セクションⅣ:解決? 行政から見た解決策、移民から見た解決策—オランダの市民化講習の事例から

新海 英史(名古屋大学)

 本稿では移民問題の解決策のありかたに焦点を当てる。グローバル化が進み、人の移動が激しくなる昨今、移民の受け入れ、そして社会的統合という課題を前にして、多くの国々ではその対策に苦慮してきたといえよう。とりわけ欧州においては移民の出入国管理の権限が欧州委員会(以後、EUと表記)や周辺各国の多国間協定による取り決めに左右されがちで、移民政策に関してその国独自の対応が取りにくく、移民政策の「国際化」や「EU化」の傾向が強くなっているといわれる(宮島、2004)。そうした現実の中で、近年、新たな解決策を志向しようとする興味深い動きが存在する。その動きは、国民国家による移民政策の「脱国際化」あるいは国民国家への権限の揺り戻しの流れとも捉えられる。実際、シェンゲン協定(1985年)やアムステルダム条約(1999年)の締結によって、出入国管理の権限をEUレベルに負託したり、移民政策にかかわるリスクをEU各国で分担する流れの中にあって、各国民国家は移民に定住促進講習の受講を義務付け、当該諸国の言語・文化習得を促し、それと引き換えに移民の入国ないしは定住を許可しつつある。
移民問題の解決策として注目をあびつつある定住促進講習ではあるが、これらの講習は、どのような問題背景から生まれ、いかなる政策目標を解決策として掲げているのだろうか。そして、移民政策の利害関係者たる移民と行政の双方の視点からみて、十分に「解決策」として合意されているのだろうか。それぞれが考える「解決」とは何かに注目しながら、議論の特徴や問題点を明らかにする。本稿ではこの点に関して、欧州において、そして世界の移民受け入れ国の中でも、定住促進講習の義務化を他国に先駆けて行ったオランダを事例に具体的な考察を試みたい。オランダという先進事例を扱う中で、移民の統合が持つ重層的な意味について議論を試みたいと考える。

キーワード:
市民化講習、解決、移民、ストリート・レベルの行政、オランダ

はじめに
本稿では移民問題における解決策のありかたとその主体に焦点を当てる。解決策は困難な状況を打開する意図があり、その主体は国レベルからミクロの移民レベルまで存在するといえる。例えば、国レベルで見てみると、グローバル化が進み人の移動が激しくなる中で、移民の受け入れ、そして社会的統合という問題を前に、その対策に国民国家は苦慮している。そういった文脈の中では国が問題解決の主体となって、新しい解決策が生まれる。とりわけ欧州においては移民の出入国管理の権限が欧州委員会(以後、EUと表記)や周辺各国の多国間協定による取り決めに左右されがちで、移民政策に関してその国独自の対応が取りにくく、移民政策の「国際化」や「EU化」の傾向が強くなっているといわれる(宮島、2004)。そうした現実を前にして、近年、この新たな解決策は国民国家による移民政策の「脱国際化」あるいは国民国家への権限の揺り戻しの流れを起こしつつある。実際、シェンゲン協定(1985年)やアムステルダム条約(1999年)の締結によって、出入国管理の権限をEUレベルに負託し、移民政策にかかわるリスクを加盟諸国で分担する流れの中にあって、あえて各国民国家は解決策として、移民に定住促進講習の受講を義務付け、当該諸国の言語・文化習得を促し、それと引き換えに移民の入国ないしは定住を許可しつつあるのである。
そして、この移民に対する定住促進講習は移民問題への解決策として象徴的に位置付けられつつある(Joppke, 2007)。とくに、移民の社会的統合の問題に解決の糸口を探るドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパ各国はもとより、長年多くの移民を受け入れ国づくりをしてきた豪州やカナダでも、こうした講習の効果や役割がますます注目されており、各国はトップダウンで政策の実施を決めてきた。たとえば、ドイツではオランダの講習をモデルに独自の統合プログラム(Integrationskurse)の実施を2005年に連邦レベルにおいて決定し、2007年より各州の教育省の指導のもと、EU域外の外国人定住者を対象に講習が始まっており、移民は300時間の定住講習を受講しなければならなくなった。ベルギーにおいても、2004年にオランダの制度を参考にした定住促進講習(Inburgeringstrajecten)がフラマン地方(オランダ語圏)でスタートし、移民は600時間の講習を受けることになった。オーストリアにおいては、2003年より統合契約(Integrationvereinbarungen)というプログラムが開始され、移民は75時間の講習を受けることが求められるようになった。デンマークでは、1999年より同様の講習が同じくEU域外の移民に義務化され、移民は最大2000時間までのデンマーク語を主体とする講習を受けている。またフランスではサルコジ大統領が内務相時代に、移民の統合へ向けた市民権政策の必要性を提唱し、EU域外からの移民を対象に、200時間から500時間のフランス語とフランス社会についての講習の受講を義務化した統合契約(Contrats d'accueil et de l'integration)の法制化をすすめた。またイギリスにおいては2005年より実施されている帰化希望者向けの市民権テストに加えて、2007年9月からEU域外から定住を目的に入国した外国人向けに英語の講習を中心としたプログラム(English for Speakers of Other Languages with citizenship course)の導入を発表した。一方、こうした講習は移民立国でも実施され始めており、オーストラリアにおいてはAMEP(Australian Migrant English Program)、カナダではLINC(Language Instruction for Newcomers in Canada)がそれぞれ連邦政府の指導のもと、各州別に再編成されたプログラムとして、定住予定の移民を対象に行われている。さらに、ここ日本でも外国人の定住要件の一つに日本語習得が義務付けられるようになるべきとする答申が法務省・外務省による共同タスクフォースから出されており、既存の中国帰国者やインドシナ難民への定住促進支援の枠を外国人労働者へも拡大する方針を打ち出している(法務省ホームページ)。
さて、このように解決策として注目をあびつつある定住促進講習ではあるが、これらの講習は、どのような問題背景から生まれ、いかなる政策目標を解決策として掲げているのだろうか。そして、移民政策の利害関係者たる移民と行政の双方の視点からみて、十分に「解決策」として合意されているのだろうか。国、ストリートレベルの行政、そして移民のそれぞれの主体が考える「解決」とその主体は何かに注目しながら、議論の特徴や問題点を明らかにする必要がある。本稿ではこの点に関して、欧州において、そして世界の移民受け入れ国の中でも、定住促進講習の義務化を他国に先駆けて行ったオランダを事例に具体的な考察を試みたい。オランダという先進事例を扱う中で、移民の統合が持つ重層的な意味についても議論を試みたいと考える。
本稿の構成は次の通りである。まず、定住促進講習が生まれた政策的背景を概観する。ここでは、オランダにおける「解決」の歴史とその変遷を追い、市民化講習が登場するまでの背景を整理する。とりわけ、この講習が登場する以前に、移民政策の分野においてどのような解決策が提示されてきたのか、政府による政策転換に注目しつつ、行政からの視点で整理を行う。そして、市民化講習について、その講習内容について概観する。ここでは筆者が2002年末から行ってきたフィールド調査の成果を踏まえ、ストリートレベルの行政官と市民化講習の受益者たる移民の両方の視点を紹介し、それぞれの意味する「解決策」と「主体」とは何か、検討する。最後に、両者の視点を比較し、重層的な解決策の在り方について議論を試みたい。

