第4章 出版社の対応とその背景

植村 要(立命館大学大学院先端総合学術研究科)

1.なぜテキストデータを必要とするのか
 パソコンは、視覚障害があってディスプレイが見えない場合でも、ディスプレイを音声化して出力するためのソフトであるスクリーンリーダーをインストールすることで操作でき、文字を読むことができる。石川は、全盲である自身がどのように活字書★01を読んでいるかについて、ボランティアの協力によって作成されるのに数ヶ月を要する点訳・音訳に対して、スキャナーとOCR、パソコンによって文字認識させて読む「ハイテク読書法」を紹介する。そして、「ハイテク読書法」の利点と欠点を、以下のように記す(石川2004)。
 利点:①本が手に入ったらすぐに読める。②難解な文章も理解できる。③速読できる。④斜め読みできる。⑤検索できる。⑥編集できる。⑦二次利用するのに便利である。
 欠点:①OCRソフトが文字を誤認識する。②読み上げソフトが誤読する。③自分では誤りを完全には校正できない。
 この「ハイテク読書法」の技術開発によって、視覚障害者が読書をする上での困難のかなりが軽減されたことは確かである。しかし、その一方で、上記欠点の①と③について、OCRソフトでテキスト変換されたデータの誤認識を修正するという、けっして少ないとはいえない新たな負担を生じることにもなった★02。ここでは、誰がこの負担を担うのが正当かが問題にされなければならない。さらにはこの負担自体が必然なものなのかが疑われる。もとより、出版社には活字書の作成に使用した活字書と同じ内容のデータが保存されているはずだからである。ここに、出版社にテキストデータの提供を請求する根拠がある。
 テキストデータを必要とするのは、スクリーンリーダーで音声化して読む場合だけではない。点訳をする場合であっても、テキストデータがあれば、そのための労力は相当軽減される。今日、点訳作業は、多くの場合自動点訳ソフトを用いて、パソコン上で行われている。この方法での点訳の過程は、まず、上記の「ハイテク読書法」の手順でテキストデータを作成し、ここで生じた文字の誤認識を逐一修正する。つまり、欠点の①と③を補完する作業をするのである。続いてこのテキストデータを点訳ソフトで点字データに変換する。この段階で、漢字の読みや、点字表記の細部に誤りが生じるので、これを修正する。現状では、このような手順で行われている。ここに出版社からテキストデータが提供されれば、この手順の前半部は省略され、後半部の自動点訳ソフト上での作業のみを行えばよくなるのである。
 テキストデータを必要とするのは、そのデータを音声や点字といった別の媒体に変更して読む場合だけではない。出版UD研究会は、ロービジョン、色弱、肢体不自由、発達障害、学習障害、高齢など、現在の活字書が、すべての人にとって便利であるとはかぎらない多くの事例を紹介している(出版UD研究会2006)。
 国立国会図書館は、海外の図書館および国際機関における視覚障害者等図書館サービスの最新状況に関して、2002年度に2件の調査を実施しており、この調査報告書に海外においてテキストデータがどのように位置づけられているかが記されている。これによると、スウェーデンでは、公貸権制度によって、公共図書館・学校図書館での貸出し数に比例して、国がスウェーデン著作者基金に補償金を支払い、作家がその配分を決定するという形態が採られている。これは図書館で貸し出すすべての本についてであり、録音図書も同じ扱いである。著作権法は、製作機関を図書館や組織に限定してはいるものの、「障害のある人の利用を目的とするが、障害のない人も利用できる形態で製作し、ニーズを持つ幅広い層の利用者に提供するもの」というオープンシステムを採る。製作機関として認められているスウェーデン国立録音点字図書館(Talboks-och punktskriftsbiblioteket:TPB)が扱う資料は、設立からの過程で、点字図書のみから徐々にアナログの録音図書、Eテキスト図書およびDAISY録音図書へ拡大し、それに伴って利用者も点字使用者のみから視覚障害者、重度身体障害者、読書に障害のある人へと拡大してきている。また、アメリカは、「障害のある人だけが利用できるように特別な方法で製作し、障害によりニーズを持つ利用者に提供するもの」というクローズドシステムを採る。民間機関のBookshareは、視覚障害、ディスレクシアのような学習障害、運動障害などの読書に障害のある個人やそのサービス機関に対して、オンライン上でアクセシブルなデジタルフォーマットの図書を提供している(深谷・村上2003)。Bookshareは、DAISY3が「障害のある人だけが利用できるように特別な方法で製作」されたものとして位置づけられている点に着目して、音声合成装置、大活字、あるいは点字ディスプレイで読むDAISY3仕様の電子テキストのネットワーク配信の取り組みを始めた(河村2003)。
 DAISY3は、当初デジタル録音図書の規格として開発されたDAISY (Digital Accessible Information System)を発展させて、2002年にNGOであるDAISYコンソーシアム★03が開発した技術である。DAISY3のコンテンツは、音声ファイル、画像ファイル、HTMLの後継技術であるXML(extensible markup language) でマークアップされたテキストファイル、そして、それらを同期させるSMIL2.0 (Synchronized Multimedia Integration Language) から構成される。ここで注目すべきは、インターネットの標準化団体であるW3C(World Wide Web Consortium) で策定されたXMLとSMILをもとにしていることである。これによって、DAISY3仕様で作成された出版用版下データあるいは電子図書は、点字、大活字、デジタル録音、パッケージ化されたマルチメディア図書、さらにはブラウザに依存しない正確なレイアウト表示でのWebコンテンツとしての公開、ストリーミング配信など、多様な形態の情報アクセス・チャンネルをもつことができ、その選択を一つのファイルで可能にした。DAISY3は米国情報標準化機構(National Information Standards Organization:NISO)で採択された(河村2003)。
 DAISY3が普及していない現状において、筆者は、活字書を購入する際、出版社に対してテキストデータの提供を求めている。筆者には視覚障害があり、活字のままではその書籍を読むことができないからである。しかし、一部の出版社・書籍を除いて、多くの場合でその要求はかなえられない。著作権が関係していることは容易に思い当たる。しかし、それだけでは一部の出版社・書籍において可能であり、それ以外において不可能である現状を、十分には説明しえない。本稿は、こうした筆者の経験を調査結果として位置づけ、出版社にテキストデータの提供を困難にさせている背景を探索することを目的とする。
 まず、2.では、調査方法を記し、3.では、本調査に対する出版社からの返答を記す。4.では、筆者の調査しえた範囲ではあるが、同じニーズを持つ人の利便に資するという実践的意図から、テキストデータ提供の請求に対する各出版社ごとの対応の可否を図示し、出版社が挙げた理由から、テキストデータの提供がなぜ困難なのかを考察する。そして、5.では、現にテキストデータを必要とする人がいるという実践的観点から、4.から導出される提案を試みる。

