あとがきにかえて フェミニズムの記憶

あとがきにかえて
―フェミニズムの記憶―

山口真紀

◆校庭のフェミニズム
よしながふみの『愛すべき娘たち』(2003年、白泉社)がとても好きだ。よしながは、女性たちの葛藤やズルさや抵抗やあれやこれやの試行錯誤のすべてを、決して彼女たちから取り上げてしまわない。大学の頃に手にとってから、この作品は「フェミニズムの娘たち」へ描かれたものだと考えてきた。コミックには主人公の女性を中心に母と娘、祖母、友人たちの物語がそれぞれオムニバスで掲載されている。第四話は、中学の同級生である3人の女性の物語である。
女の子たちが放課後の校庭で、女性の自立について意気揚々と話し合っている。「あたしは結婚しても働きたいって言う女に向かってさぞ寛容な男であるかのように言うの。『働いてもいいが家のことはしっかりするんだぞ』ってね。だってこんな楽なことないじゃない。家計はダブルインカムになる上、自分はやっぱり家事しなくていいんだもん」。花冠をつくりながら笑顔ではなす彼女たちの洞察は明解で、おかしみがあって、冷静である。
校庭での女の子たちのやりとりは、覚えたての言葉を使って友人と様々なことを話しあっていた私自身の姿と重なる。「女性は」から始まる文章を「私は」と置き換えてなぞってみれば、輪郭のない自分がはっきり縁取られたようだった。また日常のささいな出来事の違和を説明できるようになると、それを退ける力までも手にした気持ちになった。少し過激な言葉も新鮮で、友人がまぶしく見え、自分が誇らしかった。

◆「挫折」と「分断」の物語
もしかすると、この物語は女性の自立を謳っていた女の子たちの「挫折」の物語として読めるかもしれない。彼女たちは卒業して、中小企業で働きながらシングル、結婚して公務員、専業主婦、とそれぞれに道を分けていく。なかでも意気高く「男性社会と闘う」と話していた優子は、家庭の事情から高校を辞めたあと、大検資格の取得や作家への志を諦め、夜の仕事に就き、同僚の女性への愚痴と、横暴な彼氏への執着を見せるようになる。そして自分を責めた友人に「まだ子どもだね」と返す。彼女自身が、かつて校庭で交わした時間を、「子どもの幻想」と言い捨ててしまうのだ。
優子がそう思うようになっても無理がない、彼女が直面した現実こそ仕組まれた男性社会の在り様なのだとでもいうように、物語には、女性の日常に潜んでいる理不尽な場面が書き込まれている。例えば公務員になった雪子は、共働きでありながら家事を担っている。夫も家事をするけれど、それはあくまで「手伝い」であって、優しい物言いの後ろに「してあげている」という意識が見え隠れする。また出版社で働く佐伯は、担当作家の仕事の不備を彼女の美醜の問題であるかのように言われる。ただそれが冗談として軽く会話に挟み込まれ、挨拶のように流されてしまうから、やはり腹を立てるきっかけがない。あるいは専業主婦になる優子には、過去の性的虐待を思わせるような描写がある。彼女の男性嫌悪と男性依存が共存しているかのような振る舞いは、トラウマに起因しているのかもしれない。自立を志した女の子たちが日々の生活で「挫折」していく姿を通して、見えない男性社会の存在を垣間見る、そのような物語として受け止めることもできる。
しかし私がこの物語を大切に思うのは、社会への憤りからというよりも、彼女たちがそのような現実を個々それぞれ引き取って暮らしている姿に心を寄せるからだ。そして悲しく思うのは、日常の場面に潜むジェンダー規範を暴いてみせることもできるはずの言葉が、彼女たちの現実を助けていないだけでなく、「分断」を強いて彼女たちをそれと知らずに孤独にしていることである。
実際に、社会に出た主人公たちは互いの現状をこれまでと同じ言葉で共有できなくなっていく。言葉が、彼女たちの現在の場所と思いに追いつかない。それを埋める時間もなくて、ついには、「専業主婦になっちゃおうかな」と口にして、交際相手に妊娠によって結婚を迫り、離婚したら慰謝料をとって水商売でもして暮らせばいいと投げやりに言った優子に、たまらず佐伯が声を荒げる。「校庭」から遠く離れてしまった自分たちへの焦燥感か、悔しさか。「編集者になるんだって言ったじゃない。民間で勤め上げるんだって言ったじゃない。後々の働く女の人のためにがんばるって言ったじゃない!」。佐伯の苛立ちは、かつて明るさを持って交わしていた言葉をぶつけるかたちで表現された。それは友人を傷つけ、関係を断つ言葉にもなった。

