第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 5.「個人的なことは政治的なこと」をめぐる断章

理論/実践

「個人的なことは政治的なこと」をめぐる断章

堀江有里

1 問題の所在
―“闘う”ためのフェミニズム―

フェミニズムは“おもしろい”のか―フェミニズムのもつ可能性を実感してきた人びとにとって、もちろん、そのこたえは“イエス”であろう。しかし、そのような人びとが出会ってきた、それぞれの「フェミニズム」には、じつは、かなりの幅があるのではないだろうか。いや、その幅は隔たりと言い換えても良いのかもしれない。
現在、フェミニズムは多くのテーマを抱えている。それらのテーマによって細分化された複数形のフェミニズム(feminisms)には、その数だけ、それぞれの歩みがあり、足跡がある。もちろん、残されてきた足跡は、フェミニズムの“豊かさ”をも示しているだろう。しかし他方では、つぎのような疑問も生じる。細分化とともにもたらされた“豊かさ”は、いくつもの差異を顕在化させ、そのあいだにある溝を超えて対話する努力を置き去りにする結果をもたらしてきたのではないだろうか。フェミニズムの〈内側(inside)〉に断絶が横たわっているにもかかわらず、立ち止まって考えることがなされずにきているのではないだろうか1。もちろん、この問いは、フェミニズムのなかで研究や活動をつづけてきた筆者の自問でもありつづけている。
また他方で、フェミニズムは、ときに「終わった」ものとしてみなされることもある。ある人びとにとっては、フェミニズムは不要のものとして破棄されようとしているし、またある人びとにとっては、フェミニストたちの声はただのノイズとして認識され―あるいはノイズであるがゆえに、認識されそこねて―聞くべき言説としてはみなされない事態を迎えてもいる。
しかし、このような指摘はいまにはじまったことではない。たとえば、江原由美子は、1988年の時点で「フェミニズムはもう古い」、「フェミニズムは終わった」という感覚が提示されていることを指摘し、そのなかでこそ、「今『フェミニズムの言葉』に何が起きているのかを認識し、言葉にしておくこと」が必要であると述べている。江原は「『フェミニズムの言葉』が消去されぬうちに、『フェミニズムの言葉』を消去してしまうその装置についての認識を言葉化しておくこと」を強調する(江原 1988: 2-3)2。積極的・消極的に出現する〈フェミニズム不要論〉の位相や論点はさまざまにあり、一筋縄で軸を立てて考察することは容易ではないが、フェミニズムは、〈外側(outside)〉からの攻撃や無化という圧力にもさらされてきたといえる。
では、上に示してきたような〈内側〉での断絶や、〈外側〉からの攻撃など、さまざまな課題を抱えるフェミニズムの意味や意義を、いま、どのようにみいだすことができるのだろうか。本稿では、筆者なりの視点から、フェミニズムの可能性について考察してみたい。
その際、鍵概念として注目したいのは、ラディカル・フェミニズムが生み出した「個人的なことは政治的なこと(The personal in political)」というスローガンである。このスローガンは、個々の女性たちが―まさにこの点がどのような“わたしたち”が想定されうるのかという問題をはらんでいるのだが―その経験をたんに「個人に起こった出来事」ではなく、社会構造のなかで振り分けられた「女」というジェンダーにあてがわれた「政治的な出来事」として客観的に位置づけ、問題化する契機を生み出してきた。
本稿で、このスローガンに注目する理由はふたつある。ひとつには、このスローガンが、女性たちを劣位に置くジェンダー体制のみならず、たとえば、同性愛者排除をめぐる問題構制においても、なお、有効性を発揮してきたという点である。そのような意味において、異性愛という限定された枠組のみならず、より広い、性をめぐるポリティクス―セクシュアリティのポリティクス―にも有効なスローガンとして生きつづけてきたといえる。もうひとつには、いまという時代であるからこそ、立ち戻る地点として、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンに可能性をみいだしたいという点である。いまという時代―そこで想定されるのは、つぎのような特徴をもつ時代である。すなわち、女性たちの経験がフェミニズムによって問題化を経て広がり、女性の権利が法律や制度で獲得されてきたなか、「個人的なこと」が社会構造に埋め込まれた「政治的なこと」であるとの認識が後景化していく。そして、ふたたび「個人的なこと」へと回収される傾向にあるという時代状況である(三浦 2013)。
異性愛に限定されない性をめぐるポリティクスを考えていくために、また、「政治的なこと」が後景化する時代状況を問いなおしていくために、そのようなふたつの意味において、「個人的なことは政治的なこと」を、わたしたちは、ジェンダー/セクシュアリティをめぐるポリティクスにとって重要なスローガンとしてとらえることができるのではないだろうか。
しかし、このスローガンのもとに、女性の経験を共有する契機が生み出されたと同時に、さまざまな解釈のなかでは、女性たちのあいだにある異なる経験が検証されることは多くはなかった。それが先に示したフェミニズムの〈内側〉における断絶の問題である。すなわち、同じスローガンを共有しつつも、そこで向き合っているのは異なった風景であるという現実は、ときに、女性たちのあいだにコンフリクトを生み出してきてもいる。女性の位置を、誰がどのような視点からとらえようとするのか。本稿では、その限界についても考察することとしたい。
ここで検討すべきふたつの事項を提示しておきたい。ひとつには、女性の経験を共有する契機となった「個人的なことは政治的なこと」というスローガンのもとに、あるいはこのスローガンと連関しながら、どのような“わたしたち”が想定されうるのだろうかという〈主体〉の問題である。そして、もうひとつには、そのスローガンをもって、何と向き合う、あるいは“闘う”のかという〈対象〉の問題である。本稿では、これらを検討することによって、反権力の思想/実践としてのフェミニズムの“おもしろさ”を考えてみたい。
結論を先取りしておくと、つぎのようになる。フェミニズムは終わっていない。いまもなお、“わたしたち”にとって“闘う”ためのツールとして有効である。ただし、女性たちのあいだにある異なる経験を認識できるような場がある、というかぎりにおいて。

