あとがき

 この冊子は、「立命館大学・東日本大震災 復興のための『私たちの提案』——教職員の取り組み(第2次募集)」の予算によって製作された。ここに収録されているシンポジウム・調査報告等に関わる経緯についても、私が、その企画やこの冊子の製作にあたって皆と議論したり、すこし意見を言ったり集会の司会のような役を務めたには務めたとして、直接東北に出かけたわけでないことや、その理由を記す必要はないのだろうと思う。ただ、立命館大学が、教職員の一人である私の提案を受け入れ、資金を拠出してくれたことに感謝する。この冊子は、必要な多くの人に届けられ、役立てられるだろう。きっとそうなるだろうと思う。
 すべきことはまずは単純なことである。いざという時に電気が使えなくなることがなければよいのであり、それは十分に可能なことだ。けれど、たいがいの人は、ふだんはそんなことをあまり考えないし、考えたらわかるというものでもない。そして当然、突然のことが起これば、人はうろたえる。その人のまわりの人たちも何をどのように備えておけばよいかわからない。そんなことが少なくなるようにこの冊子はある。

 それにしても、残念ながら、この災厄の全体は長く終わらないだろう。私たちとしては、せいぜいその長い時間の間に起こることをHPに貼っていくぐらいのことはしていきたいと思っていて、それは地震が起こったその月からぽつぽつと続けて(続けてもらって)いる。(「生存学」で検索するとサイトの表紙が出てきてそこに「東日本大震災関連」という項目がある。私が書いた雑文・短文の多くもご覧になれる。)この活動については、立命館大学人間科学研究所重点プログラムプロジェクトに採択された「災厄に向かう──災害と障害者・病者支援」からも資金を得ている→人間科学研究所に感謝。
 そして、そんなことをしながら、考えることも様々あるだろうとも思う。その一つに、人の所在・状態を知ることがどのようになされたらよいのか。私の勤務先の大学院生でもあり長く東京都中野区の議員も務めた佐藤浩子がこの冊子で報告しているのは──相対的にはましなはずの──地域で緊急時の対応の仕組みが機能しなかったことが多々あったことだ。人が自由であることと人の間の紐帯があること、両者は実際にはほとんどの場合ぶつかったりしない、むしろ強め合う。それは阪神淡路の震災の時のことからもそう言える。しかし、基本そうだが、いつもそううまくはいかない。(すくなくともある部分は)ほっといてほしいこと、しかしいざという時には助かりたいことが、(やりようはあるはずだが、うまくやらないと)うまく相添わないことがあるかもしれない。どうしたものか。そして逃げたくないが逃げなければならないこと、逃げたいが逃げられないこと、そんなことの中で所在・存在が不明になること、不如意な生を生きねばならないこと、そんなことにどう抗していくのか。実際に動いてる人たちのことを知り、それを知らせることを含め、ときに何ができることがあったら、いくらかずつでも続けていければと思う。

 立岩真也