第1部 開催報告 アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告

第1部
開催報告

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第1回 もうひとつの使い捨て文化――古着のゆくえ/日本の若者はなぜアフリカを目指すのか?

日時:2013年5月17日(金)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス アカデメイア立命21 2階 ミュージアム会議室
主催:生存学研究センター

≪セミナー≫
司会者:
 西成彦(生存学研究センター長、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
登壇者:
 小川さやか(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
 斉藤龍一郎(NPO法人アフリカ日本協議会事務局長、立命館大学衣笠総合研究機構客員教授)

【企画趣旨】
 全地球規模で「障老病異」を観察と考察の対象に据えるには、欧米や東アジアとの連携以外に、途上国をまなざす視点を研ぎ澄ますことが同じくたいせつだ。そこで、今後、月例で開催するアフリカセミナーの第1回では、アフリカをよく知るお二人のお話から、流れ着き、流れ行く人(若者)とモノ(古着)を通じてアフリカの現在に接近しよう。
 先進諸国で大量消費・廃棄された衣類は、「リサイクル」や「社会貢献・支援」を旗印にアフリカ諸国へ輸出される。古着は現地の衣類産業に壊滅的な打撃を与えながら、人びとの衣料品に対する必要性と願望を満たす不可欠な商品として浸透した。アフリカへたどり着いた古着が現地で生み出している「もうひとつの使い捨て文化」は、私たちの「使い捨て文化」を浮かび上がらせる。こうした時代に、古着とは別のルートで日本の若者がアフリカに向っている。古着と若者が、それぞれ別の仕方でアフリカで生み出す現実の関係を探ってみたい。

【開催報告】
 今年度、生存学研究センターでは月例でアフリカセミナーを開催している。セミナーのタイトルは、「目の前のアフリカ」である。その第1回目は、今年度から生存学研究センター客員教授に着任された斉藤龍一郎先生(アフリカ日本協議会事務局長)、センター運営委員の小川さやか先生(文化人類学者)による対談企画であった。
 小川先生が「もうひとつの使い捨て文化――古着のゆくえ」、斉藤龍一郎先生が「日本の若者はなぜアフリカを目指すのか?」という異なるテーマからそれぞれお話をいただいた。一見すると、この二つのテーマには関連がない。しかし、私たちの日常生活から離れアフリカにたどり着くもの(物・者)という視覚が共通している。小川先生は、まず古着の流通プロセスを次のように捉えていた。日本をはじめとする先進諸国で「商品」から「ゴミ」となった衣類が「社会貢献」のための「贈与品」となる。それが、仲介業者を経て、現地で再び「商品」となる。現地において再度商品となった古着は、それぞれ「ファッション」、「日用品」、「必需品」として異なる価値をまとうようになる。
 アフリカにおいて古着の価値をつくり出す路上商人の生き生きとした活動と人びとの消費の在り方は、「社会貢献」として古着を送る行為と結びつくアフリカ像――「アフリカの貧困な人々にとって衣服は必需品である」――とは異なるものである。それが示すのは、アフリカには古着が必要ではない、ということではない。むしろ、いつのまにか私たちがアフリカの人々を自分たちとは別の地平に置く視点を身に着けてしまっているということなのである。
 斉藤先生からは、アフリカ日本協議会の活動を通じて日本の若者と知り合う経験、特に電話相談等を通じてアフリカ行きの相談を受ける経験からお話しいただいた。なかには「何ができるかわからないがアフリカに貢献できる」と考え旅立ったものの、自分の思っていたようにはいかず、アフリカの経験が挫折の経験となってしまうケースもあるようである。「ここではない別のところに行きたい」という思いがなぜか、「アフリカでは、日本ではできないことができてしまう」というかたちに変わってしまっているようだ、という鋭いご指摘であった。それは、それは古着の事例にも通じるアフリカの見方、アフリカと日本を別の地平に置く視点でもあるだろう、というお話であった。
 その後、来場者の学生から、自身のアフリカ行きの経験、援助活動、研究関心にひきつけたうえで、アフリカを視るまなざし、アフリカに関わる態度に関する質問が続き、登壇者のお二人と意見交換が行われた。
 第2回、第3回と続くなか、アフリカの様々な姿を知るだけではなく、いつの間にか身にまとっていた自らの視点を対象化することができるのか。セミナーの発展も含めて、今後も楽しみになる第1回のセミナーであった。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第2回 病と共にあるつながり――エイズ・人権・社会運動