2.調査方法
 一つは、2007年8月から12月末までに、筆者が出版社に対して、書籍のテキストデータの提供を請求した際に送受信されたメール、およびそれへの返答として出版社からかかってきた電話での話し合いを元にしている。まず、筆者が出版社に書籍の購入を申し込み、その際にテキストデータの提供を請求する。申し込みは、出版社がHP上に公開しているメールアドレスから行う。あるいは、メールアドレスが公開されていない場合には、出版社がHP上に開設している購入申し込みフォームから活字書の購入を申し込み、その通信欄にテキストデータ提供の要望を記す。そして、テキストデータを提供しない旨返答された出版社に対しては、重ねてその理由を問い合わせることとした。これまでに出版社と送受信したメールの総数は、数百通に及んだ★04。
 ここで、購入を前提として問い合わせたことと、それに伴って問い合わせをした対象が限られた出版社になったことについて説明しておく。購入が前提になっていれば、出版社は何がしかの返答をしなければならなくなる。テキストデータを提供しない出版社であっても、その旨返答をしなければならない。また、前例がないなどで、社としての方針が決まっていない場合であっても、筆者の申し込みに対する対応として、検討がなされるとも考えられる。購入が前提になっていればこそ、その対応の理由を重ねて問い合わせることもでき、社内でなされた検討について質問することもできると考えたからである。それこそが本稿の目的に適うことでもある。これに伴い、おのずと問い合わせをした出版社数は限られたものになり、しかも、購入するのである以上、筆者の関心に即して偏ることになった。出版社のサブセクターについて佐藤は、自社のターゲットに、大衆的読者を想定するエンタテイメント系の大手出版社である「流通業者志向型」と、限定された読者層、特に自分自身が専門書の著者になる可能性をもつ専門家を想定する専門的な中小の出版社である「生産者志向型」からなる二重構造の存在が、以前から指摘されてきた、という(佐藤2002)。この分類でいえば、筆者が問い合わせた出版社は、社会科学系の書籍を刊行している「生産者志向型」の出版社に偏ることになった。だが、本稿が、背景の探索を目的としたものである以上、そこでは必要に応じた柔軟な問い合わせをすることこそが重視されるのであり、この偏りは、本稿の目的を何ら阻害するものではないと判断した★05。
 また一つは、2007年9月16〜17日に立命館大学で開催された障害学会第4回大会において、会場に出店していた出版社に対して、インタビュー調査を実施した。対象は、明石書店、人文書院、生活書院、青土社、東京大学出版会、読書工房である。会場に出店していた出版社は他にもあったのだが、筆者がインタビューを実施しているときに接客中であったり、店員が席を外していたりなどのために、それらの出版社に対してはインタビューを実施できなかった。
 加えて、注10に記す補足調査を実施した。
 以降、これらの調査結果をもとに記していく。

3.出版社からの返答
 本節では、筆者が書籍テキストデータの提供を出版社に求めた際の返答を、出版社とその関係者ごとに記述する。

〈出版社と読者との間〉
 今回、筆者がテキストデータの提供を求めた出版社からの返答のほとんどに記されていたことが、テキストデータは複製・改ざんが容易であること、および、第3者やweb上など外部への流出の危険があるという違法行為についてだった。これは、テキストデータを提供した出版社、しなかった出版社、双方が懸念する点として挙げていた。出版社Aは、これを理由として例外なく断るとしており、出版社Bは、電子商品として開発したもの以外は一切社外に出さないという。また、出版社Cは、視覚障害のあるある大学院生に対して、大学と契約書を交わすことで提供したことがあるといい、出版社Dは、点訳ボランティア団体には提供するというが、両社ともこの違法行為への懸念から個人に対しては提供しないという。一方、テキストデータを提供した出版社であっても、懸念する点としてこの違法行為を挙げはする。出版社Eは、読者からの依頼ごとに著作権法尊守の約定を求めて、個別に提供しているという。
 テキストデータの提供を求めている個人が違法行為をしないかの確認に加えて、視覚障害者であるかが確認される。出版社Fと出版社Gは、テキストデータの提供を求めている筆者が、視覚障害者であるなら提供するが、本当に視覚障害者であるかが確認できないとした。これに対して、筆者は身体障害者手帳の複写の送付を提案したりするのだが、メールや電話でやりとりをする過程を通じて、出版社は何がしかの確からしさを感受するようで、身体障害者手帳を示すことなく、両出版社からはテキストデータが提供された。この両社は、読者からテキストデータを求められたことが初めてだったというので、このような手順を踏んだとも考えられる。しかし、同じく初めてのことだったという出版社Hは、そのような確認をすることなく、いわばあっさりと提供をした。これに対して、出版社Iや出版社Jのように「テキストデータ引換券」によって提供する出版社は、活字書の購入を確認するのみで、それを送付してきた個人については何の確認も行っていない。
 また、費用の問題がある。出版社Kは、印刷用データをテキストデータに変換する作業に対する費用を、印刷所から請求された。当初、出版社Kは、その費用を自社が支払うことはできず、さりとてそれを筆者に負担させることもできないという判断から、テキストデータの提供を断ってきた。しかし、その費用を筆者が支払うことを提案して再検討を求めたところ、出版社内の関連部署、および印刷所との間での検討を経て、テキストデータが提供されることになった。これに対して筆者は、その額の算定根拠を確認すべく、G-COE「生存学創成拠点」の予算からの支払いであることを理由に、見積書・請求書・納品書の提出を求めた。しかし、そこに記されていたのは、金額だけであった。また、後述するように出版社Lにおいても印刷所から数千円から数万円を請求されたのだが、その支払いは、読者に請求するのではなく出版社Lが行ったという。

