Ⅲ 論文「ケアと倫理」犯罪被害者の救済におけるケア・試論——〈被害〉についての考察から

大谷通高
(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程)

 0 問題意識

 本稿は犯罪被害者の苦しみと、それに対するケアについて考察する(注1)(注2)。それに際し、本稿では、被害者の苦しみを、「被害の内容」(「どんな被害か」に答えるもの)と「被害を受けたこと」(「被害とは何か」に答えるもの)に区分し、後者の「被害を受けたこと」(以下、これを〈被害〉とも明記する)に限定してその苦しみ(以下、これを〈被害〉の苦しみと名づける)を考える(注3)。
 なぜ、後者に限定して被害者の苦しみを論じるのか、その理由を述べる。「被害の内容」を勘案して被害者の苦しみと救済を論じると、被害の内容はもちろんのことその程度、さらには被害者個人の生の違いといった「差異」に照準して論じることになる。その場合、差異を評価する「客観的な」基準が設けられ、それぞれの基準によって規定された「被害の内容」に応じて、適切かつ効果的な救済を検討するようになる。それは重要かつ意義深いものである。しかし、この救済論は、「被害の内容」に準拠するために、その「差異」が強調される傾向にあり、「差異」による対立と排除を生じさせる恐れがある。また、基準を設ける際に、対象となる被害者の固有の被害経験からいくつかの「差異」をもとに「客観的」指標を設けようとし、被害者になり代わって被害の意味づけを行う傾向がある。私はその被害者ではないため、その固有の被害経験を語れないし、評価することもできない。また、当人を超えて被害を意味づけることもできない。
 それに対して、というか、私が「被害の内容」に先んじて「被害を受けたこと」に限定して被害者の苦しみを論じる理由、そのことに見出した意義は、「被害を受けたこと」がいかなる被害者においても普遍的で共通に到来する〈被害者〉としての経験としてあり、それは「被害の内容」や「差異」より先んじてある前提であり、「被害の内容」に関する「差異」を、相対的な「差異」として機能させる被害者の「苦しみの支柱/土俵」としてあるからだ。だから私は「被害の内容」や「差異」よりも先んじて、「被害を受けたこと」=〈被害〉に限定して、被害者の苦しみを論じる(注4)。
 従来の犯罪被害者救済の研究において、「被害を受けたこと」、〈被害〉の苦しみを考察の対象としたものは案外少ない。三井さよは『ケアの社会学』(2004)でWHAT(問題はそもそも何か)とHOW(現状改善のためにどうすればよいのか)の区分を用いて、臨床現場の専門職が「目前の問題点を直接に解決できそうなHOWをまず考え、そこからWHATを導き出す」傾向にあることを指摘し、その手法の一定の意義を認めつつも、それは「WHATを捉え損ね、現状改善の先にある課題に対して、分析しHOWを論じるツールを見失う」ことを指摘している(三井 2004: 7)。
 従来の研究では、被害者をとりまく問題状況(WHAT)を改善するために、被害者への情報提供や保護や配慮といった支援(HOW)の重要性や必要性がいくどか主張されてきた。しかし、HOWの一つとして、情報提供や配慮・保護、ケアが重要であることと、被害者の苦しみ(WHAT)を、情報提供や配慮・保護、ケアの欠如だと捉えることの間には距離があるし、「被害を受けたこと」が情報提供や保護・配慮によって解消されるわけではない。
 本稿は「被害を受けたこと」、〈被害〉の苦しみをWHATとして考え、そこからHOWとなるケアについて考察する。これを考える取っ掛かりに、従来の救済論が〈被害〉についてどう考えきたかを確認することから始めたい。
 まず、1節では対人・対面的な被害者救済論が展開されはじめた90年代の救済論の動向に照準し、従来の対人・対面における救済論の被害者の苦しみに関する傾向を探る。続く2節と3節では、その傾向を踏まえて従来の救済論が〈被害〉とその苦しみをどのように考えてきたかを検討する。具体的には、被害者救済の鍵概念としてある二次被害概念(2節)とPTSD概念(3節)に照準して、それら諸概念の特徴を検討することで明らかにする。そして4節では、従来の犯罪被害者の救済の論考の中で「被害を受けたこと」について考察したものをとりあげ、そこで「被害を受けたこと」がいかに論じられているのかを確認し、それを批判的に検討する。最後に5節では、「被害を受けたこと」とその苦しみを〈被害〉が有する特徴から考察し、それに対する救済の実践としてケアを提示し、本稿を終える。