日時:2013年6月14日(金)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス アカデメイア立命21 2階 ミュージアム会議室
主催:生存学研究センター

≪対談≫
 西真如(京都大学学際融合教育研究推進センター特定准教授)
  「社会的つながりが感染症を治療する――エチオピアのHIV感染症と釜ヶ崎の結核問題の経験」
 斉藤龍一郎(NPO法人アフリカ日本協議会事務局長、立命館大学衣笠総合研究機構客員教授)
  「アフリカのHIV陽性者運動に誰が応じたのか?日本における課題」
 新山智基(日本学術振興会特別研究員、立命館大学生存学研究センター客員研究員)
  「アフリカのHIV陽性者運動の役割」

【企画趣旨】
 全地球規模で「障老病異」を観察と考察の対象に据えるには、欧米や東アジアとの連携以外に、途上国をまなざす視点を研ぎ澄ますことが同じくたいせつだ。
 第2回アフリカセミナーのテーマは「HIV・エイズ」。1980年代まで知られることのなかったこの病気は、1996年に治療方法が確立されると、世界各国で治療が進められるようになった。しかし、感染者の大多数を占める途上国の貧しい人々に行き届くまでには、多くの時間を要した。現在、アフリカでは治療薬の服薬状況は先進諸国と比べても優れており、アフリカにおけるHIV対策は成功として評価されることも珍しくはない。このきっかけには、当事者であるHIV陽性者の「声」があった。「絶望」から「希望」を取りもどしたHIV陽性者。彼らをめぐる動きとつながりが、どのようにして病を生きる人々の状況を変えたのか。
 グローバルな動向、アフリカ、そして日本国内の状況にも目を向けながら、エイズ・人権・社会運動という3つのキーワードをもとに「病と共にあるつながり」を探ってみたい。

【開催報告】
 本年度より、月例で開催しているアフリカセミナー「目の前のアフリカ」。第2回は「病と共にあるつながり――エイズ・人権・社会運動」と題し、京都大学の西真如先生(京都大学学際融合教育研究推進センター特定准教授)、本生存学研究センター所属の斉藤龍一郎先生(NPO法人アフリカ日本協議会事務局長、立命館大学衣笠総合研究機構客員教授)をお迎えして開催した。
 冒頭、新山より趣旨説明および書籍『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動――生存の視座から』(2011、生活書院)をもとに「アフリカのHIV陽性者運動の役割」に関する報告・資料提供を行った。その後、斉藤先生から「アフリカのHIV陽性者運動に誰が応じたのか? 日本における課題」、西先生から「社会的つながりが感染症を治療する――エチオピアのHIV感染症と釜ヶ崎の結核問題の経験」というテーマでお話しいただいた。
斉藤先生からは、ネルソン・マンデラが治療を受けることをうながしたHIV陽性者であるザッキー・アハマットの活動、またエドウィン・キャメロンのお話しをもとに、世界が変化していく動きを陽性者運動、治療薬・特許権問題などを取り上げながら、ご報告いただいた。加えて、アフリカ日本協議会がどのような形でこの問題に関わっていったのか、林達雄氏(現・アフリカ日本協議会代表/立命館大学衣笠総合研究機構客員教授)の国際エイズ会議での体験をもとにご紹介いただいた。
 西先生からは、エチオピアのHIV感染症と釜ヶ崎の結核問題に関してご報告いただいた。アフリカのHIV陽性者は、治療薬の服薬状況が先進諸国と比べて良い(服薬アドヒアランスが良好)のに対して、釜ヶ崎の結核罹患率は「アフリカなみ」に高いというデータがあります。10万人あたりでみると、釜ヶ崎427人、サハラ以南アフリカの200人に比べ、高い状況である。なぜ結核が治癒しない場所があるのか、その原因には社会的孤立、アルコール依存・精神疾患・生活障害、服薬アドヒアランスの達成が困難、地域保健運動の停滞などがある。これらをアフリカのHIV治療と関連させていただきながらご報告いただいた。
 ご報告後、さらに西先生にはエチオピアのHIV感染症の状況、斉藤先生にはNGO支援の立場から対談・お話しを伺った。その後、質疑応答では、アフリカの実情や「つながり」という視点、HIVと結核の比較に関するご質問など、登壇者のお二方との意見交換が行われた。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第3回 個人の生と歴史の脈絡――『ルムンバの叫び』上映会

