第二部 生殖技術論文 日本における非配偶者間人工授精導入時の法律問題研究──法的父子関係をめぐる議論を中心に

2-3 日本における
非配偶者間人工授精導入時の法律問題研究
 ──法的父子関係をめぐる議論を中心に

由井秀樹

はじめに

特例法3条1項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者は……夫として婚姻することができるのみならず、婚姻中にその妻が子を懐胎したときは、同法[民法;筆者注]772条の規定により、当該子は当該夫の子と推定されるというべきである1。

 2013年12月、最高裁判所は「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」により、法律上の性の変更が認められた元女性を夫とする夫婦と、提供精子を用いた人工授精(非配偶者間人工授精[Artificial Insemination by Donor; AID])により出生した子との間に嫡出親子関係を認めた。二宮周平は、嫡出親子関係が認められなかった第二審までの経緯を紹介した上で、民法は父子関係の決定に必ずしも血縁を絶対視していないこと、学説の多数説や判例が通常の夫婦がAIDを選択した際、夫の同意があれば子に嫡出推定が及ぶとしていること2を指摘し、平等を求める視点から下級審判決を批判する3。今回のケースは最終的に二宮の見解を支持する形になったが、水野紀子のように二宮と異なる見解を示す民法学者もおり4、最高裁判決の評価も割れることが予想される5。
 二宮は自身の見解を提示するにあたり、前述のように通常の夫婦がAIDを選択した際の法的父子関係に関する学説の動向を検討したが、その際、民法772条の推定が及ぶ嫡出子と解する第一の立場、772条の推定が及ばない嫡出子と解する第二の立場、養子縁組を擬制する第三の立場に学説を整理した。本稿では二宮の問題関心を引き取る形で、論争の発端、すなわち、AIDの導入時に慶應義塾大学の法学者により行われた議論を精査し、今回の最高裁判決の意味を考える素材を提供したい。

1 AID導入時の法律問題をめぐる議論の現在の到達点

 1948年に慶應義塾大学医学部教授、安藤畫一により同大学医学部附属病院でAIDが実施され、翌年に女児が生まれたこと6、その際、同大学の法学者を中心にAIDの法律問題が議論されたことはよく知られている。
 AID導入時に法律問題が議論されたことに、NHKの取材に応じた安藤の4代後の教授、飯塚理八が触れている。NHKのドキュメンタリーをもとに執筆された『つくられる命──AID・卵子提供・クローン技術』(2004年)にこの経緯が記述されているので、本文を含め引用する。

「『これ[AID;筆者注]を日本でできないだろうか』と、戦後すぐに医局で勉強会を開いたんです。我々が学生のころです。しかも、医学部の連中だけじゃダメで、まず法律がどうなっているか調べましょうといって法学部の先生方も参加して勉強会を毎月開いたんです。それで『現行の戸籍法などでいける』というようなことで、2年ぐらいやって[安藤は:筆者注]ゴーサインをお出しになった。昭和24年8月に第一号ができた。そういうことなんです。その勉強会の結晶がこれですよ」。
 飯塚氏が「勉強会の結晶」だと言って私たちに見せたのが、小池隆一・田中實・人見康子編『人工授精の諸問題』(慶應義塾大学法学研究会叢書4)7である。……編者の一人、小池隆一氏が「人工授精によって出生した子どもの身分を、如何に取り扱うべきかということは、私共の研究会において最も議論されたのである」と述べているように、AIDの実施に伴って、当時最も大きな課題とされたのが、民法上、生まれた子どもをどのように位置づけるかという問題であった。これについては、民法772条のいわゆる「嫡出推定」により、「婚姻中に生まれた子どもはその夫婦の子どもとみなす」という解釈が成り立つとされた8。