1 移民政策による「解決」の歴史とその変遷
歴史的にみると、東インド会社(VOC)を興すなど、オランダは実利を好む貿易立国として、多くの物的・人的資源を活用し、必要に応じて移民を受け入れてきた。そして「寛容」という基本原則を立てることで、相手国や異なる人々の内情には無関心・無関与を貫き、貿易・商業上の実利を追求してきた。結果として、その「寛容性」は今日、異なる文化・社会集団の間の共生を許容かつ促進する多様性の社会モデルとして、研究者だけでなく一般の人々にも幅広く知られている(Lijphart, 1977)。実際、歴史的にはオランダは「寛容」の名のもとに、古くはフランスから逃れてきたユグノーやベルギーからやってきたフラマン人商人や職人、そして19世紀中ごろに労働機会を求めてやってきたドイツ人労働者やユダヤ人商人に始まり、最近ではアジア・中近東の国々から多くの移民労働者や難民を受け入れ、自らの政治・経済制度に取り込み、積極的に活用してきた。またアムステルダムやロッテルダムといった大都市を訪問すると、官庁から商店街までどこでも移民の働く姿を容易に確認できたり、幼稚園や小学校といった学校教育の現場においては肌の色の異なる子供たちが一緒になって遊んでいたり、移民出身の職員や教員が公務に就いていたりするが、こうした現象もオランダが実利を重んずる「寛容性」の名の下で、結果として多様性が根付いていることを示している。そして国の代表的スポーツ、サッカーの代表チームにも人種の多様性が反映されており、実利重視の多様性が規範の現実となりつつあることを示している。
このように多様性の促進に寄与してきたとされる「寛容」であるが、政府による政策を詳細に検討すると、特に信条や宗教の異なる集団に対して「柱状化(Verzuilling)」を促す、つまり「集団としての組織化を認める」という解決策を通じて醸成されてきたことがわかる。17世紀、カトリック・スペインに反抗し、独立したこの新興プロテスタント国家において、信教の自由は基本的な国是であった。「柱状化」という解決策のもと、プロテスタント、カトリック、リベラル派、社会主義派、そして(規模は小さいが)ユダヤ系住民は、自分たちの社会組織を核とした小社会の形成を促された。各小社会には、新聞、労働組合、寄り合い、食料品店、会社、サッカークラブ、学校、政党があり、構成員はその小社会の枠を出ずに生活を営む一方で、小社会のエリート同士で、小社会の枠を超えた事柄について協議をおこなっていた。こうして、マイノリティであっても、自らの小社会へ参加することを通じて、間接的であれオランダ社会全体に参加することが可能になった(Lucassen and Penninx, 1997)。実際、この制度のもとでオランダは、スピノザやデカルトといった知識人、オランダに莫大な富やさまざまな工業技術の英知をもたらしたユグノーやフランデレン人のような職人や商人、そしてアンネ・フランクのような「普通」のユダヤ人の少女までもオランダ国内の小社会に受け入れられてきた。オランダ政府はそうした集団の組織化を促す制度を解決策として持つことに、自らの寛容精神の存在証明を見出し、多文化・多民族的社会としてのオランダのあり方を(たとえ消極的であっても)肯定してきたといえよう(Lucassen and Penninx, 1997)。
こうした集団に対する組織化という解決策は、第二次世界大戦以降の移民流入期においても、1980年代中ごろまでは基本的に維持されたと言ってよい。オランダには現在、(1)1950年代から1970年代にかけて来訪した、インドネシア、スリナム、アンティル・アルーバ諸島などからの(旧)植民地系移民、(2)1960年代から1980年代にかけて来訪し、やがて定住化したトルコやモロッコからのゲストワーカーおよび彼らの子弟、(3)1980年代後半以降、とりわけ冷戦後に世界各地で起きた紛争の過程で住む場所を追われ、オランダにやってきたアジア・アフリカの難民の三種類の移民がいる。オランダ政府はここでも彼らの代表組織(エスニック団体)や学校に対する助成金を出し、彼らのコミュニティ組織の強化に力を貸した。コミュニティが信託する人物をコミュニティにとっての公式アドバイザーとし、彼を政府とコミュニティをつなぐコーディネーターに見立て、そうした人材を政策過程の中で、政府およびコミュニティは共に活用した。この過程で移民の母語教育、宗教教育、放送局設置もあわせて奨励された(1)。このような制度によって、彼らのアイデンティティや文化実践を深め、それを通じて彼らのオランダ社会に対する愛着を強化させることが、この解決策には期待されていた。
しかし、1980年代後半になると、こうした組織化を促す「柱状化」という解決策にも大きな変化が起きる。というのも、政策の単位を「集団」としたこれまでの解決策には疑問符が付けられるような事態が起きたからである(Entzinger, 2003)。それは第一に、旧植民地系移民やゲストワーカー子弟の学校制度からのドロップアウトや労働市場からの失業が深刻化したことによって引き起こされた。このことによって、社会保障給付の割合が増加し、新たな底辺層を形成しつつあった彼らに対する積極的な労働政策の必要性が唱えられるようになった。いくら手厚い制度を準備したところで、基本的に移民の社会的上昇に寄与していないのであれば、それは無駄ではないかと考えられたのである。この過程で、移民のコミュニティと政府をつなぐアドバイザーの役割にも疑問符が付いた。アドバイザーは政府との結びつきによって、オランダの社会制度に参加する一方で、コミュニティの女性や子供は、オランダ語が分からず、オランダに適応できないままであることが、メディアによっても指摘され始めた。第二の変化としては、冷戦崩壊や民族紛争の多発をうけて、既にオランダに定住する移民を頼って本国から新たにやって来た「家族結合」(2)を目的とした移民、そしてオランダに自由や安全な生活を求めやってくる難民や庇護希望者が増加したことがあげられる。オランダに定住している移民の社会的上昇が進まない中で、新たに移民が大量に来訪すれば、福祉国家への負担がさらに増加する。こうした中で何か抜本的な解決策が必要なのではないかと政府当局に危惧させたことが、移民向けの市民化講習の導入の発端となったのである(3)。
そして、解決策をめぐるこれまでの試行錯誤を批判的に再検討し、移民向け政策に「自立」と「契約」の概念が本格的に登場する。1992年の政策科学評議会による報告書「市民権の実際(Burgerschap in praktijken)」、1994年の政府答申「エスニック・マイノリティ統合政策の概観(Contourennota integratiebeleid enische minderheden)」がそれである。これらの答申は直接的には1990代初期に存在した「マイノリティ論争」を踏まえている。「マイノリティ論争」ではボルケスタイン(リベラル右派)やミーロ(リベラル左派)ら政治家が、「イスラムの価値がヨーロッパの自由主義や民主主義的価値と反目することがあり、移民集団の文化的活動を是認するよりは移民一人一人に対して共和主義的な価値観を確認する必要がある」と訴え、それまでオランダ政府が堅持してきた移民の文化的アイデンティティ尊重方針の変更を主張した。一方、CDA(キリスト教民主アピール)のルベルス(当時、首相)はオランダ政治の中心にあって、そうした提案に対し、多文化主義的価値観の促進を可能にする「柱状化」支持の立場から反対の立場をとった。CDAのようなキリスト教系政党にとって、イスラム教徒は共に宗教教育の促進という面においては、共闘するパートナーであり、リベラル派のような世俗主義の考え方には批判的であった。しかし、サルマン・ルシディの「悪魔の詩(The Satanic verses)」論争や湾岸戦争直後の対イスラム言説の悪化に加えて、オランダ国内では移民制限を訴えた中央党(Centrum Partij)が1990年の下院議会選挙で初めて席を得たことによって、世間でリベラル派を支持する世論は強くなっていた(Entzinger, 2003)。また、この年にあった下院議会選挙ではCDAは票を減らしており、こうした状況下では、CDAはオランダが誇ってきた多様性や寛容といった価値観をこれまで通りに守っていくことに困難を感じるようになっていた。そして、1994年の下院議会選挙において、CDAは下野し、代わりにリベラル右派(VVD)、リベラル左派(D66)、そして労働党(PvdA)による紫連立内閣が発足し、柱状化路線を支持する政党が政権から去った。このことによって、移民が集団として自らの文化的実践に取り組むよりも、個人として社会に参加するほうが重要される政策が採りやすくなった(Entzinger, 2003)。 
そうした政治の変化は実際の政府答申にもよく表れている。まず、移民に対しては「市民権役務(Burgerschaps dienst)」の導入と市民権に関する講義の受講が新たに解決策として提唱されるようになった。そして1994年の政府答申では、それを発展させ、「統合政策」という政策標語が全面に登場し、「移民全体の社会・経済的地位の向上のために、個々の移民がオランダ社会、特に労働市場に参加することが重要」とされ、統合政策はその目的を達成する政策手段であるとされた。こうして、宗教や母国文化の実践を自らの共同体の中で営むことによってオランダ社会に参加したと見なすのではなく、オランダ語能力の獲得と共通価値の内面化を通して、移民がオランダ社会で自立した個人となることが答申の中で求められた。そのためには個々の移民が「Inburgering contract(市民化契約)」を政府と結び、自立に向けて主体的な責任を担うことが当然視されるようになり、「市民化講習法(Wet Inburgerings Nieuwkomers)」の導入への道が開かれた。その後、紫連立内閣の下で、1996年に市民化講習法(WIN)は下院議会で審議され、議論が積み重なれた結果、1998年4月に可決、そして同年9月に施行された。