日時:2013年7月19日(金)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 存心館 2階 702教室
主催:生存学研究センター

レクチャー:
 渡辺公三(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)

【企画趣旨】
 第3回目となるアフリカセミナーでは、映画『ルムンバの叫び』の上映会を行う。パトリス・ルムンバは1960年6月30日に旧ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国)の独立後の初代首相となった。しかし、その数か月後には実権を失い、政敵に抹殺され、その死体は酸で溶かされた。『ルムンバの叫び』は、ラウル・ペック監督によるルムンバに関する2作目の映画である。コンゴ独立の過程を描きなおす本作品は、白人傭兵たちが化学薬品で白い大きな包みを溶かしているところから始まる・・・。
 「アフリカの年(1960年)」の翌年に死体さえも消されてしまうルムンバの生とは、のちに「歴史」となる社会的な脈絡の展開と衝突との錯綜を露骨なまでに体現してしまっていたのではないか。さまざまな力の渦中で存在を物質的にも消滅させられた個人を描き出す映像作品は、同時に、その個人を取り囲んでいた社会的脈絡にも光をあてる。その脈絡は、私たちの社会とはいかなる関係にあるのか。上映後には、本学の渡辺公三先生から、ルムンバを起点にして見える社会的脈絡や「歴史」などについて、お話しいただく。ルムンバを消し去ったが、生み出しもしたアフリカの20世紀は、私たちの21世紀からどの程度遠くにあるのだろうか。

【開催報告】
 第3回目のアフリカセミナーはパトリス・ルムンバの生涯を題材にした映画、『ルムンバの叫び』の上映と、立命館大学先端総合学術研究の渡辺公三先生によるレクチャーをいただいた。『ルムンバの叫び』はフィクションであるが、渡辺先生によれば、かなり史実に忠実に制作されたものだということであった。
 映画では、ルムンバが首都(現在のキンシャサ)に出てきてから、政治家としての頭角を表し、1960年のコンゴ独立、首相就任とその後の動乱のなかで政敵に抹殺されるまでの過程が描かれる。そのなかで、ルムンバが首都に出てきたときに、「開化民」としての身分を獲得するシーンがある。当時、ベルギー植民地領であったコンゴでは、現地人は十全な市民ではなく、「開化民」と認定されることは、よりよい就労の機会を得るためにも必要だったようである。建物の一室で、ベルギー人と思われる植民地行政官のもとでルムンバが実技試験を受けているのが、当該のシーンである。行政官が「この棚を開けろ」等の命令をルムンバに下す。ルムンバは、きびきびと、洗練された仕方でその命令を実行した。実際には、開化民になることの要件がどのようなものであったのかはわからない。しかし、「開化民」になることを表すそのシーンで問われていたことが、例えば学歴などではなく、ベルギー人の要求を理解できるかどうか、それに見合った所作を身に着けているかどうか、それが問われていたように思え、強い印象を残った。映画の後の渡辺先生のレクチャーでは、映画の背景の解説に加え、質疑応答やご自身の調査経験にも話題が広がった。当時、アフリカで行われた峡谷にかける大きな橋の建設が、日本での建設を前提にした実験を兼ねていたようである。映画でも、独立後の動乱には、ベルギーやアメリカ合衆国の介入があったことが明示されていたが、さまざまな思惑をもつ「よそ者」によって、そこでできることが決定されるような場として、独立前後のコンゴ、ひいてはアフリカがあったことを痛感するようなセミナーであった。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第4回 アフリカ文学の彩り――Black,White&Others

日時:2013年10月18日(金)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス アカデメイア立命21 2階 ミュージアム会議室
主催:生存学研究センター

≪対談≫
 くぼたのぞみ(翻訳家詩人)
 西成彦(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)

