開催報告(2016年2月26日開催)《生存学ダンスセミナー》第3回「「舞踏・芸能・思想」――袋坂ヤスオさんを迎えて」

掲載日: 2016年03月31日

 立命館大学生存学研究センターは、2016年2月26日(金)に、立命館大学衣笠キャンパスにて、《生存学ダンスセミナー》第3回「「舞踏・芸能・思想」――袋坂ヤスオさんを迎えて」を開催しました。生存学研究センターの村上潔が進行役・聞き手を務め、適宜映像資料を鑑賞しつつ、ゲストの袋坂ヤスオさん(舞踏家)にお話を伺うかたちで進行しました。

 はじめに、北海道の地方都市でツッパリカルチャーやヘビメタに浸かっていた袋坂さんが、高校時代に能に興味をもち、京都の大学に進学すると同時に能のサークルに入り、以後大学時代は能漬けの生活を送ったことを伺いました。

 能サークル時代は4回生のときに能面をつけて舞う機会を得るなど、本格的な活動を行なっていましたが、その後、他の表現を模索することになります。Rosaゆき(外部リンク)さんのワークショップを受講し、1997年に初めてソロで踊ったことを皮切りに、新しい舞踏のスタイルを追求し始めます。そこでは、能で培った身体[カラダ]のありかたを壊す「もがき」の過程も経験した、といいます。その後、いろいろなワークショップで身体の使い方を学び、「身体自体に語らせる」舞踏の即興的な動きを会得し、「振付よりも即興」という志向が強くなっていきます。そして、メタルパーカッション奏者の太田ヒロさんと出会ったことが契機となり、セッション的なパフォーマンスを自身の公演形態として定着させることになりました。

 袋坂さんの一時期の象徴であった、股間にパトライトを装着して踊るスタイルは、1999年に〈通天閣歌謡劇場〉で初めて披露したもので、以後15年間、袋坂さんの代名詞である「変態舞踏」を続けていくことになりました。袋坂さんが「変態舞踏」を演じて感じるのは、「場が開ける感覚」・「アナーキーな感じ」だといいます。それは、西成の労働者たちのデモに参加した際に感じた感覚に近い、と袋坂さんは語ります。そこからは、人々の普遍的・根源的な欲求・エネルギーが渦巻くカオスな状態に、袋坂さんが魅了されていることが窺え、彼のパフォーマンスの本質的なポイントを理解する一つの鍵になるのではないかと感じました。

 次に、話題を「思想」の方面に移していきました。袋坂さんの舞踏公演「天人五衰」は、その名の通り三島由紀夫の同名小説を下敷きにしたものですが、その内容には――ある種メタ的に――三島自身の存在と、三島が対峙した全共闘運動のメタファーとが、象徴的に差し挟まれます。三島・全共闘、そして舞踏(土方巽のデビュー作「禁色」は三島由紀夫の同名小説をタイトルとしており、これ以後三島は舞踏に接近していく、といった背景があります)。これらのファクターを、当時の時代状況とつなげつつ、一つの世界を構築した成果が「天人五衰」でした。袋坂さんは、自分の舞踏の起源はこうした世界観にある、といいます。「近代-反近代」というアポリア。小説「天人五衰」は輪廻転生という概念を中心に据えていますが、袋坂さんはこうした要素を用いて、「近代の限界への対峙」を模索した同時代の思想・世界観にアプローチしました。

 「天人五衰」は設定が自由で、いろいろな解釈ができる。それは能のワキの設定に近いものがある、と袋坂さんはいいます。ここで「天人五衰」と能がつながってきます。もうひとつ、その両者をつなぐものが、袋坂さんの公演にはありました。「ケツ能」です。「ケツ能」とは、2014年1月から袋坂さんが新たに始めたパフォーマンス・スタイルです。文字通り臀部に能面をつけてそれを顔に見立て、背中を正面胴体として、足を手として、手を足として用い、表現します。「天人五衰」でも、全体のうち一幕が「ケツ能」にあてられていました。袋坂さんは、ケツ能は、「天人五衰」の「虚実がゆらぐ」感覚を象徴しているといいます。たしかにケツ能ではすべてが「反転」しているので、まさに現実感が裏返された感覚を味わいます。そして、ケツ能は「アンビバレンツな感情を提示する」もので、いつ見ても「ちがう表情」を見せるものなのだ、と袋坂さんは語ります。こうした新たな表現形態の導入の意味の確認を通して、「天人五衰」の(多面性に富んだ)世界観を自分なりに構築しようとした袋坂さんの意図が、かなり明確に浮かび上がりました。

 袋坂さんは、上記のような特徴をもつ「ケツ能」の表現を通して、「能の時間・空間性がダンスにつながってきた」といいます。それは、「能=古い芸能/ダンス=新しい表現」というようなステレオタイプな思考では理解できないことでしょう。袋坂さんは、「新しさを追求する時間の流れから降りる」ことを志向している、といいます。そしてそれは「芸能のありかた」と共通した思考なのだ、と。芸能というものは、「つねに古い、すでに古い」もの。芸能が生まれたときから、「時間の感覚が(現実と)ちがう」。自分はその「時間性」に身を置きたい、と最後に袋坂さんは語りました。能・舞踏・ダンスといった異なるジャンルとして設定されたものを横断して理解・体現する概念として「芸能」を前面化し、その独自の普遍性と可能性を追求する姿勢を通して現実に違和を投げかける摸索を続ける袋坂さん。彼の表現のエッセンスを存分に感じ取れる機会となりました。

*トークの記録は文字起こしして、後日[arsvi.com]内に掲載する予定です。
*関連リンクは企画ページをご参照ください。

(立命館大学衣笠総合研究機構准教授 村上潔による開催報告を掲載)