まえがき ー〈抵抗〉としてのフェミニズム

まえがき
―〈抵抗〉としてのフェミニズム―

堀江有里

もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。わたしの考えるフェミニズムは、弱者が弱者のままで、尊重されることを求める思想のことだ。だから、フェミニズムは「やられたらやりかえせ」という道を採らない(上野 2006: vii)。

◆はじまり ―〈女という経験〉の共有空間
2012年3月、わたしたちは居酒屋の2階にいた。あるイベントの打ち上げ会場である。わたしたちはそこで“出会った”。わたしたちが、ほんの少し前まで席を同じくしていたイベントは有意義なものであった。しかし、そこで共有された、その時間と空間は、わたしたちにとって、何かがつねに欠けていると思わされるに充分な空気感をもって、そこに在ったのだと思う。
誰がどのようなとっかかりで話しはじめたのかは、残念ながら、覚えていない。しかし、わたしたちがつねに欠けていると感じていたものは、〈女という経験〉の共有だったのだと思う。議論の仕方、応答の声音、ロジックの立て方―無意識のうちに共有されている何かがあり、そこに乗れないことがある。それは、もしかして、“こちら側”、つまりは、何かがつねに欠けていると感じている側の自意識にすぎないのかもしれない。しかし、たとえ、過剰な自意識だと言われようと、そこに至るまでの、わたしたちのそれぞれの人生のなかで、醸成されたものであることは確かだろう。それをわたしたちは、おそらく、〈女という経験〉として認識し、共振しあったのだと思う。
フェミニズム研究会は、こうしてはじまった。共振しあうものを言葉化してきたフェミニズムを“学ぶ”こと。それは、わたしたちが〈女という経験〉という、感覚的なものでは周囲に説明がつかないという思いから、言葉を獲得していこうとする営為だったのだと思う。ひとまず、出発点はそこにあった。

◆あゆみ ―フェミニズムに学ぶ、フェミニズムを語る
フェミニズム研究会は、かならずしも、自らの研究活動の中心にフェミニズムを置いてきたわけではない人びとの集いとして、そのあゆみをはじめた。
わたしたちが、定例研究会、公開企画、研究会合宿などをとおして行なってきた共同研究の柱は、①フェミニズムに関する基礎文献の講読、②公開研究会の実施である。また、ここから派生する課題として、③各メンバーの研究分野とフェミニズムの接点の探求も行なってきた。
①については、初年度より、江原由美子 『ジェンダー秩序』(勁草書房、2001年)、同『フェミニズムと権力作用』(勁草書房、1988年)、竹村和子『フェミニズム』(岩波書店、2000年)、同『愛について ―アイデンティティと欲望の政治学』(岩波書店、2002年)、ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』(みすず書房、1999年)などの著作を精読し、議論を行なってきた。しかし、すでに膨大にあるフェミニズムの基礎文献を追うだけでも大変な作業となる。そのため、各自がそれぞれの研究分野の、あるいは関心をもつ領域の諸論文を持ち寄って議論するという方法も用いることとなった。この点は、先の柱の③にもつながっていく。
また、②については、研究会内部の議論をすすめるだけではなく、外部講師を招き、対話をとおして、プロジェクトの活動を検討し、同時にフェミニズムをめぐる議論の場を提供することにも積極的に取り組んできた。イベントごとに外部に広く呼びかけた結果、若手研究者やアクティヴィストたちの交流の場をも生み出すことができた。参加してくださった方々に感謝したい。その詳細については、第Ⅰ部に記録を掲載しているので、ご参照いただきたい。
〈女という経験〉を軸とした共振を言語化したいという当初の目的は、言い換えると、つぎのようになる。フェミニズムという思想/実践に触れることにより、ジェンダーで分かたれた日常や学術の場における権力関係を分節化すること。フェミニズムは、〈女という経験〉を共有する人びとが、まさにその実践のなかで立ち上げてきた理論を蓄積してきた営為である。その点において、「生存」の思想である。性をめぐる偏見や差別、抑圧のなかで、それに抵抗しつつ、生きて在ることの幅を広げていく営為でもある。それは“弱くされた者”をエンパワメントし、「解放」へと向かうプロセスの模索でもある。これまでに蓄積されてきたフェミニズムの思想に学び、そしてフェミニズムをめぐって語り合いながら、わたしたちは、自らのポジショナリティを問い、「生存」のための〈抵抗〉の技法を探し求めてきたといえる。本報告書は、その道筋を示すものでもある。
2012年度に「立命館大学大学院先端総合学術研究科院生プロジェクト」として出発したフェミニズム研究会は、翌年より「立命館大学生存学研究センター若手研究者研究力強化型プロジェクト」として活動を継続した(2013〜2015年度)。核となるメンバーは数名であったが、この4年間には、研究会を通り過ぎていった人びとも含め、20名余りの人びとがかかわってきた。当初、立命館大学先端総合学術研究科の院生が中心であったが、学内の他研究科や学部生、他大学院の院生や若手研究者の交流の場ともなったことを付記しておきたい。