2 第二波フェミニズムのインパクト
―「個人的なことは政治的なこと」―

2.1 フェミニズムとは何か
そもそも、フェミニズムとは何か。以下にいくつかの定義と流れを簡単にみておきたい。
ローカルな視点とグローバルな視点の双方からみたフェミニズム理論のアンソロジーをまとめたキャロル・マッキャンとキム・ソンギョンは、フェミニズムの端的な定義を「女性のための女性による政治的な運動(political activism by women on behalf of women)」として提示する(MaCann and Kim 2003: 1)。合州国では1970年代にはじまった女性運動の「第二波(the second wave)」3のなかで広く使われるようになっていった概念である。
また、高橋准は初学者向けの書物のなかで、フェミニズムをつぎのように定義する。「性差別を、主に女性の立場から批判的に読み解き、かつ/あるいは、解体していこうとする思考と実践の総体」である、と(高橋 2011)。ここに示されているのは、「女性の立場」という〈主体〉、そして「性差別」という〈対象〉である4。
フランス人権宣言(人間と市民の権利宣言/1789年)を引くまでもなく、近代の「人権(human right)」は男性の権利を意味していた。「人権」は人間全般の普遍的な権利ではなく、男性だけに付与された権利にすぎなかったのだ。現に、同人権宣言の「人=男」を「女」に入れ替えて、女性の権利宣言(女性と女性市民の権利宣言/1791年)を公表した劇作家オランプ・ド・グージュが、断頭台へと導かれ、公開処刑されたことは有名な話である。
いわゆる「第一波フェミニズム」と後に呼ばれる運動のなかで、女性たちは「男性と同等の権利」を獲得するために声を挙げた。しかし、参政権を求める運動を経て、法の下の平等を実現したとしても、女性は男性とは「平等」にはならなかった。1949年にシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、女性が生まれてから成長する過程のなかで「女」というラベルが貼り付けられていく様相をあきらかにし、「人は女に生まれない。女になるのだ」と指摘した(ボーヴォワール [1949] 2001, Ⅱ上: 12)。法制度上は「男女平等」になったとしても、なお、慣習や意識などをとおして社会構造に埋め込まれている性差別は残りつづけたし、いまも残りつづけている。
そこで、いわゆる「第二波フェミニズム」が生み出されてきた。法制度が「男女平等」であっても、人びとの意識や慣習はかわらない。すなわち、性差別が残りつづけている基盤として、女性を男性よりも劣位に置く意識や慣習が社会構造のなかに埋め込まれているという指摘である。「セックス」(身体的性別)と峻別し、文法用語を援用して表現された「ジェンダー」(社会的・文化的性別)という概念は、身体を基盤とした性差別を問題化するツールとして使用されることとなる。まさに、女性が生物学的に劣っているのではなく、身体を理由づけとしながら、文化的な思い込みであるジェンダー・バイアスが社会において共有されているにすぎないこと、そして個人の属性が、ある社会や文化の内部で共有されている信念体系としてのジェンダー・ステレオタイプと結びつけられているにすぎないことが、あらためて“発見”された(加藤2006)。そして、「男性」「女性」という二つの性別のあいだに生み出される格差が問題化されることとなったのである。
性抑圧の分析ツールとしての「ジェンダー」は、心理学者のロバート・ストーラーが1968年に定式化し、1970年代にフェミニズムによって広められていった。上野千鶴子が表現するように、ジェンダーという分析ツールが導入されることによって、「それ以来、性差をめぐる議論は、大きなパラダイム・チェンジを被ることになった」し、また「フェミニズムは『女らしさ』の宿命から女性を解放するために、性差を自然の領域から文化の領域に移行」させることとなった(上野 [2002] 2015: 3)。

1980年代以降には、「第三波フェミニズム」を名のる人びとが生まれてくる。「第二波フェミニズム」のなかでは、たとえば、合衆国の文脈では、白人・中産階級・異性愛者の女性たちが、「女性」を代表するものとして表象されてきたことに対する異論が起こりはじめた。また、冒頭に述べたように、「フェミニズムは終わった」とする言説も広がっていくこととなる。
三浦玲一は、文化表象の領域のなかで、英語圏のフェミニズム研究において、1990年代に訪れた変化を「ポストフェミニズム」として認識されてきたことを指摘している。三浦によると、ここで用いられる「ポストフェミニズム」とは、「『フェミニズムは終わった』という認識であり、また、フェミニズムが終わったとして『その後の女の問題』という意味でもある」(三浦 2013: 62)。
このように、「フェミニズムは終わった」とする認識は、英語圏のみならず、日本にも存在する。たとえば、近年指摘されているフェミニズムをめぐる日本の(若年層の)女性たちの無関心について、個人化される文化への関心に集中している様子を取り上げ、三浦は以下のように指摘している。

ポストフェミニズムの特徴は、日本で言えば、一九八六年の男女雇用機会均等法以降の文化だという点にある。それは、先鋭的にまた政治的に、社会制度の改革を求めた、集団的な社会・政治運動としての第二波フェミニズム、もしくは、ウーマン・リブの運動を批判・軽蔑しながら、社会的な連帯による政治運動という枠組みを捨て、個人が個別に市場化された文化に参入することで「女としての私」の目標は達成できると主張する。(三浦 2013: 64)

三浦が指摘するのは、その背景に社会経済体制の変化が横たわっているという点だ。それは、小さな政府と競争原理の導入を特徴とする新自由主義である(三浦 2013: 64)。フェミニズムが求めてきた、また獲得してきた女性の法制度上の権利が前提として存在する世代にとって、「社会運動を重視する連帯の精神としての第二波フェミニズム」は批判対象でしかなく、「市場における達成を重視して個人主義を称揚する」流れが生み出される傾向にある(三浦 2013: 66)。
しかし、それでもなお、ポスト・フェミニズムという言葉に、あたらしい意味を読み取ろうとしたのは、竹村和子である。竹村は、「ポスト」とは「フェミニズムは終わった」という文脈で使用されることに対し、つぎのような読み替えを行っている。すなわち、「ポスト」を「前の時代と重なり合いながら、まえの時代を自己批判的に、自己増殖的に見る視点」としてとらえ、「時間軸だけでなく、思想的で、政治的で、批評的な意味」を与える(竹村 2003: 3)。そこで竹村が提示しようとするのは、「他の批評理論と交差しながら理論をより先鋭化・深化させ、新たな領野を切り拓いているフェミニズムの新段階」である(竹村 2003)。
三浦や竹村が指摘するようにフェミニズムは岐路を迎えている。そして、であるからこそ、そこにあらたな可能性がみいだされようとしているのだ。

