基調講演 到達可能な最高水準の健康に対する権利——その機会と課題

 ポール・ハント
(英国エセックス大学ロースクール教授、国連・前到達可能な最高水準の身体的及び精神的健康に対する権利に関する特別報告者)

The right to the highest attainable standard of health: opportunities and challenges
 Paul Hunt

日本語訳:棟居徳子(神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部講師〔1〕)

はじめに
 この数年間、国際人権の分野では目ざましい進展がみられる。何十年間にわたって、国際社会は、古典的な市民的及び政治的権利、すなわち拷問の禁止、公正な裁判を受ける権利、言論の自由等に焦点を置いてきた。しかし、1990年代後半から国際社会は、経済的、社会的及び文化的権利、すなわち教育に対する権利、食糧に対する権利、適切な住居に対する権利、そして到達可能な最高水準の健康に対する権利(2)に注目を向けるようになってきた。
 健康権が周辺的なものから中心的な人権へと移行するにつれて、人権分野と保健医療分野の専門家には新たな機会と課題が出てきた。保健医療分野と人権分野には共通する部分が多くある。両者はともに、人々の福祉(well-being)を重要視し、また両者とも差別や不利益という問題を抱えている。保健医療計画は人権の実現に大きな貢献をしている。また、人権は保健医療従事者の目標達成に貢献するものである。そして、保健医療従事者と人権分野の専門家は、互いに自分たちの利益が共通するものであり、目標を高めているということを認識するようになってきたのである。

「司法アプローチ」と「政策アプローチ」
 概して、健康権を含む人権の促進には二つの方法がある。一つは、裁判や類似の司法プロセスによるもので、これを「司法アプローチ」と呼ぶ。もう一つのアプローチは、人権を政策策定のプロセスに含めて、政策や計画が人権を促進し、保護する形で行われるようにすること。これが「政策アプローチ」である。「司法アプローチ」と「政策アプローチ」は互いに密接に絡み合い、また互いに高め合うものである。しかしながら、この二つのアプローチの区別は重要である。「政策アプローチ」は、人権の運用にあたり学際的な可能性をもつものである。そして、本稿でも、こちらのアプローチに主眼をおいて以下述べる。

健康権の根拠
 健康権は、法的拘束力のあるさまざまな国際条約や地域協定に規定されている。そして、日本も主要な法的拘束力のある国際条約で健康権を規定しているもの、たとえば子どもの権利に関する条約などを批准している。基本的人権は、保健医療分野の主要な国際文書にも明記されている。たとえば、世界保健機関(WHO)憲章やアルマ・アタ宣言、また健康促進に関するオタワ憲章においても明記されている。
 このような健康権を含んだ拘束力のある国際人権条約によって、裁判例が出始め、健康権の内容にも光があたるようになってきた。また、健康権はさまざまな国の憲法にも規定されている。100カ国以上の憲法に、健康権あるいは健康に関連する権利が規定されている。

健康権の活用
 近年、国内及び国際レベルで、政策策定者、裁判所、NGOその他が、明示的に健康権をさまざまな場面で活用し始めている。たとえば、英国の保健省が最近、人権ベースのアプローチを保健医療やソーシャルケアにおいて実施することによる効果評価を始めている。5つの試験的なプロジェクトに焦点をあててみたところ、その評価は「人権ベースのアプローチは、保健医療サービスの利用者にとって確実な効果がみられ、保健医療の優れた実践を達成する方法の一つである」と結論付けた。
 ウガンダでは最近、保健医療政策の評価に健康権の分析を用いている。また、WHOも「人権・健康と貧困削減に関する文書」で健康権の分析を用いている。
そして、裁判所においても、健康権に依拠する判決が出てきており、特に近年の例としては、コロンビア憲法裁判所が健康権の詳細な理解に基づいた400ページにのぼる判決を出している。そこでは、「国の保健医療制度を、より参加型の透明性のあるプロセスによって、現在の疫学的な情報に基づいて、段階的に再構築せよ」との命令が出された。
 国連総会と人権理事会は、健康権に関して議論を行い、健康権に関する多くの報告書を出している。それらには、放置されている疾病(neglected diseases)、性と生殖に関する健康、妊産婦死亡、精神障害、国連ミレニアム開発目標、医薬品、水、衛生など、幅広い分野の問題が含まれている。
 また、現在では、市民社会において健康権に関する取り組みが多く見られる。多くの市民組織が健康権の分析やアプローチを活用している。このように健康権は、単に国際条約や国際文書に規定されているというだけではなく、実際にWHOなどの国際機関や、先進国そして途上国でも活用されているのである。

