成年後見制度/意思決定支援の論点 メモ

成年後見制度/意思決定支援の論点

メモ

立岩真也

生存をめぐる制度・政策 連続セミナー「障害/社会」
第9回「成年後見制度/意思決定支援の論点」

■今年になって起こったこと(他)については以下

◆意思決定支援〜支援された意思決定(supported decision-making)
http://www.arsvi.com/d/ds.htm
◆2016/03/28 「成年後見制度利用促進法案?―「身体の現代」計画補足・135」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1707690616164585
◆2016/04/05 「成年後見制度利用促進法案?2―「身体の現代」計画補足・138」
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1711350492465264

■悩ましいところ1

今回の企画はこの9月に開催される障害学国際セミナーのプレ企画ということでもある。この主題は2012年だっただろうか、ソウルで開催された時に提案されたものだった。私はよい主題だと思ったが、どのように進めていくとよいかがつかめなかったからその時には実現することにはならなかった。そして昨年の会場は北京だった。この主題よりも「社会サービス」の方がよいだろうと考えて、そういうものになった。その時の報告は以下。

◆2015/11/30
PA(Personal Assistance): Acquiring Public Expense and Seeking Self Management
http://www.arsvi.com/ts/20151130.htm
East Asia Disability Studies Forum 2015 at Beijing
http://www.arsvi.com/a/20151130.htm

この主題についてなら、制度の現状がどうであれ、各国ともその整備の方向にすくなくともいくらが向かうはずであり、共通に話せることがあるように思えた。そしてそこに「本人」が参画していく方向に行くように「仕向ける」こともできるように思えた。実際にはなかなか困難なようだが、それでもこの時期にこの主題を選んだのは間違ってはいないと思う。
ただ今回はどうなのだろう。とくに中国の状況がわからない。幾人かの人にすこし聞いてみたがやはりよくわからない。
と「今」検索したらいくらか出てくる。

◆王 麗萍(Wang, Linping オウ・レイヘイ )訳:鄭芙蓉 20100331 「挑戦と対応―中国における成年後見制度について」、『東洋文化研究』12:247-267
(<特集>東アジアにおける成年後見制度)
Challenges and measures : the adult guardianship system in China mainland(Adult Guardianship in East Asian Countries)
http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/handle/10959/2906→
http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2906/1/toyobunka_12_
247_267.pdf
◆江涛 2015 「中国における成年後見制度に関する研究」、『千葉大学法学論集』30:1・2
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AN10005460/09127208_30-1-2_262-252.pdf

台湾について
◆江涛(JIANG Tao) 20140930 「台湾における成年後見制度に関する一考察」、『千葉大学人文社会科学研究』29:28-40
A Study on the Adult Guardianship System in Taiwan
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00117979

韓国に関係してさらにいろいろ
◆http://ameblo.jp/maminomura/entry-12130963295.html

とすると―すくなくとも制定されている法においては旧来の成年後見の仕組みが各国にあるということであって―より(いま風の)「普通の」後見人制度にしようという(中国他の)動きに対して、そういうことでもないのだ(〜その一つの言い方として、権利条約の方角に反しているのだ)ということを言っていくことにはやはり一定の意味があるのかもしれない。…

■2

まず今の制度の問題ははっきりしている。あまりに行動・生活が制約されてしまう。そして後見人は後見人としてふさわしくない人でありうるし実際にかなりの場合にふさわしくない。(家族がふさわしくないことがある。弁護士他もふさわしくないことがある。)それはいくらかの制度改正などで、制度運用の改善でどうかなるものではない。
なぜふさわしくないのか。大きく一つには、いずれについても経済的利害が絡むからだ。

ではどうしたものか。「誰かが」(代わりになると言うにせよ、支援すると言うにせよ)という場合をまったくなくすことは無理なように思われる。ただ他のやり方を採ることはできる。それを大きくしていくことはできる。
大きくは二つであり、一つは決める人を決めるというやり方であり、一つは決める内容を決めるというものだ。後者を採れる時に採るというやり方がある★01(池原の回の発言)。

