まえがき

まえがき

小門穂

 2014年1月末に、日本人研究者が新たな万能細胞(STAP細胞)をつくる方法を発見したと報じられた。体細胞にストレスを与えることで、この細胞を初期化できるというのである(理化学研究所 http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140130_1/)。
 同じく体細胞を用いるiPS細胞樹立の成功が報じられた際に、ES細胞の作製がともなっていた人間の受精卵の破壊という倫理的な問題がこれで解決された、と言われることもあったが、倫理的な問題とは受精卵を破壊することだけなのだろうか。iPS細胞で生殖細胞を作り受精させることには問題がないのだろうか。人間の女性から研究に用いる卵子を取り出すのではなく、iPS細胞などで人工的に作った卵子を研究に使うことで、卵子の研究利用という問題は解決されるのだろうか。人工的に卵子や精子を作り出せるようになると、生殖補助医療に使うことができるのだろうか。このような再生医療の発展は私たちにどのように関係するのだろうか。
 生存学センター報告第22号は、立命館大学生存学研究センター若手研究者研究力強化型プロジェクト「出生をめぐる倫理研究会」(研究代表者:松原洋子)が2013年度に行った研究活動をもとに作成されたものである。出生をめぐる倫理研究会のこれまでの活動については、吉田一史美によるあとがきを参照されたい。2013年度も、さまざまな関心を持つメンバーが、生殖や出生という切り口から、科学技術・医療・家族などの問題に取り組んだ。
 本書は二部構成となっている。第一部は、生まれる前の子どもを選ぶ技術である出生前診断・受精卵診断(着床前診断)に関する論考である。2013年8月31日に生存学研究センタープロジェクトAⅣ「生存学と科学技術」が開催した「生存学セミナー2013:出生前診断をめぐる技術と倫理」の講演録に加えて、セミナーを企画した松原洋子による論文を収めている。
 セミナーでは、遺伝カウンセラーとして出生前診断に日々関わっている張香理が、高齢妊娠を例に遺伝カウンセリングとはどのような営みなのか、参加者とインタラクティブに描いた。科学技術史を専門とする利光惠子は受精卵診断に産婦人科医や患者団体がどのように関与し、診断の意味を変容させたかを考察した。松原論文は、日本において新型出生前診断がどのように導入されたのかを読み解くものである。
 第二部は生殖技術、特に生殖補助技術をテーマとしている。2013年12月8日に「出生をめぐる倫理研究会」が開催した公開シンポジウム「ES・iPS細胞と生殖技術──その学問的成果・技術的有用性・倫理的問題」の講演録と、生殖技術に関わる5つの論文を収めた。
 公開シンポジウムは複雑に絡まりあいながら発展する再生医療と生殖補助技術の関係を考えたいという意図のもとに企画したものである。シンポジウムには、八代嘉美京都大学CIRA准教授と柘植あづみ明治学院大学教授を招聘し、iPS細胞により可能になったことや、再生医療を始めとするさまざまな医療技術の発展をどのようにとらえられるのか検討した。指定質問者として出生をめぐる倫理研究会のメンバーである利光惠子と坂井めぐみ(本学大学院先端総合学術研究科)が登壇した。指定質問へのリプライに続いて、多様な立場から質問を投げかける来場者とのディスカッションを行った。
 生殖技術に関わる論文5篇を簡単に紹介したい。南デンマーク大学准教授であるクロレッケとマドセンは、国境を超える生殖補助技術と親子関係をめぐる国際研究であるKinTraプロジェクトを率いている。2013年5月22日に立命館大学で発表したKinTraプロジェクトの成果をもとに、それぞれの論文が執筆された。クロレッケ論文とマドセン論文については、2014年3月刊行予定の『生存学』vol.7(立命館大学生存学研究センター編)に、それぞれの翻訳、シャルロッテ・クロレッケ(吉田一史美訳)「KinTra:デンマークの研究プロジェクト──子ども、身体、生命倫理が動くとき」、カレン・ヴァイトヘルト・マドセン(由井秀樹訳)「インドでつくられる赤ん坊:依頼者の母性と国境を越えた代理懐胎」を収録したので、ご併読いただきたい。
 続く3本は出生をめぐる倫理研究会メンバーが執筆した。由井秀樹は、日本で非配偶者間人工授精が導入された時期に、おもに法律家たちが法的な父子関係について交わした議論について考察した。小門穂は、代理出産禁止国であるフランスにおける代理出産ツーリズムに関する最近のできごととして、フランス人が外国で依頼する代理出産から生まれた子どもにフランス国籍証明書発行せよとする法務省通達を紹介し、その通達の意義を検討した。吉田一史美は、養子縁組制度において「障害」がどのように扱われているかを分析し、障害児に関する議論が少ないことを指摘している。
 出生をめぐる倫理というキーワードで、このような幅広い関心からの論考が集まったことを嬉しく思う。お手にとっていただき、ご高評いただけるとさいわいである。
 生存学センター報告第22号の発行にご助力くださったすべての方に感謝します。