 1 90年代の被害者救済の動向

 ここでは、90年代の対人・対面的な被害者の救済論の動向を確認する。日本における犯罪被害者の対人・対面的支援の普及・拡大は90年代にはじまる。本稿では、その起点となった91年に開催された犯罪被害者等給付金支給法の10周年を記念するシンポジウムに依拠して救済論の動向を概観する(注5)。ちなみに本稿ではケアを対人・対面的支援に限定して考える。その理由として、従来の被害者の救済研究において、ケアは対人・対面における実践の文脈で論じられてきたことが挙げられる。この90年代の救済実践の動向を押さえておくことで、被害者との対面・対人の救済実践=ケアが必要とされてきた背景を知ることができると考える。
 1990年代の犯罪被害者の救済とケアの文脈における重要な契機のひとつに、1991年の犯罪被害者等給付金支給法の10周年を記念するシンポジウムがある。そこでは、刑事手続上の被害者の問題、精神的被害、家庭内虐待、被害者のニーズといった幅広い被害者の問題が議論された。これ以前の救済論は、刑法学者や犯罪学者、被害者学者が中心になって論じられてきたが、このシンポジウムで、各種実務家、精神科医、活動家といった各種専門家が被害者救済の議論に加わり、それぞれの知見を用いて犯罪被害者の支援・救済を論じた。このシンポジウムを契機に日本の被害者救済の議論に広がりが生じたことは疑いない(注6)。
 その広がりの一つに、対人・対面的支援の議論がある。対人・対面的支援に関する被害者の苦しみの動向を把握するうえで、このシンポジウムを契機とした重要な動きが3点ある。第1に、大規模な被害者の実態調査が実施されたこと、第2に、精神科医の参加、第3に対人・対面の支援実践の増加である。
 1点目の実態調査は、このシンポジウムで大谷實(注7)が提唱したことを契機に(注8)、翌年の1992年に犯罪被害者実態調査研究会(注9)が設立され、92年から94年の3年にわたり実施された。被害者の被害後の問題状況やそれに応じたニーズがアンケートやインタビュー調査によって把握され、それらのデータに基づいて必要とされる支援や実践を検討している(宮澤ほか 1996)。この調査では、日常生活の場面と刑事手続きの場面とに切り分けて各場面での被害者に負担や苦痛を与える状況が調査されており、そこで得られたデータに基づいて場面に応じた被害者のニーズと支援実践の有効性を検証し、場面ごとのニーズを満たすような具体的な支援実践(たとえば生活の場面ではカウンセリングや金銭的救済、刑事手続きの場面では情報提供や保護・配慮など)の必要性を検討している。
 第2に精神科医の参加であるが、このシンポジウムでは、精神科医の山上晧が参加し、被害者の「精神的被害」についての問題を提起し、その援助・支援の必要性を主張している(宮澤ほか 1991: 67)。ここで重要なこととして、精神科医の被害者救済への参加によって、被害者の心理状況という被害者個人の内面までもが援助・支援の対象とされていることがある。90年代以前、被害者の救済は、刑法学者によって金銭的救済や刑事手続き上での情報提供や保護・配慮などの制度的側面から論じられる傾向にあったが、この精神科医の参加によって、それら制度的対応にかかる対人・対面的側面といったミクロな場面も救済実践の場として、またその重要性にも注目されるようになった。事実、被害者救済における精神科医の論考は、被害者の精神状況を「症状」として説明し(たとえばPTSDなど)、それへの取り組みに対する指針・方策である「傾聴」や「寄り添い」といった配慮を、警察官や検察官、支援者といった被害者に関与する実務家たちに向けて教示している(注10)。
 第3に対人・対面的実践の増加であるが、これには第2の精神科医の参加とも関係がある。前述の山上は、このシンポジウムでの被害者遺族の発言を受けて、翌92年に相談室を開設している(小西 1998: 2)。その動きは全国に派生し、98年には8組織からなる「全国被害者支援ネットワーク」が結成され、電話や面接によるカウンセリングのほか、ボランティアによる法廷への付き添いサービスといった対被害者の対面的支援が実践されている。また同時期に、検察や警察といった刑事司法の関連機関も被害者への相談や情報提供を行う部署を整備し、対人・対面的支援を実践するようになった。このように90年代は、民間だけでなく刑事司法機関においても被害者との対面的支援の実践の場が創出・増加した時期で、被害者の問題状況の把握と、それへの対人・対面的な面からの改善をめざす具体的方策に関心が寄せられた時期でもあった。
 第1の調査によって被害(WHAT)が場面ごとに検討され、それへの具体的支援(HOW)の検証・構想がなされた。ここには被害者支援におけるHOWとWHATの関係を見出すことができる。第2の精神科医の文脈においては、臨床的知見から被害者の心的状況(WHAT)が語られ、対人・対面的支援の重要性とその具体的方策(HOW)が提示された。ここにも第1の契機と同じく、HOWとWHATの関係を見ることができる。これに、第3の対人・対面的援助の実践の場の創出と増加が伴うことで、90年代は被害の把握とそれへの具体的実践の方策とが加速度的に求められた時期ともいえる。
 以上、90年代の被害者救済の動向から、二つのHOWとWHATが確認された。次節では上記の被害者の実態調査や精神科医の対人・対面的実践の救済論において、被害やその苦しみ(WHAT)がどう考えられてきたかをみていく。その足掛かりとして、二つの鍵概念に注目する。一つは「二次被害」で、もう一つは「PTSD」である。この二つの概念は、対人・対面的支援が論じられた際に、被害者の被害後の問題状況を説明するための概念として用いられている。これら二つの概念の特徴に注目することで、従来の救済論の被害とその苦しみ(WHAT)について考える。

 2 二次被害概念

 2-1 二次被害の概説
 二次被害とは、直接的に受けた被害(一次被害)から副次的に生じる被害のことであり(注11)(諸澤 2001)、一次被害との因果関係があることがその発生条件となっている。犯罪被害の場合、一次的な被害は被害者が加害者から受けた直接的な被害を指し、その被害によって生じる被害が二次被害となる。この二次被害概念は、前述した90年代の大規模調査にも、刑事司法の場面や生活の場面における被害者の問題状況を明示する指標として用いられている(宮澤ほか 1996: 65-75)。
 この二次被害は、1980年代の被害者学の二次被害者化論から生まれている。日本で被害者学の新たな理論として二次被害者化論・三次被害者化論を紹介したのは宮澤浩一(1987)である。この二次被害者化論は、被害者学における被害者化の理論から派生したものである。被害者化とは、1970年代の犯罪学の犯罪化の理論に影響を受けて、被害現象を「被害者化」として捉えた理論である。この新しい被害者学理論は、犯罪被害後の被害者の状態を通時的に問題化する理論といえる。被害者化には、第一次被害者化、第二次被害者化、第三次被害者化の3段階がある(宮澤 1987: 23)。第一次被害者化は、犯罪行為などによって直接被害を受ける過程のことで、第二次被害者化は、その第一次的被害に関連して受ける被害のことを指す。それには被害者の知人や刑事司法、マスメディア関係者から受ける被害者の精神的負担や苦痛などがある。そして、一次・二次被害者化の影響を受けて、社会復帰できない状況を第三次被害者化としている。
 二次被害が生じる場面は、主に4つに分類することができるだろう。1つ目は、被害者個人の生活に関わるもので、その具体的な例として、被害精神状態の変化(不眠や、対人恐怖、恐怖反応など)、経済状況の変化(経済的困窮)、生活環境の変化(外出ができなくなったことや経済的困窮による就職、地域や仕事場の対人関係の困難といった生活習慣の変化)や家族関係の変化(事件を契機とした離婚や家庭不和)などがある(宮澤ほか 1996: 67; 大和田 2003: 75-76)。2つ目は報道や取材によって生じる負担や精神的苦痛(同意のない強引な取材による苦痛や違和感、取材のためのインターフォンや電話、ファックスによる恒常的な攻勢、過剰な報道や誤った報道)である(酒井・池埜 ほか2004)。3つ目は刑事司法システムから生じる負担や苦痛(取調べにかかる時間的・経済的損失、警察官や検察官、裁判官や弁護士といった司法関係者よる不適切な対応、加害者への被害者感情、刑事裁判からの疎外感)である(宮澤ほか 1996: 73-75; 小西 1998: 79-83)。4つ目は、支援を受ける段階で受ける負担や苦痛(支援者の不用意な発言、支援機関によるたらいまわし)などである(佐藤 2001: 171)。
 これらの場面からも分かるように、多くの二次被害的状況は被害者を取り巻く外的環境によって説明され、それらが改善すべき事態とされてきた。次項では二次被害概念の特徴について検討する。
 
 2-2 二次被害概念の特徴
 二次被害概念の特徴は2点ある。「二次被害」とは、被害者の苦痛や負担が犯罪被害に付随して生じた「二次的」なものかどうかを判断するための概念である。この概念は被害者の苦痛や負担の程度を問題としない。それは被害者の主観的認識に委ねられていて(注12)、あくまでも一次、二次という時間と空間によって被害を区分する。このことは「二次被害」が犯罪被害でありつつも、一次被害とは別の被害であるとすること、つまり、この概念における「犯罪被害」は加害者から受けた直接的な被害だけを意味するのではなく、一次被害に付随して生じる事件後の負担や苦痛も「犯罪被害」として括ることになる。この点において二次被害概念は「犯罪被害」事象の時空間を拡張させる概念としてみることもできる。時点と空間によって被害を区分する、これが二次被害概念の第一の特徴である。
 もう一つの特徴として、二次被害が「被害」の形式をとっていることがある。被害は加害を内包した言葉であることから、必然的にその苦痛の原因が加害として呼び起こされる。つまり、加害の原因となる対象がある場合、それが加害要因として配置されることになる。被害者対策としての二次被害の予防は、被害者にその二次・三次被害を誘発した要因を求めず、その被害を被害者に帰責することはしないし、その予防実践をなす実践者に被害者を位置づけない。それは被害者側に原因を求めず、被害者を取り巻く環境から被害原因を検出し、その被害予防の対策への責任を加害要因たる組織や関係者に帰責させることになる。このように二次被害予防の実践は被害者に課せられるものではなく、取り巻く環境の側に課せられる。つまり刑事司法やマスメディア、被害者の関係者が二次被害の予防の実践者として位置づけられることになる。
 以上のような概念の特徴を踏まえると、二次被害は事件後に犯罪被害者が経ていく場面に応じて、被害者が受ける苦痛や負担、それを生成・助長させる要因を検出する概念装置であることが分かる。次項ではその特徴から、二次被害概念の被害とその苦しみを考察する。