2 市民化講習─解決策それとも妥協の産物?
さて、こうして導入されることとなった市民化講習ではあるが、本講習の存在はオランダの移民政策が柱状化路線をベースとした異文化尊重型から個人の社会統合を重点に置いた解決策に変わってきたことをよく示している。実際、市民化講習(Inburgering)という言葉そのものの意味は、「移民をBurger(市民)にするための講習」であり、移民の社会的統合、とりわけ公的分野(例えば、労働市場・教育・住宅のような重要な社会的領域)において、移民がマジョリティの市民たちと差がない状態で参加していることが目的とされている。ここでは移民個人を将来のオランダ市民として扱うことで、オランダ社会で生きていくために必要なスキルや素養を身につける重要性が正当化されており、リベラル右派・左派の目指す移民個人への政策対応への転換と、労働党の主張する移民に対する積極的な社会政策の妥協点が反映されている。リベラル右派の立場としては、移民がオランダ社会に参加するための基本的条件としてはオランダ語能力とオランダ社会に関する基本的常識が必須であって、オランダ語や社会常識が分からずにオランダの労働市場に参加することは現実的にないと主張した。一方、労働党にとっては、社会的弱者たる移民に対して積極的な社会政策を行い、彼らの自立就労につなげていく必要があった。そこで妥協点として導き出されたのが、仕事のスキルを学ぶためのツールとしてのオランダ語能力である。労働党の立場からは、オランダ語能力は就労教育の一環で行うべきとされ、その代わりに個人を対象とするリベラル右派の路線に歩み寄った。小党・リベラル左派は、両者の立場に妥協点を見出すことで、移民政策担当大臣のポストを担った(4)。結果として、3者間の妥協点として導き出された解決策では、市民化講習には3つの講習内容(オランダ語講習、社会化講習、就労支援)が作られることとなり、市民化講習法の規定によって、ROC(地域教育センター)、CWI(就職斡旋事務所)、自治体といった関係組織・諸団体が、実際の講習運営にかかわることとなった。以下、本講習の具体的な内容について、目的、対象グループ、講習段階、講習内容に注目して説明を加えたい。

目的:移民の市民化を可能にする。具体的には社会的統合を果たすための重要なステップとして、労働市場に参加できるようにすることが重要課題として挙げられている。
対象グループ:EU域外諸国より、1998年5月以降にオランダに永住目的で来訪した移民、難民(申請中の者でも部分的に可能)の中で受講が必要と定められた人々である。しかし実態を見ると、受講者は特定の集団に集中しているようである。具体的には、アムステルダム市における状況を示した下記の表(図1を参考のこと) にも明らかなように、トルコ人、モロッコ人移民の親族・縁者、中東・アフリカ地域からやってきた難民たちが中心となっている。彼らが入国し定住化できるのは、すでにオランダ国内に存在するネットワークを頼って来訪してきたからでもある(いわゆる連鎖移民現象)。もっとも以上のカテゴリーに入る人々すべてが講習対象者となるわけではなく、行政による一連の選別過程を経て、最終的に講習を受けることになるものの数はオランダ全体でも年間1万人程度、アムステルダム市内に限っても年間3000人程度となる。どのようにして選別されることになるのか、講習終了までの期間を4段階に分けて説明しておきたい。
通常、オランダへ入国する者は、出発する前にそれぞれの国にあるオランダ大使館にてオランダ入国ヴィザを申請しておかなければならない。オランダ入国ヴィザを取得し、無事にオランダに入国してから1週間以内に最寄りの外事警察と住民登録局に出頭し、滞在許可証の申請を行う必要がある。滞在許可に必要な書類を提出してから、しばらくの期間(数週間)を経て、もう一度、外事警察と住民登録局に出頭し、滞在許可証を発行される(第一段階の終了)。
市民化講習を受ける必要があると判断された移民は、この一連の手続きのプロセスが終了した段階で、講習受講のための審査を受ける手続きを始めなければならない。オランダ語の知識が皆無、ないしは低いこと、教育レベルの程度(学歴)が低いこと、対象年齢(18歳から44歳)にあたるかどうか、といった判断基準に照らして、最終的に受講者の資格審査が終わる。この資格審査は市民化講習調査局(Het Inburgerings Onderzoek)という機関で行われ、受講対象者になった場合はその場で「市民化講習受講契約書」にサインを求められる(第二段階の終了)。
これ以降は、「地域教育センター(Regionaal Opleidings Centrum:以下、ROC)」という機関において、オランダ語570時間、社会化講習30時間、就職支援に関する講習を受けることとなる。受講者は週4日程度、期間にして1年程度、ほぼフルタイムでROCに通い続けることとなっている(第三段階)。
必要時間数のカリキュラムを終えると年数回行われているオランダ語試験と社会化講習についての試験を受けることとなる。無事に受験終了し試験に合格すると、市民化講習調査局より受講終了証がそれぞれの受講者に発行される。この受講終了証の発行前後に「就職あっせんセンター(Centrum van Werk en Inkom)」において就職相談を受講者は受けることとなる。就職相談を受けた後、受講者はそれぞれの状況に応じて、次の道のりにすすんでいくこととなる(第四段階の終了)。

