健康権シンポジウム あいさつと趣旨説明

松田亮三

 本日はようこそ本シンポジウムへご参加いただきました。主催者を代表いたしまして、シンポジウムの趣旨を紹介させていただきます。
 このシンポジウム企画のきっかけは、人間科学研究所の研究プロジェクト「医療福祉における住民・地域エンパワメント」にあります。この研究プロジェクトでは、医療福祉の現場、提供組織、そしてそれらに関連する制度という3つの水準のそれぞれにおいて、医療福祉サービスの利用者エンパワメントを図っていくことについて、検討をすすめてきました。
 人権をめぐる議論は、これらのすべてのレベルに関わるものであり、現場あるいは臨床的な実践、提供組織の運営、そしてそれらに関わる政策のあり方に直接影響を及ぼしうる重要なものです。そうした観点からあらためて人権論を見据えた時に、世紀の変わり目頃から、「健康権」をめぐる新たな議論の展開が国連を舞台にして生じていることを発見いたしました。

重要だが謎めいていた健康権
 私にとって「健康権」は医学生であった頃からなじみのある、しかし、謎めいた言葉の一つでした。ご存じのとおり世界保健機関は「到達可能な最高の健康水準を享受すること」は人権の一つである、とその憲章の前文で宣言しています(1)。80年代半ばに、当時医学生であった私は、この前文や70年代に出された歴史的なアルマ・アタ宣言(2)にもとづくプライマリ・ヘルス・ケアの議論を仲間とともに学んでおり、さらには人権そのものに関する条約である国際人権規約の第12条にも同様な規定が明文的に存在していることを知っていました。しかし、健康に関する事柄はあまりにも多く複雑で、「到達可能な最高の健康水準」というかなり抽象的な概念が目指す方向には一致できるものの、具体的にどう活用できるのかは判然としなかったというのが正直なところです。
 その後も、子どもの権利条約に関する議論などで、この「到達可能な最高水準の健康を享受すること」に関する権利の議論は折りにふれて考えることがあり、地域保健や医療政策の授業においては、この「人権としての健康」という理念と「国家の資源としての健康」という理念を対比させて学生に考えてもらうようにしたこともあります。それにしても、権利というのはどのような意味で権利なのか、という謎は残っていました。
 今から考えると、私がもっていたこの謎は、理念としての健康権に関するものというものではなく、具体的な法的権利としての健康権に関するものでした。国際法上の法的権利として健康権を確立することについて議論が進展していることを、国連人権委員会における社会権規約第12条に関わる一般的意見(3)が明確に示しました。その後、本日ご参加いただいているポール・ハント教授が国連特別報告者に任命され、健康権に関する国際的議論は盛んに行われています。

シンポジウムの文脈
 さて、シンポジウムを開始するにあたり、今国際社会で進展している法的権利としての健康権の議論を二つの文脈から位置づけることができることを指摘しておきます。
 第1の文脈は、グローバル化のもとでの人権論の展開です。1948年に「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」を認め「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」世界人権宣言が出されて以来、国際人権に関わる法・制度が発展してきました。1976年に発効された市民的及び政治的権利に関する国際規約と経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約をはじめとして、個別的・具体的な条約が展開され、その実施に向けた仕組みが構築されてきております。国際的な健康の格差や必須医薬品の確保の問題など、グローバル化が進展する中で健康を国際的な人権体制(human rights regime)にどのように組み込むかは、ますます重要な課題になってきています(4)。
 これと関係する第2の文脈は、公衆衛生の側から出てきているものです。昨年世界保健機関の「健康の社会決定要因に関する委員会」(The Commission on Social Determinants of Health)が最終報告書を提出し、不平等が人々の健康を損なっており、「不正義が大量に人々を殺している(5)」ことを指摘し、そこに光を当てて対策をすすめていく必要を示しました。先進諸国でも所得や職業階層による健康格差があることが明らかになっており、日本でもたとえばホームレスに陥った人々は深刻な健康問題をかかえています。こうした問題に国家は、そして社会が何をなすべきなのかを考える場合に、健康権は重要な視点となっています。人々の健康に関する国家の責務がより明確に定まるならば、著しい健康格差をもたらす状況に対する取り組みをすすめなければならないでしょう。
 さて、健康権を日本社会がどう受け止めて行くか、ということについては、少なくとも二つの側面から考える必要があります。まず、日本社会として健康権をどう受け止めていくのか、そして健康権の実現に向けて新たになすべきものとして何があり、それを実現するためにどのような取り組みをすすめていくべきなのか、という問題があります。後ほどハント教授からの報告がありますが、健康権は決して低所得国だけの課題ではありません。社会・経済格差に直面している日本の課題です。本シンポジウムはこの課題を中心に議論することを目的としています。
 もう一つの課題は、国際的な健康格差に、世界で2番目の経済規模をもつ日本がどのように対応していくか、ということです。これもきわめて重要な問題であり、議論の機会を別にもてることを願っております。

(Endnotes)
1)World Health Organization (1947) Constitution of the World Health Organization.
2)Declaration of Alma-Ata. International Conference on Primary Health Care, Alma-Ata, USSR, 6.12 September 1978.
3)United Nations Committee on Economic Social and Cultural Rights (2000) General Comments No. 14: The Right to the Highest Attainable Standard of Health (E/C.12/2000/4). Geneva: UNCESCR.
4)Alison Brysk ed. (2002) Globalization and Human Rights, Berkeley, CA: University of California Press.
5)The Commission on Social Determinants of Health (2009) Closing the gap in a generation: Health equity through action on the social determinants of health. Final Report of the Commission on Social Determinants of Health. Geneva, World Health Organization, p.26 (available at http://www.who.int/social_determinants/en/).