〈出版社と印刷所との間〉
 読者から出版社にテキストデータの提供が請求されると、続いて出版社は印刷所にテキストデータの提供を請求することになる。しかし、印刷所に保管されているデータは、4.で概説するDTPという技術で組版された印刷用データのみであり、ここからテキストデータを作成するには、単にテキスト形式でエクスポートすればよいというのではなく、文字化けなどを修正しなければならない。この作業は、出版社内でDTPを行っている場合であっても発生する作業ではあるのだが、印刷所はこの作業に対してインセンティブが働かないという。その理由の一つは、この作業が利益を生み出す労働ではない点にあるという。印刷用データを作成する作業は、それが印刷され、製本され、売買されることで、印刷所に利潤をもたらすのに対して、印刷用データからテキストデータを作成する作業は、そのような利益を生み出さないためだというのだ。そこで、出版社もしくはテキストデータを請求した読者に、作業コストとして一定の費用を請求されることがある。出版社Lは、近刊の書籍については数千円、数年前に刊行された書籍については数万円を、印刷所に支払ったことがあるという。この価格は人件費だけなので、どのようにも設定でき、また、日ごろからの付き合いもあるという。また、出版社Mや出版社Gは、無料だったという。出版社Nは、印刷所との間で、買い取り価格のルール化について未交渉であることを理由に、テキストデータの提供を見送っているという。
 また、インセンティブが働かないために、利益を生み出す作業が優先され、テキストデータの作成が後回しにされることもあるという。出版社Mから刊行されている単行本Mと月刊誌Mのテキストデータを、筆者が請求した際、印刷所M1でDTPされた前者は数日で作成されたが、印刷所M2で作成されている後者は数週間を要した。
 他方、文字化けなどの修正作業が行われない場合もある。出版社Fは、印刷に使用したと推測されるPDFファイルを筆者に提供し、そこからテキスト部分を抽出する作業は、筆者自身が行った。出版社Oは、印刷所から修正されていないままのテキストデータが送られてきたとして、それをそのまま筆者に転送してきた。この両社の対応は、筆者も承諾した上でのことだが、両社とも、修正作業を自社が担うことは余裕がないためできないというものであった。また、出版社Pは、自社にも印刷所にも修正作業をする余裕がないことを理由に、提供できないとした。
 インセンティブが働かないというよりもさらに積極的に、印刷所が拒否することもある。それは、印刷所が提供したデータを、出版社が別の印刷所に持ち込んで再販に活用されることを危惧してのことだという。そのように使用されては、印刷所としては、みすみす利益を手放すことになるからである。この傾向は、雑誌の場合にさらに顕著になるようだ。筆者が月刊誌Mのテキストデータを請求した際、印刷所M2は、この理由からテキストデータの提供を拒否したというし、たしかに出版社Mには書籍にして再販する計画があったという。これに対して、印刷所M2と連絡をとっていた出版社Mの担当者が、視覚障害者への提供であることを説明し、理解が得られたことでテキストデータが作成されることになった。しかし、その後、実際に作成されるまでには、上述のとおり日数を要することになった。
 これとは逆に、印刷所主導でテキストデータが提供されることもある。テキストデータを請求されることが初めてだったという出版社Gは、他の出版社の対応がどのようなものであるかを筆者に問う一方で、印刷所にも技術的・法的に問題がないかを問い合わせていた。そして、筆者が返事を送信するよりも先に、出版社Gと印刷所との間では話し合いが進められていた。その印刷所には、すでに他の出版社からの同様の請求に応じた経験があったという。出版社Gは、その印刷所の説明を踏まえて自社の対応を判断し、筆者へのテキストデータの提供を行うことにしたという。
 そして、データの所有権の問題がある。出版社Nは、印刷用データは作成した印刷所にも権利があるという。一方、出版社Eは、印刷用データは、それを発注した出版社のものでもあるとして、請求書とともにデータの納品を求めているという。

〈出版社と著作権者との間〉
 複製物の作成と頒布について、出版社と著作権者との契約内容が問題にされる。出版社Qは、刊行時の著作権者との契約によって許諾を受けた形態以外での複製物を作成して第3者に提供することは、理由の如何によらずできないという。出版社Rによれば、翻訳書については、元出版社との契約も結びなおさなければならないという。他方、出版社Eは、EYEマーク・音声訳推進協議会の推進するEYEマーク運動に応えて、著作権者の了解を得た上で、奥付にEYEマーク★06を表示している。これによって福祉目的での著作権の拡大使用について、既に著作権者との間で合意が図られているので、テキストデータの提供に際しても、改めて著作権者に許諾を得ることなく提供可能としている。
 これに対して、出版社Pは、著作権者に許諾をとるための連絡をする手間と時間がかかることをいう。著作権者は複数いる場合もある。執筆者が複数の場合はもちろんだが、印刷用データには、図表・記号・写真やイラストなどが入っており、そのそれぞれに著作権者がいる。また、著者の中には、連絡先が不明な著者や、担当編集者でなければ連絡がとれない著者もいるという。そのような場合には、著者との合意を図るだけでも、相当な時間と手間がかかるというのである。
 また、出版社Sは、提供したテキストデータが流出した場合、著作権者に対する補償問題に発展する可能性をいう。

〈出版社内〉
 テキストデータの請求に対する出版社内における取り扱いについて、社としての方針を定め、それに従って対応しようとする社がある。その一つとして、読者へテキストデータを提供する書籍と、しない書籍との選定の必要性が言われる。出版社Nは、テキストデータの提供を行わない理由の一つとして、この選定をしていないことを挙げる。出版社Bは、電子商品として開発したもの以外は一切社外に出さないことを原則としているという。その上で出版社Bは、今回の筆者の請求に対して、例外を作ることを改めて社内で検討したという。これに対して、出版社Jは、障害のある人だからといって読みたい書籍が障害に関係するものだけというわけではない、という考えに基づいて、自社の刊行する書籍の全てについてテキストデータの提供を行っているという。
 また、出版社Cは、前述のとおり、過去には大学と契約書を交わすことでその大学院生に対してテキストデータを提供したことがあるのだが、多くの人から同様の依頼があった場合を想定した対応を決める必要のあることをいう。出版社Eは、近年数年の新刊については全てテキストデータを提供している。それは、活字書が刊行されてから点訳・音訳を行っていたのでは、その書籍が読者の手元に届くまでに数ヶ月を要してしまうため、活字書と同じ時期に読者に届けるためでもあるという。
 一方、社としての方針ではなく、筆者からのメールを受け取った担当者の裁量で判断していると窺わせるものがある。出版社Tからは、ホームページに公開されていたメールアドレス宛の筆者の申し込みに対して、電話で、提供できない旨の返答があった。その担当者の態度が、筆者の請求をまったく不当かつ常識はずれといわんばかりの横柄なものであったので、筆者は、今回のテキストデータの請求が調査を兼ねたものであり、G-COEの報告書に掲載されるものであることを告げた。すると、担当者は、その態度をさらに怒気を含んだ高圧的なものに硬化させ、社として検討する、と言った。そして、法務部の連絡先を示し、そこへ筆者から再度連絡するように告げたのであった。結果として、法務部からの返答においてもテキストデータを提供しないという判断が変わることはなかった。
 テキストデータを提供した出版社の中にも、それが担当者の裁量であることを窺わせるものがある。出版社Uに対して、筆者はテキストデータの請求を2回行っている。1回目は翻訳書であり、担当者から、このような依頼は初めてのことであり、他社での取り扱いがどのようなものであるかを筆者に問うた上で、テキストデータは提供された。2回目は、著者が日本人のものであり、その提供は容易だとし、その理由として、その書籍の編集を担当したのが自分であるためであることを記していた。
 さらに明確に、それが裁量であることを記していた出版社もあった。出版社Gは、前述のとおり印刷所主導で、テキストデータの提供に至った出版社である。そして、後日、筆者が、今後他の書籍についても同様の対応を希望する旨の依頼をすると、今回の提供が社としての判断を仰いでのことではなく、自分の裁量で行ったことであることがあかされた。そして、今後も提供するようにするが、担当者が自分ではないものや、あるいは、担当者が自分であっても印刷所が今回と異なるものについては、提供できない可能性があることを理解してほしい旨告げられた。

