第2部 先進諸国における健康格差対策「松田報告に対するコメント」

髙山 一夫(京都橘大学現代ビジネス学部准教授)

1、比較政策という視点について
 松田亮三氏の報告「健康格差のフレーミング:英米における政策展開の比較分析」(以下、松田報告)では、比較政策学の立場から、英米における健康格差対策の特徴を析出し、日本への含意を考察することを試みている。そこで、まずは比較政策という方法について、コメントをしたい。
 そもそも比較政策学とは、制度ないしはそれをめぐる政策について、複数の国を関わらせて検討する研究と定義される。松田(2007)によれば、比較政策の研究手法は、おおよそ4つのタイプに分類できる。第1に、他国の政策からの学び(policy learning)を目的とするもの。第2に、量的な比較研究を行うもの。第3に、特定のテーマに関する質的な比較研究を行うもの。そして第4に、各国の制度及び政策について記述的な情報を蓄積するものの4つである。いずれの方法をとるにせよ、各国の制度及び政策を比較し、そこから自国にとって利益をもたらすような何らかの政策的含意を導くという点は同じである。
 松田報告が対象とする健康や医療をめぐる制度と政策は、各国に固有の政治や社会、文化のあり方と深く関わる1)。したがって、健康格差(この用語については後述する)に対する政策対応もまた、各国によって異なる様相を呈さざるをえない。松田報告がとりあげた英国と米国においても、健康格差に対する政策的取り組みは大きく異なっている。健康格差という同じ政策課題を取り上げながら、なぜ具体的な政策がかくも異なるのか。また、それら政策は英国ないし米国において有効といえるのか。そして最後に、英米の取り組みは、格差拡大がさけばれる日本においても有効なのか。これらの点を明らかにすることこそ、松田報告、ひいては比較政策学の目標である。
 ただし、経済社会のグローバル化に伴い、人々の暮らしや健康状態が他国からの影響を受けやすくなっていることも事実である。例えば、食品汚染やグローバル感染症などは、日本でも最近よく耳にする。また、EU(欧州連合)諸国では、通貨統合や共通社会政策などに起因する、健康・医療政策に対する主権国家のゆらぎも指摘できる。グローバル化の進展が各国の健康・医療政策を何らかの方向に収斂させるのか、それとも政策の変容をもたらしつつも従来どおり多様性を保持させるか、今後注目される点である。

2、健康格差対策のフレーミングについて
 松田報告では、健康問題がどのようなプロセスを通じて政策課題として取り上げられ、どのような歴史的・制度的影響を受けるかを表すために、フレーミング(flaming)という概念を用いる。フレーミングとは一般に、認識の枠組みをつくることを意味する。松田報告では、政策課題が認識され、また政策が実行されるときに影響を及ぼす枠組みをさしている。
 大事な点は、公共政策が客観的・科学的なデータに基づいて自動的に策定されるわけではないことである。国家の政策形成過程においては、何がどのように問題にされ、具体的な制度として結実するかは、さまざまな思惑をもった主体間の相互作用を通じて、当該国の「歴史的・制度的な文脈」によって、規定される。一言で言えば、政策は科学ではなく政治の結果である。
 このことを、松田報告では、「科学的分析によって人口間の健康の不平等・乖離の証拠は集められるが、どういう人口が比較されるかは─少なくとも政策形成の場面では─異なりうる」「不平等・乖離、その原因と可能な対策をどう解釈するかも異なりうる」「健康の不平等に関する政策形成には、科学的研究のみならず、歴史的・制度的な文脈におかれた政治的意思が必要」といった表現で論じている。
 健康格差対策について具体的にみれば、英国では階級間及び地域間の格差が注目される一方、米国では人種間の格差に重点が置かれる。そうした違いをもたらすものが、英米間の歴史的および制度的違いであるというのが、松田報告の趣旨である。
 ただし、今回の松田報告では、フレーミングを強調した成果、フレームを形成し、かつフレームの中で相互作用する主体の権力関係(power relations)について、踏み込んだ言及がみられなかった。権力関係とは、政治学の概念である。特定の特殊利益団体がヘゲモニー(覇権)を持つ場合もあれば、少数団体の勢力が均衡する場合、さらにはいずれの団体もヘゲモニーをもたず合従連衡を通じて決する場合などがある。
 健康・医療政策を取り上げると、例えば日本では主務官庁たる厚生労働省の権限がきわめて強く、厚労省の政策目標を基調として政策が決定されるのに対して2)、米国では多様な利益団体が政策決定過程に関与できる仕組みがあるため、現実の制度は「ブロックとモルタル」になるといわれる。他方、イギリスでは保守党と労働党という2大政党の勢力均衡があり、政策課題が階層間格差として提出される傾向がある。
 さらに、報告者が事前原稿で触れたように、日本では「一億総中流」の名のもとで、長らく不平等が封印されてきた経緯がある3)。近年になって、国民健康保険における無保険者(資格証明書発行者)の増大や救急・産科でのたらい回しが報道されてきたものの、英米のように、特定の人口集団(所得階層、職種、人種など)の間の健康格差という形では、問題が提起されていない。日本において健康格差が政策課題として認知されず、したがって直接の対策もなされていないことの理由をどう考えるか、すなわち、健康格差をめぐる日本型フレームをどう規定するかが、今後の課題として残されているといえよう。
 
