セクションⅢ:コンフリクト カナダはどのような意味で多文化主義的なのか? —多文化主義のユニナショナル・モデルとマルチナショナル・モデルの検討

石川 涼子(1)(早稲田大学)

1. 序:二つのカナダ像
カナダでは、1971年に当時のトルドー(Pierre Elliott Trudeau, 1919-2000)首相が、カナダ議会下院にて世界に先駆けて多文化主義宣言を行った(2)。国として多文化主義に積極的に取り組む決意を述べたこの宣言は、後にカナダ多文化主義法(Canadian Multiculturalism Act, 1988)に結実する。この宣言によれば、多文化主義政策の導入には四つの目的がある。

1.
エスニックな文化集団(ethnocultural groups)の文化的発展を援助すること
2.
エスニックな文化集団のメンバーが、カナダ社会へ完全に参加するための障壁の克服を援助すること
3.
すべてのエスニックな文化集団の間での創造的な接触と交流を促進すること
4.
新しいカナダ人たちが、カナダの公用語のうち、少なくともひとつを習得するのを援助すること(3)

 カナダが国是として多文化主義を掲げていることは、この宣言をきっかけに広く知られるようになった。だが、その内実についてのカナダ国民によるコンセンサスは、実際にはない。人々の多様性を尊重することは多くの市民が受け入れているが、それをどのように具体的な政策に反映させるのかについては、意見の一致はないのである。
そのことをよく示す一例として、カナダでは、カナダの多文化状況についての二つの理解の伝統があると言われる。ひとつは、カナダは多文化主義的な《ひとつのカナダ・ネイション》を有しているという理解であり、このような見方をユニナショナル・デモクラシー(uninational democracy)と呼ぶ(4)。この理解においては、カナダ全土を覆うカナダ・ネイションは、カナダが持つ国境線と同じ枠組みを持つため、ネイションと国家とが同一である。もうひとつは、一国家内にネイションが複数存在すると考えるマルチナショナル・デモクラシー(multinational democracy)という理解である(5)。マルチナショナル・デモクラシーにおいては、前者と同様に、カナダ全体を覆うネイションもあるが、そのなかに、例えばケベコワ(Québécois)や先住民といった内的ネイション(internal nations)が存在するとみなされている(6)。この概念においては、ネイションは国家とは必ずしも結び付かない。ウィル・キムリッカ(Will Kymlicka)によれば、ネイションとは「制度化がほぼ十分に行きわたり、一定の領域や伝統的居住地に居住し、独自の言語と文化を共有する、歴史的に形成されてきた共同体」を意味している(7)。この定義によれば、ネイションは、たとえば日本国民という意味での国民の総称としての集団だけではなく、上記の内的集団のような国家よりも小規模の集団も指す。
 カナダには単一のネイションがあるとみるか、あるいは複数の内的ネイションが存在するとみるか、いずれのモデルを採用するかによって、多文化主義政策の在り方は大きく異なることになる。たとえば、カナダの政治学者、アラン・ギャニオン(Alain-G. Gagnon)によると、ユニナショナル・デモクラシーは、多文化主義を掲げていながらも、政治的・文化的同質化を促す傾向があるが、これに対してマルチナショナル・デモクラシーは、政治的・文化的多様性の維持に主眼が置かれている(8)。
 そこで本稿では、ケネス・マックロバーツ(Kenneth McRoberts)がカナダ政治学会会長として行った講演「Canada and the Multinational State」を手がかりに、ユニナショナル・デモクラシーとマルチナショナル・デモクラシーの意義を現代政治理論の観点から検討し、カナダにおける多文化主義の歴史的経緯を紐解きながら、それぞれの問題点を明らかにする。この考察を通じて、カナダが多文化主義国家であるとしたら、それはどういった意味においてなのか、そしてカナダの多文化主義が、たとえばアメリカのそれと一線を画すとすれば、どういった点においてなのかが明らかになるだろう。

