指定質問1「記憶の変化」

小宅 理沙(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 院生)

 先端総合学術研究科院生の小宅と言います。ヤング先生、本日は非常に興味深いお話をどうもありがとうございました。Thank you for your lecture.
 私は先生のご著書『PTSD の医療人類学』を拝読させていただきました。今日は、その内容に関して、私なりに考えたことで質問させていただきたいと思います。では、始めます。
 記憶の変化。先生はご著書の中でPTSD のお話をされていました。そこには、例えば補償を求めるために病的症状を演じる患者がいると言われていました。センターのお話だったと思うのですが、私の研究事例により、関連するお話をしたいと思います。
 初めに、私の研究事例より記憶について検討したいと思います。私は、レイプにより強制的に妊娠させられた被害者女性のインタビュー調査をしてきました。被害者女性の中には中絶する場合もあれば、例えば中絶できる時期を超えて仕方なくというケースも含めてですが、子どもを産む場合もあります。日本では、レイプによる妊娠の中絶が法的に認められています。アメリカと違い、宗教的な理由で中絶に抵抗を感じる風潮はありません。どちらかと言えば、中絶の手続きはそれほど困難ではなく、中絶に対する批判、中絶を批判する風潮はそれほどありません。
 一つ目に紹介する事例は、レイプ被害者女性の支援をする民間団体スタッフへのインタビューです。レイプ被害者女性の支援団体と言っても、養子縁組の斡旋を行う団体です。日本には性犯罪被害者のための専門的な支援機関が非常に乏しいため、養子縁組の斡旋をする団体に、レイプ被害者女性が救いを求めて相談をするケースが中にはあります。被害者女性の中には、養子縁組を斡旋する団体に対して、相談初期に中絶したいと言う被害者女性が多いとのことです。この団体は、中絶が可能な時期であれば、安全に中絶できる病院を紹介するとのことですが、中絶がぎりぎりの時期にある場合や、既に中絶ができない時期にある被害者女性には、産むための支援をします。例えば、出産までの住居を提供するといったことです。
 被害者女性が産んだ子どもは、養子に出されることが大前提です。スタッフのインタビュー調査からは実際子どもを産んでみると、レイプ被害者女性に限定したものではなく、ここの団体に相談するすべての女性の3分の1が、結果的にはやはり自分で育てることになるとのことです。しかし、レイプ被害者女性においては、全員が子どもを養子に出したとのことです。そしてさらに話を詳しく聞いていくと、最初は中絶したいと言っていた被害者女性の中にも、養子に出した2〜3年後に子どもの誕生日プレゼントを用意する人もいるということです。
 もう一つ事例を紹介したいと思います。こちらは実際レイプで妊娠し中絶した被害者女性へのインタビューです。彼女は中絶した経験が今でも忘れられず、今後絶対に中絶したくないと言っています。彼女は、気がつけば周りはすべて敵のように感じ、中絶した胎児のことを同じ被害者であり運命共同体であった、かわいそうだと思っていたと表現します。けれども、「それならあの当時に戻れば、子どもを産んでいたのか」と私が質問すると、少し考えて、「やはり無理だろう」と返答しました。
 ここにおいて、レイプ被害をめぐって裁判をする場合について考えてみます。中絶した女性の場合は、そのレイプの経験がレイプであるということが疑われることは少ないのです。その一方、出産した女性の場合は、そのレイプという出来事が、本当にレイプであったのかどうか、事件そのものが疑われてしまいます。つまり、子どもを生んだことをもって、その性行為がレイプではなく合意の上での行為だったとされてしまうのです。しかし、たとえ子どもを産み、その子どもに愛情を持ったとしても、レイプの被害に遭ったという過去の事実を打ち消すものではないはずです。このような状況において、たとえ子どもを産み、愛情を感じたとしても、PTSD の症状があると診断されることで、過去のその出来事がレイプであったと同定される可能性が開かれるのです。
 被害者女性たちの記憶や感情は日々変化しています。もちろん変わらない記憶や感情もあるでしょう。彼女たちにおけるレイプによる出産、あるいは中絶をめぐる経験は一枚岩ではなく、複雑かつ幾重にも引き裂かれた感情の経験としてあります。前者の被害者女性は、中絶したいと当初主張していましたが、出産の2〜3年後に子どもに誕生日プレゼントを用意しています。後者の中絶した被害者女性においても、過去の行為(中絶)を後悔している様子が確認できます。もちろん被害を受けたその当時に、被害者女性が胎児に対して運命共同体だと感じていたかどうかは分かりません。彼女自身、このような思いが芽生えたのがいつごろであったのか分からないと言います。
 PTSD がまさに社会において装置として機能するがゆえに、彼女たちの抱いている、例えば生まれた子どもに会いたいという、出産した子どもに対する肯定的感情や中絶を後悔しているという、中絶に対する自責の念が、逆にレイプ被害への苦痛が、さほど大きなものではないと裁定されてしまう判断材料に使用されてしまうということさえあります。例えば、レイプ被害が原因でできた子どもに、プレゼントを与えるという行為そのものに、苦痛を表す言葉や病名は存在しません。ところが、被害者女性の中には、PTSD などの何らかの診断や病名を求めることがあります。なぜならPTSD と診断されることにより、自分には落ち度はなかった、自分は悪くなかったと、自分に対しても社会に向けてもそれを証明したいからです。
 証明する手段の一つに裁判があります。司法で争うときに、PTSD の症状が認められるか否かで裁判の勝敗が大きく左右されます。もし、裁判で勝とうとすると、被害者女性たちは、レイプでの中絶あるいは出産に関する肯定的な感情の部分には沈黙を余儀なくされます。病理的症状を演じるというお話が先生のご著書の中でありましたが、裁判をスムーズに進めるといった意味においてですが、彼女たちがPTSD だと診断しやすく演じてくれれば、支援者として私は非常に楽です。どのように演じるかというと、例えばあんな子どもには二度と会いたくない、産んだことを後悔しているといったようにです。しかし、私はそれを全く望んでいませんし、彼女たちも自分の感情をゆがめてまで裁判に勝つことを望んでいません。ありのままの状態において、レイプ被害の事実を事実だと認められたいのです。こういった被害者女性の引き裂かれそうな複雑な経験を知りながら、いざ裁判で勝とうとすると、社会という現実を実際に生きている支援者としては、PTSD という装置を使わざるを得ない事情があります。支援者としてはPTSD という装置を利用すればするほど、PTSD という装置を温存してしまうといった、ある種皮肉な帰結を招いてしまうことも私は理解しています。PTSD という装置を利用すればするほど、紹介した被害者女性のように、レイプ被害の結果であるにもかかわらず、その妊娠や胎児や中絶経験の、ある部分に肯定的な感情を持っている場合において、彼女たちの現実の複雑性はPTSD という装置を通じてますます縮減され、レイプ被害者女性の生きる現実の複雑性、そこが大変重要であるにもかかわらず、その現実の複雑性が不可視化されていくことになります。そして皮肉なことに私たち支援者は、彼女たちの現実の複雑性を知りながら、戦略的にPTSD という装置を使わざるを得ないという出口なしの事態を経験しています。こうした出口のない状況に対して、いかなる批判的な考察が可能なのか、私もこれまで考えてきました。そこで、ヤング先生が、こうした批判的言説について、どのような論考を展開されるのか、ご教授いただければ幸いです。以上です。Thank you for your listening(拍手)。

(佐藤) どうもありがとうございました。非常に重要な問題提起だったと思います。それでは、引き続きまして、本学先端総合学術研究科大学院生、片山知哉さんに指定質問をお願いいたします。