◆つくり ―本報告書の構成
本報告書は、2部構成をとっている。まず、第Ⅰ部には公開研究会と共催企画の詳細を配置した。また、第Ⅱ部にはメンバーによる論考、そして特別寄稿の論考を配置した。
2014年度の終盤より、これまでのあゆみから触発された事柄をテーマとして、それぞれがテーマを温め、構想を報告することによって、議論を深め、何度も積み木を崩しながらも、また積み上げ、論文にまとめるという作業を継続してきた。社会学、倫理学、文化人類学、歴史学など、さまざまな専門領域で研究をつづけているわたしたちが、フェミニズムから学び、そしてフェミニズムをめぐって語り合ったなかで、紡ぎだされた言葉たちである。幸い、公開研究会の講師として参加してくださった池田直子さん、中川志保子さんにもご寄稿いただけることとなった。
ほかの多くのプロジェクトが、先鋭的な研究を進めているなか、わたしたちは、あえて“入門”的な、“初歩”的なところからの出発を選択した。とりわけ、どこに向かうのか皆目見当のつかないプロジェクトの代表者を引き受けてくださった小泉義之先生には、この場をお借りして、お詫びとお礼を申し上げておきたい。本報告書にもご多忙のなか、無理をお願いして、特別寄稿していただいた。ありがとうございます。

◆これから―〈抵抗〉の途上で
〈女という経験〉をめぐる共振からはじまったフェミニズム研究会。この報告書が示しているように、しかし、〈女という経験〉をめぐる事柄は、個々人によって異なる。わたしたちが、共振した(かのように思えた)、何かがつねに欠けていると思わされるに充分な空気感は、言葉を尽くして、直裁的に説明されるものではないのかもしれない。そもそも、〈女という経験〉のあいだにも、さまざまな差異があり、亀裂もあることにも、わたしたちは、フェミニズムの知見に学ぶことによって出会ってきた。
冒頭に引用したように、上野千鶴子は、フェミニズムは「強者」の思想ではないと述べる。「弱者」とされた者が、そこからみえる地平を、そこに踏みとどまりつつ実践しようとする思想であるとも解釈できる。「やられたらやりかえす」ことではない、と。つづけて、上野はつぎのように述べる。

相手から力づくでおしつけられるやりかたにノーを言おうとしている者たちが、同じように力づくで相手に自分の言い分をとおそうとすることは矛盾ではないだろうか。フェミニズムにかぎらない。弱者の解放は、「抑圧者に似る」ことではない。(上野 2006: vii-viii)

しかし、上野は、当然のことながら、「力」を否定しているわけではない。別の場所では、つぎのように述べる。

私の女性学の原点は“オヤジ、ムカツク〜”よ。言語化したら本が何冊も書けた。そしたら“ブスのヒステリー”とか“権力が欲しいだけ”とか言われる。私は足を踏まれたら踏み返す。石を投げられたら投げ返すのでケンカに強いと言われた(笑)。(Rolling Stone 2011)

「足を踏まれたら踏み返す」、「石を投げられたら投げ返す」という営為。わたしたちが学んできた〈抵抗〉としてのフェミニズムの模索は、まだまだこれからつづいていく。

[文献]
Rolling Stone Japan編集部,2011,「ジェンダー研究のパイオニアにきく『ビッチ論』! ―上野千鶴子 インタヴュー」,Rolling Stone 日本版ホームページ,(2015年12月24日取得,http://www.rollingstonejapan.com/articles/detail/548).
上野千鶴子,2006,『生き延びるための思想 ―ジェンダー平等の罠』岩波書店.