2.
 カナダにおける二つのデモクラシー概念:ユニナショナル・デモクラシーとマルチナショナル・デモクラシー
市民の多様性の受容について、カナダではどのような意見の相違があるのだろうか。これから検討するデモクラシーの二つの在り方を通じて、自由についての理解、連邦の存在意義と平等についての理解、帰属についての理解という三つの点を中心に、対立の所在を明らかにしたい。

 2. 1 ユニナショナル・デモクラシー
ユニナショナル・デモクラシーの典型は、アメリカにおける多文化主義に見られる(9)。多様なアイデンティティを持った人びとが構成するデモクラシーではあるが、人びとはアメリカというひとつのネイションに帰属し、それが政治統合の基礎となっている。このモデルをカナダにおいても適用すべきだと考え、カナダにはカナダ全体を覆うひとつのネイションだけが必要なのであり、特定の集団による内的ネイションを承認する必要はないというのが、このモデルの特徴である。
まず、カナダをひとつのネイションから成る国家であるとみなすのは、何よりも個人の自由と平等を尊重するためである。自由と平等のために、諸個人の多様な背景や属性に関わらず、各人を処遇することが目指される。
次に、連邦政府が保障すべき平等は、それぞれの州の間の形式的な平等であるとされる。ユニナショナル・モデルの連邦政府は、そもそも内的ネイションを承認することには関心がない。
そしてユニナショナル・デモクラシーにおける市民の帰属は、多様な背景やアイデンティティを有しているにもかかわらず、それぞれ同じようにカナダに帰属するものと想定されている。ここではどれほど異なった背景や文化を持つ人びとも、自由平等主義に基づく公平性を尊重するがゆえに、同じようにカナダに帰属する意味を見出すものとされている。

2. 2 マルチナショナル・デモクラシー
マルチナショナル・デモクラシーでは、カナダ全土を覆うネイションの中に、一定の自治権を持つ、複数の内的ネイションが存在するとされる。そして市民は、カナダの政治制度だけでなく、自治的な内的ネイションの政治制度にも参加する点が特徴的である(10)。このモデルは、それぞれのネイションの独自性を維持しながら、カナダ全体の統合も可能にすることを目的としている。そしてこのモデルは、アメリカとは異なるカナダ的なデモクラシーのモデルになりうるものだと考えられる。
まず、マルチナショナル・デモクラシーにおいて重要とされる自由は、支配に抗する自由(freedom from domination)として考えることができる(11)。このモデルは、支配的な多数派が定義する単一的なネイションではなく、複数の内的ネイションが共存するような国家を目指す。
次に、このモデルにおいて連邦政府が保障すべき平等は、連邦を構成する内的ネイション間の実質的な地位の平等(status equality)である。一定の自治権を持つ複数の内的ネイションが国家を構成すると考えるマルチナショナル・デモクラシーでは、複数の内的ネイションの自治要求を調停する役割が連邦制に期待されている。
そして、マルチナショナル・デモクラシーにおいては、人びとはそれぞれ別様にカナダに帰属していると考えられている。すなわち人びとは、ケベコワであるとか、先住民のクリー族であるといった、彼らの帰属する特殊な共同体を通じて、つまり彼らが属するナショナルあるいは文化的な共同体の成員であることを通じてカナダに帰属するのである。ユニナショナル・デモクラシーとは異なり、それぞれのアイデンティティを意味付ける集団も、カナダへの帰属の基礎として承認されている。

これまでの議論で概観したように、ユニナショナル・デモクラシーは、個人の自由を保障するために人びとの多様性を個人の私的側面に属するものとして、ここに挙げたような内的ネイションの間に対立を生じさせる要素をできるかぎり縮減することにより政治統合を行う。これに対してマルチナショナル・デモクラシーは、人びとの多様性を集団的に捉え、個人が帰属する内的ネイションの独自性と自治を尊重した政治統合を目指す。ここまで、政治思想研究の理論的側面に注目して、ユニナショナル・デモクラシーとマルチナショナル・デモクラシーを論じてきたが、ここからは、これらのモデルを、カナダの具体的文脈の中で考察しながら、それぞれの問題点を明らかにしたい。