2.2 「個人的なことは政治的なこと」
竹村も指摘するように、「第二波フェミニズムは、その語が作られた米国では1960・70年代に爆発的とも言える大きなうねり」をみせた(竹村 2003: 2)。そのうねりのなかで生まれてきたのが、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンである。私的領域に属するものとして数えられていた家族や恋愛などの人間関係も、公的領域とは完全に分離されているわけではない。むしろ、社会構造のなかに埋めこまれ、規定されている事柄である。この点について、江原由美子は、「男女間の利害対立や支配-被支配関係は、結婚・強制的異性愛・母性などの私生活領域も規制している制度」によって成立しているのであり、この制度が「家父長制」として言挙げされたことを指摘している(江原 2000: 54)5。
私的なものとみなされていたものを、社会構造に埋め込まれたものとして認識することに、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンは、大きなパラダイム転換を生み出した。千田有紀は、「私的なもの」として意味づけられていく力学をつぎのように分析している。

このスローガンは、私的領域における権力関係を、「私的」で「個人的」なことに留めるのではなく、「政治」の問題、権力の問題としてとらえなおそうという主張であっただけではない。煎じつめればそれは何が「公」的な問題で、何が「私」的な問題であるかというレッテルを貼ること、つまり公と私の線引きをすること自体が、恣意的であり、権力的であるという認識につながっていくのである。(千田 2010: 195)

すなわち、「個人的なこと」を「政治的なこと」として認識することの重要性のみではない。その線引自体が恣意的であり、「個人的なもの」をとるに足らないものとする行為自体が、問題化されたのである。
しかし、フェミニズムの〈内側〉でも、このような「公」と「私」のあいだの線引が恣意的になされることがある。その線引が採用されることによって、何がそこなわれているのか。次節にて、異性愛主義という観点から具体的な例をみていきたい。

3 フェミニズムのなかの異性愛主義
―他者化という現象―

竹村和子は、フェミニズムについて書くという作業に取り組むとき、知人から、「フェミニズムに戻るのか」と問われたことがかつてあったと述べた。「セクシュアリティについて語ることとフェミニズムについて語ることはべつの問題である」という考え方があるように思われる、と(竹村 2000: ⅲ)。
異性愛について語らないと、「フェミニズム」ではない、との認識があったことを示唆してもいるのだろう。ここに、フェミニズムのなかにも異性愛を(無意識のうちにであれ)前提視する様相があったことがみてとれる。異性愛者のフェミニストたちによる“あなたは別のところの人”というまなざしによって、他者化が生み出される事例は少なくはない。本稿では、異性愛に限定されないセクシュアリティをめぐるポリティクスをフェミニズムから切り離し、外部化する事例を二点、以下に具体的にみておきたい。

3.1 「敵は外からやってくる」?
日本において、近年、セクシュアリティのポリティクスをめぐって、フェミニズムのなかで起こったコンフリクトのひとつに、日本女性学会2007年度大会におけるシンポジウムの事例がある(2007年6月9日・10日/法政大学)。
このシンポジウムの企画は、当初、会員有志から「フェミニズムをクィアする」というテーマで提案された。これは、フェミニズムの〈内側〉にある性別二元論や異性愛主義をめぐって議論する場をつくろうとする企画であった。
とりわけ、フェミニズムへの攻撃であるジェンダー・バックラッシュと呼ばれる出来事が起こっていくなか、フェミニズムのなかでは、対抗言説を提示していくことが急務の課題として存在した(若桑ほか 2006; 木村 2005; 日本女性学会ジェンダー研究会 2006)。しかし、その対抗言説のなかで、まさに性別二元論や異性愛主義が再生産されていく様子があったと指摘されたのである。たとえば、バックラッシュ側にみられる、フェミニズムは「過激な性教育を提示するものである」とか、「男らしさや女らしさを否定し、中性人間をつくり出そうとするものである」などとの根拠のない主張に対して、それらを否定する対抗言説が性別二元論や異性愛主義を前提とせざるをえなくなっていく6。このような事態があったからこそ対話の必要性が求められたのである。
しかし、実現したのは、「バックラッシュをクィアする ―性別二分法批判の視点から」というタイトルをもつシンポジウムであった7。すなわち、フェミニズムの〈内側〉で生じるコンフリクトを問題化し、議論をするという当初の目的とは異なり、フェミニズムの〈外側〉から来る攻撃、すなわちバックラッシュへの対抗言説を検討するための趣旨へと変更されることとなったのである。積み残された〈内側〉での課題については、学会の公開研究会が設けられ、話し合われることとなった8。しかし、フェミニズム〈内側〉での議論は結果的に成立することなく、終了していく。
研究会の発題者のひとりであったイダヒロユキは、フェミニズムの立場にある人びとが性別二元論や異性愛主義を再生産していくことへの批判を「対立を煽る見解(相手をみくびる態度、矮小化)への批判」として持論を展開した。ここでは〈内側〉での対話を提起する声が「対立を煽る」ものとして認識されていることがわかる。結果として、マイノリティの声が封殺されることとなっていった9。
この出来事については、詳細な考察が必要であろう。というのも、いまも解決しない出来事として、そのまま横たわっているからだ。ただ、少なくとも、以下のようなことはいえるのではないだろうか。
シンポジウムというひらかれた「公」的な場では、フェミニズムの〈内側〉にコンフリクトが生じていることが明るみに出るのは得策ではないと判断される。とりわけ、ジェンダー・バッシングという対抗すべき出来事があるという文脈において。そのため、得策ではない戦略は、「公」的な場で俎上にのせることが忌避される。すなわち、「私」的なものとしてとどめておく必要があると判断される。バックラッシュ言説に対して敏感にならざるをえなかったという文脈はあるものの、社会規範として存在する性別二元論や異性愛主義をめぐる議論が「対立を煽る見解」と認識されることで、フェミニズムが一枚岩であるかのような振舞が生み出される。そこで、セクシュアリティのポリティクスが他者化されるという意味において、「公」と「私」の恣意的な線引がなされていったと解釈できる10。