 飯塚の示した『人工授精の諸問題』の構成は図1のとおりである。
 これに関して柘植あづみは、 AIDによる父子関係も嫡出推定を受け得る、との『人工授精の諸問題』所収論文における小池の見解を紹介している9。家永登も、小池の『人工授精の諸問題』及び『私法』第7号10(1952年)所収論文、田中の『人工授精の諸問題』所収論文(『私法』第16号〔1956年〕の論文を初出とするもの)から、小池や田中を、嫡出推定を適用させる立場と捉える。ただし、家永は、ある「人工生殖」の実施の可否と、それによって出生した子の法的地位の問題を関連付けて論じる「関連説」と、独立させて論じる「峻別説」をめぐる議論を展開しており、子の法的地位をめぐる小池や田中の現行法解釈論自体を詳細に分析しているわけではない11。また、当時の議論を精査するには、当然ながら他の研究会メンバーの見解も参照する必要がある。
 二宮は、『つくられる命』の記述と同様に『人工授精の諸問題』を、嫡出推定を適用する立場の研究に位置づける12。柘植や家永の研究も合わせて考慮すれば、小池らの研究は嫡出推定の適用を容認していたと捉えられているといえよう。しかし、図1からみてとれるように、『人工授精の諸問題』は過去の論文や学会の記録を再編、再録したものであり、小池らの統一見解が示されていたわけではない。このことは、「私たちの研究は、なお繼續中であつて、けつして完結したものではない」13、「本書の内容は、學術的論稿のほかに資料紹介・學會の講演・討論速記などのようなものをもふくみ全體として調子がそろわないようにもなつてしまつた」14という、はしがきの記述からもうかがえる。さらに、『人工授精の諸問題』のエピローグに位置づけられる第17回日本私法学会におけるシンポジウム(1956年)の討論では、唄孝一が回想するように、嫡出推定の適用を支持しない見解が多数を占めていた15。
 したがって、小池らの研究を評価するためにも、改めて個々の論文や学会報告を精査する必要が生じる。本稿ではその第一段階として、1952年に研究の中間報告として発表された小池(「人工授精とその法律問題」『法学研究』第25巻第8号16、「人工授精の法律問題」『私法』第7号17)、田中(「家族の法理からみた『人工授精』の問題──『人工授精』における合理性と非合理性」『法学研究』第25巻第8号18)、須藤(「人工授精に關する法律上の若干問題」『法学研究』第25巻第8号19)の見解を初出論文から検討する。『法学研究』は慶應義塾大学法学部法学研究会の紀要であり、第25巻第8号において、田中と須藤はそれぞれの見解を記述し、小池は自身の見解を同年の『私法』(日本私法学会)第7号に掲載するため、主に論点整理を担当した。再録版の田中、須藤論文は論題を除き、言い回しに少し変更がみられる程度で全くといってよいほど手が加えられていない。他方、再編・再録版の小池論文は研究会の論点整理を中心にまとめられ、特に『私法』所収論文で展開された嫡出推定を適用させる解釈に関する議論が反映されていない。こうした理由から、本稿では初出版に着目する。なお、宮嶋淳が『私法』所収の小池論文以外の中間報告初出論文について、AIDの是非論に着目して簡単に紹介しているものの20、法的親子関係に関する議論は検証されておらず、中間報告の内容を検討する余地は多分に残されている。

2 研究開始の経緯と小池隆一による論点整理
(「人工授精とその法律問題」『法学研究』第25巻第8号21)

