開会の辞

日時 2007 年7 月21 日(土) 13:00 〜 18:00
会場 立命館大学衣笠キャンパス 以学館2 号ホール

(佐藤) それでは定刻を過ぎておりますので、本日の企画「PTSD と『記憶』の歴史」を始めさせていただきます。私は、本日司会を務めさせていただきます、立命館大学文学部の佐藤と申します。よろしくお願いいたします。
To all of you present here, I am pleasure to express sincere thanks for your attendance at this meeting in spite of your busy schedule. On behalf of the sponsors of this meeting, Professor Nishi would like to give a brief address.
 開始に先立ちまして、立命館大学先端総合学術研究科の西研究科長より一言ごあいさつ申し上げます。

■開会の辞
西 成彦(立命館大学大学院 先端総合学術研究科長)

 皆さん、こんにちは。梅雨空の中をご参集いただき、どうもありがとうございます。私は立命館大学先端総合学術研究科の研究科長で、西と申します。私たちの研究科は、「公共」「生命」「共生」「表象」という四つのテーマ領域を柱に据えて、1学年30 名という院生を育てる一貫性博士課程として、4年少し前の2003 年4月に開設され、今日の日を迎えるに至っております。私たち研究科の教員の大半が事業推進者として参加することになり、グローバルCOE「生存学」創成拠点をこれから立命館の人間科学研究所と共に担うことになった研究科を代表する一人として、最初にごあいさつさせていただきます。
 「PTSD と『記憶』の歴史」という本日のテーマですが、PTSD という言葉は決して古い言葉ではなく、この言葉が発明されて多くの人々の間で使われるようになってからというもの、われわれが生きる生活空間は大きく変貌したように思います。心身の変調が何らかの大きな出来事の経験と分かち難く結びついているという考え方は、特に二度の世界大戦を経験した20 世紀がもたらした、重要で大きな産物の一つです。私たちはさまざまな出来事に対して、ほとんど無防備な状態、ほとんどむき出しの身体と共にさらされていて、一度生き永らえた出来事は繰り返し、繰り返し回帰してくるという生を宿命づけられているわけです。こうした出来事の回帰という認識をくぐらない限りは、公共空間なるものを立ち上げることは難しいでしょうし、多様な存在が共生し得るようなビジョンを描くことも難しいでしょう。また、出来事の表象が、そうした繰り返しの技法として重視されてきたことは言うまでもありませんし、PTSD とはまさに死と背中合わせにある生命の一形式であるといっても過言ではない、だれにとっても他人事ではないと思います。こういったPTSD という言葉の発明によってもたらされた諸学問の変容に、ここに集まった私たちはただならない関心を抱いているといえるはずです。
 今日、カナダ・マッギル大学からアラン・ヤング先生を招いて講演会およびワークショップを企画することになりましたが、この企画に当たっては慶應義塾大学のグローバルCOE「論理と感性の先端的教育研究拠点形成」の力を全面的に仰ぐことになりました。同大学文学部の宮坂敬造先生には、通訳までお願いすることとなり、誠に感謝の意に堪えません。本企画は、本年度グローバルCOE に採択された、先ほど申し上げた、「生存学」創成拠点が主催する最初の大きなイベントですが、開会に当たって、宮坂先生をはじめとする慶應義塾大学に対する感謝の気持ちを前もってお伝えしておきたいと思います。
 これから皆さんと共に5時間の長丁場となりますが、本日の会が実り多い会になりますよう、温かいご支援と積極的なご協力をいただければと思います。
 それでは、日本にお越しになってもう1週間ぐらいになると昨日伺いました。東京で台風も地震も経験されたということで、まさに典型的な日本を既に経験されているアラン・ヤング先生について、まず宮坂慶應義塾大学教授から詳しいご紹介をいただきたいと思います。