◆離れても生きられている
佐伯と優子は、10年後に再会する。優子は実業家と結婚し、専業主婦になるという。佐伯は「幸せならそれでいいの」と返す。陳腐な言葉に思えるけれど、私もきっとそう言うだろう。もちろん優子の現在にいたる道筋を、男性社会に裏をとりながら暴いてみせることだってできる。「本当にいいの」と問うことも。そんなことは分かっていて、しない。校庭で励ましあった言葉はいま、自分たちを否定するように反転し、重さを持ってしまっているのだ。「これで良かったんだ」「きっとこれで良かったんだ」と何度も呟くのは、よぎる不安を説き伏せて、なんとか自分を納得させようとしているからに他ならない。
帰宅した佐伯は、疎遠になっていたもうひとりの友人、雪子からの葉書を受け取る。葉書には、結婚の知らせに、「何とか仕事は辞めないで頑張ってるよ」と付記されていた。佐伯は「あの時話したささやかな夢をかなえることのできた友達がちゃんといてくれたんだ」とこころで呟いて、うつむいて泣いてしまう。この「ささやかな夢」とは、女性の自立し闘う姿を直接的に指しているのではない。民間で定年まで働くことが後の女性の礎となると息巻いていたのだから、公務員という選択は、彼女らの計画においては少しの妥協を意味している。また「家庭内平等はうまくいかない」とも記されていて、結婚生活で対等な関係を築けているわけではないことも読み取れる。校庭で話した夢は決してその通りのかたちで叶っているわけではない。
しかしここで何より大切なのは、「いてくれたんだ」という思いが、佐伯をとても慰めていることである。優子の幸せを、「その通り」に受け止めることができず見送った佐伯は、ひとりぼっちに放り出されたような気持ちで帰宅したのではないだろうか。佐伯にとって、あの校庭の時間を共有した友人からの「頑張ってるよ」という便りは、あの頃話していた夢が確かに覚えられていて、それがどんなかたちであれ日常のささやかな場面において試みられ生きられていることを知らせるものだった。完璧には成し遂げられてはいないけれど、「でも」、という友人の留保と自負は、一瞬、彼女だって投げ出したかった自身のこれまでを、やわらかく照らしたのではないだろうか。佐伯のことも優子のことも、悲しく思う必要はない。いつか夢として語った姿から離れ、互いをうまく肯定できなくても、交わした言葉は実践のなかで生きている。

◆フェミニズムの記憶
「校庭のフェミニズム」のころ、「女性」を主語に友人と知恵や感性について話すのが本当に楽しかった。今は、友人とあの頃のような言葉では話さない。それぞれの都度の精一杯の選択が、少しずついる場所を離していって、お互いの経験を語る共通言語が薄れてしまったためだ。毎日どんな場面を見て何を思っているのか、具体的に語り合うことはもうないかもしれない。でもただ、あの校庭の時間が、近況を話して「うん」と頷くだけの私たちの現在の会話をあたたかく十分にさせている。
フェミニズムの思想と実践のなかに、自分と、自分ではない誰かを思うことを決して諦めない意志がある。様々にアプローチがあるなかで、最も正しくやさしい在り方が探されている。フェミニズム研究会は、そのような実践が当たり前のように試行されている場所だった。同時に、メンバーはそれぞれにフィールドと専門を持ち、言うべきことを言わんとする人たちである。彼女/彼らは、「やさしく在りながら闘う」という在り方を私に教えてくれた。
私はいま、再びフェミニズムの経験を得ている。この先、もしかしたら遠く離れたときにこそもっと強く、この場所での議論や時間を「確か」に思うだろう。今よりも前に進めたら、力いっぱい今日に手を振るだろうと思う。