健康権とは?
 健康権にはヘルスケアに対する権利が含まれているが、それに止まらず、健康の決定因子、すなわち安全な飲み水、十分な衛生及び健康に関する情報へのアクセスなども含まれている。また、健康権には、差別からの自由や同意のない治療を受けない自由なども含まれており、かつプライマリーヘルスケアを受ける権利も含まれている。さらに、子どもの健康、母体の健康、必須医薬品へのアクセスなど、多くの権利を含んでいる。他の人権と同様、健康権は、貧困に苦しむ不利な立場におかれた、傷つきやすい人々に注意を払っている。また、健康権は包括的かつ効果的な良質の保健医療制度を要求する。
 国際人権法というのは現実的なものであって、すべての人の健康権の実現は一夜にしてなるものではない。健康権は、漸進的な実現と資源の利用可能性の両方を条件とするものである。しかしながら、健康権は差別をしないこと(無差別)を即時的な義務として課しており、また国家には少なくとも国レベルでの保健医療サービス及び予防措置に関する計画を作成することが義務付けられている。健康権については、その漸進的な実現をチェックするための指標(indicator)と目標値(benchmark)が必要である。さらに、健康権は、個人や地域社会が健康に関する意思決定に積極的に、そして情報を与えられて参加することを要求している。また、国際人権法のもとでは、先進国は、貧しい国々における健康権の実現に責任を負っているとされている。また重要なことに、健康権は権利と義務の両方を含むことから、「説明責任の効果的なメカニズム」も要求している。
 健康権は、その根底にグローバル・スタンダード(国際基準)があり、そこから成り立つものであり、そしてこの基準から法的な義務も発生している。この義務が、説明責任の効果的なメカニズムを要求している。この3つ、すなわち「基準」と「義務」と「説明責任」、これらが合わさって、傷つきやすく不利な立場にある人々や地域社会をエンパワメントすることになる。
 健康権は、強力なキャンペーン(運動)とアドボカシーのツール(道具)であって、単なるスローガンではない。健康権は、政策策定者に対して主張・提案するための建設的かつ簡潔な意味を持つものでもある。

