フロアとの質疑応答

通訳
有馬斉(立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー)
的場和子(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程)

 崎山:特にフロアの方々から、どのような立場からでもかまいませんので、感情労働や感情と組織、いじめなどについて、質問等があれば、お気軽にお尋ねいただきたいと思います。

 フロア1:まず、パム・スミスさんに質問なんですけれども。最後のスライドに、safe culture(安全な職場環境)とemotional labour(感情労働)が関わっているということをおっしゃっていたんですけれども、これは、どういう意味なのかを少しお伺いしたいんですが。

 スミス:安全な職場環境というのは、職場におけるいじめを防ぐことによって人々が仕事を安全な気持ちで働けるようにする、というカウイ先生のお話と非常に関係があります。危害から安全であること。それが感情に対する危害であれ、身体的な危害であれ、どちらでもよいでしょう。たとえば、患者によるいじめがあるとすれば、安全な職場環境というのは、それをどのようにして防ぐかということに関わります。
 (Culture of safety ──it links very much to professor Cowie's description of preventing bullying in the workplace so that people may feel safe to do their work. Safe from harm ── be it emotional harm or physical harm. For example, if a patient is bullying, then the culture of safety is about how to prevent that.)

 フロア1:すると、ナースがsafety(安全であること)を感じているということでしょうか?

 スミス:そうです。看護師も患者もです。両者は繋がっています。患者が安全だと感じていれば、看護師も安全だと感じるはずですし、その逆もいえます。
 (Yes, the nurse and the patient. The two linked together; if the patient feels safe, the nurse must feel safe, and vice versa.)

 フロア1:事故を防ぐというか、医療の安全についても、関わるとお考えでしょうか。

 スミス:はい。これは事故を防ぐことにも非常に関係があります。というのも、NHSにおいては、スタッフと患者の両方に多くの事故が起こっているということが分かっています。人は安全な環境で働いていないと、自分たちで安全な環境を作っていくこともできません。そしてこれは、感情面の安全と、身体的な安全と両方の問題だといいたいです。
 (Yes, it is also very much related to preventing accidents, because it has been shown in the NHS that many accidents occur both to staff and to patients. And therefore if people don't work in a safe environment, then they cannot promote a safe environment. And we are saying from our talk that this is both the emotional and the physical safety.)

 フロア1:ありがとうございます。本当にたくさんあると、関わると、あまり思ったことがなかったので、とても面白かったです。ありがとうございます。
それから、できればカウイさんにひとつお伺いしたいのですが。いじめは、どこにでも、いろんな社会にあると思うんですけれども、医療者の中でのいじめの特性って、何かお考えがありますでしょうか。医療者というよりは、もしかしたらcarer(ケアする人)ということかもしれませんが。

 カウイ:もっとショックなことは、看護師というのは、本来はケアするはずなのに、つまり本来はケアしあう関係にいるはずなのに、しかし、今日の発表でも触れた調査であきらかにされたように、NHSでは、他の組織においてよりも、もっといじめが多いということなのです。日本のことは分かりませんが。しかしこれは、平均以上です。これは非常に心配するべきことです。ケアしていることにプライドをもっているはずの組織なのですから。ここには本当のパラドクスがあります。私たちは実際にパラドクスを目の当たりにしてきました。私たちもどういうことが起こっているのか、十分には理解できていません。
(What makes it almost more upsetting is that nurses are supposed to care, ——
they're supposed be in a caring relationship, —— but I think that the survey we mentioned in our relationship showed that the NHS —— I don't know what it is like in Japan, —— is more of a bullying culture than other organizations. It is above average. So that is a very worrying thing in an organization that prides itself on being caring. So there's a real paradox here. We did see the paradoxes. So there's a paradox, and I don't think we fully understand what's going on here.)

 スミス:私も少し考えていることがひとつ。これは今日は言及してこなかったことですが、感情を管理しようとするときには、ひとつには、深層演技と表層演技というものがあります。これはいかにして可能なのか? 飛行機の客室乗務員は、表層演技をやっているかもしれないが、彼女らはそのことに自覚的です。もし感情を管理するときの私たちが、どのように感情を管理するべきかを自分で決定しているのだとすれば、ここには何かあるはずです。とても役に立つことがあるかもしれません。しかし、カウイ教授もいっていたとおり、そういうことができるようになるためには、訓練が必要なのかもしれません。
 (I'm just wondering, too. One thing we didn't mention in trying to manage these emotions is the deep and the surface acting. How possible is that? The flight attendant may be doing the surface acting, but they are aware. I think there's something about it if, as we manage our emotions, we make decisions about how we manage them. This may be very helpful, but, as Professor Cowie has shown, we may need the training to be able to do that.)

