第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■読解/倫理 7.「私はあなたではない」をめぐる思考と実践

読解/倫理

「私はあなたではない」をめぐる思考と実践

山口真紀

1 傷ついた人を思うひとのこころ

近年、凄惨な事態を伴う社会的出来事をめぐって、その問題の解明・解決とともに、当事者の経験や内的葛藤を理解することの必要が言われている。「当事者の発見」は、出来事の消失・忘却に抗う唯一の手段として、現代の歴史的命題に位置付けられようとしている(Felman 1992=1995)。また出来事に際して損なわれた感情の回復は、出来事の真偽と同様の重さで取り扱われるべきと認識されつつある。このことは、例えば「当事者の語り」に寄り添おうとする聞き手の存在を後押しする(上野 1998)。そして広く、私たちの社会に傷ついた他者がいることを知らせ、他者の感覚している感情への感度を高めるよう要請する。
本稿で考えたいのは、傷ついた人を思うひとのこころである。私たちは、他者に生じている理不尽な出来事を、自身に生じた痛みのように受け止めることがある。例えば、ハラスメントの「目撃者」も当事者と同様に深刻な心的ダメージを受けるという認識は、社会に共有されつつある。さらに犯罪被害者遺族の心情については、常に社会的配慮の対象となってきた。そして、ひとが第三者であるにもかかわらずある被害-加害を問う行動に主体的に関わる意志を持つことを、私たちは事実として、また多くは正当なこととして支持している。しかし改めて考えてみると、なぜ自身ではなく他者に向けられた暴力を苦痛に感じるのだろう。あるいは自身が直接的な加害を被ったわけではないにもかかわらず、なぜ加害者に対して介入的・復讐的な欲望を抱くにまで至るのだろう。傷ついた当人のこころの扱いや、その深刻さについて多くのことが言われている一方で、傷ついた人を思うひとの在り方については十分に考えられていない。傷ついた人を思うとき、こころはどのように動き、何をしようとするのだろうか。
傷に寄り添おうとするこころに注視して、ここに理論を拾おうとしてきたのは、フェミニズムである。フェミニズムがもたらした知見のひとつに、他者の痛みへの「理解」に対する留保と自省がある。それはポストコロニアル・フェミニズムにおける、ポジショナリティの議論に収斂されている。
ポジショナリティの思考は、出来事を空間的に捉えなおすものである。出来事を俯瞰すれば、関与者それぞれの「位置」が視覚的に捉えなおされ、関与者がそれと自覚なしに寄って立っている権力の勾配が明らかになる。この問題意識は西欧諸国のフェミニストによる第三世界の女性への言及が、代弁の暴力や知の欺瞞として働いたことに端を発している。「誰が、誰に対して何を言えるのか」と問うのは、(支援者を含む)第三者が当事者に成り代わって発言し、当事者の経験を簒奪してしまう事態が案じられているためだ。日本においては、アラブ文学を素材に第三世界フェミニズムの思想を論じる岡真理が、ポジショナリティの概念を最も私たちによく知らせ、また研究という営為において実践している。岡は、著書『彼女の「正しい」名前とは何か』において、(まさにそのタイトルに象徴的であるように、「名前」という)最も重要な事柄を見落とし、知らないことにも気づかないまま走らせてしまう私たちの「理解」の形式を告発する。岡は、近代的な「理解」の陥穽を明らかにする際に、文学批評の分析手法を用いている。本稿は岡にならい、傷ついた人を思うひとのこころの機序について考察を試みる。