3.2 「身近な性差別を考える」? ―増殖する異性愛規範
もうひとつ、事例をみておきたい。職責上、あるワークショップに同席した際の出来事である11。このワークショップは、2015年に日本が批准30年を迎える「女性差別撤廃条約」について学ぶことを目的とし、グループ・ディスカッションを伴うプログラムであった。ディスカッションのために提示されたのは「身近な女性差別について考える」というテーマであった。ディスカッションの後、各グループの発表として出てきたのは、①職場で女性の管理職の増員の必要性と、②家庭内における男女平等の必要性であった。
ここで注目したいのは、後者の家庭内における男女平等の必要性―夫の理解と子どもの教育―についてである。会場に「父-母-子」というユニットの「家族」を生きる人びとがどのくらいいたのかはわからない。しかし、参加者50名ほどのうち、多様なライフスタイルを育む人びとがいる可能性もあるだろう。その場に限らず、「身近なところ」にある女性差別の例として、しばしば、家庭内の性別役割が取り上げられる。その日常を送らない人びとまでもが「父-母-子」というユニットを想定して、語る。これもまた、「公」的な場では「家族」のユニットが呼び出され、「標準」的ではない個々人の多様なライフスタイルは「私」的なこととして隠されていく力学が働いている出来事だといえるのではないだろうか。また、このような「標準家族」が引用される場では、女性が「妻」であり、「母」であるという前提が再生産されつづける。この「標準家族」の引用の問題点については、後にもう少し詳しく振り返ることにしたい。

3.3 小括
ふたつの事例から浮かび上がってきたことについて、まとめておこう。
前者は、フェミニズムの〈内側〉において明示的なコンフリクトが起こっている事例であり、後者は、フェミニズムの〈内側〉にいるはずの人びとが、無意識のうちに「標準家族」の規範が再生産されることを維持しているものの、コンフリクトは明示的に現出しなかった事例である。これらは、積極的・消極的という濃淡はあるものの、語りの場という「公」的な場をマジョリティの価値観に受容されやすいように設定し、そしてそこから外れるものを「私」的なものとして位置づけるという点で共通している。
では、なぜ、マジョリティの価値観に受容されやすいかたちで、「公」と「私」の線引を恣意的に行わなければならないのだろうか。次節にて、政策との関連でもう少し踏み込んで検討したい。

4 「男女共同参画」時代とフェミニズム

4.1 「男女共同参画」をめぐる陥穽
バックラッシュに過敏にならざるをえなかったフェミニズムの事例を前節でみた。この点について、もう少し踏み込んで背景をみておきたい。バックラッシュは、単純化すれば、フェミニズムに自らの生活が侵食されると感じた人びとによる過剰な反応を核とした集合的な行為であったと考えられる12。バックラッシュの陣営が主要なターゲットとしたひとつに、1999年に成立し施行された「男女共同参画社会基本法」(以下、「基本法」)がある。政府による「基本法」の制定は、各地の地方自治体での条例策定をも生み出したという効果があった。さまざまなフェミニストたちが協働し、国や地方自治体の各地で策定のための努力を継続し、交渉し、「女性の人権」が明記されていったことは、フェミニズムにとって、重要な進展であったことは事実であろう。それに対して、「男女共同参画」に反対する立場からフェミニズムへの攻撃が激化した。とりわけ、根拠のない主張をもとにした攻撃への反論を繰り出しても、まったく聴くことのないバックラッシュ陣営。かれらの声が大きくなり、煽動されていく人びとが増えるにつれ、フェミニズムにかかわる人びとがさらに過敏にならざるをえなかったことは容易に想像ができるだろう。
しかし、ここであえて考えたいことは、バックラッシュへの対抗言説を繰り出すために、フェミニズムは、ある種の「保守化」という事態を迎えたのではないだろうか、という点である。
「基本法」は、国や地方自治体に積極的改善措置を含めた「男女共同参画社会」を促進するような施策の責任を定め(第2条)、さらに、性別による差別的取り扱いを受けないこと(第3条)、社会制度・慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響を中立的なものとするように配慮すること(第4条)などを定めている。一見すると、性差別の構造を問いなおす施策が、日本政府によって促進されるような印象を受ける。また、現に、それに対して、「従来の」性別役割分担や「伝統的な家族」なるものを強調する人びとから、バックラッシュの動きも生み出されている。しかし、他方で、この「基本法」は、当初、社会における性差別構造を問題化しようと尽力した人びとの理念とは異なった意味での機能を果たしていることも指摘されている。
たとえば、牟田和恵は、「基本法」の名称が、「男女平等法」にも「女性差別禁止法」にもならなかったことに着目する。そして、「基本法の意味や意義と成果は充分に評価されねばならないし、同法を生かし今後の社会変革へ向けた努力がさらに積み重ねられねばならない」(牟田 2003: 121)と前提した上で、「基本法」を読み解きながら、その根底に流れる思想や、創出される機能に対する危惧を、つぎのように述べる。

基本法では、共働きであろうが片稼ぎであろうが、男女の「夫婦」というペアとその子どもたちよりなる家族が、日本社会の基盤的単位であることは自明の前提とされているように見えるのだ。基本法は、(……)「性別にかかわりなくその個性と能力を十分に発揮」できるような社会をめざすと明言しているのだが、「少子高齢化」や「我が国の社会経済情勢の急速な変化」への対応が前面に掲げられているために、男女が結婚し共に働きともに子育てをする、そのための政策であり法であるような印象を与え、それは(……)、現在のジェンダー秩序を前提としたヘテロセクシズムの温存を図るものではないかという危惧を感じずにはいられない。(牟田 2003: 124)

牟田が示唆しているのは、「基本法」が、「少子高齢化」や「我が国の社会経済情勢の急速な変化」と判断される状況への「対応」手段として位置づけられているという点である。この点が前面に掲げられるがゆえに、「基本法」自体が、女性がより「産みやすい」社会をめざすような印象を提示するのである。
さらに牟田は、「国民と国富の生産・再生産の継続的発展維持をはかる目的から、『生殖する家族』の保護を図ることが政策上の優先課題として基底にある」と指摘する(牟田 2003: 126)。このような側面をとらえれば、「男女平等法」や「女性差別禁止法」という名称が採用されなかった背景が浮かび上がってくる。すなわち、「基本法」は、女性が「共同参画」できないような現状や、それを支える社会の構造を問うものではなく、あくまでも、「男女」が「共同参画」していくことによって、国益を生み出すという目的を基底にもつものであるという背景である。このように、「基本法」は、国家が求める「家族」像を強化し、女性をも「国富」への動員対象として含みこむ機能を果たすのである。

そもそも、「男女共同参画社会」、すなわち、男女が共同で参画することでつくりあげていこうとする社会とは何か。江原由美子は、1988年の時点でしばしば使用されていた「女のため」から「男女両性のため」という表現を「論点のズラシ」として、つぎのように述べる。

