全体討議コメント1

池田 光穂(大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 教授)

To Professor Allan Young, I am honored to participate in this academic meeting with Professor Allan Young in attendance. When I have read the Japanese edition of Professor's grate book, “The Harmony of Illusion,” in 2001, just before 9/11, I felt just, “Oh it is very cool the medical anthropology analysis that I have ever read.” It is worth to say that like a great science-fiction novel “Neuromancer” in anthropology. So, I will comment in Japanese for all the sessions.

 私の役割は、本日おこなわれた議論の全体へのコメントです。私のコメントは、3つのテーマに分けることができます。
 まず第1は、文化についての研究というのは何かということについてです。2番目は、トラウマの文化(culture of trauma)というお話がありましたが、トラウマの文化をどのように異文化間比較の研究の俎上に載せるのかということについてです。そして3番目は、PTSD 研究を裏返し=逆さまにみてみようということです。
 第1の文化の研究とは何か、あるいは文化の実践ということについてお話したいと思います。今日のシンポジウムないしはアカデミックミーティングという現場とはなにか。こういう勉強の場、議論の場は、幾つかのプロセスから成り立っています。英語のネイティブスピーカーの先生をお招きして、多くの聴衆が使う言葉は日本語ですが、そういう中で、一体どういうコミュニケーションが行われているのかということです。
 それらのプロセスにみられる条件を私は四つに分類しました。最初は言語の壁を克服することです。ヤング先生が、英語で話されて、日本人の多くの人たちは英語を理解しますが、専門的な用語もありますし、通訳の人の助けを借りないと理解できない。日本語と英語という言語の壁。
 二つ目は文化の壁があり、それを克服しなければならないということです。文化の壁というのは、言語が分かっても、お互いの意味疎通は図れません。文化というのは、単純に日本とアメリカ合州国、日本とカナダの文化の違いだけではありません。医療人類学において、精神的外傷(トラウマ)というものがどのように研究史上で捉えられているのか。具体的な議論の共有がないと通じません。また使われている用語法が分からないと困ります。今日の議論では、トラウマとPTSD の違いが十分理解できないとその壁を隔てた間の共有は致命的です。これが文化の壁です。ここでいう文化とは、コミュニケーションするための条件や文脈(コンテクスト)でもあります。
 そして、われわれはこのように条件づけられた中で何とかヤング先生の言っていることを理解したい、また先生の本を読んで、ここにやって来て、先生とコミュニケーションしたい。お話を聞きたいということです。これらはすなわち、他者の言うことを理解したいという欲望を皆さんがお持ちになっているということです。先生もまた、日本の聴衆の皆さんに、自分の言っていることを理解してほしいという欲望があると思います。コミュニケーションしたいという共通の欲望。これが三つ目です。
 しかしながら単純にお互いの欲望がただ単に存在するだけでは駄目です。欲望に駆り立てられつつも、具体的に仔細にコミュニケーションの実践をおこなわねばならない。自分が勉強したり調査した情報について、ヤング先生をはじめ日本の同胞の皆さんに研究成果を報告する。そして聴衆の人たちに自分の研究成果がどのように理解されたのかについて知りたい。人々は自分の何について分かって、何について分かっていないのか。われわれの研究、ひいては学術活動とは、こういう絶え間のない相互作用の繰り返しです。