具体的講習内容について
さて、既に述べたように市民化講習はオランダ語講習、社会化講習、職業に関する講習の三つからなる。いったん受講者として認定されれば、移民は無料で受講出来るが、本人の都合によって受講開始時を遅らせたり変更したりはできても、受講の拒否はこのプログラムがもつ義務という性格上、基本的にできない。受講が免除されるのは、高等教育機関に留学や研究でやってきた者、そして既に十分にオランダ語を話し、安定した仕事を持っていると判断された者であるが、その判断は上で示したように、市民化講習調査局所属の担当官による裁量に任される。移民は最終的に受講者となると、ほぼフルタイムで地域教育センター(以下、原語表記に従ってROCとする)に通う。ROCは、各地域(アムステルダムでは各行政地区)に校舎や分校を持っており、移民は基本的に自分の居住地近くで授業を受けることができる。託児施設もそろっており、子供を抱える移民も乳母車を押して学校に行く。授業時間は個人の状況に応じて、午前9時から始まる午前講習、午後1時から始まる午後講習、そして夜7時から始まる夜間講習を選択できるので、仕事をしながら通学することも可能である。以下、オランダ語講習、社会化講習、就職支援について、その具体的内容を検討する。

オランダ語講習(Nederlands als Tweede Taal)
ここでは移民は570時間のオランダ語講習を受講する。「第二言語としてのオランダ語教授法」資格の取得者が教員となる。教員2人で1クラスを担当し、カリキュラムを組んでいく。授業では、読む、書く、話す、聞く力を平均的に伸ばすために、1つのクラスにつき15人程度に絞る。そして毎週小さな小テストが行われる以外にも、6週間ごとに受講者たち進度確認のテストが行われている。宿題の量は少なくなく、家庭での学習時間もあわせて確保されるようになっている。また授業に組み込まれる形で、パソコンを使用した自習時間が設けられており、移民はパソコンにインストールされている文法、リーディング、リスニング、スピーキング問題を自分のペースでこなすことになっている。パソコン学習の成果はその都度プリントアウトされて、教員による学習状況の判断にされる。講習の終了後には、オランダ語検定試験を受けならず、そこでの成績は修了証にも示される。ROCのオランダ語教育においては、レベルは1−6まで設定されており、2以下の初級クラスにいる者はレベル3を目指し、それ以上の者は、自分よりも上のオランダ語レベルを目指すものとされている。移民が自分の目指すべきレベルに到達しない場合は、講習の修了後に自費(場所にもよるが、半期で200ユーロ程度)で講習を続けることとなる。

社会化講習(Maatschappijlijk Orientatie)
ここでは、郵便制度、医療制度、政治・社会的常識、その他、オランダ社会で知っておくべきとされている基礎的な法律について講義を受ける。オランダ語のレベルが1−2のクラスについては、母国語でこの講習を受けることも可能で、そのためにトルコ系、モロッコ系などの移民出身の教員も存在する。授業では新聞記事を読んで議論したり、テキストを使って講義を行ったりと、教師によって内容はまちまちである。また、授業の一環として、全校レベルの行事も行われる。例えば、オランダの誇る芸術・美術文化を理解するために博物館、美術館、コンサートホール等に見学に行ったり、大型バスをチャーターして各地に遠足に行くこともある。筆者もこうした遠足に参加したが、さながら移民参加のツアー旅行に紛れた気分に陥った(写真を参考)。また市民化講習を受講する移民には、無料ないしは格安のクーポン券が配られ、これを使って自由に博物館や美術館に行くことができる。計30時間にわたる講習の終了後、理解度をチェックする試験(下記の教材例を参考のこと)が行われる。受講者はこれに合格しなければならない。

就職支援(Beroep Orientatie)
就職斡旋事務所から派遣されてくるカウンセラーによる講義と合計2回以上の就職相談がセットとなっている講習である。実際の講義では、オランダの労働市場について説明を受け、自分にあったキャリアーを設定するための方法や就職活動の仕方を学び、その後カウンセラーから直接カウンセリングを受ける。カウンセリングでは就職のために取りうる最も現実的なステップを中心に具体的な進言を受ける。例えば、母国で建築関連の業種についていた者で、建築家になりたいと主張する移民、そして母国の医学校に通っていた者でオランダでも医者を目指して頑張りたいと主張する移民には、より到達可能なゴールを設定するように促す。前者の場合だと、建設業関連であればどのような職種であっても構わないとする戦略に変えるように、そして後者の場合には医療福祉法人で一般スタッフとして働けるように目標を切り替えるようにカウンセラーはアドバイスをする。このように、オランダの労働市場の状況に鑑みつつ、できるだけ教育訓練機関が続いたり、失業状態が長引かない道を選択するように促される。   
これまで示してきたように、市民化講習には実に多くの人々が関わっている。上でも示したが、これは市民化講習法(WIN)によって規定されているところである(5)。法によって、ROC、就職斡旋事務所、自治体レベルで政策の調整を行う市役所といった公的機関に勤めるスタッフたち、いわゆるストリートレベルの行政官(教員やスタッフ)が職務を担い、移民が政策の受益・対象者となるのである。行政官と移民が国レベルの制度設計の通りに動くかどうかで、市民化講習は解決策ともなるし、逆に新たな問題を生むこともある。国はそうならないためにも、彼ら、いわば現場の人間を法という制度設計によって縛りをかける。その結果、現場の行政職員と移民は日常的に多くのコミットメントが求められるようになるのである。移民についていえば、例えば、1年程度の間は定期的に学校に通い、授業をまじめに受け、就職相談を受け、仕事を見つけるというコミットメントが契約書のサインの段階より求められる。そしてROCの教員やスタッフは移民がテストを受け、無事合格できるようなカリキュラムを作り、移民のオランダ語能力の底上げを図ることが仕事上、常に求められる。また、就職斡旋事務所に勤務する就職カウンセラーは移民が仕事を見つけることができるように具体的な手ほどきを行い、その仕事ぶりは常に評価の対象となるといった具合である。また一連のプロセス通りに移民及び現場の行政官が動くかによって、その年の予算消化、目標修了者数がクリアされれば、自治体は国から咎められることはない。このようにして、市民化講習の現場では、各自が求められたコミットメントを示す中で、自分たちにとってより良い解決策を日常的に志向している。そうした解決策は仕事上のものであったり、個人の状況改善につながるものであったりする。またその主体は組織のものであったり、個人であったりするが、ここではこうした多様な解決策のあり方を具体的に検討する。筆者は過去数年にわたって現場で聞き取り調査を行ってきたが、以下では、移民と行政官のそれぞれがどのような視点を持って市民化講習に接しているかを中心に明らかにしていく。

3 移民から見た解決策とは生活向上か、それとも?
ここでは移民の立場から見た市民化講習のありかたについて議論を進める。移民にとって、果たして市民化講習は「解決策」になり得ているのか、否か。市民化講習について思うことを率直に述べてもらった。彼ら移民は、国籍や宗教、そして出身階層も多様であるが、市民化講習においては語学レベルだけではなく、教育プロフィールという名のカテゴリーを重視したクラス編成を行っている。教育プロフィールには1−6があり、1−2は小学校・中学校卒業程度、3−4は高等学校卒業程度、5−6は大学卒業程度とされており、基本的に移民は教育プロフィールごとにクラス配分がされ、その上でオランダ語別のクラスに分けられる。こうしたクラス配分を行う理由としては、教育プロフィールが高い移民よりは、低い移民が潜在的に社会的弱者になりやすいからであり、より政策の対象にコミットしようとする態度の表れでもある。以下では、この二つのグループに注目し、教育プロフィールの高い移民とそうではない移民の両方の声を拾う。

