開催報告(2016年2月12日開催)《生存学ダンスセミナー》第2回「「記憶・空間・スペクタクル」――東野祥子さんを迎えて」

掲載日: 2016年03月31日

 立命館大学生存学研究センターは、2016年2月12日(金)に、立命館大学衣笠キャンパスにて、《生存学ダンスセミナー》第2回「「記憶・空間・スペクタクル」――東野祥子さんを迎えて」を開催しました。生存学研究センターの村上潔が進行役・聞き手を務め、適宜映像資料を鑑賞しつつ、ゲストの東野祥子さん(振付家・ダンサー)にお話を伺うかたちで進行しました。

 はじめに、東野さんが10歳でモダンバレエを習い始め、15,6歳頃から作品を制作していたことを確認しました。そして、コンペで賞を獲得するようになった18歳頃には、ノイズ/インダストリアル・ミュージックに傾倒し、積極的にダンスに取り入れていた(例としてSPKの曲など)ことを伺いました。

 また、ヨーロッパのコンテンポラリーダンス(カニンガム、グラハム、ベジャール、バウシュら)が日本に一気に紹介され始めた時期である1990年前後には、ピストルズを取り入れたマイケル・クラークに注目していたように、ノイズとパンクが自身にとって大きな要素であったこと、クラブ・ミュージックの全盛期である1995年前後には、エイフェックス・ツイン、ジェフ・ミルズらのテクノに傾倒し、2人のDJといっしょにクラブでパフォーマンスをしていたことが語られ、東野さんがつねに時代ごとのエッジの音楽にコネクトし、自身の作風を形づくっていったことがわかりました。

 次に、集団で作品を制作するようになった経緯とその意義について伺いました。ダンス・パフォーマンス・グループ〈Baby-Q〉(2000年結成。大阪を拠点に活動)の結成の動機は、個人での制作に行き詰まりを感じ、「他の人といっしょに作品を作りたい」という欲求にあったこと、また〈Baby-Q〉はあえて役者・ミュージシャンといったダンス業界の外にいる人たちを入れて構成したこと、を確認しました。ここからは、既存のダンスの世界の枠を積極的に崩し・拡張したいという東野さんの強い意図が窺えました。その一環として、野外演劇や、精巧な舞台芸術の導入といった試みがなされたこと、また同時に大阪の歓楽街にあるレジャービルでカフェを運営するといった試みも行なっていたことが語られ、大きな構想のもとに多様な実践を積み重ねられていたことがわかりました。2000年代前半の東野さんは、このような大阪ミナミのコミュニティに根差した活動を展開するとともに、作品制作においては、ノイズ・コラージュを用いた音楽と映像をバックに大人数のダンサーがロボットとともに踊るという、スペクタクル的要素の強い作風を確立させていったことが確認できました。

 続けて、スペクタクルという要素に話題を移しました。東野さんは、出演者各自の身体・キャラクターにまつわる、その人自身の「空間・時間」――そこには「記憶」という要素も絡んでくる――、そしてその人自身がもっている魅力という、「中の世界」をどうやって引き出すかを考えたうえでスペクタクルを構成していることを語られました。「その人自身から出てくる動き」を見つけ、没個性的にしないこと。一見派手に見えるスペクタクル的演出の裏には、そうした問題意識があることが確認でき、まさにマクロ-ミクロの一体的な視野のもとに構成・演出がなされていることがわかりました。また、現在の活動の中心となっている〈ANTIBODIES Collective〉は、各々自立した活動を展開している多方面のアーティストたちで構成されており、そこにも一人一人の「人」の魅力を引き出し、引き立たせようという東野さんの意識が表れていると感じられました。

 最後に東野さんは、「京都は活動しやすいダンスのシーンがある」と述べられ、京都を拠点とした今後の創作活動における期待とシーンの可能性を示唆されました。

*トークの記録は文字起こしして、後日[arsvi.com]内に掲載する予定です。
*関連リンクは企画ページをご参照ください。

(立命館大学衣笠総合研究機構准教授 村上潔による開催報告を掲載)