自己決定と法的能力

ポスターセッション

自己決定と法的能力

長谷川唯(日本学術振興会特別研究員/京都府立大学)

1 障害者権利条約から示される意思決定

障害を持つ人たちの法的な平等を主張するうえで重要なのが、障害者権利条約第12条である。そこでは「法律の前にひとしく認められる権利」として、法的能力の平等を規定している。とりわけ、日本においては成年後見制度が法的能力を制限し、また実践の現場おいても、本人の意思よりも代理人による決定が有効とみなされるなど、私たちに障害に基づく不平等の存在を認識させる。一方で、この制度の必要性を根拠づけるうえできわめて重要とされているのが、「意思能力のない者の法律行為は無効」とする判例(大審院判決・明治38年5月11日)の存在である。ここにみられる意思能力は、単独で有効な意思表示をする能力である。日本の民法では、意思表示によって法律上の効果が発動する仕組みになっている。このような考え方は、意思表示が、本人が法律効果を発動しようとするきっかけである「動機」、そしてそれを意図する「効果意思」、その外在化を意図する「表示意思」、実際に外在化する「表示行為」の四つの過程であることに依拠して生じる。特徴として、意思は個人の内心で形成されることや表示された意思が相手に伝わって初めて有効とみなされることがあげられる。
障害者権利条約では、障害を理由に法的能力を制限していることが他の者との不平等であるとして問題にされている。そして、本人の法的能力を制限する「代理決定のパラダイム」から、法的能力を制限せずに支援していく「支援された意思決定パラダイム」(Supported Decision Making)への転換が目指されることになった。こうした動きは、同時に、意思決定の支援が行われる際に生じ得る権利侵害を指摘し、代理・代行決定の仕組み自体が有する危うさや抑圧的な構造を明らかにしてきた。言い換えれば、障害を持つ人たちが意思決定できないことの原因を、個人から社会に帰属し直したのである。ここからすれば、「法的能力の行使にあたって必要とする支援」は、本人の決定を有効にしていく支援が含まれる。そこでは、具体的な支援として、事前同意や多様なコミュニケーション方法の開発が示されている。これは、一見すれば、当たり前のことであり、有用であるように見えるかもしれない。だが実際には、その本人の決定を否定するものとして作用する場合がある。それを指摘しているのが、ALS(Amyotrophic Lateral Sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)の人たちの存在である。

