あとがき

  この冊子の成り立ちその他については既に十分な説明がなされているから、ここには感想のようなことを少し記しておく。
  今でもよくわからないところがある。例えば私はたいへん簡単なことを言った。つまり、語りたい人が語るのはおおいにけっこうであるとして、語った結果よいことがあることをおおいに認めるとして、その上で、語ることが基本的によいことであるというその理由がわからない、私にはさほどよいことであるとは思えない、と述べた。だが、しかしなかなかその簡単なことが伝わらないことを感じた。それは技術的な問題なのだろうか。たしかにその要因は大きいはずだのだが、それだけでもないのかもしれないと思った。
  それは、例えばバイオエシックス、その訳語としての生命倫理学について、そこに置かれる前提を認めるのであれば、その後の論理は整合しており、辻褄が合っているのだが、しかしその前提がよくわからないというのと似ているように思われる。そしてその前提は、論が始まる最初に置かれ、その手前には理由もなにも存在しないようなのであり、それだけに「議論」をするということがなかなかに成立しがたいようなのだ。
  しかし、そこにとどまっていても仕方がない。できることをするしかないのだろうと思う。一つには、議論し難いとしても、それでもなんとかやってみること。私が最近やってみたものとしては、『唯の生』(筑摩書房、2009)の第1章「人命の特別を言わず/言う」がある。できるだけ「論理的」に話を進めてはみた。そしてもう一つは、技術的なことである。伝える仕組みを作っていくことだ。そのような仕組みとして、今回のような場がよいのか、あるいはまた別の仕掛けがよいのか、あるいはどちらもよいとして、どのように組み合わせ使い分けていけばよいのか、それらもまた考えざるをえないこととして、私たちにある。

立岩真也
(立命館大学グローバルCOE プログラム「生存学」創成拠点 拠点リーダー/立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)