「女だけの問題ではなく、男も含めた皆の問題」を考えようという、フェミニストの「優等生」化。これもまた、「フェミニズムはもう古い」という感覚の一つのあり方である。この方向は一見、フェミニズムの問題提起の「普遍性獲得」という自体に見えるかもしれない。しかし、おそらく本当はそうではなく、フェミニズムの「言葉」の力が衰えてきたことを敏感に察知したフェミニストたちが、それを何とかしようとするためのあがきの現われなのだと、私は思う。(江原 1988: 3-4)

もちろん、時代は流れ、社会は変動する。そのため、2010年代のいま、このような指摘を引用するのは的外れなことかもしれない13。しかし、フェミニストたちの努力や交渉の末に「男女両性のため」に使用されていった「男女共同参画」という概念が、「基本法」として結実し、国家が求める「家族」像を強化していくという機能をもつ側面を横に置いたままの状態を、わたしたちは放置しておいて良いものなのだろうか。そして、そのような側面をもつ「基本法」に依拠しようとして、かつて提示されていたはずの違和感を払拭、あるいは忘却してしまって良いものなのだろうか。
筆者は、ここで首肯できないような気がしている。「基本法」が、女性の人権に資する法律としてのみ引用されるとき、同時に、先にみた「標準家族」のユニットを前提とする思想が再生産され、そこでそこなわれていくものもあると考えているからである。

4.2 「標準家族」規範の再生産
ワークショップの事例を振り返っておこう。「父-母-子」というユニットを基準として想定すること―まさに、その場が「標準家族」の規範を無意識のうちに再生産する場であり、それは異性愛主義のひとつのかたちとして認識できるものでもあった。
このように「標準家族」のかたちのみが呼び起こされ、語られる場について立ち止まることは、瑣末なことでは、ないはずだ。もし、立ち止まらずに通りすぎていくことができるのであれば、それは、その人自身が繊細にならざるをえない現実への想像を放棄しているにすぎない14。こうして、「個人的なこと」は「個人的なこと」として回収され、「公」的な空間は異性愛主義の言説を再生産しつづけていくこととなる。

4.3 小括
本節では、「男女共同参画」にかかわる政策の場面、そして前節でみたワークショップという啓発の場面を取り上げてきた。とりわけ、政策や啓発という場―狭義の「政治」的な場―で、なぜ、「公」と「私」の恣意的な線引が行われ、「政治的なこと」として提示されようとしたことが、「個人的なこと」として回収されていく回路は生み出されるのだろうか。言い換えれば、なぜ、異性愛に基づき生殖を伴う家族形成が「標準」とされることで、とりこぼされていくものがあるにもかかわらず、それに対する批判の声が届かないのだろうか15。
政策提言や啓発活動を遂行していくためには、人びとに“わかりやすさ”を提示することが必要になる。すなわち、マジョリティの価値観によりそい、訴えかけ、一人でも多くの支持者を求める手段が必要となる。すなわち、マジョリティの価値観に則った線引は必要不可欠な要素として、横たわっているともいえる。

5 ジェンダーとセクシュアリティを切り結ぶポリティクス

5.1 セクシュアリティのポリティクスにみる「個人的なことは政治的なこと」
「個人的なことは政治的なこと」という第二波フェミニズムのスローガンは、異性愛に限定されないセクシュアリティのポリティクスにも大きな影響を及ぼしている。
たとえば、同性愛者が自己を表明するとき、あえて語る必要はないとされることがある。というのも、ナンシー・ダンカンを引用して風間孝が述べるように、「通常、セクシュアリティはプライベートな空間にとどまっている(とどまるべきだ)、と仮定されている」からである(風間 2002a: 107)。この点が、前節でみた「公」的な場を異性愛主義が支配していく背景でもある。風間孝は、つぎのように述べる。

性的な事柄はプライベートにとどまるべきであり、反対にパブリックは無性な領域であることが含意されていると考えられる。このようなパブリックは無性でなければならないという規範が存在している中で、同性愛者を性的趣味・嗜好とみなし、セックスと同一視していくことは、同性愛を公的な問題ではなく私秘的な問題としてみなしていくこととなる(風間 2002a: 107-8)。

風間によると、このような「公」と「私」の区分は、同性愛者に起こる出来事を「同性愛者に対する人権侵害という公的な枠組みで理解する可能性を奪う」という結果をもたらす(風間2002a: 108)。
ここで前提とされている認識枠組自体を問う必要が生じる。風間は、同性愛者であることを表明することを、異性愛主義社会のなかで線引される「公」と「私」を再定位する行為であると位置づけている。
公的領域は無性であり、性的な事柄を私的領域に配分するという認識枠組の前提にあるのは「そこで含意されている『性』とはどちらも異性愛という性的欲望でしかない」と指摘し、風間はつぎのように述べる。

公/私の区分けは、実は、異性愛を前提とした無性/性的という規範に立脚しているのである。
つまりセクシュアリティの領域における公/私の区分けは、一見無性/性的という根拠にもとづいているように見えるが、実のところこの区分けは異性愛を前提としていることによって、同性愛者は公的領域からも私的領域からも排除されることとなる。この点において、セクシュアリティの領域でも公/私の区分けは恣意的に構築されているといえるのである(強調、原文)(風間 2002b: 357-8)。

風間が指摘するように「公/私の区分けは、実は、異性愛を前提とした無性/性的という規範に立脚している」のであれば、公的領域とは「異性愛化された空間」である。この点が認識されない限り、同性愛者の自己表明は「プライベートな問題」として矮小化され、無化される。そして同時に「異性愛化された空間」で「プライベートな問題」と認識される事柄をあえて語るという解釈は、同性愛者に「必要以上の自己主張」、「必要以上の自己顕示」という意味づけをしていくこととなる。すなわち、自己表明という行為が、権力構造への問いを目的としているにもかかわらず、その問いかけを「異性愛化された空間」に無自覚である受け手がずらすことによって、その政治性が奪われ、「わざわざ言う必要もない」「プライベートな問題」を語る者というラベリングがなされる。ここでも「個人的なこと」が「個人的なこと」として回収される回路がみてとれる。

セクシュアリティの問題を「政治的なこと」として喚起するために、日本においては、1990年代のゲイ・アイデンティティを中心に置いた運動や研究が広がってきた16。
これに対して、アイデンティティに批判的な立場をとると理解されることの多かったクィア・スタディーズからのふたつの見解がある。両者をみておこう。
伊野真一は、1990年代の日本におけるゲイ・スタディーズを「クィア理論とはおよそ相容れない主張」がなされてきたと批判する(伊野2005:74)。ゲイ・スタディーズが展開される基盤にあったのは、「アイデンティティ」の強調であったからだ。
しかし、興味深いことは、同じ事態をとらえて、清水晶子がつぎのように述べていることである。