健康権の政策策定への影響
 では、健康権は政策策定において何をもたらすのだろうか。一般的に、抽象的な言葉である健康権は、尊厳、福祉(well-being)、自立、平等などの一連の基本的原理をもたらす。人々や地域社会の利益、すなわちその尊厳や福祉などを政策策定の中心部に位置づける。そして、傷つきやすく不利な立場にある貧困に苦しむ人々に優先順位をおく。また、健康権は、プライマリーヘルスを強調し、各地域の優先事項に対応できる効果的な保健医療制度を要求する。国家に対しては、道義的または法的な義務を課し、国家の行動に対する説明責任を要求する。そして、先進国には、開発途上国が健康権を実現するために支援する責任も課せられており、それが現在世界に存在する遺憾な保健分野における不平等の問題に対応する方法の一つなのである。
 私のこの6年間の国連・健康権に関する特別報告者としての責任の一つは、より実際的な形で「健康権が特定の保健医療の問題に何をもたらすか」を明らかにすることであった。「悪は細部に宿る(The devil is in the detail)」という決まり文句がある。これは、何らかのものをより実際的に、またより詳細に適用しようとすると、より複雑になってしまうという意味である。しかし、健康権のような経済的、社会的及び文化的権利については、悪は細部にではなく、むしろ逆に、一般化しすぎることにより存在する。つまり、詳細を見れば見るほど、むしろ健康権をつかみやすい、理解しやすいということである。近年、国際人権分野は一致して、この広範にわたる経済的、社会的及び文化的権利の理解にむけて大きく前進をしてきた。依然としてこれらの権利は抽象的で一般的なレベルであることは述べておかなくてはならないが、我々は可能な限りできることをしてここまでたどり着いた。
 さらにこれを進展させるためには、近年培われてきた理論的な発展に基づいて、特定の国で、特定の文脈における特定の問題に対応していかなければならない。それはたとえば、HIV/エイズと人権に関する先駆的な仕事から教訓として学んだことである。ある特定の文脈において健康権を運用していくことは非常に挑戦的なことである。しかし、抽象的に一般化を行うよりも、このようなやり方の方がより大きな成果をあげることができるのではないかと考えている。
 例をあげてみよう。私は、国連の特別報告者としていくつかの国の政府から招待を受けて現地へ赴き、その国々の健康権の状況に関して報告書を提出した。たとえば、スウェーデンに行った時には、スウェーデンの保健制度はおそらく世界最高のものであろうと思った。しかしながら調査をしてみると、スウェーデンの2都市においては麻薬常習者に対する更生プログラムが導入されていたが、その他の地域では行われていないことがわかった。すべての人がこのような人命を救助するプログラムにアクセスできないということは、健康権と矛盾するものである。
 亡命者は、どの国でも同様であるが、スウェーデンにおいても最も弱い立場に置かれている人々である。亡命者は、国際人権が保護しようとする特定の不利な立場にある集団である。しかしながら、スウェーデンにおいて亡命者は、他の市民と同じような医療サービスを受けることができていない。このような差別的な取り扱いは、スウェーデンの健康権に対する義務と矛盾するものであると私は考える。
 また、ルーマニアへの訪問では、少数民族であるロマ民族の人々が健康権を享受しにくい立場におかれていることがはっきりとわかった。その根本的な原因は、貧困や彼らに付されたスティグマ、そして差別であった。人権には平等、無差別、そして参加が含まれており、これにより障害に対処するための政策を強化することができる。たとえば、ロマ・コミュニティでは、保健医療の仲介事業計画を拡大していく必要があるだろうし、すべきである。
 さらに、ルーマニアは主な国際人権条約をすべて批准しており、またそれらは保健医療従事者の義務に直接影響があるにもかわらず、彼らが人権教育や訓練を一切受けていないということがわかった。そのような状況の中で、どうやって彼らは倫理的及び法的に人権上の責任を全うすることができるであろうか。
 数年前、私はウガンダ政府の招待を受け、現地で放置されている疾病や健康権の状況について報告書を作成するよう依頼された。放置されている疾病というのは、主に最貧国の人々が罹患する疾病がだいたいそれに当てはまる。ウガンダの場合は、糸状虫症、睡眠障害、リンパ腺フィラリア症などがそれらの疾病にあたる。
 これらは恐ろしい疾病であるが、医学研究や開発の対象にほとんどなっていない。なぜならこれらの疾病の罹患者は、必ずといっていいほど経済力のない貧しい人たちであり、市場が彼らを切り捨てるのである。
 健康権の視点からウガンダのこのような疾病を検証することで、あらゆる政策的な対応の重要性をより強調することができる。
 第一に、その地域の優先課題に応えられるような統合的な保健医療制度を開発すべきである。一つの疾病に特化した垂直的な介入政策は、実は全体の保健医療制度を脆弱にさせてしまう可能性がある。場合によっては垂直的な介入があってもよいが、その場合は可能な限り、統合的な保健医療制度が強化されるように入念な計画が行われなくてはならない。
 第二に、地域の保健チームは緊急に現地の最重要課題を特定しなければならない。また、地域内で流行している疾病に関する彼らの知識は、地方や国の首都から派遣される保健関連の職員たちへの働きかけにもになる。
 第三に、もちろん医療従事者の数が増えることも必要だが、その際にインセンティブも必要である。それによって、医療従事者が自分たちの意思で、遠く離れた忘れられた地域にあえて踏み込んで治療に携わることを確実にする必要がある。
 第四に、放置されている疾病に関する根拠のないうわさや誤解があるが、このような誤解や間違った情報は、公のキャンペーンにより情報を正しく伝えることでなくすことができる。
 第五に、スティグマを伴う疾病があり、そのような疾病に罹患した人が差別の対象になることがあるが、これについても証拠に基づいた情報と教育によってなくすことができる。
 私は以前、ウガンダの北部を訪れたことがある。そこではまだ内戦状態が続いており、国中に放置されている人々がいた。そこで私は14歳の女の子に会った。その女の子はリンパ腺フィラリア症の患者で、エレファンタイタスと呼ばれる下肢が膨脹し、象のような足になってしまう病気に罹患していた。私はその女の子から次のような話を聞いた。彼女は、学校に行きたいが学校ではバカにされ、いじめられるので、学校を辞め、キャンプに戻ってきたという。そのキャンプには、いろいろな差別にあっている若い人たちが住んでいた。たとえば、ジェンダー問題、つまり女性であるということで差別を受けている人たち、また内戦の中でマイノリティになっている人たち、フィラリアにかかっている人たち等々、本来は保護が必要で、サービスの対象となるべき人たちである。そのような権利があるにもかかわらず、放置されている人たちに私は実際会ってきた。
 第六に、国際社会や製薬企業にも、人々のニーズを基礎とした研究をし、放置されている疾病の治療に関する開発やその他の支援をすべき責任がある。
 第七に、効果的なモニタリングと説明責任(アカウンタビリティ)の方策を確立することが重要である。議会や法廷における既存の説明責任のメカニズムでは、それらの疾病が特に不利な立場におかれている人々を苦しめている現状に取り組むのにはまだまだ不十分である。私は、国連の報告書において、ウガンダにおけるそれらの疾病に対処できる説明責任のメカニズムの強化を特に強調した。
 さて、以上のような例は一見すると、先進国、たとえば日本ではほとんど問題がないと思われるかもしれない。しかし本当にそうであろうか。
 たとえば、次のような健康権の最も重要な事項についてはどうであろうか。すなわち、地域参加ができているか、公衆衛生に関する情報の伝播が、特に弱い、忘れられた地域に対してできているか、隔絶された農村部に保健医療の専門家をとどめておけるか、スティグマや差別への取り組みができているか、効果的なモニタリングと説明責任が果たされているか等、これらは先進国にとっても重要な問題である。
 私が国連の特別報告者の任期中に、招かれなかった国がある。驚かれるかもしれないが、アメリカには健康権の報告書作成のために招待されなかった。もしアメリカに招待されていたならば、次のようなさまざまなことを知りたいと思っていた。たとえば、アメリカに住む4000万人以上の人々が保険未加入であり、保険に加入していたとしても十分にカバーされておらず、それらの人たちはどのようにヘルスケアにアクセスすることが保障されているのか。また、アメリカにおける乳幼児死亡率がOECD諸国の中でも一番高いのはなぜか。そして、乳幼児死亡率が、白人女性よりもアフリカ系アメリカ人の女性から生まれる子どもたちの方が2倍以上高いのはなぜなのか。サウスダコタ州で白人女性が先住民の女性に比べ、適切な出産前ケアをおよそ倍以上受けているのはどういうことなのだろうか。妊産婦死亡率はアフリカ系アメリカ人が白人女性より4倍高く、ヒスパニック系女性よりも3倍高いのはどういうことだろうか。アメリカの刑務所では、男女ともにどれだけの人が精神疾患を患っているのだろうか。成人の肥満率がアメリカ人においては1980年から99年の間に2倍になっているが、なぜであろうか。HIV陽性者やエイズ患者のうち、適切なケアや薬剤投与が行われている人の割合はどれくらいであろうか。アメリカには包括的なHIV/エイズに関する国家戦略計画があるのだろうか。さらに、公衆衛生に携わる専門家に対してアメリカでは人権教育や訓練がどれくらい行われているのだろうか。もし調査に入っていれば、これらのようなことを知りたいと思ったであろう。