 2-3 二次被害概念の「被害」
 前項で第一の二次被害の特徴として、被害を場面によって規定することを指摘した。一次被害後に生じる犯罪被害者の負担・苦痛を、事件の直接の被害とは異なる被害として規定しつつも、場面によってその被害を差異化する。この場面ごとの被害者の負担や苦痛を「一次」「二次」と時間と空間によって切り分ける特徴は、二次被害概念の限界として見ることもできる。
 被害を時間と空間によって切り分けることは、時間と空間によって被害を特定することを意味する。これは言い換えれば、二次被害概念が時間と空間という基準によって被害に限定をかけることを意味する。また、もう一つの二次被害の特徴である二次被害の発生要因を被害者の取り巻く外的環境から見出すことも、時間と空間に準拠して害の発生要因を特定することから、第一の特徴と同様に被害に限定をかけている。
 この二次被害概念は、時間と空間によって規定された被害を、具体現実的な場面に落とし込む。それにより場面ごとの被害に応じた具体現実的な救済実践が構想されてきた。二次被害概念を用いた救済論は、被害を特定の場面にそくして考察するものであることが伺える。これは三井が指摘した、臨床現場のHOW─WHAT図式といえるだろう。二次被害概念は、「被害を受けたこと」に付随する被害者の負担や苦痛を特定の場面に切り分けて、それを「被害」とし、救済実践の対象となる「被害者の苦しみ」として考察してきた。二次被害は「被害を受けたこと」=〈被害〉そのものに考察の主軸をおかず、〈被害〉の苦しみについても検討の対象としていない。
 このように二次被害概念における被害は、時空間に準拠して特定化されたもので、「被害を受けたこと」、〈被害〉の苦しみについて対象としたものではないことが明らかとなった。次節では、精神医学の領域のWHATであるPTSD概念を検討する。従来の被害者支援の研究においてPTSD概念は二次被害概念と同じく鍵概念として扱われてきた。このPTSDが被害者支援の文脈において、何を被害としてきたのか、二次被害概念との関係も考慮にいれつつ、明らかにしていきたい。

 3 PTSD

 3-1 PTSDの概説
 日本においてPTSDという心理的な症状が犯罪被害者の救済の文脈の中で論じられるようになるのは1990年代のことである。特に1995年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を契機に用いられるようになった(小西 2001: 84)。
 PTSD(Posttraumatic Stress Disorder=心的外傷後ストレス障害)はトラウマ(心的外傷)といった精神的外傷によって生じる慢性的な心的ストレス障害を引き起こす疾患を指す。犯罪被害者の場合、事件による負的な影響から生じる精神的な障害をさす場合に用いられるが、その障害は事件から1ヵ月以上続くものと定義される。また、1ヵ月以前の障害をASD(Acute Stress Disorder=急性ストレス障害)としている。
 アメリカ精神医学会が作成した精神障害の診断統計マニュアル(DSM-Ⅳ)によると、PTSDと診断される際の条件としては3点ある。第一に、「実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を1度もしくは数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し直面した」こと、第二に「その人の反応が強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである」こと、第三に「外傷的な出来事が再体験されていること」があげられている。第一と第二はトラウマの定義となっている(小西 2001: 96)。
 小西はPTSDの主症状を、「再体験」、「回避・麻痺」、「過剰覚醒」の3つにまとめている(小西 2001: 96-101)。再体験は、上述の診断条件の一つとして位置づけられているが、その内容は、精神的障害の元となった出来事やその精神的苦痛が反復・想起されることを指し、外傷的な出来事が慢性的に再体験され続けていることを指す。この再体験は、意図的に事件を想起する「思い出す」こととは別のもので、出来事が不可避的に想起される事態のことをさしており、事件当時の苦痛を再体験することを意味している。「回避・麻痺」は、外傷に関する思考や感情、会話を回避しようとすることである。外傷に関する会話をすると外傷の体験が想起されるために、これを回避しようとするのが「回避」で、「麻痺」とは出来事への健忘や、感情の欠落といった障害を指す。「過剰覚醒」とは、外傷以前に存在しない持続的な覚醒が続いている状態のことで、不眠や音に対する過敏な反応、感情表出の過剰症状などがある。
 上記の3つの症状が1ヶ月以内に消失すればPTSDと診断されることはない。外傷後に上記の症状が複合的に生じ、それが慢性化した場合にはじめてPTSDと診断される。また、1ヵ月以前にこれらの症状に加えて「乖離」の症状が生じている場合は、前述したASDとして診断される。ちなみに「乖離」とは、「現実に対する認知を変化させ、感情と記憶、感覚を切り離す」事態であり、それは耐え難い状況が生じさせるネガティブな影響を感知しないように意識することを指す(小西 2001: 104-105)。
 以上がPTSDの概説であるが、被害者救済の文脈においてPTSDは被害者の被害後の心的状態を症状として説明している。これは、被害者の一次被害によって受けた心的外傷(トラウマ)を起点として、それへの負の心的反応を説明するもので、二次被害のように個人の枠を超えた外的環境に照準して被害者の状況を説明しない。次項では、この概念の特徴を考察する

 3-2 PTSDの特徴
 PTSDの特徴として、まず主症状が心因性の反応であり、そこからもわかるようにこの概念は人の心を対象としていることが挙げられる。概念として相対化できる関係にないが、二次被害概念は外的環境を問題として明示するが、PTSDの場合、心的外傷の反応を問題として明示する。これは概念自体が心に内属していることを意味している。これが第一の特徴である。
 第二に、症状と心的外傷とが意識的であれ無意識的なものであれ、反応という関係によって結ばれていることがある。反応は発症者の心的状態を指しており、PTSDは心的外傷の反応を問題としている。PTSDがトラウマに対する反応を問題状況として照準しているということ、これが第二の特徴である。
 第三に、心的外傷と症状の原因−反応の関係は、衝撃的な体験の有無、それへの反応が生じる期間とその内容を条件にむすばれている。二次被害概念は時間と空間を内在し、外的環境との関係を志向した概念であった。対してPTSDの場合、症状の発症の条件が、トラウマとなる心的外傷とその回数、それへの反応の期間となっているが、そこには二次被害のように空間が発生の条件として挙げられていない。このことからPTSD概念が症状を空間によって枠づけないことがわかる。そのためPTSD概念は発症する空間=外的環境を提示することはない。以上この3点が、PTSD概念の特徴としてある。次項では、この概念において被害やその苦しみはどう考察されてきたのか、上記の特徴から考える。