教育程度の高い移民の声
韓国人女性Aさん(プロフィール6、30代前半)は韓国で知り合ったオランダ人男性を追ってオランダにやってきた。今年でオランダ滞在は四年目である。夫や友人とも日常的にオランダ語を話したりすることはない。市民化講習について率直な感想を聞くと次のように語った。
「そもそも強制的にオランダ語を学ばせるのはどうかしていると思う。彼とは英語と話しているし、オランダ語を話さなくてもやってはいける。でもちゃんとオランダ語を勉強するつもりはある。それには1年という期間はちょっと短すぎると思う。オランダ文化やオランダ語について勉強できるのはいいけれど、もっと長期間のコースが必要だと思う。この講習が修了したら、そういう学校を見つけて勉強したい」
彼女と同じくプロフィール5で、スーダン出身の男性Bさん(30代前半)は私の質問に答えてくれた。Bさんは難民としてオランダに来てすでに5年目である。Bさんの妻は同じスーダン出身であるために、家ではオランダ語を話すことはない。彼は言う。
「私は母国ではIT関連の技術者だった。ここ(オランダ)でも同じ仕事をしたい。だから専門領域におけるオランダ語の習得が欠かせない。この講習は日常会話とかについての授業が多くて、あまり役に立たない気がする。私が必要なのはA+やN+の技術に関係するオランダ語だ。この講習がおわったら、パソコンの資格技能についての試験をうけようと思うので、自分で勉強しないといけない」
将来、オランダの市民権を取得する意思があるかと聞くとBさんは言う。「今はない」と。
「オランダ人になるというのは言語の問題ではなく、彼らの文化をいかに理解するかであると思う。そもそもこの講習を修了したからと言って、オランダ社会でうまくやっていけるということにはつながっていかないと思う」。
別のケニア人男性Cさん(プロフィール5、20代前半)は言う。1年2カ月のオランダ滞在歴を持つCさんはまだ独身だ。彼はクラスでもおとなしかったが、学習態度に関する限り、先生の評価は高い。オランダ語を日常的に話す機会も持っていない。しかし、将来はオランダ国籍の取得を考えているという。彼は言う。
「市民化講習に参加することで、短い時間で集中して学習できる。それに同じような背景をもつ知り合いができるのはうれしい。進路相談も自分に適切だと考えられるものを尊重してくれるのがいい。とりあえず今のところは大学に進学したいなあと思っているけどね」
ブラジル人男性Dさん(プロフィール5、30代前半)はオランダに来てから三年半たつ。オランダ人のガールフレンドを持つDさんはオランダ国籍の取得も考えて、この講習に参加しているという。日常的にはオランダ語よりは英語を話す機会が多い。授業中は積極的に発言し、先生からの覚えもいいという。ポジティブな感想を期待して、市民化講習への評価を聞くと、彼はふと不満を漏らした。
「パソコンによる自習があまりにも多く、学校にわざわざ通っている意味が見出しにくい。もっと実際的なコミュニケーションの仕方を学ぶ場であってほしい。今はお店のアルバイトとかしているが、将来は自分で独立したいので、オランダ語はそのためにも重要なんだ」「オランダ語の上達を通じて、オランダ社会へのアクセスが広がってくるからね。別に魂までオランダ人になろうとは思っていない。オランダ人になりきらなくても、オランダ社会に溶け込むことができると思うしね」
ペルー人女性Eさん(プロフィール6、30代前半)はペルーで知り合ったオランダ人男性を追ってオランダに来て1年10か月がたつ。現在、この男性とはパートナーシップ契約を結んでおり、一緒に暮らしている。彼とは日常的には英語を話すことが多いという。先生によれば、Eさんはクラスでも一番積極的で、能力もあるという。彼女は率直に講習についての思いを質問用紙に書いてくれた。
「講習には満足している。無料だしね。でも、仕事に結びつくとかは期待できないね。進路相談も役に立たなかったし。オランダ語の授業については、すべて先生の力量次第であると思う。ある先生は授業がとてもクリエイティブであるけど、別の先生は本当に退屈でしかたない。先生と生徒の間に距離を感じるのも問題ね。もっと緊密であってもいいと思うわ。」
ルーマニア人女性Fさん(プロフィール6、20代前半)は母国で出会ったオランダ人の夫との結婚をきっかけにオランダに住みついた。既に2年4か月のオランダ滞在歴がある。夫や友達とは英語で話すことが多い。彼女は言う。
「講習は満足できる内容だと思うけど、あんまり整理されているようには見えない。だって、オランダ語のレベルが違う生徒がクラスに同じクラスに入れられてたりするんだよ。やっぱり、最初のレベル確認のテストがちゃんとしていないんだわ。進路・就職相談も市民化講習後の資格取得について何も具体的なことを言ってくれないしね。これは自分で見つけるしかないなと思った。」
コロンビア人男性Gさん(プロフィール6、40代前半)はオランダ人の妻との結婚によってオランダにやってきた。オランダでの滞在歴はすでに4年を超えている。彼は近い将来、オランダ国籍の取得も考えている。日常的にはオランダ語を話す環境にあり、オランダ語のレベルも中・上級はあったようだ。そんな彼は市民化講習に対してあまり積極的な価値を見出していないようである。彼は筆者がコメントを求めた際、こう答えている。
「コンピューター室での自習時間が多い。でもこんなの自分の家でもパソコンさえあればできると思う。それに教科書の内容が古くてあまり実用的でない気がする。ひょっとしたら民間のオランダ語学校に通っていたほうがマシだったと思う。」
トルコ人女性Hさん(プロフィール6、20代前半)はトルコ系オランダ人との結婚をきっかけにオランダに住むことになった。もう3年ほどオランダに住んでいるという。夫とはトルコ語で話すことが圧倒的に多い。よってオランダ語を学習する機会が乏しいとのことで、彼女はオランダ語の学習の機会が得られる市民化講習に対して非常に満足しているようだった。彼女は言う。
「オランダ語は日常生活で重要だと思う。ここでは生活に役立つ表現とか勉強できるしね。でも自分の意図しないレベルのクラスに入れられてしまうことはよくないね。前のクラスでは文法の解説もしっかりしていたけれど、今のクラスにはあまりバランスがないわね。進路相談だって、なかなか相談員とのアポがとれなくて苦労したわ。こっちから連絡してもいつも違う人が出て困った。」
以上AさんからHさんまでの思いを具体的に追ってみた。それぞれの移民が抱える現状や問題は異なっており、市民化講習が彼らの状況改善に直接的に貢献しているかどうかは不明である。しかし、うっすらと分かってきたこともある。それは、この講習の受講の結果、さらなる学習が必要だとわかり、行動を起こすものが多く、その際には現状を打開する責任主体としては政府よりは個人の役割が重要であると挙げている点が興味深い。たとえばAさんは講習の問題点を挙げながら、この学校で問題を解決するのではなく、講習修了後によりよい学校選択をすることで自分にとっての問題解決を志向しようとしている。またBさんはパソコンの技能に関係する講習が受けられない点を問題視しつつも、その解決策としては自分で講習修了後に勉強していかなくてはならない点を挙げている。Cさんは大学進学に希望を見出しているし、Dさんはオランダ人になりきらなくても(個人として)やっていける自信を持っており、市民化講習にすべてを委ねていない。Fさんはクラスの在り方に問題を感じつつも、結局は自分で勉強するしかない点に解決策を見出している。Gさんは講習内容がつまらなく、民間の学校に行くというオプションと比較しながらよりよい解決策を考えているし、Hさんはクラスによる内容の違いを把握し、問題点があれば、こちらから変えていく積極性を持っている。個人として問題を解決していくことができる人に教育歴が高い移民が多いのか、あるいは高い教育歴とグループ化された者に、そうした個人としての役割を期待されることが多いのだろうか。以下、教育歴の低い移民の声を聞くことにより、どのような違いがあるのか確認しておきたい。

