医局の蚕棚ベッドに寝泊まりしながら働いている。広域圏の基幹病院として2次、3次搬送の患者を受け入れ、同時に24時間の緊急対応もこなしながらの業務は過酷だ。外科系を志望する医師が激減しているとおり、ここ数年間新しい医局員が一人も入らず、限られた人数でチームを組んで回す毎日は戦いである。「誰かが抜けたら、もうやれへん」といいつつ頑張っている若い医師達に、過労死にならないように……と本気で心配している。
 僻地医療の崩壊、産科、小児科、外科、麻酔科などの特定科の医師不足問題などの医療提供体制の不備が、臨床研修医制度が始まった数年前から一挙に顕在化した感があり、開業医のあり方を含めて医療提供側の責任を問う声も多い。自由開業制が医師偏在を招いた原因の一つとして、見直しを求める議論もでてきている。
 WHOの評価で「平等性」において世界第三位、誰もが医療機関に行きやすい環境を達成していると言われているのだが、行きたくても、行く医療機関がない、診てもらう医者が地域にいない、必要な医療資源にアクセスできないという実態が進行している。

「聖域なき構造改革」で進められた社会保障制度の変質
 2001年から実行された小泉政権による構造改革路線は、「聖域なき構造改革」の名のもとに社会保障分野にまで持ち込まれ、これまでさまざまな国民運動の積み重ねによって勝ちとられてきた福祉・社会保障の諸施策を、根底から見直す大転換が図られた。
 「障害者自立支援法」は、ハンディキャップを持つ人々への公的支援を、「受益者負担」分を払ってお金で自由に買うサービスに換えてしまった。
 年をとって75歳のお誕生日を迎えると、現役の納税者であっても、全員「後期高齢者医療制度」に移り、保険料を年金から天引きされ、1割の窓口負担を支払って年齢相応の医療を受けることになった。「老人保健法」は廃止され、代わって「高齢者の医療費の確保に関する法律」が施行され、関連制度としての「新・保健医療計画」(京都府においては「すこやか長寿の京都ビジョン」)、「都道府県医療費適正化計画」、「特定健診」等が策定され、2008年度から5年計画で、都道府県単位に医療費適正化策が進められている。
 提唱されたのは「自助努力」「自由な選択における自己責任論」であり、運営に当たっては効率を最優先する「市場原理主義」「公平な競争主義」であった。「市場に任せよ」を合い言葉に、あらゆる分野の大胆な規制緩和策が実施された。一連の改革は医療だけでなく、福祉、教育、雇用にまで及び、年末から新年にかけて「年越し派遣村」の取り組みがマスコミを賑わしたが、新自由主義改革がもたらした、生存権否定に等しい弱者切り捨て社会の冷たい現実を、人々は改めて認識することとなった。

5 健康権を保障するにふさわしい医療保障制度を求めて
 京都府保険医協会は、病気や怪我をした時にいつでも安心して適切・良質な医療を提供できるように、設立時から60年、一貫して医療保障制度を充実させる運動を続けてきた。国民皆保険制度を実現させ、歴代政府が繰り出す度々の改悪案と対峙しながら、医療者の頑張りで世界一の長寿国を実現してきたと自負するが、ここへきて先行きは大変深刻な状況ではないかと思う。
 国が進めている、毎年2200億円の社会保障費の削減計画は5年間で1兆1000億円に達する。最近の各地における医療崩壊の報道が続くなかで、政府も「これ以上の社会保障費の削減はムリ」という認識を示しているが、方針は未だ改められていない。
 医療費を多く使う、がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、の4疾患と、救急医療、災害医療、僻地医療、周産期医療、小児医療の5事業の目標、医療連携体制などを都道府県単位で計画することが義務づけられ、京都府でも「すこやか長寿の京都ビジョン」として発表されている。
 質が高く、効率的で検証可能な体制へという言葉が強調されているが、「医療費適正化」というきれいな名前に置き換えられた医療費削減計画であるという本質を忘れてはならない。
 現自民党政権が、財政安定化を最重要課題にして経済市場主義の立場に立って政治を続ける限り、医療、福祉、教育等の社会保障政策が切り捨てられるという現実は変わることなく続くであろう。際限ない競争原理がもたらす格差の拡大、その結果の弱者切り捨ては容赦なく、年間3万人以上の人が自ら命を絶っていくというこの国で、「人たるにふさわしい生活を保障する」人権擁護の運動は、ますます切実さをましている。
 我々は、生存権を保障した憲法25条を持っている。人権の要である、健康で文化的な生活を営む権利をどう実現していけばいいのか。
 京都府保険医協会は、「社会保障基本法」制定を目指す運動を提起している。社会保障はどうあるべきか、広く国民的議論を呼びかけ、憲法にふさわしい国家のあり方を考えていきたい。