九〇年代に(……)課題のひとつは、同性愛嫌悪は日本には存在しない、あるいは英米ほどには強くない、との主張に対して、日本での同性愛嫌悪はより見えにくい形をとっているに過ぎないと指摘し、それを読み取ってみせることだったと言える。異性愛規範を支えるナラティブをクィアに読み解くことは、具体的な政治的介入にかかわる実践でもあったのだ。(清水 2013: 217)
ここで示されているのは、ひとつの出来事に直面したときの振舞を、どのような視点で読み解いて行くのか、という差異であろう。
伊野は、同じ論文のなかで「ゲイというカテゴリーを活用しながら、異性愛主義を脱構築することこそが、クィア理論から導かれる政治的実践の方向性である」と述べている(伊野 2005: 70)。この点において、ゲイ・スタディーズが当初、めざしたものと大きな相違はない。清水が指摘していることは、それまでに顕在化してこなかった ―名指されることのなかった―同性愛嫌悪を明るみに出して、分析対象としたというゲイ・スタディーズの“新しい切り口”である。それはまさに「クィアに読み解く」営為であるということだ。

また、伊野が指摘しているなかで、重要な点は、つぎのようなことであろう。

ジェンダーとセクシュアリティを相互に連関させる分析がクィア理論の真骨頂であるにもかかわらず、ジェンダーが無視されがちであるという状況が実践レベルの上で生じてしまう危険性、あるいは、クィアの傘下に入るであろう個々のカテゴリーが消失してしまう危険性が指摘される。しかし、これは、クィア理論という実践は、ゲイというカテゴリーの対立項ではないし、政治的実践に対する背徳行為でもない。抵抗の拠点として、ゲイなどの個々のカテゴリーが強力なアクチュアリティを有していることは繰り返し確認しなければならない(伊野 2005: 69)。

あるカテゴリーを用いて社会的な排除が起こる。そして、その排除が起こるときに、汚名を着せられたカテゴリーをもって、対抗手段が繰り広げられていく。そこにあるのは、排除という出来事に対して抵抗という行為は生みだされるという現実である。しかし、あるカテゴリーを足がかりとして抵抗が繰り広げられようとするとき、かならず、そこにはほころびが生じる。なぜなら、ひとつの属性をもっていたとしても、一人の人間にはほかにさまざまな属性があるのであって、けして一枚岩の属性のもとにすべてが一致することなどありえないからだ。それでもなお、そのカテゴリーに結集せざるをえないのは、まさしく、そのひとつのカテゴリーに人間存在が還元されてしまうからである。そこでみるべきは、その突出した、あるいは突出せざるをえないカテゴリーでラベリングがなされ、スティグマが付与されるという事態であろう。フェミニズムが「女性」という言葉を用いて遂行してきたのと、同じ道筋である。繰り返しになるが、問題は、そこで異論が提示されたときに、どのような対話が可能になるのか、ということである。

5.2 ジェンダー「と」セクシュアリティのポリティクス
2010年代に入り、ジェンダーの主流化の後を追うように、日本においても、「LGBT」(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の主流化の戦略が展開されている。
とくに顕著にみられるのは、同性婚についての議論である。法的家族を形成する権利を異性間のみに限定している日本において、戸籍上、同性である場合には、その権利が付与されることはない。たとえば、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルの同性同士のパートナーシップにおいても、また、トランスジェンダーが戸籍上、同性の人とパートナーシップを育む場合にも、法的保護の枠組からは阻害されることとなる。
このような現実を踏まえ、同性間にも法的家族となる権利を与えるべきだという議論もある。他方では、「家族」を基本ユニットとする法的保護という出来事自体を問い、婚姻制度の廃止を求める議論もある17。
前節では、フェミニズムが遂行していきたジェンダーのポリティクスを批判的にみてきたが、そこで切り離されてきたセクシュアリティのポリティクスも、同じような目的をもち、同じような手法を遂行することがある。すなわち、マイノリティとして“わかりやすい”戦略が採用されることによって、マジョリティの価値観に受容されやすい戦略が提示されるということだ。とりわけ、同性婚については、個人と個人が家族を形成する“幸福”のかたちの承認として、一般的にとらえられる傾向にもあるのではないだろうか。
このような状況のなか、1990年代には、異性愛主義という規範を問う目的をもって遂行されていたセクシュアリティのポリティクスが、「保守化」してきているとの解釈も可能なのではないだろうか。

「保守化」の傾向は、マジョリティの価値観を問う営為をさらに困難にしていく。そこでそこなわれているものは何だろうか。
栗原康は、フランスのシチュアニストであるラウル・ヴァネーゲムによる二つの「生」の概念、すなわち、①「生きたいと思うこと(Desire to Live)」と、②「生きのびること(Survival)」について述べている。栗原によると、前者は「無限の可能性をひめて生きるということ」、そして後者は「ただ生存のために生きること」である(栗原 2015: 13-4)。
栗原は、「生きたいと思うこと」をつぎのように「暴力」として定義しなおす。

ひとはいつだってなんにだってなろうとすることができる。実現できるかどうかはわからない。でも、それをやってみることはできる。ひとの生きかたには、はじめから目的や方向性がさだめられているわけではない。そのつど、ああしたい、こうしたいと方向を変えていくほうがふつうである。生きたいとおもうことは、そうやって縦横無尽に変化していく生きる力のようなものであり、ほんらい、それをあばれていく力、暴力というのだろう。(強調、引用者)(栗原 2015: 14)

しかし、日常のなかでは、このような「縦横無尽に変化していく生きる力」は制限されている。むしろ、わたしたちは「生きのびること」、すなわち、「生存のために生きること」が強要されている。

ひとの生きかたに目的や方向性がさだめられ、それにしたがって生きることがもとめられる。ひとつの価値尺度がもうけられ、ヒエラルキーをもった秩序がなりたつことになる。(……)生きのびるということは、生きる力を動員するということであり、ほんらい無目的であった暴力に目的をあたえ、秩序をつくりだしたり、それを維持したりすることである。(……)そういう支配のためにもちいられる暴力のことを、権力といってもいいのかもしれない。(強調、引用者)(栗原 2015: 15)

