第二部 言説と制度

第二部 言説と制度

〈性奴隷〉は新聞報道にどのように登場したか
──1991-92年の国内紙・英字紙を中心に──

倉橋耕平

1 はじめに──問題の所在

 2013年5月橋下徹大阪市長の「慰安婦」問題に関する発言が大きな国際的批判を浴びた1).この事例に限らず,日本の保守系政治家がいわゆる「慰安婦」問題解決を否定/否認する発言をした際には,国際社会から大きな批判を浴び,つねに「慰安婦」問題解決をめぐる議論は錯綜してきた.
 こうした批判に呼応する形で,日本軍「慰安婦」制度に関する事実関係や責任の所在などを,資料や公文書をはじめ出典と根拠を紹介するwebサイト「FIGHT FOR JUSTICE──日本軍『慰安婦』忘却への抵抗・未来の責任」2)が8月1日に開設されるなど,同問題をめぐる事態は活発化していった.さらには,民主党の野田佳彦前政権が2012年秋に,被害者への謝罪や人道支援などで最終的に解決させることで韓国・李明博前政権と合意しかけていたものの,衆院の解散で頓挫していたことが『朝日デジタル』の報道で判明した3).民主党政権下では4つの自治体から日本政府に「慰安婦」問題の解決を求める決議がなされていた.このように国内外問わず,「慰安婦」問題は未だ解決していない喫緊の課題である.
 こうした「慰安婦」問題の歴史認識と政治課題をめぐって,保守系政治家や保守論壇が嫌う言葉がある.それは〈性奴隷sex slaves〉あるいは〈性奴隷制sex slavery, sexual slavery〉4)という言葉である.このたびの橋下発言騒動の最中,ある男性読者は新聞にこう投書している.

私は一連の国際社会からの批判の,慰安婦とは「性奴隷である」という指摘にショックを受けた.米国史における黒人の奴隷制度を愚かなことと思ってきたが,慰安婦問題が全く同根の問題だったとは考えていなかったからだ.(『朝日新聞』2013年6月5日朝刊14面)

 こうした認識はこの投稿者の個人的直観に限らない.『毎日新聞』も今回の橋下発言以後,〈性奴隷〉の訳語への解説を紙面に掲載している(2013年6月14日朝刊3面).それほど日本社会では一般に馴染みのない認識なのだろう.確かに,英語圏のジャーナリズムでは「慰安婦comfort women」を〈性奴隷sex slaves〉と表記・説明することが少なくなく,事実,橋下発言の際に海外で最も流通した記事の1つは,AP通信の“Japanese mayor: Wartime sex slaves were necessary(「日本の市長: 戦時性奴隷は必要だった」)” 5)というものであった.〈性奴隷sex slaves〉という表記にたいして批判を明確に示しているのは,『読売新聞』の「社説」である.それには「米議会や欧州議会などは,旧日本軍が『女性を強制的に性奴隷化した』といった,誤解に基づく対日批判決議を採択している」(2013年5月23日朝刊3面)と記されており,アメリカ政府の「慰安婦」に関する認識が誤っていると指摘している.
 では,この〈性奴隷〉という認識は,どのように登場したのだろうか.この橋下発言の後,西岡力は保守論壇雑誌『正論』8月号において〈性奴隷〉認識を批判する主張を行っている.ポイントは以下の通りである.

○1「朝日新聞が91年〜92年に繰り返し誤報をした結果として,吉田証言に基づく『慰安婦狩り』,そして『慰安婦=性奴隷』という評価が国際社会に定着しつつあるのだ」(西岡 2013: 59)
○2『読売新聞』が2013年5月14日,15日の朝刊で,『朝日新聞』の92年の記事が事実の誤認をしていると指摘していることを評価する.
○3『正論』と西岡は『朝日新聞』に公開質問状を送っている.例えば,「[質問○4]『日本軍慰安婦は性奴隷だった』との評価は,国連で1996年に人権委員会に提出された『クマラスワミ報告』で初めて明確化され,これを端緒に広まった.(中略)貴紙は繰り返し報道し,社説でも取り上げていて,肯定的に評価していると理解している」(西岡 2013: 59)というものがある.これに『朝日新聞』は考えを示すつもりはない、と回答している.
○491年に『朝日新聞』の記者が「強制連行」と書いたのは「誤報」である.