説明責任(Accountability)
 次のことは日本にもかかわる問題であろう。人権と健康権について、次のような聞きにくい質問を投げかけてみよう。たとえば、もしあなたが新しい保健医療プログラムを考案しようという時、対象となる女性や少女たちの声を聞き、尊重することをどのように保障するか。また、どうすれば貧しく弱い立場の人々が保健医療サービスにアクセスすることを確保できるか。また新しい鉱山が近くに開かれて工場が操業をした時、近隣地域の住民の健康への影響をいかに測定するか。ヘルスケアへのアクセスが漸進的に改善されているのか否かをどのように測定するか。指標や目標値を設ける場合、それらには性別や民族による差別等の禁止されている差別が含まれているか。なぜ特定の民族集団においてのみ母親や乳幼児の死亡率が一定であったり、あるいは高まる一方なのか。あなたが考案する保健医療プログラムは少数派に属する文化集団にもきちんと配慮したものになっているだろうか。それは、少数民族の言語でも伝達可能な内容になっているだろうか。
 このように人権は聞きにくい質問をたくさん投げかけてくる。さらに、人権はその質問に対する答えも求めている。だからこそ説明責任が重要なのである。「なぜ健康が改善されないのか?」ということがわかって初めて、政策が展開されるのである。新しい工場が操業したために人々の健康が損なわれていることが証拠づけられた場合、我々はそれに対して何ができるか、誰がすべきか、つまり自治体が、企業が、国家が何をすべきなのかを明らかにする必要がある。
また、もし貧しい人たちが基本的なヘルスケア、飲み水、衛生へのアクセスを阻害されていたなら、その障害を発見し、責任者が適切な救済措置をとらなければならない。そして万が一それらの対処が失敗に終わった場合には、その理由を住民に説明しなければならない。
 つまり、人権が求める説明責任というのは、誰かに責任をなすりつけるものでも、制裁を与えるためのものでもなく、どのようにしたらうまく機能するのかを見つけ出すために、聞きにくい質問を投げかけ、答えもそこから出てくるのである。人権というのは聞きにくい質問を聞くことであり、答えもそこから出てくるということなのである。このように、説明責任というのは、すべての人々の健康の増進と改善に資する非常に強力なツール(道具)なのである。
 もちろんこれで健康権のすべての影響や意味合いが把握できたわけではないし、すべてが把握できるとは思っていない。もし何のジレンマも議論もない人権や原理があるとすれば、それはすでに滅びたようなものであって、つまりそのようなものはないだろう。ただ、いろいろなものが一つに集まっているのが現時点であると思う。つまり、医療、公衆衛生、人権(健康権)など、バラバラであったものが、体系的に実行可能で持続可能な形で一つにまとまって、互いに強化しあうようになっているのが現状である。