 小池は論点整理に先立ち、「人工授精」(実質的にはAIDと同義)の法律問題研究をはじめた経緯を記している。それによると、安藤畫一から法学部教授であった小池に対し法律問題を研究するよう依頼があり、助教授の田中、須藤、助手の人見と協議した結果、協同研究に着手することになった。手始めに、慶應義塾大学医学部附属病院へ赴き、安藤や安藤の助手で人工授精実務を担当した山口哲、高嶋達夫から実施状況の聞き取りを行った。その上で、研究会を開催し、問題を討議した。この点に関する記述は、小池の還暦記念論集所収の田中・人見論文にもある22。それによると小池の研究会の名称は「民法研究会」で、小池らが安藤のもとをはじめて訪ねたのは1951年11月28日であった。安藤自身も「私も[AIDを;筆者注]始めましてから翌年に慶應の法科の方にお願いしまして、數回検討をしていただいたこともあります」と述べていた23。
 以上の記述は、臨床応用前の段階で法学者との議論を通じてAIDの法律問題が解決されていたとする飯塚の回顧とは食い違う。ただし、1949年9月10日号の『週刊家庭朝日』に「A・I・Dについては社会的にいろゝ異論があると考えたので、あらかじめ法律家の意見もきいたが決して違法ではないというので、確信をもつて實験に着手した」という安藤の発言が掲載されており24、小池らを指すかはともかく、安藤がAIDの導入前に法律家の見解を聴取していた可能性はある。しかし、最初のAID児の出生直後の同年8月27日に開催された「人工授精をめぐつて」という座談会において、安藤は「日本の法律で嫡出子というものの定義が下されているだろうか。こういう場合に半分は自分のところの夫婦の間のタネでできているので、半分はそうではない。こういう場合に私生兒というもので行くか……日本でどう解釋されているかということを實は知らない」とも発言しており25、少なくとも子の法的地位をめぐる問題はAIDの臨床応用前から解決されていたわけではないだろう。
 さて、小池の論点整理によると、最初に問題になったのは、AIDそのものの合法性であったが、意見の一致はみられなかった。続いて問題になったのは、AIDによって生まれた子の法的地位をめぐる論点であったが、これも見解の一致に至らなかった。この論点は、小池の論文で二箇所記載されており(491-493頁、496-497頁)、それを整理すると、①民法772条の推定が及ぶ嫡出子と解釈する立場、②民法772条の推定が及ばない嫡出子と解釈する立場、③嫡出子たる地位を認めない立場、④養子として扱う立場、⑤新立法により、嫡出子、あるいはそれに準ずる地位を与える立場、となる。
 研究会で最後に取り上げられたのは、いったん成立した父子関係の否認可能性であった。これは、子の法的地位の解釈で結論が異なる。①では、民法774条以下による嫡出否認26によるより方法がない。②では、親子関係不存在確認の訴え27により、親子関係を否定できる。③であれば、親子関係は成立しないので問題にならない。④であれば、離縁によって父子関係を解消できる。以下、それぞれの論点について小池、田中、須藤の見解をみていきたい28。

3 小池隆一の見解
(「人工授精の法律問題」『私法』第7号)

 まず、AIDの合法性について小池は、以下の見解を示した。

子供を欲する人間の本能は之を抑制することは、困難である。從つて假にA・I・Dを中心とする人工授精を違法な行為として之を禁止してみても、その効果は充分なものではないと思う。即ち若し法の禁止に違反して人工授精を行つて妊娠したとするならば、當事者を處罰しても大した意味はなく、寧ろ生まれて來た子供に對して適當な處置をする必要が起るのである。この點は、姦通罪を刑法に規定しても姦通を防止し得ないし又生れて來る子供を私生子としても姦通若くは婚姻外の男女の關係の發生を防止し得ないのと同様である。更にA・I・Dを違法とするならば、法の禁止を破る關係上、Donorの素質を吟味することは困難となるから、惡質な子供が生れる可能性が多くなる。又惡德な醫師若くは無資格者の介入によつて、脅迫その他の犯罪を生ぜしめる危険が出て來る。これ等の點を考えるならば、相當な條件を附して人工授精の合法性を認めると共に、之による出生兒の法的身分を適當に定めることが、寧ろ合理的な扱いではないかと思う。29

 このように小池は消極的な立場でAIDを容認していたかのようにみえる。しかし、論文の最後で「根本論として人工授精を肯定すべきや否やは相當の問題」30であることも認めており、実施の可否について小池の見解は実質的に定まっていなかった。
 その一方で「人工授精が現實に行われて居る以上、之から生ずる問題を法律的に處理する必要が起つて來る」ため、当該問題を検討する必要が生じる。検討にあたり、小池は法的親子関係の規定も含めた「新立法を設けることが最も望ましいことは、議論の餘地がない」としたが、「新立法が成立しうるや否やは疑問であるし、假に之が可能であるにしても、新立法成立までの間に問題が殘る」ことを認め、「さし當り」の「現行法の解釋論」を展開した31。
 子の法的地位については、「現行民法は、この様な場合を豫想して居らなかつたのであるから、解釋論として之を論議することは困難であると云わなければならない」と断った上で、「この種の子供が存在する以上、適當な處置をする必要がある」と主張した。そして、明らかに夫の子でない場合には嫡出推定を認めるべきでないという反対論が予想でき、その反対論に「理由のあること」32を認めながらも、「嫡出子たる地位を否定することは、當事者の希望に反するのみならず又子供の保育上から見ても有害である」という理由で、嫡出推定の適用を容認した。しかし、あくまでも新法制定までの過渡的措置であることに加え、「多少の無理は承知の上で」の解釈であった33。
 次に、いったん成立した父子関係の否認可能性が検証された。小池は嫡出推定の適用を容認したため、嫡出父子関係を覆すには嫡出否認の訴えによるしかない、すなわち、法律上の父のみが子の出生を知ってから1年以内に訴えを提起できることになる。しかし小池は、「この結論には私自身若干の疑問がないでもない」34と揺れをみせる。つまり、小池は敢えて現行法を解釈するならば嫡出推定を適用する立場であったが、その限界を認識しており、結局、「この問題は、人工授精に關する新立法の制定によつて解決する外はないと考える」35との結論に至った。したがって、小池の議論を、嫡出推定を適用する系譜に位置づけるには、一定の留保が必要になる36。