 3-3 PTSDの「被害」
 PTSDには3つの特徴があった。それは第一に問題とする状況が心に内属していること、第二に問題とする状況がトラウマによる反応であること、第三にその問題状況が空間によって規定されないということである。ではPTSD概念における被害とその苦しみはどのようなものか、それをこれらの特徴に関連して検討してみる。
 PTSD概念は、被害者の心的な苦痛を症状として捉えてきた。これは被害者の心的状況に限定して被害を規定してきたことを意味する。また、PTSD概念はあくまでもトラウマによる反応=症状を問題状況としてきた。症状の一つである「再体験」は、事件当時の状況を追体験することを問題状況として提示しているが、この場合、「再体験」という症状を説明するにとどまり、トラウマと反応=症状との関係それ自体を問題としない。問題として提示するのは、心的外傷に反応してしまうことではなく、心的外傷に反応した心の状態である。
 このようにPTSD概念は、被害を、心的な問題状況に則して説明する。「被害をうけたこと」の心の状態を「被害」とし、それを救済実践の対象となる「被害者の苦しみ」としてとりあげてきたのである。
 従来の研究では、PTSDのような心的な問題状況に応じた処置について具体現実的な救済実践が構想されてきたが、二次被害のように加害要因を特定化する機能をPTSDは持たない。PTSDは心的外傷に対する負的な反応であり、加害ではなく反応の基点となる心的傷害を内在化した枠組みである。そのため、その反応の基点となる要因は、あくまでも心的外傷であり、その反応を悪化させる加害要素を検出する機能はそれ独自ではもたない。では、この概念は従来の被害者の対人・対面的な支援論において、どのように用いられてきたか、次項ではそれを二次被害概念との関係から考察する。

 3-4 PTSDと二次被害
 二次被害とPTSDとの関係を直接的なかたちで論じたものとして、大和田(2003)がある。大和田は犯罪被害者遺族の支援の必要性を心理学的知見から論じるさいに、PTSDの症状は被害者化論における三次被害の代表的な状況であると指摘している。通常、三次被害とは一次被害・二次被害の影響によって社会復帰ができない状態のことを指すが、大和田において三次被害は「事件を契機として、社会生活を送るのに精神的・物質的に支障をきたすこと」であり、「犯罪によるショックや犯人に対する許せない気持ちなどの悩みを抱きながら、誰にも相談することができず、世間を恨む」ような状態が「長期化することによって精神に変調をきたし、社会に対する反発から反社会的な行動に出たり、閉じこもったり、ノイローゼになるといった様々な反応が出る」状態を指す(大和田 2003: 9)。そして二次被害・三次被害は被害者にとって「極めて深刻な問題」(WHAT)であるとし、「今後被害者への支援を推進していく上で、こうした要素を十分考慮した対策や制度の確立」(HOW)の必要性を指摘している。
 PTSDが、大和田が指摘するように三次被害であるならば、PTSDが発症する要因として一次被害・二次被害的状況がある。一次被害は二次被害の前提条件であり、これは三次被害においても同じことがいえ、PTSDの概念枠組みにおいてそれは症状の基点となる心的外傷に相当するだろう。問題は二次被害と三次被害(=PTSD)との関係であるが、それはどのようなものか。三次被害はその概念の構造において、二次被害を前提条件としているために、三次被害であるPTSDの発症は、二次被害的状況の長期化が条件となっている。ここからPTSDの発生要因として二次被害が位置づけられていることがわかる。これは、すなわち、二次被害と三次被害の関係が原因−結果の関係にあることを意味する。
 大和田のように、心理的観点から被害者支援が論じられるさいには、二次被害概念とPTSD概念が用いられ、PTSDという症状(WHAT)を発症させないためには、被害者にかかわる支援者の配慮や支援環境の整備(HOW)といった二次被害対策が必要といった論理展開になっている。またPTSDの症状(WHAT)そのものに対する処置は、基本的には医学的なアプローチ(HOW)がとられるが、被害者を取り巻く状況によって症状が悪化することを考えると、その治療には二次被害対策(HOW)が必要になってくる。このように二次被害対策を目的とした支援論において、両概念は同時に用いられて語られることがあり、さらには前章で論じた二次被害の救済論(外的環境の整備=HOWに即して、被害者の苦しみ=WHATを規定する救済論)のなかにPTSDが組み込まれている。ここから、この二次被害との関係において、PTSD概念による救済論は、心的な問題状態を「被害」として提示し、それに対して救済実践を検討するものであることが明らかとなった。
 しかし、従来のPTSDや二次被害を用いた救済論においても「被害を受けたこと」について考察されてこなかったわけではない。次節ではそれら救済論の中で「被害を受けたこと」がどう考察されたのかを確認・検討する。

 4 従来の支援論での「被害を受けたこと」

 4-1 小西の「被害を受けたこと」
 従来の被害者救済論の中で「被害を受けたこと」を考察しようとしたものとして小西と酒井・池埜がある。まずは、小西から。
 小西聖子は、精神科医であり、日本で早くからPTSD概念を用いて犯罪被害者の精神的支援を提唱し、さらには実践してきた犯罪被害者支援の実学ともに第一人者といえる人物である。
 小西は、「被害を受けたこと」は、自身の価値や生きる意味の喪失、生死に関する無力さの気持ちを抱き、それが心身に苦痛をもたらすもので(小西 1998: 268)、「あなたは何のために生きているのか、あなたの生死は誰が決めるのか、あなたの価値はどこにあるのか」、「被害を受けることはそういう根源的な問題、人間が答えられない問題、でも実は皆が抱えている問題に突然直面させられてしまうこと」であり、「それが被害である」と説明する(小西 1998: 269)。
 また、被害者へのケアを論じる文脈においても、被害者は「被害によって、セルフコントロールの感覚を失い、自尊心を傷つけられて」いて、それに対する「精神的な支援は、被害者が自己の価値を取り戻し、再び生きる能力を取り戻すことを目標としている」と説明し、そこには「医師──患者モデルなどとは異なった関係が必要とされる」ことを指摘する(小西 2001: 111)。ここからも分かるように、この「被害」に対する支援は、「自己価値の回復」、あるいは自己コントロール感や主体性を発揮できる気持ちの回復を主眼としたものとしている(小西 1998: 268)。ここで小西は「エンパワメント」という言葉を用いて、被害者の回復は被害者の主体性によってなされるものであることを主張している(小西 2001: 111-112)。
 これら支援の目的から逆算して考えれば、「被害を受けたこと」は、自己価値を失うこと/見失うこと/破壊されることであり、自己コントロールできない状態に陥り、主体性を発揮できなくなることを指すと理解できる。小西は、意味や価値、主体性の「喪失」を問題とし、それを被害としている。
 しかし、まだ被害について問うことができる。なぜ、被害を受けると、意味、価値を喪失し、コントロール感を発揮できなくなるのか。これへの答えを、小西は被害となった出来事の衝撃度、突然さに、つまりは「トラウマ」に帰属させて説明する(注13)。小西によれば、トラウマとは、「ある特有の体験の存在と精神機能の「状態」についての規定によって成り立っていると考えられ」るもので、フィグリーの定義を引いて「ある異常で破局的な体験の記憶から生じる不快なストレス状態。その体験とは傷つけられることに対して自分はもろくないという被害者の感覚を粉砕してしまうような体験」と説明する(小西 2001: 86)。しかし、これには「大きな問題」があることも指摘する。小西は「異常で破局的な体験」とはいかなるもので、それは主観的なものなのか、また客観的に測定されるものなのか、といったトラウマの定義にかかる基準について指摘し、ついにはトラウマとなりうる体験の「差異」について論じ、この問題にはトラウマ反応のメカニズムやその発生要因の解明が必要だと精神医学の文脈にのせて被害を説明するようになる(小西 2001: 86-87)。「被害を受けたこと」が、トラウマの考察へと移行することによって、結局、上記の問い、〈被害〉そのものの問いがずらされている。
 そしてその支援・援助について。小西は、被害の支援を、「自己価値の回復」、あるいは自己コントロール感や主体性を発揮できる気持ちの回復を主眼としたものと主張している。それは、具体的にはいかなるものか。心理学、精神医学の文脈では、それはトラウマティックな記憶の整理にかかわる技法になり、催眠、行為療法、薬物の処方といったものである。しかし、小西はこれだけでは「被害者援助は不十分」であり、それら技法を用いる際の「基本的なアプローチ」が重要で、それには被害者の被害への意味づけに対する配慮と、支援者が被害への意味づけをしないことを挙げている。被害者は「つねに被害の意味を求め」るもので、「自分の受けたこんなにも重い被害が、何の意味もなかったということには被害者は耐えられない」とし、「被害者のカウンセリングにおいて「被害の意味」は重要な地位を占めている」と論じる(小西 1996: 170-171)。
 しかし、小西は、被害者にとって「被害の意味」が重要であることについて考察することなく、その「被害の意味」に配慮した支援の必要性をただ主張するにとどまっている。仮に、被害者が「被害の意味」を求めることを、トラウマによる「意味の喪失」に求めるのであれば、精神医学の用語に即して説明するために、被害者にとって被害の意味づけが重要であることの意義が、精神医学的な帰結(心的症状の回復)による形で提示されることになり、それにそって「基本的なアプローチ」の意義が語られることになる。それは、心的症状を回復させるためには、被害者の被害の意味づけに配慮することが重要であり、それには被害者にかかわる専門職に被害者の保護と配慮を求めるという、外的環境に改善をもとめる形、つまりは二次被害と同じ論法をたどることになる。実際、小西は上記のような二次被害と同じ論法で被害者の基本的なアプローチの意義を論じている(小西 2001: 110-120)。そこには前章でとりあげた大和田と同じ事態が起きている。
 このように小西の「被害を受けたこと」についての論考は、精神医学の論法に立ち戻るという点で、被害そのものを考察の対象としていないといえる。次項では、同じ精神医学の見地からではあるが、被害者の「意味の探求」の重要性を説いた池埜の論考から「被害を受けたこと」について考察してみる。