 こうした現在の国際社会の同問題にたいする認識が日本の新聞社の報道によって出来上がったとするものの見方は,今回の主張に限定されたことでも,西岡だけに見られるものではない.西岡と同じく保守論壇で発言を続ける秦郁彦もまた『朝日新聞』の1992年の報道が元凶となって「慰安婦」問題が拡散したと考えている(秦 1999: 12).秦も西岡の著作を引用して強制連行説は「時期の関係から見ても内容から見ても(中略)日本発だということが明らか」という判断を下している(西岡 1997: 11).同様に,池田信夫も西岡の論旨をそのまま引き継いで議論を拡散している(池田 2013: 240-8).
 批判の対象は『朝日新聞』に限らない.秦は,『The Japan Times』が94年秋頃から〈sex slave(ry)〉を慣用するようになり,『朝日イブニングニュース』がこれに追随しているとして日本国内の英字紙二紙の報道を偏向と位置づけている.加えて,秦は,保守論壇において繰り返し『The Japan Times』を「反日偏向」として批判する前田脩の(同紙は)「反日勢力の宣伝機関」であるという言葉まで引いて批判の姿勢を強めている(秦 1999: 338).
 より細かい点は,本論のなか(主として二節)で検討してくが,なぜ西岡や秦のように保守論壇ではこれほどまでにメディア(特に『朝日新聞』)の態度を誤認・誤報として批判するのだろうか.ましてやなぜ91〜92年をことさらに批判するのだろうか.
 本稿は上記西岡の指摘をリサーチ上の仮説として暫定的に位置づけ,これを出発点として,議論を展開していく.その上で,本稿では二つの問い(「大きな問い」と「下位の問い」)を設定している.大きな問いとしては,〈性奴隷〉という認識が,どのように日本の新聞報道において登場したのか,であり,主要新聞を中心的な資料として分析していく6).そして,下位の問いは,西岡が問題としている新聞と期間(91〜92年)に照準を定め,「慰安婦=性奴隷」認識が定着した経緯,そして,なぜ保守論壇がこの時期の新聞の言説を批判対象とするのかを検証する.
 残念ながら上記視点から「慰安婦=性奴隷」認識を検討した先行研究はない.結論を先取りすることになるが,上記視点から得られる知見は以下の3つである.第一に,資料をもとに〈性奴隷sex slaves〉をめぐる国内主要紙の掲載経緯(英字紙も含めて),第二に,西岡らが主張するような『朝日新聞』を諸悪の根源として名指すやり方には限界があるということ.第三に,西岡らのような91〜92年の期間に限定した批判の枠組みでは,現在国際社会で用いられている〈性奴隷〉言説と91〜92年の期間の〈性奴隷〉言説とを直線的に結びつけることはできない.そこには論理の飛躍がある.にもかかわらず,その飛躍があたかも存在せず整合性があるかのように見せる言説の機制が,保守論壇を批判的に検討することで確認される.
 とはいえ,本論では紙幅の都合もあり,〈性奴隷〉という用語がどのように新聞(国内紙・国内主要新聞の英字紙)に使用されたかについて,すべての経緯を記述することは不可能である.ひとまず,今回の論考では仮説に対応した上記期間とその周辺に限定して,その経緯を追って行くこととする.
 以上の目標設定にたいし,本稿では,まず第2節で〈性奴隷〉の初出を──新聞報道に限らず確認可能な範囲で──整理した上で,第3節で〈性奴隷〉の初出に関する西岡論文の主張を検証して行く.そして,最後の節で,保守論壇がなぜ91〜92年を批判対象としているのか,その時期を批判せざるを得ない保守論壇の主張の構造・機制とその内的矛盾を批判的に検討していく.

2 〈性奴隷〉の初出をめぐって

 そもそも,〈性奴隷sex slaves〉という言葉は,どのような形で登場してきたのか.関連する「慰安婦」問題に関する概略に関しては表1の概略年表を参照していただく形で省略し,ここでは,先行する拙著「〈慰安婦〉と〈性奴隷〉をめぐるジャーナリズム史」(倉橋 2014: 第二節)を本稿に必要な範囲で要約ならびに加筆する形で「初出」をめぐる歴史を概観していく.

 〈性奴隷〉の初出をめぐる議論は二つある.第一に,先に述べた『毎日新聞』の用語解説のなかでもクマラスワミ報告を初出とする説明がなされているが,1996年に発表された国連人権委員会のラディカ・クマラスワミによる「女性への暴力特別報告」の附属文書1「戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国,大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書」を1つのきっかけとする,というものである.91〜92年時期の議論があることからも単純に事実の誤認であることがわかる.だが,これは間違いである.確かに,日本国家に対して明示的に〈性奴隷制〉の問題解決を勧告した公式文書として最も定着している報告書である.しかし,これは〈性奴隷〉という用語の初出ではない.
 第二に,1992年に日本弁護士連合会(日弁連)の戸塚悦朗弁護士が国連で行ったロビー活動である,とする説である.西岡力は次のように述べる.
国連人権委員会に初めて慰安婦問題が持ち込まれたのは,一九九二年二月である.実は,持ち込んだのは日本人だった.戸塚悦朗弁護士が二月二十五日,人権委員会で慰安婦問題を国連が取り上げるように要請したのだ.(中略)このとき,戸塚は,慰安婦を「性奴隷」だとして,日本政府を攻撃した.米議会慰安婦決議案に出てくる「慰安婦=性奴隷」という奇抜な主張が初めて国際社会に出たのがこのときだ.(西岡 2007: 162-3)

 しかしながら,この記述には事実の誤認が含まれている.まず,1992年2月25日に要請されたとあり,この引用部のあとに戸塚の文章が引用されているが,その典拠となっている『戦争と性』第25号の戸塚論文の記述には2月25日という日付は登場しない.戸塚の同論文によれば,1992年2月17日に,国連人権委員会に対して協議資格をもつNGOである国際教育開発(IED)を代表して「慰安婦」をsex slavesであると指摘し,日本政府に補償を求め,国連に調停などのアクションをとるよう要請したとしている(戸塚 2006: 124).ちなみに,25日は韓国挺身隊問題協議会の尹貞玉が「国連人権委員会あて申し立て文書」を提出した日である(売買春問題ととりくむ会編 1994: 3).
 しかし,戸塚のどの著作を見ても,2月に国連で発言したことは明記されているが,詳細な日付については書かれていない.国連の文書では(E/CN.4/1992/SR.30/Add.1)7),2月23日に国連で戸塚が発言しているのを確認できる(Mr.TOTSUBAになっているのは,誤記と思われる).国連で〈性奴隷sex slaves〉という言葉が登場するのは,これが最初である.より正確に言えば,国連という公式の機関に〈性奴隷〉という言葉が提案された最初の契機が1992年2月だったということは確認できる.
 では,これが本当に初出かというと,そうではない.海外メディアの動きの方が早かった.AP通信のアーカイブス(BETA版)を検索すると,1992年1月13日(宮沢首相訪韓直前)に“JAPAN ADMITS ITS ARMY PROCURED PROSTITUTES FOR WWII SOLDIERS”という記事が東京支局からPETER LANDERSという記者によって書かれていることがわかる8).APの記事の中でもこの記事だけが突出しているわけではなく,同アーカイブからはこの間,1月14日“PRIMARY SCHOOL GIRLS USED AS SEX SLAVES FOR JAPANESE TROOPS IN WWII” 9),15日“SOUTH KOREANS PROTEST AT JAPANESE EMBASSY OVER WWII “SEX SLAVES”,“SOLDIERS CONFESS EXPERIENCES ON HOT LINE, NEWSPAPERS CALL FOR APOLOGY WITH PM-COMFORT GIRL”,16日“NEW REPORTS SAY YOUNG GIRLS FORCED TO HAVE SEX WITH JAPANESE”とたて続けに記事内で〈sex slaves〉という言葉を使用して「慰安婦」問題を報じていることが確認できる.当時の『毎日新聞』の記事によれば,そこにはAP通信内部に以下のような経緯が存在したことが書かれている.