多くは契約に関わるものだ★02。不利な契約をしてしまうといったことがある。そんなことが起こらないように誰かが代わりに決めるのでなく、そのような契約を解除できるようにするという手がある。そしてその方が後見人に(後見に際しての)金を払うよりも実際には金がかからない可能性もある。そのように言われる。
ただどんな契約も解除できるとなるとこれはさすがに困ると言われるだろう。とすると結局「特別扱い」をする―つまり契約を契約や購入の後でも解除することを認める―人の範疇を定めることを帰結しないか。それはつまりは障害者を特別扱いするということであり、それは差別だということにならないか。差別だと言う人もいるだろう。
後見がはいる人たちを定めるというのと、契約の解除を認める人たちを定めるというのと、結局似たようなことをせざるをえないということにならないか。ただ、それでも後者の方がましだとする主張することもできるだろう。

今回の法改定においても医療にかかわる決定にまで後見を拡大するという話がでた。これにどう答えるか?
「支援された意思決定」をそのままの意味にとるなら、まず「本人の意思」があって、それを尊重する方向で支援するということになるだろう。それはたいへん多くの場合にもっともなことだとは思える。しかしいつもそうではない。
それは既に「契約」といった場面にも出てくる。いろいろと買ってしまったり人にあげてしまったりする人がいる。しょうしょうならかまわないとして、それでずいぶんな出費になってしまい、生計・生活が圧迫されるといったことがある。それはやめてもらった方がよいと思う。それはいかにして正当化されるのか。パターナリズムの是非、正当化と同じ問題が出てくる。
そして「医療同意」といった場面。所謂「安楽死」「尊厳死」について私は書いてきた(立岩[2004][2008][2009]、立岩・有馬[2012]等々)。その書いてきたもので私が述べてきたことは「意思決定支援」の枠組みで肯定されるか。まったく正当化不可能というわけではないにしても、普通には無理があるように思われる。普通には、私は「最善の利益」の推量、その推量に基づいた「おしつけ」を支持しているというように受け取られもするだろう。(ただ池原の発言を読む限りでは国連の委員会では「最前の利益」の推量の方向が是認されている、ようだ。)
実際この辺りは国際的にも意見が分かれるようだ。ある人たちは自殺の権利に対して肯定的であり、他方にそうでない人たちもいると聞く。……