4 田中實の見解
(「家族の法理からみた『人工授精』の問題──『人工授精』における
合理性と非合理性」『法学研究』第25巻第8号)

 まず、AIDの合法性について田中は、近代婚姻制度を基礎づけるものとして「愛」を位置づけ、以下のように論じた。

近代社會における婚姻の本質が「愛の共同體」というところに見いだせるにせよ、なお副次的なものとして生殖機能……を無視し得ない、ともいうべきであろう。……彼等は、相互の人格的「愛」を信じつつ、しかも、子という「愛」の證明をえられないことにおいて、あるいは致命的な「愛」の幻想を感ずることがないであろうか。そしてそこから當事者間に越え難いギャップが生まれ、やがて「愛」そのものの破滅に導かれることすら、必ずしも絶無ではないであろう。このギャップを埋めるための非常手段として求められたのが、「人工授精」という技術にほかならないのである。かくて、「人工授精」はそれが神秘のヴェールをぬいだ、あまりに技巧的な技術であるという、いわば感覺的な點からくる嫌惡感を免れないにせよ、親子關係を創出することにとつて婚姻の—したがつてまた「愛」の—基礎を確實にする目的に奉仕するためのものであるとされるかぎり近代的婚姻觀に必ずしも背反するものではない、ということができるのではあるまいか37。

 このように田中は、子を婚姻の基盤たる「愛」を担保するものと捉え、「感覺的な點からくる嫌惡感」を抱きながらも、「愛」を維持するための非常手段としてAIDを位置づけ、婚姻観に必ずしも反するものではないと主張した。
 しかし田中は「婚姻を支えうるような親子關係は、何よりも自然的なものに限られるべきであり、『人工授精』のごとき反・自然的人爲的な手段で創出された親子關係が、よく婚姻の永續的基礎たりうるであろうか、という問題」38を提起しており、判断の揺れがうかがえる。この問題に取り組むにあたり田中は、子の法的地位の問題を検討する。

概念的解釋論からすれば「人工授精」兒は、形式上、夫婦間の出生子……という形をとるのだから、いちおう民法第772條の適用をうけるはずであり……そのまま嫡出子としての身分が確定する、という扱いになるであろう。
しかしながら、もし實質的に考えるならば……實親子關係は、當然に親子の血縁が存在しうるであろうという自然的かつ社會的な素材を基礎として成り立つているのである。すなわち、婚姻中の妻は夫の子を懐胎すべき相當の機會があるというそぼくな婚姻觀を前提として、民法第772條の嫡出推定が構成されているのである。したがつて、もし例えば長期間の夫婦の別居、または夫の生殖不能というような婚姻の基礎たるべき自然的かつ社會的事実を缺いている──つまり親子の血縁が絶對に存しえない──場合には、たとえ戸籍の形式上は婚姻の要件をそなえているにせよ、妻の出生子について嫡出推定のあたえられる素地が存在しない、と考えなければならない。かかる見地からすれば、「人工授精」兒は、いちおう形式的には夫婦間の嫡出子として扱われるにしても、實質的に第772條の嫡出推定をうけたものではなく……、その嫡出性は、夫の否認權行使による嫡出否認の訴でなく、一般の親子關係不存在確認の訴によつて爭いうることとなり、「人工授精」兒の嫡出子たる身分は、きわめて不安定のものとならざるをえない。39