 この4つのプロセスの中で、いったい何が重要なのでしょうか。われわれはイマジネーション(想像)というものにとても依存しながら、お互いにコミュニケーションしている。言語の壁、文化の壁があるというイマジネーション。それらを壊して、お互いにコミュニケーションしたいというイマジネーション。そして、相手が自分に対して何を思っているのかということについて理解しようとするイマジネーション。そういう複数のイマジネーションが交錯する場、それがここでいうコミュニケーションです。こういう複雑なコミュニケーションの過程で生じる齟齬や誤解の解明は、まさにアラン・ヤング先生が明らかにしたかったトラウマとPTSD の研究に他なりません。研究の成果をほかの人に伝えたい。自分の考えは果たしてそうだろうかということを明らかにして、それに適切に対処したいという欲望。齟齬はコミュニケーションの躓きの石であるが、同時に良質なコミュニケーションへの試金石になる。これが一番目に私が伝えたい、文化の実践というものの内実です。
 次は、トラウマの文化(culture of trauma)の比較研究の可能性についてです。アメリカ合州国では、愛国法(Patriot Act)以降、[海の向こうのエイリアンが行使するだけでなく、隣人の中にも潜んでいるかもしれない]、テロリズムとの戦争に、多くの国民を駆り立てる体制が整いました。そういう体制は、結果的にはアメリカの大衆文化の中で外国人嫌い(ゼノフォビア)という心理的傾向を増長させることに成功しました。人々はそういうアメリカ政府がテロとの戦いを通して、実はまったく別のメッセージである外国人嫌悪、異文化に対する寛容性の伝統を極小化するような生活態度をつくりつつあります。アメリカの人たちが小さな星条旗を掲げるというものの中に、そしてアメリカに対する愛国心の裏側に、この異邦人への嫌悪感情があります。この嫌悪とトラウマには何か関係がありそうです。
 さて、アメリカに急速にまん延したculture of trauma(トラウマの文化)が日本にないのかということについて考えたいと思います。これは私がヤング先生に対して、日本の側からculture of trauma について何か寄与できる唯一のことです。それらについて3点ご紹介したいと思います。
 最初は、戦没者、戦争で亡くなった兵士への慰霊の問題です。靖国神社という日本人には馴染みふかい神社があります(ただし実際に訪問したことの有無で国民のイデオロギーをかつて色分けすることができた点で、他の神社とは著しく性格を異にする)。トラウマを呼び起こす戦没兵士への慰霊の問題。2番目は、1945 年に起こった広島、長崎の原爆投下。そして3番目が1995 年に起こった阪神淡路大震災。この地域で5千人以上の方が亡くなりました。これら3つのことについて簡潔にお話し、日本におけるトラウマの文化について指摘したいと思います。
 最初の、戦没兵士への慰霊ですが、1930 年から靖国神社への合祀という、亡くなった方の霊を登録する国家システムが本格的に作動します。日本でしばしばとりあげられ、つねに大きな問題としてとらえられているのは、東京裁判で有罪になった戦争犯罪人を英霊として祀られている神社に、日本の国家元首が公務として訪れるべきか否かということです。その魂を登録している霊璽簿(れいじぼ)と呼ばれるものがあるのですが、魂の記録簿の中に東條英機などの戦争犯罪人の名前があること。そして、この霊のリストを奉納してある靖国神社に首相が参拝することは、政治的行為なのか、宗教的行為なのか、はたまた倫理的行為なのかについて延々と議論がつづいています。ここで語られるのは、亡くなった方の霊は、いったい誰が管理するのかという問題。戦没者という被害者の慰撫と、国家元首としての戦争遂行の責任者の共存を認めるか否か。霊を慰撫する礼拝行為、すなわちトラウマの文化を、だれが管理するのかという問題につながりますす。国家的あるいは外交レベルでの大論争になって、このトラウマの文化をめぐる戦争は、現在も続いています。
 2番目は原爆の投下ですが、これは、日本の方にとっては言うまでもないことですが、毎年多くの人たちが原爆を投下した日にちを忘れることはありません。場合によっては、投下された時間を正確に覚えている方がいます。正確に時間を知らなくてもその日に、その時間に、どこか遠くでサイレンを聞くと、それが何であるのかを多くの日本人は分かるのです。なぜこういうことが分かるのか。それは日本の国民が、長い間にわたってそういうトラウマを繰り返し繰り返し思い出す実践をおこなってきたからです。ただし、これは何のために思い出すのかというときに、アメリカや連合国軍を憎む、あるいは東條英機、戦争犯罪人を憎むということではありません。そうではなく非常に残酷な戦争を繰り返さないためなのです。原子爆弾が太平洋戦争を終わらせたということについての論争ももちろんあります。しかし、国民の多くが抱くのは、原子爆弾は残酷な戦争のメタファー(隠喩)にほかなりません。原爆を通して残酷な戦争を呪うために、われわれは国民の精神的外傷(トラウマ)を毎年思い起こす儀式を行うと言っても過言ではありません。