 崎山:まさにそれは、スミス先生がおっしゃっていたことと重なる部分がありますね。単にその場での感情だけをマネジメントするのではなくて、職場全体での雰囲気の中での感情をうまくコントロールしていくことが重要である。そこに、いじめといったものをも解消する一つのルートがあるんじゃないか、と思います。

 フロア1:どうもありがとうございます、カウイ先生。

 スミス:ひとつ非常に重要なことで、検討しておかなければならないこと、ここで答えを出すことはできないかもしれませんが、しかし、研究やその将来との関わりの中で考えておく必要があることは、ケアの専門家について指摘された問題です。看護やケアということには何か特別なものがあります。たとえば、イギリスでは、今の看護学生は、私が本を書いたときとはちがって、個人的なケアをすることが期待されていません。彼女たちはもはや労働力ではないのです。やはりここにもパラドクスがあるかもしれません。訓練を受けていないアシスタントが、ケアをする。したがって、ケアを要する技術的な専門職である看護に緊張をもたらし、看護職の地位が低くなります。ここまでに私たちが考えてきたような人々を、私たちが効果的かつ公平な仕方でケアしようと思うのであれば、これは本当に矛盾だと思います。
 (And one very important point that I think we need to consider, and we may not be able to answer it now, but we need to think of it in terms of the research and the future, is the issue that was raised about the professionalization of care. And there is something special about nurses, and caring. And I think again this is maybe a paradox that we see, for example, in UK, that the student nurses now, unlike when my book was written, do not expect to do the personal care; they are no longer the workforce. The care assistants, who are not trained, do the care. And therefore it is leading to a tension about professional nursing, which is technical and caring, and making it lower status. And this I think is a real contradiction, if we're going to care for the people we have described in an effective, efficient and equal way.)

 カウイ:最後にひとつだけ加えてもよいですか。安部彰さんが、ケアを専門職化することはできないという論点をお出しになった。しかし的場さんは、ケアをする人もまたケアされなければならないといった。これは、天田先生の指摘した問題、つまり「社会は人々の感情をコントロールするべきか?管理するべきか?」という問題と、いくらか関係があると思います。ここで真正さの概念を考えに入れなければならないと思います。つまり私たちの感情は本物でなければならないということですね。
 (Can I just add that, just one final thing? I think Akira Abe raised the point that care is a right and so cannot be professionalized. But Dr. Matoba said that carers have to be cared for. And I think that to an extent addressed some of the issues raised by Professor Amada, which is about “should society control our emotions, and manage our emotions?” And I think we have to also take in the concept of authenticity, that we need to be genuine in our emotions.)

 カウイ:ケアをする人としての私たちの感情は、ときに否定的なものであることがあります。ケアは非常な重労働です。長時間労働で、疲れます。いつも思い通りにはいかないものです。だからこそ、組織が、感情の問題に対処するシステムを作り出さなければならないのだと思います。私たちはなんとかその場を凌がなければなりません。怒りがあっても患者に当たってはいけません。そういうとき、専門家として、私たちは感情をコントロールできなければなりません。しかし、同時に、私たちの感情は本物でなければなりません。怒りなどの感情はそれをどこかへ持っていって、そこで息抜きすることのできるような場所がなければなりません。たとえば、同僚とのグループ・ディスカッションや、指導者などによって、本物かつ真実の感情をもつことができるように指導・監督してもらえること。また、求めてくる人々にたいして、あるいは専門家として私たちが義務を負っている人々にたいして、ケアの態度を保つことができるように監督されることですね。
 (Some of our emotions as carers are going to be negative ones, because the caring can be very demanding; we can work long hours, be very tired. Things don't always work out the way we want. And I think that's where the organization needs to create systems for dealing with emotions, and that maybe we do have to manage. We shouldn't get cross with our patients even though we feel it. We really as professionals have to control our emotions in that. But, we must also be authentic: there should be places where we can take these emotions and vent them. For example supervision, through peer group discussions, through mentorship, to be authentic and genuine where it's appropriate, but also to maintain the caring stance towards those in need, those we have a duty to be professional towards.)