3. ユニナショナル・デモクラシーが持つ問題
多文化主義を考える際にユニナショナル・デモクラシーというモデルが有用なのは、ナショナルな集団の政治的承認には、単に多文化主義的な政策を採用するというだけでは不十分であることを示すことができるからである。というのは、多文化主義がナショナルな集団の独自性を承認しないために採用されることがあるからである。多文化主義がユニナショナル・デモクラシーにおいて適用されるときに生じる、このような不正義の側面を、カナダの多文化主義に大きく寄与したトルドー首相の思想と政策から、次に考察する。
3. 1 ユニナショナル・デモクラシーが目指したもの
トルドーは、現代カナダの礎となったいくつかの出来事—とりわけカナダ憲法改正の実現—にカリスマ的なリーダーシップを発揮したことなどから、歴代のカナダ首相のなかでも、高い人気を誇る人物である(12)。弁護士から政治家に転身した彼は1968-79年、および1980-84年にカナダ首相を務めた。
トルドーは、彼が政治的使命としていた二つの目的のために、単一的なカナダ・ネイションを目指した。ひとつは、カナダ憲法の改正である(13)。これは「改正」とはいっても、憲法をカナダに「取り戻す」こと(patriation)を指していた。1867年に英国議会において英領北アメリカ法(British North America Act)が成立し、カナダはそれを憲法として用いてきた。憲法の草案はカナダの各地域から集まった代表たちがまとめあげたものであるが、カナダの憲法でありながら、憲法改正には英国議会の承認が必要であった。またトルドーは個人の自由を重視しており、個人の自由を保護するためには、個人が持つ権利が憲法に明記されなければならなかった。それゆえトルドーは、憲法の改正権をカナダに取り戻し、明確な人権規定を盛り込んだカナダ独自の憲法を制定することを自らの政治的使命とした。
トルドーが抱いていたもうひとつの使命は、カナダの国家統合と国民形成である。トルドーは、連邦制が拡散傾向を持つことを認識しながらも、各州の自治を維持しながら、ひとつの国家として機能することも可能な制度として、連邦制を捉えた。そして個人の自由を守るためには、特定の集団(ケベック)による横暴を許すことのない、強い政府を持つ統一された国家が必要であるとして、ユニナショナル・デモクラシーとしての連邦制によってカナダの政治統合を果たすことを目指したのである。

3. 2 ユニナショナル・デモクラシーにおける多文化主義
以上のふたつの実現を目指したトルドーは「憲章(charter)と強い政府によって統合されたカナダというネイション」というユニナショナル・デモクラシーに基づくヴィジョンをカナダ国民に提示した(14)。トルドーはこの国家統合のプロジェクトの一環として、カナダの公用語を英語とフランス語の二言語と定める二言語政策、そして多文化主義を採用した。
二言語政策というと、一見、人々の多様性を積極的に承認するかに見えるが、実際にはカナダという単一のネイションを構築するために採用されたものであったことが指摘されている。すなわち、マイケル・イグナティエフ(Michael Ignatieff)によれば、トルドーのアプローチがケベック州に対して持っていた目的は、二言語政策をとることによって英語系とフランス語系とのあいだの壁を取り去り、二言語から成るひとつのカナダ・ネイションに同化させることだった(15)。このとき、ひとつのカナダ・ネイションの市民としてのアイデンティティを共有することを可能にするために、個々人が属する文化集団に由来するアイデンティティは私的な事柄とされた。
さらにトルドーは、本論冒頭に挙げた多文化主義宣言のなかで次のように述べている。「二つの公用語(official languages)があるとしても、公的な文化(official culture)はなく、特定のエスニック集団が他の集団に優先することもない。いかなる市民や市民の集団もカナダ人以外ではないのであり、すべての人が公平に処遇されるべきである。(16)」トルドーによるこの言葉は、二つの文化を平等に扱うことを宣言しているようにみえる。だが実際には、彼はこう述べることによって、ケベックのナショナリズムを牽制していた。マックロバーツは、トルドーが多文化主義を採用した意図には、多くの文化を承認することを通じて、英語系とフランス語系というカナダにおける対立を抑制し、文化に基づいて独自性を主張するケベックの主張を無効にすることがあったと指摘している(17)。
トルドーが目指すカナダは、多文化主義的なカナダ・ネイションであるが、このネイションは内的なネイションを持たないものとして想定されていた。この発想では、多文化主義を通じて、ネイションの多様性が平凡化され、多文化主義的で共通の単一的なネイションというものに吸収されていく(18)。そしてトルドーがとった政策は、カナダの統合(Canadian unity)のために、多文化主義を通じてネイションの複数性の承認を拒否するものであった。
このトルドーの事例から得られる教訓は、多文化主義がナショナルな集団を承認しないために使われることもある、ということである。ここでは、多文化主義を掲げて、リベラリズムの根本価値である個人的自由と平等の実現を追及することが、結果的にはフランス語系カナダの承認拒否に結び付いている。