2 分節化する理性と、理解への欲望

岡の著作のうちに、アメリカ映画『セブン』(1995年)についての詳察がある(岡 2000b)。岡は、妻を殺された復讐として殺人を起こす刑事の心的機序をたどりながら、重要な他者が痛んでいることを目の当たりにしたとき、ひとがどのような力の元に立たされるのかについて考察している。
『セブン』はキリスト教の七つの大罪(暴食、強欲、怠惰、肉欲、傲慢、嫉妬、憤怒)をなぞらえた一連の殺人事件をめぐるミステリーである。映画の主題は、最終盤の犯人と刑事が荒野で対峙するシーンに描かれる、一人の人間のうちに生じる理性と欲望の相克にある。犯人は既に五件の殺人を起こしているが、それらは人間の欲望の罪に対する罰の「執行」として行われていた。犯人は独善的な「規範」に従って刑を執行する。例えば「肉欲」の罪を象徴させて娼婦を殺すといったように。犯人の思惑は被害者個人への執着や恨みよりも、人間の理性に対する(敵対的な)挑戦にあると言ってよい。そして、残りの罪について見せしめに選ばれたのは、犯人自身と、他ならぬ刑事であった。犯人は「嫉妬」から刑事の妻を殺害したと告白する。そして、「憤怒」に従って刑事が犯人を殺害することで、一連の企てを成し遂げようとする。
クライマックス、犯人と刑事はそれぞれの使命を(犯人は刑事に引き金を引かせることを、刑事は犯人を捕縛することを)完遂すべく睨みあっている。「刑事の妻を殺した」と犯人が告げたところで、その場に小包が届く。小包を確認するのは刑事の上司サマセットである。刑事はその内容を見ないが、しかし犯人の誘導によって、また上司の挙動によって「それ」が妻の亡骸の一部(首)であることを確信する。そして、引き金を引く。
このシーンについて岡は、「なぜ刑事は引き金を引いたのか」と問うている。妻の死を知らされた刑事の怒りや苦しみは、おそらく一度に「混乱」として刑事に生じているのであろうが、それらはその由来によって分節化されうるはずである。殺されたのは妻であって、刑事ではない。岡はこれに留意して、次のように述べる。

刑事を暴力的に殺人に駆り立てるもの、それは、自分の妻を殺された、ということではなく、妻が殺されたということのなかにある(岡 2000b: 204)

格助詞の一文字は、妻の死をめぐる出来事によって生じた痛みを、自分を主語において理解するのか、妻自身に生じたものと理解するのかの違いを示している。目に見えず、自身にも正体がわからないままに生じる感情は、当人をひどく混乱させるかもしれない。このとき分節化によって感情に論理の筋道を通すことは、理論が傷ついている当人に貢献する唯一の方法である。そしてもし自分自身に由来する痛みであれば、怒りや衝動は自身の意志下でコントロールしうるように思われる。もちろん簡単にはいかないが、少なくともその可能性がある。しかし他者に生じている痛みについてはそうはいかない。他者の感覚している痛みは、その他者においても不確実でコントロールできないものであろうし、であるからこそ私たちは「理解」できず、そして「理解」したいと欲望するものに他ならない。

彼の苦痛、自分の妻を殺されたという苦痛は突然、妻自身の苦痛になる。妻の苦痛、妻が被ったに違いないと彼が考える苦痛を、彼は、その虚ろなまなざしに投影する。そして、そこに投影された苦痛に同一化する、妻の苦痛として。彼にとって耐えがたいのは、それ、妻の苦痛なのだ。そして、その苦痛を、妻自身が表明できないということである。物言わぬ口に代わって、彼は表明しようとする、妻の苦痛を。(岡 2000b: 205)

上記で岡は、痛みを分節化する理性と、他者の痛みを「理解」しようとする欲望が共に生じるときにこそ、自身の痛みを他者の痛みと混同する(あるいは同一化する)契機が潜んでいると見ている。死に際して妻に生じたであろう苦痛を、刑事は想像する。しかし刑事には、妻に生じた怒り苦しみ悔しさ痛みについて、生じたであろうことは確信するのに、それの色、かたち、上限、強さがわからない。このわからなさが、刑事の苦しみになる。妻は死んでおり、どのようにも発信されず、ゆえに確かめることができない。こうして、妻自身がそれをもう「表明できない」という事実が、彼自身の苦痛になる。

他者の苦痛、あるいは他者の苦痛として投影された私たちの苦痛が、私たちを、私たちの意志とは無関係に行動する主体へと暴力的に駆り立てる……私たちにとって耐えがたいのは、苦痛が容易に想像されるにもかかわらず、「それ」自らが苦痛を表明していないこと、「それ」が「それ」でしかないということだ(岡 2000b: 206-7)