 4-2 池埜の「被害を受けること」
 酒井肇・酒井智恵・池埜・倉石は、付属池田小事件(注14)の遺族と支援者の関係で、『犯罪被害者支援とは何か』(酒井・池埜ほか 2004)を共同執筆している。酒井夫妻は、付属池田小事件の遺族であり、池埜と倉石は、両者ともに臨床に従事した経験を持ち、特に前者の池埜はトラウマ被害者の臨床と研究を専門領域としている。この著書は、酒井夫妻の事件後の様子や本人たちのエッセイを載せて、それを精神医学的な観点から評価・考察し、必要となる支援を論じたものである。本稿で扱う論考は池埜のものである。この池埜の論考は、なぜ被害者にとって「意味の探求」が重要かを論じており、そこから「被害を受けたこと」について池埜がどう考察を試みているかを確認・検討する。
 まず、池埜は、被害者の支援を論じるにあたり、「エンパワメント」という言葉を用いて、支援者はあくまでも被害者の回復を支援するもので、被害者が再び生きる力を取り戻すことを支援するものであるとしている。これは前述の小西と同じものである。
 池埜によれば、被害者の回復は、「被害者が、痛みや苦しみを自分の人生に位置づけて、その経験の中に意味を見いだしていくことでなされる」もので、この「意味の探求」によって被害者は自らの人生の目的を再構築していく。「この『意味の探求プロセス』に寄り添っていくことも、被害者支援の根本的命題」としている(酒井・池埜ほか 2004: 166)。
 犯罪被害や災害など生死にかかわるような「トラウマ体験は、社会における自分の存在や世界観を根底から覆す」ものとし、被害者が被害の意味探求をする理由をトラウマに求める点は小西と同じである。「人は『意味の探求』によって不条理な被害体験をなんとか咀しゃくし、再び自分の人生に向き合っていこうとする」(酒井・池埜ほか 2004: 169)。
 池埜はフランクルに立脚して被害者支援を論じる。「意味を探求」することは人間の本質的な姿とし、被害を受けた状況においても、人は自らの人生の意味を問いかけ、意味を見いだし、目標を持つ可能性を有すると論じる。そして意味の探求には、「生から何が期待できるか」、「生から何を期待されているか」の二通りあり、後者の問いかけによってのみ「わが身に起きた悲惨な状況から、一筋の光明を見いだすきっかけを得ることができると考えられ」ると主張する(酒井・池埜ほか 2004: 172)。
 重要なのは、なぜ後者の問いかけによってのみ、被害者は主体性を回復できるのかであるが、これについては、「自己の根底、本質として世界」があるからという世界中心的な観点を論じる山田邦夫の論拠を提示するにとどまっている(酒井・池埜ほか 2004: 172)。つまり、「被害を受けたこと」と、世界が先行してあることがいかなる関係にあるのか、これ以上論じておらず、「被害を受けたこと」についての説明がここで終わる。
 さて、その支援についてだが、「意味の探求」について支援者ができることとは何か、具体的なものとして池埜は二つ挙げる。一つは、「症状や苦悩から目を背けるのではなく、むしろ積極的に直面し、その症状や苦悩に対する人の態度を変容させることを目指す」ことであり、それは支援者主導ではなく、その「ペースや方法は被害者自身によって選択されるべき」ことをその条件に添えている(酒井・池埜ほか 2004: 173)。第二に、支援者であっても、被害者に人生の意味を教えることはできないという自覚を持ち、支援者自らの世界観を被害者に押し付けるようなことをしないこと、と述べている(酒井・池埜ほか 2004: 174)。
 しかしこの池埜の支援は、第一と第二が相反しており、破綻しているといえなくもない。なぜなら、第一の支援は「意味の探求」を求める被害者にとっては重要かもしれないが、「意味の探求」を求めない被害者には単なる押し付けでしかないからだ。これは第二の支援と相反する。ただ、池埜は、第一の条件に支援者主導としないことを挙げており、支援者は、被害者が「意味の探求」を選択するまで「粘り強く寄り添うことが、もっとも重要な支援の原則」する点を勘案すれば、従来の被害者の保護・配慮と同じことになり相反するものではなくなる(酒井・池埜ほか 2004: 173)。