4.テキストデータの提供を困難にしている背景
(1)テキストデータの提供を困難にしている要素
 図1は、筆者の問い合わせに対する出版社の返答から、テキストデータ提供の可否と、その理由をまとめたものである★07。出版社が挙げた理由は、言及する内容に基づいて〈法的要素〉〈技術的要素〉〈コスト要素〉〈出版社内のルール〉の4つに大別した。出版社の挙げた理由は、便宜上この4要素の一つに振り分けたが、図1を見てわかるように、それらは明確にわかれるものではなく、互いに関連し重なり合っている。以下では、それぞれを概説する。

図1 各出版社の対応と、その理由
出版社名 する/しない理由
法的要素 技術的要素 コスト要素 出版社内のルール
提供する 明石書店
青木書店
現代書館
人文書院
ナカニシヤ出版
日本教文社
大月書店
青土社
生活書院
青弓社
昭和堂
東京大学出版会
◇個人利用にとどめることを約定の上で提供する
◇EYEマークを表示して、著作権の拡大使用について著作権者の了承を得ているので、提供できる
◇ここ数年の新刊については提供可能 ◇印刷所から請求された費用を読者が支払うことで提供する ◇テキストデータ引換券を添付しているものについては、提供する
◇活字書のままでは利用できない人のために、5年ほど前から提供している
◇障害を有するからといって、読みたい本が障害に関係するもののみというわけではないので、全点提供している
提供しない 早川書房
平凡社
法政大学出版局勁草書房
弘文堂
講談社
日本経済評論社御茶の水書房PHP研究所
世界思想社
新曜社
雲母書房
有斐閣
◇テキストデータは複製・改ざんが容易である
◇外部への流出の危険がある
◇電子商品として開発したもの以外は、著作者と出版社の権利保護の立場から、一切社外に出さない
◇点訳をするボランティア団体への提供はしているが、個人への提供はトラブル発生も考えられるため、行っていない
◇以前、同様の理由によって大学から依頼されたときには、契約書を交わして提供した
◇著作権者との契約によって許諾を受けている形態以外での副生物を作成して第3者に提供することは、理由の如何によらずできない
◇印刷用データの所有権が明確ではない
◇印刷用データは、印刷所にも権利がある
◇近年数年の新刊については提供できるが、それ以上古いものについては、技術的理由から提供できない
◇古い書籍については、データが保存されていないものもある
◇出版社と印刷所との間でのデータ買い取り価格の交渉をしていない
◇出版社が他の印刷所に持ち込んで再版や重版に活用することを懸念して、印刷所がデータを出すことを拒む
◇小規模な会社のため、社内に人的余裕がない
◇作業をする手間と時間がかかる
◇著作権者に許諾をとるための連絡をする手間と時間がかかる
◇印刷用データをテキストデータに変換する作業を、個別の依頼に応じて行うのは、今の環境では難しい
◇読者へテキストデータを提供する書籍の選定をしていない
◇活字書の販売のみを行っており、テキストデータの販売は行っていない
◇引換券を添付したもの以外は、提供していない
◇多くの人から同じ依頼があった場合のことを想定しなければならない

〈法的要素〉★08
 著作権法において、まず著作者は、著作者人格権と著作権を享有することを定めている(17条)。著作者人格権には、次のものが含まれる。公表権(18条1項)、氏名表示権(19条1項)、同一性保持権(20条1項)。また、著作権には、次に記す種類の権利が含まれる。複製権(21条)、上演権及び演奏権(22条1項)、上映権(22条2項)、公衆送信権等(23条)、口述権(24条)、展示権(25条)、頒布権(26条1項)、譲渡権(26条2項)、貸与権(26条3項)、翻訳権・翻案権等(27条)、二次的著作物の利用に関する原著作者の権利(28条)。
 著作者人格権は、著作者の一身に専属するものであり、譲渡することができない(59条)。これに対して、著作権に含まれる各権利は、その全部または一部を譲渡することができる(61条)。また、著作権者は、他人に対して、著作物の利用を許諾することができ(63条1項)、許諾を得た者は、その許諾で定められた利用方法および条件の範囲内で著作物を利用することができる(63条2項)。
 出版は、契約により著作物を利用する行為である。著作物を複製する権利を有する者は、その著作物の出版を引き受ける者に対して、出版権を設定することができる(第79条1項)。出版権者は、設定行為で定めるところにより、頒布目的で著作物を原作のまま複製する権利を専有する(80条1項)。これによって出版権者以外が複製を行うことが禁止される。
 出版社と著作権者との間で交わされる出版契約書の雛型として、日本書籍出版協会は「出版契約書(一般用)」を公開している。また、同協会は、近年の著作物の形態の多様化にともない、印刷出版以外の著作物についての契約にも用いられるよう「著作物利用許諾契約書」も作成している。これには、書名、年月日、著作権者と出版権者の住所と氏名、両者の権利と責任、契約の有効期間などが記されている。
 この場合においても、出版権者が、他人に対して、著作物の複製を許諾することはできない(80条3項)。しかし、著作物の複製については、次に記す特定の目的での使用に限って、著作権が制限される。ただし、この制限は、著作権にのみかかるものであり、著作者人格権にはかからない(50条)。私的使用のための複製(30条)、図書館等における複製(31条)、引用(32条)、教育の場での複製(33〜36条)、営利を目的としない上演等(38条)、そして以下に引用する点字による複製等(37条1項)の規定がある。なお、第37条1項の規定に基づく複製においては、著作物の出所を明示しなければならない(第48条1項1号)。

第三十七条
 公表された著作物は、点字により複製することができる。
 2 公表された著作物については、電子計算機を用いて点字を処理する方式により、記録媒体に記録し、又は公衆送信(放送又は有線放送を除き、自動公衆送信の場合にあっては送信可能化を含む。)を行うことができる。
 3 点字図書館その他の視覚障害者の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるものにおいては、公表された著作物について、専ら視覚障害者向けの貸出しの用若しくは自動公衆送信(送信可能化を含む。以下この項において同じ。)の用に供するために録音し、又は専ら視覚障害者の用に供するために、その録音物を用いて自動公衆送信を行うことができる。

