まえがき

 本報告書は2008 年6 月7 日に立命館大学で開催されたシンポジウム「物語・トラウマ・倫理─アーサー・フランク教授を迎えて」の記録である。フランク氏の基調講演、4 名の大学院生による指定質問と研究報告、3 名の研究者による基調講演へのコメント、フロアの参加者からの質問とこれらすべてに対するフランク氏の応答からなり、巻末には関連資料が掲載されている。困難な生からの語りと、その語りに立ち合う研究者の倫理をめぐって、第一線の研究者たちと研究者の卵たちが真摯に語り合った貴重なひとときを、本書を通じて共有していただけるのではないかと思う。
 アーサー・フランク氏(カルガリー大学教授)は、ナラティヴ・アプローチで知られるカナダの著名な医療社会学者である。詳細は本書のサトウタツヤ氏による紹介に譲るが、今回は、立命館大学大学院先端総合学術研究科開講の集中講義(国際先端プログラム)の客員教授として来日された。フランク氏の招聘は、同研究科が中核機関となっている文部科学省グローバルCOE プログラム「生存学」創成拠点との連携も視野に入れたものであった。ままならない身体の変化や異なりとともに生きる人々の経験や語りの研究は、この拠点の柱の一つである。フランク氏は自らの切実な病の体験を通して患者の語りの重要性に着目し、医療社会学に新たな潮流を生み出した学者であり、そうした先達に親しく学ぶ機会を得たことは大きな喜びであった。
 「生存学」創成拠点主催の本シンポジウムでは、先端総合学術研究科のプロジェクト型教育の一環として、同研究科の院生たちが指定質問および研究報告をおこなった。集中講義の準備研究会に参加しながら、各自の研究テーマと重ね合わせつつ、セルフヘルプグループに参加するアルコール依存症の人々、犯罪の被害者や加害者、自死遺族といった、さまざまな苦しみのなかにある人々が、語ること、あるいは語ろうとしないことについて思索をめぐらせ、草稿を練り上げた。フランク氏の示唆に富む基調講演もさることながら、院生たちのフランク氏に対する真剣な問いかけにもぜひご注目いただきたい。
 シンポジウムでは、語ることや研究者が語りを促すことに基本的な信頼を置きつつ議論を展開するフランク氏に対して、コメンテーターや質問者たちは、語ることの意義を認めつつも、むしろ語ることの困難やリスク、「よい語り」への懐疑、また語らぬことの意義、語りを促し修復する(repair)研究者の誘導的なありように関心を寄せていたようだ。これらに対するフランク氏の応答も含めて、ナラティヴ研究の方法と倫理の核心に触れる問題群が本シンポジウムでは提示されたと思う。
 フランク氏が京都に滞在されたのは梅雨入り間もない頃であったが、空き時間には足繁く京都の神社仏閣や庭園を訪れて、その静謐なたたずまいを愉しんでおられた。フランク氏は質疑応答のなかで「生存学」の別名である“arsvivendi”にちなんで、語りはアート(芸術)であり、一般化を拒むところに美しさがあるといわれた。雨の石庭の美しさを語るフランク氏の姿を思い起こしながら、今その言葉をかみしめている。
 最後に本企画を支えてくださった関係者の皆様、特にコメントを下さった伊藤智樹氏、通訳の三田地真美氏、有馬斉氏、司会及び企画運営全般を支えられたサトウタツヤ氏、天田城介氏に、この場を借りて深く感謝申し上げたい。

松原洋子
(立命館大学グローバルCOE プログラム「生存学」創成拠点事務局長/立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)