岡が照射しようとするものは、直接の当事者ではない第三者が、当の出来事の被害-加害を問う行動に主体的に関わる意志を持つとき、この決定を突き動かす「圧倒的な(暴力的な)力」である。この力の源泉は、ブラックボックスとなっている「それ」(妻の首)である。本当は死に際して妻が苦痛を持ったかどうかはわからない。ここで他者への「理解」は想像力で補われることになる。しかし私たちは、他者の苦痛にこころを向けても、どこかの段階で想像力を遮断する。他者に生じた苦痛をそのように想像することは、あらゆる意味で困難である。想像力を働かせることの「限界」と言って手放すひとも、あまりに強く感じられて意識的に閉じるひともいるだろう。刑事は想像に耐えられず、耐えられないことを振り払うために自らの行動を起こそうとする。妻の苦痛を「理解」できないという刑事の不安は、妻に跳ね返され、苛立ち、「怒り」となって刑事に還ってくる。
以上に追ったように、刑事は不安や苦痛を「怒り」に転じ、引き金を引いた。自身にまとわりつく感情が、喜びやおかしみではなく悲しさや怒りに満ちているとき、ひとはより強く振り払おうとするだろう。だから刑事の引き金にかけた指の力について想像することは、容易である。
岡は、他者の痛みに向けられる私たちの「理解」の欲望とその力について考察し、私たちに行使の自省を呼びかける。この知見は、他者の痛みを感覚せよという近代的命題に応える、ひとつの思考の到達点である。