4. マルチナショナル・デモクラシーが持つ問題
マルチナショナル・デモクラシーは、内的ネイションの多様性に配慮したデモクラシーである。だがマルチナショナル・デモクラシーは、ユニナショナル・デモクラシーでは応答されることのない内的ネイションの自治願望を一定程度汲み取ることができる代わりに、別の問題を生じさせている。それはひとつには、非領土的であるはずの内的ネイションが州と結びつく可能性があることであり、そしてもうひとつは、マルチナショナル・デモクラシーが、内的ネイションが持つ自治願望を十分に満足させるものではないという点に関わっている。これらを次に検討する。

4. 1 ネイションと領土
マルチナショナル・デモクラシーがはらむ最大の問題は、ネイションの捉えにくさにあるだろう。ネイションについて成された膨大な研究が示唆するのは、ネイションの境界線はきわめて不明瞭であること、そしてその実態が捉えにくいものであること、それにもかかわらず、ネイションが政治的・社会的に影響力を持つといったことである(19)。カナダの場合も、内的ネイションとされる集団を明確に規定することは難しく、一定のあいまいさが残る。ケベックのように、実際には境界があいまいであるはずの内的ネイションが、境界線が固定された特定の領土と結びついたときには、ずれが生じてしまう。
カナダでは、1820年代から20世紀半ば頃までは、イギリス系カナダとフランス系カナダという二つのネイションからカナダが成るという意識が一般的に広まっていた(20)。これは、そもそもカナダという国にイギリス系、フランス系それぞれの植民地が存在し、それらの地域の住民が建国の民とされたということに加えて、フランス系住民が在住する地域が現在よりも広く、また人口の上でもカナダ人口の二大勢力であったことによる。当時のナショナリズムは、イギリス系、フランス系ともに地理的集中性を持たず、特定の地域や領土とナショナリズムが結び付いてはいなかった。
それが現代になると、ケベック州対それ以外の州という対立軸へと変化する(21)。1960年代に「静かな革命(Révolution tranquille)」と呼ばれる、ケベックの世俗化と近代化を進める一連の改革、そしてケベックの独自性を主張する運動がケベックで生じた。これをきっかけに、ケベック州がフランス語系カナダのナショナリズムの中心となる。とはいえ、ケベック州内には多数の(そしてカナダ建国期に白人に多大な貢献をした)先住民が在住しており、英語系住民も少なからずいる。またケベックの外にもアカディアン(Acadian)と呼ばれる独特の人びとがおり、また隣接するオンタリオ州にもフランコ・オンタリアンと呼ばれるフランス語系住民がいる。そうした内的異質性や外的な共通性が見出されるにもかかわらず、いつの間にかフランス語系カナダをケベックが代表するようになり、政治的な対立軸は、ケベック州対それ以外の州となってしまう。
このナショナリズムが、ケベック州の領土と結び付き、一定の領土を占めていることに基づいて自治や主権(分離独立)を求める領土的なナショナリズムになるとき、問題が生じる(22)。というのも、上記のようにケベック州という領土には、英語系住民もいれば、先住民もいる。またフランス語系カナダは、多数ではないにせよ、アカディアンのようにケベック州以外の地域にも存在している。フランス語系カナダは、実際にはケベック州を中心に広く散らばって存在しているにもかかわらず、ケベック州という領土だけがフランス語系カナダを代表し、分離独立することが正義に適ったことであるかは疑わしい。
したがって、マルチナショナル・デモクラシーの理論は、領土的ナショナリズムが持つ矛盾を踏まえたうえで、特定の領土に必ずしも結びつかないような内的ネイションの政治的承認の在り方を構想する必要がある。