 ここで規定されているのが点字と録音に限られているのは、①商業的に作成されても著作物の通常の流通と競合しにくいこと、②部数が少ないこと、③ボランティア等によって行われることが多く、営利事業として複製されるケースがほとんどないこと、などのためである。特に、点字を利用するのは、ほとんど視覚障害者に限定される。そのため、点字の複製に限っては、ボランティアではなく営利で行っても、著作者への通知も、著作権者に許諾を得る必要もなく、また、複製を行う施設についても制限はない。その一方、録音物は、晴眼者にも利用可能なものであることから、第37条1項3号に定める施設にしか作成が認められていない。
 また、弱視の児童・生徒の学習のために、教科用図書に掲載された著作物を拡大して複製することができる(33条2項1号)が、この教科用拡大図書を作成しようとする者は、あらかじめ当該教科用図書を発行する者にその旨を通知するとともに、営利を目的として当該教科用拡大図書を頒布する場合にあっては、補償金を著作権者に支払わなければならない(33条2項2号)。ここに、拡大して複製することが認められているのが教科用図書のみであることで、それ以外については禁止されることになる。

〈技術的要素〉★09
 ここで注目する技術は、活字組版から写植組版、そしてDTPへという大きな変革を続けている文字処理方式の技術についてである。組版とは、その言語の文字表記と一定の組版ルールに基づいて、1ページの体裁を整えることをいう。組版ルールとは、可読性を高めるための約束ごとであるが、絶対的なものがあるわけではなく、美的感性などにも依存している。
 長く、文字処理は、金属活字を用いる方法が一般的だったが、1910年ころ、写真植字機が考案され、1924年、石井茂吉と森沢信夫によって発明・実用化された。写植機の機構は、平面上に文字が並んだ文字盤をオペレータが手動で操作して採字し、印画紙またはフィルムに印字して文章を作成するものである。その後、写真植字機とコンピュータとを組み合わせた電算写植の研究開発が促進され、1970年代に入って新聞社、続いて大手印刷企業に導入された。オペレータには、組版知識と組版処理ソフトの習熟を必要としたため、その教育には、多くの時間を要した。1977年には、写研は、「サプトロン-G1」と「サプトロンAPS-5」を開発し、現在のアウトラインフォントの前身である写研の独自フォーマット「Cフォント」を採用した。また、1980年、モリサワは、「Linotron 202E」を開発し、モリサワ独自の組版編集ソフト「CORA」を搭載した。他方では、1978年に、東芝がワープロ「JW-10」を開発した。約3000字もあるキーの配列を覚えなければならない専用システムの漢字キー入力に対して、ワープロには「仮名漢字変換方式」による入力が採用されたこと、加えて、入力結果が画面でモニタでき、加筆訂正が容易であるというワープロのもつ特徴は魅力的だった。そこで、印刷業界では、ワープロデータを各専用システムに対応させるデータコンバートソフトを開発し、ワープロを電算写植の入力機として活用するようになった。これらの電算写植機にはコンピュータが用いられてはいるが、汎用性はなく、機器間の互換性も乏しい。そのため、当時、データやフィルムを出版社が管理するという発想そのものがなく、慣習として印刷所に置かれていた。
 この状況が技術の進展に伴って大きく転換し始める。コンピュータの高性能化とダウンサイジングの潮流によって、パソコン上で組版するDTP (Desktop Publishing) が普及し始めたのである。DTPは、1985年にアメリカで開発され、1987年ごろに日本に導入された。このようにパソコン上での組版が可能になったことで、印刷所だけでなく、出版社もDTPを導入するようになっていった。こうしてDTPが一般的になることで、出版社がデータを管理するという発想が芽生え始めた。
 ただし、現在刊行されている書籍において、電算写植がまったく用いられなくなったというわけではない。それは、初版を電算写植で組版した書籍では、重版に際してもそれを用いるからである。また、その出版社と古くからつきあいのある印刷所が、今でも電算写植を使用しているためという場合もある。しかし、利便性・汎用性からいって、新刊については、DTPソフトで行うことがほとんどになってきている。
 今日、広く用いられているDTPソフトに、InDesign(アドビ)とQuarkXPress (Quark) がある。これらのソフトには、作成した印刷用データをPDFやXML、txtなど、いくつかのデータ形式でエクスポートする機能がある。したがって、印刷用データからテキストデータを作成することそのものは、所定の操作で可能である。しかし、印刷用データには、フォントや段組などの指定、外字やルビ、図表や写真なども入っている。そのため、単純にtxt形式にエクスポートしただけでは、文字化けしたり、段組部分が入れ替わったりなどする。テキストデータを読者に提供できるものにするには、それを逐一手作業で修正しなければならない。

〈コスト要素〉
 書籍のテキストデータを読者に提供するには、DTPで組版した印刷用データから意図的にtxt形式でエクスポートする必要がある。しかし、単純にtxt形式でエクスポートしただけでは、文字化けなどが混在している。これを修正する作業は、パソコン上で行うものであり、専用のソフトを必要とするものではない。したがって、この作業のコストは、人件費のみである。
 また、初版刊行時の著作権者と出版社との出版契約は、印刷による出版のみを想定したものになっており、テキストデータの提供については含まれていない。そこで、読者へのテキストデータの提供にあたって、改めて著作権者の許諾を得なければならない。この連絡をとることがコストとして取り上げられる。

〈出版社内のルール〉★10
 視覚障害などのために活字書を読むことが困難な読者に対して、書籍中にその旨明記してテキストデータの提供を行ったのは、筆者の知るかぎり、1999年、石川准氏と長瀬修氏の編集によって明石書店から刊行された『障害学への招待——社会、文化、ディスアビリティ』が最初である★11。同書は、編者・執筆者に視覚障害のある石川氏と倉本智明氏がいたことから、ゲラ段階での著者校正に際して、印刷用データから作成されたテキストデータが用いられていた。おりしもこの時期、明石書店は組版をDTPに移行し、しかも印刷所ではなく自社内に導入を図った時期であった。つまり、明石書店内に電子データがあったのである。そこで、石川氏が長瀬氏に提案し、編者二人の希望として、読者へテキストデータの提供をしたい旨出版社に提案した。この提案に対して、明石書店にも、障害者に関する書籍を一つの軸としている出版社として何かできないかという意向があったこともあって、社長、編集者からは快い協力が得られた。そして、各執筆者に対して、テキストデータ提供の許諾の確認が取られた。最初は難色を示す執筆者もいたが、すぐに理解を得て、執筆者全員の合意が図られた。
 奥付に「テキストデータ引換券」を添付し、それを読者が出版社に郵送することでテキストデータを提供する方式は、編者と出版社との話し合いの中で決まっていった。ここには、その書籍を読みたいと思ってから音訳・点訳していたのでは、読者の手元に届くまでに数ヶ月を要してしまうが、誰でも読みたいときに読みたいのであり、また読めるべきだという考えが根底にある。しかし、出版社にとって書籍は商品であり、それを無料で提供するわけにはいかない。書籍を購入することが前提である。そこで、奥付に「テキストデータ引換券」を添付し、それを読者が切り取って出版社に郵送することで、購入したことの証拠とする。「テキストデータ引換券」はコピーしたものは認めないとすることで、それを受け取った出版社は、読者が書籍を購入していることを確認できる。こうして、出版社は追加費用なしで、テキストデータを提供するものとしたのである。