3 なにが刑事に引き金を引かせたか

岡の詳察「なぜ刑事は引き金を引いたのか」に対する答えは、次に示されている。痛んだ妻が苦痛を表明しない/できないためである。刑事は妻の苦痛を代行するかたちで、自らの苦痛を表明したのだった。ではここで「なにが刑事に引き金を引かせたか」と問いのかたちをかえても、上記の答えは変わらないだろうか。
荒野のシーンを遠景で捉えなおすと、刑事以外に、痛む人にこころを向けているひとが別にいる。それは上司サマセットである。退官を間近に控えたサマセットは、まだ若い刑事と共に一連の事件を追い、犯人の意図にいち早く気づいた人物でもあった。そして、荒野の場面において、犯人からの届け物(妻の首)を受け取り、確認した唯一の人物である。サマセットは、犯人の思惑と刑事の葛藤の狭間にいて、何を思い、何をしただろうか。
上司サマセットは刑事の苦痛を予見できる立場にいた。年端を重ね、教養に富み、成熟した人物であるというだけではない。妻の首を見たのは、上司だけであるからだ。犯人の「妻の首だ」という呟きが挑発ではなく事実であることを知るのは、サマセットだけであった。刑事は犯人と対峙しながら、届けられた箱の中身を確認する上司の挙動に意識を集中し、事態を読み解こうとしている。サマセットは中身(映像にはうつらない)を見て驚き、大きく刑事を振り返り、息をのんでから「銃を下ろせ」と刑事に怒鳴る。しかしこのことは、サマセットが確認した箱の中身が、刑事が引き金を引くに足る証拠であることを裏付ける行為に他ならない。またサマセットは、刑事が知らなかった妻の妊娠について語る犯人を殴る。この行為も同様に、それが事実であることを刑事に確信させた。結果として、サマセットの強張った表情、刑事を見る目、犯人への敵意、それらのひとつひとつが、刑事にことの凄惨さを決定的に知らせていた。図らずとも実際には、刑事に引き金を引かせたのは妻の物言わなさではなく、サマセットの所作であったかもしれなかった。荒野のシーンにおいてより喫迫して問われていたのは、刑事の引き金にかけた指の力ではなく、サマセットの挙動、視線、言葉ではなかっただろうか。
刑事が妻に、サマセットが刑事に、両者は共に傷ついたひとを思っている。しかし、この両者の間に生じているこころの働きは同じではない。刑事は妻を思う。妻は死んでいる。サマセットが想像するのは刑事であり、彼は生きている。こころをかける対象が死者であるか、生者であるかの違いは、痛んだひとにおいてこの先にも苦痛が生きられてしまうかどうかにある。「他者」の概念もまた、分節化される必要がある。
刑事は死んだ妻の苦痛を思っている。死者はもう応えてくれず、問いかけは的に当たらず消えてしまう。凄惨な出来事に対して私たちがとるべき倫理は、このように、不在であることを担わされた死者に対する応答責任として説得的に語られてきた。戦争や震災について、「繰り返さない」「忘れない」という宣言が、いつも死者に対して行われるように。死者を悼み、これに準じて自らの生に責務を感じながら、私たちは生きている他者の苦痛にこころを向けて暮らしている。
サマセットが荒野で見せた狼狽は、刑事の身の上に生じた理不尽な出来事と、それを知らされた刑事が迫られる決断の重さが予見されたためだろう。そこには刑事に生じる悔恨や取り返しのつかなさ、そうした生を歩まざるを得ない刑事を不憫に思うまなざしが含まれている。たとえ本編とは異なり、刑事が銃を撃たなかったとしても、刑事には復讐しうる唯一の機会を行使しなかった後悔が付きまとうに違いない。撃とうとも撃たなくとも刑事の生に困難が降りかかることは、サマセットでなくとも予見できるだろう。サマセットの苦痛とは、痛んでいくだろうことが予見されるひとを痛む感情である。そしてサマセットが立たされてしまったのは、自分の挙動が、他者の苦痛をそれとして実体化させる決定に関与せざるを得ない場面であった。
何かの出来事に直面した当人が、生じた感情の意味づけをさ迷って言語化もしていないとき、誰かの一言が、当人における出来事の意味づけを確定させてしまうことがある。「それは酷い」であるとか、「許せない」であるとか、そう言って頷いたことが、当人に生じているあいまいな感情を実体化させてしまう。悲しいのかどうかもわからなかった感情が、「悲しみ」になる。あるいは、聞き手に促されて「喜び」になることもあるだろう。このことで当人の気持ちが緩和されることもあれば、深刻さに落ち込むこともある。いずれにせよ、自分の言葉や所作のひとつが、他者の苦痛を「決定付ける」かもしれない。
岡は、他者の痛みを感覚せよと要請される近代において、物言わぬ他者の痛みを代弁しようとするときに無自覚な私たちの欲望を告発した。私たちはこれを身に戒めながら、そしてサマセットのように、自分の言葉や行動が他者の生きられる傷に関与するかもしれないという不確実性にこころをかけて生きている。「言動ひとつ気にしていても仕方ない」「他者の受け止め方まで考えていてはきりがない」と言うのもいい。しかし他者の痛みを感覚せよというメッセージをやはり正面から受け止めるなら、サマセットは次のように自身に問うてしまうのではないか。もし届け物を確認した顔が強張らなかったら。犯人と刑事の間に割り入って、銃をかまえている腕に手をかけていたら。大丈夫だと、微笑んでいたら。
映画は護送車で運ばれる刑事を見送るサマセットの視角で終わる。サマセットは同僚に刑事の面倒を頼み、「自分は何とか生きていく」と呟く。

4 「共感共苦」の思考と実践

サマセットは私たちである。そのように言うことは、他者に対する自らの関与を大きく見積もり過ぎかもしれない。たとえ実際にはサマセットの挙動にかかわらず引き金は引かれたのだとしても、注視すべきは、サマセットに問われた態度や理解である。それは自身の発話や行為の不確実性を思いながらも、傷ついた人に向き合うひとのこころの働きである。
サマセットである私たちは、傷ついた他者に対してどのように思考すればいいだろう。岡は、苦しむひとを占有せず、また放棄するのでもなく、共に在り共に思考するための回路を以下のように記している。

私は彼女たちではない。だとすれば、彼女たちではない私の、彼女たちの苦痛に対する「共感」とは、私自身の他者性において求められなければならないのではないか。彼女たちに同一化することで想像的に共有される苦痛ではない、私自身の苦痛の固有性において追及されなければならないのではないか。私が、彼女の苦しみを苦しむのではなく、私自身の苦しみを苦しんではじめて、彼女と出来事が分有される、その可能性が生まれるのではないか。(岡 2000b: 227, 下線:引用者)