保健医療従事者の重要な役割
 我々が今後、正しい方向へ前進するためにはどうすべきか、何が必要か。体系的かつ運用可能な健康権の実現には、より多くの保健医療従事者及び専門家の積極的な参加が不可欠である。
 歯に衣を着せぬ言い方をするならば、私は国連の特別報告者としての任期中に、専門家の健康と人権に関する知識のなさによく悲しい思いをしたものである。もちろん例外的によく知っている人もいるのだが、ほとんどの専門家、たとえば保健省などの政府関係者は「到達可能な最高水準の健康に対する権利」という言葉さえ知らない。言葉を聞いたことがあったとしても、それが概念的にまた体系的に何を意味するのかはわかっていなかった。言葉を聞いたことがあるかもしれないが、彼らは健康権が彼らにとって何か厄介なものになるのではないかという捉え方をし、困惑するのだろう。もちろん私はそれを非難するつもりはない。問題は言葉にあるのではないか。つまり、医療、公衆衛生、人権には共通点が多々あるにもかかわらず、その言葉が必ずしも一致していないところに問題がある。
 より多くの保健医療従事者たちのサポートが得られなければ、我々にはもうこの分野においてやることはないだろう。重要なのは、より多くの保健医療従事者たちが、到達可能な最高水準の健康に対する権利が単なる美辞麗句ではなく、特に不利な立場にある人たちの命を救い、今の苦しみを軽減するためのツール(道具)なのだという認識をもつことである。
 もし我々が前進しようと思うのならば、健康権を含む人権というものが、保健医療従事者たちにとって強力な味方であり非常に有用なものであるということを、より明確にそして広範にわたって伝えていく必要があるだろう。つまり、健康権を含む人権は、より良い政策や計画を実施し、財務省からより多くの資金を出させ、先進国から開発途上国へより多くの基金を融資し、保健医療部門で働く人々の労働条件と環境を改善するなど、さまざまな場面において有用なのである。
 我々は、より多くの保健医療従事者たちに、健康権やその他の人権が、成熟し豊かな可能性をもつものであることを納得させることが必要である。そのことができて初めて、自信を持って前進していくことができるのである。