■注
★01 「立岩:ありがとうございました。障害学をかじっている者として、俗に言う社会モデルという話の路線で言うと、こういう話なんです。目的はある。だけど、そのための手段というのが欠けている。だから手段を他から補充すれば目的は達成される。その手段のところに社会が入ってくる。もともとの社会モデルというのは、そういう図式なんです。それは、身体障害でどこか行きたいというのは決まっているんだけど行く手段がいろいろなくてどうしようか、という話にはうまくはまるんです。ところが、目的そのものがそれでいいのか、あるいは、その人においてわかるのかという時に、ここの中で言っている社会モデルというのをストレートにつなげた時に、この話がうまくいくかという理論的な▽123 問題はかなり大きい。
池原さんおっしゃったのは、そのけっこう難しいことの一つなんです。つまり、本人にとっての目標っていうか、目的みたいなものが、聞き取れない、わからない、例えば遷延性意識障害とか、そういった状態の時のことです。そういった時にどうしようかという話。これも難問の一つです。
もう一つの問題は、その人はなにかの目標らしきことを言っている、だけどそれを受け入れたらこの人やばいんじゃないのっていうことはけっこうあるわけです。そうした時に、どういう形の介入をしてくのか、すべきでないのかという話がある。そこら辺になってくると、単純な意味での社会モデルはたぶん使えない。だから、そこのところの議論というのが非常に重要になってくるんだろうと思います。
おそらくそれは、池原さんが最後の方でおっしゃっていた、誰か代わりになる人を決めるのか、それともこういう時には社会はこうすべきであるという行為準則みたいなものを決めるかっていう、その選択にも関わっています。僕は、どちらかというと、後者の方で行けるかもしれないというふうに思っているんです。つまり、代わりの誰それを決める、その決める人を決めるのではなくて、こうなったらこうしなさいっていうやり方を決めるというやり方の方がいいかもしれない。そういうことも含めて考えていかないと、これはたくさんの方が毎日体験されていると思うけど、代理するって人の側の都合が結局通ってしまったり、うまくいかないことにすぐなると思うんです。それにどう答えていくかというのは、そこをきちんとやっていかないとというふうに思いました。
ポジティブではない話なんですけど、もう一つ今日聞きたいなと思ってきたのは、僕も今の成年後見制度はいいとは全然思ってないわけです。後見人が1人べたっと張り付いて、1から10 までやるみたいなモデルっていうのは、全然駄目だろうと思っている。そういう意味で言えば、こういう場合にこの分だけをこの人がちょっとやるというやり方がいいというところでは、全く池原さんと同じなんだけれども、その時に、今までだったらある資格を持った人たちが全面的あるいは部分的に定まった権限を持って、介在していた。だけど、池原さんの話をもっと敷衍していけば、社会全体とかいろんな人が支援するというのがいいという話です。そこは、僕もいいと思っている。だけど、その時に▽124 さっき言ったような、この人が言っている話と支援するって言っている人の話が必ずしもそぐわないということは多々あるわけです。そういった時に、誰が支援者として認められるのか。僕は今、例えば弁護士なら弁護士、PSW ならPSW っていうふうな資格で制限するというモデルは嫌いなんだけれども、代わりにそこのところを本人と支援するサイドがぶつかりうるという可能性を踏まえた上で、それでも誰が行うことができるのかという仕掛けをどう作るのかというのは、大きな問題だと思っているんです。それについて、池原さんは現時点でどう考えていらっしゃるのかということをお伺いしたいなと思うんです。ちょっと長くなりました。」(立岩[2015])
それに対する池原の応答(とそれを受けた私の発言)は以下
「池原:そうですね。ありがとうございます。そこら辺はいろいろ問題があるところなんですけど、もともと本人と密接な関係を持ってきた人たちのグループによる問題解決というのをもう1回高める方法とか、あるいは精神医療に関しては、専門家も含めて議論、対話を繰り返していく中で問題を解決していく手法とかっていうのは、いくつか試みはあるように思います。けれども、なかなかこれだったらいけそうだというのを今のところ私自身は思っていない。そういう中から、共通項としてどういうふうなものができるかなというところをちょっと考えているところなんです。もう一つ思っているのは、本人は例えば左の方向に行きたい、ただあっち行くと崖っぷちでおっこちゃうよという話になる時に、専門家だと道のことをよくわかっているのでいや右に行った方が決まっているといったように本人の決定が妥当性を欠いているという時に、従来あまりにも対立的な構図で捉えているんだけれども、そこに本人の持っている目的自体に少し働きかけをする、説得しつくすという意味じゃないんですけど、例えば、どうしてやりたいと思ったんだろうとか、そのあたりの構造に働きかけて行くっていうことがもうちょっとできないのかなというふうに思っているところはあります。だから、目的があってその目的が不動だということではなくて、目的自体にもう少し関わりが持てるような関係というのはないのかな、とすごく漠然と思っています。それは、例えば、精神障害の人に関わっている時に、入院したくないとか、薬は飲みたくないというような、目的というふうにはわからないけど、希望なりがまずあった時に、それはどうしてなんだろう、▽125 どうして今入院したくないんですか、とか、なんでこの薬は駄目なんですかっていう質問からスタートするといったところで対話が発生していって、なぜ飲まないのか、入院するのかしないのかという綱引きをするのではないような関係から、場合によっては入院しないで済むような別の選択肢が見つかることもある。結局は入院するときも、そこの病院が前に入院した時にいやな経験があったから他の病院だったらいいとか、あるいは、きちんと期限が付いていて出てくれるのがはっきりしているなら入院してもいいとか、いろんなことがあるのかもしれませんが、目的自体に対する関わり方というのができないのかと私は思っているところなんです。あまり対立構図化しないような関わり方ができないのかと思ったりしています。
立岩:気持ちとしてはというか、考えてみると非常によくわかるし、それはそうだなと思う。そういう関係があるといいというのは僕は別に全然否定しないんだけれども、それこそ法や制度っていうもののかみ合わせですね。そのあたりが、結局この話の勝負どころかと思っていて、そこがけっこうまだみんな考えあぐねている、考える手前ぐらいのところにいるんじゃないかっていう感じがしている。」
★02 「つまり制限行為能力は、契約に基礎を置いた市場社会を守るために、市場社会に適応できない者を契約制度から除外するために設けられたものなのである。」(桐原・長谷川[2012])
この認識はもっともなものと思う。