米AP通信(本社・ニューヨーク)は,今年一月から従軍慰安婦の訳語を「SEX SLAVE」に統一した.AP東京支社によると「本社から実態に近い厳密な表現を使うよう指示があった.慰安婦の直訳では必ずしもよくわからない.日本の従軍慰安婦はまさに性の奴隷だった」との理由だ.(1992年12月26日東京夕刊2面「[とうきょう異報人]「従軍慰安婦」 用語変えた心配」)

 以上のように,国際社会(とりわけ英語圏)での〈性奴隷〉という言葉の初出は,APの記事だと思われる.あわせて,韓国の状況を確認しておくと,韓国における初出は,1991年1月10日の『東亜日報』である.韓国挺身隊問題協議会のデモを紹介する文章の中で,〈性奴隷성노예〉という言葉が登場している.ただし,この記事は,新聞の「横説竪説(自由自在に述べたてること,の意)」という一面コラム(『朝日新聞』の「天声人語」のような)に書かれているため,記者個人の主義主張が強く出された表出したものと推察できる.その傍証として,第一に,90年1月の尹貞玉の『ハンギョレ新聞』で行った「慰安婦」問題の調査を報告する連載(90年1月4日,12日,19日,24日)に〈性奴隷〉という言葉が登場しないこと.第二に,1991年8月に金学順(きむ・はくすん)が,〈慰安婦〉被害のサバイバーとして告発を行うより前の時期であること.第三に,この記事の後に〈性奴隷〉が登場するのは,1992年5月15日の『東亜日報』であり,その間1年以上の間があることが確認されるからである.
 また,日本国内の初出は,『朝日新聞』が1992年1月21日に初めて「慰安婦」問題のなかで「性の奴隷」という言葉を用いている.〈性奴隷〉が登場するのは,1992年5月15日であり,『東亜日報』の記事と同じ内容のものである.この記事のポイントは,○1朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のサバイバーが用いた言葉を要約したものであり,○2日本の『朝日新聞』『毎日新聞』,韓国の『東亜日報』の三社が,同日に〈性奴隷〉という言葉を用いていることが確認される点にある.
 以上のように本節では〈性奴隷〉の初出が確認された.この初出の検証を踏まえて次節では,西岡が朝日批判の軸としている『朝日新聞』が「慰安婦=性奴隷」という認識を定着させたかどうかの確認・検証を行う.

3 主要紙新聞報道において〈Sex slaves〉はどのように用いられたか

 前節で〈性奴隷〉の初出を確認したことを踏まえて,本節では西岡が問題とした期間(91〜92年)に照準を定め,その時期に新聞(とりわけ『朝日新聞』)が「慰安婦=性奴隷」という認識を定着させたのかどうかを検証しよう.しかし,一点注意すべきこととして,新聞報道が,人びとにどれだけの影響力を与えた/与えていないのかは判然としないということだ.そこで,本稿では国内の主要新聞が「慰安婦」をどのように〈性奴隷〉として認識していくに至ったか,その経緯について確認していく.

 3.1 『朝日新聞』における〈性奴隷〉の使用頻度について(91〜92年)
 西岡の指摘は,1991年8月に『朝日新聞』が,金学順さんが強制連行されたと報じたことは「誤報」または「ねつ造」であり,そして同紙が吉田清治の「奴隷狩り」証言10)を明確に否定しなかった弊害は大きい,というものである.それゆえ,西岡は「朝日新聞が91年〜92年に繰り返し誤報をした結果として,吉田証言に基づく『慰安婦狩り』,そして『慰安婦=性奴隷』という評価が国際社会に定着しつつあるのだ」として,新聞報道が「慰安婦」を〈性奴隷〉として定着させたと,経緯をまとめている(西岡 2013: 59).
 まず,この点から検討していこう.ここで検討が困難なのは,朝日の報道を「誤報」と断定するべきかどうか,という歴史認識の問題である.とりわけ,「誤報」の基準となる「強制(性)」の定義が判然としない以上11),ここでそれを検討することはできない.「誤報」かどうかについて検証することは限られた紙幅では困難であるが,その誤報を「繰り返した」かどうかについては,本論で検証ができる.
 しかし,その「誤報」という判断を一旦括弧にくくったとしても,このまとめには誤謬がある.表2を見てほしい.表2は対象となっている91〜92年の「主要新聞の〈性奴隷〉表記利用回数」を示したものである.表の中に93年が入っているのは,参考までに対象時期の前後を示すためである.90年は0であるため,記述を省略してある.さてこれを見ると誤謬がわかる.というのも,当時の『朝日新聞』でsex slavesの訳語だと思われる「性の奴隷」「性奴隷」「性的奴隷」が登場する回数は,91〜92年のあいだでは極めて限定的で,「性の奴隷」は92年に3回,「性的奴隷」は0回,「性奴隷」は1回しか登場しない.91年には存在すらしない.〈性奴隷〉は,91年0回,92年1回,93年2回という登場頻度である.この登場頻度は,西岡が「誤報を繰り返した結果」といえるほど多いものとはいえないだろうし,「慰安婦=性奴隷」という評価が国際社会に定着したことを示す有効な数値でもない.また,表2をみればわかるように,当時の新聞報道では,『毎日新聞』も同様の頻度でこの言葉を使用している.このことを,西岡が指摘していないのはなぜだろうか.たとえ『朝日新聞』の報道が,「誤報」であったとしても,それ自体が直接的に「慰安婦=性奴隷」という評価を作り,なおかつ「国際社会に定着」させたとまでは考えにくく,西岡の主張は過剰であることがわかる.
 以上のように西岡の主張を批判することができる.加えて,西岡は『読売新聞』が2013年5月14日,15日の記事で,92年当時の『朝日新聞』の記事が事実を誤認していると指摘していることを引き合いに出し,「日本最大の発行部数を持つ読売新聞が筆者と事実認識を共有するに至ったことに感慨を覚える」とまで述べて高く評価している.このように『読売新聞』が正当/正統であると読解することは妥当だろうか.
 確かに,『読売新聞』は〈性奴隷〉という言葉を90年代に5回,性的奴隷を18回使っている.だが,そのほとんどが国連の勧告をそのまま伝えるために使用している.そして,2007年以降は,国際社会の「慰安婦=性奴隷」という認識にたいして批判的意味を込めて記述している.それらを象徴するのは,社説である.「慰安婦問題 核心をそらして議論するな」(2007年3月7日,東京朝刊三面),「慰安婦決議 米議会の「誤解」の根元を絶て」(同年6月28日,東京朝刊三面),「慰安婦決議 誤った歴史の独り歩きが心配だ」(同年8月1日,東京朝刊三面),「慰安婦決議 欧州での連鎖反応が心配だ」(同年12月15日,東京朝刊三面)とこれら見出しからもわかるように,「慰安婦」問題への「誤認」を批判・危惧する形で報道している.これを見る限り確かに,『読売新聞』は『朝日新聞』と異なる認識に立っていると思われる.だが,これらを是とする西岡の理解は適切だろうか.