保健医療制度と健康権
 次に、健康権の観点から保健医療制度(これには医療と健康の決定因子に関わるものの双方を含む)をみる場合、何が重要であろうか。つまり、保健医療制度における健康権の重要性とは何かということである。
健康権の観点からは、もちろん保健医療制度には、救急救命や小児科、がん専門科など、必要な設備やサービスが整っていることが必要である。また、保健医療制度には、安全な飲み水や衛生上のサービスなどの提供が含まれていることも必要である。
これらはすべて頷けるところであるが、しかしそれだけでは保健医療制度において健康権が十分に捉えられているとはいえない。
 人権の観点から、国家には、保健医療制度を組織化し発展させるための包括的な国内保健医療計画をつくることが求められる。その計画は、詳細にわたり戦略や政策が練られ、期間が定められ、報告手続きが設定され、指標や目標値が定められているものでなければならない。また、健康権に関する政策の影響が、特に不利な立場にある個人や集団にどのように働くのか、それを大臣たちが知ることができるように、計画には健康への影響をはかる指標(health impact assessments)が含まれていなければならない。保健医療政策の策定、実施及び説明責任には、できるだけ多くの人が参加することが必要である。また、さまざまな分析要素を反映した情報を効率よくまとめるようなシステムも必要である。保健医療制度については厚生省だけが責任を負っているわけでないので、他機関と協働できるような効果的な体制が整っていることが必要である。豊かな国は低所得国に対し、保健医療に関して支援し協力する人権上の責任を負っている。そして、効果的なモニタリングと説明責任のメカニズムが不可欠であり、そのメカニズムには救済措置も含まれる必要がある。
 以上のように、あらゆる事項が挙げられるが、保健医療制度における健康権の重要性ということについては、これだけに限らず、まだ他にもさまざまな事項がある。この点、ランセット(学術雑誌)の2008年12月号に健康権に関するレポートを発表したので参照されたい(3)。このレポートでは、保健医療制度の中でどのような問題点があるかを、24カ国分の健康権に関するデータを収集し、健康権の指標を用いて分析を行った。

おわりに
 健康権は、深刻で複雑な具体的な健康関連の問題に対応できる、正確で実用的で建設的な側面を有している。そうかといって、健康権は魔法の杖ではなく、なかなか解決につながらないことも多い。しかし、解決を求める努力は必要である。また、政策の中には、健康権に全く関連しないものもあるだろうが、健康権は関連する政策を特定するのに役立ち、またもしすでに健康権に関連する政策があるなら、健康権はそれを強化することができる。
 ここ数年で、健康権は国際レベル及び国内レベルでの政策決定に大きな影響を及ぼすものになった。もし健康権が政策決定に統合されれば、健康権は貧困に苦しむ人々にとって、とても意味のある強靭で持続可能でかつ公平な政策を打ち立てることを可能にするであろう。
 今、健康権は新しい段階に入ろうとしている。さらに今後その段階を超えてどのように発展するかは、時間をかけて見守らねばならない。
 長年にわたり人権の分野で用いられてきたやり方、たとえば名指しで個人や国を非難(“Naming and Shaming”)したり、手紙によるキャンペーンを展開したり、裁判例を作ることなどがあるが、それだけでは健康権が国内及び国際レベルでの政策に統合されるためには不十分である。保健医療分野の専門知識はもちろんのこと、さらなるテクニックやスキルが必要である。たとえば、最重要課題の選択や、折り合いをつけること(トレードオフ)などは政策決定の際に絶対必要であろう。人権擁護者は、どのように健康権を尊重する形で最重要課題を選択するかを明確にする必要があるだろう。また、どのような折り合い(トレードオフ)が人権の観点から許容され、あるいはされないのかを明確にすることも必要である。そして、人権への影響評価(human rights impact assessments)や、人権指標、人権目標値のような新しいツール(道具)を発展させ利用することも必要である。
 もちろん、伝統的な人権のテクニック、たとえば名指しで個人や国を非難することなども重要ではあるが、もはやそれだけでは不十分である。他の新たなテクニックやスキルが必要な時代になったのである。
 重要なのは、これらの新しいテクニックやスキルを発展させるためには、保健医療従事者との緊密な協力関係が必要だということである。到達可能な最高水準の健康に対する権利を実現するためには、医療従事者の積極的な参加が不可欠である。人権がさらに成熟するためには、世界規模の人権運動において保健医療従事者が絶対に欠かすことのできない存在になっていくだろう。