 このように田中は、表面的には子に嫡出推定が及ぶものの、父子の血縁の不在が明白であるため、実質的には嫡出推定を受けたといえず、親子関係不存在確認の訴えにより父子関係を覆すことができる、すなわち、利害関係人ならばいつでも訴えを提起できる、と解釈した。その上で田中は養子縁組を擬制する立場を「養子縁組による嫡出親子關係の發生が、民法上一種の要式行爲の効果として構成されるのにたいして、『人工授精』においては、さような構成が成り立たない、ということを見逃すことはできない。この意味で、『人工授精』は養親子としての成立要件を缺いているといわなければならない。たとえ『人工授精』についてあたえられた同意が、親たる地位の承諾と同一であるとみられるところから、そこに養子縁組意思を推定ないし擬制することが理論上不可能ではないにしても、すくなくとも民法上合法的な養子縁組と同一視することは、ゆるされないであろう」40と否定した。これを受けて、「嫡出親子關係の成立方法としては、『人工授精』に實親子の理論をあてはめるにせよ、また養親子の理論をあてはめるにせよ、民法の構成原理の上で、大きな背理があるといわなければならない。このことは、けつきよく、親子關係の創出方法として、『人工授精』が非合法である──したがつて嫡出親子關係としての法的保護を受けえない──という斷定を導くことになるのではあるまいか」41と主張した。
 そして、「社會的な哺育關係としての機能を果すべきもの」と把握される「子のための親子法」という思想を「現代的親子關係の本質」に位置づけ42、「われわれは、『人工授精』という手段が、親の立場からみて便宜的なものであるにせよ、さらに子の立場から、最近の『子のための親子法』という新しい親子關係の法理に即して考察するとき、ついに一つの根本的不合理につきあたらざるをえないのであつた」43とした。しかしその上で、AIDを用いない一般的な親子関係についても「合理化が現代的な課題であるにしても、なおそこには或限界が存するのではなかろうか」44とし、最終的にAIDの評価を留保した。

5 須藤次郎の見解
(「人工授精に關する法律上の若干問題」『法学研究』第25巻第8号)

 須藤はAIDを「婚姻・親子に關する現存法秩序に對して、根本的に牴觸すべき新事態」45と評価し、法規制の方向性について以下のように記述した。

この問題が、社會の一部における希少現象に止まつているかぎり、法はあえて積極的にこれに對決することはないであろう。しかし、もしこの問題が比較的普及し、その結果生れ出ずる罪無き子等が、法的秩序の保護の外に置かれる悲劇が増加する可能性に直面するに至れば、立法的解決は不可避となろう。しかし、その立法は、この問題を全體として肯定容認するためのものではあり得ない。46

 須藤は「希少現象」である限り新立法による規制を求めず、新立法が要請されたとしても、須藤の立場ではAIDの実施を抑制する法が求められた。現行法の下で子と母の夫との父子関係を認めることについては「解釋における客觀的限界を逸脱し、徒らに法の規定を事實に迎合せしめ、法を無秩序や盲目に堕せしめるということは、全く許されない」47と述べるが、他方で現に存在する子、今後出生する子の扱いに関して「問題とは無關係に正當に保護されなければならない子の權利の尊重という問題に對處して、法は如何にして統一的調和を見いだすかという」48課題に直面する。須藤は、この課題に取り組むにあたりまず、嫡出推定の適用可能性を検討する。