【企画趣旨】
 第4回となるアフリカセミナーでは、翻訳家のくぼたのぞみさんをお招きする。くぼたのぞみさんは、米国のチカーノ/チカーナ文学から、『半分のぼった黄色い太陽』のアディーチェまで、幅広く現代英語圏文学の紹介にかかわってこられた。また『マイケル・K』や『鉄の時代』など、南ア出身のノーベル賞作家、クッツェーの翻訳も名訳との誉れが高い。
 彼女がアフリカの文学に近づいていった経緯から始めながら、いままさに「世界文学」の一翼をになうにいたった、アフリカ現代文学の魅力と行方についてお話しいただく。

【開催報告】
 第4回のセミナーでは、翻訳家のくぼたのぞみさんをお招きし、立命館大学の西成彦先生との対談をおこなった。
 くぼたのぞみさんは、アパルトヘイト反対運動に対する関心をもとにアフリカ文学の翻訳に携われるようになったことから南アフリカとゆかりのある作品のほか、紛争や差別、抑圧をあつかう作品の翻訳を数多く手掛けてきた。このたびの対談では、英語圏アフリカ文学として、南アフリカ出身のノーベル文学賞作家ジョン・マックスウェル・クッツェーと、ナイジェリア出身で数々の賞を受賞した若手作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの二人の作品を取り上げ、作風や生い立ち、人物像を紹介していただいた。またその過程で、翻訳家としてのくぼたさん自身のしごとについて忌憚のないお話をいただいた。
 南アフリカを舞台にした『マイケルK』『恥辱』(いずれもブッカー賞を受賞)や『サマータイム、青年時代、少年時代――辺境からの三つの自伝』などの代表作をもつ男性のヨーロッパ系作家クッツェー。複雑な社会構造のなかで生きる人びとの悲しみや暴力性を周到に描き出す、マスコミ嫌いの作家。ビアフラ戦争を背景とした長編小説『半分のぼった黄色い太陽』(オレンジ賞受賞)や短編集『アメリカにいる、きみ』で知られる若手の女性作家アディーチェ。悲劇を直接的には扱わないという、エネルギッシュでのびやかな女性作家。
 くぼたさんによる印象的な作品の朗読と、くぼたさんと西先生による対談を聞くうちに、ふたりの作家の共通性とともに対照的な個性が浮かび上がっていった。また、作品が書かれた文脈を理解するために文献を渉猟したり、作家の故郷や出来事が起きた場所に足を運んだりする、プロの翻訳家の裏舞台も垣間見せていただいた。会場に集まった聴者は、二人の魅力的な作家だけでなく、翻訳家くぼたのぞみさんをもっと知りたいと思ったに違いない。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第5回 アフリカの大地から日本の大地へ――ブルキナファソ Kaba-kô演奏

日時:2013年11月5日(火)17:30〜
会場:立命館大学衣笠キャンパス 以学館1号ホール
主催:生存学研究センター/共催:Kaba-kô日本公演実行委員会

コーディネーター:
 渡辺公三(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
レクチャー:
 Moussa Hema(プレサンジェルベ音楽院講師・バラフォン奏者)
演奏:
 Moussa Hema & Kaba-kô

【企画趣旨】
 第5回アフリカセミナーは特別篇。ブルキナファソ共和国南西にあるバンフォラという村から来日する8人の楽士からなる伝統音楽グループ「Kaba-kôカバコ」の公演とリーダーであるMoussa Hema氏のレクチャー。
 Moussa Hema氏は、フランスに拠点を置き、ブルキナファソを代表するバラフォン(伝統の木琴で、マリンバの原型とも)奏者として、様々な公演をすると同時に音楽院にてバラフォンの教鞭を取り、また音楽研究者として活躍している。
 その大地に根付いた音楽をまさに目の当たりに、耳元で、演奏者の身体のリズムをじかに感じながら聞く、またとない機会である。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第6回 身体に宿る共同性――視覚・聴覚障害者の身振りとリズム