教育程度の低い移民の声
ここでは教育程度の低い移民の声として、IからMまでを拾ってみたい。本稿ではプロフィール3以下の移民をそのように設定した。プロフィール3以下の移民の多くは中等教育を終えていない。筆者は市民化講習が彼らにとって解決策になっているのか。そしてどのような態度で講習に臨み、講習にどのような意義を見出しているのかを聞いた。以下、IからMまで順に解決策をどう語るのか確認しておきたい。
リベリア人男性Iさん(プロフィール1、30代前半)はオランダに難民としてやってきた。既にオランダ滞在歴は3年を超える。筆者が彼と出会ったのはオランダ語講習のクラスでのことである。彼と同じ授業をおよそ1か月受けて、その間に知り合いになった。授業中のIさんの態度は落ち着かず、なかなか目の前にある課題に集中できていなかった。そのことで先生からもよく注意を受けていた。クラスの中でも情報交換ができる知人がいないようで、授業中だけでなく休憩中もいつも一人で過ごしていた。そんな彼に「学校のこと、どう思う?」と聞くと彼はこう答えた。
「この学校はちょっとつまらないね。でもオランダ語そのものは本当にマスターしようと思っているんだ。だって仕事を見つけるのに必要だろ。でも、どこをどうしてやればいいのかなあ。実は先生に一方的にあれこれ言われると何をしていいのか理解できなくなるんだ。それにこのクラスでやっているような単純なオランダ語なんてわざわざ勉強するまでもないさ。もっと難しいものを勉強しないと、ここにきている意味がないじゃないか」
トルコ人男性Jさん(プロフィール2、20代前半)は親類に紹介されたトルコ系オランダ人女性との結婚をきっかけにオランダに来てすでに5年たつ。日常的にオランダ語を話すことはあまりないという。そして市民化講習の内容についてはあまり満足していないという。その理由をJさんは次のように記した。
「まったく満足などできやしない。同じクラスに3つ以上も異なったオランダ語レベルをもった生徒がいて、クラスはかなり混乱していると思う。そもそも一つのレベルについて、一つのクラスがあるべきでしょう。これでは先生はだれの声にこたえているのかわからない。ずっとオランダでやっていくつもりなんだよ。だからちゃんとしたオランダ語をマスターしているのが大事だと思う。このクラスをなんとかよくして欲しいけど、それは学校の問題もあるから自分だけじゃ解決できないなあ。」
シリア人男性Kさん(プロフィール2、20代後半)は難民としてオランダからやってきた。オランダに来てから既に5年の月日がたつ。家ではアラビア語を話すことが多い。授業にもまじめに出席し、宿題もよくこなしていると先生は述べている。市民化講習への参加動機は比較的高い。彼は言う。
「将来はオランダに帰化したいと思っている。帰化の申請の際にはNT2(オランダ語試験)でレベル2を突破しておかないといけない。はっきりいって、今のコースじゃ不足だよ。週4日では少ないと思っているのに、先生は休みがちで授業がキャンセルになったりする。このままの状況では試験が通らない。講習が終わっても仕事は見つからない。学校も先生に関して、ちゃんと対策をとって欲しい。」
モロッコ人男性Lさん(プロフィール3、10代後半)はベルベル系モロッコ人で、親族を追って2年前にオランダにやってきた。今は親戚と住んでいるので、日常的にオランダ語を話す環境にはいない。講習修了後には帰化申請の手続きを始めたいと思っている。彼はいう。
「講習には満足している。この学校の環境は勉強するにはすごくいいと思う。オランダについて知らなかったことも学べるし、知り合いもたくさんできる。もっと一生懸命に勉強したらオランダ語もうまくなれる気がしている。将来はビジネスカレッジに行って、ホテルマンの資格を取って働きたい。そしてオランダ国籍もとりたい。」
トルコ人女性Mさん(プロフィール2、20代前半)はトルコ系オランダ人の夫との結婚によってオランダに住むことになった。1年3か月前からオランダにいる。家庭では基本的にトルコ語を話すことが多く、オランダ語を上達する機会は学校以外にはない。講習について彼女は次のように自分の思いを記している。
「私はオランダ語ができないけど、話せるようになりたい。だって自分が今住んでいる国ですからね。だからオランダ語の勉強をすることは大事だと思う。でも学校にもちょっと問題があると思う。たとえば、もっと会話の練習をする機会をつくってほしいなあ。先生はなんだか自由すぎて、厳しくないのも問題ね。ちゃんとしたクラス分けをやって、自分のオランダ語レベルにあったクラスで授業を受けることができるといいと思う。将来、オランダ語がうまくなったら、仕事とかも見つけやすいと思うから、何とかしてほしい」

解決を志向するのは移民個人か、それとも?
一見すると、高い教育プロフィールを持つ移民とそうではない移民の差は本稿で示した語りのみでは見出しづらい。ただ、フィールド調査における印象論を踏まえて論ずるとすれば、やはり問題解決における個人の果たす役割を重視ないしは当然視し、そのために行動を起こすことができる移民には、教育プロフィールの高い移民が多かったように思われる。逆に、教育プロフィールの低い移民には、そうした強い意志は言葉の問題もあってか、私には強く感じられなかった。そして、そうした強い意志の欠如は、ここで紹介したプロフィールの低いとされた何名かの語りにも見出せるのではあるまいか。例えば、Iさんは講習への期待を持ちながらも、実際の授業には十分に参加できていない。先生からも注意を受ける中で、「どこをどうしてやればいいのか」、「何をしていいのか理解できなくなる」様子を一生懸命に語ってくれた。またJさんについては講習の運営のありかたに不満を覚えている。クラスには様々なレベルの学生がおり、混乱している。そうであるにも関わらず、何も対策が取られることはない。Jさんも講習の意義を認めつつも、結局のところは解決の主体は学校側にあると指摘するに留まっている。またMさんはオランダ社会で生きていくには、オランダ語の習得が欠かせないとする。そしてそのためには厳しい先生が必要で、担当してもらっている先生では自由すぎると不満顔である。彼女は自分の学習によってオランダ語能力を向上させるよりも、学校がより厳しいカリキュラムを導入すべきと主張することで、問題の解決の主体がどうも個人ではなくなっている。
このように、問題の解決とその主体という点に注目してみると、移民の間にも差があることが見えてくる。プロフィールの高い移民に比べて、そうではない移民は問題解決の主体を個人よりも周りに置いているように見える。市民化講習は本来、問題解決の主体としては個人に重点を置いて作られたものであり、プロフィールの低い移民を潜在的な社会的弱者として設定し、現場も動いているはずであった。そうであるのに、逆にプロフィールの高い移民が政策の期待通りに行動する様を前にして、行政は行政でどのような問題に直面し、その解決を志向しているのか。以下では行政、とりわけ、ストリートレベルの行政官の役割に注目し、彼らの現状認識や解決策のありかたに議論を絞って話をすすめたい。