栗原は、2011年3月の東京電力福島第一原発事故以降のデモに参加するなかで、「生きのびること」を強要されていくことを実感する。
「政府や企業が生きのびるためにといって、人命ではなく秩序を守ろうとしたこと」、そして、それに抵抗していこうとする人びとさえもが「いつのまにか秩序の動員力にのみこまれて」いくこと。そこに設定されるのは「議会に圧力をかけること以外やってはいけない」というような「目的」である。「デモの主催者が正当な暴力を手にしていて、それにさからう人たちは『暴力的』といわれて非難される」(栗原 2015: 15)。つまりは、抵抗の営為のなかに、栗原がいうところの「権力」が生み出されていく、というプロセスである。

いま、わたしたちは、徹底的に生きのびさせられている。(……)生きのびるということは、死んだように生きるのとおなじことだ。他人によって生かされるのではなく、自分の生を生きていきたい。(……)わたしたちはこれまで生きのびるために、生きのびさせられるために、暴力をふるわれつづけてきた。そろそろ、この支配のための暴力を拒否したっていいはずだ。生きたい、生きる力をあばれさせたい。(栗原 2015: 15)

栗原が描き出していることは、抵抗の振舞のなかにも、権力が存在することである。そして、それを検証していくこと、いや、少なくとも自覚していくことの必要性である。
いま、ジェンダー「と」セクシュアリティのポリティクスにとって、必要なことは、そのような権力を丁寧に考察していくことによって、「ただ生存のために生きること」ではなく、「生きたいと思うこと」へと目的を向けていくことではないだろうか。そして、そのための手段を考えること、共有していこうとすることではないだろうか。

6 むすびにかえて

フェミニズムの“おもしろさ”―筆者にとって、それは反権力のツールとして切れ味を発揮するところにあった。しかし、フェミニズムは、その切れ味をいまも保ちつづけているのだろうか。ある人びとにとっては“イエス”であろうし、ある人びとにとっては“ノー”であろう。
本稿では、かなり駆け足で、フェミニズムの置かれている状況をみてきた。また、そこから異性愛主義が再生産され、ジェンダーのポリティクスとセクシュアリティのポリティクスが切り離されていく様相を検討してきた。
フェミニズムは、変動する。生成期以降、理論の蓄積と展開を経て、1990年代のフェミニズム理論をそれに先立つ20年前のものとは同じものではないとする上野千鶴子は、しかし、現在展開されているフェミニズム理論が「第三波フェミニズム」とは考えていないと述べる。その理由は「今日のフェミニズム理論も『個人的なことは政治的である Personal is political』というラディカル・フェミニズムの射程のうちにあるから」だという(上野 [2002] 2015: 485)。
「個人的なことは政治的なこと」というスローガンは、フェミニズムの言説が広がり、政策課題として追求されるなかで、「公」と「私」の線引が恣意的に行われていることを問う意味を失いかけている側面があるように、筆者にはみえる。政策提言や啓発活動を目的とするフェミニズムの手法に埋もれて、後景化していく“闘い”のフェミニズムがあるように思えてならないのだ。
いかに反権力のツールとしてフェミニズムを「回復」していくことができるのか。そして、さまざまな断絶をどのように乗り越えていくことができるのか。それらを考察し、記述していくことに可能性をみいだすことができるかもしれない。その可能性を丁寧に読み解いていくことを今後の筆者の課題としたい。

[付記]
 本研究はJSPS科研費(基盤研究(C)、研究課題番号25511018、「文化・社会運動研究における『アイデンティティの政治』の再文脈化」による研究成果の一部である。

