健康・公平・人権:緒言

松田 亮三

 本シンポジウムの中心主題は、健康格差(health inequalities)の対策である。
 健康格差は、国際的にさまざまな角度から主題化されてきた。日本ではこの10年、経済格差・社会格差の問題が盛んに議論されるようになり、健康格差という言葉も2006年頃から時々新聞・一般雑誌の中で用いられるようになってきた。国際的にみると、この健康格差というのは、1990年代の終わりから非常に活発に研究や議論が行われてきた問題である。この議論についてイギリスでは極めて詳細な検討や計画がされてきたが、他の国においても多かれ少なかれ健康格差対策を公衆衛生政策に含めていくということが課題となってきている1)。
 特に欧州ではこの取り組みが国際機関の取り組みと各国の研究機関のネットワークによる協力によってすすめられている。例えば、世界保健機関欧州地域委員会(European Regional Committee of the World Health Organization)は、「健康21」(Health 21)という欧州全体の健康戦略をつくっており、そこでは人口間の健康格差を縮小することが盛り込まれている。具体的には、「すべての加盟国において、 2020年までに、国内における社会経済状態別にみた集団間の健康格差(health gap)を、社会的弱者の健康状態を実質的に改善することによって、少なくとも4分の1縮減すること」という目標を掲げて、以下の5点をあげている(WHO, 1999)。

   2.1 社会経済状態別にみた集団間の平均余命の格差を少なくとも25%縮小する。
   2.2 社会経済状態に応じた諸集団の罹患、障害、死亡の状態は、より公平な分布を実現すべきである。
   2.3 健康に悪影響を及ぼす社会経済状態、特に所得、教育水準、労働市場への参加における差異は、実質的に改善されるべきである。
   2.4 貧困生活にある人口は大幅に改善されるべきである。
   2.5 健康によって、また社会経済の状況によって、特別な必要のある人々については、排除から保護されるべきであり、適切なケアが容易に利用できるようにすべきである。

 このWHOの目標というのは、各国政府がかかげる目標とはかなり異なっている。WHOは国際組織であるため、実現可能性はあまり精査されているわけではない。しかし、それだけに欧州において理念的に共有化する方向が示されているともいえる。一方で、欧州連合(EU)は公衆衛生政策の限られた分野、特に市場開放と関連深い分野において、次第に存在感を増しているのであるが、このEUも公衆衛生政策の中に社会経済的要因による健康格差を研究し、その対策の協力を図るように資金を提供し、「格差を縮小する」(Closing the Gap)というプロジェクトが行われてきている。さらに、英国がEU議長国を務めた2005年には健康格差に関するサミットが開催された。このような中で、エラスムス大学のマッケンバッハ教授は、健康格差は欧州の公衆衛生の最重要課題の一つと主張されている(Mackenbach, 2006)。
 こうした先進国を中心とした議論と同時に、健康格差はグローバルな社会・経済格差の一つとしても議論の対象となってきた。国連のミレニアム開発目標の中で、健康に関連した指標がかなり含まれていることにみられるように、ある意味で、社会・経済格差の状況をもっとも端的に示すのが健康の格差だからである。これについては、もちろんさまざまな国連機関が論じているであるが、健康に直接関連するWHO以外の世界銀行や国連開発計画なども、しばしばその分析の中に国家間の健康格差の問題にふれている。特に、WHOは著名な疫学者マイケル・マーモット教授を座長とする「健康の社会要因に関する委員会(Commission for Social Determinants of Health)」を立ち上げて検討してきた。ロックフェラー財団も、WHOと協力しながら健康格差に関する学際的研究を組織してまとまった本を出している(Evans et al., 2001)。
 このように健康格差は、グローバルな課題であり、また各国が直面している課題として取り組まれてきているのであるが、ではどのような対策が可能なのか、そして実効性があるのか、あるいはそもそも何について対策するのか、というようなことが、自明なわけではない。特に、日本での健康格差をどう考えていくか、ということでは、議論は始まったばかりである。
 ここで、このシンポジウムの焦点を改めて確認すると、本シンポジウムは国際シンポジウムと銘打っているが、その焦点は日本社会における健康格差ということになる。健康格差をグローバルな問題としてその文脈の中で議論しようということではなく、日本社会に引き寄せて健康格差を考えていく土台となるような理論を考えてみたいということである。その意味では日本社会に焦点をあてているのだが、健康格差対策をこれから、どこかの社会で検討する参考になる議論も提供できるのではないかと期待している。
 さて、本日は米国と英国からご参加いただいているので、日本での最近の健康格差をめぐる議論を少し紹介しておきたいと思う。まず、長らく不況の続いた日本社会で格差の議論が話題となりだしたのは、1998年に出された本の中で、当時京都大学の橘木教授が日本における所得ベースのジニ係数の拡大を指摘し、経済格差の拡大を直視して対策を講じるべきという議論をされたころからである(橘木、1998)。その後、社会学の階層論の立場から、職業階層の固定化が提起され(佐藤、2000)、教育社会学では、学習意欲の階層差という議論も提案された((苅谷、2001)。また、改めて日本を階級社会として把握すべきではないか、という議論もなされた(橋本、1999)。そして、2005年には疫学的議論をベースに『健康格差社会』という本も出されている(近藤、 2005)。
 このような中で多様な論点が提出されてきたが、政策形成という観点からすると、次のような点が特徴である。第1に、格差縮小が問題か、貧困縮小が問題か、というような、社会政策の基本に関わる問題が提出されて、政策論の対象となるようになってきた、ということである。第2に、地域間の格差、というのが、特に経済格差を中心に大きな議論になり、これは、地方行財政改革の中で、特に鮮明になってきた問題である。第3に、格差社会(divided society)という言葉がしばしば用いられるようになり、日本社会が質的に変化してきているのではないか、という議論がされていることである。
 保健・医療に関わる政策に目を向けると、医療の利用ができないということが非常に大きな問題になってきている。都心部でも発生している問題だが、やはり農村部で大きい問題である。これには、医師の需給の問題と、地方行財政改革のもとで公立病院の縮小が生じていることも関与している。一方、健康状態の格差については、政府としてまとまった対策はなされておらず、ましてその分析については研究として行われているのがほとんどである。最近出された日本の健康格差についての総説論文で、全国の市区町村を単位とした研究では、地域ごとの健康水準はその社会経済状況に相関することが示されている(福田・今井 2007)。また、個人を単位とした社会経済的地位と健康水準との関連では、コホート研究で、顕著ではないものの低い社会経済的地位と高い死亡率の関係が認められており、横断研究では自覚的健康度や喫煙等の健康リスク行動が社会経済地位と深く関連することが示されている。このように、網羅的な検討とはいえないが、日本でも社会経済的状態と健康との関連が認められており、それは集団として比較すれば格差があるということになる。
 このようなことを考えていくと、日本でも健康格差対策について少なくとも対策を検討すべきといえるだろう(松田、2006)。ということは、次のような問題を考える必要があるということである。日本でも健康格差対策にとりくむ理由は何か、その場合にどういう手順によって、どういう対策を考えるべきなのか。このことを定めていくためには、健康格差対策ということについて、より立ち入った検討を行う必要がある。本シンポジウムでは、今述べた問いを考える基本的な視点を検討することを目標としている。