上記を、いま一度次のように言い換えてもよいだろうか。「あなたは私ではない。私はあなたではない。だから決して、理解できる/理解しようとは思わない。しかし私は私の感覚や経験において、あなたの苦しみと共振する」。私的な言葉で表すしかないような、さざ波のようなこころの働きに、傷ついた人と共にいる可能性が賭けられている。岡はここで、「共感共苦」と呼ばれる情動に、つながりの回路を見出しているのである。
「共感共苦」(compassion)とは、直接にかかわりのない第三者が、出来事やその当事者に心を寄せるときの情動として説明されるものである。トラウマについてフェミニズム/クィア理論から考察する岩川は、「共感共苦」について、「『同情』や『憐れみ』といった意味で訳されることが多かったこの言葉は、『情念』や『受難』という原義があることをふまえて、他者の痛みを自らも鈍痛をもって受けとめることを指す」と述べている(岩川 2013: 123-124)。「共感共苦」の実践について、岩川の論考から読み拾うことができる。岩川は、鬼束ちひろのライブ録のかたちをとった論考において、鬼束のこころが傷ついた自己と他者に向けられていることを感じとり、鬼束のパフォーマンスを「見過ごされてきた苦しみについての、切れ切れの証言」として受け取っている。鬼束の姿に「あなたは苦しい。だから私も苦しい」という「共感共苦」の原理を重ねながら岩川は、しかし、「他人の痛みを痛むことはできない」と結語の手前でやはり留保を置くのである。ただし、鬼束を見つめる岩川自身のまなざしによって、読者は苦しみが必ずしも孤独のなかでだけ続くわけではないと気づくだろう。鬼束と岩川のあいだ、そして傷を思う読者とのあいだに、つながりの回路が開かれている。
また、広島をめぐる集合的記憶について論じる米山リサも「共感共苦」という情動に着目している(米山 2006)。「共感共苦」の情動は、負の出来事に無関心である私たちの「現在」を塗り替える可能性を持ち、「未来」に対する批判的視点を獲得させるものである。米山は「共感共苦の境界線」という視角を用いて、私たちは誰に共感し/共感しないのか、この境界線を規定する政治性について告発する(玉城 2010)。以上のように「共感共苦」は、痛みに立ち止まることから始まる実践として、他者と私たちを隔てているものへの不断の問いとして、思考されているのである。
ここで、改めて問うてみたい。「共感」と「共苦」は必ず結びつくものだろうか。共感も共苦もそれぞれに独自の意味内容を持つ言葉である。にもかかわらず、なぜ分かちがたいように思われているのだろうか。「共感共苦」と呼ばれる情動は、どのような心的機序をたどるのだろう。
第三世界ポストコロニアル研究やトラウマ研究、そしてフェミニズムの基底には、傷ついた他者が感覚しているものへの感度を高め、共に在るための模索を放棄しない意志がある。この意志を強く持たせる原動力こそ、共感にあるのだろう。共感するとはどういうことだろうか。例えば、似たような境遇にあったり、倒すべき敵/大切な価値/楽しいと思うことを共有できたり、あるいは相手の痛みが自分の痛みであるように感じられる。このことは私たちの多くに経験がある。実際に感情の表明や交換がなされていなくても、他者に対する共感は生じる。
共感を覚えると、相手との心的距離は近くなる。例えば共感を示す言葉に「あなたの気持ちがわかる」「私の思いをわかってくれた」、さらには「あなたは、私である」「私は、あなたである」という表現がある。他者と自己がとても似ていて、限りなく近い存在であると感じられることは確かにある。しかし他者の痛みを感覚せよという近代的命題に応答する理論は、他者と「同一化してはならない」、他者を「理解してはならない」と警鐘を鳴らしていた。同一化や「理解」への欲望は、他者を自身の思うように仕立て上げたり、他者の苦痛を軽んじたり、あるいは反対に高く持ち上げ過ぎたりして、そのひとの経験をそのひとの元から取り上げてしまうからだ。これを踏まえるなら、「私は彼女たちではない」と考えて、他者と自己を切り離さなければならない。「あなたは私である」から、「あなたは私ではない」へと「私たち」の距離を置きなおすのだ。現代において、「あなたの痛みは、私にはわからない」と、他者の苦痛を共有不可能なものとして認識することは、他者に対する誠実な応答のひとつと考えられている。
「あなたは私ではない」という認識は、自身と他者との間の境界線を浮上させる。すると私は、「あなたではない私」になる。私は、痛むあなたにはなりえない。あなたと私は、出来事への関与の度合いや国籍、性別や自意識が様々に異なり、それぞれを通して世界を見ている。私が想像する「あなたの痛み」もその視座に依っているのだ。他者と共に在るために、私は私をとりまく条件や無自覚に依って立っていた場所を点検し、この権力勾配を問い直すのである。
しかし「私自身の苦痛の固有性」「私自身の他者性」(岡 2000b: 227)を自覚することはよほど難しい。こころの底を掘り起こし、自身の感情や行動原理を点検し、言語化を試み続けなければならない。この作業における心身の奥をたたくような重たさが、傷ついた他者とつながるための条件であるようにも思われる。そして「批判的な自己内省」は、沈めていたかもしれない自身の「苦しみ」へと目を向けさせる。こうして澄まされた感受性は、また新たに、他者の傷への共感をこころに生じさせるだろう。
「共感」から「共苦」にいたる心的機序は、苦しみをめぐる円環(共感-自問-自覚-共苦)を形作っているように見える。岡が提示するように、他者を「理解してはならない」という警鐘はあまりに正しく説得的であり、優しいひとのこころの深くに根をはる。他者の苦痛に感度を向けているひとほど、そのように身を戒めるに違いない。「共感共苦」の思考や実践は、苦しみをめぐる円環にひとを縫い留めてしまうことにならないか。もし本当に「共感共苦」につながりの可能性を賭けてしまったら、優しいひとが苦しみから身をはがすことを難しくさせてしまうのではないだろうか。

