第三部 英国における出生前診断と当事者のケア ──ARCの事例を手掛かりに

堀智久
(日本学術振興会特別研究員PD/立命館大学)

1 はじめに

 筆者は、2011年度、グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点のポストドクトラルフェローとして、「生存学」の業務に従事する機会をいただいた。その業務の一つとして、2011年7月と11月の日韓障害学国際研究プログラムの開催があり、また筆者自身も、「障害者運動の歴史」や「障害者家族」に関するテーマでご報告をさせていただいている。そして、今回の2012年度の障害学国際セミナーでは、これらのテーマとも関連深い「出生前診断」をめぐるテーマでご報告の機会をいただいた次第である。
 また、私事で恐縮だが、これまで筆者は先天性四肢障害児父母の会の運動の歴史研究を行い(堀 2007, 2008)、また実際に本会の活動にも携わってきた。先天性四肢障害児父母の会は、手足の指や耳の欠損した子どもの親を中心に1975年に組織された会だが、1980年代以降には、出生前診断を含む優生や遺伝の問題への取り組みがなされるようになっている。とりわけ、本会には、遺伝性の障害であると診断された会員がおり、先天異常のなかでも遺伝をどう考えるかという点が、大きな課題となってきた。筆者自身も、これまで本会で遺伝性の障害をもつ会員への聞き取り調査を実施してきたが、そこで感じてきたことは、先天性四肢障害児父母の会全体の主張と遺伝性の障害をもつ会員の出生前診断のリアリティとが、大きくかけ離れていることだった。遺伝性の障害をもつ会員にとって、とくに自分が子どもをもつという場面になったとき、「生まれてくる子どもに障害があってもよい」とはそう簡単には言えないという現実がある。たとえば、遺伝性の障害をもつ会員にとって、自分の障害は肯定的に受け入れられたとしても、「生まれてくる自分の子どもに障害があってもよい」とまでは言えないということがある。
 とりわけ、先天性四肢障害児父母の会は、1980年代以降、「子どもの障害はあってもよい」という主張を前面に出し、子どもの障害を積極的に肯定し、ありのままを受け止めていこうとする活動を行ってきた。実際、障害をもつ子どもと家族の日常を描き出す写真集や手記などが、多く出版されてきた。また、出生前診断に対しても選択的中絶につながるという理由からきわめて批判的であり、多くの意見書や要望書が出されてきた。
 その一方で、先天性四肢障害児父母の会には、遺伝性の障害をもつ会員もいることから、出生前診断を否定することは、そう一筋縄ではいかない部分があることが、調査を進めるなかでわかってきた。「羊水チェック、胎児診断の是非については毎回遺伝分科会で議論されてきた問題であるが『たてまえ』と『本音』の違いを示している」(先天性四肢障害児父母の会 1989: 106)といったような声は、会のなかにはつねにあり、これまでも会全体の主張と遺伝性の障害をもつ会員とのあいだでギクシャクした感じはあったようだ。もちろん、こうした会員は優生の問題にも敏感であり、だからこそ余計に「自分は悪いことをしているのではないか」と自分を責めて悩んでしまうことが多い(先天性四肢障害児父母の会 2002)。
 遺伝性の障害をもつ会員にとっては、「自分の子どもが障害をもって生まれる(可能性が高い)」ということが事実としてあり、自分の身にふりかかった問題としてある。この点で、ある意味では、障害者や女性一般とでは、「当事者性の度合い」が異なるのかもしれない。こうしたことから、最近では、筆者は、遺伝性の障害をもつ「当事者」の視点から、出生前診断の問題を考え直してみることが重要であると考えるようになった。
 幸いにも、筆者は、2011年9月から、先天性四肢障害児父母の会の機関紙『「父母の会」通信』で、「わたしたちは、出生前診断とどう向き合うか」という(編集側からご提案いただいた)タイトルで、12回にわたる連載の文章を書く機会をいただいた。本連載は、こうした問題意識から出生前診断の問題を取り上げているが、本報告のテーマ「英国における出生前診断と当事者のケア」についても、文章を書かせていただいている。とりわけ、今回の障害学国際セミナーの報告では、イギリスのARC(Antenatal Results and Choices)という、「胎児に異常があったときの中絶」専門の民間の相談機関(チャリティ団体)の取り組みについて、ごく簡単にではあるがご紹介をさせていただいた次第である。