 シンポジウムの構成

 シンポジウムは3つの報告とそれに対するコメント、そして討議からなっている。
 最初に、エール大学のRuger博士から、健康権の哲学的基礎についてご報告いただく。実は、国際社会においてこの10年間に台頭してきた健康をめぐるもう一つの議論が、健康権をめぐる議論であったといってもよいであろう。国連においても、「健康権に関する特別報告者」を任命して、精査検討しており、人権の一つとしての健康権をどう考えるのか、さまざまな議論がされてきている。例えば、もっとも健康状態の悪い人々に優先的に資源を配分するときに、格差を縮小しようという議論から接近するのか、あるいは健康権を実現しようという角度から接近するのか、というようなことを考える際に、健康権を理論的にどう基礎づけるのかは、非常に重要な問題である。
 2番目の報告は私が行うのだが、ここでの報告は、むしろ実際に形成されている政策を外側から眺めて検討したものである。具体的には、英国と米国の報告を中心に、その対策の建て方の差異を比べて、健康格差対策が、かなり異なる具体的政策になることをみていく。その上で、もし日本社会でこの対策を考えるならば、日本の文脈の議論といっしょに検討することになることを主張する。
 3番目の報告は、Oliver博士から、英国の健康格差対策について、特に経済学の立場から批判的にご紹介いただく。2番目の報告が外側から眺めているのに対して、最後の報告は健康格差対策の中で用いられている論理や考え方をそれに即して検討するということになる。実際にもし、健康格差対策を形成するとすれば、何が課題になるのか、政府だけでなく学術的研究においてもどういう論点が生じるのか、という点も含めて、さまざまな示唆をいただけるであろう。

〈参考文献〉
Evans T, Whitehead M, Diderichsen F, Bhuiya A, and Wirth M, eds. (2001) Challenging Inequities in Health: From Ethics to Action. Oxford: Oxford University Press.
Mackenbach JP (2006) Health Inequalities: Europe in Profile. An Independent, Expert Report Commissioned by the UK Presidency of the EU. UK Presidency of the EU.
WHO (1999) Health 21: The Health for All Policy Framework for the European Region. Copenhagen: World health Organization Regional Office for Europe.

苅谷剛彦(2001)『階層化日本と教育危機:不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』、有信堂高文社。
近藤克則(2005)『健康格差社会:何が心と健康を蝕むのか』、医学書院。
佐藤俊樹(2000)『不平等社会日本:さよなら総中流』、中央公論新社。
橘木俊詔(1998)『日本の経済格差:所得と資産から考える』、岩波書店。
橋本健二(1999)『現代日本の階級構造:理論・方法・計量分析』、東信堂。
福田吉治・今井博久(2007)「健康格差の研究 日本における『健康格差』研究の現状」、保健医療科学 56:56-62。
松田亮三(2006)「社会格差と健康をめぐる日本の課題」、総合社会福祉研究:19-30。


1) 健康格差対策の国際的展開、特に英国・米国での議論については、松田亮三編著(近刊)健康と医療の公平に挑む(東京:勁草書房)を参照。