日時:2013年11月15日(金)17:00〜
会場:立命館大学衣笠キャンパス アカデメイア立命21 2階 ミュージアム会議室
主催:生存学研究センター

≪報告≫
 モハメド・オマル・アブディン(東京外国語大学大学院博士課程)
  「声とボールの音を頼りにつながる闇の中のサッカー。ブラインドサッカー。その魅力とは?」
 吉田(古川)優貴 (東京女子大学非常勤講師)
  「バラバラだから調和する?!:ケニアで目撃した、耳の聞こえる子供と聞こえない子供が入り交じったダンスを事例に」

【企画趣旨】
 第6回アフリカセミナーのテーマは障害者の身体性。報告者のおひとり、吉田優貴先生はケニアの寄宿制初等聾学校で、フィールドワークを行なってきた。耳の聞こえる子どもと聞こえない子どもとが一緒になって踊りだす光景を目の当たりにしてきた方だ。モハメド・オマル・アブディンさんは視覚障害を抱えるブラインドサッカーのプレーヤーで、スーダンでの普及活動も行なっている。子どもたちのダンスとブラインドサッカーは、視覚・聴覚に障害を抱える人びとが、異なる身体を持つ人々と一緒に何かをする活動である。二人の話から、障害者と呼ばれる人びとが、それぞれの身体を通じてつくりだす共同性について考えてみたい。

【開催報告】
 第6回のセミナーでは、いずれも「身体にやどる共同性」をテーマとして、ふたりの若手研究者をお招きし、ご講演いただいた。
 最初の登壇者である吉田(古川)優貴さんは、ケニアでのフィールド調査で出会った聾の子どもたちの三種類のダンス映像をもとに「身体にやどる共同性」をみごとに提示して見せた。第一の事例は、聾学校において指揮者の子どもに統制されて集合的なダンスが上演される事例であり、第二の事例は、学校の中庭で一人が踊り出すのをみて周囲の子どもたちが自然に巻き込まれてゆき、しだいに互いの身体の動きがそろっていく事例である。だが興味ぶかいのは三つめの事例である。この事例では耳の聞こえる子どもと聞こえない子どもが入り混じって踊っており、個々の身体の動き自体はそろっていないのに、その楽しそうな表情や動きとともに、全体としてみると奇妙な「調和」が生みだされている。吉田は、ここから個性を持った個々人の身体の動きがばらばらだからこそ、逆説的に身体どうしの共鳴を生むという示唆を導き出し、統制された洗練したダンスをおこなうのとは異なる、身体やくらしに宿る技法について思索をめぐらした。
 二人目の登壇者である、スーダン生まれのモハメド・オマル・アブディンさんは「声とボールの音を頼りにつながる闇の中のサッカー。ブラインドサッカー。その魅力とは?」と題した講演をおこなった。まず、盲人であるアブディン氏自身の日本での半生を綴った『わが盲想』(ポプラ社、2013年)の面白さを彷彿させる、オヤジギャグ炸裂のユーモラスな自己紹介がなされた。彼の話術に引き込まれた聴衆へのサービスにより、ブラインドサッカーの話題はやや時間切れになってしまったが、選手としてのブラインドサッカーに対する情熱と、障害者のコミュニケーションツール、あるいはスーダンを含む世界の平和に寄与するものとしてブラインドサッカーを活用しようとする諸々の活動、彼の研究関心の一端は多数のインターネット上で語っているのでぜひ参照されたい(笑)。
 私たちは、身体を通じて社会と関わっている。当たり前のことであるが、身体そのものが共同性の根源となり、平和の資源となりうることを期待させる講演だった。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第7回 モザンビークに向けられる関心――日本向け食料・エネルギー供給地としての期待?

日時:2014年4月7日(月)17:30〜
会場:立命館大学衣笠キャンパス 末川記念会館 第3会議室
主催:生存学研究センター

≪報告≫
 渡辺直子(日本国際ボランティアセンター)

【企画趣旨】
 世界有数の天然ガス田、炭砿が発見され、国際市場向け大豆生産が急拡大するモザンビーク。
 昨年夏、研究者・NGOスタッフらが日本・ブラジル・モザンビーク三角協力事業プロサバンナ事業対象地で現地調査を行い、報告書を1月半ばに生存学ウェブサイトで公開したところ、2ヶ月余りで16,000を超えるアクセスがあった。
 これまで地域研究の対象、国際協力の対象と考えられてきた、南部アフリカに位置するモザンビークで、資源開発、農業開発の場を求める人々の動きが大きくなっている。一体、何が起こっているのか、起ころうとしているのか、日本で暮らす私たちはモザンビークの人々と友好的なつながりを持つことができるのか?
 現地調査に参加した日本国際ボランティアセンター(JVC)南アフリカ事業担当スタッフから報告を受け、討議します。