4. 2 先住民自治と連邦制
カナダにおけるマルチナショナル・デモクラシーが直面するもうひとつの問題は、先住民という内的ネイションのカテゴリーである。先住民による自治要求は極めて難しい問題をはらんでいる。とりわけ顕著な問題は、先住民の多様性であり、そしてもうひとつは連邦制というカナダの政治制度の限界である。
カナダの先住民は、主に三種に分けられる。第一に北方地域に住むイヌイット(Inuit)、第二にいわゆるインディアンであるファースト・ネイションズ(First Nations)、そして最後に先住民とヨーロッパからの移民との間に生まれたメティス(Métis)である。これらの人びとは、それぞれに異なる歴史を持ち、居住地域も異なる。またそれぞれの中に無数の部族が存在し、「先住民」というひとくくりで代表させることは極めて難しい。政治的な戦略として同盟を組むことはあっても、先住民がネイション意識を共有し、政治的に強い影響力を持つような集団を形成するまでには、なお時間がかかるだろう。
先住民が、自治を行うひとつの集団となれないことはまた、連邦制をとるカナダにおいては、極めて不利に働く。というのも、キムリッカが論じるように、連邦制においては、連邦を構成する州において多数派となることによってのみ、連邦レベルでの自治を手にすることが可能になるのである(23)。ケベコワは、ケベック州における多数派であるがゆえに、カナダという連邦政府レベルの意思決定への参加ができるのであり、また連邦政府からの影響力を排除することで一定の自治を行っている。確かに、1999年に北方に在住するイヌイットの要求を受けてヌナヴット準州が設立されたが、これは先住民のうち、北方の限定的な一部に対してのみ自治を承認するものである。他の地域の先住民は、地理的にも拡散しており、人数も少なく、州を結成することは困難であるだろう。
先住民の自治要求に対して、連邦制の枠組みに乗らない形で、どのように自治を承認すれば、カナダにおけるネイションの複数性を尊重し、維持していくことにつながるのだろうか。ここに見られるように、ケベコワのように州の多数派として、連邦制の枠組みに乗ったネイションが存在する。一方で、多くの先住民のように、連邦制の枠組みに乗らない小規模のネイションも存在する。これらの両方を内包するカナダにおいて、ネイションの複数性を維持するようなデモクラシーの具体的な構想は、マルチナショナル・デモクラシーの思想がまだ十分には解き明かしていない今後の課題であると言える。