2 ALSとTLS―意思が保たれたまま意思の
表出を奪われる不動の身体

ALSは全身性の身体障害を伴う進行性難病である。発病のメカニズムの解明や原因の特定に向けて取り組まれているものの、いまだに有効な治療法は確立されていない。ALSは、運動神経系だけを破壊し、確実に身体を動かす自由を奪っていく。症状の進行には個人差があるものの、生活すべてにおいて介助を必要とする身体に変化していく。さらに、呼吸筋の働きも妨げられるため、息を吸って吐くことさえも難しくなる。人工呼吸器を装着すれば長期的な生存が可能となるが、その選択は本人に委ねられており、多くの人が人工呼吸器を装着しないまま亡くなっていく。たとえ本人が、ためらいながらも人工呼吸器の装着を考えたとしても(本人が生きたいと望んでいたとしても)「家族に迷惑をかけたくない」「コミュニケーションができなくなる」との思いが、装着に至るまでの行く先を妨げる。つまり、家族に介護負担が集中することやコミュニケーションが容易にできなくなることが、本人に人工呼吸器を装着して生きることを選択させない構造をかたちづくることがみえてくる。ここで、家族に介護負担が集中することは、本人が置かれている社会環境に大きく依拠する、可変的なものであることに注意しなければならない。これまで障害を持つ人たちが主張してきたように、日常的に介助を必要とする人たちが安心して生活できる環境が整った場合―家族に依らない介助体制のサポートが社会的に整備されれば、家族の支援の有無は人工呼吸器を装着しないことを決定づける要素ではなくなるはずだからだ。
しかし、介助体制のサポートが社会的に整備されたとしても、やはりコミュニケーションの問題は残る。ALSは、身体を動かす自由だけでなく、コミュニケーションの自由をも奪っていく。その生活のほとんどに介助を必要とし、字義通り誰かの支えがなければ生きていけないALSの人たちは、コミュニケーションの自由を、自分の意志を相手に伝える手段であるからという切実な思いで手放すことができない。自ら意志を伝えることが困難なALSの人たちは、読み取る側―家族や介助者、周囲の人たち―がその人の意思や思いを読み取ることを諦めたときにそのコミュニケーションの可能性が絶たれ、それができない状態へと追いやられ、より不自由さが増していくことになる。それゆえに作られてしまう閉鎖的な空間が、ALSの人とその周囲の人たちの間で摩擦を生じさせてしまっていることが多い。だが、現実としては、とくにALSの症状が進行すればするほど、周囲の人たちがALSの人の意志を、たとえ本人が明確な意志を持っていたとしても、読み取れない状況に追い込まれてしまうことがある。この理由は、読み取る側がその人の意志を読み取ることを諦めたからではない。そして、確かに、ALSというインペアメントを有する身体は、私たちに本人の意志が読み取れないのは私たちの力量だけによるものではないことを確認させる。すなわち、ALSの人の意志を読み取る側にとって、ALSにコミュニケーションの自由を奪われることは、同時に読み取る術を奪われることを意味しているのだ。
コミュニケーションが困難とされる究極の状態は、トータリー・ロックトイン・ステイト(Totally Locked-in State)といわれる。トータリー・ロックトイン・ステイトはTLSと呼ばれ、ALSの最終的な形態とされ、ALSの人たちから恐れられている。TLSは、意識が鮮明なまま運動神経が阻害されていき、眼球運動を含めて全身どこも動かせなくなり、自ら意思を発信することができなくなってしまう状態のことを指す。つまり、コミュニケーションが全くできないような状態である。自分の身体の中に心が閉じ込められたように見えることから、日本語では「完全な閉じ込め状態」と訳されることが多い。身体を動かすことも瞼もあけることができない。こうしてALSは、意志を表出する手段を取り上げ、ALSの中に閉じ込めていくのだ。HALスイッチなどをはじめとして技術開発が進められその可能性は示されてはいるものの、現在において、そういう人たちの意志を読み取れる方法はほとんど存在しないといってよい。技術の開発のみならず、技術の確立によって問題の解消を試みるならば、それらが確立されるまでの方法もまた問題として立ち現れることになる。しかし、そこでの支援は、使用可能な資源との相互作用によって方向づけられるため、資源の制約を受けることになる。

3 支援された意思決定

2006年に障害者権利条約が採択されてからは、法的能力の不平等を表した「代理決定のパラダイム」の対義語として「支援された意思決定のパラダイム」(Supported Decision Making)が使われるようになっていった。この「支援された意思決定パラダイム」をめぐる議論は、2011年の障害者基本法の一部改正によって「意思決定支援」として法制化されることになる。だが、そこで示された意思決定支援は、けっして、支援された意思決定パラダイムを具体化したものではない。障害者権利条約第12条第3項では、「障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用する機会を提供するための適当な措置をとる」ことを要求している。そしてこのことは、第12条第2項「障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める」という規定が、法的能力の行使における要件でもあることを確認させる。
ここからすれば、日本の民法で示される意思表示の枠組み、すなわち、結果としての法的能力の行使の平等に向けた支援が目指されるにあたって、表示行為―自ら意思を発信できることが前提とされていること、それ自体が問題になる。そこでは、ALSやTLSの場合には、どれほど本人が意思を明確に持っていたとしても、それを自ら発信することができない以上、法的能力を行使する主体、法的能力の行使ができないとされることはいうまでもない。さらに、表示行為ができないことが、実質的に主体性を発揮できない状態として捉えられる。すなわち、それ自体が、意思決定できる/できないということを、評価する装置として機能しているのだ。そしてこの意思表示の枠組みが、成年後見制度による法定代理を、必要な支援として認識させる契機になっている。
一方で、障害者権利委員会の一般的意見では、法的能力の行使における支援の重要な一形態として、あらかじめ自らの意志と選好を示しておく「事前同意」(Advanced planning、事前計画と訳されることもある)が示されている。

障害のある多くの人にとって、事前計画が可能であるということは、支援の重要な一形態であり、これにより自らの意思と選好を示すことができ、他者に希望を伝えられない状況にある場合は、これに従ってもらうことになる。障害のあるすべての人には、事前計画に参加する権利があり、他の者との平等を基礎として、その機会が与えられなければならない。(障害者権利委員会,2014,para.17)

ここでもまた、前提として、自ら意思を発信できることが組み込まれている。だが、自らの意志と選好を示すことのみが目指されることによって、TLSというインペアメントの存在が不可視化される。まず、素朴な事実として、TLSというインペアメントを持つ身体から示される困難さは、自ら意思を発信することができなくなることであり、あらかじめ示した意思を変更することもできない。この事前同意によって示した意思が、現在の自分自身を苦しめることもある。