2 ARCの概要と調査方法

 イギリスの出生前診断や出生前スクリーニングの歴史については、日本でもすでに先行の研究があり、また医療政策や制度との関連性についても論じられている(渡部 2005)。また、「出生前診断の大衆化」が進んでいるともいえるイギリスでは、医療機関による遺伝カウンセリングのみならず、民間のダウン症協会やARCのようなチャリティ団体が、相互に連けいし妊婦への支援を行っていることが、これまでにも紹介されてきた(玉井 1997; 坂井 1999)。
 イギリスでは、全病院にすべての妊婦に対して出生前診断を紹介することが義務づけられており、遺伝カウンセリングを含めて公費負担が原則になっている。実際のプロセスは、妊娠の初期と中期の2回にわたって出生前スクリーニングが提供されており、妊娠初期(10-12週)には、ダウン症をはじめとする先天異常の発見を意図する母体血清マーカー検査が行われている。もし先天異常の確率が一定以上であれば、羊水穿刺や絨毛採取による確定診断を受けることができる。
 妊婦に配布される「国民保健サービスNHS (National Health Service)」のNational Screening Committeeが出しているScreening Tests for You and Your Baby(妊婦向けのスクリーニングの小冊子)では、上記のダウン症協会やARCのようなチャリティ団体の連絡先が掲載されている(National Screening Committee 2012: 29-31)。たとえば、胎児に異常がある確率が高いとわかった妊婦は、この小冊子に掲載されている民間の団体からもヘルプラインなど通して、サポートを受けることができる。
 今回の報告でご紹介させていただいているARCは、イギリスで唯一の民間の支援団体であり、NHSの専門機関である。実際、ARCは、NSC(National Screening Committee)の機関であるFetal Maternal and Child Health Co-ordinating Groupにも関わっている(Antenatal Results and Choices 2010: 8-9)。2012年現在、ARCの会員数は1400人程度であり、フルタイムのスタッフが4人、パートタイムのスタッフが2人で運営されている(なお、スタッフの全員が女性である)(Antenatal Results and Choices 2012: 36)。年間の全体の収入は22万ポンド程度であり、その半分以上を補助金・寄付金に頼っている。
 筆者は、2012年10月下旬にこのARCの事務所を訪れ、Directorのジェーン・フィッシャーさんにお話をうかがう機会をいただいた。また、実際にARCの事務所でのヘルプラインの取り組みなどを参与観察させていただいたことは、筆者にとって貴重な体験となった。この場を借りて、スタッフの方々に御礼申し上げたい。
 