 カウイ:そして、絶え間なく否定的な感情を抱えている人がいるとすれば、その人はおそらく仕事を間違えたのだと私は本当に思います。そういう人はなにか別の仕事を探すべきです。そういう人にとっては、適当な仕事ではないのです。この仕事は、求めてくる人々を助けたいという基本的で本物の欲求をもっているところから始まるのですから。それが根にあります。核にあります。病気の人やケアを必要とする人を助けることに満足感を覚えるのです。
 (And I really think if a person is really constantly feeling negative about, it maybe they are in the wrong job, and should go somewhere else; it may not be right for them as it has to start from a basic authentic desire to help people in need. That's in the root of it, at the heart of it. Satisfaction comes from helping others who are ill or in need of care.)

 安部:僕からも、ひとつ質問していいですか。まず確認なのですが、パム・スミス先生のご報告のときに、NHSパラドクスのお話がありましたよね。そこでの仕事はたしかにきつい(hard)、けれども幸せ(happy)でもあるという。

 スミス:はい。
(Yeah.)

 安部:だから、ということはworker(労働者)たち、carer(ケアする人)である看護師さんたちは、仕事に誇りをもっているんですね。それはオーケーですか。

 スミス:はい。
(Yes.)

 安部:その誇りのもとというか源泉を聞きたいんです。それは要するに、スミス先生がおっしゃるように、ケアという仕事がそれじたい働き手にやりがいをもたらす仕事だからなのか。それともNHSで働いていることも関係あるのか。もちろん両方あるとは思うのですが、どうなのでしょう。

 スミス:それは両方です。これはとても複雑な、とても良い質問です。全ての人に「揺り籠から墓場まで」無料のケアを提供するための方策として1948年に設立された組織ですから、そこにプライドはあります。そのプライドは今もそこにあります。人々は、あの大きな国民的な共同の取り組みの一部を担いたいと思うから、あの組織に参加してそこで働こうと考えるのです。
 (It's both. Very complex, very good question. There is a pride in an organization that was founded in 1948 as a way of providing care to all from cradle to grave, with free access. And that principle is still there. And people decide to join and work in that organization, because they want to be part of that large collective national endeavor.)

 安部:では、NHSで働いていない同じ仕事の人はどうでしょう。つまり、きついだけで幸せじゃないのでしょうか?

 スミス:うん、面白いですね。これもまた別の問題です。それは、組織の士気に関して私が指摘してきたことに関わります。私立の病院で働いていたとすれば、彼らはNHSで働いているときと同じようなプライドを感じるだろうか?この問題に答えるためにはもっと調査をしなければなりません。まだわかりません。私立の割合はこれまで非常に少なかったのです。しかし今は増えてきています。だからその問題を考えなければなりせん。ありがとう。
 (Ah, interesting. Again, it is another question because it goes back to my observation about the ethos of an organization. If they're working for a private hospital, do they feel the same pride as if they worked for the NHS? We need work to ask those questions. We don't know, because private has been very small. But now it is growing, so we need to ask that question. Thank you.)

 安部:なるほど。ありがとうございました。

 崎山:時間が5時50分を過ぎましたので、何かご意見、ご質問等がありましたら。

 フロア2:いいですか。どうもありがとうございました。認知症介護の現場に、なおかつ教育にかかわっているものとして、とても興味深く聞かせていただきました。
ずっと考えていて難しいと思うのは、看護はたしかに感情労働だとは思うんですけれども、やはり飛行機の客室乗務員みたいな、商品化できる労働ではない。感情商品ができるというようなものではないと思うんですね。
さっき有馬さんのご質問のなかにありましたけれども、それは私たちの看護という仕事が持っている質の問題だと思います。やはり、私たちの看護実践の特徴は、身体をとおして、五感をとおして、その人の身体にはたらきかける。それは、心と身体と両方の面ではたらきかけていて、心と身体は分けることができなくて、そういうかかわりをどうしても持たざるをえない。なので、そう簡単に感情がマネジメントできない。そこに、やはり私は難しさがあるのではないかと思います。
むしろ、マネジメントしないほうがケアであったすることがある。先ほど、ちょっと純粋さであるとか、たぶんケアの本質の一つは、純粋さであるとか、満足感であるとかということをおっしゃっていたので、おそらくそこは違うかなと思って。
むしろ、看護の本質は、マネジメントできない感情で、患者さんとかかわるということのなかにあるのではないかと、一方で言ったりもするので。ただ、それだけを要求されると、逆にナースはやっぱり苦しかったりするわけです。むしろ、それだから苦しくなるというジレンマがあるのかなと。よくわかりませんが、いまのところ。

