当日のアンケートから

「西嶋氏の国民的歴史学運動と生活記録運動の発見は、興味深く聞いた。個人の掘り出した記憶の物語はそのまま歴史ではなくても、必ずしも職業的歴史家という回路を経ずに、ある種の表現形式で集団に共有される可能性もあったかと思う。」

「最初の45 分でホワイト先生からポストモダニズムに関して講義していただき、基本的な考えを共有できた。その後、学生の質問により、より現実に即した話が聴けた。その流れがよかったと思う。また、翻訳や通訳があったおかげで、内容がよく理解できた。」

「言語によってアプローチが違い、それらによって排除されてしまうものが存在するというのは、優れた指摘だと思った。個人の物語、細かい記憶の記述が歴史たりうるのか、歴史が歴史家によって独占されるべきなのか等は、発表者とホワイト教授の意見の違いが見られ、おもしろかった。」

「歴史叙述について、何のために書くのか?何をして書くのか?など自分が勉強すればするほどわからなくなっている。自分と似たような疑問が出ていたので、これからの自分の勉強の参考にしたい。」

「歴史学の分野にどのようにすれば、ドキュメンタリーや文学をとりこめるのか? H・ホワイト氏が言うことは素晴らしいと思うが、現実問題として歴史家とポストモダニストにへだたりがある。そのことについてもう少し意見がほしかった。」

「ホワイト教授の所説は概ね肯定できるものの、(岡本先生のコメントでも示唆されていたように)、研究者側からは、『歴史的現実の完全な客観性という信念はもはや持っていない』という意見もあるだろう。そういう反論はあるものの研究者の産出するテクストが、ある種の科学的・実証主義的観念に起因する制度的慣行のもとに、良くも悪くも、おかれているのは確かであり、過去を表現共有するのも確かだと思う。ポストモダニストと職業的歴史家との哲学的前提は実はそれほどかけはなれておらず、問題となるのは、日々の研究活動etc.から生じる習慣、制度、集団的利害の側面かもしれない。」

「歴史家は、ドキュメンタリーなどの手法によって、特定の視点を特権化してしまう危険性に反対しているのではないかと。」

「ホワイト教授が政治等について熱く発言されていて印象的でした。」

「ホワイト教授の熱意あるおもいがユーモアもまじえて伝わってきました。芸術のもつ可能性という事もあらためて感じました。」

「アットホームで議論しやすい雰囲気が印象的でした。距離が近く親しみやすい『講義』でよかった。」

「書かれた物を読んだり、学術的な観点だけでその人が言うことをきくだけでなく、今日のように著者自身の言葉や身ぶり手ぶり、ユーモア、観客が著者に対する姿勢をまのあたりにすることは、大変貴重なことだと思った。来ようか迷ったけれど来てよかった。」

「なぜ同時通訳ではなかったのですか? 同時通訳にすることで時間をもっと有効に使えたはずだと思います。」

「逐語訳をもっと充実させたほうがよかった。」

「これからも特別講義を開催してほしい。」