 3.2 英字紙におけるSex slaves
 同時期の状況を詳しく検討するために,少し視野を広げてみる必要がある.彼らが批判対象としている議論の中に日本の英語紙の報道への言及はほとんど含まれていない.そこで,次に〈性奴隷sex slaves〉について日本の英字紙がどういった認識を採っていたのか,そして初出であるAP通信がどう報じたのか,資料を元に解き明かしていこう.また,あわせて読売の英字紙を見ていくことで,先の西岡が『読売』の掲載態度を正当/正統だとする読解についても検証する.
 まず,手始めに,直前で触れた『読売新聞』系の英字紙『The Japan News』では,1992年7月4日(2面)にソウル特派員が〈sex slaves〉の語を使用しており,9月8日(7面)の記事では,読売のスタッフライターが見出しにSex Slaveryの文字を掲げ,本文中で“South Korean women forced to work as sex slaves(comfort women)for the Japanese Imperial Army during World War II”というように強制性を示した記述もしている.これは一例ではなく,93年に2回,94年に2回,95年に2回,96年に2回,97年2回の頻度で(決して多くはないけれども)“forced to serve as sex slaves”といった表現を見つけることができる.対象とされている,1991-92年の間に登場するsex slaves表記は,8回ある(93年は6回).本紙では92年まで一度も出てこず,93年に3度登場するだけなので,これも決して多い数ではないが,本紙と英字紙を比較するとその認識に大きな違いがあることは伺える.それらをまとめたのが,表3である.
 そして,2007年から読売系の『The Japan News』も『読売新聞』の社説をそのまま英字化し,〈性奴隷〉批判の態度を如実に取っていく.そのきっかけは,2007年3月7日(4面)の“EDITORIAL /Don't misinterpret comfort women issue”であり,同日『読売新聞』(朝刊3面)の「[社説]慰安婦問題 核心をそらして議論するな」の英訳であることがわかる.以上のことを考慮すると,2007年以降〈性奴隷〉批判に転じている『読売新聞』においても,当初から〈性奴隷〉という認識も強制のニュアンスを含む語法も決して否定されているわけではないことがわかる.だとすれば,『The Japan News』も「誤報を繰り返し」ていると言わなければならなくなるのではないか.したがって,上で見たように『朝日新聞』に対して批判的なスタンスを採用する『読売新聞』の立場を正当化することもまた過剰な記述であると言わなければならない.
 一般的に「内弁慶」と称される日本のメディアであるが,英字紙が「慰安婦」という対象をどのように認識し,どのように掲載したかを検証すると,同一新聞社でも上記のように日本語表現と英語表現の間の差異を抽出することができる.次に,西岡が批判対象としている『朝日新聞』の英字紙(夕刊)の『Asahi Evening News』が,この期間にどのように〈性奴隷sex slaves〉という言葉を用いたか検討しよう.
 『朝日新聞』は「来年度から中学の教科書に登場する『従軍慰安婦』という言葉は,実態を正確に言い表してはいない.(中略)英字紙・朝日イブニングニュースは『sex slave』(性的奴隷)とする」(1996年7月19日朝刊37頁)と紙面で語っている.これは国連のクマラスワミ報告に呼応したものと思われるが,実際にはこれよりもずいぶん早くに使われ続けている.表3にまとめたように『朝日新聞』では,性奴隷・性の奴隷・性的奴隷が「慰安婦」問題の転換点である91年に0回,92年に計4回,93年に計8回の登場なのに対して,『Asahi Evening News』では,割と頻繁に使用されている.その数は,91年は0回,92年に15回である.93年には18回登場し,同年内の「慰安婦」問題ほぼすべてにsex slavesが用いられていることがわかる.特に93年になるとほぼ定着し,18記事中15記事がsex slaves, sex slaveryを見出しとしている.
 このように見ると,『The Japan News(読売)』よりも『Asahi Evening News(朝日)』の方が著しくsex slavesの使用頻度が高いように見え,後者が国際的に「慰安婦=性奴隷」という認識を「定着させていった」ように見える.しかし,これらの記事の内実を検討する必要がある.まず,92年の記事の中でもsex slavesという言葉を使用する記事のうち,『朝日新聞』が直接書いたものではない記事が,13/15回ある.それらはすべて通信社の記事であり,その内訳はAPソウル4回,APジュネーブ1回,ロイター2回,共同3回,共同マニラ3回となっている.同様に93年は,11/18回,内訳はAP2回,APソウル1回,APホンコン1回,共同4回,共同ソウル1回,共同シドニー1回,ロイター1回となっている.このように内訳を見てみると必ずしも『朝日新聞』の記事が先行していたわけではないことが判明する.
 そして,次の議論に移る前に,──やや蛇足ではあるが──もう1つ確認しておきたい.それは「はじめに」でも取り上げた,秦郁彦が,『The Japan Times』が94年秋頃から〈sex slave(ry)〉を慣用するようになり,それに『朝日イブニングニュース』も追随しているようだ,とした点である(秦 1999: 338).これは妥当だろうか.
 すでに見たように,史実としては通信社の記事を元にした『朝日』の記事が先行しており,『朝日』が『The Japan Times』に「追随」していたわけではないことが確認される.そして『The Japan Times』が94年辺りから〈sex slaves〉という語を使用するようになったのは事実であるが,そのことを単純に「反日」とだけ認識するのは早計である.なぜなら,92年5月16日(2面)の記事では早くも国連現代奴隷制委員会が「慰安婦」と呼ぶことは日本軍を彼女たちが励ましたような印象を持つ婉曲表現だと批判していることを認識し,1993年6月のウィーン世界人権会議にてsex salve issueとして会議に取り上げられることを報道しているし,同年8月には国連が性奴隷制として二度の調査をすることを報じている.それ以前には通信社の記事内にしか〈sex slaves〉は登場せず,すなわち秦が示すような反日偏向的な報道が先行しているとは考えにくく,むしろ国際社会のニュースを報じる上で,議論されている対象を事実に基づいて表現していった経緯を確認できる.
 少し議論が迂回したので,話を戻そう.上記の通信社と『朝日新聞』英字紙との関係は,『朝日』が紙面の作成を効率化するために通信社から(主として海外ニュースの)記事を買って,(無自覚に)それを転載していたのではないかという推察がすぐに浮かぶ.しかし,その推察にも注意しなければならない.というのも,『Asahi Evening News』の紙面構成は若干複雑なものを含んでいるからだ.それは,第一に,複数の記事を合わせて構成している紙面があること,第二に,通信社から買った記事にたいして朝日がオリジナルの見出しを付けている可能性があること,に関係する.次にこの2点について確認していく.