4 他の者との不平等を形成する事前同意―自己決定の限界

自ら意思を発信できないTLSの状態になった人には、事前に示した意思について、変更する決定は用意されていない。少なくとも技術が開発されていない現状では、事前に意志や選好を示すことはできても、意思が変わった場合にそのことを示すことができない。確かに、事前同意のように支援の技法を拡大するだけでは、その現実的効用は認めるにしても、本人が決定できてもそれを伝えることができないために、相手に決定自体を委ねざるを得ないことがあるというTLSの状態にこたえたことにはならない。ここからすれば、事前同意に示される自己決定の限界は、過去の自分の決定に拘束され、その決定から逃れることができないという点にある。事前同意による本人の意思決定を法的に有効であるとみなしても、その決定が本人にとっては現在の決定を無効化する側面を持ちうる決定でもあるということを十分に意識していないのである。そのため、本人の意思決定が常に表示行為を前提とされていることに、ほとんど注意を向けなかった。事前同意は、単に本人を過去の決定に拘束するというだけでなく、いわば積極的に本人を無力化させる効果をもつ。それは現在の決定の行使に対する制限―代理決定とならざるを得ない。つまりは現在の意志と選好が読み取られないという意思表示であり、過去の決定が有効とみなされてしまう。いわば、過去の決定を変更できないがゆえに、現在の決定の行使が制限されるという事態が生じているのである。その意味で、事前同意は代理決定パラダイムであると指摘できる。
だが、同時に注意しなくてはならないのは、事前同意が採用されることで他の者との不平等が形成される点である。ここでいう「他の者との不平等」とは、過去の決定が有効とみなされることに対してというよりは、むしろ事前同意それ自体が否定的な意味をもち、その場その場で決定できないことに対して向けられている。TLSというインペアメントを持った身体から示される困難さは、自ら意思を発信することができない点であり、いかに本人が意思を明確に持っていたとしてもそれを他人が読み取れないことである。意思を読み取る方法や技術がないという方法論上の限界が、責任主体が明らかであっても、ときに「誰によっても意思が読み取れない人」というカテゴリを生じさせてしまうのである。こうした人たちとのコミュニケーションは、あくまでもその状況に直面したそのつど、問い直すことで生み出すものである。意思決定の能力によって決定を制限していない点では障害者権利条約が示す「他の者との平等」を基礎として考えられているように思われるが、事前同意は、読み取る側の能力に本人の決定を限定することでもある。その意味では、ただ「意思が読み取れない」として放棄するということなのである。事前同意は、読み取る側の能力に本人の決定を限定するという点で、障害者権利条約が捉えている他の者との平等を基礎とした法的能力の享有というより、いわば限界を活用して特別なカテゴリを作り出す過程というべきだろう。たとえばTLSのような自ら意思を発信することができない人に直面した際に、その解決が意思を読み取る側にあると主張し、それが方法論的に限界であれば、そもそも他の者との平等を基礎とした法的能力の享有が達成されないことになる。TLSの状態とは、自明視されている自己決定にすら問い直しを迫るものであり、そこで採用される事前同意は、すでに自己決定とは呼べない。障害者権利条約第12条をめぐる議論では、支援された意思決定のパラダイムの有効性を主張するがあまりに、自己決定の優位性を示すにとどまり、TLSでみられるような自己決定の限界についてはほとんど目を向けられていなかった。このままでは、TLSのような状態の人を「誰によっても意思が読み取れない人」とカテゴリ化し、特別な措置によって再び他の者と分離することになる危険性が常に孕まれている。この点を視野に入れなければ、他の者との平等を基礎とした法的能力の享有の実現はできない。

5 決定の拘束からの解放に向けて

問われているのはあくまでも、障害を持つ人たちと私たちの間の差異を認めたうえで目指される平等である。ALSの人たちが他の者との平等を基礎として法的能力を享有するためには、自ら決定したことによる拘束から解放される方途を探ることが必要になる。意思を読み取るスキルや技術の開発をすればいいというだけではなく、自分の決定によって現在の自分の意思が否定されないことが重要なのである。意志がない人はいない。だからこそ、本人の決定が、意思を読み取る側の能力によって限定されることがあってはならない。ALSの人たちは、私たちに不動の身体からそのことを突きつけているのである。

文献
障害者権利委員会,2014,「一般的意見第1号:12条―法律の前における平等な承認」(http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/rightafter/crpd_gc1_2014_article12_0519.htm:2016年12月1日取得)