あとがき

あとがき

編者 大谷通高×村上慎司

 本稿は,本報告書『生存をめぐる規範──オルタナティブな秩序と関係性の生成に向けて──』における多彩な主題を論じている各論文とそれらの間の関係性を解題することによって,本報告書の理解を深める一助になればという動機から,執筆される.
 本報告書は,三部構成,9本の論文から編まれている.「第一部 生存と規範理論」に所収されている二つの論文は,政治哲学・法哲学・経済哲学・社会理論といった規範理論に立脚して,生存と密接に関する抽象的事象である,平等と差別をめぐる思考を展開している.
 角崎洋平「アンダーソンの民主主義的平等論──「関係性」概念をめぐって」(以下,角崎論文)は,英米圏の規範理論における最重要課題である平等論の諸説を批判的に概説・検討している.かかる作業において,基点となる概念が関係性を織り込んだ民主主義的平等論であり,その代表的論者であるエリザベス・アンダーソンのケイパビリティ(個人が財やサービスを用いて達成可能な価値をおく理由のある「諸機能」──行い方や在り方──の集合)を採用した議論は,責任感応主義的な平等論と対比される形で,角崎論文の議論で中核的な役割を果たす.角崎論文の独創的な議論は,関係性という同一時点での空間的展開性と,責任という異時点間での時間的展開性という二つの次元に着眼して,平等論に関する諸説の整理・検討を行ったところにある.巻頭を飾るのに相応しい玉稿である角崎論文は,本報告書の副題にある「関係性」の問いを真正面から論じている.
 社会的な関係性をめぐる問いは,堀田義太郎「差別論のためのノート」(以下,堀田論文)も共通している.堀田論文は,「差別とは何か,その何が悪いのか」という問いに対する解答について,その妥当性を評価する基準とは何かという問題設定を行う.その基準に対する判断は直観に基づく.ただし.すべての直観が確固したものでないため,より信頼度の高い直観へと練り上げていく営みが要請される.堀田論文はこの営みをマイケル・ウォルツァーの「解釈」モデルに依拠する.そして,このスタンスから,内藤準をはじめとする従来の日本における社会学の差別論を批判的に検討し,従来の差別論を「客観的」な基準の確立を目指した議論としてではなく,規範的な主張を含む議論として見直すことができると主張する.その上で,堀田論文は,今度の差別論の方向性として,不利益論やリスペクト論といった英米圏での規範理論の知見に着目する必要性を述べている.
 差別は生存を脅かすものの一つである.差別以外にも,この社会には,性奴隷,自殺,死刑,犯罪被害といった生存を脅かされ・損なう事象がある.「第二部 言説と制度」では,現存する社会の秩序に組み込まれているこれらの事象を分析している.
 倉橋耕平「〈性奴隷〉はメディアでどのように登場したか──メディア言説史の実証的検討」(以下,倉橋論文)では,保守論壇の代表的な論客の〈性奴隷〉というタームへのバッシングを冷静に議論するために,日本の新聞を中心としたメディアに照準して,そのタームの登場背景・語法・回数等を丁寧に実証して検討している.倉橋論文では,〈性奴隷〉という言葉が持つ内在的な意味や価値に注目して論を展開することはあえてせずに,〈性奴隷〉という用語の使用時期・回数に準拠して,用語の登場背景やメディア上での語法を丁寧に分析することで,保守論壇の主張を外枠から切り崩し,さらには内在的な論理的矛盾を明らかにしてその理論的支柱にまでも届く批判を展開している.倉橋氏の論文は,〈性奴隷〉にかかる内在的意味や価値への考察に力点をおかないことで,右派論壇との事実論争の土俵に乗らずに冷静にその論旨を批判しており,当該領域において新たな知見(資料的事実や批判戦術)を与えるものとなっている.
 倉橋論文と同様に,かかる問題状況の言説を丁寧に追っていくことで,当該問題の背後にある自明性を開示する論文として藤原信行「『あなたもGKB47宣言』論争における自殺をめぐる規範的秩序──争点としての,自殺(者)カテゴリーの『述部』」(以下,藤原論文)がある.ここでは,日本政府による自殺対策のスローガンに対するクレイムについての論争をエスノメソドロジーにおける「カテゴリー付帯活動/述語」という分析手法によって怜悧な分析のメスを入れている.藤原氏は,「厳粛さ」といった規範的価値に自殺対策の議論の方向性が指し向けられる言説の動態を緻密かつ詳細に記述・分析している.自殺対策をめぐる言説の動態のなかで,問われえた事柄,さらにはゲートキーパー活動を不問にする力動の分析から,自殺にかかる「規範的秩序」の内実を明晰に解体したものとなっている.倉橋論文と藤原論文は,日本における当該事象に関する言説に照準を合わせて,言説に規定される社会秩序の作動状況・条件を記述・考察している.このような作業は,堀田論文で述べられたように具体的な差別の実態・実践を把握する際に重要な役割を果たす.
 藤原論文と同じく生存の対極にある死という事象を扱う櫻井悟史「死刑存置論と死刑肯定論──カント『人倫の形而上学』における死刑についての考察」(以下,櫻井論文)は,イマヌニエル・カントの『人倫の形而上学』における「人を殺害したのであれば,死ななくてはならない」というテーゼへの解釈を,「誰が死刑執行を担うべきか」という問いに持ち込むことで,既存の死刑制度さらにはそれをささえる死刑存廃論への根源的な批判を展開している.櫻井論文は,従来の死刑論において単なる同害報復の言葉として単純に用いられてきた上記のカントのテーゼを,まさしくそのカントの思想に内在して深く読み解くことで,現行の死刑制度における執行人とは異なる執行人についての可能性を示し,そのことをもって現行の死刑制度をそのまま存置(retention)する従来の死刑存置論とは異なる視座,すなわち死刑肯定(affirmation)論を編み出している.そして死刑制度を極限にまで肯定することで,現行の死刑制度の不備を開示して制度の停止を唱えるものとなっている.混雑している議論の配置状況を解き明かそうとする櫻井論文の営みは,一見すると分かりにくいかもしれないが,倉橋論文との社会科学的同型性を確認することができる.