[注]
1 とくに「レズビアン」をめぐるフェミニズムの〈内側〉での異性愛女性たちとのコンフリクト―フェミニズムのなかでのレズビアン嫌悪―については、合州国での議論をもとに拙著(堀江 2015a: 第2章)で整理したのでご参照いただきたい。
2 ここで注目しておきたいのは、〈フェミニズム不要論〉は、女性の権利が獲得される結果として生じてきたというよりは、江原が「消去してしまうその装置」と表現しているように、その途上に働く力学でもある。これがまさに性差別という現象として把握されるものであろう。
3 「第二波」という言葉が最初に使われた文献はケイト・ミレット『性の政治学』(Millet 1970=1985)である(McCann and Kim 2003: 8)。
4 ここで〈主体〉をあえて「女性の立場」としたのは、担い手が「女性」という属性に限定されないことを含意する。これまで、日本においても、誰がフェミニズムを担うのかについては議論されてきた。たとえば、女性解放運動としてのフェミニズムと密接な関係にある女性学が導入された当初、井上輝子は「女性を考察の対象とした、女性のための、女性による学問」という位置づけをしている(井上 1980)。他方で、瀬地山角が指摘したように「『女性の、女性による、女性のための』といった定義の持った歴史的意義は認めるとしても、もはや学問的にはそれとは違う方向を模索せざるを得ない」(瀬地山 1994: 189)。
5 ここで江原が指摘している「強制的異性愛」は、アドリエンヌ・リッチの分節化した概念である。リッチは「強制的異性愛」と同時に「レズビアン連続体」という概念を提示し、異性愛の女性たちとレズビアンたちとの共通点と差異とを考察した。しかし、差異については、フェミニズムの場において、置き去りにされ、平板な同質性の「シスターフッド」に回収される傾向にあった(Rich 1986=1989)。
6 バックラッシュの主張に対して応答するために編集された書物のひとつに日本女性学会のグループが出版したQ&A方式のものがあり(日本女性学会ジェンダー研究会 2006)、シンポジウム企画の提案のきっかけともなった。バックラッシュの主張については同書を参照のこと。
7 このシンポジウムについては、『女性学』第15号(2008)に報告が掲載されている。登壇者は以下の通り。「バックラッシュによる性別二元制イデオロギーの再構築」(井上輝子)、「『中性人間』とは誰か?―性的マイノリティへの『フォビア』を踏まえた抵抗へ」(風間孝)、「バックラッシュにおけるさまざまなフォビアの解読」(クレア・マリィ)。コメンテーターは田中玲、金井淑子。
8 日本女性学会・公開研究会(2007年12月22日/於:国立社会保障・人口問題研究所)。テーマ:「06年大会シンポをうけておもうこと」、発題:清水晶子、小澤かおる、堀江有里、イダヒロユキ。
9 このシンポジウムの記録を事例として、荒木菜穂は、フェミニズムのポジショナリティの問題を論じている。差異を尊重しつつ、どのようなフェミニズムを構想するのか、という点について、合州国での議論も紹介されている(荒木 2009)。
10 このような事態が起こっているなか、同年(2007年)には、ジェンダーとセクシュアリティを切り離すことなく、また理論と実践の協同を重要視しつつ、「クィア学会」が設立された。同学会は、2015年1月に活動を休止せざるをえない状況にはなったが、そこでめざされたものは設立趣意文(「資料」を参照のこと)にも明記されているとおり、「ジェンダーとセクシュアリティとをどちらか一方に還元することなく」分析するクィア・スタディーズという学問領域での場づくりであったといえる。
11 この事例については、「標準家族」という規範が再生産されていくなかで異性愛主義を問題の俎上にのせることが困難な状況が生み出される例として、拙論(堀江 2015b)で詳述した。
12 バックラッシュ側の人びとについて丁寧なフィールドワークを重ねた研究として、山口らの著作がある(山口ほか 2012)。この研究では、フェミニズムの過敏な反応に対する「批判」も提示されてもいる。筆者の知る限りでは、そのような「批判」に対しての対話は、まだきちんとなされていない。本稿では紙幅の都合で割愛せざるをえないが、フェミニズム〈内部〉におけるコンフリクトのひとつとして考察していくことが必要であることを付記しておきたい。
13 また、男女共同参画政策については「日の丸フェミニズム」として警鐘を鳴らす議論もあったことを付け加えておく(堀田 [2000] 2009)。
14 問いは自らに返ってくる。というのも、筆者は会場にいながら、ただ、そこに一介の労働者として沈黙をもって座していたからだ。なぜ、異論を挟むことができなかったのか。たとえば、「レズビアン」として、そこに“存在しないもの”とされる力に、なぜ、抗えなかったのか。また、想定されうる人びと―「標準家族」から外れた、シングルで生きる人びと、離婚経験者たちなど―のライフスタイルの可能性を明示的に意識の俎上にのせる必要を感じながら、なぜ、声をあげることができなかったのか。なぜ、我慢しなければならなかったのか。もちろん、このような自問に対して、こうこたえることもできるだろう。労働者とは、我慢を強いられる状況のなかで対価として賃金を受け取る存在のことである、と。しかし、黙した理由は、立場上の力学が発動する場であったと同時に、つぎのような判断が働いたからである。すなわち、前節で述べたように「公」的な場で異論を挟むことは、主催者が一枚岩ではないことを提示することとなる。それは周囲に“混乱”をきたすことかもしれない。また、結果として“迷惑”をかけることかもしれない。そのために「私」的な場にとどめておくことが“良い”という判断がなされる。ここでは筆者自身が、異性愛主義に迎合するという意味での「公」「私」の線引を行なったといえる。
15 そもそも、異性愛規範のなかには、生殖に象徴的に示される再生産や未来という時間軸が含まれている。“自然な”なりゆきでは再生産ができない(とされている)クィアな身体を含め、このような時間軸や未来主義への批判も、クィア理論では議論が蓄積されてきた(Edelman 2004; Halberstam 2005)。ある種の「ユートピア」を前提とすることへの問いとして、クィア・ネガティヴィティをめぐる議論がある。日本語での議論に導入した貴重な論考として(井芹 2013)を参照されたい。
16 本稿では、同性愛者のあいだにあるジェンダー差異については言及していないが、アイデンティティを用いた自己表明の戦略については、他者からのラベリングにゲイ男性とレズビアンのあいだには大きな相違点があることも付け加えておく(堀江2015a: 第4章)。
17 同性間パートナーシップの法的保護をめぐる国際的な現状と課題については(谷口 2015)に整理されているものがわかりやすい。また、筆者は〈反婚〉という概念を用いて、日本という文脈における婚姻制度の問題性について研究をつづけてきた(堀江 2015a: 第6章; 2015b; 2015c)。昨今の事例としては、東京都渋谷区における「同性パートナー証明」発行の条例の問題点や、法制度のみならず、市場(マーケット)と関連する問題としても同性婚を考察している(堀江 2016)。

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【資 料】

「クィア学会」趣意文
本学会は、学際的な研究領域であるクィア・スタディーズに関心のある研究者に、相互交流と研究成果共有のための一つの場を提供することを、目的とする。クィア・スタディーズがかかわる文化的・社会的な取り組みは、広範で柔軟な連携を必要とするものである。この認識にもとづき本学会は、学術研究者にとどまらず多様な社会・文化活動に従事する人びとが広く知見の共有や意見の交換をおこなう場を提供する。
クィア・スタディーズとは、性と身体、そして欲望のあり方にかかわる諸規範を問いなおそうとする、批判的/批評的な学術的探究の総体であり、以下に代表されるような試みの全てを含む。ジェンダーとセクシュアリティとをどちらか一方に還元することなく、しかもその両者が既存の性と身体、そして欲望のあり方にかかわる諸規範の下でいかに関連してきたのかを、分析すること。これらの諸規範が、社会において自然とみなされる身体やアイデンティティなどにかかわる認識の様態をいかに条件づけてきたのかを、考察すること。それらの規範的認識とそれによって維持される経済的・社会的・あるいは表象上の権力構造とが、人種・民族・宗教・国籍・地域・言語・経済階層・身体性などにおける諸差異といかに相互に作用しあってきたのかを、理論的また実証的に検討すること。そして、既存の規範に従わないようないかなる性と身体のあり方、いかなる欲望の形態が可能であり、あるいはより望ましいのかを、探究すること。
クィア・スタディーズはまた、既存の「性の規範」から外れた多様なジェンダー表現や性的・文化的実践、および、この規範を問い直し続けてきたレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー運動やフェミニズムなどの多様で広範なアクティビズムや学問的探究の蓄積の上にうまれた学問領域である。その意味でクィア・スタディーズは、そもそも、既存の「性の規範」の下で法的・経済的・社会的・文化的な抑圧や不利益を被ってきた人びとの生の質を向上する目的をもった社会・文化的活動の一環であり、目的を同じくする他の諸活動との協働なくしては存在しえない。
本学会は、クィア・スタディーズを構成するこのような異種混淆性と批判的/批評的視座とにかんがみ、異なる活動領域から提示される異なる活動領域から提示されるさまざまな見解が対話を継続していくことが、クィア・スタディーズのより一層の展開には不可欠であると考える。したがって本学会は、参加者による対等で民主的な運営を通じてこのような対話の場を維持することで、日本におけるクィア・スタディーズの確立・発展に寄与しようとするものである。
[クィア学会設立大会/2007年10月27日/於:東京大学駒場キャンパス]