■文献
◆江涛(JIANG Tao) 2014/09/30 「台湾における成年後見制度に関する一考察」、『千葉大学人文社会科学研究』29:28-40
A Study on the Adult Guardianship System in Taiwan
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00117979
◆― 2015 「中国における成年後見制度に関する研究」、『千葉大学法学論集』30:1・2
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AN10005460/09127208_30-1-2_262-252.pdf
◆池原毅和 2011/07/20 『精神障害法』、三省堂、400p.
◆― 2016/03/04 「精神障害のある人への法制と成年後見制度の課題」、生存をめぐる制度・政策 連続セミナー「障害/社会」第7回「精神障害のある人への法制と成年後見制度の課題、於:立命館大学朱雀キャンパス → 渡辺克典編[2016]
◆川端美季・吉田幸恵・李旭 編 2013/03/22 『障害学国際セミナー2012―日本と韓国における障害と病をめぐる議論』、生存学研究センター報告20
◆川島志保 「弁護士からみた成年後見制度の問題点」
◆桐原尚之 2016/07/09 「障害者権利条約と成年後見制度」(本報告書収録)
◆桐原尚之・長谷川唯   2012/11/23 「支援された意思決定を巡って―日本国内法の現状と課題」、障害学国際セミナー2012、ポスター報告、於 韓国ソウル特別市イルムセンター→2013 川端・吉田・李 編[2013:309-318]
◆日本弁護士連合会 2015/10/02 「総合的な意思決定支援に関する制度整備を求める宣言」
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2015/
2015_1.htm
◆「精神保健・医療と社会」研究会 2016/02/29 『精神障害者の意思決定支援』、2015年度生存学研究センター若手研究者研究力強化型「意思決定支援の集積に関する研究」報告書
◆柴田洋弥 2015/11/02 「意思決定支援と法代理制度の考察―障害者権利委員会一般意見書に適合する成年後見制度改革試論」
http://www.arsvi.com/2010/20151102sh.pdf
◆― 2015/11/05 「意思決定支援と法定代理制度の考察―障害者権利委員会一般意見書に適合する成年後見制度改革試論【概要】」
http://homepage2.nifty.com/hiroya/20151105gaiyouhouteidairi.html
◆立岩真也 2004/11/15 『ALS―不動の身体と息する機械』、医学書院、449p.
◆― 2008/09/05 『良い死』、筑摩書房、374p.
◆― 2009/03/25 『唯の生』、筑摩書房、424p.
◆― 2015/10/16 「司会+」、生存をめぐる制度・政策 連続セミナー「障害/社会」第7回「精神障害のある人への法制と成年後見制度の課題、於:立命館大学朱雀キャンパス→ 渡辺克典編[2016]
◆立岩 真也・有馬斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1―尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』、生活書院、241p.
◆王 麗萍(Wang, Linping オウ・レイヘイ)訳:鄭芙蓉 2010/03/31 「挑戦と対応―中国における成年後見制度について」、『東洋文化研究』12:247-267(<特集>東アジアにおける成年後見制度)
Challenges and measures : the adult guardianship system in China mainland(Adult Guardianship in East Asian Countries)
http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/handle/10959/2906→
http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2906/1/toyobunka_12_
247_267.pdf
◆渡辺克典 編 2016/03/04 『生存をめぐる制度・政策 連続セミナー「障害/社会」2』、インクルーシブ社会研究 11