父性の推定は夫婦間の同棲……と妻の貞操……との信頼の上に立つてなされるものであるが、AIDについてみると、この第一の要件は形式上具備されている(たゞし、まず夫に授精能力がないのであるから、實質的にはこの要件も殆ど備えてないものといえよう)が、第二の要件については、事實上……全く缺いているので、父性推定の實質的基礎がないものといわなければならない(たゞしAIDの場合、夫の不妊症はあくまでもプロバビリティーの問題に屬するから所謂物理的不能とまでいえないかもしれない)。また嫡出子の意義如何についてみても、有効な婚姻關係にある妻が婚姻中に懐胎した夫の胤たる子、即ち、その夫婦の子であることが可能であることができるような條件下に生まれた子ということになるのであつて、人工授精兒……が、客觀的にみてこの條件に該當しないことは明白である。……AIDは、この點からみて、嫡出推定の實質的基礎をはじめから確定的に缺いているわけである。……結局、AID親子關係は、理論上、かつて嫡出推定を受けたことのない、單に表見的に存在する親子關係……に過ぎないものであるから、この親子關係は何時でも一般の確認訴訟によつて爭われうるものといえよう。……法は、夫に對しては、その子に對するあらゆる法上の義務を囘避せしめないために、できるだけ嫡出親子關係の表面的存續を許すと共に、他方、將來子の希求する利益において、この虚構の親子關係が爭われる餘地を認めなければならない。AIDを行つた夫婦は、合意に基いて違法な子を出生せしめたわけであるから、その子に對しては扶養・敎育に關する自然債務を負うものとみるべきであろう。49

 須藤は、父子に血縁のないことが明白であるため、本質的に嫡出推定は及ばないとする。さらにAIDを行った責任として夫は子を嫡出子として養育する必要があるものの、父子関係は一般の確認訴訟によって覆すことができると解釈した。つまり、多少アプローチは異なるものの、結果的に田中と同様の立場をとっているかのようにみえる。しかし、続いて「[AIDにより出生した子は;筆者注]民法772條にいう、又は準正による夫婦の子ではない。そこでは父子關係は事實上存在しないのであるから、母の夫が子との間に法的に嫡出親子關係を發生せしめようとすれば、結局養子縁組による他はないであろう」50と記述した。このように須藤は養子縁組を擬制する立場を支持していたとも解釈でき、判断の揺れをみて取れる。

おわりに

 本稿のはじめに及び第1節で示したように、今日ではAIDによって出生した子に嫡出推定を適用する学説が多数を占めるとされ、小池らの研究がこの系譜に位置づけられる。しかし、ここまでみてきたように、中間報告段階での田中と須藤の議論では、AIDにより出生した子の法的父子関係について今日の多数説は採用されていなかった。小池は現行法解釈論として嫡出推定が適用されるとする今日の多数説を採用していたが、それは「多少の無理は承知の上で」のことであり、あくまでも新立法による解決を主眼においていた。
 本稿では中間報告の検証に留めたが、当然ながら小池らの研究を評価するには、1956年の日本私法学会第17回大会におけるシンポジウムをはじめとするその後の研究の精査が必要となる。これは今後の課題としたいが、本稿で紹介した中間報告の位置づけを示すため、簡単に概略を提示しておく。
 シンポジウム51では、人見康子が現行法解釈について、田中實が現行法解釈や立法政策に関する見解について報告した。田中は、子をなるべく嫡出子として扱うという新立法の方向性を示した一方で、人見は「子の福祉のため」という親子法理念を前面に出し、現行法解釈でも嫡出推定が適用されるが、新立法によって子からの嫡出父子関係否認の方法を規定するという立場をとった。『人工授精の諸問題』52後も、民法研究会ではAIDの法律問題の研究を継続していくことになっていたが53、引き続き精力的にこの研究に取り組んだのは嫡出推定の適用を積極的に主張した人見のみであった54。
 人見は体外受精の問題が表出してきた1970年代終盤あたりから、AIDにより出生した子の法的父子関係は新立法による解決を待つべきとの立場をみせるようになる55。つまり、小池による中間報告の立場への回帰がみられるようになるのだが、それでも人見の議論では「子の福祉」が一貫して重視されていた。小池、そして嫡出推定の適用を否定した田中や須藤の中間報告においても、子の保護を重視する理念は共有されていた。中間報告後の議論の精査が課題に残っているため、今回の最高裁判決の評価に対する示唆は仮説的に述べるに留めるが、「子の福祉」「子の利益」という観点は主文にはみられず、裁判官個人の名で出された補足意見に後退しており56、この判決の論理構成をいかに考えるかが問われるだろう。