5. 結:カナダの多文化状況とユニナショナル/マルチナショナル・デモクラシー
マックロバーツやギャニオンは、カナダにおいては、MulticulturalismがMultinationalismと真っ向から対立するものになってしまったという(24)。これはトルドーに顕著であるように、多文化主義が単一のネイションを前提とした国民形成に利用され、内的ネイションの多様性を承認しないために用いられたためである。多文化主義は、多様な文化を尊重するという当初の目的と、逆の効果を持ってしまった。その一方で、カナダにおけるマルチナショナル・デモクラシーは、内的ネイションの多様性の承認に力点が置かれているが、内的ネイションが特定の領土と結び付いてしまう危険性をはらんでおり、それぞれの内的ネイションの自治を尊重した形での政治統合は未だ実現されていない。それゆえ、彼らはマルチナショナル・デモクラシーを擁護する一方で、現状ではカナダは多文化主義的でもマルチナショナルでもないという一見すると奇妙に見える主張をしている(25)。
本稿で指摘した諸問題にも関わらず、マルチナショナル・デモクラシーは、カナダ的なデモクラシーの可能性を示唆していると思われる。カナダはアメリカと異なり、ネイションの中にネイションを内包している。そして、そうした内的ネイションの独自性を尊重し、自治を許容することで、政治統合を成し遂げようとするのがこのモデルである。
だがカナダの多文化状況は、英語系カナダ、フランス語系カナダ、先住民といった内的ネイションのみが問題となっているのではない。移民や女性、同性愛者といった人々も、政治的承認を要求している。これらの諸集団の政治的承認には、個々人の多様性に関わらず、平等に個人的自由を保障するという点では、マルチナショナル・デモクラシーよりもユニナショナル・デモクラシーの方がより適切であると思われるかもしれない。すると、こうした他の集団をも承認しようとするのであれば、カナダはやはりトルドーが構想したように、単一的なネイションに基づくデモクラシーを採用するしかないのだろうか。
おそらく、課題は、これらのモデルのいずれかを選択することにあるのではなく、それぞれの特長と問題を確認したうえで、よりよい多文化主義を目指すことにある。というのも、ユニナショナル・デモクラシーが重視する個人の権利と自由の確保と、マルチナショナル・デモクラシーが目指す、内的ネイションの承認を通じたカナダの統合を両立させることは可能ではないかと考えられるからである。キムリッカが繰り返し主張しているように、ナショナルな集団と、それ以外の文化集団とでは、政治的承認のために要求しているものが異なっている(26)。こうした要求の相違を認めた上で、両立をどのように実現させるのかを検討することが今後の課題になるだろう。


(1) 政治学、現代政治理論 
(2) Pierre E. Trudeau, “Announcement of Implementation of Policy of Multiculturalism Within Bilingual Framework” in Canada, Parliament, House of Commons, Debates, 28th Parliament, 3rd Session, 1970-2, Vol. 8,(October 8, 1971), 8545-6.
(3) 新しいカナダ人とは、ここでは移民を指している。
(4) ユニナショナル・デモクラシーの例としては、アメリカ合衆国、オーストラリア、ドイツが挙げられる。Alain Gagnon and Raffaele Iacovino, Federalism, Citizenship, and Quebec: Debating Multinationalism(Toronto: University of Toronto Press, 2007), 63.
(5) マルチナショナル・デモクラシーはカナダだけに見られるモデルではなく、他の例としてベルギー、スペインが挙げられる。Ibid., 63. 後述するように、この概念は近年の政治理論において、多文化国家における自由の意義を考察する上で論じられているが、カナダではこの構想は政治家のアンリ・ブラサ(Henri Bourassa, 1868-1952)が主張していたことで知られている。彼は、イギリス系・フランス系というふたつの建国の民(founding nations)が、カナダの全地域において平等に尊重される二言語・二文化ネイションとしてのカナダを唱えていた。Gilles Gougeon, A History of Quebec Nationalism(Toronto: James Lorimer & Company, 1994), 40.
(6) 内的ネイションという表現は、Gagnon and Iacovino, Federalism, Citizenship, and QuebecおよびKenneth McRoberts, “Canada and the Multinational State,” Canadian Journal of Political Science/Revue Canadienne de Science Politique 34, No. 4(December 2001): 683-713による。
(7) Will Kymlicka, Multicultural Citizenship(Oxford: Clarendon Press, 1995), 11. (W. キムリッカ著、角田猛之・石山文彦・山崎康仕監訳『多文化時代の市民権』晃洋書房、1998年、15−6頁。)
(8) Gagnon and Iacovino, Federalism, Citizenship, and Quebec, 11.
(9) キムリッカはアメリカの連邦制の特徴を、ナショナルな少数派の受容に無関心であることとしている。Will Kymlicka, Finding Our Way: Rethinking Ethnocultural Relations in Canada(Oxford: Oxford University Press, 1998), 137.
(10) James Tully, “Introduction,” in Alain-G. Gagnon and James Tully eds. Multinational Democracies(Cambridge: Cambridge University Press, 2001), 3.  
(11) Ibid., 6.
(12) トルドー自身が著したカナダ政治論にPierre E. Trudeau, Federalism and the French Canadians(Toronto: Macmillan of Canada, 1968)(田中浩・加藤普章訳『連邦主義の思想と構造:トルドーとカナダの民主主義』御茶の水書房、1991年)がある。またトルドーのカナダ多文化主義についての見解については、河野弥生「トルドーの思想とカナダ多文化主義の幕開け(一)」『広島法学』24巻2号、2000年、89-112頁; 河野弥生、「トルドーの思想とカナダ多文化主義時代の幕開け(二・完)」『広島法学』24巻3号、2001年、55-70頁が詳しい。
(13) McRoberts, Canada and the Multinational State, 683-713; 加藤普章、『カナダ連邦政治: 多様性と統一への模索』、東京大学出版会、2002年、233-4.

