あとがき

天田 城介(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)

 本報告書は、2008年3月6日に立命館大学衣笠キャンパスで開催された、国際シンポジウム「健康、公平、人権——健康格差対策の根拠を探る」において報告ならびにコメントをした第一線の研究者の方々が当日の発表やコメントの内容をもとに執筆された論文によって構成されるものである。
 全体構成としては、松田亮三氏による「緒言」からはじまり、「第1部 健康格差・正義・人権」では、Jennifer Prah Ruger氏の論文(日本語訳:棟居徳子氏)ならびに後藤玲子氏によるRuger氏の報告に対するコメントが寄せられている。また、フロアからの質問およびその問いに丁寧に応えられたRuger氏からのレスポンスも掲載されている。次いで、「第2部 先進諸国における健康格差対策」では、松田亮三氏の論文と、高山一夫氏による松田報告に対するコメント、そして第1部と同様に、フロアからの質問およびそれらに対する松田氏によるレスポンスが収められている。最後の「第3部 健康・医療における格差─英国における議論と政策展開から」においては、Adam Oliver氏の論文(日本語訳:松田亮三氏)と青木郁夫氏によるOliver氏の報告に対するコメントが収録されている。そのいずれの論文・コメントならびにそれらのコメントや質疑応答に対する報告者のレスポンスも極めて重要な知見を提示するものであり、それらが一冊となってまとまり、刊行される意義は非常に大きなものであると痛感するものである。
 国際シンポジウムならびに本報告書の論文の詳細については、松田亮三氏の「緒言」に的確に言及されており、また全く門外漢の私が平板かつ拙い紹介をするのはかえって失礼になるであろうし、各論文を熟読していただくことによってこそ秀逸した各論文の意義と価値を実感されるであろうから、ここでは割愛させていただくものとしたい。ただ、「生存学研究センター報告7」として編まれた本報告書を通読すると、いくつもの重要な問いとその問いに対していかに思考すべきかについて極めて貴重な示唆を与えてくれるものとなっている。そのことを痛感できる報告書であり、多くの人々に読まれるべきものである。
 したがって、本報告書はいくつもの重要な論点を内在しているものであるが、あえて私が2点のみ挙げるとすれば、一つには、「健康格差(health inequalities)」とはすでに収録された各論文において提示されているように、とりわけ1990年代後半という歴史的・時代的文脈において浮上した文字通り「社会的」な問題設定であるという点である。言うまでもなく、英国におけるそれは1970年代以降のサッチャー改革とメジャー政権によってなされた政策からブレア政権における社会政策へと至る歴史的変容にともなって語られてきた当のものである。加えて、これまた本文中に詳述されているが、1990年代終わりからのアチソン報告ならびに世界保健機関欧州地域委員会などによる欧州における健康戦略などによってその「健康格差」の問題性の捉え方やその政策全体の構想の枠組みは形作られてきたものであろう。一方、米国においては特に1990年代以降における公共政策における「健康乖離(health disparities)」という認識を立脚点として、「資源」へのアクセスの問題として照準してきたことなどは両国の政策上の重要な差異として確認されるべきである。更には、1990年代後半以降における日本の「健康格差」の捉え方は、まさに日本における社会政策の歴史的文脈を踏まえることなしには語ることができないことを再認させるものである。むろん、それぞれの国や地域において「健康格差」や「健康乖離」が歴史的・社会的・政策的な文脈のもとで設定されてきたことは自明かつ周知の事実であるが、それらの時代的ダイナミズムとその力学についての詳細を本報告書によって私たちは知ることができるのだ。その意味で、歴史的ないし現在的に出来してきた/いる事実を詳細かつ緻密に知り、論考することの価値を本報告書は教えてくれるものである。
 もう一つには、「格差」を問うという営みにおいては、「何を格差とするのか」「何の格差のどのような原因をいかに照準するのか」「何の格差をいかにしてなくそうとするのか」「何の格差について、どの程度、いかにしてなくすべきなのか。あるいはそれは実現可能であるのか」「そもそも格差を射程にするとはどういうことか」「そもそも格差をなくすとは、何についての、いかなる意味において正しいのか/正しくないのか」という事実と規範とを同時に/切り分けて同時に問うべき問いが内在しており、それらを丹念に思考する作業とならざるを得ないという点である。加えて、そこで問われるべきは国家あるいは社会という機構をいかに位置させるかという問いでもある。そして、それは重要な問いだ。このこともまた本報告書は指し示してくれるものである。
 上記の意味において、当該テーマを専門とする方々だけではなく、一人でも多くの方々に本報告書を手にとって熟読してほしいと切に願うものである。そして、そこから、人びとが置かれている現実の差異とその原因、差異とともに問われる不平等・不公正、そこでの資源分配とそれへのアクセスの不平等・不公正、それらを解決するための社会サービスのあり方、供給体制とその供給のための機構など具体的な手立てと仕組みについて、実証的な分析と論理的な思考を通じて考究していく道筋が見えてくるであろう。
 最後に、私たちが思考すべき/解決するための道筋を示してくれた本企画のために多大なるご尽力をされ、また本報告書の全ての編集を労をとってくださった松田亮三氏と棟居徳子氏にこの場を借りて厚くお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

 また、シンポジウム当日、Yale大学とのTV会議システムを通じて貴重な報告をしていただいたJennifer Prah Ruger氏、実に丁寧な報告とレスポンスをしてくださったAdam Oliver氏、更にはRuger報告、松田報告、Oliver報告に対して刺激的かつ貴重なコメントをしていただいた後藤玲子氏、高山一夫氏、青木郁夫氏、第3部の司会をしてくださった山本隆氏に対して改めて感謝申し上げたい。
 加えて、立命館大学人間科学研究所事務局ならびに立命館大学生存学研究センター事務局のスタッフの皆さんに、またYale大学とのTV会議システムを通じたコミュニケーションを実現するために労を惜しまずご尽力していただいた立命館大学情報システム課のスタッフの方々に、心よりお礼申し上げます。誠にありがとうございました。皆さんの多大なるご尽力のお陰で国際シンポジウムの開催ならびに本報告書の刊行ができました。この場を借りて心からお礼申し上げます。
 なお、本企画「健康、公平、人権─健康格差対策の根拠を探る」は立命館大学人間科学研究所ならびに立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点、立命館大学生存学研究センターが主催となって実現されたものである。また、本企画ならびに本センター報告は、文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「臨床人間科学の構築─対人援助のための人間環境研究」(研究代表者:望月昭)、文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点(拠点リーダー:立岩真也)、文部科学省科学研究費補助金基盤(B)「格差社会における公平志向保健・医療政策に関する国際比較実証研究」(研究代表者:松田亮三)および日本生活協同組合連合会医療部会からの奨学寄附研究の研究成果としてまとめられたものであることも明記しておきたい。