(2)出版社は、なぜテキストデータを提供しないのか
 書籍のテキストデータの提供は、組版を電算写植からDTPで行うようになったという、技術の変化によって可能になった。したがって、電算写植やそれ以前の組版技術で作成された書籍についてテキストデータの提供を請求しても、技術的に不可能である。まずは、この技術的制約が前提になる。ところが、DTPで組版された書籍に限っても出版社の対応は一様ではない。以下では、この点に守備範囲を限定して考察を行う。
 技術的に可能になったとはいえ、DTPで作成された印刷用データからテキストデータを作成する作業が必要であり、この人件費を、出版社、印刷所、読者の誰が負担するかが問題になる。出版社あるいは印刷所が負担するとした場合、この負担が利益を生み出すためのものではない以上、出版社・印刷所にとってはマイナスでしかない。ならば、読者が負担するとした場合、活字書と同額にするか、全額にするかが問題になる。活字書と同額の場合、活字書とテキストデータの売買における収益率が異なることの是非が問題になる。一方、全額を読者が負担するとした場合、活字書の価格を上回っても全額を負担するか、活字書と同額までにとどめるかが問題になる。また、同じ書籍のテキストデータの提供を請求する読者が、随時二人以上現れた場合の金額が問題になる。この時点では、すでにテキストデータは作成されているので、改めての作業は要しない。すると、一人目のみが費用を負担し、二人目以降は無料でよいのか。あるいは、二人目以降が現れる度に、支払と払い戻しを繰り返して、全員で等分にするなどということをするのか。また、等分した額が、活字書の価格を下回る場合の是非も問題になる。
 ほとんどの出版社が危惧する点として挙げたことが、そのようにして作成され提供したテキストデータの複製・改ざんおよび外部への流出であり、これが著作権法に抵触する点についてである。漫画家11人が、漫画を無断でスキャナーで読み取ってホームページに掲載されたとして提訴し、著作権侵害が認められたことが報じられている(読売新聞2007年9月14日 ネットで漫画無断掲載 永井豪さんら勝訴 2000万円の賠償命令/東京地裁)。また、近年、データ交換ソフトWinnyによるデータ流出も度々報じられている。このようにデータの複製・改ざん、外部への流出は、意図的になされる場合もあれば、事故として起こる場合もある。たしかに出版社の危惧は、故のないことではないのである。テキストデータを提供しないとする出版社は、この危惧をその決定要因の大きな一つとしている。
 同様の危惧は、印刷所から出版社に対しても向けられている。装幀とも関連して、印刷所によって印刷費用が異なる。そこで、印刷所から入手したデータを、出版社が他の印刷所に持ち込んで、再版や重版に活用することが考えられる。印刷所としては、みすみす利益を手放すことにもなるので、データを出すことを拒むのである。
 しかし、これは技術に規定されることであるだけに、今後の技術開発による解決も期待される。既に活用されている技術の一つに、ネットで配信した音楽データの録音・再生する機器や回数などを制限するDRM(Digital Rights Management) がある。ところが、このDRMも、関係するステイクホルダーの利害相反に遭って、その取り組みは一様ではない。すでに著作物のデータのネット上での配信・売買を実行している音楽業界において、アップルのスティーブ・ジョブズCEOは、アップルがDRMを使用するのは、レコード会社が義務付けているからだとして、音楽のネット配信におけるDRM撤廃が消費者利益につながると提案した。記事は、ここには、DRMの規格に互換性がないことによって、「iTunesストア」で購入した曲は「iPod」でしか再生できないというアップルの閉鎖性に対して、欧州で規制の動きが出ていることがあるとしている(読売新聞朝刊2007年3月20日 「ネット音楽にコピー制限不要」アップル提案、米で波紋)。そして、主要音楽会社としては初めて、EMIグループは、販売機会を増やしたいという狙いから、「開放戦略」に転換し、「iTunesストア」から、1曲当たりの価格を上げて販売することを決めた。これに対しては、「DRMを使わない音楽販売は論理的でない」「コピーが増えれば配信数は先細りしていくのではないか」という批判がある一方で、アップルに押されてきた他の携帯音楽プレーヤーメーカーの追い風になる、「iPod以外の機器でも音楽を再生できるようになることは、消費者のメリットになる」と歓迎する声もある(朝日新聞朝刊2007年4月4日 英EMI、ネットに開放 iTunesストアに「コピー防止」外して30万曲,読売新聞朝刊2007年4 月4日 英EMI、音楽コピー防止解除 利便性を重視 ネット販売増加に期待)。
 これは、著作権者および著作権使用者に、著作物を広範に頒布したいという意向と、それを拒む、相反する意向が併存していることに由来する。しかし、これは著作権使用者を介さない頒布を拒むのであって、著作権使用者を介してなされる頒布は、広範に行いたいのである。それは、日本書籍出版協会が作成した「出版契約書(一般用)」(2005年改訂)と、出版権設定は難しい場合として電子的利用を意識した「著作物利用許諾契約書」(2005年作成)の2種の出版契約書ヒナ型から読み取れる。同協会は、「出版契約書(一般用)と著作物利用許諾契約書の使い分け方法・相違点」を記しており、その一つとして、「電子出版やその他の二次的利用に対する取り決め」を挙げている(日本書籍出版協会2005)。これによると、著作物利用許諾契約書では、第2条および第3条で、出版者に「優先権」と「窓口権」を認め、「この規定によって、出版者は、自ら電子的利用を行うための優先権を得るとともに、著作権者が出版者の頭越しに第三者と電子的利用についての契約を結ぶのを防ぐことができます」としている。しかし、加えて「なお、この条項と同様の規定は出版契約書(一般用)でも、第19条から21条にかけて定められており、法律的にほとんど相違はありません。したがって、出版契約書(一般用)を利用する場合でも、上述の利用における「優先権」「窓口権」は出版者に認められています」ともしているのである。つまり、内容的には同じであっても、電子的利用を強く意識する場合には、よりいっそう明示的に「優先権」「窓口権」を規定しているのである。ここからは「出版者の頭越し」になされることを防ぎたいという意向の強さが読み取れる。電子データは、著作権者から提供されたものであろうが、出版社から提供されたものであろうが、複製・改ざん・流出事態の可能性は等しいだろう。にもかかわらず著作権者からの提供を防ごうとするのは、出版社は、著作物が自身を経由して授受されることで、販売利益を得ているのであり、経由しなければ利益を得られないためと考えられる。
 また、出版社に頒布が認められているのは、出版契約書に記された形態においてのみであるために、テキストデータの提供に際して、改めて著作権者の許諾を得なければならない。この連絡をとることが、コストだとされる。これは、現時点では出版社が負担している。しかし、これは、出版に先だつ打ち合わせにおいても、何度となく繰り返されてきたはずのことである。連絡をとるという同じ行為が、テキストデータの提供にあたっては、ことさらにコストとして取り上げられているのだ。ならば、ここで問題にされるべきは、同じ行為がこの場合においてのみことさらにコストとして取り上げられることの方である。ここには、費用対効果に則って、連絡をとるというコストがテキストデータの提供によって回収できるものではないという見積もりが前提になっているためと考えられる。
 以上、見てきたように、出版社がテキストデータを提供できない理由として挙げたそれぞれは、いずれも技術的・法的に規定されながら出版社の利益の問題へと回収されていく。ここには、出版社の視点のみで、読者の視点が全く欠落していることが指摘されなければならない。

