あとがき

櫻井 悟史

 本報告書の構成については、吉田寛氏の「ヘイドン・ホワイトといまどのように対峙するか──まえがきにかえて」(以下、「まえがき」)に記されている。そのため、繰り返しになる部分はあるが、いまいちどその構成を、編集の視点をふまえつつ確認しておきたい。

 本報告書は三部で構成されている。第一部は2009 年10 月22 日に立命館大学衣笠キャンパス以学館2 号ホールで開催された立命館大学大学院先端総合学術研究科特別公開企画「アフター・メタヒストリー──ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義」の記録となっている。ホワイト教授の仕事は大変大きなものであるが、主著である『メタヒストリー』が未だ翻訳されていないことからもわかるように、日本での紹介はまだまだなされていない。そのため、第一部はホワイト教授の仕事の一端を日本で紹介するという観点からも、おおいに意義あるものとなっている。また、第一部の終わりには当日の写真と聴衆の方々からいただいた感想の一部を掲載した。今までの報告書にこういったものはなかったが、当日の雰囲気がどのようなものであったのかを伝える一助になれば幸いである。

 当日配布した資料には、金城、西嶋両氏の報告の日本語訳も添付されていたが、本報告書では省略することとした。これは、企画当日の両氏の報告に対するホワイト教授からのリプライをふまえて、報告の内容を論文化していただき、それを第二部に掲載するとしたからである。つまり、第二部は第一部の金城、西嶋報告をより精緻にした日本語論文となっている。

 第三部は本企画を運営した「物語と歴史研究会」の発足経緯等を報告したものとなっている。これも今までの報告書では独立した部として設けられることはなかった新しい試みである。第三部は研究会がどのようなものであったかを伝えるとともに、別の役割も担っている。本企画の質疑応答でホワイト教授が述べていた通り、「歴史が私たちに与える教訓とは、何事もそのとおりには繰り返さない」ことであり、「今日どう行動するべきか、そのまま使える例は過去から学ぶことはできない」。しかし、過去から「異なる状況に面した人たちが、どのように異なった対応」をとったかは学ぶことができる。今後も、立命館大学グローバルCOE プログラム「生存学」創成拠点(以下、「生存学」)、ならびに立命館大学先端総合学術研究科(以下、先端研)では、海外からの講師を招くなど、グローバルな研究活動が展開されていくことだろう。そのとき第三部のような報告が、あるいは役立つかもしれない。そういった意図からも、第三部を設けることとした。

 本企画および金城・西嶋両氏の論文の歴史理論的意義については、吉田氏が「まえがき」で詳細に記しているため、ここでは割愛したい。ただ、「生存学」的意義について、私なりの補足をしておく。

 ホワイト教授は『メタヒストリー』でもニーチェの「生に対する歴史の功罪」論文を援用しつつ述べているが(cf. 「生に対する歴史の功罪──ヘイドン・ホワイト「歴史への意志」を読む」http://www.arsvi.com/2000/0906ss2.htm アクセス日2010 年3 月12 日)、本企画に寄せられた論考の中でも「ポストモダニストにとって、専門的歴史家たちは過去をそれ自体として研究し、他の専門的歴史家たちのために著作を書き、現在のために役に立つ教訓を[過去から]まったく引き出さず、人生に資するような想像力に満ちた歴史の使い方を抑圧しようとしてきたのである(ニーチェ)」と述べ、そこからアカデミックな歴史学に痛烈な批判を浴びせている。

 ホワイト教授によれば、「現在」と「過去」と「歴史」は本報告書141 ページに掲載したホワイトボードの写真のような関係になっている。つまり、「過去」の一部分だけがアカデミックな歴史学によって「歴史」と認定されているのである。「生存学」では、障害者運動の歴史をはじめ、多くの歴史が紡がれている。それらはこれまで歴史家たちによって「歴史」と認定されていなかった「過去」である。それは「アマチュア歴史家」(歴史学の博士号をとっていないもの。先端研に所属する人間は学術博士の博士号をとる)による歴史かもしれない。しかし、ホワイト教授は「歴史として取り上げられなかった過去を見直さなければ解決できない問題を、歴史学は解決できない」とし、「アマチュア歴史家」の立場から、そうした歴史から除外された「過去」にアクセスすることの重要性を示唆したのだった。

 ある種の「歴史」が現在のわれわれの「生きがたさ」を形成することがある。それに抗する一つの方法が歴史から除外された「過去」を取り出すことである。ホワイト教授と「生存学」が連結するのはその点ではないだろうか。「生存学」はそうした仕事をすでに始めている(cf.「生存学創成拠点申請書類」http://www.arsvi.com/a/200702.htm#23 アクセス日2010 年3 月12 日)。たとえば、「生存学」が発行する雑誌『生存学』に掲載された拙稿「誰が死刑を担ってきたのか?──死刑執行人の歴史社会学的考察」もその仕事の一つといえる。これまで、日本の死刑執行人の「過去」は「歴史」から除外されてきたのだが、私はその「過去」を取り出すことで、人間が人間を殺させられること、国家が命じた場合、命じられた人間に殺すことを拒否する権利がないことについての問いを提示したのである。考えられるべきことが、ある種の「歴史」に抑圧されて考えられていない。あるいは、「歴史」とされないゆえに、「過去」が忘れ去られ、「生きがたさ」のみが残る。「生存学」では、そうした「生きがたさ」について考えるためにも、「歴史」から除外された「過去」を取り出す作業が続けられていくことだろう。そのとき、本報告書は必読の文献となる。

 最後に、個人的な感想を述べたい。今回の企画では、ホワイト教授から歴史理論に関する知見が得られたのは言うまでもないことだが、先端研の表象領域とつながりを持てたことが大変嬉しいことであった。先端研は公共・共生・生命・表象という四領域から成り立っている。そして、その四領域が重なる地点に「コア・エシックス」があるということになっている。ホワイト教授にはそのことについて「芸術(art)と過去の研究の関係を学ぶには、Core Ethicsand Frontier Sciences 大学院という、ここの先端総合学術研究科がふさわしいでしょう」とおおいに評価していただいた。しかし、これまで必ずしも四領域は重なりあっていなかったように、個人的には思われる。公共・共生・生命は「生存学」と関わりがあるものが多いが──無論、この三領域の全ての人間が「生存学」に関連するわけではない──、表象はそうではない。教員の間でどのような意識があるのかは定かでないが、私のような公共領域の院生の身としては、表象領域とどのように接点を持てばよいか、つかみかねるところがあった。先端研は学際的な研究を行なうと標榜する研究科である。それにもかかわらず、その研究科内で領域ごとに分断されてしまっているとすれば、それはなんとも間の抜けた話である。だから、今回の企画の話を東洋大学の岡本教授に持ちかけていただいたこと、表象領域の吉田氏がホワイト教授に興味を持っていたこと、そして2009 年度「生存学」PD に表象領域出身の篠木氏が着任していたこと、それらは全て偶然の出来事であるが、それらが見事に共振し、「アフター・メタヒストリー──ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義」という形で結実したことは、「生存学」にとっても先端研にとっても非常に幸運なことだったと私は考える。今後も今回のような、領域や学問分野を横断する学際的なプロジェクトが立ち上げられていくことを願う。

 本報告書を刊行するにあたり、生活書院の髙橋淳さんには、たいへんお世話になった。記して感謝したい。