(14) McRoberts, Canada and the Multinational State, 698. 憲章が単一的なネイション形成に果たしている機能については、Guy Laforest, Trudeau and the End of a Canadian Dream,(Montreal and Kingston: McGill-Queen's University Press), 1995, 131-9を参照。
(15) Michael Ignatieff, The Rights Revolution(Toronto: House of Anansi Press, 2000), 64.
(16) Trudeau, “Announcement of Implementation of Policy of Multiculturalism Within Bilingual Framework,” 8545.
(17) McRoberts, Canada and the Multinational State, 706-7.
(18) Ibid.
(19) たとえばJohn Hutchinson and Anthony D. Smith, eds., Nationalism(Oxford: Oxford University Press, 1994)の第一章を参照。
(20) McRoberts, Canada and the Multinational State, 688. なお本稿では、概ね1960年代以前までのFrench Canadaを、「フランス系カナダ」と表記する。これに対応するEnglish Canadaは「イギリス系カナダ」である。1960年代以降のFrench Canadaは、「フランス語系カナダ」と表記する。これは、「静かな革命」を経て、フランスとの断絶に自覚的になり、集合的アイデンティティの根拠が、フランスとの結びつきよりも、むしろフランス語に基づく文化に移行したことを表すためである。これに対応するのは「英語系カナダ」である。
(21) Ibid., 688-90.
(22) カナダでは、ケベック州の分離独立を問う住民投票が、1980年と1995年の二度行われている。ケベック州が主権を得て、カナダ連邦と経済・政治的に連合する主権連合(sovereignty association)を組むかどうかが問われた1980年の住民投票の結果は、約60%が連邦への残留を望むというものであった。1995年の住民投票では、「ケベックがカナダ連邦に対して新しい経済的・政治的パートナーシップについての正式な申し出をした後に、ケベックが主権を持つべきかどうか」が問われ、改めて否決された。だが、投票結果は連邦残留票が49.4%に対して主権独立支持票50.6%と僅差での否決だった。この1995年の住民投票の投票率は94%と極めて高い。またカナダ最高裁は1998年に、ケベック州が分離独立をするのであれば、どのような手続きが踏まれるべきであるかについての勧告意見を出している。The Canadian Encyclopedia, “Sovereignty-Association”(by Clinton Archibald)in http://thecanadianencyclopedia.com/index.cfm?PgNm=TCE&Params=A1ARTA0007587(accessed October 22, 2007); The Canadian Encyclopedia, “Referendum”(by Vincent Lemieux, revised by S. J. R. Noel), in http://thecanadianencyclopedia.com/index.cfm?PgNm=TCE&Params=A1ARTA0006734(accessed October 22, 2007); Reference re Secession of Quebec, [1998] 2 S. C. R. 217.
(23) Kymlicka, Finding Our Way, 144.
(24) McRoberts, Canada and the Multinational State, 704; Gagnon and Iacovino, Federalism, Citizenship, and Quebec, 217.
(25) McRoberts, Canada and the Multinational State, 683-713; Gagnon and Iacovino, Federalism, Citizenship, and Quebec, 217.
(26) キムリッカはナショナルな少数派(national minorities)とエスニック集団(ethnic groups)とを区別し、ケベックなどの内的ネイションを前者、移民を後者に属するものとして論じ、それぞれの集団の要求が基本的に異なるとする。Kymlicka, Multicultural Citizenship, 15-37. 邦訳50-63頁; Kymlicka, Finding Our Way, 90-103.