 3.3 通信社の記事と日本の英字紙
 第一の点をめぐって,次のような記事がある.1992年9月19日(4面)に“First Filipino Former Sex Slave Steps Forward”という見出しの共同通信マニラが報じた記事がある.この記事の本文中にはsex salvesという単語は出てこない.しかし,見出しと写真キャプションにだけsex slavesが登場する.そして,この写真とキャプションはロイターによるものである.同じパターンの紙面構成は同月26日(4面)にも登場する.もしこの記事の見出しを『Asahi Evening News』が付けたとするのなら(そしてロイターのキャプション付き写真を添えたなら),『朝日』はsex slavesという表現を強く意識して紙面を構成していたことになる.
 そうした点を再度検討しうる事例がある.それが第二の点,『朝日』が独自に見出しを付けている可能性についてである.こうした通信社の記事の見出しや記事内容の一部変更は,契約事項に沿ってルールづけられているものが多い.その該当記事は,以下のものである.『Asahi Evening News』における〈sex slaves〉の初出は,1992年1月16日(4面)の“Korean Primary School Girls Allegedly Used as Sex Slaves for Japanese Troops”という記事である.これはAPソウルによる記事を載せたものである.実は,これとまったく同じ記事を『The Japan Times』が,その前日1月15日(3面)に“Sex corps allegedly drafted young girl”という見出しで掲載している.この元記事をAPのアーカイブスからは発見できなかったが,同時期に同じ内容(文面は異なる)を記述したAPの記事には,“PRIMARY SCHOOL GIRLS USED AS SEX SLAVES FOR JAPANESE TROOPS IN WWII”12)というタイトルが付けられているものがあった.ここから『The Japan Times』が見出しを変更した可能性も否定できない.少なくとも現時点では,これ以上の実証はできない.
 しかし,『Asahi Evening News』がAPなど通信社の記事を使いながら,顕著に見出しに〈sex slaves〉という語を使用していた点を考慮すれば,「慰安婦」をsex slavesとする認識を持っていたことは一定程度確認できる.とはいえ,こうした紙面の作り方が『Asahi Evening News』に特有かと言えば,そうとは限らない.こうした通信社の記事から〈sex slaves〉が描かれていくという特徴は,『The Japan Times』でも,『毎日新聞』の『Mainichi Daily News』でも顕著である.『The Japan Times』では,初めて〈sex slaves〉の文字が登場してから4記事連続でAPと共同の記事が用いられている.
 他方でAP通信は,第一節で見たように,社として92年の段階で記述の統一をはかっていた.先に初出として上げた同社の記事には,「3人の韓国人女性は中国で売春婦として働かされたwere forced to serve as prostitutesと言った」というように強制性を認め,「朝鮮人女性を性奴隷として徴用するためのシステマティックなスキームの中で,7万〜20万の若い女性たちが家から強制的に連れて行かれたと韓国の団体が主張している」と記している.ただし,ここに団体名は書かれていないため,複数ある韓国の団体から特定することはできないし,特定の人物の発言として引用符付きの表現がなされているわけではないので,記者の認識か,団体の主張で直接言及された言葉かどうか判然としない.管見の限り,現時点で誰が(どの運動が)最初にこの言葉を使用したのか,はっきり述べている文献は見当たらない.これには,インタビューなどを含めた調査が必要になってくる.
 ここまで見てきたように,『朝日新聞』が「誤報」を繰り返した結果,「慰安婦=性奴隷」認識が定着したという西岡らの論説には,「誤報」と認識の定着の間のつながりを示す有効な資料があるわけではなく,過剰な記述であることがわかった.また,『朝日』が主として〈性奴隷〉という表現や「強制」をにおわす表記を使っていたのは,英字紙の方でありそれらは通信社による記事が多かった.『読売新聞』も英字紙において,91〜92年の時期に〈性奴隷〉表記や強制のニュアンスを用いていたのであり,資料から判断する限り,決して批判の矛先を『朝日』だけに向けるのは妥当とは言えないことが明らかとなった.
 次節では,保守論壇の主張への(資料による)内在的批判から少し離れて,問いを少し広げてみる必要がある.すなわち,なぜ91年〜92年の報道を批判対象として盛んに論じているのか.その理由を検討する.