【開催報告】
 第7回の「目の前のアフリカ」では、日本国際ボランティアセンターの渡辺直子さんに「日本・ブラジル・モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発プログラム」(ProSAVANA)に関するご講演をいただいた。
 プロサバンナ事業は2009年に上記三か国の代表者によって調印されて開始された「アフリカ熱帯サバンナ地域の農業開発」構想である。その原型は、日本がブラジルのセラード地域に対しておこなった大規模農業開発に端を発する。プロサバンナ事業の最初の対象地となったモザンビーク北部では、1400万ヘクタールに及ぶ広大な地域で開発事業が展開するが、2012年10月には、現地の農民組織による大規模な抗議声明が発表される。
 今回の講演では、プロサバンナ事業の「住民主権を蔑ろにした」枠組みや、アフリカ全土で加速化する「土地収用」や彼らの生計活動それ自体の転換につながりかねない不透明さに対する農民たちの抗議内容を紹介し、同事業がはらむ問題点を明示的にご説明いただいた。そのうえで、「貧しく弱い人びと」とみなされた農民たちが独自に育んできた小規模家族経営農業を基礎とした将来ビジョンとそれに対する支援の実践例をお話しいただいた。
 また講演後の質疑応答では、現在のモザンビークで生じている事態は、かつてブラジルなどでの開発事業でも同様に起きていたのではないか、プロサバンナの事業の推進者にとって過去の経験はいかに捉えられているのか、ブラジル等での開発とモザンビークでの開発との連続性・不連続性とは何かなどの質問がなされた。
 講演内容は、すでに『ProSAVANA市民社会報告 2013最終版』にまとめられているが、現地調査に基づいた豊富な定性的・定量的データから開発プログラムの問題点や農民たち自身の試み・実践を丁寧に明らかにし、そこから「誰のための開発なのか」を真摯に考えていこうとする姿勢はたいへん共感できるものだった。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第8回 誰のための公衆衛生か?

日時:2014年5月22日(木)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 敬学館212教室
主催:立命館大学生存学研究センター/共催:京都大学アフリカ地域研究資料センター・日本文化人類学会課題研究懇談会「医療人類学教育の検討」

趣旨説明:
 小川さやか(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
講演:
 マリー・ラスト(ロンドン大学名誉教授)
  「ナイジェリアのプライマリ・ヘルスケア対策の背後に潜む特有の政治的問題」
コメント:
 近藤英俊(関西外国語大学外国語学部准教授)

【企画趣旨】
 ロンドン大学名誉教授のマリー・ラスト先生は、北ナイジェリアの歴史・文化研究の世界的権威として、またイギリスにおける医療人類学の開拓者として知られています。今回の講演では、「ナイジェリアのプライマリ・ヘルスケア対策の背景に潜む特有の政治的問題」と題してお話しいただきます。医療人類学の最前線から「公共的なもの」をめぐるポリティクスを一緒に考えましょう。