 4-3 確認・検討
 小西、池埜はともに、被害によって自己の価値、生の意味、自己コントロール感が喪失・破壊されるとし、それを被害の問題とした。そして、その原因をトラウマに求めた。小西はそこからトラウマの考察へと移行することによって「被害を受けたこと」の説明を終えた。一方、池埜は、世界中心的な観点を提示することによって「被害を受けたこと」の説明を終えた。小西と池埜は、トラウマを持つこと、世界中心的な観点にたつことが、「被害を受けたこと」にどう関係しているのか、この問いについて何も答えていない。
 支援についても両者とも「意味の探求」の保護・配慮を提示している。その支援は「エンパワメント」として被害者の回復を被害者によってなされるものとして固定し、支援者はあくまでもそのサポートとしての役割が期待されている。重要なのは被害者の回復を被害者個人に委ねるということで、被害者の回復における役割が支援者と被害者本人とで異なっており、支援者は、被害者の回復を支援するもので、回復させることはできないという前提のもとに支援が構想されているという点である。このような支援構想は、支援者が二次被害を与えることが問題とされている点からも伺えるもので、その実践の意義は消極的なもの(回復を支える、二次被害を与えない)でしか提示できない。しかしながら、被害者の支援はそのような消極的な意義しか与えられないものだろうか。
 次節では被害そのものについて考察する。被害が有する構造からその苦しみを考え、そこから救済、その実践としてのケアの積極的な意義を提示する。

 5 「被害を受けること」の苦しみと、その救済におけるケア

 5-1 〈被害〉の不自由さ
 本節では、「被害を受けたこと」とその苦しみについて考察する。
 〈被害〉という言葉は「被ること」と「害」とのつながりによって構成されている。文字通り、その意味は「害」を「被ること」である。本稿において「何を害とするか」「何を被ることとするか」について、その判断は被害者の主観的認識に委ねるものとする。本稿はその内容について評価しないし、それを目的としない。本稿が考察の対象とするのは、「害を被ること」であり、その苦しみである。
 被害は加害を内在した事象で、加害/被害は表裏の関係にあり、そこには非対称性が存在する。この非対称性に注目して、「被害を受けたこと」と〈被害〉の苦しみを説明する。加害−被害関係の非対称性とは、加害−被害関係との間にある断絶のことを指す。これは、行為者と受け手との間に必然的に生じる行為性質の違いに基づくものである。そのため、この行為に付随する非対称性は加害−被害関係に限定されるものではない。ここでその非対称性を取り上げる理由は、〈被害〉の苦しみがこの非対称性によって生じているからだ。
 加害−被害関係の因果から、被害者はその加害/被害を受け入れることはできない。被害は加害に従属する事象であり、その意味で被害は加害と結びつくことが構造的に必然となっている。加害/被害は、つねにすでに被害/加害を生成し、加害−被害関係を生成させる。そのため加害/被害の事実は、加害−被害の関係に加害者/被害者両者を配置する引力を有す。加害−被害の結び付きを示すものとして、被害/加害の事実があるが、そのことは被害者を加害/被害の関係におくことを正当化する理由にはならない。つまり、加害/被害の事実は「被害を受けたこと」が何かを説明する理由にはならない。
 極言すれば、被害者が被害を受け入れるほどの加害/被害を正当化できる理由=被害の意味は存在しない。同様に加害を正当化する理由もまた存在しない。かりに加害者が被害者に害を与えた理由として怨恨等の理由を並べたとしても、それは加害−被害関係の存在を示すことにはなるが、それが加害/被害を正当化することにはならない。
 なぜ被害を望んでいない私が、加害−被害という関係の形式のなかに引き戻されなければならないのか、そもそもなぜ私は加害を望んでいないのに加害−被害の関係の形式に属さなければならないのか、このことは被害が加害に従属してあり(加害が被害よりも先んじてあり)、加害が加害−被害関係の生成の起点としてあるからで、それが加害−被害関係の形式の構造としてあるがゆえに、加害−被害事象が被害者の意思の及ぶ/及ばないの範疇を超えている。これが〈被害〉であり、この〈被害〉が内在する構造的な不自由さから生じる苦しみが〈被害〉の苦しみである。
 では、この〈被害〉は従来の議論における被害とどう異なっているのか、その差異を明確にするために、本稿での〈被害〉にそくして、小西や池埜が指摘してきた意味や価値、主体性の喪失・破壊といった被害の問題について考察してみる。
 小西や池埜は、被害を受けることが、意味や価値、主体性の「喪失・破壊」を招くとし、それを問題とした。対して、本稿における〈被害〉は、「喪失・破壊」を、そもそも問題にしない。なぜなら、〈被害〉は加害に従属し、被害者の意思の範疇を超えた事象であるために、被害者の意味や主体性が「喪失・破壊」される以前のことが問題となってくるからだ。被害によって、被害者が有する意味や主体性が「喪失・破壊」されるとかではなく、それ以前の問題、被害者が、自らがこれまで有してきた意味や価値、主体性が発揮されない/できない/しない事態=〈被害〉にいることを問題としている。その事態が、結果的に被害者が有してきた価値や意味、主体性の「喪失・破壊」を招くかもしれないが、その余地のない事態そのものが「喪失・破壊」を意味するわけではないだろう。
 上記のことを踏まえると、被害者の被害の意味の探求も、小西や池埜が抱くそれとは見方が異なってくる。これまでは、意味や主体性の「喪失・破壊」に対する回復の試みとして、意味の探求が説明されてきたが、〈被害〉の文脈ではそうはならない。なぜなら、被害者は、自らの意味・価値・主体性が及ばない事態、つまり「喪失・破壊」以前の事態=〈被害〉のなかにいるからだ。被害者は自分がこのわけのわからない事態にいることがわからない。その意味不明な事態のなかで、被害者にのこされたことは、自らがこれまで有してきた意味や価値、主体性をもって応じることしかない。それが本稿における被害者の意味の探求である。わけのわからない事態には、問うことしか残されていない。それは〈被害〉に伴う必然である。

 5-2 〈被害〉の救済
 では、〈被害〉から生じる〈被害〉の苦しみに対して目指される救済とはなにか。それは、加害の消失、加害−被害関係の解消である。言いかえれば、それは被害者が被害者でなくなることである。しかし、加害/被害となった事実はなくならない。であれば、救済の方策の一つに、加害/被害の忘却があるが、これもなかなか難しい。だとすれば、〈被害〉を別の何かにすること、もう少し説明すると、被害であったことを被害ではない別の何かに意味づけることである(注15)。
 小西や池埜における「意味の探求」はこのことを指していると思われるが、本稿のそれとは前提が異なる。小西や池埜は「意味の探求」を意味・価値、主体性の喪失・破壊に対する救済実践としたが、前節で説明したように本稿では〈被害〉によって被害者は「意味の探求」をやらざるをえず、この意味において、ここで挙げた「被害の意味づけ」は被害者がやらざるをえない中での必然の救済実践でしかない(注16)。
 しかし、というか、必然ゆえに、これには被害者の大変な辛苦が伴う。なぜなら、被害者は、その被害の意味づけを加害によってやらざるをえなくなっているからだ。加害から脱却するための意味づけを、加害によってやらざるをえない状態に置かれていること、このことは被害者に被害が加害に従属していることを意識させる。それは被害者に重篤な辛苦をもたらす。
 そして、もう一つ、人災の場合、被害となりうる事実には、その事実を生み出す起点に加害者がいる。被害者となったことに、加害者という他者が関与していることは、加害−被害が被害者の意思の範疇を超えていることを意味する。被害者が被害ではない別の何かに意味づけできたとしても、被害者であることに加害者が内在しているために、その意味はつねに脅かされる恐れがある。被害者はこの〈被害〉の不自由さによって、確固たる被害以外の何か別の意味を自らの中だけで生み出すことができない。これは前節で指摘した、被害/加害の正当化の理由がないことと同じ事態である。
 小西や酒井・池埜が指摘した、被害者が自らの被害の意味を求める姿勢は、自らで加害−被害の関係の中に属するにたる正当化の理由を見いだそうとし、その意味を持って加害に従属する被害者であることを脱却しようとする一つの試みといえる。しかし前節で述べたように加害−被害には加害者という他者がつねにすでに存在しているために、被害者自らが定めた被害の意味はつねに揺らぎ続ける。ゆえに必然的に、その救済である被害/加害の意味づけは、被害とは別の意味を創出し続ける/持ち続けるという進行形の形でしか果たせない。
 ではそのような進行形でしかはたせない被害者の救済において、その支援やケアとはどのような位置にあるのか。次項ではこの被害者の救済の形におけるケアと支援と関係を論じることで、被害者救済・支援におけるケアの意義を提示する。