3 ARCの取り組み

 ARCは、1988年に、SATFA (Support After Termination for Abnormality) 「妊娠中絶後のサポート」[下線部、引用者強調。以下同じ。]として設立されている。“After”が付いていることからもわかるように、もともとは障害を理由に胎児を中絶した女性によるセルフヘルプグループとして発足している。その後、1993年には、SATFA (Support Around Termination for Abnormality)「異常による妊娠中絶前後のサポート」に名称変更されている。すでに胎児の中絶をした女性だけではなく、妊婦に対しても出生前診断をめぐるサポートを行う団体として、活動の範囲が広がってきたからである。また、1998年には、現在の団体名であるARC(Antenatal Results and Choices)へと名称変更されている。
 ところで、イギリスのウルフソン予防医学研究所(Wolfson Institute of Preventive Medicine)の統計データ(The National Down Syndrome Cytogenetic Register for England and Wales: 2010 Annual Report)によると、この20年のあいだ、ダウン症と診断された妊婦の90%以上が中絶を選択している(National Down Syndrome Cytogenetic Register 2011: 16)。とくに日本の法制度と大きく異なっている点として、1967年に成立した中絶法(Abortion Act)に胎児条項の規定があり、重篤な障害があると医師が認めた場合には満期までの中絶が可能であることは無視できない。
 ARCの活動の主なものとして、一つは、電話相談を中心とするヘルプラインがある。たとえば、出生前スクリーニングを受けて、胎児に異常がある可能性が高いとわかったときに、ARCに電話をしてカウンセリングを受けることができる。1日の相談件数は平均して20件程度とのことである。
 National Screening Committeeが出しているScreening Tests for You and Your Baby(妊婦向けのスクリーニングの小冊子)には、いくつかの民間団体の連絡先が掲載されているが、ARCの場合は、どちらかと言うと妊娠を中絶するケースのサポートが中心になる。妊娠継続のケースでは、コンタクトファミリー(Contact a Family)やダウン症協会(Down's Syndrome Association)などがサポートを行っている。たとえば、ダウン症の子どもを出産する予定の妊婦にとっては、出産後のケアなどより現実的なアドバイスが求められるからである。
 ARCは、設立当初、障害を理由に胎児の中絶を行った女性のセルフヘルプグループとしてはじめられるが、その後、出生前診断をめぐって苦悩する妊婦へのサポートを行う団体へと、活動の範囲を広げてきた。フィッシャーさんによると、その背景には、「当初は、親と医療従事者に中絶をめぐる苦悩や葛藤があることがわかっていたが、問題の深刻さはよく知られていなかった。悪いことは忘れて、次に健康な赤ちゃんを生みましょうという姿勢であった。1980年代半ば以降になって、出生前スクリーニングの標準化によって医療機関との連けいが求められるようになり、また1980年代の終わりには、心理学者が死産や流産の問題に関心をもつようになった」ことなどが挙げられるという。
 ARCの冊子のなかでももっともよく読まれ、1990年に初版が発行されている妊婦向けの中絶に関する冊子(A Handbook to Be Given to Parents When an Abonormality Is Diagnosed in Their Unborn Baby)では、妊婦の視点に立つことから、中絶がどのような過程で進められ、その過程で医療機関やARCからどのような支援を受けられるのかが詳述されている(Antenatal Results and Choices[1990]2010)。本冊子では、胎児に障害あるとわかったときの妊婦のショックや家族や友人にその出来事を伝えることの難しさ、また中絶を選択するか妊娠を継続するかをめぐる葛藤、そして中絶経験といかに向き合っていくかの体験などがリアルに描かれている。また、妊娠を継続するケースについても、妊婦向けの妊娠継続に関する冊子(Supporting You Throughout Your Pregnancy)に、出産の準備や出産後のケアも含めて、詳しく情報が掲載されている(Antenatal Results and Choices 2003)。
 ARCの取り組みとして、もう一つ無視できないのが、医療従事者を対象とする啓発活動である。ARCは、医療従事者とあらゆる局面で連けいし、また医療従事者向けのトレーニングやワークショップ等の機会を提供している。ここでいう医療従事者とは、産科医、助産婦、看護師、超音波診断技師、遺伝カウンセラーなどである。ARCが日常的に行っている妊婦への支援の経験的な蓄積を活かして、医療従事者を対象とする十分なインフォームドコンセントや自己決定を支援するための技術を学ぶ機会が設けられている。医療従事者向けの冊子として、A Handbook for Professionals(Antenatal Results and Choices 2006)があり、妊婦への対応の仕方が体系的にまとめられている。
 たとえば、年に数回開催されるトレーニングデイでは、1日目はコミュニケーションスキル、2日目は自己決定の支援といったテーマで、実践的な技術を習得するためのプログラムが組まれている。具体的には、コミュニケーションスキルを高めるプログラムでは、リスクに関する情報をいかに伝えるか、悪い知らせを伝えるときにどのような言葉を用い、ボディランゲージするかなどを学ぶ。実際にロールプレイを行い、医療従事者に妊婦の役割を演じてもらうなかで、どのような言葉遣いが妊婦の悲しみを和らげるのか、次の妊娠に影響を与えるのかなどを体験的に学習する。
 ARCの根本理念は、妊婦の自己決定を最大限に尊重することである。したがって、そのために必要な十分かつ正確な情報を与え、非指示的なサポートをすることが基本的な方針となる(Antenatal Results and Choices[1990]2010)。また、フィッシャーさんによると、現在、ARCの常勤スタッフで妊娠経験のある人はいないとのことである。さらに続けて、「これはとても健全なことであり、妊娠の経験があるとかえって感情的な面での対応が困難になる。すべてを個人的な経験と結びつけて考えやすくなる恐れがある。大切なのは、まったく自分とは違った経験をしている人に対して共感し、ベストな自己決定を支援できることである」ともいう。この点では、ARCは、セルフヘルプグループとしてのみならず、NHSの専門機関として、医療従事者や医療政策者との橋渡しをするレイエキスパート(Lay-Expert)としての機能に重点を置いてきたといえる。
 