[文献と注]
1 最高裁判所平成25年12月10日判決「戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件」最高裁判所ホームページ内(最終アクセス2014年1月3日、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20131220110624.pdf)。
2 家永登も、この立場を多数説としている(家永登「人工生殖によって生れた子と親子法──代理母・死後懐胎を契機にAIDを見直す」家永登・上杉富之編『生殖革命と親・子──生殖技術と家族Ⅱ』早稲田大学出版部、2008年、201-239頁)。
3 二宮周平「性別の取扱いを変更した人の婚姻と嫡出推定」『立命館法学』第345・346号(2012年)、3656-3690頁。
4 水野紀子「性同一性障害者の婚姻による嫡出推定」松浦好治・松川正毅・千葉恵美子編『市民法の新たな挑戦──加賀山茂先生還暦記念』信山社、2013年、601-629頁。水野は、夫が性別変更を経た夫婦がAIDを選択した場合の嫡出推定の適用を否定するだけでなく、立法論としてこのような夫婦へAIDを施術することを禁止すべきとの立場をとった。
5 今回の最高裁判決でも、裁判長裁判官大谷剛彦、裁判官岡部喜代子による反対意見が記載されている(前掲注1、最高裁判決)。
6 AIDの導入経緯については、由井秀樹「日本における非配偶者間人工授精の導入と産婦人科学における男性不妊研究の展開──産婦人科医向け雑誌の分析から」『科学史研究』第268号(2013年)、177-186頁。を参照されたい。
7 小池隆一・田中實・人見康子編『人工授精の諸問題──その實態と法的側面』、慶應通信、1960年。
8 坂井律子・春日真人『つくられる命──AID・卵子提供・クローン技術』NHK出版、2004年、142-143頁。
9 柘植あづみ『生殖技術──不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』みすず書房、2012年、132-133頁。
10 小池隆一「人工授精の法律問題」『私法』第7号(1952年)、2-17頁。
11 前掲注2、家永。家永は小池の議論を「関連説」の系譜に位置づける。その上で、小池の議論が「ある人工生殖の実施を許容するために、その人工生殖によって生まれた子の法的地位に配慮する」(205頁)すなわち、「AIDの実施を認めるならば、それによって生れた子に嫡出子としての地位を認めるという」(209頁)立場と捉えられる。しかし、小池の議論は必ずしもそのような論理展開になっていない。ただし、「関連説」と「峻別説」をめぐる議論の精査は本稿の目的でないため、この論点は注で述べるに留める。
12 前掲注3、二宮。
13 前掲注7、小池・田中・人見編、1頁。
14 前掲注7、小池・田中・人見編、3頁。
15 唄孝一「人工生殖について思ってきたこと・再論」家永登・上杉富之編『生殖革命と親・子──生殖技術と家族Ⅱ』早稲田大学出版部、2008年、109-143頁。
16 小池隆一「人工授精とその法律問題」『法学研究』第25巻第8号(1952年)、487-499頁。
17 前掲注10、小池。
18 田中實「家族の法理からみた『人工授精』の問題──『人工授精』における合理性と非合理性」『法学研究』第25巻第8号(1952年)、500-525頁。
19 須藤次郎「人工授精に關する法律上の若干問題」『法学研究』第25巻第8号(1952年)、526-547頁。
20 宮嶋淳「わが国における人工生殖と子の福祉に関する歴史的考察」、才村眞理編著『生殖補助医療で生まれた子どもの出自を知る権利』福村出版、2008年、12-51頁。
21 論点整理といっても、当該論文で小池の見解が全く反映されていないわけではない。しかし、ここで展開される小池の見解は、次節で扱う『私法』所収論文の立場と矛盾するものではないため、本節では論点整理の紹介に留める。
22 田中實・人見康子「最近の米國文献に現れた人工授精論議」今泉孝太郎・田中實編『比較法と私法の諸問題──小池隆一博士還暦記念論文集』、慶應通信、1959年、499-516頁。『人工授精の諸問題』所収の再録版にこの経緯は記述されていない。
23 安藤畫一「人工授精の實施狀態」『私法』第16巻(1956年)、7-17頁(再録、小池隆一・田中實・人見康子編『人工授精の諸問題──その實態と法的側面』、慶應通信、1960年、9-24頁)。