 5-3 被害者救済におけるケアの意義
 被害者の救済、支援、ケアについて論じるにあたり、その差異を示しておく。被害者の救済とは、前節で論じたように、被害−加害関係の解消であり、それには被害の意味づけが伴う。支援は、救済に伴う被害の意味づけに対する具体的実践を意味し、それは従来論じられた支援内容(経済的支援、被害者の保護・配慮、情報提供、刑事手続きへの参加)を意味している。ケアはそれら支援に携わる人の姿勢・態度を意味する。
 では、被害者救済におけるケアの態度とはいかなるものか。前節において被害者救済が被害の意味づけによってなされるもので、それは進行形でしか果たせないことを論じた。そのために支援者は、被害者が被害を意味づける過程そのものを支援せねばならない。それには、被害を意味づけする過程にいる被害者の在り様そのものに配慮する姿勢・態度が必要になる。その態度がケアになる。
 本稿の救済におけるケアの姿勢・態度には、被害の不自由さについて認識することが必要になってくる。そして、もう一つ、支援者が、被害者にとって加害−被害関係へのゆり戻しを引き起こす存在であることがある。一つ目は、被害者の救済の地点を知るうえで必要である。二つ目については、少し説明する。被害者が被害者であるから、被害者のための支援があり支援者がいる。被害者を前提としてその支援者が存在しており、そのことは被害者に〈被害〉の不自由さを意識させる。その意味で支援者は被害者に二次被害を与える以前に、もうすでにその存在が害(負荷)になりうる。
 では、この支援者自らが被害者にとって〈被害〉の苦しみを引き起こす害であることを認識することが、ケアの必要条件としてあるのはなぜか。たしかに、加害−被害関係にゆり戻される地点にいる被害者にとって、支援者と関わることは〈被害〉の苦しみを引き起こす。しかし、その苦しみを引き起こす支援者とのかかわりは、加害−被害関係から離れる一瞬の契機を内在している。なぜなら、自らの存在が被害者にとって害(負荷)であり、それを自覚し被害の意味づけの過程に配慮し、被害者にかかわろうとする支援者の姿勢・態度(ケア)は、被害者が加害者以外の他者にとって自分の被害が害(負荷)でありうることを自覚している場合において、その互いの害(負荷)への自覚をもって支援者と被害者とが共振を起こす可能性があるからだ。そのとき、互いの害(負荷)への自覚を契機として被害者と支援者とが配慮するような、加害−被害関係の引力の及ばない支援者と被害者との固有の関係が一瞬だけ立ち上がる。その瞬間において、被害者は被害者ではなくなり、同様に支援者は支援者でなくなり、被害者は加害−被害関係から脱却できる。この可能性は支援者が自らを害と認識しないと開かれないもので、そのためにケアの必要条件としてある。以上が被害者救済におけるケアであり、被害者救済におけるケアの態度・姿勢は上記の瞬間を生み出す意義によって、被害者救済において必要といえる。