【開催報告】
 第8回のセミナーでは、北ナイジェリアの歴史・文化研究の世界的権威であり、イギリスにおける医療人類学の開拓者として当該分野の発展に長年寄与されてきたロンドン大学名誉教授マリー・ラスト先生を特別講師として招き、「ナイジェリアのプライマリ・ヘルスケア対策の背後に潜む特有の政治的問題」と題し、ナイジェリアにおける草の根の公衆衛生を考える鍵となりうる「公共性」の問題について講演いただいた。
 公衆衛生は、中央政府や地方政府が民衆の医療行動をコントロールすることを前提としている。しかし北ナイジェリアでは、公共の場こそ人々が自由にふるまう。それは人々が複数の医療を幅広く選択できることだけでなく、医療を担当する役人や政治家が公共医療のための財源を流用することに現れている。この背景には、そもそも医療を含む福祉や互助が個人間で対面的に行われてきた歴史的・文化的な構造があり、植民地政府やナイジェリア政府は抽象的な公共性の導入を表面的にしかできなかったことが挙げられる。
 講演の後には、ロンドン大学でラスト先生に師事したご経験をもつ、関西外国語大学准教授の近藤英俊先生に、今回のラスト先生の講演のポイントについて整理いただいた。
 引き続き行なわれた会場との質疑応答では、医療という人間の生命に関わる基本的なサービスを望ましいものにするためには何らかの政府による統制的な介入が必要か、それとも「公共性」のヴァナキュラーな理解に基づき、草の根の人びとにゆだねる「自由」を追求すべきかをめぐり活発な議論が展開された。私たちが「グッド・ガバナンス」と呼ぶものが、いかに特定の文化的・歴史的な構築物であるかをいまいちど考える機会となった。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第9回 越境する障害者/村を創るハンセン病者

日時:2014年6月27日(金)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 敬学館211教室
主催:生存学研究センター

趣旨説明・コメント:
 小川さやか(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
講演:
 戸田美佳子(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)
  「国境を超える障害者-中部アフリカを例に」
 姜明江(京都大学アフリカ地域研究資料センター)
  「故郷を創造する病者-ザンビアのハンセン病の村から」

【企画趣旨】
 今回のアフリカセミナーでは、京都大学よりアフリカを研究のフィールドとする若手研究者2名を招いて、アフリカの障害者やハンセン病者が、いかに国境や社会的境界を横断しながら、独自の自立的な生計手段を確立しているのかについて講演いただく。
アフリカで障害や病を抱えた人びとの豊かな実践から、自立的に生きることの多義的な意味について探りたい。

【開催報告】
 第9回セミナーでは、京都大学から二人の新進気鋭の若手研究者を講師として招き、アフリカ諸国において障害や病を抱えた人々がいかに独自の自立的な生を構築/再編しているのかについてご講演いただいた。戸田美佳子さん(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)は、「国境を超える障害者─中部アフリカを例に」と題し、カメルーンのヤウンデ市での出稼ぎ物乞い業とコンゴの国境ビジネスを事例に、国家や地域社会の枠組みを超えて、障害者がいかにサブシステンスの維持基盤を形成しているのかについてお話しいただいた。とりわけ後者の国境ビジネスは非常に興味深いものだった。コンゴ川を横断するフェリーの障害者割引・支援制度を利用して貿易業や旅客運送業で成功した障害者団体は「商売の王」と呼ばれ、このビジネスを特権的に寡占している。戸田さんは、不透明な国境貿易のなかで、彼らが障害を持っているからこそある種の特権階級となり、公的な認可を得ることで諸権力からの保護を得て仕事を勝ち取ってきた過程を説明し、この障害者団体を互助講組織や自助グループとは異なる、現代的なアフリカ版「商人ギルド」と定位する。
 姜明江さん(京都大学アフリカ地域研究資料センター)は「故郷を創造する病者─ザンビアのハンセン病者の村から」と題し、植民地期にキリスト教団体が設立した療養所やセツルメントを出た後に、故郷に帰れずに行き場を失ったハンセン病回復者たちが、みずからの村=ウモヨ村を創りだしていく歴史的過程を活写した。ハンセン病回復者たちはミッション団体からの援助物資を介して周辺住民と交流していき、ウモヨ村で自らの生計基盤を築きあげている。姜さんは、自助グループなどに代表される「障害に対する問題解決型」の共同体と比較しながら、ザンビアのハンセン病者たちの村を生計維持や食料分配などの生活実践に根差した「生存の共同体」と位置づける。
 二人の発表に共通していたのは、国家の社会保障制度が脆弱なアフリカ諸国における障害や病を抱えた人々によるある種の逞しい生存戦略であり、そして生計維持の必要性に基づいて展開される独自の社会的連帯のあり方である。会場からの質疑応答では、これらアフリカの障害や病を抱えた人々の生存戦略や社会的連帯から、いかにして日本における障害や病を抱えた人々の現状を考えるヒントを導き出せるかが問われた。
 障害者のサブシステンスの基盤に注目した国民国家を超える開発や支援のパラダイム、被支援者を分類・分節化する制度化された社会保障と異なる、「社会に埋め込まれた病者のコミュニティ」。豊富な定量・定性データを駆使した彼女たちの提案を、アフリカの枠組みから普遍的な枠組みへと展開するために、文化的・社会的な背景の違いに踏み込んで、日本の障害者・病者の研究者との対話をおこなう機会をふたたび設けたいと思った。