4 現場の職員による現状認識あるいは解決案
移民にも置かれた状況や教育背景によって、解決策のありかたやその主体には違いがあることがわかった。とりわけ、教育プロフィールの高い移民とそうではない移民には、問題解決のありかたについて違いが見出せる。そうした違いを前に、移民を相手に仕事を行っている職員やスタッフは、どう接しているのか。彼らから見た場合には、市民化講習の何が問題で、どうすれば解決策になりえるのか。またその主体は誰が担うのかといった問題を、ここでは現場の現状認識を手掛かりに検討する。数々の問題群の中でも、筆者のフィールド調査に明らかになったものとして、「ドロップアウトが多いこと」「教員のモラール問題」「就職カウンセラーのメンタリティ」「予算配分の政治」に注目して議論を展開することとする。

ドロップアウトが多いこと
まず、行政組織や関連諸団体に属するどの人々からも聞かれた点として目立ったのは、移民によるドロップアウトであったといえる。アムステルダム市においても約20%の移民が講習を修了することが出来ずに学校を去るという。そうした問題を前に、ROCに勤める教員はもとより本講習の実施責任全体を統括する自治体の責任者も、ドロップアウト問題の解決を訴えた。もっとも教員とそれ以外の人々の間には、その解決策の内容では一致を見てはいない。例えば、予算執行を担当する自治体の責任者には、無料で提供しているフルタイムの講習で、就職への道のりまで示しているのに、肝心の移民がその機会を自分から絶っているとする意見が多かった。そのような中で、何か改善策があるとすれば、それは彼らではなく、より移民に近い現場側、つまり教員側にあるのではないかとしていた。一方、自治体よりも移民に近い現場にいるとされる教員の主張は次のように展開する。そもそも、問題を抱える移民を相手に相談にのり、幅広い選択肢の中から彼らが自主的に講習を選び取ることができるような制度作りが必要で、現状の制度枠組みでは時間数も予算も足りずに、必ずしも実現できていない。そうした制度枠組みは自治体や国レベルで設定したものであり、教員はドロップアウトの非を一方的に背負うのはフェアでないとするものである。このように、ドロップアウトという問題の解決の主体に関する限り、自治体と教員どちらもが、鍵は自分以外にあると期待する中で、状況打開がされていない様子が見て取れる。

教師たちのモラール問題
ドロップアウトの問題に解決が見られない中で、自治体の責任者や就職斡旋事務所の職員からは、ROCそのものが問題の解決を阻害しているとする声があいついだ。というのもROCの教員の間では近年、遅刻、早退、さぼりなどの問題行為が横行しており、これが受講者たる移民のモラールに影響していると判断されたのである。こうした指摘に対して、教員側から反論としては、現在進行中のROC全体の機構改革の影響を受けて、スタッフの数も減らされる状況にあって、仕事に集中できない環境がある。教員も増え続ける仕事の量を前に困難を抱えており、一教員でどうにかなる問題ではないと主張する。つまり、教員側からすれば、重要な役割を担っているのに、その分の評価を受けていないのである。それどころか、自分たちの雇用が安定していないのであれば、それは受講者たる移民にも悪影響を及ぼす。これこそが大きな問題であって、その状況を解決するのは、政治のリーダーシップであって、現場の職員ではない。実際、教員の多くがパートタイムで他に仕事を抱えながら教えている人々が多く、そうした彼ら教員の努力によって、移民はオランダ語能力を身につけ、自立を果たしていく。ドロップアウトの責任を教員に負託するのではあれば、同じように就職斡旋カウンセラーの役割にも目を向けるべきとし、就職カウンセラーのメンタリティを問題視した。

就職斡旋カウンセラーのメンタリティ
市民化講習の最終目的は、移民が労働市場で自立することにある。しかし、ROCの教員やスタッフからの聞き取りでは、就職斡旋カウンセラーの多くが比較的、短期的な視野にたって助言を行っているし、そのように仕事をするべく指導を受けているために、移民たちの希望する職種を結果的に否定することがあるというものである。これについては、カウンセラーが抱えている仕事の量、斡旋カウンセラーの業務評価制度とも関連があり、単純に彼らカウンセラーの問題とはいえないとカウンセラーは述べる。移民を失業から救うという美名のもとに、移民を特定の職種(3K)に追いこむという教員らの指摘に対しては、就職斡旋のカウンセラーは一様に労働市場の厳しさが大きな原因であるとする。いくら移民たちの為に仕事先を確保しようと、会社等に連絡・折衝しても「彼らのオランダ語能力は絶対的に不足している」「本国で得た資格はオランダで認知されていない」と言って、採用担当者たちはなかなか首を縦に振らない。これでは移民たちが頑張って講習を終了してもその後の行き先がない、と雇用慣行と労働市場の硬直性を問題視していた。このような問題であれば、カウンセラーの努力の範囲を超えた問題であるとする方法で、問題解決の手段も主体も自らの外にあるとした。

予算配分の政治
そのような中で、予算配分の問題がフィールドワークの中で明らかになった。その問題は二つあり、一つは市民化講習の運営内部からの異議申し立てであり、もう一つは運営外部からの異議申し立てであった。運営内部としては、ROCのスタッフからを不満を聞くことが多かった。ROCは生涯学習の提供機関であるが、移民のオランダ語到達度を第一のプライオリティにおいて教育を行うとすれば、現在ROC(地域教育センター)がもらっている予算では少なすぎるというのが、主な言い分であった。この不平不満について、予算配分の責任主体である自治体の社会発展局(筆者訳(6))に聞くと、その指摘は間違いであり、ROC(地域教育センター)の業務・管理能力こそが問題の核心として切り捨てた。予算の用途と管理の形態についての理解に運営サイドでもギャップが存在することが明らかになった。
もう一つは、市民化講習の運営外部からの異議申し立てであった。講習運営には直接参加していないものの、移民・外国人行政の要の一つである「多様化・統合センター(筆者訳(7))」の間で市民化講習の運営方針について議論が起きているというものであった。彼らは柱状化路線の元で作られた移民組織と行政をつなぐ要の役所で、市民化講習の実施以降、市政の中での位置取りに苦心しているという。そんな中で、彼らは移民の声を代弁するという立場から、ROCは移民たちへの社会統合プロセスを容易にするためには、オランダ語教育への投資が今以上に必要であるし、教育と労働の結びつきについても他の部局を巻き込んで新たなカリキュラムを設定する必要があると進言している。それに対して、市民化講習の元締め、社会発展局の見解は移民が社会の中で個人として生きることが出来るための最低限の知識、常識を身につけることが目的であって、それ以上の事柄については移民自身が決めるべきであるので、現行の制度の運営に集中すべきだとしている。一方、市民化講習の運営に参加はしていないものの移民・外国人行政についての様々な政策提言を行っている多様化・統合センターは、移民たちの社会統合に結びつく制度作りを提唱しており、しばしば社会発展局に意見書を送っている。これらの異なる組織間での見解相違が存在する事実は、すぐに市民化講習の実施に弊害を起こすものとは考えにくいものの、今後の動向次第では講習の再編成にもつながりかねないだけに、今後の動向についても目が離せない。
このように見てくると、移民側での問題解決には、教育プロフィールの高い移民とそうでない移民の間に興味深い違いが見出せる可能性があるのに対して、行政機構で働く職員ら、いわゆるストリートレベルの行政官はより組織政治に取り込まれているように見て取れる。実際、自治体の責任者は、移民のドロップアウト問題を移民自身と彼らとの接触が多いROCの教員側に求めた。そしてROCの教員らのモラールが問題の一部と捉えた。一方、ROCの教員は、組織環境の変化のせいで、そうした問題が起きており、むしろ改善されるべきは政治的リーダーシップとした。また同時に、ROCの外にも問題があり、その一つとして就職カウンセラーの問題を指摘した。一方、就職カウンセラーからすると、移民の就職に向けて取れる策は尽くしてあり、現実的には彼らの手に負える範囲を超える問題とした。こうした問題に輪をかける形で、ROCおよび柱状化路線の名残の組織である多様化・統合センターによる異議申し立てが存在しており、目前の問題解決が阻まれる様子は、まさに組織政治の現れと理解できよう。