◆註
(1)本報告では犯罪被害者を、殺人、傷害等の生命・身体の犯罪、業務上過失致死、強盗、窃盗などの盗犯、強姦等の性犯罪の被害者・遺族に限定する。これは「犯罪被害者等基本法」に則った。
(2)本稿ではケアの定義を、他者の「生」を支えようとする働きとし、その働きかけの動機については問題としないこととした。後述するが、本稿ではケアの範囲を人と人との対面的な場面に限っており、そこでの人に対する態度としてケアという用語を用いている。
(3)私は「被害の内容」と「被害を受けたこと」、この二つをして被害者の苦しみと考えている。本稿では、後者を被害者の苦しみと定めたが、それは前者よりも後者のほうの苦しみが深いとしたからではない。被害者の苦しみはどちらも内在するもので、それは切り離せないものだろう。
(4)私はこの「被害を受けたこと」の苦しみは、第三者が論じることのできる〈被害者〉の苦しみと直感している。なぜなら、被害者が、自身の抱える苦しみを被害としないのなら、それはもはや被害の苦しみではなく、何か別の苦しみであるといえるからだ。
  しかし当然、〈被害〉の苦しみにも「差異」(苦しみの程度/グラデーション)がある。しかもその苦しみの「差異」は「被害の内容」の「差異」に大きく関係する。その意味で「被害の内容」とその「差異」を考察することは、私の救済論においても重要なのは疑いない。しかし、本文でも述べたように、まず被害者の苦しみの前提となる「被害を受けたこと」の苦しみがいかなるものかを論じ、そこで「被害の内容」や「差異」が、〈被害〉の苦しみとどのような関係にあるのかを考察しないと、被害者の救済を論じるための「苦しみの支柱/土俵」が確立されず、「差異」に関するテーマ(例えば、被害者の苦しみを評価する基準とそれに対する救済実践の適切性)が論じられないと考える。こうした私の被害者救済の研究は〈苦しみ〉を一番に考えない点で、大変のんびりしたもので、〈被害〉の苦しみよりも〈苦しみ〉が先行するような状況、たとえば被害者の生死にかかわるような火急の状況には、あまり意味をなさない。
  もう一言。「被害の内容」やその「差異」に注目しないことが、私の救済論にとって問題となってくるのは、私の救済論が、どのような被害者を対象としているのかであり、これは私の研究と本稿のテーマの根幹にかかわるものである。そのことについて付言しておく必要があろう。本稿は被害者の苦しみを「被害を受けたこと」に限定して救済を考えている。だから「被害の内容」やその「差異」を踏まえておらず、どのような被害者を対象とした救済論なのかが不明確である。この問題は現段階では避けえない。あえて、いま対象としている被害者を定義づければ、それは「被害を受けた者」である。この「被害を受けた者」の条件は本人が被害を受けたと認識すればよく、それは当人の主観に委ねられている。このような広域な被害者を対象とする救済の意義はなにか、広域なのに犯罪被害に限定して論じる理由は何か、これらの問いについて、現段階ではうまく答えられない。しかし、これらの問いは、前節で述べた「被害を受けたこと」と「被害の内容」との関係を論じていくことで答えられるのではないかと直感している。ちなみに「被害の内容」よりも先に「被害を受けたこと」を苦しみとして論じることの意義は、すでに述べた。
(5)90年代のより詳細な被害者救済の動向については宮澤・國松監修(2000: 41-91)を参照してほしい。
(6)90年代以前の被害者の問題、救済の議論が何であったか。大雑把にいえば、70年代は金銭的問題であり、その救済実践として補償が主軸に論じられていた。80年代は、積極的に被害者の救済が論じられた時代ではないが、強いてあげるなら、被害者の法的地位であり、救済実践としては刑事司法における保護・配慮、情報提供が論じられた。70年代、80年代は対人・対面に関する支援実践について、ほとんど論じられていなかった。
(7)大谷實は、法学者であり、犯罪被害者の救済制度がなかった1970年代に、被害者の補償制度整備の市民活動を立ち上げ、補償制度の必要性を論じた識者である。1980年の犯罪被害者の金銭的救済制度である犯罪被害者等給付金支給法の制度設立に大きく尽力した学者。
(8)シンポジウムの時の大谷の調査を求める言明。「一つだけ補足させていただきますが、先ほどの実態調査でございますが、犯罪被害救援基金の財政事情が良好であるということを耳を挟んだのでありますが、できれば実態調査にお金を多少でも分けていただいて、速やかな実施を実現できるようにお願いしたいと思います。」(宮澤ほか 1991: 74)
(9)この調査研究会は犯罪被害者救援基金から調査を委託され、刑法学者である宮澤浩一を代表に刑法学者、社会学者、被害者学者、犯罪学者、実務家などの総勢26名の会員にて設立された。調査方法や内容については、宮澤ほか(1996)を参照。ちなみに代表である宮澤は、日本で被害者学を普及させた学者であり、大谷とともに70年代ごろから犯罪被害者の救済の必要性について論じていた。
(10)たとえば小西(1996, 1998)、大和田(2003)、酒井・池埜ほか(2004)などを参照。
(11)二次被害の条件を説明しているものとして諸澤(2001)がある。「既に述べてきましたように、二次被害とは、ある被害に付随して生じる被害を言い、最初の被害と付随する被害との間に因果関係が認められるものに限ります。したがって、ある被害を受けた後で、新たな事態が発生して受ける被害とは区別されます。このような場合には、最初の被害と後の被害の間に、たとえ因果関係があったとしても、二次被害とは言いません。」(諸澤 2001: 133)
(12)二次被害に関するアンケート調査の質問表をみてみると「被害者にとって、けがや金品を取られること以外に、事件の際に次のようなことがあった場合には(それは「マスコミの取材・報道により不快感を持ったとしたら」、「警察や検察の捜査に不快感を持ったとしたら」など)、あなたはそのことを「被害の一部(いわゆる二次被害、三次被害)」と思われますか??省略??ここで、被害とはあなたのお考えになるところで結構です」となっており、何を被害とするかは被害者の主観に委ねられていたことが分かる(宮澤ほか 1996: 384)。[はじめの( )の内容は著者が付け加えた]
(13)「トラウマを受けたあと、人は自己コントロールを失った状態になりやすい。圧倒的な外界からの衝撃を受けた後では、自分が世界を能動的にコントロールしていけるのだという感覚が失われて当然のことだろう」(小西 1996: 202)。
(14)池田小事件は、犯人の宅間守が8名の児童を殺害し、13名の児童と2名の教員を傷害した事件で、酒井夫妻はこの事件で娘の麻紀さんを亡くされている。
(15)これとは逆のものがある。それは被害を被害として意味づけしようとしないことである。それは、たとえば、自らの受けた苦しみをただ感受すること、具体的に言えば、受けた苦しみを、被害として意味づけせずに、苦しみを、ただ苦しみとして、感受することである。この場合、そのような存在は、被害者ではなくて、「苦しみを苦しみとして感受する者」である。ゆえに、それを被害者の救済として論じてはならないと考える。なぜなら、苦しみを、苦しみとして、感受することを、被害者の救済のためと論じてしまえば、その苦しみは、ただの苦しみではなくなり、被害から救済されるための苦しみとなってしまい、それは、もはや苦しみを苦しみとして感受することとは異なってくるからだ。
  被害者ではなく自らを「ただ苦しみを感受する者」とした存在にとって、「苦しみを被害として意味づける」ことは、不快なことかもしれない。被害者として置かれることから脱却するのに被害の意味づけが求められる状況が〈被害〉であり、この状況において、「ただ苦しみを感受する者」として、あえて被害の意味づけをしないということは、被害の意味づけをしないという実践、つまりは加害に従属した実践になってしまう。この点を踏まえてみれば、〈被害〉の状況において、被害の意味づけをしないこと/拒否するということと、苦しみを、苦しみとして、ただ感受することは、何が異なってくるのであろうか。
(16)そんな必然で自然な被害者の営みを救済実践と呼ぶことは、大変みっともないことであり、情けのないことでもある。しかしながら、そのような営みに、他者が役に立つ場合がある。その意義をもって救済実践と呼ぶことにする。

◆参考・引用文献
安藤久美子 1999「児童期の性的被害によるPosttraumatic Stress Reaction──一般成人女性の自記式質問紙調査の結果から」『被害者学研究』9号 pp48-66
大山みち子 2001「第4章 被害者心理と被害者支援」宮澤浩一・國松孝二監修『講座 被害者支援第4巻 被害者学と被害者心理』東京法令出版 pp121-148
大和田攝子 2003『犯罪被害者遺族の心理と支援に関する研究』風間書房
小西聖子 1996『犯罪被害者の心の傷』白水社
———— 1998『犯罪被害者遺族 トラウマとサポート』東京書籍
———— 2001「第3章 犯罪被害者のトラウマ」宮澤浩一・國松孝二監修『講座 被害者支援第4巻 被害者学と被害者心理』東京法令出版 pp83-120
酒井・池埜ほか 2003『犯罪被害者支援とは何か——附属池田小事件の遺族と支援者による共同発信』ミネルヴァ書房
佐藤志穂子 2001「第5章 遺族への支援」宮澤浩一、國松孝二監修『講座 被害者支援第4巻 被害者学と被害者心理』東京法令出版pp149-176
瀬川晃 1998『犯罪学』成文堂
長井進・中島聡美 1999「アメリカ合衆国における被害者に対する危機介入活動」『被害者学研究』9号 pp33-47
長井進 2004『犯罪被害者の心理と支援』ナカニシヤ出版
西村春夫・辰野文理 2001「第2章 被害化要因と被害者対策」宮澤浩一・國松孝二監修『講座 被害者支援第4巻 被害者学と被害者心理』東京法令出版株式会社 pp35-82
三井さよ 2004『ケアの社会学 臨床現場との対話』勁草書房
宮澤浩一 1987「犯罪被害と被害者特性」『法律のひろば』40巻1号 pp20-28
宮澤浩一ほか 1991「〈犯罪被害給付制度発足・犯罪被害救援基金設立、10周年記念シンポジウム(パネルディスカッション)〉 被害者救済の未来像」『警察学論集』44巻12号 pp1-129
宮澤浩一・田口守一・高橋則夫編 1996『犯罪被害者の研究』成文堂
宮澤浩一・國松孝二監修 2000『講座 被害者支援 第1巻 犯罪被害者支援の基礎』東京法令出版
諸沢英道 2001『新版 被害者学入門』成文堂
山上皓 1999「被害者の心のケア」『ジュリスト』1163号 pp80-86

付記:本稿は平成21年度科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。