4 なぜ91年〜92年の報道が批判対象にされるのか──試論

 4.1 批判の対象とされる時期と現在の〈性奴隷〉認識の間の齟齬
 なぜこの時期の新聞報道を批判するのか.「慰安婦」問題が登場した最初期だからだろうか.確かにそのように考えることが一般的であると同時におそらく間違いではないだろう.とはいえ,通常こうした長期に及ぶ出来事の中で対象時期を限定して言及する場合は,その合理的な理由が必要であるが,西岡を始めとする保守論壇の議論にはそれがない.同時期の新聞報道によって「『慰安婦=性奴隷』という評価が国際社会に定着しつつある」状況が引き起こされたとまでは言えないはずにもかかわらず,この時期を対象としてこうした主張を展開するのはなぜか.
 この点をめぐってまず検討しておかなければならないのは,西岡,秦,池田といった発言力のある保守論者と国際社会における〈性奴隷〉認識の差異である.彼らはあたかも新聞で報道された最初期の認識が,現在国連が用いる〈性奴隷〉認識に直接的に接続しているかのような記述の方法を採用する.しかし,それもまた過剰である.西岡は吉見義明による「強制連行」を「詐欺などを含む広義の強制連行」とするべきであり,かつ「権力による強制」がなくても「慰安婦」は「性奴隷制度」だとする主張を批判する.その際に参考にされるのは吉見の1992年の主張と1997年の主張である.これらを同列に並べ,この間で「論理の飛躍」があるとしている(西岡 2012: 135).ここには,1992年と1997年の2つの時期を──この間に国際社会でなされた議論を参照せずに──直線的に結ぶ/結ぼうとする意識が散見される.だが,この論理展開は妥当か.
 それを確認するためには、この間の国際社会の認識のあり方を確認する必要がある.そもそも現在国際社会が前提としている〈性奴隷〉あるいは〈性奴隷制〉という言葉は,国連用語として1993年6月の世界人権会議ウィーン宣言のなかで,現代奴隷制の認識をもとに「武力紛争という状況下でなされる女性の人権侵害は,国際人道人権法の基本原則の侵害に他ならない.とりわけ,殺人,組織的レイプ,性的奴隷および強制妊娠を含むこの種の人権侵害にはすべて,特に効果的な対応がなされなければならない」と登場したものがほぼ最初期のものである.そこから,国際NGOなどによる国連人権委員会への働きかけがあって1994年に現代奴隷制作業部会で審議が始められている(戸塚 1999: 44-54).そして,同時期に国際法律家委員会(ICJ)によって同時期に勧告が出されるに至った.そうした過程から,北京世界女性会議,クマラスワミ報告へと国際的な話題へと広がっていったのである.この際に用いられている「奴隷」の定義には本人の自己決定権に反する概念を内在している.また,その経緯において,日本政府に責任と賠償を求める視座から,戦争犯罪の責任者処罰・被害者の正義の回復を求める視座へとこの問題を捉える枠組みが固定していく.その頂点が当時の国際法を用いて日本で行った戦時性暴力の構造的暴力を審議した「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」(2000年,東京)だったと言えるだろう.
 上記の経緯は,対立する立場のなかでどれほどのズレを持つのか.同様に西岡の著作の中では「奴隷とは,『主人の所有物』となり,金銭の報酬無しに働かされ,殴られても文句の言えない存在だ」と述べる(西岡 2012: 137).そして,「慰安婦」は前借金を返せば,自由の身だった,と主張される.妥当か.そうではない.事実,西岡が認めるような実態は証言されている.しかし,それ以上に国連の奴隷に関する定義や認識は異なる.そこには,断絶がある.
 1996年クマラスワミ報告の定義は,奴隷制を「1926年の奴隷条約第一条(一)」に従って「所有権に伴う権能の一部又は全部を行使されている人の地位又は状態」と定義しているし,1998年のマクドゥーガル報告では「性的アクセス」もそこに含まれることが明記されている.すなわち,国連が〈性奴隷〉の言葉を使うとき,これらの法規が定義となっている一方,保守論壇はそれと同じ位相で奴隷の議論を行った形跡はない.
 以上のように見るのであれば,この91〜92年における〈性奴隷sex slaves〉表記が,現在国連を中心に用いられている用語と定義がまったく異なることがわかるだろう.すなわち,最初期の91〜92年に用いられた報道上の〈性奴隷〉と国連の議論を媒介/経由した〈性奴隷〉が,言語表現上は同じであっても,まったく異なる扱いがなされるものであることがわかる.上で見たように,『The Japan Times』の記事の変化を細かく見れば,同紙はこの語の使われ方/構築のされ方を一定程度読み取っていたように見える.そのように見れば,91〜92年の〈性奴隷〉表記は,あくまでAP通信をはじめとした通信社や初期利用者が用いていたものであり,後に国連で扱われるような法で審議しうる枠組みの専門用語としての〈性奴隷〉とはまったく異なる.すなわち,新聞や通信社が用いていたsex slavesという記述は,国際的にその用語の意味が確定する以前の言葉であったといえる.通常,この時期の用語の使い方と現在の国際社会の認識との間に強固な連続性を読み解き,かつ批判を投げかけることは注意が必要である.
 保守論壇がこの時期──国連の認識が出来上がる前後の時期──を狙って現状の元凶を『朝日新聞』に還元していることはわかった.なおかつ,その対象としている時期と,現在との連続性は論証されていないし,かつ現在の〈性奴隷〉認識と保守論壇が指摘する最初期の段階の認識とでは,言葉が同じであっても,その位相が異なることがわかる.そして,保守論壇がそのように現在の「慰安婦」問題=「性奴隷」問題を認識しているとするのであれば,定義を共有しないこの対話は永遠に噛み合うことはなく,こうしたメディアへの批判は不毛な結果に終わる.また逆に,明示的な論証を持たずに意図的にその時期の原因だけを指定して後の認識をつなげることは,名指しした『朝日新聞』を「反日」的存在の代表として印象づけるだけの論理機制になってしまう.となれば,現在の〈性奴隷〉認識を批判できる枠組みを構築できていないことがわかる。
 とはいえ,保守論壇にこうした記述を選択する意図がどの程度あるのか,という観点について論証するのは困難である.しかし,次のように言える.つまり,無知であれば勘違いであるし,論理の飛躍であれば論理性の欠如であるし,このズレを認識していてこの時期を批判するのであれば意図的であるということになる.この3ついずれの立場か著作物のなかでは完全に判断できるわけではない.しかし,後に国連に文章が出されていることを保守論壇もよく知っているゆえに(知らないわけがない),無知の可能性はない.あるのは,論理の飛躍か意図か,いずれかである.どちらとも確定的なことは言えないが,どちらにも共通する論理の組み方とはどのようなものかを検討することはできるだろう.