4 おわりに

 今回の障害学国際セミナーでは、ARCの取り組みについて、ごく簡単にではあるがご紹介をさせていただいた。
 筆者が、この手の仕事にとくに向いているとは思わないが、それでも先天性四肢障害児父母の会の機関紙『「父母の会」通信』でARCの取り組みを紹介しようと思った理由がないわけではない。その理由の一つは、「はじめに」でも触れたように、先天性四肢障害児父母の会の障害のなかには、遺伝性の障害もあり、遺伝性の障害をもつ会員にとっては、出生前診断は自分の身にふりかかった切実な問題としてあるからである。とくに、近年の超音波診断装置の高性能化は、先天的な外形異常が障害の特徴である本会にとって、新たな悩みや葛藤をもたらしつつある。この場合、以前にも増して出生前診断を念頭においている会員のことも考慮して、運動のあり方やサポートのあり方を考えていく必要がある。
 良し悪しは別として、日本では、障害者運動による優生思想批判などを背景として、妊婦の出生前診断をめぐる不安や恐怖の経験は語られにくい傾向があったのではないだろうか。もちろん、戦前から戦後にかけて、優生思想に基づく実践が平然と行われてきた歴史があるなかで、選択的中絶に疑問を投げかける優生思想批判の意義は今もなお失われていない。ただ、優生思想批判という問題提起と、実際に中絶を選んだ人へのサポートは、ひとまず切り離して考える必要がある。筆者は、どちらの選択をしたとしてもサポートが受けられる仕組み、ましてや中絶を選んだからといって個人的に非難されることはない、そうしたある意味で繊細な対応が今求められていると考えている。

[付記]本報告は、「2012年度 研究推進プログラム(若手研究)」および「文部科学省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)」の成果でもある。また、先天性四肢障害児父母の会の機関紙『「父母の会」通信』に連載された「わたしたちは、出生前診断とどう向き合うか」の文章を、一部参考としている。

[文献]
Antenatal Results and Choices, [1990]2010, A Handbook to Be Given to Parents When an Abonormality Is Diagnosed in Their Unborn Baby.
────, 2003, Supporting You Throughout Your Pregnancy.
────, 2006, Supporting Parents' Decisions: A Handbook for Professionals.
────, 2010, “ARC and Policy Makers,” ARC News: The Newsletter for Bereaved Parents and Their Families, November: 8-9.
────, 2012, ARC News: The Newsletter for Bereaved Parents and Their Families, March.
堀智久,2007,「障害の原因究明から親・子どもの日常生活に立脚した運動へ──先天性四肢障害児父母の会の1970/80年代」『社会学評論』229(58-1): 57-75.
────,2008,「障害をもつ子どもを迎え入れる親の実践と優生思想──先天性四肢障害児父母の会の1970/80」『ソシオロゴス』32: 148-163.
National Down Syndrome Cytogenetic Register, 2011, The National Down Syndrome Cytogenetic Register or England and Wales: 2010 Annual Report.
National Screening Committee,2012,Screening Tests for You and Your Baby: Important Information for You to Keep with Your Hand-held Maternity Records.
坂井律子,1999,『ルポルタージュ出生前診断』日本放送出版協会.
先天性四肢障害児父母の会,1989,『先天異常の原因究明をめぐって──いのちの今日・明日 会報5号』.
────,2002,『遺伝したっていいじゃないか』.
玉井真理子,1997,「母体血清マーカースクリーニングと女性たちの選択──どんな選択をしてもサポートが受けられるというメッセージ」『ペリネイタルケア』16(1): 47-52.
渡部麻衣子,2005,『選んで生む社会──イギリスにおけるダウン症を対象とした出生前スクリーニング・診断の現状を通して考えたこと』NPO法人・市民科学研究室.