おわりに

 この冊子のタイトルは「視覚障害学生支援技法」ということになった。中身は実にその名の通りといえるだろう。しかし同時に、このタイトル自体が、私たちの研究と実践に対する課題をも提示している。最後にそれらを提示し、結びに代えたい。
 第一に、大学で支援を必要としている視覚障害者は学生に限定されない。現に、視覚障害をもつ教職員が大学に籍を置き、研究に従事し、あるいは学生支援の業務に携わっている。視覚障害をもつ教員・研究者の場合、本冊子で示したような大学院生の支援と同様の支援を、より多く必要としている。障害学生支援という枠組みで論じることによって、見落とし、目を背けてはならない。
 第二に、本冊子は視覚障害に限定しているが、他に、聴覚障害、肢体障害等をもつ学生の支援も実践されており、研究の蓄積もある。実践と研究の双方で、連携し協力していかなければならないだろう。近年、ようやく発達障害をもつ学生への支援が注目されてきたものの、たとえば精神障害をもつ学生に対してどのような支援が必要なのか、研究と実践の双方で扱えていない。このように、障害学生支援の名の下に行われているさまざまな研究も実践も、その定義が曖昧であり、したがって支援対象となる学生がはっきりしていない。これにより、支援対象から排除され不自由を強いられている学生は、少なくないだろう。
 第三に、障害学生支援の実践で少なからず主張されているリハビリテーション言説や福祉言説の問題を指摘しておきたい。大学は教育機関であるから、さまざまな知識や技術を伝授し、一人前の大人として社会に送り出す責任があることは疑う余地もない。しかし、障害をもつ学生たちは、教育を受けるための支援を必要としているのであって、障害を克服することや自立することを求めたり含んだりすることには異論がある。障害学生はその障害ゆえに他の学生と比して特段に自立を求められるとしたら、それは不当ではないか。そして、そもそもここでいう「自立」とは何か。努力すればできる人たち(を中心とする社会)が一方的につくり出した価値観、自立した人間像を、そうできない人たちにそのままあてはめ、「自立」という名の目標として押しつけること自体、不当であるといえよう。そもそも、自分の努力ではどうすることもできないからこそ、それが「障害」なのだ。そして、そうした人たちが社会の中で強いられている不自由さ・不便さは、努力すれば自立できる人たちが暮らしやすい社会をつくる副産物として、生み出されてきたのではなかったか。障害学生支援の現場で、支援対象となる学生に対して、その障害を克服し、自立すること、ひとりでできるようになることを求めることは、社会的につくられた不自由さを学生個人のものとして本人に押しつけ、彼らに不便を強いている大学・社会の仕組みから目を背け続けることと同義である。障害者運動や障害学が提示してきた自立観、すなわち支援を受けながらの自立、自己決定する自立という観点で考えてみてほしい。
 第四に、障害学生支援には特有の難しさがあり、そのノウハウが大学に蓄積されにくい。まず、何より、障害学生の数は非常に少ない。また、障害者としての生活は一生続くが、その人が学生である時期は少しの期間(大学生なら通常は4年間)である。自分に必要な支援が分かり要求できるようになったころには卒業してしまうことも珍しくない。同時に、毎年一定数の障害学生が入学するわけではなく、視覚障害学生が卒業したあとに別の視覚障害学生が入学するわけでもないから、支援に継続性がない。視覚障害学生の在学中に蓄積された支援ノウハウが、その学生の卒業と同時に「お蔵入り」になってしまうことも多い。その意味でも、大学どうしが連携し、情報交換を行うことに意義があり、そうした取り組みが聴覚障害・視覚障害の分野では全国規模で開始されたことは意義深いだろう。

 立命館大学大学院先端総合学術研究科には現在、本冊子の執筆者らを含む6名の視覚障害者が大学院生として在籍し、支援を受けている。他の学部・研究科にも視覚障害者は複数在籍し、同じく支援を受けている。そのため、立命館大学障害学生支援室には視覚障害学生支援、とくにテキスト校正のノウハウが蓄積されてきた。5年後、10年後、今支援を受けている学生・院生たちも、支援に携わってくれている学生たちも、コーディネーターをしてくださっている職員の方々も、おそらくここにはいないだろう。立命館大学に視覚障害学生がいるかどうかも分からない。今あるノウハウが高額な支援機器ともども「お蔵入り」になっているかも知れない。他方、どこか別の大学に視覚障害学生がたくさん入学し、どのように支援したらよいか分からず、ただ闇雲に悪戦苦闘しているかも知れない。……
 立命館大学での取り組みを冊子にまとめ、世に送り出すことで、これから支援をはじめようとする大学の一助となれば幸いと思っている。しかし、それだけではない。
 今でも、入学後の支援方法が分からないから視覚障害者の受け入れを躊躇している大学もある。大学に進学したいが、自分に視覚障害があるからと不安に思っている人もいる。またそのような相談を受けたが、どう助言したらよいか戸惑っている家族や支援学校(盲学校)の先生たちがいる。在学中の事故や病気で視覚障害者になったが、大学に復帰できるだろうかと不安を抱える人がいる。眼科医や視能訓練士として接するが大学のことは分からないと困ってしまう人たちがいる。
 こうした、関係するすべての人々に参考にしていただければと願っている。いや、それよりも、「へぇー、先輩たちはこんなにたいへんだったんだ! 今じゃ、どこでもテキストデータはすぐに手に入るし、いろいろな支援機器は揃っているし、見えている人たちと変わらない環境で勉強できるのにねぇ〜」などという会話を、未来の視覚障害者たちがしていることを願っているというのが、むしろ本音である。そのためにも、視覚障害者を支援する技術の研究や開発をされている人たち、研究者だけでなく作家も含め出版流通に関係する人たちにも、是非知っていただきたいところである。

 本冊子は、グローバルCOE「生存学」創成拠点の成果報告であり、また、科学研究費補助金・新学術領域研究(研究課題提案型)「異なる身体のもとでの交信——本当の実用のための仕組と思想」(研究代表者:立岩真也)の成果報告であり(→第6章)、これらの研究助成金によって発行される。また、株式会社生活書院の髙橋淳さんには、刊行にかかる多大な作業にご尽力を賜った。記して御礼申し上げる。

2010年3月
青木慎太朗