5 おわりに
―苦しまない場所への思考―

以上に、傷ついた人を思うひとのこころをめぐる思考と実践をみてきた。
2節では岡の議論を参考に、他者に生じた苦痛を自身のものとして感覚するこころの機序について確認した。他者との同一化や「理理」への欲望に対する自省は、他者の痛みを感覚せよという近代的命題に応えうる思考である。3節では、傷ついた人に対して私たちが問われている態度や理解について考察した。不用意な、あるいはたとえ配慮に満ちた言動であっても、私たちの行動ひとつが他者の傷を深め、動揺させ、決定づけてしまうかもしれない。この不確実さを思いながらも傷ついた人と共に在るための方途が、現在の私たちに問われている。この手掛かりとして4節では、岡をはじめとしたフェミニズムを基底におく思考が、「共感共苦」の情動に回路を見出していることを確認した。ただし「共感」から「共苦」に至る心的機序は、傷ついた人を思うひともまた「痛む主体」にさせてしまう可能性を持っている。
「共感共苦」を論じる岡の言葉から、「共に苦しむ」という在り方を退ける方法はないだろうか。フィールドに赴く研究者や、他者の傷やトラウマを見つめようとするひとが呟きのように「あとがき」に載せる言葉に、彼女/彼らの痛みが読み取れることがある。「あなたのことを思っている」という穏やかな言葉であるときも、自身の経験の吐露に見出されるときもある。傷ついた人を思うひとは、苦しみをめぐる円環のなかを回り続けるのだろうか。このことは、最も皮肉には「自身の問い直しに帰着する思考停止」と見なされるかもしれないのだ。しかし傷や苦しみをめぐる思考は、思うひとのこころの内奥の感情によって駆動し続けている。であるなら、思考の宛先を苦しまない場所へと向けていれば、こころはいつか別の道を行くかもしれない。傷を思うひとのこころが切り詰められることのないように、「共苦」に至る手前で違う方法もあると言えればいい。ここから、そのように考えていく。

[文献]
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