 スミス:私が研究したとき、看護学生は、自分たちの感情について語り、それを認識しましたが、そのことが仕事をより難しくしてしまうということも起こりました。しかし、学生たちは、師長、つまり病棟の師長がケアしてくれたなら、自分たちも少し楽になるといいました。それがなければ、全ての仕事が自分の肩に掛ってきて、自分一人でやらなければならないように感じてしまいます。婦長、つまり病棟の監督者が、自分たちのことをケアしてくれたなら、自分たちもケアすることができる。しかし、私の研究では、こうした監督者こそが、人の心と精神とからだの全体を見て、身体的、技術的なケアや感情面のケアをうまく提供する必要があったのです。
 (I found that when I did my research, the students described their feelings, and recognized them, and that could make the work harder for them. But they said, then, they found when the head nurse, the ward sister, cared, then they feel a bit more at ease. Otherwise, they feel that they're on their own, having to care with all the work on their shoulders. If particularly the sister, the manager of the ward, is with them caring, then they can care. But these managers in my study were the ones who saw the whole person, heart, mind, body, and needed to give good physical, emotional and technical care.)

 フロア2:イギリスの仕組みは、組織によるマネジメントというかたちでサポートしようとしていることが、よくわかったんですけれども、的場さんのさっきの話と同じで、日本で、やっぱりそのことが非常にできていない。温度差があるというのがあるので。

 スミス:もうひとつ付け加えておけば、このことが看護教育の中で価値あるものだと理解されていなければならないということがあります。そうすることによって、世代が変わっても引き継がれていくようにするのです。
 (The other thing to add is that it has to be valued in the education of the nurse so it is passed on from one generation to the next.)

 天田:一点だけコメントさせていただきます。できる限り短くします。「感情のコントロール」に対する価値づけをめぐることに関わるのですが、つまり、ある意味で、今日の重要な論点は「方法としての感情労働」というお話だと思うんですね。そのときの「方法としての感情労働」をいかに評価するかをめぐる難しさがここで議論されたのだと思います。
 これは、スミスさんが、著書The Emotional Labour of Nursingのなかで、メンシス(という研究者)を引きながら、しばしば看護師(看護労働者)がルーティン・ワークに徹してしまうのは、言ってみれば、患者に声をかけられることで面倒なことや厄介事に巻き込まれて仕事が増えたり、あるいはその患者に怒りを覚えたりすることによって職場に耐えられなくなるために、冷静さ・冷徹さを装って何とか耐え忍ぶことになるといった話が出てきます。ある意味で、ルーティン・ワークに徹したり、冷静・冷徹になったりすることで、辛うじて、看護師(看護労働者)は過酷な状況を耐え忍ぶことが可能になることがある。そのような「方法としてのルーティン・ワーク」があるのだと思うわけです。
むろん、現在は、実は無視をしたり冷酷に扱ったりするといった「方法としてのルーティン・ワーク」は社会的に許されないとしても、今度は、その代わりにいわば代補として、「方法としての感情労働」という耐え忍ぶ戦略が採られるようになったとも考えられます。
要するに、社会的にも認められており、看護師(看護労働者)にもそこそこの「やる気」と「動機づけ」を調達し、かつ患者もおとなしく収まってくれるような、「方法としての感情労働」というものが制度的に位置づけられ、組み込まれてきたと言えなくもないかと思います。むしろ、粗野で野蛮な方法よりはずっと容易かつ巧妙に看護労働を可能してしまう「方法としての感情労働」というものが制度化されているのとも言えるわけです。
それをどう評価するかというのは、それこそ誰と誰の利害のもとで、いかなる力学のもとで働くのかということが、やっぱり論点にならざるを得ないと思うんですね。つまり、「方法としての感情労働」というものをめぐる価値づけの難しさというものをいかに見定めるかということがあるのかと思いました。以上です。

 スミス:自分で、どこで働くのが良いかということを選びもするわけです。どの組織が良くて、どの組織が良くないかということを人は知るようになります。
 (You choose, too, where you might work as well. People get to know which organizations are good and which are not.)