◆註
1)本稿は、国際シンポジウムにおけるポール・ハント氏の基調講演の読み上げ原稿をもとに、シンポジウム当日のハント氏の発言を付け加え、編集・日本語訳したものである。
2)この権利の正式名称は、'right of everyone to the enjoyment of the highest attainable standard of physical and mental health'(「すべての人々の到達可能な最高水準の身体的及び精神的健康を享受する権利」)である。便宜上、しばしば'right to the highest attainable standard of health' (「到達可能な最高水準の健康に対する権利」)や'right to health'(「健康権」)のように短縮した形で表現される。
3)Gunilla Backman, Paul Hunt, Rajat Khosla, Camila Jaramillo-Strouss, Belachew Mekuria Fikre, Caroline Rumble and others, Health systems and the right to health: an assessment of 194 countries, The Lancet, Vol. 372, No. 9655, pp 2047-2085, Dec 13 2008.

フロアからの質問とハント氏の回答
(フロア) 医療従事者の労働組合の者です。日本では後期高齢者医療制度や、医師や看護師の不足問題など、さまざまな大きな問題があって、健康権が守られているとは思えない国になっていると思います。講演の中で保健医療従事者の重要な役割についてご指摘をいただきましたが、仕事の関係もありまして、そこのところをもう少し具体的に各国がどのような取り組みをしているのか教えていただきたいと思います。

(ハント) ありがとうございます。私は人権に関わる法律家で、市民的及び政治的権利に関するケースもずいぶん扱ってまいりました。そして健康権に関わってきたわけですが、人権の分野においては、保健医療従事者が人々の健康権の保護に関して非常に重要な役割を果たすということが、なかなか尊重されておりません。私が今取り組んでいることは、保健医療分野の専門家なしには健康権は実現できないということを主張していくことです。プライマリーヘルスケアの診療所や病院の医療従事者や、公衆衛生の専門家、健康当局の行政官など、こういう人たちがいなければ、法律家がいくら努力をしても時間の無駄です。公衆衛生の専門家、行政担当者、健康経済学者、医師や看護師や精神科医もすべて含め、このような専門家の参加なしに、健康権を実際に運用することは困難です。法律家はいくら頑張っても実際に具体的に運用することはできないわけです。保健医療分野の専門家が関わることが不可欠です。保健医療従事者の通常の仕事自体が人権の仕事なのです。彼らは到達しうる最高水準の健康を提供することを仕事としていると思っています。
 質問に対してですが、保健医療従事者の間で自分たちが健康権に関して重要な役割を担っているという認識が高まっている国があります。私の講演の中でも触れましたが、英国におきましては、人権ベースのアプローチを保健医療において実施する5つの試験的なプロジェクトが行われました。その後、独立評価をそれぞれ受けたのですが、その中で、人権ベースのアプローチはソーシャルサービスやヘルスサービスの提供に非常に有効だという評価を受けました。すなわち、人権ベースのアプローチを用いることにより、実際に良質のヘルスサービスを提供できる能力が高まるということが認められています。
 また、健康権に関する教育をすることが義務になっている国もあります。スウェーデンが最近、法改正をいたしまして、法律の規定により医学生は人権について学ばなくてはならないとなりました。これは新しく実施されるようになった変更点です。
 さらに、International Federation of Health and Human Rights Organizationという保健医療分野の専門家のネットワークがありまして、健康権や人権の向上を図るための保健医療分野の専門家のネットワークも新しくできています。
 また、保健医療従事者が他の分野の人たちに対して、保健医療分野で問題が起きていることを知らせ、警告を発するということも、保健医療従事者がするべき仕事の一つであろうと思います。しかしながら、保健医療従事者は、人権侵害があると警告をならすだけではなく、保健医療従事者の仕事自体が人権の仕事なのだという意識をもって仕事をすることにより、自分たちの専門家としての目標達成にもなるということを認識していただければと思っております。

(フロア) 看護短大の教員です。「不公平」や「公正性」という言葉が出てきておりますが、開発途上国では格差や不平等が明らかに大きく、まだ解決されていない問題もたくさんあると思います。健康権は少なくとも大事にしていかないといけない権利だと思いますが、開発途上国の場合、もっとベーシックな欠乏が多い中で、その概念がどのように生かされていかないといけないのかということが一つ。また、それを具体的にどのような取り組みにしていかなければいけないかということについて伺いたいと思います。