 4.2 言説の機制──期間を限定する理由の検討
 では,91〜92年の報道と現在の用語の仕様法は異なるにも関わらず,初期の新聞報道に対象を限定して現在との連続性を記述するとき,その帰結としてどのような効果が生まれるか.
 以上のように検討してくると,まず3.1で一旦括弧にくくった歴史認識の問題に再度戻らなければならなくなるだろう.すなわち,『朝日新聞』が「強制連行」の言葉を使ったことが「誤報」であるかどうか.これが保守論壇の重要な批判点でもある.そして,彼らはこれを起点として(論証できていないことが上で判明したが)国際社会への連続性を読み解いている.
 現在でも,次のような記事が再度繰り返される.2013年橋下発言が世界中に広まっていったその渦中,『東京新聞』が「都議選惨敗の維新・橋下代表 従軍慰安婦問題「強制連行」資料あった」(6月25日紙面,web版.『しんぶん赤旗』では,23日に掲載)13)と報じた.同記事には,2007年の政府見解の元にとなっている資料のなかに,インドネシアにおけるオランダ人女性を強制連行した資料があった,とするものである.興味深い記事だが,これについて保守論壇から具体的な応答はあまり見受けられない.というのも,この主張も資料もすでに知られているものではあるし,保守論壇はこの件を末端兵士の事件ですでに実刑になっていることを主張する.
 しかし,本稿で検討した結果から判断できることは,次のことである.上記のオランダ人女性の強制連行を認めた資料が発見されたことが公表されるのは,1993年3月15日.雑誌『正論』を発刊している『産経新聞』は翌日の東京朝刊で「従軍慰安婦問題に関する政府調査で十五日,戦犯裁判の資料にオランダ人慰安婦の強制連行に旧日本軍が関与していた記述があることが判明した.慰安婦募集に際して旧軍の強制連行を裏付ける資料が見つかったのは初めて」と記事にしている(3月16日東京朝刊,総合・内政面).すなわち,91年〜92年に限定して『朝日新聞』への批判の語気を強めるためには,この事実を除外していなければその批判が成立しないことがわかる.
 これを解決済みとして考えるロジックは,この時間の区切り方に『朝日新聞』を批判するため,かつ「朝鮮人の強制連行」を批判し,他の地域からの批判を不過視にするための論理的効果が組まれていることになる.だが,後の調査で判明し,女性国際戦犯法廷でも扱った他の地域,例えば北朝鮮,中国,台湾,フィリピン,ベトナム,マレーシア,タイ,ビルマ,インド,ティモール,チャモロを除外するロジックになってしまっている.
 もし韓国だけを対象とする議論を行うのであれば,その他の地域の問題を捨象する機制になる.しかし,そうしていない点を見ると批判の焦点は,やはり『朝日新聞』と「朝鮮人の強制連行」だと考えることが出来る.しかし,繰り返すが,それらすべてを『朝日新聞』の「誤報」がこの時期に繰り返され,「慰安婦=性奴隷」になった,というのは,恣意的な議論であり,批判としては論理の飛躍があると言えるだろう.
 すると,次の矛盾が指摘される.周知の通り現在の「慰安婦」問題が日韓二国間の問題ではない点がこれらの記述からは除外されており,その上で議論の整合性が保たれているかのような機制を作り出している.この恣意的な機制にある議論の齟齬もまた不毛だろう.

5 おわりに──本稿の結論と今後の課題

 本稿では以下のことがわかった.1991〜92年の『朝日新聞』の報道が,「誤報」であったとしても,それ自体が直接的に「慰安婦=性奴隷」という評価を作った,しかも「国際社会に定着」させたとまでは考えにくく,西岡の主張は過剰であることがわかる.他方,西岡が肯定的に評価する『読売新聞』は〈性奴隷〉批判の態度へと2007年に転じていったのであり,読売の英字紙である『The Japan News』は〈sex slaves〉の語も強制のニュアンスを示すforced to…という表現も使用しており,同社も「誤報を繰り返し」ていると言わなければならない.そして,『Asahi Evening News』の同時期に〈sex slaves〉という語が出てくる記事は,その多くが通信社発信のものである.
 保守論壇が上記の期間の報道を批判するのには理由があった.それは,このsex slavesという語が国際社会において制度上規定された言語になる以前の時期を狙って批判し,この時期の〈性奴隷〉と現在国際社会を中心としてもちいられる国際法の判断における〈性奴隷〉の連続性を,反日メディアが作り上げたかの印象を持たせる記述である.しかし,こうした記述はこの議論を日韓二国関係に矮小化した状況ではないと整合性をたもつことができない恣意的な論理だ,と批判的にその機制を指摘した.そして,この国際社会と日本国内の議論の齟齬がこのように続くのであれば,ここには大きな議論の空回りがあるだろう.
 以上のように議論の流れを集約することができるわけだが,課題も残っている.本稿で立てた問いは,とりわけ西岡力ら保守のメディア批判を検証することだったので,メディア言説史として研究する場合に検証するべき,韓国やフィリピン,インドネシアなどの英字新聞が独自取材からどのように記事を書いたのか,という疑問にまで到達していない.そこにメディアと政治とがどのようにからみ,sex slavesという認識が国際社会に定着していく様子と日本社会の言説のズレを研究しなければならないだろう.今後これらの点をより充実した調査からに明らかにし,国際世論/輿論がどのように出来上がっていったのかを検討することは大きな課題である.