 天田:一つにはそういう部分もあるかと思います。あと、例えば、全体としては、うまく看護師もそこそこの「やる気」が持てて、患者もほどほどにおとなしくなっている状況が誰にとって一番望ましいかというと、まずは「教える側」だったり、あるいは「施設経営者」であったり、更にはそのように看護師が働いてくれることで得をする「看護業界の人たち」や「税金や保険などを通じて負担を負いたくない一般の人たち」であったりします。逆に言えば、看護労働が「割の合わない仕事」として課せられるのはまさに末端で働く看護師(看護労働者)に対してであり、迷惑を被るのはそれを課せられて働く人たちを相手にする患者であったりします。いずれにしても、そのポジションによって、「方法としての感情労働」が誰にとって望ましいのかは大きく分かれることになるかと思うのです。

 スミス:研究の結果、私に分かったこと、これは他の研究者も見つけたことですが、それは、組織がスタッフにとって良いものであるならば、それはまた患者にとっても良いものであるということです。患者はより早く回復し、スタッフはそれほど頻繁に病気で休んだりしません。こうした組織では患者の死亡率も低くなります。だから私は言っているのです。私の伝えたいことというのは、こうした組織や職種において感情労働は何をするのかということ、またその感情労働がそこで働く人々や感情労働を受け取る人々に対してどのような影響をもつのかということを理解するために必要な事実を集める、そういう研究が必要だということなのです。
 (What I found in my research, and other researchers have found, is that if the organization is good for the staff then it is good for the patient, that patients get better more quickly, staff aren't off sick so often, and the mortality of the patients in these organizations tends to be lower. And this is why I'm saying: my message is that the research needs to gather the evidence for what emotional labor is in these organizations and occupations, and what the impact of that emotional labor is for both the people who work there and the recipients of what they do.)

 崎山:実際に、感情労働をどういうふうに価値付けて判断するかというふうなことについては、やはりさらに調査を積み重ねていかなければならない部分がある、というのはスミス先生がおっしゃっていることかと思います。スミス先生のお話ですと、1991年からから、組織の中で感情をどういうふうに扱ったり、活用したり出来るかを考えていらっしゃるとのことです。

 スミス:最後に一言だけ。不正な操作。そのとおりです。それは、感情労働が批判されるときのひとつの論点です。批判することは大切です。だから、職場の中の人々にコントロールする力を戻すことが大事だということをカウイ先生の研究が示しているのだと思います。
 (Can I just say one last thing? Manipulation—we agree, and this is one of the things that emotional labor can be critiqued. It's important to critique. This is why I think the research of Professor Cowie-sensei is showing that it's about giving control and power back to people in the workplace.)

 崎山:第二には、やっぱり感情労働といったものについては、肯定的な側面もあれば否定的な側面もあり、それをどう評価するかということも含めて、これから、かなりさまざま職種で研究が進められるべきではないかというふうな状況だと思います。
 三つ目に思ったことというのは、どのように、こんにちの社会において、ケアする人々と、その人々をさらにどうケアするべきかということが、大きな課題あったと思います。
 たしかにNHSという組織の中で、看護を感情労働という観点から見ても、やはりさまざまなかたちでネガティブな作用を果たしたり、いじめといったものは、どうしても発生してしまう。
 そういうことに対して、スミス先生やカウイ先生がおっしゃっていた、感情をどのようにうまくコントロールするのか。あるいは、それを伝え合うか。それが、やはり、よいケアを提供していくための一つの方法にはなるんじゃないかなと感じたのが、三つ目の大きな論点かと思います。

 崎山:みなさま、本日は本研究交流企画に参加していただきありがとうございました。
これにて、シンポジウムを終演いたします終わりにいたします。みなさん、本日はどうもありがとうございました。

 スミス、カウイ:ありがとうございました。
 (Thank you. Thank you very much.)

 天田:ここからは事務局的な連絡をさせていただきます。
実は、すでに定刻から30分以上も延長しておりまして、18時になるところです。この会場を空けなければならない関係で、できましたらすみやかに会場を空けていただきますようお願いします。
 本日の研究交流企画「ケアの論理と倫理——看護・感情・労働」はこれにて終了とさせていただきますが、まだまだ質疑応答をしたいという方もいらっしゃるのではないかと思います。その場合には、このあと大学付近の場所でごく簡単な懇親会がありますので、ぜひともそこでスミス先生・カウイ先生に直接質問やコメントをして更に交流を深めていただけばと思っています。
 今日はスミスさん、カウイさんをはじめ、コメントされた方々、そして通訳をされた方々、そして支えてくださったスタッフの方々、そしてフロアの皆さんのおかげで、素晴らしい会を持つことができました。厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
最後に、スミスさん、カウイさんにもう一度、感謝の拍手を送りたいと思います。

Smith, Pam and Cowie, Helen 20090319 「フロアとの質疑応答」 安部 彰有馬 斉 『ケアと感情労働——異なる学知の交流から考える』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告8,pp.85-98.