24)「人工授精兒生まる!──安藤博士の施術に各界から是非論」『週刊家庭朝日』第30号(1949年)、1-2頁。
25 安藤畫一・加藤シヅエ・木田文夫・川上理一・二瓶要蔵・佐藤繁雄・田中耕太郎、「人工授精をめぐつて(座談會)」『遺傳』第3巻第11号(1949年)、22-29頁。
26 子の出生を知ってから1年以内に法律上の父のみが提訴できる。
27 法律上の父のみではなく、利害関係人はいつでも提訴できる。
28 他にも、AIDが医療行為に包含されるかという問題、医師と精子提供者の契約の有効性に関する問題などが議論された。
29 前掲注10、小池、4-5頁。
30 同上、17頁。
31 同上、10頁。
32 同上、15頁。
33 同上、15頁。
34 同上、17頁。
35 同上、17頁。
36 ここで「峻別説」と「関連説」をめぐる論点に触れておく。小池の議論は、「人工授精を一應肯定する立場に立」(17頁)って行われたが、実質的にはAIDの是非論と独立した形で現に存在する子の法的地位をめぐり現行法解釈論が展開された。しかし他方で、「生れて來る子供を私生子としても姦通若くは婚姻外の男女の關係の發生を防止し得ない」という本節冒頭の引用部分は「関連説」に則っているようにみえる。したがって、家永の枠組みを用いるならば、小池の議論には全体として両説が混在していたと評価できよう。
37 前掲注18、田中、512頁。
38 同上、515頁。
39 同上、516-517頁。
40 同上、519頁。
41 同上、519頁。
42 同上、520頁。
43 同上、524頁。
44 同上、524頁。
45 前掲注19、須藤、530頁。
46 同上、530-531頁。
47 同上、530頁。
48 同上、531頁。
49 同上、537-539頁。
50 同上、544頁。
51 シンポジウムの記録は『私法』第16号(1956年)、2-49頁。に掲載されている。図1で示したように、『人工授精の諸問題』にも、一部再編集の上再録されている。
52 『人工授精の諸問題』所収のその他の講演録・論文のうち、宮崎の講演録は人工授精の歴史や法律問題の論点整理が、安藤の講演録では慶應義塾大学医学部附属病院における人工授精の実施状況が記されている。『法学研究』第28巻第9号が初出の田中・人見論文、『比較法と私法の諸問題』が初出の田中・人見、宮澤論文は、海外の立法状況の紹介である。谷口論文では嫡出推定の適用を支持する現行法解釈論が展開されているが、谷口の所属は大阪私立大学であった。
53 前掲注7、小池・田中・人見編、1頁。
54 「人見康子教授 主要業績」(『法学研究』第64巻第12号〔1991年〕、424-427頁)に反映されているものに以下の論文がある。「人工授精と父子関係」『自由と正義』第15巻第2号(1964年)、1-5頁。「最近の英国における人工授精論議ムム英国内務省委員会の報告を中心に」田中實編『峰村光郎教授還暦記念法哲学と社会法の理論』有斐閣、551-609頁(田中實との共著)。「人工授精と親子法」『ケース研究』第150号(1975年)、60-69頁。「人工授精と体外受精」中川善之助先生追悼現代家族法大系編集委員会編 『親子・親権・後見・扶養(現代家族法大系 : 中川善之助先生追悼第3巻)』有斐閣、1979年、543-558頁。「試験管ベビーの法律問題」『法学セミナー』第27巻第7号(1983年)、98-101頁。「体外受精の法的問題」『産婦人科の世界』第35巻第4号(1983年)、383-387頁。『体外受精の法律問題』『大学時報』第177号(1984年)、68-71頁。「体外受精をめぐる法律問題」『ジュリスト』第828号(1985年)、40-45頁。「親と子の決定要因はなにか──配偶者以外の体外受精児の出現」『時の法令』第1236号(1985年)、25-33頁。「体外受精をめぐる法律問題」『受精・着床』1984年号(1984年)、207-212頁。「生命科学の進展と法律──代理の母の法律をめぐって」『民事研修』第350号(1986年)、25-39頁。「生殖補助技術と法律」『民事研修』第409号(1991年)、9-28頁。
55 前掲注54、「人工授精と体外受精」「親と子の決定要因はなにか──配偶者以外の体外受精児の出現」。
56 前掲注1、最高裁判決。