 もしこのことをご理解いただければ、3番目の、1995 年に起こった阪神淡路大震災で亡くなった方への慰霊に関する行事が、じつは広島、長崎の原爆のセレモニーと似たようなパターンをとっていることを感じるのは容易です。ただし、長崎の原爆と阪神淡路大震災のトラウマのコントロールは、全然違う目的のために使われています。あるいは、慰霊の儀式がおこなわれる時、それが人々の感情にもたらすのは、全く異なる効果です。阪神淡路大震災の亡くなった方を思い出すときには、被災者の多くの人たちは、当時の日本の政府がいかに被災地の国民を大事にしなかったのかということを強いトラウマとして感じます。国家によるgovernability(統治性)が、いかにひどいものであったかを思い出す、国民にとってはそういう意識の日です。(政府や自治体はこのことを十全に憂慮しています。その証しに震災を記念して立てられた真新しいミュージアムでは、被災者の夥しい遺品を展示し、固有の人の命がいかにかけがいのないものであるか、というトラウマの思い出のすり替えを一生懸命行おうとしています。トラウマは当事者にとっては戦闘場になるのです)。
 それから、もう一つは、市民ボランティアの誕生。日本の社会は市民からなる社会なのだ、あるいは市民社会でならなければならないという再生のプログラムのモデルが、この阪神淡路大震災以降に出てきたと思います。この共同性を思い出すために阪神淡路大震災のトラウマが動員されて使われています。もう一つは、細かいことになりますが、地震や災害の専門家の存在がより可視的に曝されるようになったことです。最近、中越沖地震がありましたが、行政の現場でもメディアでもこういう人たちは頻繁に登場し大きな発言力をもつようになりました。地震の専門家、災害の専門家といった人たちが、社会の再構築に重要な役割を果たすようになってきた、あるいはそのように信じ込まされる新しい事態が登場したということです。
 3番目の最終のコメントになります。ヤング先生がおこなったPTSD の研究を、こんどは私たちが裏返してみよう。反対にしてみようということです。奇妙な質問ですが、思考実験をおこないましょう。それは、PTDS の疾病概念、PTSD をめぐる社会のコンセプトは、じつは未来に起こる9.11 のようなトラウマ―すなわちポストベトナムの災厄―ために用意されていたのではないかということ。言うまでもなく、こういう疑問は全くナンセンスです。どうしてか。PTSD が記載されたDSM というのは、2001 年9月11 日よりはるか以前にあって、そのPTSD の概念とはベトナムの復員兵のために、社会的に構築されたというのがヤング先生の主張の骨子だからです。だから、PTSD の概念は9.11 のために用意されたという私のような考え方は狂った(クレイジーで)ナンセンスな考え方だと思います。
 ですが、どうでしょう。アメリカの国民の幾ばくかの人々はPTSD にさいなまれているかもしれませんが、アメリカ政府の要人は、もう一つの記憶の障害である前向性健忘(anterograde amnesia)という病気に確実に罹患していると思います。前向性健忘というのは、『博士の愛した数式』のようにかなり昔の記憶はあるのだけれども、それ以降の記憶は蓄積されないような症状です。あるいは先ほど覚えたものが記憶できない。今、やろうとしたことが思い出せない。だから、アメリカ政府の要人にとっては、9.11 の記憶(トラウマも記憶の一変種)は残っているけれども、それ以降、自ら種を撒いた、イラクの人たちのトラウマの記憶は残されていない。だから被害を受けたことは根に持っているが、それが原因で最近おこなった加害行為は平気で忘れてしまう。自分のせいで他者が被ったトラウマをすぐに忘れてしまう、いささか困った疾患にさいなまれているのではないでしょうか。
 以上3点。すなわち、文化の研究にまつわることがら。トラウマ文化に関する異文化間の比較研究をおこなう必要性を喚起するための日本の事例の提示。そして最後は非常に奇妙なコメントでしたが、逆さまの説明と強いておこなうと、実はその実態の隠された奇妙な論理が見えてくるということを言ってみました。ご静聴ありがとうございました(拍手)。

(佐藤) 池田先生、どうもありがとうございました。引き続きまして、本学先端総合学術研究科天田城介先生からコメントをいただきたいと思います。天田先生は、この間、院生さんの発表などの添削を、赤ペン先生ならぬメールやり取り先生になって500 通以上のメールをやりとりしていた熱血先生です。では、ちょっと時間が押しているので10 分程度でコメントをお願いします。