3、米国における健康格差対策のフレーミングについて
 次に、松田報告における米国における健康格差対策に関する部分について、コメントしたい。英国に関する部分については、いまひとりの報告者Adam Oliver氏並びに青木郁夫氏のコメントに委ねることとしたい。
 さて、松田報告によれば、米国における健康格差対策は、人種・エスニシティ間の格差解消という、より大きな社会問題の一環に位置づけることができる。1960年代の公民権運動、また1965年社会保障法改正で創設されたメディケア・メディケイドにおいて医療における人種差別が法的に禁止されたこと等がその証左である。
 ところが、1980年代になっても依然として人種・エスニシティ間に健康格差(disparities)が存在することが明らかになり、その理由と解決策を究明すべく、官民をあげた科学的研究が精力的に進められているという。1998年にクリントン大統領(当時)によって健康格差対策の推進が表明され、2000年にはマイノリティの健康と健康格差についての法律4)が制定された。同法では、健康格差を「健康状態に関するマイノリティと非マイノリティとの間の持続的なギャップ」と定義し、そうした格差の是正を研究・教育する研究に対して、新設の研究センター5)を通じて、補助金を交付することを定めている。
 英国と比較して、米国における健康格差対策の取り組みとして特徴的なことは、米国では、人種・エスニシティ間の健康格差が注目される反面で、社会経済的地位(階級)による格差が等閑視される傾向にあることである。その理由として、松田報告では、人種差別が誰の目にも明瞭であるのに対して、階級の問題は議論が紛糾しやすいこと、また、階級ではなく人種に注目したことで政策形成に寄与したことを述べている。
 松田報告が紹介した米国での健康格差対策は、おおよそ以上の通りである。報告が強調したように、米国の健康格差対策が人種差別の解消の一環であるという事実は、大変に興味深い。とくにクリントン政権時代は、別に人種差別解消法案も成立をみており、報告者の言う米国における政策形成のフレーミングの特質として、人種・エスニシティ間格差の解消を指摘することは、妥当であるように思われる。
 しかしながら、健康・医療格差に関して、近年の米国厚生省白書6)でも特集が組まれているように、医療保険の加入状況が大きな影響を及ぼしている。松田報告では医療保険以外の問題に焦点を当てたと理解するが、米国における健康の格差を論じる場合、医療保険の問題は避けては通れない。なんとなれば、クリントン政権は人種・エスニシティ間の健康格差是正について法案を成立させた反面、ヒラリーを首班とした国民皆保険制度の創設には失敗している。大量の無保険者や医療困窮者が存在することは米国人なら誰でも知っていることであり、どうして人種差別解消が成立して公的医療保険改革が失敗に終わったのか、いますこし踏み込んだフレーミングを構想していただきたかった。
 また、医療保険の問題を別にしても、健康・医療政策に影響を及ぼす文化的社会的要因としては、報告者が注目した人種差別のほか、中絶やES細胞をめぐる文化的宗教的要因も指摘できる。そしてマイノリティの生活習慣や受療行動には、経済合理性だけでなく、文化的宗教的バックボーンが存在する。報告では、人種・マイノリティ間の格差の縮小に焦点が当てられたが、なぜ健康格差が生じるのかという点についても、医療人類学的知見などを援用して、分析を深めていただければと思う。
 
4、「健康の乖離」という用語について
 最後に、松田報告ではhealth disparitiesの訳語として「健康の乖離」という語をあてている。学術的には正確なのかもしれないが、「健康格差」という語がすでに人口に膾炙しており、あえて「健康の乖離」という訳語を用いる必要はないように思われる。報告全体のキーをなす概念であるだけに、特別な訳語を用いるのであれば、その趣旨についてはっきりと説明していただきたかった。
 
〈参考文献〉
橘木俊詔、斉藤貴男、佐藤俊樹、苅谷剛彦(2004)『封印される不平等』東洋経済新報社。
二木立(2007)『医療改革』勁草書房。
松田亮三(2007)「グローバル化の下での比較医療政策」田中滋・二木立編著『医療制度改革の国際比較』勁草書房、143─167頁。
U.S. Department of Health and Human Resources, Health, the United States 2007.

1)この視点から日米の医療制度について考察したものとして、『日米の医療』大阪大学出版会を参照されたい。
2) ただし2006年の改革は例外的に官邸主導であったとする議論も有力である。二木(2007)参照。
3)橘木ほか(2004)。
4)The Minority Health and Health Disparities Research and Education Act of 2000, P.L. 106-525.
5)The Center for Research on Minority Health and Health Disparities
6)DHHS (2007).