[注]
1)朝日デジタル2013年5月15日(2013年10月25日取得)
  http: //www.asahi.com/politics/update/0515/OSK201305150052.html
  以下,ウェブサイトからの情報取得は最新版(最終確認版)で表記する.
  橋下市長は,「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で,命をかけて走っていくときに,どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる」と発言,ならびに在沖縄米軍兵士の性について「もっと風俗業を活用してほしい」と述べた.これ以後外国人特派員協会など数多くの記者会見やメディアに登場し,補足説明を行い,さまざまなリアクションへの対応を含むため,どの発言を真意と捉えてよいか判断に苦しむ部分はあるが,今慰安婦が必要だとは言っておらず,「世界各国がやっていたのに,なぜ日本だけが特別な批判を受けているのかということをしっかりとその問題点を認識しなければいけませんよ.そこは違うところは違うと言わなければいけませんよという問題提起」として発言した.
2)FIGHT FOR JUSTICE http: //fightforjustice.info/
3)朝日デジタル 2013年10月8日(2013年10月25日取得)
  http: //www.asahi.com/special/news/articles/TKY201310070533.html
4)本稿では,〈性奴隷〉と表現する.その意味は,第一に,この言葉が1つの意味だけを示している訳ではないこと,第二に,この言葉が本稿のキーワードとなっていることにある.
5)AP通信 (2013年10月25日取得)
  http: //bigstory.ap.org/article/japanese-mayor-wartime-sex-slaves-were-necessary
6)検証に使った新聞資料は以下の通りである.『朝日新聞』: 朝日新聞記事データベース「聞蔵IIビジュアル」,『読売新聞』『The Japan News』: 読売新聞記事データベース「ヨミダス歴史館」,『産経新聞』: 産経新聞ニュース検索サービスThe SankeiArchives ,『AP通信』: AP News Archive BETA(http: //www.apnewsarchive.com/APDefault/),『Asahi Evenig News』: 本紙,『Mainichi Daily News』: 本紙,『The Japan Times』: マイクロフィルム(雄松堂書店).
7)United Nations (2013年10月25日取得)
  http: //www.un.org/en/ga/search/view_doc.asp?symbol=E/CN.4/1992/SR.30/Add.1
8)AP通信 (2013年10月25日取得)
  http://www.apnewsarchive.com/1992/Japan-Admits-Its-Army-Procured-Prostitutes-for-WWII-Soldiers/id-b009815769faa6f0873d1a548ec2d51d?Search Text=sex%20slave%201992;Display_
9)AP通信(2013年10月25日取得)
  http://www.apnewsarchive.com/1992/Japan-Admits-Its-Army-Procured-Prostitutes-for-WWII-Soldiers/id-b009815769faa6f0873d1a548ec2d51d?Search Text=sex%20slave%201992;Display_ 
  この記事について,西岡は韓国で同内容の記事を書いた連合通信社(現聯合ニュース)の記者金溶洙に,取材をしている.ここには「挺身隊」と「慰安婦」の混同があったようだ(西岡 2012: 49-54).
10)吉田証言とは,吉田清治が『私の戦争犯罪』(1883年,三一書房)のなかで,済州島などで朝鮮人「慰安婦」を強制連行したと証言したもの.そして,吉田は80年代に謝罪活動をし,『朝日新聞』もその様子を報じている.しかし,後に済州島の新聞や秦郁彦などによって反証がなされ本人も後に創作だと認めたもの.
11)「強制」の定義は必ずしも判然としていない.安倍晋三は第一次内閣総理大臣期には,「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れて行く」という「強制性」はなかったとしている.他方で,広義の「強制性」は誘拐,人身売買,(前借金を含む)強制労働を含んでいる(FIGHT FOR JUSTICE 2013年10月25日取得 http: //fightforjustice.info/?page_id=166).この「強制」性をめぐる定義のどちらが真実かは簡単に判断できるわけではないが,国際法の枠組みを反映しているのは後者となる.しかし,2007年の政府見解や保守論壇では前者のような狭義の「強制性」を採用している.
12)AP通信(2013年10月25日取得)
  http://www.apnewsarchive.com/1992/Primary-School-Girls-Used-As-Sex-Slaves-For-Japanese-Troops-In-WWII/id-470f172d08d385b59c3fc5d21c6d7546?Search Text=sex%20slave%201992;Display_
13)『東京新聞』 (2013年10月25日取得)
  http: //www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013062502000140.html
  ならびに『赤旗』http: //www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-06-24/2013062402_02_1.html

[文献]
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池田信夫, 2013, 「『性奴隷記事』NYタイムズヘの公開質問状(総力大特集亡国のメディア,売国のメディア大新聞,テレビはなぜこのことを報じないのか?)」『Will』(99): 240-248, ワック.
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戸塚悦朗, 2006, 「日本軍性奴隷制問題への国際社会と日本の対応を振り返る」『戦争と性』「戦争と性」編集室,(25): 123-141.
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