5.まとめと提案
 テキストデータが提供されるのは、組版がDTPで行われた書籍に限られる。しかし、出版社・印刷所には、電子データであることによる複製・改ざんが容易であることと、外部への流出など提供後のデータの使途に対する危惧がある。この危惧は、これらが著作権法に抵触するというだけでなく、出版社・印刷所の利益を損なうことへの懸念に裏打ちされている。では、出版社の利益を保全するという枠組に立脚した上で、そこから遡って技術と法に対して、読者の視点を導入した改善策として考えられることを記す。
 まず、DRMの使用による著作権および出版社の利益の保護が考えられる。データ形式も、現在のようなテキスト形式だけでなく、XML形式も考えられるべきである。XML形式であれば、章や節といった階層などの構造情報、文字サイズや強調文字などの表現情報など、より多くの情報を含むことも可能である。また、XMLを活用したDAISY3にすれば、フィルターと称するソフトに限定して読むことも可能である(河村2003)。
 一方、DRMを使用しないことで、出版社の増益を図ることも考えられる。前述のEMIの方針転換は、このような考えによるものであった。また、石川は、著作権者の保護の観点から電子データに対するプロテクトを強調する主張に対して、著作権者に膨大な利益を与えてきたのは、大量に複製する複製技術によるものであることを指摘する(石川2004)。出版社が自社の利益を重視するとしても、DRMを使用せず複製を認めるからこそ得られる利益に着目し、方法を考えることも必要だろう。
 また、「複製」概念についても再考する必要がある。屋は、著作権法上、著作物を何らかの方法で有形的に再製する全ての場合を複製としているが、活字書を録音する行為が複製に当たるのは、晴眼者において妥当するのであって、視覚障害者には妥当しないとする。それは、複製とは、既に読める状態のものを、別の読める状態にすることをいうのであり、点字化・音声化は、視覚障害者にとって初めて読める状態にする行為であって、複製ではなく、読書の段取りであるというのである(屋1990)。屋が論じているのは、点字と録音についてであるが、これはテキストデータについても妥当する。しかし、現行著作権法では、37条で、点字と録音を「複製」と位置づけた上で、著作権が及ばないものとして制限している。これは、視覚障害者に点字と録音によって読むことを認めている一方で、点字と録音以外で読むことの禁止をもたらしている。37条を改正して制限規定にテキストデータやDAISY3を加えたとしても、それ以外を禁止することに変わりはない。著作権を保護するために、視覚障害など一部の人の文字情報へのアクセス方法を、規定された形式でのみ認めるクローズドシステムは、文字情報へのアクセスが困難な環境を準備する。これが、「読書障害者」を創出するのである。クローズドシステムを採用するのであれば、こうした弊害を踏まえた改正が要請される。さらには、1.で記したスウェーデンのオープンシステムの取り組みも忘れてはならない。
 以上に記したどの案も、出版社が挙げた理由の一部は解消するものの、一部の取りこぼしを伴っている。今後、さらなる検討が必要である。
 本稿では、4.で示した〈出版社内のルール〉、および電算写植以前の技術で組版された書籍については論及できなかった。また、本稿は、なぜテキストデータを提供できないのか、という問から立論された。しかし、同じ条件下にありながらも提供している出版社もあるのである。これに対して、なぜ提供できるのか、と問えば、また異なる立論が可能になる。ここでは、制度学派組織理論が分析枠組として有効と予想する。これらについては別稿に譲る。