アフリカセミナー『目の前のアフリカ』開催報告
第10回 紛争後社会の和解政策を再考する――ポストアパルトヘイト後の南アフリカを中心に

日時:2014年7月11日(金)17:00〜19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 敬学館211教室
主催:生存学研究センター

趣旨説明:
 小川さやか(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
講演:
 阿部利洋(大谷大学文学部准教授)
対談:
 阿部利洋(大谷大学文学部准教授)
 井上彰(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)

【企画趣旨】
 宗教・人種の対立による分断と憎悪の増幅を前にして、その傷をいかに修復するのか。また加害者の社会復帰を模索し、被害者支援の方途を探る方向性にはいかなる制度や規範の構築がありうるか。大谷大学の阿部利洋先生は、このような問いをアパルトヘイト後の南アフリカの和解に向けた取り組み等を題材に長年、探究されてきました。
 今回のアフリカセミナーでは、阿部先生に真実和解委員会の試みと和解論をめぐる理論的な到達点についてお話しいただき、その後、政治哲学者である立命館大学の井上彰先生と和解と正義をめぐって対談します。

【開催報告】
 第10回セミナーでは、大谷大学の阿部利洋先生に南アフリカの真実和解委員会の試みと和解論をめぐる理論的な到達点についてお話しいただき、その後、政治哲学者である本学先端総合学術研究科の井上彰先生と和解と正義をめぐって対談いただいた。
 民族・宗教・人種の対立による分断と憎悪の増幅を前にして、その傷をいかに修復するのか。また加害者の社会復帰を模索し、被害者支援の方途を探る方向性にはいかなる制度や規範の構築がありうるか。阿部利洋先生は、このような問いをアパルトヘイト後の南アフリカの和解に向けた取り組みを題材に長年探究されてきた。
 昨年12月に逝去したネルソン・マンデラ大統領は、黒人初の大統領となった1994年の翌々年に、すべての人種がともに生きる社会の実現を目指して真実和解委員会(以下TRC)の設置を呼びかける。国外からは、報復的な裁定によらない加害者への許しを通じた紛争解決、被害者の自律性を取り戻すための試みとして好意的に報じられたTRCだが、その内実はいかなるものだったのか。阿部先生は、TRC関係者や当時の公聴会の記録などから、TRCが直面した困難を浮かび上がらせる。そのうえで、社会的に和解をすることと社会的に和解を求めることを区別し、TRCの試みを、和解を意見の一致や最終解決とみなす視座ではなく、「和解の理念を社会的指針とすることで、武力紛争への交代を回避しつつ、新たな競合関係を誘発する」視座において意義づけた。すなわち、敵対的な過去を共有する当事者集団がその相互関係を改善する必要があるという視座を少なくとも共有したうえで、和解へ向けてのより適切な条件をどちらが提示するかという競合関係を築き、そこで優位に立つために相手からの承認を引き出すことを模索する、というものである。
 講演の後には、井上彰先生より、上述の視座は「討議民主主義」や「熟議民主主義」より、「闘技民主主義 agonistic democracy」の考え方に近いのではないか、対抗的な局面を残しながらの修復的正義を考えていくうえで暫定的な合意はどのように考えられるのか等の問いかけがなされ、活発な対話が展開された。引き続き行われた会場との質疑応答では、個人レベルの和解から社会的レベルの和解へとシフトする際に「社会」はどのようなものとして人々に理解/想像されていたのか、行為や感情レベルでの和解と現象としての和解をどのように接合すべきか等の質問がなされた。報告者自身は、ゲーム論的な視座からTRCの試みを捉えることに関心を抱いたが、今回の報告は南アフリカのポストアパルトヘイト後の政策的試みを超えて、「和解」を論じうる枠組みの多様さ・複雑さを考えさせる豊かな機会となった。