5 解決の主体─トップダウンかボトムアップか?
本稿ではオランダの市民化講習を事例に、移民問題における解決策のありかたとその主体に焦点を当ててきた。解決策には目の前の困難な状況を打開する意図があり、解決の主体は国レベルからミクロの移民レベルまで存在し、その視点は多様である。はたして市民化講習の場合で見たとき、国、移民、ストリートレベルの行政が考える解決とその主体は何だっただろうか。そして、当事者の間で市民化講習は十分に「解決策」として合意されていたのだろうか。以下、国、移民、行政の順に問いを振り返ってみよう。
国レベルであるオランダ政府からすると、この講習は移民問題の画期的な解決策となるはずであった。それまでの柱状化路線とは一線を画したこの新たな取り組みは、移民個人と行政の双方に大きな責任を求めた。この講習では、問題の解決の主体として移民個人の役割がはじめて重視された。そして、移民が自立できるように、オランダ語講習570時間、社会化講習30時間、就職支援をセットとした講習が作られた。この講習の導入は政治主導のトップダウンで行われたが、そこにはオランダ国内の政治変化があり、講習の内容も政治の妥協点として見出された。そして政治によるトップダウンの政策導入の結果、市民化講習では受講者たる移民と行政サービスの提供者たる現場のスタッフに強い行動の枠を設けられた。そうした行動の枠の中で、ミクロレベルにいる移民とミクロと国をつなぐ行政はそれぞれが与えられた状況をよりよくしようと、自らにあった解決策を見出そうとしていた。
また、移民にとっては、オランダ社会で自立に活用できることが解決策となるはずであった。しかし、現場におけるフィールドワークで明らかになりつつあるのは、その問題解決の主体たる移民の状況も多様であることだ。かろうじて言えるのは、教育プロフィールの高い者とそうではない者の間に差が存在することである。教育プロフィールの高い移民は、講習の効果を現実的に判断し、市民化講習後の道のりに向けて状況打開が図られることが多かったのに対して、教育プロフィールの低い移民は、どちらかといえば、自分以外の要素ないしは環境に未来を委ねてしまっているところがあった。市民化講習が本来、こうした教育プロフィールの低い移民を潜在的な社会的弱者と捉え、その底上げを図ろうとしている中で、この状況は問題として認識されるべきである。
しかし、そうした中にあって、肝心の行政サイドでも、そもそも何を問題とし、それが何によって引き起こされたかを巡って一致点を見出していない。実際、ROCとそれ以外の組織に所属する人々の間で、組織政治的な視点による状況定義が垣間見られ、問題解決どころか状況改善になかなか繋がっていかないことが確認された。解決の主体として、移民個人の役割や可能性を十分にサポートしてきたと自負するROCにしても、現実的には組織再編の中にあって、問題解決の主体としての認知度は低い。ドロップアウト問題への対応に見てとれるように、問題解決のカギは自分たちの外にあると指摘するCWIのスタッフにせよ、予算配分に異議を申し立てを行うROCと多様化・統合センターのスタッフにせよ、端的に言って組織政治に取り込まれていると言っても、言い過ぎではないかもしれない。
このように国レベルからミクロレベルまでを概観してみると、移民個人の解決策、行政による解決策、そして国レベルの解決策とその意味するところが必ずしも一枚岩ではない状況が見て取れる。国からみた解決策も、移民で社会的弱者になりうる個人の立場から見れば、十分に状況の改善につながってはいないし、既に市役所の部署の一部からの異議申し立てがなされつつあることから分かるように、彼らの自立を後押しすべき行政現場も混乱しているように見受けられる。トップダウンで導入した政策が足元では、どうやら解決策のあり方をめぐって揺らいでいると言えはしまいか。このような事態を解決すべく、移民自身の歩みやイニシアチブを重視し、ボトムアップで移民を講習の運営に参加することは本当にできないのだろうか。多様化・統合センターや市民化講習の修了者を講習運営に取り組むことで、移民たちの異議申し立ての手段が確保されるのではあるまいか。教育プロフィールの低い移民がドロップアウトせずにすむような講習のありかたが求められている。移民政策が大きく転換した中で、そうしたボトムアップの解決策を志向することができるのか、市民化講習をめぐるこうした足元の現実から移民(統合)政策のありかたを問い直していくことが求められよう。


(1)久保幸恵(2000)、松浦真理(1996)、小林早百合(2005)には、放送局設置、学校教育、母語教育の分野において、柱状化路線下のオランダ移民政策について事例分析がなされており、オランダの移民政策の過去の遺産について詳細な議論が展開されている。いずれも重要な先行文献ではあるが、市民化講習導入前後の政策変化については小林の著作を除ければ、リアリティを十分に捉えてきれていない感がある。
(2)家族結合を目的とした移住には、若い世代による婚姻及び家族形成(Family Formation)と既にいる家族に合流する家族結合(Family Reunification)の二種類があるが、ここでは両者を含むものとして扱う。
(3)Vermeulen(2000)を参照のこと。
(4)Fermin(1999)は移民政策における政党の言説変化を詳細に追った。そこでは移民政策の方法論や何を重要な問題とするかについて、各政党間に収斂傾向がみられるとしており、本稿でもその議論を採用した。
(5)市民化講習法の条項には第1条から第26条に至るまで、事細かに各自治体、組織、団体、移民個人が果たすべき役割や責任が示してあり、市民化講習に関わる主体を基本的に順守するものとされている。
(6)アムステルダム市庁の場合、Dienst Maatschappelijke Ontwikkelingと呼ばれる局の中の一セクションである「教育と市民化Educatie en Inburgering」が市民化講習の運営・管理を行っている。
(7)Adviesraad Diversiteit en Integratieというセクションはアムステルダム市庁がアムステルダム独自の多様化政策を打ち上げる際に、2004年にそれ以前に存在したMindeheden Adviesraadという移民組織支援のセクションを廃止し、新たに作った機関。主に移民行政についての諮問機関としての役割を果たす。

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