序章 うえの式質的分析法の魅力

病い、老い、障害とともに生きること。異なりをもつ身体。
それは、福祉や医療の対象である前に、人々が生きていく過程であり、生きる知恵や技法が創出される現場です。人々の経験を集積して考察し、社会との関わりを解析し、これからの生き方を構想し、あるべき世界を実現する手立てを示す―それが「生存学」です。
立命館大学生存学研究センター公式HPより

この本を手に取ってくださったみなさんは、ご自身が抱えている資料の山をどのように扱っていいかわからなくて、なにか分析するヒントを得たいという思いで、本書を手に取ってくださったかもしれません。
あるいは、せっかくインタビューしてきた貴重な音源を、テープ起こしをして達成感を味わったあと、どう処理すればいいかわからなくてそのまま、というかたかもしれません。
もしかすると、「あなたの文脈にあわせて、都合よくインタビューデータを使っているのではないの?」と言われて、頭を抱えているかもしれません。
そういった悩みを抱えているかたがたがブレークスルーするきっかけとなるように、本書はまとめられました。本書は、うえの式質的分析法といって、語りの分析方法(ディスコース・アナリシス)のひとつを扱っています。
みなさんのなかには、KJ法ということばを聞かれた方もあるかもしれません。KJ法は川喜田二郎先生が発明された質的データ処理法で、世界的にも有名な分析法です。KJ法は、研究のみならず商品開発、会議等あらゆる場面で使われています。
うえの式質的分析法は、KJ法をさらにシンプルに使いやすくしたデータ処理法で、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授であり東京大学名誉教授上野千鶴子先生が編み出した技法です。
うえの式質的分析法のメリットは次の3点です。

1.収集したデータを効率よくまとめることができること。
2.‌インタビュー時には語り手や聞き手さえも予想しなかった発見が分析を通じて得られること。
3.データに語らせるので、根拠をもとに確実にこれが言えると主張できること。

なによりもうれしいことに、うえの式分析法は、これまでインタビューと切っても切れない関係だったテープ起こしという、煩雑な労力と時間からわたしたちを解放してくれるのです。
うえの式質的分析法は、2012年から2016年の5年間にわたり、立命館大学大学院先端総合学術研究科の演習(以下、うえのゼミと略)で取り上げられました。本書は2013年から4年間におよぶ内容を凝縮したものです。
今回本書を出版するにあたり、立命館大学生存学研究センターの助成金を受けることができました。「生存学」は、誰もが「いつか」は当事者になる、病い、老い、障害、そして異なりをもつ身体を考える学知です。本書の巻末に掲載している、うえの式質的分析法の参加者それぞれは、「生存学」に深く関わりのある研究や仕事に携わっていて、うえの式質的分析法を各々の研究や教育の場に取り入れて、着実に成果を上げています。
本書のエッセイの執筆者であり編者のひとりである一宮茂子は、長年最先端医療の看護師長という重要な責務をこなしながらコツコツと地道に集めた貴重で膨大なデータを、どのように扱っていいのか逡巡していた状態が何年も続きました。一宮はうえの式質的分析法に出会うことによってまたたく間に博論を完成させ、1年足らずで博論を岩波書店から『移植と家族』として2016年に出版することができました。また、立命館大学うえのゼミ生だった中野円佳は、修士論文をまとめた『「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』を光文社から2014年に単著出版しています。
本書はうえの式質的分析法を、わかりやすいことばで説明することに努めましたが、読み進めて分かりにくいことがおきましたら、終章の質問集を参照に読み進めてください。
それではさっそく、うえの式質的分析法の具体的な方法をご紹介しましょう。

1.質的分析法は問題点や新しいアイディアを発見する最強ツール

質的分析法は、1次情報(自分でとってきたデータ)を質的データとして分析するもので、1次情報の採集法には、観察、フィールドワーク、フィールドノート、参与観察(participant observation。直接観察したことをどんどんメモしていく方法)、インタビュー、ディスカッション(グループ、フリー)、ブレーンストーミング(お題を与えてそのお題に対して答えを10も20もアイディアをどんどん出していく方法。企業が商品開発等で採用するやりかた)などがある。
ブレーンストーミングの一例:
ルールは、1人3秒ルール(待ち時間3秒たってアイディアが出てこないとパス1回)。前の人が言ったことと違うことを言うというルールのもとに1巡、2巡、3巡、と参加者でまわしてパス3回で「×」罰を与える等を設定して、苦し紛れにアイディアをひねり出すことから、とんでもない素晴らしいアイディアが生まれたりする。
例1:住宅設備機器メーカーで、新しいトイレ商品を開発するとき。
お題:トイレって何するところ?
→家の中で唯一1人になれる場所、瞑想する場所、化粧する場所、漫画を読んでリラックスする場所など。
結果的に、トイレ商品開発の新しい展開が見込める。
例2:今から15分間キャンパスを散策して100の情報をゲットしてください。→これは相当大変なことなので、100の情報をゲットすると、単位をあげます(ノルマ配当)
 ノルマ配当には、10分〜15分のビデオを見せて、ビデオで気が付いたことを情報化する。1人最低10は出してください、などがある。
 
2.集めた情報をしゃぶりつくす!

採集した情報ユニットは、(1)ケースレポートという文脈において、1事例ごとの分析(ケース分析)と、(2)同一コード(比較)のもとでの複数事例の分析(コード分析)といった、2種類の分析がおこなわれる。

(1)ケース分析
そのひと(仮にAさんとすると)Aさんの生活やライフヒストリーの中ででてきた情報が、個人の文脈の中でいかなる意味をもっているか。
※重要ポイント
ここでは、単にAさんのケースレポートを書けばいいというのではない。分析が必要。調査レポートと研究とは違う。絶対に間違えないように。あなたがたは単なる調査者ではなく、研究者です。
※分析なしの記述はたんなる調査レポート。研究には分析が必要。

(2)コード分析
コードごとに複数の情報を比較する。比較すればするほど、情報の発見量が増える。
ケース分析とコード分析を用いた2次元図式をマトリックスという(マトリックスは第5章参照)。
1次情報を加工した情報を2次情報(ケース分析とコード分析)という。2次情報から生まれる発見をうえの式質的分析法で処理すると、いかなる発見がみいだされるかというのが3次情報。3次情報までいったとき、そこに何があるか、何がないかがわかる。
この一連の作業を「情報を、しゃぶりつくす!」という。
以上のことが頭に入っていると、生データに接したとき、最終的にどういうアウトプットにつなぐのか、そのプロセスがわかる。プロセスがわかると、今自分が何をやっているかということが自覚できる。

第1章からデータコレクション(情報収集)とデータ分析に入ります。

用意するもの
3cm幅くらいの付箋紙。模造紙(ない場合A4サイズの紙でもOK。やり方は第2章参照)。カラーペンなど、輪ゴム(カードを束ねるものならなんでもOK)。

用意するもの
3cm幅くらいの付箋紙。模造紙(ない場合A4サイズの紙でもOK。やり方は第2章参照)。カラーペンなど、輪ゴム(カードを束ねるものならなんでもOK)。