(フロア) 大学教員です。ご報告では「司法アプローチ」と「政策アプローチ」という二つの方向で促進するということをお話されました。それぞれにおいて何がネックになっていくのか、促進、普及を図る場合に、超えていくべき最も重要な課題にはどのようなものがあるかをお教えいただければと思います。

(ハント) ご質問をありがとうございます。まず、一つ目のご質問、「途上国での健康権」に関してですが、できるだけ具体的にお話しますと、ウガンダやモザンビーク、ペルーなどの貧しい所得レベルの国を訪問しました。政府がどのような体制を整えているか調査をしまして、健康権に関する報告書を書きました。このような低所得国あるいは中所得国における政府の義務を考える場合、日本やスウェーデン、英国と同じものは期待できないことを考えに入れておく必要があると思います。しかしながら、低所得国であっても高所得国であっても、漸進的に健康権を促進しなければならない。具体的な目標を定めて、保健医療制度の改善を図る必要があります。これには時間がかかるでしょうが、指標や目標値を使って漸進的に実現していることを評価することが重要です。
 そこで、ウガンダについて簡単にお話をしますと、ウガンダでは、これまで十分に対応されてこなかった、あるいは全く省みられてこなかった疾病があります。この点、ウガンダ政府は、HIV/エイズに関しては公的な保健情報のキャンペーンを行い、啓蒙活動をしました。その結果、エイズの罹患率は非常に下がりました。このようにHIV/エイズに関して教育をすることができたのなら、同じような公衆衛生のキャンペーンを使って、これまで省みられてこなかった疾病についてもキャンペーンを打つことができるはずです。それによって多くの疾病に対する無知や無理解を払拭することができるはずです。それが健康権の観点から、政策面でさまざまな問題に対応できる方法の一つであろうかと思います。
 また、説明責任ということを強調して申し上げましたが、ウガンダでは国内人権委員会の中に、新たに健康権に関する部門がつくられまして、今そこでウガンダ国内の健康権の状況をモニタリングしています。国の役割、ドナーや個々の民間部門に関してもモニタリングを行っています。そこでもし何か間違いがあれば、これを是正しようということになります。
 そして、これは必ずしもウガンダの話ではないのですが、国内保健医療計画すらないという国が多くあります。ランセットの2008年12月号に発表致しましたレポートのデータを見ますと、包括的な国内保健医療計画がない国、漸進的に健康を改善していこうという計画すらないという国が多くあります。医療に関する基本的な政策がない国もあります。その国で使える必須医薬品のリストすらないところもあります。このような情報の収集にはあまりコストはかかりません。それでもそういうものがない。健康権はそういうものを整える必要があると主張しているわけです。それは、低所得国であれ、中所得国であれ、豊かな国であれ関係ありません。低所得国や中所得国に関しては、それぞれの国でどういうことをやる必要があるか、それによって保健医療制度をいかに改善できるかということをレポートで分析していますので、ご覧頂ければと思います。
 二つ目のご質問ですが、ボトルネックは何か。まず、司法アプローチのボトルネックとしては、一般的に、法律家が健康権についてほとんど知らないということ、また裁判官も健康権について理解していないという問題があります。多くの人たちは健康権そのものについてよく知らない。議論で活用することができない。これがボトルネックです。多くの国々において、経済的、社会的及び文化的権利に関しての理解は不十分です。市民的及び政治的権利、拷問の禁止などはよく勉強しています。しかし、経済的、社会的及び文化的権利に関しては、よく知られていない。これらの権利は世界人権宣言にも規定されていますし、国際人権条約にも規定されています。それでも十分に理解されていない。そこが司法アプローチのボトルネックの一つです。
 そして、政策アプローチのボトルネックにつきましては、先程の話の中で強調して申し上げましたが、保健医療の専門家がよりよく目標を達成できるように必要な資源を提供すること、十分な資金を出すこと、よりよい条件で保健医療従事者が仕事をできるようにすること、そういう環境を整えることが重要です。健康権とは専門家がよりよく仕事ができるためのツールであるわけですから、それを活用できないとすれば、そこが一つのボトルネックになってくると思います。