 櫻井論文の背後にある制度の理念とその実装の問いは,法という制度の限界・範囲を巡るものであり,これは大谷通高「犯罪という侵害の苦しみからの解放──ハワード・ゼアの修復的司法論に依拠して──」(以下,大谷論文)とも共通する.
 大谷論文は,人災特有の苦しみとその救済を検討するために,修復的司法論の第一人者であるハワード・ゼアの被害の考え方,その救済観に着目する.ゼアの唱える修復的司法は,「犯罪」を人間関係の侵害としてとらえ,その苦しみからの回復を犯罪被害者の経験にそくしながら論じている.大谷論文は,その修復的司法が捉える侵害の苦しみを人災特有の苦しみとして論証しつつ,従来の議論で批判・看過されてきた,ゼアの過分に理想的・宗教的な救済観を,ゼア個人の宗教的価値観に帰するのではなく,被害者の支援的配慮における基本的な理念として定位した上で検討している.これは修復的司法を被害者の生存の多様性を保障するものとして読み解くものであり,既存の刑事司法制度が有する硬直的な秩序観に対するオルタナティブな秩序を提示するものとしてある.ある意味で,大谷論文にある関係性を執拗に問うスタンスは,民主主義的平等を議論している角崎論文と共通している.
 既存の制度がもつ硬直性を打開して,生存の多様性を肯定する発想は,安部彰「生存と制度をめぐるノート」(以下,安部論文)においても考察されている.安部論文は,角崎論文でも理論的背景になっているジョン・ロールズの議論に影響を受けた社会的連帯論を展開する齋藤純一と,その対極に位置するジル・ドゥルーズという二人が論じる「生存は制度によって支えられる」という《認識》の内実を精査している.前者の齋藤純一による社会的連帯論について,安部論文は,それが有する強制的な性格ゆえの制度への「動機づけの欠損(motivational deficit)」という問題の不可避性を喝破した.生存を支えるためにこれを生じさせる自尊感情の毀損(disrespect)を回避することが不可欠であり,このことは堀田論文の主題とも接続する.後者のドゥルーズの制度論について,安部論文はその含意を汲みつくすことに慎重でありながらも,「生存は多様な制度によってこそ(十全に)支えられる」というドゥルーズの《認識》はきわめて重要な示唆をあたえると強調する.
 安部論文にあった生存を支える制度・議論への志向性は「第三部 協働と経済」に所収されている二つの論文でも継承されている.
 村上慎司「生存と協働を支える所得保障制度試論」(以下,村上論文)は,生存と協働を実現するための予備的作業として,所得保障に専念した検討を行っている.そして,多くの所得保障の中でも,村上論文はベーシック・インカムとその変種としてみなすことができる給付付き税額控除に注目する.ベーシック・インカムは普遍主義的な政策として注目されており,安部論文にあった制度への「動機づけ」が喚起される政策の一つである.村上論文で提唱される給付付き税額控除をより具体的に言えば,消費税率引き上げの緩和策として所得税納税者に相当する勤労世代に限定した給付も伴う勤労税額控除である.村上論文は,ベーシック・インカムと給付付き税額控除について,累進所得税と消費税の税率変更を反映した大まかな財源試算を行い.財源をめぐる幾つかの論点を検討している.村上論文は所得保障に限定した試論となっているが,今後,生存と協働を支えるための制度を構想するためには,角崎論文で議論されていたようなケイパビリティを含むさまざまな福祉と自由の情報的基礎を議論する必要があるだろう.
 村上論文では直接的に論じられていないが,そこでの議論は,法人税や経済成長とも大きく関わる.経済成長の柱となるイノベーションを論じる,中倉智徳「イノベーション論の批判的検討にむけて──発明の社会学からイノベーション・プロセスの経済学へ」(以下,中倉論文)は,ガブリエル・タルド──タルドは,藤原論文の主題である自殺の初期研究で最重要人物であるエミール・デュルケムの批判者であり,安部論文に登場したドゥルーズが評価する思想家である──の発明と模倣の社会学やブノワ・ゴダンによるイノベーション概念に関する系譜学的研究を参照している.そして,中倉論文は科学の基礎研究からイノベーションの商業化までを直線的につなぐ,いわゆる「イノベーションのリニア・モデル」の確立までを,発明・イノベーションにおける個人からのアプローチと,プロセスからのアプローチが並行—対抗しながら形成されていく過程を検討している.こうしたイノベーション・プロセスの「科学」への純化の過程は同時に,実際にはそこにあった現在とは異なるイノベーション論の可能性が削り取られていくことを示す過程でもあったと結論づける.削られていった可能性の一つは,人間の間にある模倣行為を含むさまざまな関係性とみなすことができ,それは角崎論文での主題でもある.
 以上のように,本報告書は,オルタナティブな秩序と関係性の生成に向けて,生存をめぐる規範の幾つかを考究し,それらを実装させた「生存を支える制度の構想」の端緒を切り開いている.読者による生産的批判から生成される新たな関係性に期待して,本稿を終えることにしたい.