01 今日、刊行されている書籍のほとんどは、活字で印刷されたものではない。したがって、厳密にいえば「活字書」ではないのだが、本稿では、一般的な用法にしたがって、印刷・製本されて出版社から刊行される書籍をそのように記す。
02 筆者らは、この負担を誰が担うかをめぐって発生した困難の1事例を報告した(植村・青木・伊藤・山口2007)。
03 DAISYコンソーシアム(Digital Accessible Information System Consortium)は、チューリッヒ市に事務局を置く、DAISY規格の開発と普及を目的とするNGOである。1995年に日本とスウェーデンの関係者の間で設立準備が始まり、1996年に日本、スウェーデン、イギリス、スイス、オランダ、スペインの6ヶ国で発足し、1997年までに、次世代デジタル録音図書の早急な開発を期待する主要な団体はすべて加入した。設立目的は、「普通の印刷物を読めない障害者」の要求を満たし、かつ全ての人にとっても便利な、持続性のある、デジタル録音図書の国際標準規格の開発を、開かれた標準規格のみで実現することである(河村2003)。
04 この方法に対して、研究倫理上の問題が疑われる。それは、出版社にテキストデータの提供を求めるにあたって、筆者が一読者として問い合わせており、調査を兼ねたものであることを告げていないこと、および、そのような問い合わせに対する出版社の対応を、出版社の許諾なく執筆に用いることの2点である。前者については、本調査が、研究目的に基づいて実施されたものではなく、調査に先だって筆者は書籍テキストデータを必要としていたのであり、自身の必要に従って出版社に問い合わせを行う過程で生じた疑問から研究目的が構想されたものであることが挙げられる。加えて、本研究が、同じニーズを持つ人たちに活用しうる資源を集積するという、実践的意図を含んだものであることをもって、その理由としたい。また、後者については、HP、つまり公に公開された購入申し込みフォームあるいはメールアドレスから問い合わせたものであり、それへの返答は、公への社としての態度表明であると解される。したがって、それをどのような目的で扱うかについて問題は生じないと判断した。これらの理由から、テキストデータ提供の可否については、社名を実名で記したが、背景を探索すべく繰り返されたその後の複数回にわたるメールの送受信の中では、筆者が調査を兼ねていることを告げ、またその担当者も「一個人としての意見」とことわった上で記してくださった内容も含まれているため、固有名は一律に匿名にした。
05 筆者が購入を希望した書籍は、病・障害に関係する社会科学の書籍がほとんどである。筆者自身が視覚障害者であり、それを理由にテキストデータの提供を求め、しかもその書籍の内容が病・障害に関係するものであるとなれば、これが出版社の対応に影響を与えたであろうことは想像に難くない。しかし、それは両方向のことが考えられる。一つに、前記の理由から、出版社が筆者の希望と必要性に理解を示し、テキストデータの提供をする場合である。また一つは、出版社へのインタビューの中で、ある出版社職員が語ったことである。病・障害に関係する書籍は、かならずしも発行部数が多くなく、出版社としては収益率が低い。そのため、たとえ1点でも、提供したテキストデータが流出や無断頒布されることで、いっそう収益を減じることへの懸念があり、テキストデータの提供には慎重になるとのことだった。繰り返し記しておくが、たとえこのような影響があったとしても、それは本稿の目的を何ら阻害するものではない。
06 EYEマーク・音声訳推進協議会は、視覚障害その他の理由で、活字のままの書籍を読めない状態にある人を「読書障害者」とし、その情報環境の改善のために、1992年に発足した民間ボランティア団体である。音訳・点訳・拡大による複製物の制作は、著作権法によって制限されているため、制作には著作権者の許諾を要する。同会は、この許諾を得る手続きに要する多くの労力と時間を削減するために、書籍刊行当初から、その書籍の奥付に「福祉目的の著作権一部開放」の趣旨を明記するよう、著作権者および出版社に働きかけている。そして、「奥付における福祉目的の著作権一部開放の許諾文例」として、以下の2例を示している。
「〔文例1〕営利を目的とする場合を除き、視覚障碍その他の理由で活字のままでこの本を読めない人達の利用を目的に、「録音図書」「拡大写本」「テキストデータ」へ複製することを認めます。製作後には著作権者または出版社までご報告ください。」
「〔文例2〕この本をそのまま読むことが困難な方のために、営利を目的とする場合を除き、「録音図書」「拡大写本」等の読書代替物への媒体変換を行うことは自由です。製作の後は出版社へご連絡ください。」(EYEマーク・音声訳推進協議会)

07 図中、各出版社ごとのテキストデータ提供の可否は、2007年8〜12月時点のものである。最新の情報は植村(2007)で更新していく予定である。関連する情報がありましたらwebmaster@arsvi.comまでお知らせ下さい。
08 千葉・尾中(2006)および斉藤(2007)を参考に、著作権法(2006年12月改正)を基に記す。
09 澤田(2007)とそこからリンクする澤田の著作のページを参考に、筆者の調査結果を加えて記述する。
10 ここでの記述は、2008年1月の高橋淳氏(生活書院)と石川准氏(静岡県立大学)へのメールによる問い合わせに基づいている。当該部分の草稿を両氏および明石書店へメールで送付し、指摘に応じた加筆訂正、および掲載の許可を得た上で掲載するものである。
11 筆者は、出版社もしくは著者から、テキストデータが提供される書籍のリストを作成し、HPに公開した(植村2007)。ここには『障害学への招待——社会、文化、ディスアビリティ』(1999)よりも以前に刊行された立岩真也著『私的所有論』(1997)が挙げられている。しかし、これは、パソコンで執筆した入稿時のテキストデータに、ゲラ段階での著者校正を著者自身が反映させ、それを、著者が提供しているものであり、出版社から入手したものではないことを、立岩氏から確認した。したがって、本稿における考察の対象からは、除外した。

参考文献
千葉直邦・尾中普子.2006.『六訂版 著作権法の解説』一橋出版.
EYEマーク・音声訳推進協議会「EYEマーク・音声訳推進協議会」.
(http://eyemark.net/index.htm, 2007.12.12)
深谷順子・村上泰子.2003.「デジタル環境下における欧米の視覚障害者等図書館サービスの全国的提供体制」『デジタル環境下における視覚障害者等図書館サービスの海外動向(図書館調査研究リポート)』1.(http://www.dap.ndl.go.jp/ca/modules/report/item.php?itemid=5, 2008.01.09)
石川准.2004.『見えないものと見えるもの—社交とアシストの障害学』医学書院.
河村宏.2003.「視覚障害者等図書館サービスにおける国際協力活動」『デジタル環境下における視覚障害者等図書館サービスの海外動向(図書館調査研究リポート)』1.(http://www.dap.ndl.go.jp/ca/modules/report/item.php?itemid=6, 2008.01.08)
日本書籍出版協会.2005.「出版契約書(一般用)と著作物利用許諾契約書の使い分け方法・相違点」.
(http://www.jbpa.or.jp/agreement-manual.htm, 2007.09.19)
屋繁男.1990.「視覚障害者の読書(=身体)と著作権 その私法的側面を中心に」『ソシオロゴス』14:179-199.
斉藤博.2007.『著作権法 第三版』有斐閣.
佐藤郁哉.2002.「学術出版をめぐる神話の形成と崩壊—出版界の変容に関する制度論的考察についての覚え書き」『一橋大学研究年報商学研究』43:73-140.
澤田善彦.2007.「澤田善彦 著作集」.
(http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?storyID=1476, 2007.10.28)
出版UD研究会.2006.『出版のユニバーサルデザインを考える—だれでも読める・楽しめる読書環境をめざして』読書工房.
植村要.2007.「テキストデータ入手可能な本」(http://www.arsvi.com/d/d03.htm
植村要・青木慎太朗・伊藤実知子・山口真紀.2007.「立命館大学における視覚障害のある大学院生への支援についての1事例(視覚障害学生支援の技法・2
障害学会第4回大会)」於立命館大学.
(http://www.arsvi.com/2000/0709uk1.htm, 2008.01.15)

(*本稿は、「出版社から読者へ、書籍テキストデータの提供を困難にしている背景について」(『コア・エシックス 4』所収)を加筆補正したものである)